ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

『スピリチュアルの冒険』

 日本を発つ日、成田の書店で『スピリチュアルの冒険』(富岡幸一郎 著 講談社現代新書)という本を買った。副題は「なぜ人は霊性(ルビ:スピリチュアル)を求めるのか!?」となっている。
 今や日本の書店には、スピリチュアルカウンセラーと称する人の本とか山積みになっているし、このタイトルだけなら買わなかっただろうけど、著者が富岡幸一郎さんだったので、おや?と思って手に取ってみた。後書きで、「私は霊能者でも宗教家でもないが…」と書いておられたが、彼、クリスチャンだよね? 目次を見ると、昨今すっかりブームにはなっているが、その実態があやふやでもある「霊性」について、聖書やキリスト教に言及しつつ、仏教や神道、またさまざまな文学作品(特に日本の)に見られる「霊性」をあげながら論考しているものであるらしいことがわかった。
 これは面白そうだと早速購入したものの、今日に至るまで、手に取ってゆっくり読む暇がなかったが、ようやく読み始めてみると、やはり面白い!まだ最初の数十頁しか読んでいないけれど、私が最近気になっていること、ブログにも取り上げたようなことが、続々と出てくる。たとえば…
 

神のスピリットを「吸い込む」ことができなくなったとき、彼ら(イスラエルの民)は呼吸困難に陥り、滅亡の淵に発たされる。…(中略)自己に固執する傲慢さを打ちくだいて、民族主義の体内のたまったよどんだ息を吐き出し、新しい自由な空気を吸い込むことで再生をはたす。
 これは決して昔の話ではない。二十世紀において、戦争と革命の暴虐をもたらした全体主義は、政治のイデオロギーや、血の絆といった種族的なナショナリズムに固着することで、外からのスピリチュアルなものを拒絶して、まさに個人も国家も、その自由な「魂」を喪失したのであった。(pp.18-19)


 びっくり。これは、昨日の上沼先生の話にも通じるものがある。アブラハムが神様からのインスピレーションを受けて、ウルからカナンへと旅立ったことについてもかなり詳細に言及されている。
 

 アブラハムが故郷の町を出て行ったのは、その堅固な城壁に守られた都市の生活に、何ともいいしれぬ不満と懐疑をいだいていたからだ。彼の気持ちは落ち着かず、いつも揺れ動いていた。…(中略)それはやがて彼の存在を揺り動かすほどになった。その精神の渇望のなかに、インスピレーションがやってくる。
 旧約聖書は、それを神の「召命」という言葉で言い表している。…(中略)
 現状に満足できない、今ここにいることに深い疑いをいだいていた人間が、外からの呼び声に啓発され、意を決して行動する。インスパイアッドされたのである。その「声」は、しかもある絶対的な指針を示し、行くべき方向までも約束された。(pp.23-24)

 スピリチュアリティ(霊性)には「息」と「霊感(インスピレーション)」の二つの意味があることを説明し、創世記1章から、神が土から造られたアダムに「息」を吹き込んだことによって生命が誕生したことに触れている。そしてアブラハムはまさに神の息吹を吹き込まれ、神の霊によってインスパイアされたことによって、外に出ていくことができたと言っている。そして、人間の歴史を動かしているのは、まさにこの「スピリチュアリティ」であると言う。

 スピリチュアリティは、個人の運命ばかりでなく、歴史を回転させ、躍動させる風となった。
 私たちは、今日、文明の袋小路のなかにいるように思う。科学技術の進歩、生命にまで及ぶ機械化、日常生活を覆いつくす情報化。そうした幾重にもめぐらされた文明の城壁のなかにあって、いいしれぬ不安と焦燥にかられている。
 その中で、四千年前のオリエントの風に吹かれ、いのちがけの脱出を果たした男のスピリットに目がゆく。旧約の創世記のページを、少しばかり開けばいい。この男を、未来へと突き動かしたのは、自分を守ってくれる背中の守護霊のようなものではなく、外へと、自由をもとめて旅立つ、アヴァンテュールの霊性の力だったのである。(pp.30-31)

 他にも、キリスト教がよく誤解される「霊肉二元論」は、実はギリシャ思想の影響であって、本来の聖書の立場ではないことなども書かれている。キリスト教への二元論の混入についても、以前ちょっとこのブログで取り上げたことがあった。(こちら 新しいウィンドウが出たら、画面をスクロールダウンしてください。)
 日本人にとって混乱されがちな、アニミズム的神(カミ)と、聖書の一神教の神(ゴッド)の違いにも触れ、聖霊と精霊の違いにもしっかり言及している。また、「ドストエフスキーの悪霊論」という章もある。ドストエフスキーについては、クレオパさんのところで話題になってたばかりなので、オオっと思ってしまった。その先までまだ読んでいないので、今後どういう展開になるのか、興味津々。また全部読み終えたら感想を書きます。(多分)

スピリチュアルの冒険 (講談社現代新書)

スピリチュアルの冒険 (講談社現代新書)

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