「偽史冒険世界―カルト本の百年」

偽史冒険世界―カルト本の百年 (ちくま文庫)

偽史冒険世界―カルト本の百年 (ちくま文庫)

義経ジンギスカン説、日ユ同祖論、ムー大陸、そして竹内文書まで。多少廃れたとはいえ、現代でも小耳にすることはあるであろう数々のトンデモ説、与太話の数々。本書はこれら偽史本を紹介するのみにとどまらず、偽史を生み出した人々の経歴や、偽史が流行した明治・大正の世相まで読み解く興味深い一冊でした。


偽史を単なるトンデモ本として笑うのは簡単ですが(実際、その読み方でも十分楽しいのですが)、偽史を信じこみ、その普及に執念を燃やした人々の熱意にはある意味感心。その背後には、日本という国へのナショナリズムとコンプレックスがあるという分析にはなるほどと思わされましたね。


たとえば「日本は昔、世界中を支配していた」みたいな無茶苦茶な話があり、「だから日本は偉いのだ」とつながるわけです。世界征服していたのに今では一介の島国では、逆に落ちぶれたんではないか、と突っ込みたくもなりますが、これも、当時東洋の小国に過ぎなかった日本にとっての、一種の夢想であったのですね。無理矢理な語呂合わせで歴史を「証明」していく姿は、滑稽でもあり、どこか悲しくもあります。


もっとも、鵜呑みにする人は少なかったであろうにしろ、それが次第に大陸進出への空気と同調していくことも、著者は鋭く指摘していますので、笑ってばかりも言われません。なお、日本の侵略については西欧と違って「劣等国を優越な白人が教化する」という正当化思想が薄く、南方や大陸という響きへの憧れという感覚が強かったのではないかという著者の見方も興味深い点でした。つまり、侵略が無自覚的であったのだと。もちろん、だからといって来られた方はたまったものでもないのですが。


読み終えて思ったことは、現在もこうした偽史は多数生まれているのだろうな、ということです。さすがにムー大陸のようなあからさまに信じがたいものは少ないとしても、細々としたものはいくらでもあるでしょう。それも日本だけではなく世界中で。


自分なり、自分の属している国なりを偉いものだと思いたい、証明したいという気持ち自体は、人間として当然の気持ちであるのかも知れませんが、贔屓の引き倒しにならないように気をつけねばならない、そう思った次第です。