『冬の水練』南木佳士著 文芸春秋刊


何事にも「機」が重要であるように、読書にも「機」が重要である。どういう機会にどういう本を読むか、それは自由だが、気軽に読める本もあれば読むのにひどく気構えがいる本もある、今日の『冬の水練』は紛れもなく後者の作品だ。激しく人生について考えさせられ、少し読む「機」を間違えたような気がした、ただでさえ秋という物思いが深くなりがちな時期にこういう本を読むのは、ある程度の防備がいる、自分の中の気がつかなかったものを抉り出される衝撃を弱める為だ、しかし無防備で特攻した自分は、偉く悲惨な思いをした、学ぶ部分は確かに多かったが、人生についてどうも厭世的になってしまいそうな文章ばかりで、22歳の若者が読むには少々重すぎた気もする。


著者は芥川賞作家にして、医師であるというそれこそ凡人からしたら目も眩む経歴を持っているわけだが、パニック障害うつ病を発病し少々不自由な日々を送っている。徐々に衰えていく体、それと同時に磨耗していく精神と向かい合いながら、静かに人生とは何ぞという問いを繰り返している。


印象的だったのは「人間にとって平等なのは死だけだ」という言葉だ、人生とは不平等極まりないものであり、その果てに万人に平等な死がある、不平等に見える人間の人生は最後の死によって平等足りえている、どんな貧乏人もどんな金持ちも死んでしまえば土くれになる、その事実こそが、どのような人生も幸福だ、不幸だと断ずることを許さず、その人の人生を肯定してくれる、死ぬことによって、確かにその人は生きたことが肯定されるのである。書いていて理解しきれていないのがありありとわかるが、ニュアンスでも伝わればと思う、価値のない人生などないとは安っぽい言い方だが、死を人間の価値を否定するモノとして見るか、肯定するものとして見るかによって、人生に対する考え方が変わるという視点を著者は教えてくれたわけである。


年をとってからまた読んでみたい一冊だと思った。