ついにこの日が来てしまいました。

仕事帰り、いつも通り三木鉄道三木駅の前を通過しようとしました。
すると、いつもと雰囲気が違う…。
まさかと思って確認したら、駅舎の前のトラックには線路を走るための台車(でいいのかな)が載せられ、自転車置き場になっている旧貨物ホームの方に行くと、土地が開けたあたりで車両が車道を走るための台車に乗せられていました。

ついに…この日が来たのか…。
原付のまま近づくと、作業中のおじさんが「ここ通るの?あ、写真?行って撮ってもええよ^^」と言ってくれたので有り難く撮らせていただきました。

近隣住民と思われる方が立ち話をしていたので、いつから作業が始まったのかと聞くと今日の朝からだそうです。
途中、三木鉄道の中の人らしき人が通りがかって、「移動は9時からやて」と声を掛けて行かれました。
暫く周囲を観察していると、杖をついたおばあさんが様子を見に来ました。
すぐそこにお住まいらしいです。
近隣住民に事前告知はあったのか、また車両の移動はいつ決まったのかと聞くと、2日の集会の段階ではまだ未定で、昨日回覧板が回ってきて8日に北条鉄道分、9日に樽見鉄道分が移動すると決定したそうです。
最初は輸送費を削減するために同日に移動するとか言ってたけど、たかが1両移動するためだけにこれだけたいそうなことをしなきゃならんのなら、1日じゃ無理だろうなと思った。
ちなみに、残りの1両は保存派と売却派で話が平行線のまま、まだどうするのか決まっていないそうです。
三木市の財政的に売却した方がいいのは分かってるけど、車両が1両もなくなってしまうのは思い出がある者にとっては辛いものもあります。
そのおばあさん、色々と話をしてくれました。
戦争の時、疎開先から神戸に戻る時、三木鉄道(当時は播丹鉄道だったと思われ)に乗ってここまで来て、神戸に帰ったこと。
その時は何とも思わなかったけど、結婚相手がここに住んでいて、三木に嫁いできたこと。
主人が学生時代、汽車の到着音で起き、急いで準備して駅まで向かっていたのにも関わらず、ある日起きたら到着音ではなく発車音で、仕方なく自転車で加古川まで行ったこと。
昔は車もあまり走っておらず、加古川への道もあまり整備されていなかったこと。
新婚旅行は三木鉄道などを乗り継いで旅行先まで行ったこと。
北海道に住んでいる孫が来た時、地下鉄にしか乗ったことないからと三木鉄道に乗せてあげたら、孫が「これ、すごい揺れる」と運転手の真後ろで言ったこと。
色々思い出話を聞かせて下さった後、「それじゃあ夕飯の支度している最中やったから」とご自宅に戻られました。
取り敢えずまだ移動まで時間があったので家に帰って夕飯食べてまた来ようと思ったら、寝てしまって起きたら12時過ぎでしたorz
これ、三木鉄道最終日の二の舞やんorz
私って三木鉄道に縁がないのかな…。

たくさんの人だけでなく、たくさんの人の夢や希望、思い出を運んだ三木鉄道
NHK杯放送コンテスト東播地区予選の帰り、最後の大会にして初めて賞を貰えた嬉しさに涙が零れ、三木鉄道に乗ってる最中にも嬉し涙が止まらなかったあの日とのことを私は今でも忘れない。
ありがとう、さようなら。
そして新天地でも多くの人を運び、思い出の中に刻まれることを私は祈っております。