絵の練習をしてます。

 ラノベ板の倉庫を見ていると、
 努力ができないやつがラノベ書きを目指しているんじゃないか。
 とかあった。
 マンガを描くには、それころへろへろになるほど絵を描いて覚えないとだめだが、
 それができないやつが小説を書いているんだろうと。
 確かにそういう側面はあるんだろうなあと頷いてしまった。
 たしかに小説はただの文字だから誰でもすぐ書ける。
 そりゃさ、絵が描けるんなら俺だってマンガ描きたいよ(;´Д`)


 というわけで今更ですが、マンガの練習をしてみる。無駄骨っぽいが。
 とりあえず顔をひたすら描く。
 しかし斜めになったときの両目の間隔と位置とかどうやって決めればいいんだ。
 立体を二次元に脳内で写像する作業って難しい〜。
 なんか顔を描くって座標とか配分とか考え出すと、限りなく理数系に属している気がする。
 本棚を漁っていると『弓月光の少女まんが家入門』コバルト文庫(昭和59年)とか見つかったので読んでみる。ISBN:4086106795


 レッスンその1
 可愛い娘ちゃんを模写しよう!
 レッスンその2
 いろいろな表情!


 って感じの章立て。まず可愛い娘ちゃんを描くから入るところが弓月先生だな(・∀・)
 堅い本だと「人体デッサンから始めよう」とか書いてあって、即挫折パターンなんだが。
 この本はさらに自伝と新人賞入選時のマンガまで載っていた。
 そういえば、前回のBSマンガ夜話で「いしかわじゅん」が「弓月は車描くのがへたい」とか文句言ってた気がするが。弓月さんも始めて買った車はアルファロメオだったらしい(二台目がポルシェ)

AWAKING PROJECT

http://homepage1.nifty.com/kazuf/renewal.html
 反応がありました。
 更新日記はいつも愉しみに読んでおります。アイデアとか見識も広がりますので有りがたいです。


 新刊には追いついてないですが、立花隆さんの本はありがたく読んでます。以前、入院したときに同室の人が立花さんの信者で勧められてから読み始めました。


 最近、立花さんを批判する本を目にすることがあります。2chでも専門のスレでは、ときおり批判を見ます。
(たとえば2chの某スレでも、文藝春秋のロボット記事を指して『自販機をロボットと混同している。所詮立花は文系』のような批判が出ます。しかし、SF板の「ヨコハマスレ」では、「自販機は光合成しているらしい」「自販機は植物になってるのかな」「アルファさんも自販機かもしれなないなぁ(いい意味で)」という話が出てきたりします)


 「あらゆる分野に首を出して網羅的に語ろうとする知の巨人的な立花さん」だって「細かい突っ込みは当然可能でしょう」
 ただ、現在は専門家細分化されていて、「その道の専門家の言葉」でも「誰も突っ込めない」なんてことは有り得ないと思います。
 専門化細分化している世界だからこそ、あらゆることを網羅的に俯瞰的に関係付けて考えようとしている人は貴重だと思います。


 そういえば、浅田彰さんだったかな、
 昔は、「あらゆることを広く薄く把握していることが最善」
 と言っていたと思います。(オールザットウルトラ科学あたりも同)


 しかし、最近は、
 「狭い専門分野できるだけ深く知る。そういうのを二つの分野ぐらいもっておく。そしてそういう専門家がネットを通じて連携することが大切」
 と微妙に言ってることが変わってきている気がします。
 これは予想外のネットの浸透による変化もあるのでしょう。
http://www.coara.or.jp/~morimori/chitowa.htm#kyouyou


 昔だったら「あるていどなんでも詳しいマニア専門家」がコメントするのが普通でした。なんでも知っているのが凄いことでした。
 現在は時代が変化して、
 「TVでコメントするような専門家」が「素人のマニアにつっこまれる」ような時代になってしまい。
 広く深く知っている人が、狭く凄く深く知っている人に、特定の分野で負けてしまい。
 他では全部勝っていても、ある一点の「負け」で全否定されてしまう時代のような気がします。