mizuno_takaakiの日記

テクニカルライター水野貴明の日々の雑感を記した日記

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2006-06-17

[] 正しい日本語なんて無いんじゃない 00:33

今日の悪文と不正確発音」というまぐまぐから発行されているメールマガジンがありまして、拙作「Web検索エンジンGoogleの謎(asin:488166395X)」が取り上げられていましたよ。

水野貴明(2004)著、「Web検索エンジンGoogleの謎」 で「頻繁にデータ更新すべき」⇒「すべし」 「べし」の終止形を「べき」とする誤りは非常に一般化しており、 正しく「べし」と使っている例は珍しい。 そのわけは、この言葉「べし」は文語なので、 敗戦前の旧仮名遣い時代の旧制中学卒業者および 古文の文法知識が多い者しか正しく運用できぬからである。

今日の悪文と不正確発音[まぐまぐ!

うーむ。「頻繁にデータを更新すべき」ってたぶん見出しで、「頻繁にデータを更新すべきである」を略したものとして「すべき」を使っているので、「すべし」だと自分としてはニュアンスが変わってしまう気がするけれども、どうなんだろう。「すべし」は「すべき」よりも命令的圧力が強い気がするのです。「しなさい」ではなく「したほうがいいよ」というような感じ。この指摘はつまり「すべき」はあくまで「すべし」の誤用で同じニュアンスである、という認識なんだろうか。

まあ、これを書いた赤塚伊三武さんという方がそう思うのは自由だし、僕の本を読んでくれたことはありがたいし、出版物として流通させている以上、こうした使われ方をするのも仕方の無いことだとは思うけれど、やっぱり文章を書いているものとして「悪文」といわれるのはあまり気持ちのいいものではないなあ。

この方、何歳なのかはわからなかったけれど、プロフィールを調べたところ1975年研究助成金をもらっていて、そのことを考えると、うちの親父と同じくらいか。しかも翻訳とかにかかわる仕事もしているっぽいし、「敗戦前の旧仮名遣い時代の旧制中学卒業者でなおかつ古文の文法知識が多い者」なのかな。

しかしいつも思うのは、「正しい日本語」ってなんだろうなあ、ということです。「言葉は生き物で、時代とともに変化する」っていう言葉もききますし。「美しい日本語」って言葉をみんな「自分の常識と照らし合わせて違和感のない日本語」って意味で使っていない? たとえば情緒あふれるすばらしい表現とかを使って書かれた文章を「美しい文章」というならわかるけれど。逆に言えば、「美しくない日本語」や「悪文」って「自分の常識とはずれた用法を利用した日本語」って意味で使っているというか。そもそも「悪文」ってそういう意味の言葉だったっけ? ということで調べてみました。

難解な言葉を使ったり、文脈が乱れていたりして、理解しにくい文。へたな文章。

あくぶん 0 【悪文】 - goo 辞書

意味違うじゃん! ...と自分も他人の誤用を指摘しそうになっていることに気づいたりして。

言葉はどんどん変わっているのだから、そういう人が言う「正しい言葉」だって、もっと昔にさかのぼれば「正しくない日本語」「美しくない日本語」ということになったりしないのかな。というか、「正しい日本語」という言葉を使う人は、何をもって正しい日本語を言っているのだろうか。

そもそも「「べし」の終止形を「べき」とする誤りは非常に一般化しており、 正しく「べし」と使っている例は珍しい。」って言っているんだから、一般化した時点でもうそれは正しい用法なんじゃね? 言葉は変化するものなのだから。個人的に違和感のある用法を自分自身が使わない、というのはいい。人の価値観教育や時代である程度決まるし。だけど他人に「それは間違っている」と指摘するのはどうよ、とちょっと思いました。意味がわからない、というならともかく。あと誤字脱字とか。

たとえば「重複」という言葉があってこれは「ちょうふく」と読むものだったけど、最近は「じゅうふく」と読む人も多くなって、辞書にも載るようになった。「固執」は「こしゅう」だったけど「こしつ」とも読むようになった。自分は「重複」に関しては「じゅうふく」はなんだか違和感があるのでいつも「ちょうふく」っていうけど、別にほかの人が使うことはいいんじゃないかと思っています。言葉は変わるものだと思っているから。

と、ここまで書いてきたわけですが、本当は世の中に時代に関係なく不変の「正しい日本語」というものが存在していて、「すべき」がそれに違反している、ということがもしかしたらあるのかも知れず、そうしたらここで述べた意見はすべて「お前物知らないなあ」で片付けられるくだらないたわごとになってしまうのかもしれないんですけれどね。

というか「正しい日本語」ってどういう基準なのか、本当にわからないので誰か教えてください。

shige02shige02 2006/06/18 02:10 言葉って確かに生き物ですよね。
そして、それ以前としてツール、コミュニケーションや表現の。
技術書の場合、最も大切なことは、著者のいいたいことがなるべく一意に解釈される表現を使うことなんじゃないかと思います。だから、専門用語が多くなる。
要するに一般の口語のよい日本語ともまた別の基準で論ずるべきで、また、最終的にコミュニケーションツールである以上、相手の能力により基準も変わる。例えば、小学生向けの文章と成人と向けとでは、明らかに使える語彙数なんかは違うと思うけど、伝えたいこと、伝えるべきこと、それは同じだと思いますから。

BarBar 2006/06/18 09:19 長文失礼。

言語学的には「正しい日本語」というのは存在しないです。ネイティブの会話中に存在することば、すべてが正しい日本語です。というのはおいといても…。

ことばというのは、使用する瞬間の状況に応じて
「相手に意味を的確に伝える」
のが目的です。だから、そのときの状況に応じて使用法は千変万化します。変化した使用法は、便利なら残存してふたたび使われます。その結果、言語は通時的にみるとどんどん変化していきます。最適なコミュニケーションを行うために変化し続けるのが言語の宿命なわけです。変化しないのはラテン語など、死んだ言語だけです。

しかし、近代以降の国語政策と活字文化の発達は、社会のあらゆる階層において、存在しえない「ことばの不変な理想型」という虚構を構築しました。過去には「(特に“書き”)ことばを知っている」ことが知識エリートのバックグラウンドでしたが、この時代では下層民もことば自体の知識はあるため、新たに「正しいことば」という「虚構」を背景に権力をふるう知識エリートが登場しました。これらの人々はことばの変化というものを原則として否定します。

でも、ホントは言語は「変化の激しい時代」こそもっとも豊かになるものなんですよね。たとえば明治期は外来文化を採り入れることで日本語が大幅に変化した時代ですが、多くの文豪を輩出しています。ひるがえって平成期にはビビッドな才能をもった文筆家は非常に少ないです。

なので「正しい日本語」というのは存在しないです。そういうことを言ってつっかかってくる人は逆に日本語を硬直させ、死に至らしめつつあると思って放っておきましょう。

青木@STUDIO-蔵青木@STUDIO-蔵 2006/06/18 09:29 職業病みたいな物だと思います。突っ込まずにはいられないお笑い芸人と同じで。
僕も揚げ足を取らせて頂くのなら、不定期刊行なのに「今日の悪文と不正確発音」ってタイトルはどうなのよ?と。同じ穴の狢。

otsuneotsune 2006/06/18 14:38 「更新すべき」は「更新するべきだ」のくだけた省略形だと感じました。
すべし=MUST、するべき=SHOULDぐらいニュアンスが違うよなぁとは思います。

yonyon 2006/06/18 23:34 以下、「国語で習うような一般的な文法では」という前提で書きます。
「べき」は連体形です。
連体形というのは後に名詞等が続く形です。
だから、「べき」で文が終わるのは間違いとされます。
「すべきである。」の「である」がなくなった時点で「べし」に変わります。
だから、この方は「個人的に違和感のある用法」だから「間違っている」と指摘しているのではなく、一般的な文法で考えると間違ってるという指摘だと思います。
個人的には、「すべき」で文が終わるというだけで、悪文だとは思いません。が、「一般化した時点でもうそれは正しい用法なんじゃね?」と主張するのは強引かなーと思います。

ryo_zinryo_zin 2006/06/19 19:26 youさんが自分の前で発言された通り、「国語で習うような一般的な文法」というのが、今現在の日本語の「(教科書的)正規表現」なのだと思います。
しかしながらリアルワールドの日本語は小飼弾氏の指摘(http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50519417.html)を見るまでもなく「文法」「発音(様々な“方言”があることを忘れないで下さい)」「活字」や「句読点」まで曖昧模糊です。

なので、自分は「正しい日本語」というものは存在せず「(各々の)正規表現に従った日本語」というものはあると考えています。

日本語というのは表記・表音の乱れではなく“揺れ幅”が大きい言語だと捕らえた方がよろしいかと存じます。

t0morit0mori 2006/06/20 03:21 ディテールの話になりますが……
>「すべし」は「すべき」よりも命令的圧力が強い気がするのです。
そうでしょうか? この感覚こそ主観では? 私個人の感覚だと「言われてみればそうかなぁ」くらいです。
youさんの最後の2行に同意です。どの程度の一般化が為されているかが曖昧ならば(と言うかその意識もなく自然に書かれた事でしょうけど)、少なくとも事これに関しては、書籍で使うような用法ではないような気がします。

TransFreeBSDTransFreeBSD 2006/06/20 19:29 これって体言止め。

>「すべし」は「すべき」よりも命令的圧力が強い気がするのです。
「べし」には命令の意味があります。一方、「べき」で終るなどの用法は語尾を読み手に任せることでぼかす、近年よく用いられているものです。

って今更?

通りすがりの者通りすがりの者 2006/06/20 19:37 「「「「客観的に全て正しくあるべし」っていう主観を持っている」と客観的に認める」主体」???

気に入らんかったら買わなんかったらええがな>書籍
世の中の人々がけしからんと思ったら滅ぶやろうし、別に気にせえへんと思ったら残るやろうし。滅ばへんのが気に入らんかったらせいざい嘆いたらええがな。使われるようになったら変化していく様を見られてうれしいと思たらええがな。

ポーポー 2014/03/29 17:25 自分もほぼ同じ意見。正しい日本語って言ってる人の言う、正しい日本語とは、おそらく、自分が子供の頃に学校で習ったり、親や家族、友人知人が使ってるのを覚えて自分自身が記憶、使用してる日本語、または、自身が過去に辞書で調べた日本語、自分の持ってる辞書で今調べた日本語の事だと思われる。
しかし逆に、その理屈で言うと、辞書の記載も時代や会社で内容が違うし、学校で教えてる日本語も時代で違うし、周りの人が使ってる日本語も時代で違うので、結果的に、正しい日本語は存在しないと証明される。
だから私は、最近の若者の日本語が乱れてるなどと言う馬鹿な物言いをする人には、あなたの日本語も乱れてますよ、江戸時代の日本語や平安時代の日本語をあなた話せるんですか?と言うようにしている。
だいたい、言葉が日々変化や進化するものでなければ、我々人間はいまだにあーとかうーとか唸り声をあげるだけの獣のようなコミュニケーションしかとれないはずで、日本語が存在するのは言葉が日々変化するおかげなのだ。そうして今我々が使っている日本語がある。その人の言う正しい日本語もそうして生まれた。
だから、言葉が変化するのは正しい事である。昨日の日本語と今日の日本語は違うかもしれない。私も、言葉は生き物であると思っています。

ポーポー 2014/03/29 17:25 自分もほぼ同じ意見。正しい日本語って言ってる人の言う、正しい日本語とは、おそらく、自分が子供の頃に学校で習ったり、親や家族、友人知人が使ってるのを覚えて自分自身が記憶、使用してる日本語、または、自身が過去に辞書で調べた日本語、自分の持ってる辞書で今調べた日本語の事だと思われる。
しかし逆に、その理屈で言うと、辞書の記載も時代や会社で内容が違うし、学校で教えてる日本語も時代で違うし、周りの人が使ってる日本語も時代で違うので、結果的に、正しい日本語は存在しないと証明される。
だから私は、最近の若者の日本語が乱れてるなどと言う馬鹿な物言いをする人には、あなたの日本語も乱れてますよ、江戸時代の日本語や平安時代の日本語をあなた話せるんですか?と言うようにしている。
だいたい、言葉が日々変化や進化するものでなければ、我々人間はいまだにあーとかうーとか唸り声をあげるだけの獣のようなコミュニケーションしかとれないはずで、日本語が存在するのは言葉が日々変化するおかげなのだ。そうして今我々が使っている日本語がある。その人の言う正しい日本語もそうして生まれた。
だから、言葉が変化するのは正しい事である。昨日の日本語と今日の日本語は違うかもしれない。私も、言葉は生き物であると思っています。

ポーポー 2014/03/29 17:25 自分もほぼ同じ意見。正しい日本語って言ってる人の言う、正しい日本語とは、おそらく、自分が子供の頃に学校で習ったり、親や家族、友人知人が使ってるのを覚えて自分自身が記憶、使用してる日本語、または、自身が過去に辞書で調べた日本語、自分の持ってる辞書で今調べた日本語の事だと思われる。
しかし逆に、その理屈で言うと、辞書の記載も時代や会社で内容が違うし、学校で教えてる日本語も時代で違うし、周りの人が使ってる日本語も時代で違うので、結果的に、正しい日本語は存在しないと証明される。
だから私は、最近の若者の日本語が乱れてるなどと言う馬鹿な物言いをする人には、あなたの日本語も乱れてますよ、江戸時代の日本語や平安時代の日本語をあなた話せるんですか?と言うようにしている。
だいたい、言葉が日々変化や進化するものでなければ、我々人間はいまだにあーとかうーとか唸り声をあげるだけの獣のようなコミュニケーションしかとれないはずで、日本語が存在するのは言葉が日々変化するおかげなのだ。そうして今我々が使っている日本語がある。その人の言う正しい日本語もそうして生まれた。
だから、言葉が変化するのは正しい事である。昨日の日本語と今日の日本語は違うかもしれない。私も、言葉は生き物であると思っています。

   2016/01/28 15:25 自分の不勉強を棚に上げて、言葉は生き物だの()

戦前の言葉と比べて「今日(こんにち)の言葉」と「江戸時代・平安時代の言葉」
どちらがより隔たれているかといえば断然前者です。

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