雑種路線でいこう

2008年12月02日

能力に対する対価って幻想

僕はこれまでいろんな仕事をしたが、高校時代にハンバーガーを焼くバイトが最も辛く給料も安かった。だから給料って何だろうってことは人生の中で何度か考えた。まず給料ってのは能力の対価ではなく仕事の対価なんだ。で、仕事の値段って大雑把に相場利益と分配率で決まり、似た仕事している者同士で能力に応じた多少の色をつける。だから儲からない仕事で高い能力を発揮するより、儲かる仕事にしがみつき全く能力を発揮しない方が給料がずっと高くなる場合だってある。

世の中というのはおかしなもので、才能やら磨き抜かれた技術とは別の部分で給料が決まったりする。

例えば業種が変れば、給料の高低が変化したりするわけです。

これは給料を貰う人にとっても、サービスを受ける人にとっても、実は不幸なことです。

才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い - コトリコ

結局のところ、そのおばさんに給与を払っているのはそのスーパーの客で、そのスーパーの客がオバサンの才能に価値をさほど認めていない、というのがその答えになる。

我々がスーパーで買い物をするのは、おばさんの華麗なるレジ打ち芸を見るためではなく、10円でも安く晩飯のねたを仕入れにいくため。もちろんレジ打ち芸を見たい人もいるだろうけど、ほとんどの客はそうではない。

404 Blog Not Found:才能あるレジのおばさんにそれ相応の給料が支払われない理由

そりゃ不公平かも知れないが、労使にとって合理的ではあるんだ。仕事はさせてみないことには成果が出ないから能力って見極められないし、入ったときと経験を積んでからでも変わってくる。だから人を採るとき、これから頼む仕事での成果なんて分からない前提で、これまでの学歴や職歴、受け答え等を参考に決めるしかない。そして入ってから能力に応じて処遇することで勤勉と成長を動機付ける。従業員は従業員で自分が他の職場で通用するかなんて分からないし、いまいる環境の中で頑張ろうとする。会社能力に応じて賃金を支払うと約束するのは、従業員に真面目に働き成長し定着するよう動機づけるための約束で、マクロ労働市場はもっと不平等にできている。

レジのおばさんが高給にならないのは、スーパーレジ打ちという仕事について社会的給与水準相場があって、たぶんスーパーがそれほど儲かってなくて、生産性の差が倍くらいであれば辞めても2人のアルバイトを補充すればいいので、法外な分配率は要求できないからだ。給与を劇的に増やすには、おばさんの仕事スーパーレジ打ちではない別の高付加価値のものだと定義し直し、儲かっている小売店で、新入りが束でかかっても代替できない何かを提供しなきゃならない。例えば超儲かっている新業態小売店で、物理的な理由でレジを増設できず、職人芸的な客捌きが必要とか。普通スーパーレジ打ちであれば、どれほど熟達した技を持っていたとしても、それが相応の給与ってことなのだろう。

労働市場ってそれなりには機能している。但しそれは能力に応じて対価が決まるような完全均衡ではない。雇用者からみて事前に労働者の出す成果が分からないこと、同じ仕事を続けることによる熟練を期待していること、使えないと分かっても簡単にはクビにできないこと、業界企業によって負荷や業績の推移が異なること、労働者転職リスクを嫌い、他でも通用するスキルを獲得する機会が限られていることなどから、個々にみれば仕事ぶりと対価とが釣り合わないケースは無数にある。どれほど列を素早く捌くおばちゃんを霞ヶ関に呼んでも、高級官僚として各省調整や予算折衝、国会対応に当たることは難しいだろう。逆に外資系金融エリートサラリーマンレジを素早く捌けるか、ハンバーガーをおいしく焼けるかは分からない。

IT、特にWebとかオープン系って数ある仕事の中じゃスキルポータビリティの高い方だけれども、それでも社内の承認プロセスとか、顧客企業の商慣行や人間関係担当者趣味仕事の進め方とか、他に持ち出すことの難しいスキルを山ほど溜め込むことになる。そういった蓄積を捨ててでも、他の機会に飛びついた方がいい処遇を得られる場合もある。終身雇用が当たり前の時代なら、仕事能力の対価と信じたって、狭い世界じゃそれなりに納得がいったけれども、それなりに社会の流動性が高まって、雑誌などで業界毎の懐具合が頻繁に特集され、ブログとかで異なる生活水準の人々が互いを知るようになると、理不尽な思いに駆られることは少なくないんだろうな。

格差社会については諸々の議論があって、高齢化による数字上の押し上げ効果もあれば、ロスジェネとか若年層で極端な格差が生じていることは確かなんだけれども、そういった実態だけではなく、これまで個々人じゃ秘していたことがマスコミに取り上げられ、或いはブログとか読んで気づいちゃったり、改めて可視化されたことも大きいのではないか。けれど誰もが高級官僚になれる訳じゃないし、肩で風切って外資金融に入った連中が今も幸せにしているとは限らない。青い鳥じゃないけれど、幸せって誰かを羨望するところじゃなくて、いま足下で何を積み上げていくか、どれだけ周囲と信頼関係を築き、また世界を広げていくかといったところからしか見つからないんじゃないかな。

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