犯罪をなくすには


犯罪をなくすには(岡田茂吉師御論文です)


 近来多い犯罪の中で、最も悪質なのは、僅かな金を奪りたい為、

人の命をとるのを犬一匹殺すよりも、簡単に考えているかのようで、

斯ういう人間をみる時、常識では到底考えられない程の無鉄砲さ

に唖然とする。普通から言えば、何たる怖ろしい世の中ではないか、

而も殺される本人もそうだが、遺族の者の歎きはどんなだろうなど

とは、全然考えないと共に、若しか捕まったら死刑は勿論、よくいっ

ても無期は免れ得まいとの予感は、必ず起らなければならない筈

だが、どちらにしても若い身空で、娑婆の風にも当れなくなり一生

を棒に振るようになる。という考えが浮かびそうなものだが、そうで

ないらしい。という心理こそ実に不可解である。全く彼等の行為は

本能の赴くまま、刹那主義的一時の享楽を欲する以外の何物でも

あるまい。僅かな時間の享楽が目的で、其何十倍、何百倍の高価

な代償を払うとしたら、どう考えても人間とは思えない、四ツ足其の

ままだ。御承知の通り四ツ足という奴は、犯罪後殺されるなどとは、

無論意識もしないのだから厄介だ。

 斯うみてくると、理屈のつけ様がないと思うだろうが、実は之には

理由がある。というのは霊的にみると実によく判る。本教の教えに

もある如く、人間には三つの守護神が着いている。即ち神から与え

られた本守護神、祖霊から選ばれた正守護神、体慾専門の副守護

神である。勿論本守護神は良心の源であり、善を勧めるのが正守

護神である。そこで副守護神が霊を占領すると、四足が支配する

事になるから、形は人間であっても獣と同様になる。従而、獣であ

る以上、慈悲や情けなどありよう筈もなく、徹頭徹尾残虐性を発揮

するのである。というのが兇悪犯罪の根本原因であるから、どうし

ても人間は、獣に支配されない魂にならなくては実に危険である。
何かの衝動にかられるや忽ち邪慾が起って、犯罪者となる。ではど

うすればいいかと言うと、之こそ宗教の力による外は無ない。然らば

何故宗教によらなければならないかというと、前述の如く人間が、獣

即ち副守護神に支配されるからである。としたらつまりその副守の支

配力を弱らせる事である。判り易くいえば悪よりも善の力を強くす

る。つまり副主の方が被支配者になる事である。それ以外絶対解決

の方法はあり得ない事を断言する。

 先ず何よりも信仰に入り、神に向い拝み祈れば、神と人間とが霊

線によって繋がれる以上、霊線を通じて神の光は魂に注入され、魂

の光が増すに従って副主は萎縮し、人間を自由にする力が弱るの

である。之を例えてみると、人間誰しも絶えず心の中で善悪が戦って

いるであろう。之は右の理によるからである。だから如何程法規を密

にし、取締りを厳重にすると雖も、それは他動的に抑えるだけである

から、ないよりはましだが、根本に触れない以上、効果は薄く今日の

如き悪世相が生れるのである。

 斯んな判り切った事に、政府も教育家も今以て気が付かないので

あるから、不可解である。見よ今日兇悪犯罪が多いとか、青少年の

犯罪が激増するとかいって、溜息をつくばかりで、ヤット思いついた

のが、ヤレ修身を復活せよとか、教育の方針を改めよとかいう位

の、カビ臭い智慧より出ないのであるから、吾々からみれば情ないと

いうより外ないのである。皮肉な言い方かも知れないが、恰度笊へ

水を汲んでいた処、余りに水が洩るので、之ではならぬと笊の目を細

かくするようなものであろう。

 此文を、社会の指導者諸君に提言するのである。(岡田茂吉師御論
文です)




東京黎明教会http://www.tokyo-reimei.or.jp/jp/020101.htm



岡田茂吉師御論文はこちらから

http://www.rattail.org/

http://www1.odn.ne.jp/~jyourei/goronnbunn.html


岡田茂吉師動画はこちらから

http://peevee.tv/v?6t6mb7