ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

第一サムエル15章より、覚え書き

「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。(11節)

 神さまはある意味、サウルに期待していたんだ。そうだよね、かりにも主御自身が油を注ぎ、主の霊をくだし、サウルの心を変えて新しくする(10:9)ことで彼を王として整えられたのだから。サウルが主に聞いて、語られたことに従う限りは、神さまもサウルを祝福し、王権を確立させ、イスラエルに平和をもたらしてくださるおつもりだったのだろう… イスラエルの民に対しても、「あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主に聞き従い、主の命令に逆らわず、またあなたがたを治める王も、あなたがたの神、主のあとに従うなら、それで良い」(12:14)と念を押して語っておられたのに…

 だけど、サウルも民も、主を恐れなかった。主の言葉を軽んじた。神さまが「悔いる」というのは不思議な気もするけど、これはきっと、人間が物事のoutcomeを自分の思い通りにできなかった時に感じる残念さではなく、サウルやイスラエルの民を愛すればこその残念さなんだろうな。(29節でも「この方は人間ではないので、悔いることがない」と言っているし。)ここに主の悲しみを感じる。神さまはきっと、サウルや民の自分勝手で神を恐れぬ行動や選択に本当にがっかりして、悲しかったのだろうと思う。御自身のお言葉に聞き従わない民を見るとき、神さまは無表情で淡々と罰したり裁いたりするのでなく、本来意図されていた関係が叶わなかったことに、そのお心を痛められるのだと思う。

 主は主の御声に聞き従うほどに、
 全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。
 見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、
 耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
 まことに、そむくことは占いの罪、
 従わないこと(stubbornness)は偶像礼拝の罪だ。
 あなたが主のことばを退けたので、
 主もあなたを王位から退けた(22、23節)

 主が求めておられるのは、「いけにえ」という宗教的行ないではなく、へりくだって素直な心で主に聞き従うこと。

 私の生活の中で、へりくだった心からの従順の代わりに、表面的ないけにえでごまかしてしまっていることはないだろうか。いけにえだけ捧げて、それで悦に入ってしまっていないだろうか。

 主よ、私の心を探ってください。私が頑迷な心になり、あなたを悲しませてしまうことがないように…

私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で、私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、主を礼拝させてください。(30節)

 この期に及んで、サウルが気にしているのはなおも自分の面目を立てることだなんて! 

 もしもサウルがここで、本当の本当に主の前に悔い改めたなら、私たちにいつでもセカンドチャンスを与えてくださる憐れみ深い神さまのことだから、サウルにももう一度チャンスを与えてくださっていたかもしれないのに…

 主に語られる時、罪を示されるとき、私の心がかなくなになって主のお言葉を退けてしまうことがありませんように。サウルのように主を悲しませ、悔やませてしまうことがありませんように…


ネギマヨピザ

 昨日は、クックパッドで見つけたレシピ、「ネギマヨピザ」に挑戦してみた。すっごく簡単で、とーっても美味しい! 

 市販のピザクラスト(Boboliとか)に、醤油をまぜたマヨネーズをたっぷり塗って、その上に小口切りの万能ネギを山盛りにのせる。さらにおろしチーズ(私はモッツアレラとモントレージャックを使いました)をのせ、2センチ幅くらいに切ったベーコンを並べ、450度F(230度C)のオーブンで20〜25分くらい焼く。たったこれだけで、めっちゃ美味しかったよ〜ん。

 写真入りのレシピがこちらにあります。このレシピを紹介して下さった方も、シカゴ在住らしい。きゃ♪

 夕食がピザ一枚では当然足りないので、レシピを見ているうちにインスピレーションを得た、テリヤキチキンマヨピザとでも呼べるピザも作ってみた。イメージとしては、日本のハンバーガーショップのテリヤキバーガーね。テリヤキソースとマヨネーズのコンビネーションが美味しいでしょ、あれ。
 まず、テリヤキチキンを作っておく(私はササミであっさりめに作りました)。それから市販のピザクラストに、マヨネーズをたっぷり塗って、さらに市販のテリヤキソース(サラサラのマリネ用ではなく、トロっとしたBBQ用のもの)を重ね塗り。今度は万能ネギの代わりにタマネギのスライスをその上にのせる。(山盛りにはしない。)それからおろしチースをたっぷりのせて、一口大に切ったテリヤキチキンを並べ、ネギマヨピザと同じ要領で焼く。こちらも美味しかった!

 それからキャベツのスープも作って、夕べは満足でした。

悲しい出来事

 今週、テネシー州セルマーという町で、チャーチオブクライストの教会の牧師さん(31歳)が妻によって銃で撃たれ、殺害されるという悲惨な事件が起きた。妻はFirst degree murder、つまり計画的殺人として起訴された。

 彼らは去年の二月にこの教会に就任したばかりで、夫は三代続いた牧師家庭の出身。二人には8,6、1歳の可愛らしい三人の女の子がいて、周りの人たちは彼らを「理想的な夫婦」、妻を「完璧な妻、完璧な母親」だと思っていたそうだ。
 殺害の動機はまだ明らかにされていないが、不貞が関わっていると思うかという記者からの質問に対して警察は「ノー」と答え、夫による虐待の可能性は?との質問にはノーコメントだったらしい。
 二人の間に何があったか現時点では知る由もない。夫の側の問題だったかもしれないし、彼女の問題だったかもしれないし、誰のせいと言えるようなことではなかったのかもしれない。でも、家庭内暴力であろうと何であろうと、夫を殺そうと思うまでに何かが彼女を追い詰めたのには違いない。サタンによる霊的な攻撃もあっただろう。私は、牧師夫人なのに、クリスチャンなのに、とは言いたくない。彼らだって人間だから何かしら問題を抱えていたとしても不思議はない。何が悲しいと言って、そこまで彼女が追いつめられていたことを、教会の誰も知らなかったこと。いや、就任したばかりの教会で、しかも周りからは「完璧」と思われていたら、家庭内の問題を教会の人に相談できなかったのは無理もないかもしれない。周りは彼らはすぐに新しい環境に馴染んだと言っているらしいが、彼女はやっぱり孤独だったのかもしれない。でも、ならばその教会の人以外で、他に相談できる相手はいなかったのだろうか。信仰の友とか、祈りのパートナーとか、メンターとか… 彼女には信頼して打ち明けられる人、一緒に祈ってくれる人が誰もいなかったのかと思うと、泣きたくなるほど悲しく、胸が痛む。
 「牧師夫人」「完璧な妻」「完璧な母」という看板を、好むと好まざるとに関わらず背負いつつ、彼女は一人でどれだけ苦しみ悩んでいたことだろう。主にある家族、共同体の一人が、それが牧師や牧師夫人であっても、傷つき痛んでいる時、本来ならこんな時こそ互いに助け合い、支え合い、祈り合い、励まし合うのがキリストの身体であるはずなのに、それが機能していなかったことが悲しい。キリストの身体が痛んでいることが悲しい。

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