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ミルトスの木かげで このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2007-01-05

大晦日のパーティーその後

21:58 | 大晦日のパーティーその後を含むブックマーク

 あるお友達から、大晦日の晩エミは午前一時までに帰宅しましたか?と聞かれた。(こちら参照)はい、ちゃんと一時五分前に帰って来ました。^^(以下はその友人へのメールにも書いたことだけど、私の記録のために加筆してこちらにも転記。)

 トムは幸いにして(?)まだ車の免許を持っていないため、行きも帰りも、彼のお姉さんが送ってくれたそうだ。 またパーティーも、私はてっきり、アメリカにありがちなティーンの騒々しいパーティーかと思っていたのだが、蓋をあけてみたらそうではなくて、トムの家族ともう一人の友人の家族が家族ぐるみで親しいそうで、両家合同(と、あともう一家族)のファミリーパーティーだったそうだ。それに子供の友人数人も招かれた、という形だったとか。そうだとは知らなかったので、エミが出かける前には「もしも会場にビールなどのアルコール類、タバコ、薬物があるのを見たら、すぐにうちに電話しなさい。迎えに行くから」と言ったりしてしまった。とんだ取り越し苦労。(苦笑)何でファミリーパーティーだって先に言わないのよ、とエミに言ったら、エミも行くまで知らなかったんだとか… 

 今回は幸い問題のないパーティーでエミも楽しく過ごすことができたけれど、今後いつかは好ましくないパーティーに遭遇することもあるかもしれない。特に、大学生になれば(あと二年半!)、確実にこのような状況は何度も巡ってくるだろう。「パーティーは一切禁止」にして誘惑や危険から完全に切り離してしまうことは簡単だが、律法主義的に締め付けても違反と怒りを招くだけだ(と聖書は言っている ローマ4:15、5:20)。それよりもバウンダリーをはっきり提示して、あとは自分で判断・選択させる方がいいと思った。 まだ私の目の届くところにいるうちに、自分で判断力を行使することを学び、境界線の中に留まることの自由と平安を体験すれば、親元を離れても、同じスタンダードで自分を律することができるのではないかと。(そんなにうまくいくとは限らないかもしれないけれど。)今回、エミもトムも私が提示した門限をきちんと尊重してくれたことはとても嬉しかった。

 そういうわけで、今回は問題なかったのだけれど、トムの家はうちから徒歩五分くらいで、休日など、時々二人で散歩に出かけたりすることがある。何してるのかなぁなんて、なーんとなく気になったりもする。時には、こっそり二人の後をつけて様子を伺いたいような衝動に駆られることもある。(ひどい親。苦笑) しかし、あまり首を突っ込み過ぎるのも逆効果だろうし、エミを信用しなくちゃいけないと自分に言い聞かせている。

 エデンの園に「善悪の知識の木」という禁断の木を生えさせ、しかしそれを柵で囲むことはせず、ただアダムにそれからは食べるな、食べたら必ず死ぬからとだけ言われた御父のお心を思わされる。アダムにとって罪を犯すことが物理的に不可能なようにすることは神様にはたやすいことだっただろうが、そうするのでなく、アダムが内側からの従順によって神の言葉に従ってくれることを願われた神様のお心…

 今までに、クリスチャンホームに育ちながらも、失敗を犯した若い女の子を何人も見てきた。でも、私が知っている限りでは、その子たちは皆、自分の失敗の刈り取りをする中で、確かに主に触れられ、主に近づき、成長させられている。エミだっていつかは失敗するかもしれない。でも、その失敗を通してでも必ず現される主の恵みに信頼することができると、私は知っている。今までしっかり教えてきたのだからエミが失敗するはずはない、という確信ではなく、失敗することもあるかもしれないが、たとえそうなっても、主の恵みと憐れみによって、最終的には回復させられ、より品性を練られ成長させてもらえるはずだという確信。 これは、私自身の体験からも裏付けられている。私自身、信仰歴が長いくせに、何が主の御前に正しくて何が間違っているのか、何が主を喜ばせ何が悲しませるのか、わかっているはずなのに、失敗したことが何度もある。それでも神様はその都度私にセカンドチャンスをくださり、悔い改めと立ち直りの機会をくださり、そこからさらに前進させてくださった(今もそのプロセスの中にいる)。

 失敗しないで済むならそれに越したことはない。でもたとえ失敗してしまったとしても、それで世界が終わりになるわけではない。(もちろん、恵みがあるからいくら罪を犯してもいい、というわけでもないが。このあたりはローマ6、7章でパウロがじっくり語っている。)親として子供に望むことは、「失敗」しないで「品行方正」を貫くことそのものではなく、たとえ紆余曲折を経ることになっても、それを通して十分に練られ、鍛えられ、真の従順と聖潔の道を自ら選び取れるようになり、主に似た者へと変えられていくことだろうか。(というか、これ、そのまま自分自身に当てはまるのだけれど。汗)

 育児を通して、自分と神様の関係を何度も見させられている。主が私にしてくださっているように、私も子供たちにしてあげたい。

fumikofumiko 2007/01/06 07:15 まさに、アーメンです。 私も同年代の女の子を持つ身として、もうすぐ、はちこさんのようなはらはらどきどきの場面に遭遇するだろうなあ、と思いを巡らせているとことです。 主が
してくださったように、してあげることがポイントですよね。 そうできるように、変えられたいと思います。 お分かち感謝です。

erinaerina 2007/01/06 09:52 いっぱい、コメントを書いてみたんですが。ちょっと長過ぎるコメントでしたので一言。アーメンです!

はちこはちこ 2007/01/06 10:13 fumikoさん
去年の夏、私の教会の友人の高校生の息子が、別の教会に通うガールフレンドと一緒に教会の高校生キャンプに参加し、そこで二人は関係を持ってしまい、その後いろいろトラブルが起きたことがありました。(今では落ち着いているようですが。)高校生のうちから交際を許したのが間違いだったのかといえば、そう単純に言える問題でもなく、親が許そうと許すまいと、結局子供は自分がしたいと思うことをするわけですよね。私たち大人もそうであるように、子供もまた、内側から主に変えられ、整えられていくことが大切なんだなぁとつくづく思います。そして内側からの変容というのは、律法でできるものではなく、恵みと真理のある関係を通して成し遂げられるものなのだと思うので、子供たちともそういう関係を持っていたいと切に願うのです。

erinaちゃん
遠慮なく、長過ぎるコメントでも書いてくれたら良かったのに!!erinaちゃんはきっと、若い人の立場から、いろいろ思うところもあるだろうから、よかったら是非またコメントください!

こりんごこりんご 2007/01/07 07:08 私の娘も十五歳、まだもうすこしネンネですが。

いま通っている教会で、「信仰の継承」についてのメッセージを聞きました。
親は、価値観ができあがった大人になってから信仰を持つことが多いので、劇的な変化を体験する。クリスチャンホームの子どもは小さいころから聖書の価値観に触れて育つので、劇的に変化することはあまりないという特徴がある。しかし、劇的に変化するかしないかは問題ではなく、福音を信じるかどうかだけが大切である。親は、「現在の自分」と「現在の子ども」を比較してしまうが、それは間違いである。現在の、ある程度分別ができている自分ではなく、若く分別がなかったころの自分のことを思い出す必要がある、ということも語られました。

娘についての祈りが変化しました。
まず、私のような者にこどもという宝をあたえてくださったことへの感謝。
私を救ってくださったことのへ感謝。
そして、娘に子どものころから教会に通うという、日本では稀な恵みをあたえてくださっていることへの感謝。
そして、神様の時に神様の方法で、娘と教会のクリスチャンホームのこどもたちが救われますように。

ViviVivi 2007/01/07 09:25 >こりんごさん、初めまして。
わたしも昨年の秋に「信仰継承の集い」という集会に娘と参加したのですが、分かち合いの中で同じようなことが言われていました。
また、姪が昨年のクリスマスイブに洗礼を受けたのですが、その時の証しにも「何か輝かしい変化が訪れてそして受洗することになるんだろうと思っていた」と言っていました。(姪は牧師の娘なのでいろいろな面でプレッシャーも大きかったようですが)

>はちこさん
娘にもボーイフレンドができて、今回は特にはちこさんの心に自分の心を重ねて読ませていただきました。
失敗させたくないという自分の強い思いを神さまに委ねていけるように祈っていきたいと思います。

はちこはちこ 2007/01/07 14:49 こりんごさん
お分かち感謝です!
>娘に子どものころから教会に通うという、日本では稀な恵みをあたえてくださっていることへの感謝
これ、本当にそうですね。子供が小さい時から神様の御言葉に触れる機会を与えられているというのは、自分でも当たり前になっていた部分がありましたが、本当は素晴らしい恵みなんですね。 こりんごさんのお嬢さんも、主にあって霊肉共に健やかに成長されますように!

Viviさん、
その時の日記、拝見させていただいていましたよ。あの時、私もいろいろ語られて感謝でした。

>失敗させたくないという自分の強い思いを神さまに委ねていけるように
そうなんですよね。私もです。愛する子供が失敗して痛みを覚えるのを見たくないというのは親心なのですが、と同時に、自分のエゴも入っていることに気づかされます。自分が痛みたくないんですね。だから必要以上に守ろうとしてしまうことがある… 親としてなすべき責任は果たしつつ、私たちよりもはるかに大きなお方に信頼しつつ歩んでいきたいですね。