「グスコーブドリの伝記」

mizuyama-oyster-farm2010-08-01

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ



カキじいさんの好きな宮沢賢治作品は「グスコーブドリの伝記」です。


もう五十年も昔、高校生のころ読んで深い印象を刻み込まれました。

粗筋です。

冷害に苦しむ農民を救うため、カルボナード火山島を爆発させることになりました。でも、そのためには誰か島に残り、起爆装置のスイッチを入れなければなりません。グスコーブドリはその役を買って出るのです。

「すっかりしたくができると、ブドリはみんな船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅いろ(あかがねいろ)になったのを見ました。けれどもそれから三四日たちますと、気温はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。」



他者のために生命を捧げる崇高な行為で果てたブドリの生き様に涙を流したものです。
学芸会でも人気の演し物ですよね。

でもこの物語が主張したかったもう一つの面は「冷害の克服」ということです。東北農民の歴史は冷害の歴史そのものだからです。


火山を爆発させると炭酸ガスが噴き出て、ジェット気流に乗って忽ち地球を覆い、気温は暖かくなる。今、取りざたされている地球温暖化のメカニズムを賢治は知っていたのです。


先日カキじいさんは盛岡に行く機会がありました。そして以前から見学したいと思っていた岩手大学農学部付属農業教育資料館を訪れました。

我が国初の高等農林学校として明治三十五年に創立された盛岡高等農林学校の本館です。宮沢賢治の母校なのです。

賢治関係の資料室にまず入ると、そこはグスコーブドリの伝記の部屋と言ってもいいほど、様々な資料が展示されています。

賢治は、「石っこ賢さん」と呼ばれるほど石を集めていたことは有名です。イーハドーヴで賢さんのハンマーで叩かれない石はなかった、と言われているほどで、そのたくさんのコレクションが展示されていました。


入学した賢さんを待っていたのは、関豊太郎教授でした。地質、土壌学の権威と言われていた人です。
地質に人一倍興味があった賢治は、関教授の下で猛勉強を始めます。

関教授は、東北農業の課題は酸性土壌の改善と冷害の克服にあるということを賢治に示唆します。それを受けて賢治は卒業後、岩手山地に多い石灰岩から酸性土壌改良剤を生産し、農地に還元する仕事に就くのです。
(一関と気仙沼の間の松川には今でも大きな工場が石灰を作り続けています。)

その仕事の疲労から病に倒れ、病床で紡ぎだされたのが「雨ニモマケズ」の詩です。


関豊太郎教授は、ブドリと共に火山爆発で発生する炭酸ガスによって気温を上げ、冷害を防ごうとしたクーボー大博士として物語の中に登場します。火山学者でもあった関教授は赴任すると、阿蘇山や富士山などの火山の模型を購入します。それがカルボナード火山島のイメージになったといわれています。


グスコーブドリの伝記は、賢治の果たせなかった願望の物語なのです。


この物語が書かれてからわずか八十年後の今、地球は温暖化だと騒がれています。
賢治が生きていたら、どう思うでしょうか。今や地球を冷やさなくてはならない時代になったのです。

石っこ賢さんのコレクションを見て、カキじいさんじは思いました。

「石っこ賢さんも持っていない石をカキじいさんは持っている、温暖化解決の切り札となる『石』を、、、。」
<続>


畠山重篤

舞根の浜に匂い立つ山百合