「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」

江戸しぐさ」なるおかしなものが最近教育にも入り込んでいるらしい、そんな話をネットで小耳にしたこともあり、どんなものかと興味を持って読んでみました。


江戸しぐさというからには江戸時代にあったしぐさということだろう。それが批判されているということは、何か当時の風習について間違った解釈でもしてるんだろうか、と単純に考えていたのですが、いやはや、思った以上にトンデモなものでしたね。これは批判されて当然です。


色々と例が載っているのですが、たとえば、江戸しぐさの代表例である「傘かしげ」は「雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと」だそうです。まあこのくらいなら一応江戸時代にあっても不思議ではないかなと思われますが、話はだんだんおかしくなります。特に食生活のくだりがすごい。


「江戸には後引きパンという、ショコラ入りのおいしいパンがあった。」「江戸っ子はバナナが好物」「健康にはトマト入りのスープを飲んだ」「夏にはぶっかけ氷を食べた」等々、多少なりとも江戸時代の知識があれば「そんなわけないだろ!」と突っ込める内容がたっぷり。いやこう、嘘をつくにしてももうちょっと時代考証しましょうよ。


なお、江戸っ子の間で当然だった江戸しぐさが現代まで伝わっていないのは、明治新政府が江戸っ子を大虐殺(!)したためだという理屈がついているようです。これもありえない話で、明治政府には江戸の町民を殺す動機は何もなく、むしろご機嫌を取らねばならないくらいの立場でした。それにもし虐殺があったら、その記録が残らないはずがない。この点でも江戸しぐさが大嘘だということが分かりますね。


さて、本書は江戸しぐさの虚構性を指摘するのみならず、江戸しぐさというものが登場してきた背景についても調査・分析しています。それによると、江戸しぐさというのは1980年代に芝三光という人物によって「創作」され、それを受けた作家(?)の越川禮子氏によって普及活動が進められたとのこと。2段構えになってるんですね。で、芝さんはおそらく自分が作り上げた(妄想した)江戸しぐさが虚構であるということを内心承知していたのでありましょうが、越川さんがそのまま信じてしまったようだと。フィクションだと思って語っていたら真実扱いされて、芝さんは引っ込みつかなくなって困ってたんじゃないかと思いますよ。まあ、芝さんはもう亡くなっているので、現在においてここまで江戸しぐさが流行るとは思ってなかったでしょうが(一つの創作体系としては結構面白いのですけどね)。


江戸しぐさは一時期教科書にも載ったみたいですが、本書を含む批判が効いたのか、さすがに今は取りやめになったみたいです。「道徳のため」という名目で学術的に怪しげな(というか、怪しげを通り越して確実に誤った)話がもてはやされるのは「水からの伝言」に通じるところがありますが、「良い話」だったら何でも許されるみたいなのには注意しないといけません。江戸しぐさ普及の立役者である越川さんはこの批判をどう受け止めるのでしょうか。あと、自民党もこういうのに乗っかっちゃうようじゃ脇が甘いですよ。特に安倍さんは山口県(長州)出身なのだから、「長州藩は江戸っ子虐殺などしていない」と怒る方向じゃないと。


ともあれ、新書ながらも読み応え十分の良書でありました。