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ミルトスの木かげで このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2005-10-31

mmesachi2005-10-31

一粒の麦

18:11 | 一粒の麦を含むブックマーク

 金曜日の早朝、闘病のため帰国していたミシガンJCFNのN姉の召天の知らせが入った。N姉は2004年のセントラルカンファレンス(シカゴでもたれる中部JCFN主催の修養会)の実行委員長で、うちで持たれたお正月のお餅パーティーにも来てくれた。柔らかい関西弁が心地良い、素敵な姉妹だった。つい最近大阪で開かれた「JCFN帰国者カンファレンス大阪」でも、病床にありながら、準備委員の方たちのいろいろな相談に乗っていたらしい。

 彼女の体調が悪いと私たちに知らされたのは今年の初めだった。そして3月、私がお茶の水のJCFN事務所を訪れた時、実はガンで、しかもすでにステージ4まで進行しているという知らせがちょうど入ったところだった。

 JCFNでは彼女のための祈りのチームを作り、ご家族と連絡を取りながらずっと祈っていた。 ご家族はノンクリスチャン、でもお母様が1ヶ月ほど前に救われ、受洗されたばかりだった。土日にもたれた前夜式、召天式ではストレートに福音が語られ、最後のお父様のご挨拶では、「N子は今永遠の命をもってイエス様のところにいるのでしょう」とおっしゃっておられたそうだ。式でも、伝道的な本やギデオン聖書が配られたという。クリスチャンではないお父様だけれど、Nちゃんの信仰と生き方を尊重し、そのようにするのを許されたのだろうと、参列した下部主事が報告してくれた。

 JCFNのロゴは、一粒の麦が穂から地に落ちた様を描いている。地に落ちた麦は、さらに豊かな実を結ぶことができる。JCFNのミニストリーが今日のように広がるに至る根底に、ある一人の姉妹の死があった。また一粒、麦が地に落ちた。神さま、あなたの豊かな実りを、ますます見せてください。あなたのお約束に信頼します。

裕美裕美 2005/10/31 20:09 そぅですか..ぉ亡くなりになられたのですか。
誠に残念です。心から御悔やみ申し上げます。
色んな形の別れがありますが、死と言う別れが一番
重たく深いですよね。
私が思うに人わ死ぬ時一番恐れる事わ
身の周りの人達に忘れられる事でわないかと思います。
自分が生きてた事、存在していた事を忘れられるのが恐い..
だから人わ死を恐れるのだと私わ思います。
しかし、彼女の身の周りの人々わ彼女の事を一生忘れないと思います。
ですから、きっと彼女わ最後の最後まで幸せであったと思います。

はちこはちこ 2005/10/31 20:39 ユミちゃん、どうもありがとう。9月のJCFNシカゴの集まりで、Nちゃんのために祈ったことを覚えていてくれたのネ。ユミちゃんの言う通り、Nちゃんはみんなの心の中で生き続けると思う。ユミちゃんがコメントしてくれて嬉しい。ありがとうね。

みちこみちこ 2005/11/01 16:43 この地ではお会いすることのなかったN姉妹ですが、はちこさんの
ブログを通じて、大勝利のうちに天にお帰りになられたことを知り
お祈りをさせていただいております。
私の母は一昨年のクリスマス礼拝の日に受洗し今年の5月に召されました。
ノンクリスチャンの家庭ですが、前夜式・葬儀ともにキリスト教式で
行うことができ、やはりそこで大勢の方々に福音を伝えられたことは
悲しみの中でも大きな喜びでした。
母は受洗した年の春に脳梗塞で倒れ、奇跡的に一命をとりとめたものの、
言語が不自由になっていましたので、ノンクリスチャンの家族・親族は
本当に母の意志の受洗だったのかと思うところもあったようですが、
私は洗礼式での嬉しそうな母の笑顔を思うたび、今、主の御傍に母が
いることを確信することが出来ます。
母が消えてなくなったのではなく、遠い故郷で元気一杯生きていることが
なによりの支えです。
N姉妹のご家族、ご友人に主の慰めがありますように。

はちこはちこ 2005/11/02 11:54 みちこさん、
お祈りありがとうございます。この地上での別れは寂しいですが,愛する人が今主の御もとにいると確信できることは本当に幸いですよね。 お母様も良かったですね。 まだ感情的には寂しくなる時もあるでしょうが、みちこさんのご家族の上にも主の祝福と慰めがありますように、私からも祈ります。

2005-10-29

 Be comforted

| 08:04 |  Be comfortedを含むブックマーク

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。マタイ5:4

今年の夏に20年ぶりに北アルプスを一人で縦走したときのこと。初日に大快晴の空のもと、登り詰めた合戦尾根のてっぺんから表銀座、裏銀座、槍穂高、立山、剣の大展望を欲しいままにした私は、二日目も同じような空模様を期待していた。わざわざアメリカから山登りに帰るのだから、多少の混雑は覚悟の上で、天候の安定する梅雨明け十日を狙ったのである。今日は大天井岳から西岳への2800メートル級の主稜線の縦走。まさに私が思い描いていた「夏山」のイメージ通り、積雲をバックに、槍穂を間近に見ながらの爽快なプロムナードとなるはずだった。

ところが、である。朝起きると稜線は深い霧に包まれていた。陽が昇ればそのうち晴れてくるだろうと踏んで見切り発進をしたものの、歩いても歩いても霧は晴れず、お目当ての槍穂はおろか、行くてに見えるはずの大天井岳の影すら見えない。そのうちだんだん天上沢の方からの風が強くなってきたかと思うと、ぼそぼそと雨まで降り出した。こうなると気分までしみったれてくる。景色が見えなくてつまらないだけではない。体温が奪われないように雨具を着込み、岩場や梯子で足をすべらせないように注意しなくてはならない。全く視界のきかない山道をひとりでとぼとぼと歩いていると、ふっと言いようのない孤独感に襲われたりする。せっかく登頂した2900メートル峰大天井岳の頂上でも結局天候は回復せず、展望はまったく得られなかった。

とちゅう休憩で立ち寄った大天井ヒュッテでうどんを注文しながら、

「ちょっとあいにくの天気になってしまいましたねえ」

と私が言うと、小屋の主人の小池さんはにっこり笑って、

「こういう日は、お花をゆっくり見るといいんですよ」

と言われた。それを聞いて、はっとした。私は自分がイメージしていた太陽いっぱいの夏山に邂逅できずにがっかりしていたのだが、遠くの景色だけが山ではないでしょう、足下にも見るものがいっぱいありますよ、という小池さんの言葉に心の目が開かれた思いがした。

その日は午後になっても霧は晴れなかったが、次々に現れる高山植物のお花畑が本当に美しく、歩いては立ち止まり、アングルを変えて写真を撮った。晴天だったら気にもとめなかっただろうコイワカガミやトリカブトの花でさえ、とても可憐で、歩みを軽くしてくれた。見渡すかぎり白い霧の世界の中で、明らかに、自分はこの花たちに慰められている、と感じた。慰めを素直に受け入れられる自分にちょっと驚いた。学生時代に山をやっていたころには経験したことのない感覚だった。もしかすると神様は「Let me teach you what it is like to be comforted」と言って、霧の日をプレゼントしてくれたのかもしれない。

f:id:mmesachi:20100814113647j:image

 秋の夕暮れ

| 08:04 |  秋の夕暮れを含むブックマーク

今日はダウンタウンでホワイトソックスの優勝記念パレードがあり、通勤電車は朝も夕方もソックスのジャージを着込んだファンでごった返していた。ちょうど帰宅時に電車の窓から見える落日が美しい季節である。

f:id:mmesachi:20100814113746j:image

2005-10-27

 ホワイトソックス優勝

| 06:09 |  ホワイトソックス優勝を含むブックマーク

あっけなくも4連勝でホワイトソックスがワールドシリーズを制してしまった。シリーズを通して微妙な場面がいくつもあったのに、ほとんどいつもソックスに有利な判定を呼び込むという、運のよさも味方した。とはいえ、一試合ごとを見ればいずれも接戦で、4連勝ではあったが楽勝では決してなかったと思う。今頃ダウンタウンはお祭りさわぎかな。もっとも地元で勝ったわけではないから、どうだろうか。

今日の夜はエミの高校で秋の音楽発表会があり、全校生徒のうち440人が参加して、合唱、室内楽団、管弦楽団、ジャズバンド、ギターやパーカッションのアンサンブルなど、2時間ちかいプログラムが繰り広げられた。エミは一年生の室内楽団でコンサートマスターをつとめた。上級生の合唱や室内楽団はさすがに上手で、聞き惚れてしまった。

それにしても、休憩時間だけでなく演奏中にまでケータイを使っている観客がやたら目について、マナーが悪いなあと思ったら、どうやら演奏を聴きながらケータイでワールドシリーズの進展をチェックしていたらしい。まあ88年ぶりの一大事だからね…分からなくもないが。たまたまこの日にコンサートをすることになった学生の方も複雑な気分だろう。

コンサートの後、車のガソリンを入れに行くと、いつもは客でごった返しているガソリンスタンドが、まったく閑散としている。どうやら今日という今日はみんな家にいてテレビにかじりついていたようだ。

 紅葉始まる

| 06:09 |  紅葉始まるを含むブックマーク

今年は9月から10月にかけて暖かかったため、紅葉の出だしが遅れている。例年よりひと月くらい遅いかもしれない。ようやく背の高いもみじの木の葉っぱが黄色くなりかけてきたが、やや鮮やかさに欠けるようだ。これからはどんどん日が短くなって、シカゴの秋は駆け足で過ぎ去っていく。

erinaerina 2005/10/27 06:45 皮肉です。阪神タイガースはストレートで負け。
代わりにホワイトソックスが優勝。
でも、おめでとう!!!
東京の紅葉はもう少しです!

ぼぼるぼぼる 2005/10/27 22:15 きのうからまた気温が下がり、紅葉が一歩進んだ感じです。近所の写真を何枚かアップデートしました↓
http://www.nakamurafamily.net/nnn/Fall_Colors.html

2005-10-26

FEAR

13:25 | FEARを含むブックマーク

False Evidence Appearing Real


 For God hath not given us the spirit of fear;

    but of power,

    and of love,

    and of a sound mind.

           2 Timothy 1:7

(E)!!(E)!! 2005/10/26 19:23 でもこれかけっぱなしで走り回ってあそんでたら、目が疲れそう…(汗)
自慢げな感じがすんごくすてきな一枚ですね♪

andieandie 2005/10/26 20:17 はちこさん、ウルトラの母だったんですね〜。

JぽろJぽろ 2005/10/26 21:43 新改訳だと「慎みの」という言葉ですが、soundって言葉だとまた違った一面が見えてくるような気がしますね。

はちこはちこ 2005/10/26 21:51 (E)!!さん、こんにちは。このウルトラアイ、かけることはできないんですよ。目にあてるだけ。ついてきた説明書にも、「着眼しないでください」とありました。(笑)あと、「15歳以上向け商品」とも…
andieさん、え、あっ、そうなんです… (?) <ウルトラの母
Jぽろちゃん、ほんとに、sound mind っていうと、「慎み」とは随分違った印象になりますよね。私はこの御言葉は、英語の方が好きなんですよ…

みぞっぺみぞっぺ 2005/10/27 08:03 確かにsound mind と「慎み」では、違いますね。新約はギリシャ語ですよね。オリジナルのニュアンスはどうなんでしょうか? 原書で読める人が羨ましいです。

はちこはちこ 2005/10/27 08:30 「慎み」というと、「謙虚」とか「ひかえめ」という意味ですよね。でも、原語(sophronismou)の意味は、self-discipline(自制), sobriety(冷静、節度), sound mind(健全な心), sound judgment(良識) だそうです。あ、でも、think and act soberly, discreetly(慎重に), and in moderation(控えめに) ともあるので、その意味では確かに「慎み」ですね。同じ語源の言葉は、テトス2:5、12;ローマ12:3;第一テモテ3:2;第一ペテロ4:7などでも使われています。日本語ではどれも「慎み深い」と訳されていますね。こうやってみると、なるほどと納得できますね。私にとって、とても必要なものだということがよくわかります。(参考資料 Zodihiates のWord Study Dictionary)

はちこはちこ 2005/10/27 08:49 あ、綴り間違えました。Zodhiatesが正しいです。 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/089957663X/qid=1130420966/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/249-1603455-8653108

2005-10-25

あなたはいのちを選びなさい

10:43 | あなたはいのちを選びなさいを含むブックマーク

申命記30:15−20

Because I want you to win

08:54 | Because I want you to winを含むブックマーク

 アメリカの食器洗い機は容量がたっぷりで、6人分の食器も3食分くらいしっかり入る。これをボタン一つで一気に洗ってすすいで乾燥してくれるのだからありがたい。ところが、こんな無精なことを言うのも気が引けるが、きれいになった後の食器を出して、棚にしまうという作業が案外面倒だったりする。以前ぼぼる母がうちに来ていた時にも、「どうせならしまうところまで全部やってくれればいいのにねぇ」と言っていたが、実際ついそんなことを思ってしまう。

 この日の私も、面倒だなぁと思いつつ食器を片付けていた。何となく疲れていたせいもあり、ゆっくりゆっくり、コップやお皿などを食器洗い機から出して、ゆっくりゆっくり棚に戻していた。

 すると、そばで砂時計で遊んでいたケンスケ(4歳)がおもむろにこう言った。

 「この砂時計の砂が全部落ちる前に片づけ終わったら、ママの勝ちだよ!」

 子供は何でもゲームにしたがるものだ… あまり気にもとめず、「はいはい」と適当な返事をし、そのままゆっくりゆっくり片づけを続けた。ケンスケは初めのうちは「早くしないと砂が落ちちゃうよ! 頑張ってー!」と声援を送っていたが、一向に頑張ろうとしない私に、しばらくすると今度はこう言った。

 「I'll keep turning this sandglass over and over again until you finish putting plates away. (ママの片付けが全部終わるまでは、僕はこの砂時計を何度でもひっくり返すよ。)Because, I want you to win! (だって、ママに勝って欲しいから!)」

 その言葉に私はハッとなった。ケンスケを振り返ると、彼はニコニコと私を見つめ、もう一度同じ言葉を繰り返した。I'll keep turning this sandglass over and over again until you...

 その言葉に、哀歌3章の御言葉が心に浮んだ。

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。

主のあわれみは尽きないからだ。

それは朝ごとに新しい。(哀歌3:22、23)

 神様も同じだ。いくら私たちがトロくてなかなか学ばない者でも、同じような失敗を何度も繰り返そうとも、神様は私たちを励ましながら、忍耐をもって見守っていてくださる。そして何度でもチャンスをくださる。ああ、もう駄目だ、今度こそおしまいだ、そう思って絶望しかけていても、神様はもう一度砂時計をひっくり返し、次のチャンスを与えて下さる。Because He wants us to win. He wants us to be winners. He wants us to have a victorious life!  こんなお方が他にいるだろうか。こんなにも忍耐と慈愛に満ち、私たちのいのちの回復と成長にお心を注ぎ、いつもいつも共にいてくださるお方が。

「あなたの真実は力強い。

 主こそ、私の受ける分です。」と

私のたましいは言う。

それゆえ、私は主を待ち望む。 (哀歌3:23、24)

 yuka yuka 2005/10/25 19:41 はちこさん
主を賛美致します。
お片づけ。私も苦手です。私はお洗濯物。アメリカにいた頃は、乾燥機に入れてセットすれば、ちゃんと乾きますよね。でも、日本はそうはいかない。太陽の光と風とを上手く利用して干さないと生乾きになっちゃって、もうがっかり....... :(
お洗濯物を取り込んで、たたんでまでは大丈夫です。でもそれからそれぞれをしまう事が
どうしても嫌になってしまいます。だから、神様に祈ってるんです。お洗濯の片づけが好きになれますように。パパっと片づけられますようにって。eli (主人)は、お片づけが上手です。
なので、あまりに私が疲れてやる気 ゼロになってると、静かにさりげなく終わらせてくれたりします。:) 毎日してくれたら嬉しいなぁ〜 hahaha
キッチンのお片づけは、大丈夫なんです。いつもきれいにしてようって思えるんです。これが。お家をお借りしてるっていう事が私の心にあって「きれいに使わせて頂こう。」と心がけてるのがあるせいかもしれません。私は箴言31章の妻の姿をいつも思います。「そうか、夜明け前か。」と彼女のすごさを思います。私などせいぜい朝のお弁当作りが早起きになるくらいです。
神様の愛、感謝ですね。

はちこはちこ 2005/10/25 22:08 yukaちゃん、コメントありがとう。 ビーズアート、見たよ〜! すごいね、今度私にも造って欲しい!私は芸術とか創造とかには全く才がないので、クリエイティブな人のことはとても尊敬します。
洗濯物、たたんだ後にしまうのが億劫というの、わかる気がします。私が食器片付けるのが面倒なのと同じだネ! 主婦の仕事というのは、毎日働いているわりには形になって残らないので、時々とてもdiscourageされてしまうこともあるけど、to keep the house running というのは、とっても大切でやり甲斐のある仕事だよね。 そういえばシカゴは緯度が高いので、秋冬は私も夜明け前に起きている!(笑) 
イギリスにいる時、私たちも家を借りていましたが、借家に住む感覚と、この地上で限られた人生を生きる感覚って、通じるものがあるなと思っていました。自分の持ち家ではないので執着はしないけれど、借りている者として責任をもって管理しないといけない。同様にこの世での人生にも執着はしないけれど、生きている間に自分に委ねられているものに関しては責任をもって管理する必要がある…  次にyukaちゃんに会えるのはいつかなぁ。またシカゴにも来てね!

yukayuka 2005/10/25 22:39 はちこさん
主婦の仕事というのは、毎日働いているわりには形になって残らないので、時々とてもdiscourageされてしまうこともあるけど、to keep the house running というのは、とっても大切でやり甲斐のある仕事だよね。っていうはちこさんのコメント。よく分かります。
ってタイプしてる自分ってやっぱり主婦なんだぁ :D
私は、手荒れがひどかった時、がっかりした事がありました。爪が弱くなっちゃってボロボロになってしまって、ちょっと悲しかったりしました。でもそれから工夫をしてその悲しみも乗り越えてます。:D
地上での借りの住まい、そうですよねぇ。本当に。責任を持って管理する。私たちは御子の霊を宿す宮であるってありますよね。あなたがたに委ねられたよいものを、聖霊によって守りなさいって。実は、この御言葉と箴言31に励まされ、beadsをもっともっと楽しもうと思ってるんです。神様が作る事の喜びを与えて下さった事に感謝をもって!!!
お花とか山並みとか、雲の模様とか、川の流れとか、神様はものすごい芸術家ですよね。色合いとか、その調和がものすごい!神様がお手本ですね。シカゴ行きたいなぁ。アメリカ行きたいなぁ。神様、今度はいつドアを開けられるのかな。楽しみ!

千絵子千絵子 2005/10/26 13:31 時々拝見させていただいています。
子供を育てていて、子供から学ぶ事、励ましを受ける事、イエス様の教えを聞く事がありますよね。
やはりはちこさんやぽぽる先生が日頃子供達に教えていらっしゃる事が反映されているのでしょう。

さやっこ。さやっこ。 2005/10/26 21:13 あぁ!はちこママ!
なんだか、私もはっとさせられました。ありがとう、ママ!

っていうか、実は最近やっとお片づけが終わりました。やれやれ。
忍耐を持って教えてくださる神さまに感謝です。
神さまが あきらめて、
「明香はもうだめだ、もういい。ばいばい」
って言わない方で本当によかったなーってまた思い出しました。

はちこはちこ 2005/10/26 21:44 yukaちゃん、爪のこと、工夫して悲しみを乗り越えたっていうのが素晴らしいと思った! 小さな事のようだけど、こういうことを繰り返していくうちに、私たちの品性は練られていくんだなぁと思いました。ビーズも、また写真見せてね!
千絵子さん、コメントありがとうございます。本当に、幼子を通しても神さまは語ってくださいますね。また千絵子さんのお話も聞かせてください!
さやっこちゃん、ついに片付け終わったのねー!!待ってたよ〜。(^^)V God never gives up on usて、感謝なことだよね!

kurikskuriks 2010/04/25 04:24 Facebookからここに飛んできました。この頃のはちこさんの日記は読んでなかったみたい…いつか時の流れに逆行して読んでみようかな。ケンスケくんの言葉に不覚にも涙が出ました。私達の日常の中に、神様の愛のメッセージって溢れているんですよね。。。

はちこはちこ 2010/04/26 17:08 おおっ、くりちゃん、コメントありがとう!
神様の言葉は、思いがけないところから聞こえてくるよね…
こうして私たちとパーソナルな関係を持ってくださる主に感謝です。

2005-10-24

 父兄参観の講義をする

| 06:08 |  父兄参観の講義をするを含むブックマーク

授業の父兄参観と言えば、日本では小学校かせいぜい中学校くらいまでだろう。ところがアメリカでは大学にも父兄参観日があるのだ。高い授業料を払っているのだから、子供がどんな講義を受けているのか親が自分の目で確かめたいという、いわば消費者のニーズに応える制度である。だいたい年度が始まってひと月くらい、新入生も生活のペースがつかめてきた頃合いを見計らって行われるのが普通だ。

シカゴ大学の場合は、「ファミリー・ウィークエンド」と称して、新入生とその家族を対象とした「モデル講義」が週末にいくつか企画される。今までそんなものには縁がなかったのだが、6月に流体実験室をオープンした関係で、今年は私にも白羽の矢が立ってしまった。お前の講義は毛色が変わってていいや、ということらしい。そんなわけで、土曜日に「回転する地球とその大気」と称して1時間のモデル講義をやってきました。講義といっても、パワーポイントのプレゼンを30分と、実験のデモが30分くらい。驚いたことに25人くらいの聴衆はほとんど全員ご父兄で、夫婦で参加している方たちも多かった。

話の中身を一部紹介しよう。北半球でキッチンの流しに水をためておいて栓をぬくと(あるいは洋式トイレで水を流すと)、地球の自転の影響で水は反時計回りに渦を巻きながら流れ出ていく、という話を聞いたことはないだろうか。これは、限りなく真っ赤に近い嘘である。地球の自転は水の流れに比べて非常に遅いので、水流の方向が自転の影響を受けることは全くないと言っていい。(でもうちの浴槽の栓を抜くと渦巻きができるよ、とそばではちこが抗議しているが、これは排水口の作りによるのであって、地球の自転の影響ではございませぬ。)それを示すのがこの実験である(QuickTime Movie ~ 4メガバイト)。

水槽に水を張り、底の栓を抜く。栓の周りに振りまいた茶殻は、底の方からゆっくり穴に吸い込まれ、やがて水位が下がると、一気に集中するように流出していく。流れのパターンは(近くに壁があるためやや非対称なのをのぞけば)単純な吸い込みで、とくに目立った渦巻きは見られない。(退屈な実験だ。)

しかし、水の流れと自転の時間スケールが接近すると、話は別である。次の実験では、水を張った水槽を毎分10回の割合で反時計回りに回転させておいて、水を抜く。(QuickTime Movie ~ 9.6メガバイト)。

カメラは水槽と一緒に回転しているので、水ははじめ静止して見えるが、水槽の外の床が時計回りに回転して見えるのが確認できるだろう。前の実験と同じように水を抜いているにもかかわらず、今度は排水口付近の茶殻があきらかに反時計回りの渦を巻くのが見てとれる。途中で水を抜くのをやめると、渦は排水口から切り離されて、勢力を弱めながら右下の方へ移動していく。

これはまさにハリケーンや台風が渦を巻くメカニズムと同一である。この夏アメリカ南部を襲ったハリケーン、カトリーナのこの雲画像(QuickTime Movie ~ 4.9メガバイト)を見ると、渦の巻き方が排水口の流れとよく似ていることが分かると思う。どちらの場合も、渦を作り出すのは流体の回転と、流体の上下の伸張である。実験では、水槽の回転と排水口からの吸い出しがその役目をはたし、ハリケーンの場合は地球の自転と積雲対流による上昇気流が同じ役目を果たしている。ハリケーンは上陸すると水蒸気の供給が絶たれて積雲対流が弱まり、渦も弱まる。これはちょうど実験で水を抜くのを止めるのに相当する。

簡単な実験で自然界の現象を大雑把に再現できるのが、地球流体の面白いところだ。

yukayuka 2005/10/24 21:50 学生の頃は、科学とかそういう授業が全く苦手で(ごめんなさい)おもしろさが分からなくて
「何でこの先生は、こんなに難しい事をスラスラ教えてるの?」としか思えなかった。教え方一つで、聞く側がとっても興味をもち、「どうして?」っていう疑問が生まれて、どんどん知りたいって思うようになるんですよね。ふんふんって読みながら楽しみました。ありがとうございます!

ぼぼるぼぼる 2005/10/25 08:22 yukaさん、コメントありがとうございます。物理系のサイエンスを教えるのが難しい理由のひとつは、量的に厳密なことを言おうとすると、抽象的(と学生には見えるらしい)な概念や方程式を導入せざるを得ないところです。それで「つまらない」という印象を与えてしまう。若いころは私も最初からガンガン方程式を書きまくってました。長年かかってやっと、目に見える実験で興味を持ってもらうという、すこしはましな教授法にたどりついたわけです。問題は、実験やデモでせっかく興味を持ってくれた学生を、次のより厳密なレベルへいかにステップアップさせるかということでしょうね。

andieandie 2005/10/25 11:13 はじめまして、ぼぼるパパ。
ビデオを見させていただきました。
感想は…『ウルトラQのオープニングだ!』
宇宙には回転運動が満ち満ちていますね。

ぼぼるぼぼる 2005/10/26 00:15 andieさん、こんにちは。そうそう、そうなんですよ。まさに、これですね↓
http://www.nakamurafamily.net/nnn/UQ.html

Y.UY.U 2005/10/30 16:50 中村昇様。
はじめまして。
上野と言います。

東京大学海洋研究所海洋気象研究室で、指導教官の木村龍治先生のもとで地球流体の
回転室内実験を大学院の修士課程博士課程で研究し、現在気象庁気象大学校で非常勤
の地球流体実験の非常勤助手をやっています。(いわゆるオーバードクター)。

僕は大学時代東大地文研気象部に所属して(1年間部長もやっていました。)、中村昇
さんがパゴーダ14別冊に書かれた”AN EXPERIMENTAL SIMULATION ON THE GENERAL
CIRCULATION”を読んで感動して、この方面に進みました。

中村昇さんは日本に帰省されることはないのでしょうか?
東大地文研気象部の現部員たちもこれまでの先輩達に習えとがんばって部活動にはげん
でいます。
日本に帰省されることがあればぜひ駒場キャンパスに遊びに来てください!
参考までに現在の東大地文研気象部のホームページのURLを載せます。
http://kishou.chimonken.com/

それでは!

ぼぼるぼぼる 2005/10/31 07:21 上野様、ようこそ。地文研気象部!パゴーダ!なんかどえらく懐かしいですねー。私が部長をしてたのはもう24年も前ですからね。九大の中島健介くんが同期の部員の一人でした。思えば私も木村先生の「流れの科学」に触発されてその道に入ったクチです。先生はお元気でしょうか。
http://nakamurafamily.net/nnn/idle_musing0902.html#17
私も当時の地物を卒業してからアメリカに来るまでの3ヶ月間だけ、海洋研に所属していました。しかし、なんだねえ。25年前の自分の文章が人の進路を決めるとは…(大汗)。そうとわかってりゃもう少しましなものを書いていたよ。それと、25年たってもあのころと同じことをやってる自分に何か懲りないものを感じます。帰省するときは基本的に仕事はしないことにしているので、いままで日本では1回も発表したことがありません。しかし、いつか母校で後輩たちのために教鞭をとってみたいという気持ちは常にあります。とりあえず同期の佐藤薫さんやアメリカでお世話になった中村尚さんに私の分までがんばってもらいましょう。

はちこはちこ 2005/10/31 20:24 上野さん、はじめまして! ようこそお越し下さいました。 中村の家内です。 私は主人と婚約して間もなくの頃、「流れの科学」を必読本(?)として読まされました。地球流体力学者の妻となるための訓練の第一歩でした。もっとも、この一歩で私の訓練は止まりましたが。(笑)「流れの科学」は私のような物理音痴にもとても楽しく読めたことを覚えています。以来、私はすっかり木村先生のファンになってしまったのでした。

Y.UY.U 2005/11/01 02:31 ぼぼる様。はちこ様。
上野です。

木村先生は、2年前に東大海洋研を定年退官されて、現在放送大学に勤めています。
普段は放送大学のある幕張に御自宅から通勤しているそうですが、木村先生に面会の
ある場合は海洋研で行なっていて、月に1度ほどの割合で海洋研に来所しているみた
いです。

現在の海洋気象の教授は新野宏先生(海洋気象に院生として在籍していたOBの方で
気象庁気象研究所物理気象研究室から移られた方。)で、研究室としてはメソ気象
を希望する学生が多いものの、研究室に”PIV”を導入して研究室に少なくとも一人
は室内実験を希望する学生がいるみたいです。現在室内実験を行なっている学生は
二重拡散対流が専門のポスドクのNくんと吸い込み渦(ぼぼるさんのこの日記に書いて
いるようなことをもう少しPIVを使って詳しく研究してみようとのことです。)を専門
にしているYくんの二人います。

去年の7月に木村先生の退官記念パーティーが東京であり、木村先生にゆかりのある
大勢の人が集まりました。(ぼぼるさんにもお知らせの手紙が郵送されたのでしょう
か?)他に木村先生は学会などで特別講演を行ない、僕は聴講する機会があるのです
が、木村先生の研究に対する洞察力の切れ味は未だに衰えておらず、僕は一生かかっ
ても木村先生にはかなわないと思いながらも(笑)日々がんばっています。

2005-10-20

 学生とローデスを家に招く

| 21:26 |  学生とローデスを家に招くを含むブックマーク

先週の土曜日は、今秋から私の門下に入った3人の大学院生と、スペインから戻ってきた社会学者のローデスを家に招いた。はちこが久しぶりにディナーで腕をふるい、おもてなし。私は仕事の関係者を自宅に呼ぶことは滅多にないのだが、学生だけは年に1、2回来てもらっている。(とはいえここ数年学生がいなかったから、ほんとに何年かぶりだ。)自分が大学院の留学生だったとき、勉強の合間に教授陣の家庭に招かれたのがとても息抜きになったので、自分の学生にそのいくらかでもお返しができればと思っている。

ヨーロッパやイスラエル、中国の文化社会事情、映画や音楽、食べ物、サイエンスと話題も豊富で、楽しい夕べでした。

 どうすることもできない自分 その2

| 20:57 |  どうすることもできない自分 その2を含むブックマーク

きょう私は、ケータイをトイレの中に落としてしまった。「うをっ!」腰からすべり落ちて完全に水没したケータイを急いですくいあげたところまでは良かったが、次にやったことが自分でも信じられない。反射的にケータイを水道で水洗いしてしまったのだ。ケータイはきれいになったが、もはや開いてもうんともすんとも言わなくなってしまった。いざという時に自分の行動をどうすることもできないことを思い知らされた一件であった。

ちなみに、昨日(10/19)のNew Life Live!を聞いていたら、冒頭でホストのスティーブ・アータバーンが「初めてトイレに携帯を落としたとき、さぁどうする、拾うべきか、そのまま諦めるべきか、と悩んだんですよねー」というコメントをしていて、何なんだ、このシンクロニシティは!と大爆笑であった。

はちこ妹へ

21:34 | はちこ妹へを含むブックマーク

一日遅れになったけど、お誕生日おめでとう!

れいこれいこ 2005/10/21 17:15 先月はホンとにありがとうございました。
そう、私も携帯水洗いしましたよ。あの時はちょっと酔っていて、タクシーの中だったので自分のバッグにゲロしてしまいましたので。二度と繰り返したくないですね。ポッケットに入れているとトイレに落ちやすいでしょうね。

はちこはちこ 2005/10/21 20:19 れいこさん、アラスカはいかがでしたか? 先月は、シカゴでお目にかかれて本当に嬉しかったです。JCFNの集会にも強引に連れていってしまいましたが、れいこさんにも楽しんでいただけて嬉しかったです。 日本についたらまたご連絡くださいね。
携帯は、水洗いしちゃうとやっぱりダメですよねー。(笑)

2005-10-19

「どうすることもできない自分」

| 21:51 | 「どうすることもできない自分」を含むブックマーク

 いつもお世話になっている上沼昌雄先生(JCFN理事長、「聖書と神学のミニストリー」主幹)がメールで配信されている「神学モノローグ」の最新号が今日届いた。先日もぼぼるパパが触れた、心の中の闇の部分に光を当てる、というテーマと共鳴していて驚いた。早速上沼先生に許可をいただいたので、以下にそのまま転載させていただきます。

                 ****

 ベストセラー『愛と心理療法』『平気でうそをつく人たち』の精神科医スコット・ペックが9月25日に亡くなった。69歳であった。彼のことを「神学モノローグ」(2月8日、3月7日、3月21日付)で書いていることを知っている次女の泉が、勤務しているワシントンポスト紙の死亡記事を送ってくれてた。癌でなくなったこと、霊的な成長のための手引き書にまでなった本を書いていながら現実には彼自身がそれに従うことが難しかったこと、亡くなる一年前に離婚をし再婚をしていたことが書かれてあった。

 彼自身のことを知る手がかりとしてIn Search of Stones (1995)が紹介してあった。絶版になっていたが古本屋から手に入れることができた。イギリスの古代の巨石を訪ねる旅日記であるが、どうしてそのような旅をしなければならないのかという問いから始まる魂のジャーニーでもある。精神科医として治療に専念すればするほど、闇の世界、神秘の世界に引き込まれるというの告白の書である。患者に関して、自分に関して、自分の結婚に関してまさにミステリーの闇により包まれていることの証である。自叙伝あり、自叙伝もないと断っている。

 夫婦で旅を続けながら、自分の性的な弱さ、奥様のうつ病、自分の不安神経症、子どもたちとの断絶、父親のこと、印税で入る巨額のお金のこと、まだ全部読み終わっていないが、精神科医としての自分の世界をそのまま書いている。患者のことではなくて、自分のことを書いている。患者を助けることができても、どうすることもできない自分のことである。自分が自分にとって一番やっかいな存在である。

 自分のことをそのまま書いたら、どのように評価のかは分からない。死亡記事は外面的なことを追って書いているだけである。スコット・ペックはそのような危険を承知していても、なおあえて自分のことを書かなければならない必然性を感じていた。悪や邪悪は、自分の影の世界を見ることを拒むことから始まると言う。人に隠し、自分に隠し、結局神に隠してしまうことから始まると理解している。

 自分の闇の世界、影の世界を見つめていったら、心はより暗くなる。そのような状態に何ヶ月も陥ってしまったと言う。それをあえて認め、受け止めることで這い出すことができた。霊的な成長は、この闇の世界に光りを当てることである。それはつらいことであるが、避けることができない。

 パウロは、自分のうちに住みつく罪に気づいていく手がかりとして、十戒の「むさぼってはならない。」をあげている。パウロにとってそれが現実にどのようなことであったのかは知ることはできない。今流にはアディクション(依存症)とも言える。何かにしがみつくことで心理的な安心感を保つ手段である。性であり、物であり、お金であり、趣味であり、妄想である。自分のなかでどうすることもできない自分を認めることでパウロは、アダムからの罪を知ることになる。そして、キリストの恵みをより深く知ることになる。

 私はスコット・ペックと同じように自分のことを書くことはできない。勇気がないのと、書き出したら自分がどこに行くのか分からないからである。しかし、パウロと同じように自分の罪を知らされる手がかりは気づかされる。そこに光が当てられることで自由にされることが分かる。それゆえにキリストによりしがみついている以外にない。

 それにしても亡くなる一年前に離婚、再婚をすることになったスコット・ペックの複雑さに震えている。

上沼昌雄記

トントン 2005/10/20 00:28 スコットペック医師の半分もまだ生きていないこの小娘にこの記事の全てを理解する事はきっと不可能だと思う...。だけど何かとても感じます...。「自分が自分にとって一番やっかいな存在である。」「悪や邪悪は、自分の影の世界を見ることを拒むことから始まると言う。人に隠し、自分に隠し、結局神に隠してしまうことから始まると理解している。

 自分の闇の世界、影の世界を見つめていったら、心はより暗くなる。そのような状態に何ヶ月も陥ってしまったと言う。それをあえて認め、受け止めることで這い出すことができた。霊的な成長は、この闇の世界に光りを当てることである。それはつらいことであるが、避けることができない。」言葉が見当たらなくて今自分のココロが感じている事を表現する事はできませんが(悲しいなぁ...)なんかわかる(って簡単に言えることじゃないと思うけれど)そんな気持ち。

「そのような状態に何ヶ月も陥ってしまったと言う。それをあえて認め、受け止めることで這い出すことができた。」

今、あたしはそうやって受け止める手段、這い出す手段を捜し求めているのかなぁ...。

「それゆえにキリストによりしがみついている以外にない。」

今わかっているのはこれだけ...。キリストにしがみつく以外の道を探している自分がいるんだろうな... そういう気がする...。

「それゆえにキリストによりしがみついている以外にない。」

これがあるべきあたしの姿なんだろうな。ぅぅ...。 難しいな やっぱり。

何を言いたいのか・書いてるのかわからなくなってきました...。

湖南湖南 2005/10/20 07:12 初めまして

『平気でうそをつく人たち』の精神科医スコット・ペックがなくなったのですか。
きっとそこそこの境地で焦点されたのではないでしょうか。前向きに生きた人であれば・・・・。

http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/

MikaMika 2005/10/20 07:49 上沼昌雄先生の「心の闇の部分に光を当てる」というお話。有り難うございます。神さまにすがって生きること。自分の心の闇に光を当てて、優しく、心の傷を癒していただく御恵みがあること。「よかった。クリスチャンでいられて。」と改めて思いました。

はちこはちこ 2005/10/20 21:14 皆さん、コメントありがとう。上沼先生が書かれるものは、淡々とした文章ながらもいつも心の奥底まで染み込んできます。先生のHPに行くと過去に配信されたものもアーカイブ化されていますので、興味のある方は是非ご覧ください。http://www.JBTM.org

スコット・ペックの『The Road Less Traveled (愛と心理療法)』は80年代にアメリカでベストセラーになり、私も留学2年目の時、同じバイブルスタディの仲間にプレゼントされて読みました。当時の私にはろくに理解できませんでしたが…

私も、この記事を読んでいろいろ考えさせられました。上沼先生に転載許可をいただくメールをした時、先生は、ヘンリ・ナウエンもまた、人生最後まで悩んでいたそうだとお話くださいました。ナウエンのような人でもそうなのかぁとしみじみしました。そして、ローマ書7章のパウロが「むさぼってはならない」と引用している箇所をもう一度読み、これは神学的な問題というより、パウロが実生活の中で体験していた葛藤だったのだなぁと改めて思いました。「心の闇の部分に光を当てる」というのは、本当に辛く恐ろしい作業だと思います。そしていくら辛くても、他の人に代わってやってもらうことはできません。自分の問題、自分の責任として自らやらないといけません。しかし、このプロセスは必ずしも孤独なものである必要はないのだと思います。ヤコブは、「互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです(5:16)」と言いました。私はここに希望を見出します。聖なる「互いに〜しなさい」の命令がここにあるのです。私一人では弱いです。本当に、自分一人の力ではどうすることもできない自分を嫌という程思い知らされます。でも、確かに自分の問題でありながら、神様はそれを一人っきりで対処しなさいとはおっしゃっていないのですね。自分の内側に自制が足りないのであれば、外側(他者)からの助けに手を伸ばしなさい、とクラウド&タウンゼント博士も言っていた通りです。そして何より、たとえ私が力尽き、キリストにしがみつききれなくなったとしても、神ご自身が私の手をしっかりつかまえてくださっているのですから。

私の心が苦しみ、
私の内なる思いが突き刺されたとき、
私は、愚かで、わきまえもなく、
あなたの前で獣のようでした。
しかし私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
あなたは、私をさとして導き、
後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。(詩篇73:21−24)

それから、ミカ書7:8、9も。

2005-10-17

 Go Sox!

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ホワイトソックス、ワールドシリーズ進出おめでとう!46年ぶりの快挙とかで、優勝決定シリーズの地元チケットは4000ドルくらいまで値がつり上がっていたというから尋常ではない。これでワールドシリーズで優勝したりしようものなら、何がおこるのか見当もつかない。みんなでシカゴ・リバーに飛び込むのだろうか。

 句点と読点

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6月にパスター・ウィルソン急逝の報を耳にしたとき、納得がいかなくて神様と格闘した。パスター・ウィルソンには私たちがシカゴに来てから2年間お世話になっただけだったが、彼からは多くを学び、彼も私たちのことを気にかけてくださっていた。彼が私たちの教会を去ったあとも、主にある兄弟としてお互いに尊敬していたし、まだまだこれから主のために何か一緒にできるのではないかと期待していた。実際、彼が亡くなった二日後の日曜日には、はちこと二人で初めて彼の教会に訪れ、賛美と証を会衆とわかちあうことになっていたのだ。それを待たずに、主は彼を召された。私たちの友情は、予期せぬ形で途切れた。私のような者でさえそう感じたのだから、パスターの長年の親友や、彼が牧会していた教会の信者たちの気持ちやいかばかり、である。「神様、なぜパスター・ウィルソンを今召されたのですか」

しかし、その週、大学のキャンパスを歩いていると、ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライストの外壁に大きな垂れ幕がかかっているのが眼にとまった。そこにはこう書かれていた。「Never place a period where God has placed a comma. God is still speaking,」(神が点を打っただけの文を、決して丸でくくろうとするな。神はまだ話し終わっていない、)パスター・ウィルソンの死がもたらした喪失感、彼の癒しのための祈りが答えられなかった失望感は大きかった。彼の人生、彼と私たちの関係に関する限り、「これで終わりだ」という気持ちが強かった。しかし、ふと、神様の目には、これはパスター・ウィルソンに関する文節の中の読点にすぎず、話はまだ完結していないのかもしれない、と思った。少なくとも、パスター・ウィルソンに教わったことは私たちの中で生き続けるはずだ。「神様、続きをお話しください」そう祈ると、すこし気持ちが前向きになった。

そして、10月。あの時神から語られたことは間違いないと思う。私たちがパスター・ウィルソンから学んだのは、教会が私たちにとって祝福であるだけでなく、私たちの存在が教会にとっても祝福となるように、つまり、キリストの体の一部として、双方向の関係を結びなさいということだった。パスター・ウィルソンが亡くなって、あらためてそのことを強く思わされている。あれからもいろいろあったが、そのつど、個人的な交わりを通して、奉仕を通して、私たちが教会の有機的な一部であることを神は繰り返し私たちに示された。それは神の真理であると同時に、私たちにとってはパスター・ウィルソンのレガシーであり、彼を通していまだに神が私たちに語ってくださっているのである。

私たちの視野は狭く、先のことまで見渡せない。現状だけを見て「もうだめだ、おしまいだ」と思ってしまう。しかし、きのう、きょう、永遠に変わらぬ神様は、話の続きを語ろうと待っておられるのであろう。安易に神に背を向けてしまわないようにしたいと思う。

Never place a period where God has placed a comma. God is still speaking,

みぞっぺみぞっぺ 2005/10/17 06:45 ぼぼるさん、お分かち有難うございます。ジーンと来ました。
私達家族も試練がやって来たとき、何故?と繰り返し心の中で叫んでました。
今にして思えば、すべてが一度に知らされなくて良かったのです。何が起こるのか逐一知らされていたら、たまったものではありません。そのつど、私の器に入るだけの丁度の分量を教えてくださったのだと確信しています。友人の宣教師がエレミヤ29:11を読んでくれた時、最初は理解できませんでした。しかし今、この御言葉が私にとってどんなに価値のあることでしょう!マイナスをプラスに変えて下さる主に信頼しています。

erinaerina 2005/10/17 07:08 コメントをしたいと思ったのですが、何を書いていいかわからない感じです。。。
でも、垂れ幕の一言に心を打たれました。

EphEph 2005/10/17 08:51 ”Never place a period where God has placed a comma.
God is still speaking,”
これを読んで、V・レイモンド・エドマンが『人生の訓練』で”ささいなことに
おける訓練”という章で、私達の人生を神様が書かれた文にたとえていること
を思い起こしました。最後の結びを引用すると、
ーーーコンマ、セミコロンまたはコロン、カッコ、修飾語、独立節や従属節、その細かな一つ一つが、必ず何かの目的のために置かれている。(中略)しかしながら、もし私たちの生涯が、神ご自身の書かれた文であり、私たちにとって「生きることはキリスト」であるなら、どのようなささいなことも、楽しみとなりうる。
いのちの主なる方は、私たちの人生の教師であり、人生の意義を明らかにしてくださる方であられる。(新版、海老沢良雄氏訳)

私達は時間的な点以外にも見渡せないことが多く、現状を見て目先のことを
見て落ち込んだりor高ぶったり・・・
#私の場合、家族のことで試練がここ1年ばかり続いているのだけど、
もしこのことがすぐに解決していたら、かえって傲慢になって神様の前に
子供じみたまま(≠イエス様の言われた『幼児のような心』)で
あり続けたことでしょう。

しかし、どんな時にも、どんなことでも神様のもとにあるんだということを心のどこかで覚えているゆとりが欲しいです。
『あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。』
(詩篇4:1)
本当に、ぼぼるさん、お分かちありがとうございました。
僭越ながら、主にあって今回のことを通して学ばれたことが、今後の信仰生活の中で深まって良いものを生み出して行くことが出来ますように、
心からお祈り申し上げます。

yukayuka 2005/10/17 22:36 主を賛美致します。
sharingありがとうございました。
そうですね、私たちっていつの間にか、視野が狭くなってしまってたりします。
それをぐぐっと後ろに下がって見る時に、神様と一緒に並んで
その状況を見つめる事、もっともっともーーっと大きな意味があるんだって言う
事が心に響いてくるんですよね。

たいちゃんたいちゃん 2005/10/18 15:47 ぼぼるさん、はじめまして。
永遠からの視点をもつ神さまと、今しか見えない自分自身はなんて違う存在なんだろうと感じています。決して良くは見えない現状でも、信じ続け、耳を傾け続ける大切さ、ようやく少し分かってきました。
Love is patient. 愛することの難しさにぶち当たるたび、自分の至らなさを感じ、愛し続けるなんてすごい神様だなぁと、尊敬。
分かりにくい文でごめんなさい・・・。

ぼぼるぼぼる 2005/10/19 08:20 皆さん、コメントありがとうございます。自分で結論を急いで神の祝福を受け損なってしまったり、神様が「もうおしまいにしなさい」と言われているのに必死にしがみついてしまったり、むずかしいですね。そんなよろよろした歩みでもなお生かされている事実に、神のあわれみと忍耐を感じずにはおれません。

2005-10-16

Equipper Conference (EC) 2005

| 14:14 | Equipper Conference (EC) 2005を含むブックマーク

今年のECは12月27日から1月1日まで、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外で開催されます。

このカンファレンスの対象は、次のような方々です。

  1. 日本帰国を予定としている日本人クリスチャン。
  2. 帰国していく友達と共に主に仕える北米在住の日本人クリスチャン。
  3. そんな日本人に仕えている日本人でないクリスチャン (イングリッシュ・スピーカー)。 
  4. 帰国者クリスチャンたちを受け入れ、助けたい日本在住のクリスチャン。 
  5. そのほか日本人宣教に興味のあるみなさん。

詳細はこちらをご覧ください。

2005-10-15

メモ (神様の専門)

08:33 |  メモ (神様の専門)を含むブックマーク

昨日、友人が私に言ってくれたこと。

God specializes in turning defeat into victory.

(神の専門は敗北を勝利に変えることである。)

『アダムの沈黙』

07:41 | 『アダムの沈黙』を含むブックマーク

JCFNの下部祐子主事のミクシィの日記より。とても感じ入るものがあったので、許可をいただき、ここに丸ごと転載させていただきます。

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エバがサタンに誘惑され、禁断の実を食べたとき、どうしてそばにいたアダムは、沈黙していたのか。

この本は、アダムの「沈黙」というテーマから、男性が神様から与えられた使命とその使命をまっとうしなかったときに起こってしまった世界の悲劇について、そして、そこからの回復について、述べられた本である。

この本によると、神は男性に、自らのご性質を与えられた。それは、「混沌とした暗闇」にことばを発し、秩序を与える、ということである。まさに、「光よ、あれ。」と言って、無からを有を生み出す、神の性質である。

男のはじめの仕事は、動物に名前をつけることだった。

しかし男は、自分が手に負えない状況に陥ったとき、そして、ルールも指導も何もないところに自分が立たされたとき、不確かな暗闇の中で一歩を踏み出すことをやめ、代わりに「沈黙」してしまった。そして、「沈黙」の結果として、怒りや性欲へとそのはけ口を求めるようになった。


「沈黙」する男は二つの大きなタイプに分けることができるらしい。

一つ目のタイプは、「タフな男」である。自分自身ですべてを抱え、家族や友人にも自分の弱さや悩みを決して見せない。コントロールできる仕事や物に没頭し、成果を発揮するが、自分のコントロールできない人との関係においては沈黙してしまう。妻に、「この人は私なんか必要じゃないのね。」と言わせるタイプ。

二つ目のタイプは、「自分の満足のために、他人を使う男」である。自分の弱さをシェアするが、いつでも自分中心である。自分が弱い時に愛情を確認した、という経験から、いつも相手から何かをしてもらうことを求める。自分も尽くすが、「どうしてこんなにしてあげているのに、愛してくれないんだ。」と責める。そして、肝心な時に「沈黙」し、逃げる。妻に、「私にはこの人を満足させることはできない。」と思わせるタイプ。


男は誰でも、この両極をもった線上のどこかに位置する、とこの本には書いてある。そして、この線上で完璧なバランスを保ち、人の弱さに対してとことん繊細でありながら、大きなビジョンのために進むことのできる勇気を持った人、それが第2のアダム「イエス・キリスト」である、と。

XXXXXXXXXXXXXXXXXXXX

この本を読んで、何が良かった、というと、希望があったことがとてもよかった。

「男はみんなウルトラマン」とか、「話を聞かない男」とかの本を読むたびに、正直、あきらめモードというか、男はこうなんだから、仕方がないでしょう、みたいな空気があって、内心ため息をつかざるを得なかった。

でも、この本は、男の持つ弱さや「沈黙」に逃げ込む卑怯さを自覚しつつも、それを直視する勇気と、そこから一歩を踏み出す男となっていく、勇気と決断を伺うことができる。著者たちの正直な証と共に、神様に従う姿にとても励まされ、そして、「沈黙」に打ち勝って戦う男性たちを心から応援したい、助けていきたい、と思わせてくれた。

男性諸君、ぜひこの本を読んでほしい。そして、神様が与えてくださった使命を果たすために、勇気をもって、「沈黙」を打ち破り、立ち上がってほしい。

そして、女性も。ぜひこの本を読んで励まされてほしい。男性の葛藤を知り、そして、「沈黙」を破るために一歩を踏み出したい、と願う男性を助けていってほしい。

ちなみに、この本を薦めてくれたのは、本を訳した山中知義氏自身である。彼は、横浜オンヌリ教会の牧師、JCFNのメンバーで、記念すべき第一回目ec、EC97からの仲間である。

訳者あとがきの中で彼自身が通った過去の過ちと回復について短く証をしている。丁度99年、大阪JCFNを彼と一緒に立ち上げたときは、まさにこのプロセスの真っ最中だったことを思い出した。彼が、この本を通して、大きな励ましを受け、もう一度上がり、神の働き人として立ち上がっている姿を今見ることができて、本当にうれしく思う。

ECやLAでも、ぜひ野郎会でこの本、読んでください。

「アダムの沈黙」ラリー・クラブ著、山中知義訳(いのちのことば社2005)

"The Silence of Adam~Becoming Men of Courage in a World of Chaos" Larry Clabb (Zondervan 1998)


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ちなみに、ぼぼるパパも、原書が出版されたばかりの頃にこの本を買って読んでいました。そのせいかわかりませんが、私がヘマをやってパニックして収拾がつかなくなっているような時には、いつも力強く介入して、私の心と生活に秩序を取り戻してくれます。

かずくんかずくん 2005/10/15 16:43 私も今、感じ入りました。う〜ん。このブログからもぼぼるさんのはちこさんへの愛・やさしさや強さを感じていました。

MikaMika 2005/10/16 02:10 「男性とは何か。女性とは何か。夫婦とは何か。独身とは何か。」考えます。
「アダムの沈黙」を読んでみます。

はちこはちこ 2005/10/16 14:00 かず先生、嬉しいコメントありがとうございます。*^_^*
Mikaさん、そうですね、女性にとってもきっと示唆深い本だと思います。私も読みたいと思いました。うちには原書があるのですが、山中先生訳で読みたいな。

2005-10-13

映画「Proof」を観る

| 23:41 |  映画「Proof」を観るを含むブックマーク

今日ははちこと二人で最近封切りになった「Proof」という映画を観てきた。この映画は舞台がシカゴ、それもシカゴ大学で、2年前にキャンパスで大々的にロケーションをやっていたのが、やっと作品となったのである。アンソニー・ホプキンス扮する、精神病をわずらったシカゴ大学の数学科教授の次女キャサリン(グウィネス・パルトロー)を中心に話が展開していく。死んだ父親が残した世紀の証明をめぐって、それが本当に父の手によるものかどうか、父のかつての大学院生もからんで、真相が解き明かされていく。ストーリーラインはシンプルで役者の数も少ないが、心理描写は重厚で(とくに、グウィネス・パルトロー)「ビューティフルマインド」とは全然違った意味で印象に残る映画だった。

原作者がシカゴ大学の卒業生なので、シカゴ大学とシカゴ市の風景がふんだんに出てくる。自分の日常世界と映画の世界がここまで一致するという経験は過去になく、なんか不思議な気分だった。あ、あれはロックフェラー・チャペル、あそこはミッドウェイ、これはエッカート・ホール、といちいち職場の各スポットが特定できてしまう。ノースウェスタン大学の数学科も登場していた。

ネタバレになってしまうが、ちょっと興味のあった一場面を紹介。キャサリンが父にノースウェスタン大学の数学科に行くことに決めたと伝えると、父は「なぜシカゴ大学じゃだめなんだ」と問いただす。それに対してキャサリンは「だって、シカゴ大学にはお父さんがいるじゃない。お父さんの講義を聴くなんて、なんだか変よ」と答える。これはうちのエミと私の間で最近交わされた会話と正反対だったのだ。

エミ 「あたし、シカゴ大学に行ってお父さんの気象学の講義とろうかな。面白そうじゃん」

ぼ 「ええー、それはかんべんしてほしいなー」

いや、正直、学科を問わずシカゴ大とノースウェスタン大だったら(少なくとも自分の娘には)ノースウェスタンにしとけ、と言うんじゃないかと思う。自分が教えているキャンパスで娘が学んでいるというのは妙な気分だ。

閑話休題:この映画の邦題は「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」となっているようだが、一応、数学の証明がテーマになっているので、野暮な修飾語を並べずシンプルに「プルーフ」と訳してほしかった。もっとも劇中、肝心の数学の証明の描写は充分とはいえず、それだけがやや物足りなかった。

erinaerina 2005/10/14 05:29 自分が住んでいる場所の一部が切り取られ映画やテレビに現れると本当に妙な気分でしょうね。その映画を見るのが楽しみです。

ぼぼるぼぼる 2005/10/14 23:00 そうなんですよね。しかし、小さくてよく覚えていなかったのですが、下のリンクに行くと、子供のころ結構家の近所に怪獣が出ていたことがわかり、新鮮な驚きがあります。
http://www12.plala.or.jp/ultraloc/

KazukoKazuko 2005/10/15 17:54 ぼぼる先生に質問です。

<自分が教えているキャンパスで娘が学んでいるというのは妙な気分だ。

どうして、娘が自分の授業に出ると妙な気分になるんだとおもいますか?

照れくさいのかしら?

もしけん君が”パパがいるからシカゴ大学に行って学びたい”といっても妙な気持ちになると思いますか?

一度、U of Wで”Women of Science”というセミナーに出たとき、”お父さんが科学者、エンジニアなどの理科系の仕事をしている人立ってください”と教授がいうと、95%くらいの女性が起立しました。あの時ほど、父親の娘に与える影響の大きさを感じたことはありませんでした。

ぼぼるぼぼる 2005/10/15 23:37 かずこさん、ご質問ありがとうございます。うちの娘だと、家に帰ってから「お父さん、きょうの講義は英語が変だった」とか言われそうなので。あるいは、授業中英語を間違えたときにくすくす笑われて気が散るかもしれません。私自身は、娘も息子も親の職業にとらわれず、自由に将来を選んでほしいと思っています。実際、上の娘は今のままだと音楽の方向に進むかもしれませんし、二番目のは物書きになりそうな勢いです。一方はちこは父親が学者なので、自分でも学者になりたい、あるいは学者の奥さんになりたいと思っていたそうです。二番目の願いがかなってよかったです。

2005-10-12

ダニー・ファントム

| 06:22 |  ダニー・ファントムを含むブックマーク

 今朝、家のメールボックスを開けて大きな封筒を発見した私は、差し出し人の名前を見ておもわずにっこりした。「バーガーキング」。みんが喜ぶぞー!

 みんはテレビアニメのダニー・ファントムの大ファン。(ちなみに、中村家では春からテレビをつないでいなかったが、最近またつなげた。)しばらく前に、バーガーキングのキッズミールにダニー・ファントムのおもちゃがオマケで付いてくるキャンペーンをやっていて、本来ならキッズミールはとうに卒業しているみんだったが、そのオマケが欲しくて、教会の後にバーガーキングでランチを買ってとおねだりした。でかけたバーガーキングのドライブスルーのメニューには確かにダニー・ファントムの絵が描いてあった。ところが、注文して受け取ったキッズミールに入っていたオマケはダニー・ファントムではなく、スポンジ・ボブだったのだ。すぐさまみんが抗議したので店員に問いただすと、すまなさそうに、火曜日にならないとダニー・ファントムのおもちゃは入らないという。なんだ、看板にいつわりありじゃないかと大いに腹が立ったが、ないものねだりをしても仕方ないので、ここはなんとかみんをなだめた。ケンスケも「今度ダニーのおもちゃがついてきたら僕の分もあげるからね」と、落ち込んでいるみんをなぐさめていた。姉貴思いのケンの優しさにちょっと心打たれた。

 次の日曜日も、教会のあと私たちはバーガーキングのドライブスルーに行った。火曜日をすぎたので、当然ダニー・ファントムのオマケが付いてくると思ってキッズミールを注文し、中を確認もせずに車を発進させたが、やがて後ろでみんが悲鳴をあげた。「ダニー・ファントムじゃない! ドーラ・ザ・エクスプローラーだよ。幼稚園児じゃないんだから、ドーラのおもちゃなんか、欲しくないよう!」この時は私も疲れていたこともあって、「もういいじゃん、ダニー・ファントムだってドーラだって…」と言ってしまったのだが、みんは当然納得が行かない。声をあげて泣き出した。

 その次の日曜日、三度目の正直を期待して三たびバーガーキングに出向く。今度は注文を取る前に、ダニー・ファントムのおもちゃはありますね、と念を押したのだが、なんと「もうありません」とつれない返事。みんは下を向いたまま。「いったい、ほんとうにお宅はダニー・ファントムのおもちゃを仕入れたことがあるのかっ?」こっちの詰問口調にも、のらりくらりと要領を得ない返事。これには親の方が完全に頭に来た。たかがオマケという問題ではない。子供に期待を抱かせておいて、こういう形で裏切るのは犯罪行為である。

 あんまり悲しそうに泣かれると、親の方も辛い。家に帰ると、はちこは泣いているみんに、「バーガーキングの社長に手紙を書いて抗議してみたらどう?」と提案した。みんはただちにバーガーキングのサイトを検索し、顧客係の住所を見つけ出した。電子メールは受け付けないとのことだったので、普通の手紙を書くことにした。文章を書くのは得意なみん、テレビでも大々的に宣伝しているおもちゃがついてこなくて、いかに自分が失望したかを社長あてに切々と訴えた。バーガーキングのサイトでも「全ての顧客の満足を保証します!」と謳っているのに11歳のカスタマーをこんなにがっかりさせるとはどういうことなのか、そんな会社の食べ物は2度と食べたくない、誠意をもってダニー・ファントムのおもちゃを送ってほしいという、なかなか雄弁な内容だった。みんは抗議の手紙を書いたことで、感情が発散され随分落ち着いたようで、その後はこの件でもう泣いたりゴネることはなかった。その手紙を送り出して約2週間、忘れたころに、バーガーキングから返事が来たというわけである。

 学校から帰ってきたみんが、顧客対応係のていねいな手紙と、8種類すべてのダニー・ファントムのおもちゃをいっぺんに手にして、すっかりご満悦だったのは言うまでもない。これで我が家でのバーガーキング株は少しもちなおした。どんな会社でも失敗はする。一流の会社と二流の会社を分けるのは、起こしてしまった失敗にどう対処するかである。

みぞっぺみぞっぺ 2005/10/12 07:27 ダニー・ファントムとは余程魅力的なキャラクターなんでしょうね。(日本でも見られるのでしょうか?)昔我が家でも同じような行動に出て、リーベンデールのアイス(今はもう無いと思いますが)の商品券を頂いた事があります。やってみるものですね。
スポンジボブなら娘達もお気に入りです。Tシャツや文房具にプリントされてて、面白いですね。最初チーズかと思いました。

tonton 2005/10/12 13:34 ふふふ... 素晴らしい! なんだかとてもココロが和んでしまいました。みんちゃんも”11歳のカスタマーの期待を裏切るなんて!...”なんてホントまるで大人のような雄弁さですね...。さすが! それにバーガーキングもさすが”一流”なのでしょうか...。みんちゃんもさぞさぞ大喜びでしょうね。その忍耐強さ!あたしも見習わなきゃ!ココロ和みました〜。

setsusetsu 2005/10/12 15:32 すごい。すばらしい。
みんも中村の一族なのだなぁ・・・。(しみじみ)
お姉ちゃん思いのけんちゃんにも一票。

ぼぼるぼぼる 2005/10/13 00:13 みぞっぺさん、それが、半分人間で半分幽霊という、なんか奇ッ怪なキャラクターなんですよ。全体の作風も子供むけのアニメにしてはなんとなくダークな感じで、何でこんなのが好きなの?と思ってしまいます。日本ではおそらくまだじゃないかと思いますけど。tonちゃん、まあ、ハッピーエンドだから良かったですけどね。ハンバーガーのオマケでここまで熱くなれるか、というのが正直な感想です。せっちゃん、みんは中村の一族でもとくに熱いほうですね。いっぽう、ケンスケは自分が言ったこともコロっと忘れて、みんがもらったおもちゃをシェアしてくれないと言って泣いて怒っています。お姉ちゃん思いと言っても、所詮は4歳のチビよ。ははは。

2005-10-08

 宗教と科学

| 21:36 |  宗教と科学を含むブックマーク

今学期は毎週月曜日夜7時から10時まで、大学の近くにあるルーテル神学校の「宗教と科学」に関するプログラムで、「創造の叙事詩(Epic of Creation)」という講座を聴講している。この講座は、自然と聖書が世界の始まりについてどう語っているかについて、現役の科学者と神学者を講師陣に迎えて、双方の知見を交換するのが目的である。メインストリームの研究者による、掛け値なしの最新情報を聞くことができるまたとない機会である。講師は無神論者、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教など宗教的背景もさまざま。たとえば宇宙論ではシカゴ大学の宇宙物理学の教授が最新の銀河地図のデータも交えながら、ビッグバンから相対性理論、暗黒物質、暗黒エネルギーまでを簡潔にまとめて行く。一方ノースウェスタン大の生理学の教授がジャンクDNAが分子レベルでの進化に果たす役割について解説したかと思えば、ロヨラ大学の人類学部の学部長がアウストラロピテクス・アファレンシス(愛知万博のエチオピア館にも展示されていたいわゆる「ルーシー」の仲間)の化石を何体も持ち込んでみんなでそれを手に取りながら、人類の解剖学的進化について話を聞く、といった具合(講演の題目は、ここ)。10月の中旬からはいよいよ神学の方面でのディスカッションが始まる。私にとってはこっちの方がより興味深い。

 このプログラムのよいところは、違う立場の考えにとにかく耳を傾けようするところである。学術的なスタイルもさることながら、無理に神学と科学を整合させようとするのではなく、とりあえず双方の言い分を聞くところから始めようという、開かれたアプローチがとても心地よい。教会や大学では、「クリスチャンの立場はこうあるべし」「科学者の立場はこうあるべし」みたいな暗黙の前提があるようで、両者をクロスオーバーして議論するような余地はほとんど与えられないのが窮屈に思えることが多い。このプログラムのように、ドグマから解放され思ったことを自由に言える環境というのは、私にとって一服の清涼剤のようだ。

 はちこは、こういうところに行くと私が神学的にリベラルになってしまうのではないかと心配しているようだが、必ずしもその心配はないと思う。リベラルなのは「アプローチの方法」であって、何を信じるかは一人一人の自由な選び取りに任せられているのだから。

すっかり秋

21:05 | すっかり秋を含むブックマーク

 相変わらず忙しい。今日は午後からぼぼるパパと二人で庭仕事をした。前庭においてあるベンチの横に、秋らしく菊など植えてみたのだけど、なんというか… うーん、お墓みたいになってしまった。近所の人はペットでも死んだのかなと思うかもしれない… (^_^;; もうすぐハロウィンだし、まぁいいか?

 ここ数日シカゴは随分寒く、摂氏10度前後の日が続いている。本格的に冷え込む前にもう少し盛り返してくれると思うけど。

 木曜日の朝、うちの近所で交通事故があった。朝から救急車やパトカーのサイレンが鳴り響いていて、何事かとラジオをつけて、それがスクールバスと乗用車の追突事故だと知った。そこでエミが帰宅してから、「今朝、高校のスクールバス、何か事故があったとか聞いた?」と尋ねると、エミは興奮した口調で、「そうなの! 私が普段乗ってるバスで、ブリアナやジョシュが乗ってたんだよ!」 いつもなら、木曜日は朝練がないのでエミはスクールバスで学校に行くのだが、この日に限って特別な朝練があり、車で登校していた。もしいつものようにバスに乗っていたなら、多分エミが乗り込んだ直後の事故だっただろう。バスに突っ込んだ乗用車の運転手は鼻を骨折したそうだが、幸い生徒は全員無事だったらしい。エミが完全に守られたこと、そして乗車していた生徒たちも守られたことを心から主に感謝した。

 今、いろいろと生活の再編成をしている。捨てるものは捨て、守るものは守り、より求めるべきものはさらに求め… 全ては神様の憐れみと恵みと導きの中で。

のりこのりこ 2005/10/10 02:37 日本とシカゴ。偶然ですが、私も捨てるものは捨て、守るべきものは守る生活を
スタートさせました。大量に捨てたと思ったのですが、家の中は、まだまだ、不用品が・・戦後もののない時代に育つた人間のサガかも。

erinaerina 2005/10/10 04:59 エミちゃんが無事で本当に良かった!

F子F子 2005/10/10 19:48 中村家の秋がスタートした様子、拝見できて何よりです。 ぼぼるさんのセミナーの感想が楽しみです。 主の真実はいろいろな中で検証されてさらに際立って輝くと思います。 連休に家族で、福島の山小屋に行ってきました。すごくよかったです。 今度帰国の際はぜひ中村家もどうぞ、情報送ります。 うちの教会でもこの前、子供達と石にペイントして前庭に並べたら、なんだかちょっとお墓みたいになってしまいました。芸術の秋は難しいですね。

ぼぼるぼぼる 2005/10/11 20:39 のりこさん(とこの場でお呼びするご無礼をお許しください)、ようこそ。長く生きるほど要らないものや無駄なものを引きずっていて、身動きとれなくなるのは家も人生も一緒ですね。うちもまた、近々お客さんを招くために家の中の大掃除をしているところです。erinaさん、ほんと、いつどこで何があるか分かりません。今回は仮にバスに乗っていたとしても大事にはいたらなかったでしょうが、やはり神様の守りの御手を日々子供たちのために祈り求めていかなくては、と思わされました。F子さん、福島は紅葉もきれいだったのでしょうか。私も子供たちに、大自然の中で神様の御臨在に触れるという体験をしてほしいと思っています。

2005-10-07

セレブレイト・リカバリーに行って来た

22:56 | セレブレイト・リカバリーに行って来たを含むブックマーク

 3月に東京で持たれたリカバリーセミナー以来ずっと興味のあったセレブレイト・リカバリー(CR)に、ぼぼるパパと二人で行って来た。 今日は私たちにとっては初回だったため、初めて来た人用のクラスに参加しただけでまだまだ全貌は掴めないけれど、何だか私にとってとても大切な体験になりそうで、主にあって期待している。

 セレブレイト・リカバリーとは、米国サドルバック教会で14年前に始まり、今や3500以上の教会に導入されている、人生における様々な問題、傷や痛み、とらわれ(hang-ups)、悪癖などからの回復のプログラム。(うちから30分で行ける範囲内だけでも、6つほどの教会でCRが持たれている。)下のリンクは、今年の8月、サドルバック教会で持たれたCRサミットに関するクリスチャン新聞の記事です。

あなたの町の近くにもCRがあるかもしれません(アメリカ国内)。

日本におけるCRの働きについては、パーパス・ドリブン・ジャパン(PDJ)さんにお問い合わせください。

ふぅきぃふぅきぃ 2005/10/08 15:28 僕は昨日Supertonesの解散ライブに行ってきました。
歯医者の歌はやってくれなくて、残念でしたが、めちゃくちゃすごい賛美礼拝でした。
連絡遅れてすいません。
また連絡します。

ぼぼるぼぼる 2005/10/08 15:38 ふぅきぃ、元気でやってますか。ふぅきぃ無きあともJCFNシカゴは元気よく活動を続けておるよ。解散ライブといえば、伝統クリスチャンロックバンドのPetraも活動を休止してしまうのだよね。ちょっと残念です。

はちこはちこ 2005/10/08 19:45 ふぅきぃ、元気ですか? 先日頭痛がひどかったって言ってたでしょう。心配してましたよ。あまり続くようならお医者さんに行ってね。ecで会えるのを楽しみにしてます。はちこママより。

erinaerina 2005/10/10 04:57 CR!去年から今年にかけ通っていました。
今日はTBC(Tokyo Baptist Church)のシングルズリトリートに行ってきました。
初めての修養会だったんですがすごく素晴らしかったです。
色んなチャレンジを受けたように思います。

かずくんかずくん 2005/10/11 09:28 TBさせていただきました。今後の展開に期待しています。

ぼぼるぼぼる 2005/10/11 20:38 erinaさん、かず先生、こんにちは。たまたま初日はCRのバーベキューの日に重なってしまい、早く学びとプロセスを経験したくてうずうずしているのに、まずはのん気にハンバーガーを食べるところから始まり、核心に触れるまでにしびれを切らしてしまいました。ともあれ、裁かれたり責められたりする心配をせずに、心のありのままを打ち明けられる関係というのは貴重ですね。

かずくんかずくん 2005/10/12 00:37 ぼぼるさんレスありがとうございます。ハレルヤ!食事をいっしょにして、心も開かれるというのは世界共通ですよね。黙示録3:20を思い出します。

2005-10-04

 深山秋色

| 16:35 |  深山秋色を含むブックマーク

 相変わらず「ねえ、さっきタミーがいたよ」「えっ、もう歯磨いたの?」とバカ耳な夫婦の会話を交わしているうちに、各地で着々と秋は深まっているようだ。(もっともここ二日ばかりシカゴは30度近くまで気温が上がって蒸し暑く、全然秋らしくないが。)私のブラウザのトップページに設定してある北アルプスの南岳小屋のホームページに、今年の夏に訪れた氷河公園と槍沢の紅葉の写真が出ていた。この週末から来週にかけて、涸沢、横尾、上高地へと紅葉前線は一気に谷を駆け下りるのであろう。初冠雪の訪れもそう遠くないはずだ。シカゴもあと2、3週間もすればコートの手放せない季節となる。

 闇と光

| 16:35 |  闇と光を含むブックマーク

 日曜日の夕拝に出かけると、なんだかいつもと様子が違った。教会が停電なのだった。ついさっきまではげしい雷雨だったから、どっかで送電線が切れたのかもしれない。礼拝堂にはいちおう非常灯がいくつかともっていたが、それでも暗すぎてとても礼拝に使える状態ではない。もちろん、音響もエアコンもなしである。まだ完全に日が暮れて暗くなってはいなかったので、窓のたくさんあるフェローシップホールに場所を移し、窓際にスタンドを立てて、小型ピアノとギターだけでunpluggedの賛美を始めた。

 始めてみると、これがそう悪くない。もともと夕拝に参加する人たちの人数はそんなに多くないので、礼拝堂だとみんなばらばらに座っている感じだが、狭いフェローシップホールではちょうどいっぱいになる。暗くて顔はよく見えないけれど、みんなの息づかいや歌声がすぐそばに聞こえて、とても一体感があった。そして神様の御臨在もとてもリアルに感じられた。

 やがて日が完全に落ちて楽譜も何も見えなくなると、ふだんは礼拝中大いびきをかいて寝ているフランキーがやおら立ち上がり、どこからともなく結婚式用の7本立ての燭台スタンドをいくつも持ってきて次々とローソクに灯をともしてくれたので、たちまちその場はキャンドルサービスに早変わり。(フランキーのこういう頼もしいところが、私は大好きだ。)

 みんなの顔を照らすローソクの灯りを見ながら、ヨハネの福音書12章46節、ルカの福音書8章16−17節に思いをめぐらしていた。僕らの心にある暗闇は真理の光に照らされなければならない。暗闇の一部ではなく、全てをだ。たとえ痛みをともなうプロセスであっても、それが本当の愛の関係への第一歩だ。

JぽろJぽろ 2005/10/05 09:08 >僕らの心にある暗闇は真理の光に照らされなければならない。
>それが本当の愛の関係への第一歩
アーメン・・・!先日の礼拝、今晩の祈祷会でこの事を痛切に示されたところでした。またこちらで示されて感謝です!

エスプリエスプリ 2005/10/05 20:50 ぼぼるさん、はじめまして(かな?)
Jぽろさん、お久しぶりです。(*^^*) 同じフレーズに共感しましたよ♪
誰にもある「心の闇の只中」にイエス様が居てくださって、その闇さえ愛に変えて下さろうとする主が共にいて下さっている事を知る事は、何と幸いな事でしょう・・・。
ハリケーンで、浸水した地域も、アメリカの「闇」の部分だったように感じています。痛みはありましたが、「光」が、その闇の只中に来てくださって、これから主の栄光が現されることを信じています。

ぼぼるぼぼる 2005/10/05 22:19 Jぽろさん、お久しぶりです。光の子供として生きるとは自由であるということでもありますよね。暗闇にいると窮屈で、心から愛せないということでしょうか。エスプリさん、はじめまして。暗闇も照らしてくださるイエスさま、アーメンです。

ところで、私が渚ゆう子の「東京に三日 田舎に四日」が好きなのもそんな所に理由があるのかもしれません。『陽の当たる道を歩きたいわ あなたと二人で…』ね、ちょっと聖書的な歌詞でしょ。(ぜんぜんそんなことないって?)

はちこはちこ 2005/10/06 16:47 Jぽろちゃん,エスプリさん、こんにちは。
新約聖書だけでも、「光」で検索するとたくさん出てきますよね。イエスさまご自身が光であること、罪の赦しや癒しなど、神の御業はすべて光の下で行なわれること、神様は私たちに光の子として、光のうちを歩きなさいと命じておられること… たっぷり味わい甲斐がありますね。
ハリケーンですが、浸水した地域がアメリカの「闇」の部分だったのではなく、あの出来事を通してアメリカ社会の「闇」の一部があらわになった、と言う方が適切かな、という気がします。
ぼぼるパパ、「陽の当たる道を歩きたいわ あなたと二人で…」 らぶや。

エスプリエスプリ 2005/10/07 06:05 >アメリカ社会の「闇」の一部
そうです、そうです。そういう書き込みをしたつもりでしたが、フォローをありがとうございます。
我が家も末息子の反乱のお陰で、家庭にあった闇の部分や個々のメンバーに内在する暗闇に、否が応でも直面せざるを得なくなった事は、本当に感謝でした。
最近その「暗闇」こそ、主が働かれる最も中心的な場所ではないかと、(停電こそ^^)感じています。
ところで、この書き込みを再確認するには、どーしたらよいのかしらん??
今度は、きちんと書けているかなぁ〜心配。。

はちこはちこ 2005/10/07 14:31 ここの書き込み欄って、小さくて二行分くらいしか見えないから書き込みしにくいですよね。確認もできないし。私は長めのコメントをつけるときは、別の場所で書いてから、コピペでこっちにつけたりします。
もっとも私は管理人なので、失敗した時には編集画面から入って一旦削除し、それからやり直すという奥の手があるのですが。(^^)

フィベフィベ 2005/10/09 08:09 こんにちは。って今は、夜の22時ですけど。
フランキーを最初、フランケンシュタインと何故か読んでしまって、
「えっぇぇぇぇ、教会に出たの?」と驚いてしまった^^ゞ
なんだか人の会話を笑えませんねーー。ハンセイ・・・。
しかし、なかなかヒカッているクリスチャンがいるんですね。
人や物事にすぐに善悪をつけてはいけないってことですね。

2005-10-02

 新学期第一週終了

| 22:12 |  新学期第一週終了を含むブックマーク

 長い夏休みも終わりを告げ、大学の新学期が始まって一週間が過ぎた。ここ数年自分の大学院生を持っていなかったが、今年は新しく3人を取ることになった。オハイオ州立大学とランセラーからそれぞれ数学の修士号を持つ学生と、コーネル大学から大気科学の学士を持つ学生。それぞれに切れがよさそうで楽しみである。一方、4年前に私のところから修士号を取ってロッキード・マーチンに就職していったベスの所在がやっと分かった。最近結婚して、ニュージャージーで高校の数学の先生になるらしい。現在の学生の将来も楽しみだが、過去の学生の現在にも大いに興味がある。ベスはセミナーが上手だったから、きっと優秀な先生になれるでしょう。いっぽう、去年の秋に何回か招いた社会学者のローデスが、今年もスペインからやってきている。彼女と学生3人を近々家にディナーに招く予定。

 スタミナ

| 22:12 |  スタミナを含むブックマーク

 エミは8月から高校に通っていて、日曜をのぞくほぼ毎日、水泳部の練習と競技会に明け暮れている。競技会が週1、練習が週5日でそのうち2日は朝6時の早朝練習である。送っていく私たちも早起きをしなければいけないので大変だ。何しろ今の時期6時といえばまだ真っ暗で、星や月が照り輝いている。これまでまったくスポーツタイプでなかったエミだが、だんだん腕に筋肉がついてきた。とはいえ、他のアメリカ人にまざればまだまだ華奢で非力だけれど。

 先週は競技会の見学に行ってきた。午後の5時から8時まで。他の高校のチームを迎えて、競泳と高飛び込みの各種目で成績を競う。この日エミは200メートル自由形個人、50メートル自由形個人、および200メートル自由形リレーの第一泳者として出場。平均してみれば中の下くらいの成績だったが、他の大柄な選手と並んで、オリンピックサイズプールのレーンを右へ左へと向きを変えながら200メートル力泳する様子は我が子ながらたくましかった。きょうは最長200メートルだったが、500メートル(20ラップ)も泳いだことがあるらしい。

競技会のあと、「あれだけ泳いで疲れないかい」と聞くと、「疲れるよ。とくに200メートル。スピードも距離も出さなくちゃいけないから、500メートルよりしんどい」とエミ。何でも、練習では毎回連続で2キロは泳ぐのだそうだ。最初の150メートルでだいたい腕が棒のようになり、あとはコーチの叱咤激励に従って、その棒のような腕をひたすら回転させるという。エミはキック力は強いが腕力がまだ足りないらしい。

「途中でしんどいから、もう止めちゃえと思うことはないの」

「思うこともあるけど、歩いちゃったら、失格だから。」

失格したくないから泳ぎ続けるというエミの話を聞いて思い出したのが第一コリント9章24−27。「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」私たちの霊の歩みも、スプリントというよりは、棒のような腕にむち打って進む長距離競泳のようなものなのだろう。

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