雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

氷河期を知らない

正直なところ就職氷河期とか意識したことはない。だいたい誘われて働いたことしかないので就職活動をしたことがない。大学に入って最初の2年近くはフリーランスで仕事していたが、それじゃ先輩から教わることも難しいし自分の持つ限られた知識でしか仕事できないから伸び悩むだろうと感じていて、当時の副社長から誘われた縁で前の会社に入った。最初は週2日くらい顔を出す契約だったのだが、3ヶ月目くらいに火のついたコンサル案件の立て直しで1ヶ月ほど会社に泊まり込んだ。

現代では、現場の主戦力となっている有能なエンジニアたちの集団転職の方がはるかに、会社を恐怖のどん底に突き落とすリーサルウェポンなのだ。
企業より労働者の立場の方が弱いというのは、あくまで一般論でしかないどころか、一般論としてすら怪しいんだ。
だから、マッチョたちは企業など恐れていない。
むしろ、企業の方がマッチョたちの顔色をうかがいながら経営しなければならない時代なのだ。

2001年ごろ行きがかりで自分から飛び込んだデスマーチプロジェクトで酷い目に遭った。幸い上司は「無理すんなよ」いってくれたのでカットオーバーまでは粘って撤退した。それからはのんびりIPモビリティを研究しながらベンチャーデューデリジェンスを手伝い、ボスの代わりに役所の研究会に出たり大学で教鞭を執った。会社が傾いて給料が増えなくなったのに、子供も増えたので転職した。転職といっても転職活動らしき転職活動もなく、仕事仲間と飲んだ時「なんか会社で動きにくくなっているんで、そっちにいってもいいですか」と相談したんだ。
政策論を張るなら国内のベンチャー補助金をせびる立場よりは外資に身を置いて対等に近い立場で議論できた方が面白いだろうという計算はあった。いちおう履歴書は書いて添付メールで送ったら突然「あのー、今日、ご面接は」と電話があって、寝耳に水だったんだが仕事をサボって数十分遅れで顔を出したら役員面接だった。たぶん人事が面接の日取りを僕に伝え損ねていたのか、何かの理由でメールが届かなかったのだろう。面接はその1回だけだった。後から部門で中途採用を採るとき、何度も何度も面接しているので非常に驚いた。
振り返るとまだ学生のまま前の会社に入った時も、メールで面接の日取りだけ設定して時間を決めていなかった。前日そのことに気づいて何時にいくべきか悩み、9時だと早過ぎるし10時に行こうかなと決めたんだけど、前日の深酒と夜遊びが祟って会社に着いたのは10時半だった。するとアポを入れていた副社長はまだ会社にきてなくて、たぶん午後には戻るんで出直して下さいといわれ、歩いて手伝っていた会社に戻って一仕事、昼飯を食べて出直した。役員や先輩とアツい議論をして、先輩は面接が終わってからおいしい酒を奢ってくれた。
こっちは最初から入るも入らないも頓着していない訳だが、何しろ就職活動をしたことがないので誰からも誘われなくなったら途方に暮れるんだろうな、とか思う。それは高校新聞をやっていた頃に、印刷所の社長といつも茶飲み話をしていて、植字工の末路を聞いていたからかも知れない。植字工って完全な歩合給で一文字拾っていくらという給与体系なのだ。優秀な植字工は当時の額面で月に50万円以上は稼ぐという。
新聞部で使っていた印刷所は、東京でも1箇所か2箇所しか残っていない扁平活字を使った活版印刷のできるところだった。用もないのに遊びに行くといつもガシャガシャと鉛から活字をつくる機械の音がしていた。とはいえ活版の仕事は少なくて、昔ながらの写真植字機があった。僕にとってフォントとは、数MBのファイルではなく落とせば割れるガラス板のことだったんだ。オフセット印刷が主流となってから活字拾いの仕事は大幅に減った。MacintoshDTPとかはまだ一般的じゃなかったが、電子入校で電算写植という世界が始まっていた。
ところで植字工というのは気難しい職人集団で、印刷所を気に入らないとすぐに集団離職してしまう。そうすると別の職人集団を雇い入れるために奔走することになる。印刷業ってチラシとかの仕事が多いから景気が悪くなると真っ先に煽りを受けて、景気が徐々に良くなっても持ち直すのは最後なのだそうだ。だから勢い雇用は不安定で、流しの職人が増える。これは写植になってからも変わらず、写植オペレータも今でいうフリーターのような就業形態が少なからずあった。この辺の事情は今時のDTPオペレータやWebデザイナーもそうなのかな。
植字工というのは割のいい仕事で、活字を拾う速度が速くなればなるほどリニアに給料が増える。どんな印刷物にも納期があるから、生産性の高い植字工は引っ張りだこだ。その仕事が電子化で一気になくなって、まずは写植になった。膨大な棚から次々と活字を拾ったり、型の存在しない外字のために活字を割って組み合わせるのと、写植機を使いこなすのとは別の能力である。写植機そのものも急激にモデルチェンジしていた。追い打ちのように電子入校の普及で素早く文字を拾うという価値そのものがコモディティ化してしまった。僕には会社を恐れない「有能なエンジニアたち」が、往年の植字工と重なってみえるのである。
技術を磨くのは悪いことじゃない。会社を恐れない勇気も大切だ。けれども時代は恐ろしい勢いで変わる。AjaxとかJSONとか、5年後には誰も話題にしてないよ、きっと。そして最新の技術で武装して、安い給料で何晩も徹夜できる若い子たちに追っかけられながら、自分は少しずつ歳を取っていくんだ。誰だってひとりで生きている訳じゃない。いつまで技一本、筆一本で生きていけるとは限らないよ。せめて世の中から必要とされているうちに、少しずつ積み上がる年の功をつくっていかなきゃならない。そのためには、年を食っても好奇心を失わず、目を輝かせて人生を謳歌している成功した先輩たちの背中をみながら、自分が20年後とか30年後に、こうやって他人から必要とされ続けているだろうか、と問い直してみるのもいい。そうすれば目先のプライオリティとか他人と接する態度が少し変わるかも知れないし。