20150524 晴れ

人生はいつもスケジュールどうりには、いかない。
しかし

人生はいつも私に期待しているのだ

難しいのは、良い事は好き嫌いという我儘な感性がないと、完成度が高まらないという矛盾だ。

得てして人は そこを勘違いする。好き嫌いといいながら、より完成度を高めているという矛盾を抱えながら聞こえないところで、現象としては全然違う結果が生まれる。
人格でもそうなのだから、これは面白いが難しい。
この矛盾を解決する為には、どうすればよいのだろうか? それに人が気がつく人だけが、理解できる深いsimpleな会話が成立するのだ。
ただ他の人は理解できない。それは仕方ない事なのだろうか???
コミニュケーションとは 本当に………難しい。

義母は悩んだ末に、写経をしていた。
救われたいが為に
今日はTVで障害を抱えた男の子の成長を放送していた。社会的には、コミニュケーションが難しい障害を抱えた男の子、だが数学においては 飛び抜けた才能をもつ。
だが、一端コミニュケーションになると攻撃的で暴れる、あまりにも世界感が人と違いすぎて理解を相手ができない。
苛々と不安が、多分環境の他者の理解のなさが男の子を苦しめていく。
解決方法は相手の全ての価値観を世界を受け入れるという、一見簡単で本当は難しい行動方法だった。
要するに社会的には、あり得ない情況をつくる受容という対応で安心し精神がBALANCeを保つらしい。。
とてもsimpleな方法だが、これは無条件の愛を意味する。
現実の世界では あり得ない情況の中でしか生きれない男の子は、環境に恵まれ数学では天才の領域に成長していく。

多分障害がなかったら?というのは実は変な話で、短所も長所もたまたまそう場的に解釈されている安易なものであり、単に社会的に常識的に振る舞える共感できるか、社会生活を暮らせるかどうか?という一般的に社会が対象者に普通を望むものだ。その普通が一番難しい
その男の子が生きて社会貢献をできるまでになれる社会を目指す立派な大人達がいる日本。

たとえ、少数派でも
確実にそれを信じて努力していく人達を見て、胸が熱くなった。
私は家族でたった一人でも、くたくたになったのに、それを当たり前のようにして仕事している。

世の中本当は、結構捨てたもんじゃないのかも?と…改めて考えなおすきっかけになった。

二十代に私は絵画で時間は溶けると感性で素晴らしく大好きな幻想の1つだった。
それは幻想というより、想像の世界では、魅力的で物体が単純に普通に存在しながら、実は違う深い世界感を意味するという、未完成な探究できないまま、苦しみぬいた作品だった。今はこの年齢になり、まだ その感性が心の本質を知りたがっているのに気がつく。

嫌になるほどに…傷み苦しく未完成で苛々し、辛く切ない時間を経験し それでも、この無意味な人生で、意味を1つだけでも見つけられたら。。
きっと 嬉しいだろうな…。と。。

人生とは
複雑に絡まった糸をなんとか上手に、ほどいていくのに似ていると思う。

その為には、知恵しか解決方法がないと思ってしまう。

このカオスに向き合い
真の解が欲しい。
このうちなる欲望だけが生きる力をくれるのなら、それでもいい。

神は、いったい何を考えていらっしゃるのだろう?