おもいついたことをおもいついたままにかこう このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2004-11-22

///外用

 

///真ん中

 

物語る技術の向上

近代化しはじめて以来、人の技術はあらゆる方向で進化をつづけているけれどもそれは物語る技術においてもまた然り。にゃっほう。いや脚本だけのことをいってるんじゃなくて。総合的に、そのひとの頭の中に、別セカイをつくることができる技術。映像もそうだし、声もそうだし、演技もそうだし。いまじゃ一瞬みただけで世界にはいりこむことが必要となるCMの技術の進歩もあるのかもしれませんが、いともかんたんに、人をひきこむことができる技術をみにつけつつある。だから、みんな、わざわざ自分で想像して世界をたちあげる必要がある演劇みなくなんのさ。それは自然なことでありあたりまえのことでありそれがだめだといっているやつはそれがだめですよね。ちなみにつくりたがるひとは自分でわざわざセカイを頭の中に作り上げるような、わざと想像力がひつようなもののほうを好むというわけです。

きょうのできごとっていうか行定勲の講演会についてきょうのひとりごと

もしかしたら続編でるかもですよきょうのできごと。ってか行定最高。俺の仲での最高のスタンスですよ。自分のすきなきょうのできごとみたいなのが本当は一番やりたいんだけれど、大作も平気でてがけるそのずうずうしさ最高。正直言ってせかちゅーは律子の物語中途半端やとおもってるけどそんなんかんけいなく最高。きょうのできごとドラマ化してくれ!頼むから!質問してきました。でもきょうのできごとファンをふやすのは大変ですよ。日常は自分のまわりでいっぱいいっぱいやとおもってるひと多いですから。日常のなかに美しさをみつけるひとすくないですから。僕もメモ魔になります。

 

///俺用

最近

遊びすぎ。なんだろ、遊び疲れかな。いやただのめんどうくさがりだ。なにもやるきがしないぜー。なにもやるきがしないときは本読みに走ります。本読むだけで試験うけれるならまじでそんな試験うけたい。読書感想文とか超余裕だよね。ああ。うう。ええ。ベースの部分がさだまらない。相変わらず。おかげでなにやっても、中途半端な気分さ。すべてをすててどこかへといくのさ。

 

  • 世の中でマイナーな縦の力は、世の中の多くを結びつく縦の力によって異端のものとされ封印される。だが封印され抹殺されればされるほど、封印をとき、その力によって集団化する人たちの結束力は大きくなる。物語の完成系よりも物語の始まりのほうが多くの人にとって魅力的なのだ。
  • 縦の力の種類:暴力・理性主義・愛情・神・超能力・快楽・ドラッグ民族愛・恋愛・成長欲・物語・音楽科学・金・ヒューマニズム・悟り・性的快楽・大人性・美学
  • 縦の力の交代劇でいくつかの物語のパターンができる。
    • 理性主義・科学→愛・人間主義:現代人が失ったものを取り戻す物語
    • 暴力→音楽戦争音楽でおわらせる、音楽のすばらしさでセカイを平和にする物語
    • ドラッグ宗教・神・悟り:ヒッピーな物語
    • 暴力・快楽→大人性・成長欲:子供から大人へ社会性をみにつける成長物語
    • 宗教ヒューマニズム:ルネサンス
  • 人はつねになんらかの縦の力なしに日常生活を送ることは退屈すぎて困難なんです。
  • 物語とは結局たんなる交換可能な縦の力の偏移の物語であると認識していないと、映画にたいしてやたら世界平和(暴力→人間性)を求めたりそういうイデオロギーの道具としかみれなくなる。物語を物語として楽しむことこそ「日常性」をたのしむ物語を楽しむ力です。「大きな物語」だけが物語じゃない。と西洋人にいってやれ行定監督。

 

パブロの恋人

パブロの恋人

SEADRUM/HOUSE OF SUN

SEADRUM/HOUSE OF SUN

I

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Wallpaper for the Soul

Wallpaper for the Soul

ボアダムス、泣きが入るですよこれ。超視覚的。コジマユの音がどんどん80年代歌謡から昭和から大正へと。

ハウルまじすいませんゆるしてくださいキーワードリンク怖い

いやあんたらきすぎですよ。150こえちゃったじゃないか。ハウルでくる人数。こわいよう。そんなんたいしたことかいてないよう。ていうよりわかりやすく説明するきとかなかったんだよう。でも書き足す気力もないので放置。いってることがわかんないひとはしたの本でもよんでください。超参考になる。というか宮崎アニメを読解するのに必須。

人身御供論―通過儀礼としての殺人 (角川文庫)

人身御供論―通過儀礼としての殺人 (角川文庫)


///ネタバレ

 

ハウルの動く城

面白かった。

(以下ネタバレ

ストーリーは、民話や童話的で、脈絡が無い。おそらくは意図的。物語のパターンなんてそんなもんだ。基本的には壮大なる恋愛物語。成長物語。おばあさんに変身するのは、民話などにある姥皮の物語と交差する。ハウルはソフィーの移行対象。最後は大人になれました。ハウルはもちろん、一度死ぬ。そうかんがえるとなんと典型的な通過儀礼的物語。それゆえに、映像の面白さがひきたつ。

追記:さすがに不親切なので、姥皮の物語について

http://www014.upp.so-net.ne.jp/ura-n/ubakawa/uba0.html

「姥皮」とは

室町時代成立。作者未詳。


姥皮は、それを着ると汚い老婆の姿になり、脱げばもとに戻るというもので、この物語の中では、木の皮のようなものとされている。

あらすじを簡単に説明。

継母にいじめられ家を飛び出した姫ぎみは、夢枕に立った観音に姥皮をもらう。それを着て遠路を旅し、行き着いた先の家で釜焚きの姥として雇われるが、そこの家の息子に若い娘だとばれ、その息子と結ばれて、ついには幸せになるというもの。



またハウルの現代っこのイメージを被せているのは(髪など見た目をきにする・あがりさがりがはげしい・臆病)多少ステレオタイプなかんじもしたけれど。心がない、というマダムのののしりにたいして、ソフィがそんなことない!というところはよかった。でも最後本当の心をとりもどしてめでたしめでたりなところは不満です。