お醤油の町 湯浅へ

ちょっと日が経ってしまいましたが・・・


9月15日と16日の二日間 和歌山市で「第29回日本高齢者大会」が開かれ 年金者組合の仲間とともに参加しました


1日目は 35のテーマによる講座と分科会で 私は「醤油発祥の地湯浅と稲村の火」という移動分科会に参加しました


参加してみたいと思う分科会の候補はいくつか有ったのですが決めかねていて 会場の和歌山大学に着いてからようやくこの分科会に参加すると決めたのでした

移動分科会はバス1台分の人数という制約がある関係で 事前の申し込みが必要だったのですが 「醤油発祥の地湯浅と稲村の火」にはまだ定員に余裕があるとのことで当日申し込みができてラッキーでした

小6の孫が「お土産に買ってきて」と言った「金山寺味噌」が そもそもお醤油の原点だと知った事が この分科会に参加したいと思うきっかけでもありました


日本高齢者大会の資料からの引用です

和歌山県の中部に位置する湯浅は古くから熊野古道が通り、湯浅港が開かれ、陸運海運の重要な拠点であり、漁業や商工業で栄えてきました。
とりわけ、鎌倉時代に始まった醤油の醸造が有名です。

醤油は隣村の由良興国寺の開山覚心が宋から径山寺味噌の製造法を学んで帰国し、湯浅地方で禅宗の布教と同時に金山寺味噌製法を教えました。
その味噌から出る液体が食物の調味料として適していることを発見し、改良して完成したのが「たまり醤油」といわれています。

醤油は室町時代の末期には商品として船で大坂などに出荷され、江戸時代に入ると紀州藩の保護もあって、盛んに製造され、文化年間(1804〜1818年)の醤油の業者は湯浅・広合わせて90軒に及んでいます。(今日では7軒)


移動分科会では「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている街並みを 地元ガイドさんの案内で散策しました


厨子二階(つしにかい)と呼ばれる低い2階建と本瓦葺の家


虫籠窓(むしこまど)


出格子



天保12年(1841年)創業で 今も現役の醸造業者「角長」
 


慶応2年(1866年)に建てられた「職人蔵」


中には湯浅町指定文化財である醤油醸造用具が展示されています



江戸時代から昭和の終わりまで営業していたお風呂屋さん「甚風呂」

写真は塀の一部ですが 番台や男女のお風呂など内部の見学もできました


熊野古道


湯浅は 「通り」と「小路」が碁盤の目のように交差した街並みでした



かつては繁栄を極めた町だったでしょうが 今では空き家も目立ちました

栖原家 

明治7年建築の醤油醸造家の店舗と住宅で 湯浅特有の様式をよく残した代表的な町屋建築とのこと


竹原家

長大な間口に6つの虫籠窓が並ぶ主家は 古くは醤油と漁網の販売を営んでいたそうです



バスに戻る途中でこんな光景を見ました

お醤油の瓶が洗って干してあるのでしょうか

かつての繁栄ぶりと現状を見た後でしたから この光景に何かホッとしたものを感じました


孫の望み通り 醸造元で本場の金山寺味噌を買うことも出来ました


湯浅の街並みについて 詳しくはこちらをご覧ください



次いで「稲村の火」の広川町に行きましたが 時間の関係で下車することなくバス車窓から「広村堤防」の見学となりました

「稲村の火」と「濱口梧陵」についてこちらのサイトに詳しく掲載されています


広村堤防の赤門

高さ5m 幅20m 延長600mの広村堤防

松並木はマツクイムシの被害に遭い 順次植え替えられて今は2代目が育っているとのことでした


遠くない時期に起こるであろうといわれている「南海・東南海地震」でも 津波から町を守ってもらいたいものです

テレビの映像で見た 東日本大震災津波の被害を受けた地域に建設されている巨大なコンクリートの防潮堤のことを思い浮かべてしまいました