日本の下り坂はあと20年続く、かもしれない

日本近代史にある40年周期説とやらを図にしてみた。なぜかというと、池田信夫氏が日本は1930年代に似てきたと言っていたり、朝日新聞の昨年末の社説が1945年に生まれた「日本ちゃん」という不思議なキャラを出してきてもう「日本ちゃん」は65歳だよ、などと言うので、あらためて歴史の年数を計算してみたくなったのある。まったく何の根拠もない図なのであしからず。

注:この記事の内容はトンデモな部分を多々含んでいるので、本気にするのはやめましょう。

※戦前のピークを1905年(日露戦争ポーツマス条約締結)、戦後のピークを1985年(プラザ合意と続く円安)とするひともいます。

確かに大体40年ぐらいごとに「日本というシステム」は浮き沈みを繰り返しているように、見えないこともない。システムができてからしばらくは、紆余曲折はあっても、だいたい上り坂である。みんな、深く考えずにとにかく一生懸命がんばる。坂の上の雲とはなんと素晴らしいタイトルだろう。司馬遼太郎はまさに国民的作家であった。やがて、その「システム」での成功の頂点が訪れる。やったあ! 世界が日本を賞賛する。あの大国ロシアに日本みたいな国がよく勝てたね、とか、日本的な企業経営を全世界でお手本にすべきだ、とか褒めそやされて、日本、すっかり得意になる。そこから、下り坂は始まる。

今は、そもそも坂を上ってない

下り坂では、システムが上手く回っていたときには気に留められなかった「影」の部分が大きくなってくる。耐用年数の過ぎつつあるシステムを何とか維持するため、場合によっては悪辣で非人道的な方法が取られる。不況になるので、国民に不満がつのってくる。「日本を救いたい」と本気で言い出す者が出てくる。国民も救世主を期待するが、しばしば彼らは歴史の判断を誤る。(注:ここでは、現在の政治を言っているのではありません(笑)。それに、戦前も憲政会や政友会は政局にあけくれ、国民の支持を失っていた。そのとき、国を救うと言って立ち上がったのが、軍部という巨大な官僚組織だった)

古いシステムに必死でしがみつくものが多ければ多いほど、システム崩壊のときの痛みは大きくなる。

しかし、遅かれ早かれ旧システムは崩壊し、次の時代の新しい秩序が生まれる(か、そのまま下り坂が続いて国家が消滅する)。ひょっとしたら、崩壊が徹底的であればあるほど、次のシステムを自由に、先進的に設計できるのかもしれない。歴史にもしもはないけれど、1941年の御前会議で、リーダーたちにものすごく勇気があって、対米開戦を避けていたら、数年後に財閥解体や農地改革はありえなかっただろう。女性の参政権も最近まで認められなかっただろう。カーブの底は決して絶望ではない。ここはカオスで、しかしチャンスに満ちた時代。それは(このトンデモ図によると(笑))、これから20年のうちにやってくる。

ソフト・ランディングが必要

ユリイカ2011年1月臨時増刊号 総特集=村上春樹 『1Q84』へ至るまで、そしてこれから・・・

司馬遼太郎の後を継ぐ、現在の日本の国民的作家は、発行部数と老若男女のファンの多さから考えると、村上春樹ではないか(ま、彼は世界的作家でもあるわけだが)。時代の空気を感じとっていなければ、あんなわけのわからない物語があそこまで売れるはずがない。その村上春樹は、ユリイカのメールインタビュー(2011年1月号)で、「魂のソフト・ランディング」が必要だと思う、と述べていた。

二十一世紀に入って以降、社会的にもっとも大きな変化として感じられるのは、「これまで強固であると一般に見なされてきた地盤の多くが、その信頼性を失ってしまった」ということだと思います。
(中略)
冷戦のレジームが消滅したこと自体はもちろん歓迎すべきことなんだけど、それと引き換えに原理として半世紀以上のあいだそれなりに機能してきたものが――世界の枠をそれなりに支えてきた支柱が――取り払われてしまった。いっときは「市場経済」が時代の勝者として、その代役を果たすかとも思われたんだけど、それも見事にグローバルにはじけてしまった。そしてその空白を埋めるようなかっこうで、「原理主義」という別の原理が力を持つようになってきた。
(中略)
我々のなさなくてはならないことはおそらく、そのような混沌の中になんとかうまくランディング=着地することではないかと思います。原理主義ナショナリズム、ある種の極度な内向、そういうものを「ハード・ランディング」として定義するなら、それに対抗する(あるいはそれを中和しようとする)種々のムーブメントが「ソフト・ランディング」にあたると思うのです。(『ユリイカ』2010年1月増刊号 p.10-11)

彼は小説家だから、「年金」とか「国債」という問題を考える必要はないので、「魂の」と言っているけれど。

朝日新聞の社説(を残してくださった木走日記に感謝)は、やや簡便に、「斜陽の気分の中で思い起こすべきなのは、私たちはなお恵まれた環境にいるということだ。知識や社会資本も十分に蓄えられている。それらを土台に何か新しいものを生みだし続けていく。そうすれば、これからも世界で役割を果たしていけるだろう。」と結んでいる。

しかし、つけ加えるなら、「もし旧システムを温存したまま、新しい成長曲線に乗れると本気で思っているなら、それは多分無理だよ。並行して、これまでの戦後の日本の「影」、「負の側面」を清算しなければ。そうしないとひずみが残って、いつ痛みをともなう崩壊が起こるか分からないよ。何とかソフト・ランディングしなければいけないよ」と言いたい。


国破れて山河あり

あくまで仮にだけど、これから20年間、苦しい下り坂を続けた後、1925年〜1930年ごろに次の「日本というシステム」が生まれるとしたら、どんなものになるのだろう? 「リバタリアニズム」「コミュニタリアニズム」、はたまた「ソーシャルネットワーク」なんて流行りの言葉も頭に浮かぶけど、これについてはまったく分からない。今から誰にでも予想がつくような答えは、そのときには「時代遅れ」になっているのではないだろうか? あるいは、「システム」なんていう構造主義のことばづかいが時代遅れになっている可能性もある(笑)。

国破れて山河あり。個人的には、「経済」一辺倒だけでなく、日本の貴重な自然を大切にしてくれるような、何らかの価値体系を組み込んだシステム(?)になってほしいと思うのだが。

”隠された情報を公開しよう。そうすれば世界が変わる”と

BLOGOSでの書評を見て、読んでみた。最近人々の記憶から薄れつつあるウィキリークス

日本人が知らないウィキリークス (新書y)

日本人が知らないウィキリークス (新書y)

七人の著者がそれぞれの視点から解説を行っている。私は「ウィキリークスを支えた技術と思想(八田真行)」の第四章に興味があったので、真っ先に読んでしまったが、他の章もどれも面白かった。共通しているのは、前書きにあるとおり、「ウィキリークスを表面的な善悪論で語ることには意味がない。いずれにせよ、私たちはすでに「ウィキリークス以後」の世界に入ってしまった」という認識。一部の人には、頭の痛いことだろうけど。

匿名性の確保
第四章は、リーク時にいかにして匿名性を確保するかについてのインターネット技術の話で占められている。

当たり前だけど、YouTubeであれ知恵袋であれ、アクセスすればサーバにアクセス時間や携帯機種やIPアドレスが載ったログが残される。そして、GoogleであれYahoo!であれ、運営会社は警察や検察の要請にはすぐさまログを引き渡す。ネットの世界は匿名性は低い。「まともな匿名性とは、相当な配慮や技術的工夫を凝らさないと確保できないもの(p.113)」、これはやっと一般の人に知られてきたのじゃないかな?

ウィキリークスは、できるだけログを取らない特殊なホスティング業者(スウェーデンのPRQ)を利用していたとされるが、重要な情報をリークする側からすれば、彼らが主張していることは嘘かも知れない、そもそもウィキリークス自体がCIAのような組織が運営している(!)壮大なハニー・ポットかもしれない、そんな疑いさえ完全には否定できない。リーク側は「誰も」信頼すべきではない。それでも、インターネット上でリーク側の匿名性を守るための技術が「Tor=The Onion Router」と呼ばれるもの。これも全面的に信頼すべきものではないけど、とりあえず。

しかし、まあ、リークする側になる人はごくまれ。むしろ私は、情報をダウンロードする方法すら知らなかったw たとえば、有名な「歴史の保険」ファイル、insurance.aes256(暗号化されているが、ウィキリークスかアサンジ氏の身に何かあった場合、複合鍵が配布される)も、BitTorrentを使って落とせるらしい。基本的にはBitTorrentの好きなクライアントソフトをインストールし、トレント(*.torrentというファイルにダウンロードの指示が書かれているのでそれを)読み込んでダウンロード開始。ファイルが1.4GBもあるっていうのがあれだけど、複合鍵が配られたときには、アニメ『サマー・ウォーズ』ばりの「世界市民体験」ができるかもしれないし、そのうち落としてみようかな。


日本に関連する暴露
ウィキリークスにどのようなリーク情報が掲載されて、それが世界中の市民にどのような影響を与えてきたのかについては、第一章、第二章、第五章が詳しい。日本のニュースではこれをほとんどやってくれなかった気がする。

YouTubeに上がっている、2009年12月ベルリンで行われた、「カオス・コンピュータ・クラブ」で行われた公演でも紹介されている。日本語字幕、本当にありがたいですね! アイスランドのニュースキャスターが素敵すぎると思いませんか。

動画は、TEDにもインタビューがありますね。観客が総スタンディング・オベーション

TED: ジュリアン・アサンジ 「なぜ世界にWikiLeaksが必要なのか」

日本に関する暴露はまだ少ないけど、たとえば、2010年2月22日ソウル発のキャンベル米国国務次官補と金大統領補佐官との会談。

「金は“民主党は自民とは完全に異なる”とのキャンベルの評価に同意した」
「金は“岡田外務大臣、管財務大臣の如き、民主党の公の立場にある人物と直接接する必要がある”とのキャンベルの指摘に同意した」
ここでは、「民主党自民党と完全に異なる」として鳩山首相との距離を示すと同時に、「岡田、管は対話すべき相手」とされている。(p.158)

管さんが最近「絶対辞めない! 支持率1%になっても辞めない!」と、不自然なほど強気になった(笑)のは、「アメリカと話がついたからじゃないの?」と勘繰ってしまいたくなる内容。昔からアメリカに支持されない政権は短命に終わるという噂が根強くあるけど(官僚組織、とくに検察がそういった政権をつぶすなどとね)、まあ本当かどうかはともかく、ウィキリークスが手に入れた東京発の外交文書は5697通もあるのに、ほとんどまだ公開も分析もされていないというから、早く表に出てきて欲しいものですね。


全体として、ウィキリークスのやったことが世界中に知れ渡り、似たようなサイトも次々立ちあがっている現在、やはり彼らは「時代のページを一つめくってしまった」んだなと思います。ジャーナリズムにとっては、一次情報は誰にでも公開される時代がやって来る、ということ(日本の記者クラブもその認識を早く持った方がいいのでは)。それでも、多くの一般人は一次情報を直接閲覧するような時間はないので、分析され、編集された二次情報、ジャーナリズムはこれからも価値を失わず、むしろ情報が増えれば増えるほど、大事になっていくと思います。「時代のページ」を逆に戻そうという試みをする組織もあるだろうけど、長い目で見れば成功しないでしょう。

ペイ・フォワード [DVD]

ペイ・フォワード [DVD]

ペイ・フォワード』という映画(これは『時計じかけのハリウッド映画』でも紹介されていた)で、主人公のトレバー少年は、社会科の授業でこんな宿題を出される。"Think of an idea to change world, and put it into action."(世界を変えるアイディアを考えて、それを実践してみよう)。トレバー少年が考えたやり方は素晴らしい。しかし、この宿題を、かつてのアサンジ少年が聞いたら、きっとこう考えたでしょう。

「隠された情報を公開しよう。そうすれば世界が変わる」、と。

大阪府警取り調べ中の暴言事件

大阪府警東署警部補の取り調べ中の暴言事件。

録音された音声が全国ニュースであれほど長く流されたのは衝撃的でした。



殴るぞお前
手出さへんと思ったら 大間違いやぞコラ!
オウ
お前大間違いやぞコラ!


全然 記憶にないです
分かりません 言っていることが
謝る必要も よく分からないです


分からないですちゃうねん
お前しか分からんのじゃ


出せ 早よ(拾った)財布
黙っとったらあかんぞ お前のことやぞ


お前の関係してるところ
全部ガサ(捜索)いくぞ 脅しやないで
お前の家にも行くわ 全部
お前の実家にも全部行くぞ


お前の息子や娘にも(事件の事)言うんかい
あのちっちゃい子にも言うんかい


お前の家族が何回便所の水を流したか全部調べたるぞ


お前の人生めちゃくちゃにしたるわ

お茶の間で聞いていて、肝が冷えた方も多かったのではないかと。特に最後、子どもを傷つけるようなことを言ったり、トイレを盗聴(?)すると言ったり、挙句「人生めちゃくちゃにしてやる」だなんて、公務員とは到底思えません。まさに「やくざ」です(笑)。

しかし、警察官というのは日常的に「やくざ」と渡り合っている商売なので、「やくざ」に負けない言動が身についてしまうのは、ある意味、自然なことであると思います。(この点、毎日大変なお仕事ありがとうございます)

おそらく、警察官の同僚たちは、「運が悪かったな……。だが、負けるな! おれたちがこんなふうに取り調べしなきゃ治安は守れないんだ! 大阪が犯罪者天国になってもいいと思ってるのか!」と、激励していると思います。

また、優秀なヤメ検(検察をやめた弁護士さん)も多数紹介されていることと思います。


しかし、しかし……。やっぱり、こんなやり方は……。


大阪府の現役警察官だって、自分の息子や娘が東京の大学に下宿していて、サークルの飲み会の後、深夜の歌舞伎町を歩いていたら「おまえ覚せい剤やっただろ!」とあらぬ疑いをかけられ(えらく具体的だな)、

「手出さへんと思ったら 大間違いやぞコラ!」「早よ出せブツ(ドスのきいた声で)」「お前の人生めちゃくちゃにしたるで!」

と喚かれ続け、7時間ほど(!)監禁され、弁護士も呼べず、何を言っても聞く耳持ってもらえず、最後には「すみません言うて罪を認めれば、こんなこと目くじら立てるほどのことやない。そうか、帰れってなもんだ(←これは嘘。NHKではこの部分の録音も公開されていたはず。何時間も監禁された後だと本当にグラッと来るでしょう)」と、取引を持ち出され、その後、PTSDで寝込んでうつ病になってしまったら、やっぱり人の親として、「こんな取り調べは許せない……!」と思うと思うのです。


最近はネットも発達したし、冤罪も多いので、警察官や検察が大体いつもこういう捜査をしていることは、ある程度の(まあ、少ないだろうけど)人は気づいていると思うんですよね。
【佐藤優の眼光紙背】村木厚子元厚生労働省局長に対する無罪判決
足利事件 Yahoo!ニュースまとめ 17年半にわたり収監されていた男性が再審で無罪確定。
おまけ:”検察が逮捕したい人”一覧 →さすがちきりんさん! 一味違いますよね。

今のままでは、やはり警察と検察の取り調べは、「全面可視化」したほうがいいと思うのです。しかし、そのときには、警察官とか検察も、建前はやめて、「あなたねぇ、犯罪者を捕まえるんだから、多少荒っぽいことも必要でしょっ!」っと、本音で主張し始めるんじゃないかと期待しています。しないかな(笑)。でも、可視化をやみくもに拒むより、「犯罪者天国 vs あなたとあなたの知人がある日突然、監禁暴行取り調べ」をどうやってバランスをとるのか、現実的に考えた方がいい気がするんだけど。



【追記1】
録音がテレビで長々と放映された翌日に、別件で当の男性の再逮捕が報じられましたが、「推定無罪(逮捕や起訴されただけでは有罪じゃないよ)」という原則もありますし、「それはそれ、これはこれ」ですね。取り調べ自体が暴言だったことは取り消せません。
それにしても、検察が一度はこの事件を略式起訴にしようとしたことなんて、「身内に甘い」典型すぎて、何を考えてるんだろ、って感じです。バレないと思ったのかなあ。

【追記2】
自分の携帯でどうやったら音声を録音できるのかは、みんな確認しておくべきですね……。ちなみに、iPhoneは標準のアプリがないので、こういうのを入れておくとよさそうです。ただ、録音していることがバレると、マジギレされて、携帯を壊されてしまうかもしれませんね……(怖いですね!)

組織の歯車になることが、人生で最高の職業の一つだと

TOEICのためにぬるく勉強している、『Z会速読・速聴英単語 Business』で、印象的な文章があったのでメモ。※2011/2/9 文章修正など。
それはKDDIau)をつくった、千本倖生氏の記事(p.320)。

千本氏は、1966年にNTTに入社し、18年間勤めた後、“通信網という今後重要になるインフラを国家が独占しているのは国民にとってよくない、NTTと対等な競争相手を用意しておかなければならない”と、KDDIを立ち上げた方です。その後も、5つもの会社を立ち上げる、骨の髄からのアントレプレナー

でも、印象に残った一文は、残念ながら、その企業家精神ではなく。千本氏はNTTにいたときにアメリカに留学し、そこでカルチャーショックを受けるわけですね。「アメリカでは、日本で最も重要な企業の1つに勤務していることは大したことではなかった。肥大化した独占企業に勤めるという考えをあざ笑う者さえいた」。そのとき、日本ではこう考えられていた。

To become a cog in such a mighty machine was considered one of life's highest callings.
(このように巨大な(mighty)組織の歯車(cog)になることが、人生で最高の職業(calling)の一つと考えられていた。)


これが、40年も経った今でも当てはまるなあ、としみじみ思ってしまったのです。なぜか?

1945年に日本は一度リセットされ、新しい国家の目標が、無意識的に定められました。それまでの軍事的行動が否定されたので、今度は「経済発展によって」、国際社会で国家の地位を高めようと決意したのです。それは成功しました。その後40年かけて1980年代の終わりごろに絶頂期を迎えます。

制度や法律だけでなく、思想や慣習なども渾然一体となった、現在の「日本という社会」=「日本というシステム」。それは、国家の非公式の最優先課題である、「際限なき経済発展」のために最適に整えられたものでした(by『人間を幸福にしない日本というシステム』)。

基本的には、2011年になっても、私たちはその延長線上にいます。日本では、今でも「産業、企業>労働者、国民」。男性は家庭や自分の自由よりも「会社」を優先させることが当然とみなされます。官僚は、労働者よりも産業の振興を優先します(それが、労働者の利益になると信じているから)。「会社」という漢字を逆にすると「社会」になるのは象徴的です。「会社」なくして、戦後の日本社会、「日本というシステム」はありえなかった。


「巨大な組織の歯車になることが、人生で最高の職業の一つだと考えられていた」―――。


これは(システムに大分ほころびは出てきているものの)今でもそうだと思うのです。なぜなら、何十年も前に、この信念に当てはまるように、実際に社会の仕組みが設計されたからです。つまり、巨大な組織の一員になると、平均的により多くのリソースの分配を受けられる、金銭的に報いられるようになっています。

大企業と中小企業の生涯賃金格差は0.7億円(ダイヤモンド2010/8/28号)。正規社員と非正規社員生涯賃金格差は1.7億円(大卒男性正社員と、生涯非正規社員男性の場合、同)。他にも、手厚い共済年金や厚生年金があるし、サラリーマンの妻が個人で年金を払わなくて済む3号被保険者制度など、あからさまな制度もまだ残っています。

学生が、就職できなかったら留年してでも新卒採用に乗ろうとするのも、大企業に人気が集まるのも、みんな何となく「日本というしくみ」が分かっているから。それがこの先何十年も続くとは思っていなくても、今はとりあえずまだ。外資系に行き、何らかの理由で挫折して、やっぱり日本では大企業が一番などと言い出す人もそうです。


………もちろん、少数派はいつの時代もいます。千本氏のように起業して成功する人もいます。芸能人もスポーツ選手もいます。そういった「息抜き」「遊び」がないシステムは悪夢なだけでなく、硬直化という意味で望ましくないですから。


それにしても、一体誰が今の「日本というシステム」を設計したのでしょうね?


そして、歴史の教科書を開いてみると、何事にも必ず変化が訪れますが、戦後に立ちあがった「現在の日本システム」が終わりを迎えて、再び1945年が到来し、そのカオスの中から、次の「新しい日本システム」が生まれるのはいつなんでしょうか?

人間を幸福にしない日本というシステム (新潮OH!文庫)

人間を幸福にしない日本というシステム (新潮OH!文庫)

16年も前(1994年)に、今池田信夫氏やブロガーたちにあれこれ言われていることが、外国人の手によって、指摘されていたんですね〜(笑)。

弁護士の過払い金トラブル

NHKで『追跡A to Z 急増する弁護士トラブル』を見ました。
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/100904.html
でも、「え、これで終わり?」だったので、もやもやしたことを整理してみます。


まず、過払い金返還って何?

最近増えている弁護士トラブルの一つ、「過払い金返還トラブル」。番組の中でも、北海道に住んでいる多重債務者が、なぜか東京の(笑)弁護士事務所に借金整理を依頼します(やはり全国区のテレビCMを見たとか?)

※ここから先は、東洋経済 2010/5/22号『弁護士超活用法』 で調べた内容が入っています。

まず、「過払い金」というのは、2006年1月に最高裁の判決で生まれたものです。借金のうち「グレーゾーン金利」と呼ばれていた部分の利息を否定する判決です。宮部みゆきの『火車』や、番組にも登場した宇都宮健児弁護士たちが、苦労の末に勝ち取ったものです。『火車』のヒロイン一家の、借金の末に夜逃げ、自殺、女性の身売りといった描写を読めば、この判決自体は借金に苦しんでいる人々のためになるものだったと思うでしょう。

火車 (新潮文庫)

火車 (新潮文庫)

さて、そこで高い金利でお金を借り、返済をしてきた人たちは、否定された「グレーゾーン金利の利息」の分、払いすぎていたお金を取り戻せることになりました。これがいわゆる「過払い金返還」です。「過払い金返還」の手続きは普通は弁護士か司法書士に頼みます(自分でもできるそうです)。その場合、取り戻したお金の一部が報酬として弁護士や司法書士に支払われます。

よーーく考えてみてください。弁護士の報酬は、基本的には成功報酬です。しかし、通常の訴訟は、勝つほうもいれば負けるほうもいます。ところが、「過払い金返還」は、ほぼ必ず勝つ案件なのです。最高裁が「グレーゾーン金利の利息は認めない」という判決をすでに下しているからです。弁護士や司法書士たちは、ルーチンワークの訴訟さえすれば半自動的に手数料が入ってくるのです。

これこそが業界の特需、「過払い金バブル」!!

その結果、「過払い金返還」だけを専門に扱う、大量の弁護士事務所が生まれました(業界内では『業者』と呼ばれているそうです)。消費者金融は、これはたまらんというわけで、金利を引き下げました。それでも過去の大量の過払い利息返還があります。「総量規制」という借金の総額を制限する法律もでき、大手でも潰れるのは時間の問題と言われています。


・ なぜ、電車の中にあれほどたくさんの弁護士事務所の広告があるのか。
・ なぜ、それらは、ことごとく「借金相談」なのか。
・ 最近は「過払い金返還が曲がり角に来ています」とか「明日ではもう遅いかもしれません」とあおっているのか。


これで、すべて分かるような気がしませんか? つまり、「過払い金返還」は業界にとって、非常に儲かる上にリスクの低いビジネスだったのです。だった、と過去形で言うのは、もう美味しい「草」は大都市圏ではほぼ刈り尽くされてしまったからです。そして、消費者金融が潰れて「明日では遅く」なる前に、最後の優良顧客―――昔から借金をしていて、たくさん過払い金を持っていそうな顧客を、全国テレビCMなどで、根こそぎ刈り取ってやろうと、やっきになっているということです。


過払い金トラブルの内容

■1.大手の消費者金融などへの借金しか整理してくれない

過払い金は「請求すれば返ってくるもの」と書きました。しかし、実際はそれほど単純ではないようです。

アコムやプロミスなど大手の消費者金融は、法令順守という側面や、社会的なイメージもあり、比較的、従順に過払い金返還に応じてきました。もちろん、これから「過払い金を返せば(会社自体が)潰れる」という状態になっていくので、もっともっと出し渋るようになると思われます。それでも「闇金」よりはましでしょう。名前を変え、住所を変え、時にはやくざとつながっている闇金業者から過払い金返還を受け取るのは、想像するだけで大変です。

したがって、テレビCMや電車内広告を打つ専業法律事務所の中には(もちろんそこだけではありませんが確率的には)、過払い金を素直に返してくれるところの借金だけ整理して、放り出すところがあるようです。つまり、簡単なところだけ整理して、「うちの仕事は終わりました、あとのたちの悪い借金は自分で何とかしてください」というわけです。もちろん普通の人に何とかできるわけはないので、悪徳業者の法律事務所を訴えるか(普通は訴えてもらちがあきませんが)、良心的な弁護士に泣きつくか、あるいは、いわゆる『火車』の世界になることと思われます。

■2.実は弁護士や司法書士ではなく、アルバイトが対応

過払い金返還はわりとルーチンワークなので、弁護士や司法書士がすべき仕事までアルバイトで対応している事務所があります。借金整理の専業法律事務所が最盛期のころは、弁護士1人にアルバイト20人、面談も過払い金返還請求も全部アルバイト、という事務所もあったそうです(戒告や業務停止されたりして、名前を変えたところもあります)。こういうところは人件費ではなく、テレビCMや電車内広告にお金をかけているので、一見「よい法律事務所」のように見えます。
もっとも、これ自体は、処理がスムーズにすめば消費者にとっては問題にはならないかもしれません。しかし、こういった事務所に頼むとトラブルが起こる確率は上がるでしょう。

■3.消費者金融と結託して委託料を稼ぐ、または、高額の手数料を取る

昨日の番組でもやっていたように、「いい弁護士を紹介するので、借金を整理しましょう」と話を持ちかけた委託会社が、実は弁護士とぐるで、高い紹介料を取るというものです(これは弁護士法違反らしい)。また、弁護士報酬は自由化されたので、「メールだけで解決」「スピード重視で対応」などの理由で、他よりもやけに高い手数料を取る場合があります。この場合は、正しく理解して、納得しているなら問題ありませんが、1.2.のような事務所には要注意です。

どちらにしろ、過払い金返還がどれほど儲かるビジネスで、儲けたい人々が虎視眈々と狙っている、ということを事前に知っておかなければ、裏をかかれる可能性があります。

■4.預かり金を横領

いつまでも返還請求を行ってくれなかったり、返還された過払い金を渡してくれないというトラブルです。

ただし、返還されたお金をいったん弁護士の口座に振り込むのはやむをえないことだそうです。借金をする人というのは、現実的に、借金をしていない人と比べて金銭感覚がおかしいことが多いので、お金があると派手に使ってしまったり、それまで親身になって過払い金返還請求に協力してくれていたよい弁護士や司法書士であっても「手数料を払いたくない」と言い出す場合が多いからです。もちろん、ほとんどの弁護士事務所は預かり金を正しく返還しています。


* * *


こうして見てみると、もし私が借金をしていたら、テレビCMや電車内広告を出しているような事務所、たとえば「M○RAIMO(旧名ホームロイヤーズ)」や「IT○法律事務所」や「アディー○法律事務所」には、たぶん絶対行かないでしょう(笑)。トラブルが発生する確率が高くなりそうです。

自治体では、定期的に無料の法律相談会をやっているみたいですよ? そういった相談会の担当者は、地域の弁護士の良い評判や悪い噂を知っているかもしれません。戒告や業務停止、懲戒を受けた弁護士は、官報や個人のネットで公開されています。法律サービスは「ケースバイケース」なので、ある人がうまくいったからといって別の人もうまくいくとは限らないと思いますが、ネットのクチコミも一応チェックしたほうがいいかもしれません。

やはり、金額が大きく、長引きそうな案件なら、2、3の法律事務所を回って、弁護士との相性を見たり見積もりをとることも必要ではと思います(家をリフォームするときなんかは当然そうしますよね?) 


* * *


そもそも論ですが、弁護士の数を劇的に増やしたのは、「専門家による自治」よりも、「市場による淘汰」のほうが有効だ、という信念があったからです。
「市場による淘汰」。
つまり、私たちが、かしこい消費者にならなければならないのです。

規制緩和して自由化さえすれば、質の悪い悪徳弁護士が増えても、「市場が淘汰してくれる」。ひと昔前流行った、市場主義万歳神話です。だから本当は、弁護士会に期待するのは間違っているのです。そもそも「専門家(=弁護士会)による自治」では物足りなかったから自由化したんでしょう? 今さら「専門家の自治が足りない」なんて、テレビよ、甘いことを言ってはいけません。

かしこい人、情報収集をする人、コネのある人、お金のある人だけが、優秀な弁護士を雇うことができ、頭が悪かったり、よく調べなかったり、貧しくて、質の悪い弁護士にあたってしまう消費者は「自己責任」である、そんな時代に日本全体が向かっているのです。


そこの掘り下げが、NHKの番組では、中途半端だったように思います。

『街場のメディア論』(内田樹)

最近、LivedoorBLOGOShttp://blogos.livedoor.com/)を読んでいます。人気のあるブログの記事を、ニュースのようにまとめて見せてくれるサイト。こちらの中づりで知りました。

こういうサイト、すごく便利! 何もないところから、好みのブログを探して広げていくのって、それなりに手間暇かかりますよね。


それで、BLOGOSを読んでいると、あらためて「ブログってテレビよりもずっと、過激な意見を書いている人が多くて、面白い」。その意見が妥当かどうかはともかく、相当とがった意見ばかり。テレビや新聞は、マスというだけあって、「誰もがそれほど不快に思わない意見」しか言わない。イコール、つまらない……。中には「このブログの記事は私の意見と正反対」ということも当然多々あり、それは読んでいてもあまり楽しくないけど、そういう記事があるのもいい。

テレビが毒気を抜いた意見しか言わないことについては、『街場のメディア論(内田樹)』でも書かれていました。

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

この本も、有名な404 blog not foundの紹介記事があって、それで知りました。dankogaiさんは内田樹たつるですよ、いつきじゃないです)という著者を褒めてるのか、ケチをつけたいのか分かりませんが、ま、たぶん、その両方なのかもしれませんが。

急がば回れ」、「損して得取れ」、「システムSが正常であるとき、Sは不完全である」…著者ほど背理的語りがうまい論者を現代日本のメディア上に見つけるのは難しい。著者の人気の源泉がそこにある。

うむうむ、です。『街場のメディア論』は、完全に同意はできない部分もあったけど、「書物を贈り物」と考えるなんて目から鱗でとても面白かった。

本文にある、「人間のみに備わった、このどのようなものを自分宛ての贈り物だと勘違いできる能力ではないのか。」という一文もそれなりに理解できたつもり。ただ、これに対して、404 blog not foundで「その勘違いを実現してしまう能力、なのですよ。」と書かれているのはうまく理解できないです。どういう意味なんだろう??? もう少し丁寧に書いてくれたらいいんだけど……。


そういえば、ひとつ前の記事で書いたのですが、テレビ局という手厚く守られた既得権益側にいながら、「(眉間にしわを寄せ、いかにも深刻そうないい人ぶった表情で)公務員のコストカットを行わなければなりませんね……」と言うおなじみのコメント。その精神構造が理解できなかったのですが、少なくとも私だけがそう思っていたのではないらしく、嬉しかったです。

『街場のメディア論』の第二講の「マスメディアの嘘と演技」に詳しいです。つまり、「知ってるくせに知らないふりをして、イノセントに驚愕してみせる手法(p.56)」ということで、あの「眉根寄せ」もその一形態だと思いました。これ、多くの人が漠然と気づいていると思うけど、こうしてずばっと指摘してくれると嬉しいなあ。

電波規制に守られて

参院選直後の記事を読み返したら、我ながら相当もやもやしていたことが感じられます……。
たった一つか二つのブログや本を根拠に書いてしまった文章もあって、恥ずかしいです。


とはいえ、基本的にはあまり意見が変わっていない部分が多いです。


選挙直前に首相になったのに選挙の責任なんてないから、あの時点で辞める必要はなかったと今でも思いますし。個人的には「消費税」発言はそこまで大勢を左右していないと。それに、首相が続投しても交代しても、日本の国としては大して変わらないんだから、それなら“安定政権”のほうが諸外国に信頼される気がします。


あと、テレビの影響力はやっぱりうんざりだし、テレビの露出が多いほうが当選しやすい、という状況はどう考えても何とかするべき。今見たんですが(オィ)、

Google 未来を選ぼう参院選 2010
http://www.google.com/appserve/senkyo2010/c/11962

ここ、なかなかいいサイトだったんですね。候補者についてのいろんな情報(ニュースや動画やツイッター)が時系列にまとめられていて、分かりやすい。世の中に、Google TVや、今度12月に出ると言う噂のApple TVが普及して、それによって、Ustreamや、YouTubeや、もっと画質のいいコンテンツをネット上で見るのが普通になり、テレビの影響力がぐーんと薄まるといいなぁ。そうなったりしないでしょうか。テレビよ、沈め(笑)。


報道ステーションのキャスターが、カメラを真正面から見ながら、「公務員のコスト削減を進めなければいけませんね」みたいなことを言ったときは、吹き出しそうになりました。電波規制に守られて、正社員の平均年収1500万円というテレビ局が、一体何を言ってるんでしょうか。それなのに、格差社会年金問題を論じるときは、「われわれ庶民は」などと言い出す。これ、冗談としか思えないんですが、そんなふうに感じるのは私だけなんでしょうか。