Hatena::ブログ(Diary)

ミルトスの木かげで このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2007-09-30

ゆっくり日曜日

20:37 | ゆっくり日曜日を含むブックマーク

 風邪の具合は相変わらず。寝込むほどではないけれど、身体がだるく、生産性が落ちている。午後、礼拝の後、ぼんやり座っていたらみんが、「気分悪いの?」と聞くので、「うん、苦しい」と答えたら、「ゴメンナサイ…」と日本語で言いながらハグしてくれた。英語だとこんな時、「可哀想に」とか「お気の毒に」という意味で「I'm sorry」と言うので、そのまま直訳しちゃったのね。可愛いみんちゃん。

 今日の礼拝には、Nick Vijucicというオーストラリア人の青年が来た。彼は、生まれつき両手両足がない。若干24歳にしてLife Without Limbsというミニストリーの主幹を務め、世界中を回って、苦境にある人たちを励ましつつ主の愛と希望を伝えている。

 さらに今日は、ジャマイカから聴覚障害者のクワイヤも来て、特別賛美をしてくれた。音による空気の振動にあわせて踊りつつ、手話で賛美するのだ。素晴らしかった。どんな境遇にある人にも、賛美する心と力を与えてくださるのはやはり主だけだと思った。

wasatch_15wasatch_15 2007/09/30 22:18 はちこさんへ
はじめまして。私の拙い記事にコメントありがとうございます。
実は以前からこのブログを読んでは素敵だなと思いながらコメントしたらお邪魔だろうなと思っていたのでとても嬉しかったです。

たかぽろたかぽろ 2007/10/01 09:23 昨日の礼拝で、詩篇34:1「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある」が取り上げられました。ダビデは、口には賛美があると表現しましたが、口だけでなくいろいろな形で賛美は可能ですね。「主への思いがどうか」だけが大事なんでしょうね。

はちこはちこ 2007/10/01 14:31 wasatch_15さん
邪魔だなんてことはまったくありませんよ! コメント残して下さって嬉しいです。これからもどうぞよろしく! (^^)

たかぽろさん
ほんとですね! 主への思いがあれば、口でも身体でも何を通してでも主を賛美することができるのですよね!

たらちゃんたらちゃん 2007/10/01 19:36 草取りから帰ってきてコーヒーを飲みながら、ニックさんのビデオを見せていただきました。とってもすがすがしい思いにさせられ、草を取りながら考えたり話したりしてきた出来事がすっきりしました。
私も遅ればせながらブログを始めました。どうぞ、よろしく。
http://tainstant.exblog.jp/

はちこはちこ 2007/10/01 19:47 たらちゃん、
お久しぶりです(^^) ブログ教えてくださってありがとう! タランスタンというのは、ダンスのステップの名前とか? つい先日、ちょうど『マーレーの信仰入門』を手にとりながらたらちゃんのことを思い出していたんですよ。この本を、ec07の書籍販売リストに入れてもらうよう推薦しようかな、と思って。 たらちゃんのブログ、早速ブックマークさせていただきますね!

2007-09-29

高校で発砲事件

08:07 | 高校で発砲事件を含むブックマーク

 夕べは、エミの高校では「Homecoming game」と呼ばれる秋のフットボールの試合が行われた。Homecomingというのは、アメリカの町単位のちょっとしたイベントで、地元の高校や大学でフットボールなどの試合やダンスパーティーがあり、屋台やパレードが出たりもする。エミも夕べは、クラブの友達と屋台を出していたため、帰りは10時過ぎになる予定だった。みんも、教会のユースグループでその試合を観に行くことになっていた。

 しかし私は相変わらず身体がだるかったので、子供たちの帰りを待たずに一足先に寝た。朝起きたら、夕べの試合の後、高校の駐車場で銃の発砲事件があったと聞き、びっくりしてしまった。幸いエミは、違う場所にいたので大丈夫で、みんのユースグループは、フットボールは特に見たくないと言い出した子がいたため、結局教会に残って別のことをしたらしい。ただ、みんの学校の友達がグループで試合を観に行っていて、ちょうどshootingの場に居合わせて、怖い思いをしたらしい… 銃の音にみんなが驚いて逃げ出した時、グループの一人だけはぐれて、しばらく行方がわからなくなったそうだ。もちろん、最終的には見つかって、みんな無事が確認できたらしいけど。その場にいた子たちはどれだけ怖い思いをしただろうかと思うと、ぞっとする。うわさによると、高校生同士の争いによる発砲だったとか… 実際に怪我人が出たのかはわからない。知っている範囲ではみんな無事でよかった。

 そういえば、去年は隣町のホームカミングゲームでdrive-by-shootingがあった。ちょうど試合が終わって人が出てくる頃に車で通りかかり、無差別に発砲したらしい。その時は、試合を見に来ていた市長さんが実はもと警察官で、彼は自分の車に飛び乗り犯人を追跡。追いつめ、車から引きずり出して取り押さえたところに警察が到着し、無事犯人を引き渡したらしい。武勇伝だね。市長さんがインタビューで、「たとえ制服は着ていなくても、心はいつまでも警察官ですから」と話していたのが微笑ましかったのを覚えている。それにしても、こんな発砲事件が、身近でわりと頻繁に起きているのは、恐ろしいことだなぁ。特に高校で、というのが恐ろしい。

まきとまきと 2007/09/30 03:24 主よ。

erinaerina 2007/09/30 09:08 アメリカなんですね。
言葉を失ってしまいます。
最初にアメリカに行ったときに毎晩、パトカーのサイレンが聞こえてきたときにアメリカなんだなって感じましたが、実際はもっとですね。

フィベフィベ 2007/09/30 10:31 ロサンゼルスに行った時に
夜中に急にバリバリと大きな爆音がして、頭上から光が下へ放たれたので
てっきり、爆弾が落とされたのかと思って、
私の人生もこれまでか・・・とおもったことがあったのですが、
警察の犯人を追いかけるヘリコプターで、
ロサンゼルスでは警察を呼ぶと
ヘリコプターとパトカー数台が来るそうです。
地上と空から偵察するそうです。
すごい世界ですね。こんな時に外へ出て犯人と遭遇してしまったら・・・
と思うと怖いですね。家の中に侵入する恐れもあるし。。。。
泊めてくれた人は日本人で、周囲はメキシカンの住人が多く
家の前にはアフリカ系の人が多いプロテスタントの教会がありました。

日本人の人は日本で言う町内会の会長を何度もやって
周囲の住人のメキシカン、教会のアフリカ系の人たち、
ロス市警察の人たちから何かと信頼されていました。
あの、日本人と言うのは何かと仕事を
まじめにマメにやるみたいですねぇ。

例外の方もいますが・・・

フィベフィベ 2007/09/30 10:33 はちこさんとこのお子さんや他の子達に何も危害が無かったのが
良かったですね。
危険は、日本も同じですが、銃は怖いですね。

はちこはちこ 2007/09/30 17:46 まきとさん、
本当に、祈らされます。

erinaちゃん、
アメリカの怖いところは、ちょっとやそっとの発砲事件くらいでは、ニュースにもならないことでしょうか。ローカルニュースでちょこっと出て、それでおしまい。それだけ珍しくないことなのでしょうね…

フィベさん
ロサンゼルスはアメリカの中でも特に治安の悪いところなので、住むだけでも命がけなんじゃないかと思ってしまいます。私が住んでいるところは、基本的には非常にのどかで安全なんですけどね。それでもこういうことがあるのですから… でも、最近は日本もすっかり物騒になっていますよね。銃はそれほどでなくても、ナイフとか手斧とか… 主よ早く来てください、と祈らされますね…

2007-09-27

風邪

14:37 | 風邪を含むブックマーク

 風邪をひいたらしく、久々に熱が出てしまいました…

 昨日の記事にもたくさんのコメントをありがとうございます。今は頭がもうろうとしているので、もう少しすっきりしてきたらお返事させていただきますので、ちょっとお待ちくださいね!

 追記:相変わらず頭がボーっとしているので、まだ夜の8時過ぎですがそろそろ寝ようと思います。寝る前にもう一度見に来てみたら、昨日の記事にうさたろうさんが素晴らしいコメントを残してくださっていました。皆さん、ぜひお読みください。うさたろうさん、ありがとう!

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/28 11:08 風邪、流行ってますねぇ(>_<)。お大事に!!

はちこはちこ 2007/09/29 07:47 めぐんちゃん、
流行ってるよねー。うちは、私だけでなく、子供たちもみんな微妙に風邪気味です。ま〜やは今週、熱で二回学校を早退しました。めぐんちゃんの風邪の具合はどうですか?

2007-09-26

ドーキンス vs. コリンズ

| 11:48 | ドーキンス vs. コリンズを含むブックマーク

 昨日メモした去年のタイム誌の記事、リチャード・ドーキンス博士とフランシス・コリンズ博士の対談は、読んでみたらとても興味深かった。両者とも、世界的に認められた一流の科学者。しかし片や「神は妄想だ」と宣言してはばからない無神論者、片や創造主としての神、救い主としてのイエスを公でも告白してはばからないクリスチャン。

 この二人の対談を読んで、まず興味深いと思ったのは、ドーキンスも実は、神のような偉大な「何か」の存在がこの宇宙の創造の背後にあることを、ある意味認めていること。ただ、それが何かと特定することは今の科学ではできないので、科学者の使命としてその探求を続けるべきだと彼は言っている。どうにも説明できない事柄があるからといって、時間や自然法則のすべての枠外に存在するという「神」を持ち出してしまうのでは、話はそこで終わってしまうし、それは"the mother and father of all cop-outs" であり、科学者のすべきことではない、と。("cop-out" とは、言い逃れとか責任逃れ、という意味。)

 (科学者が探求しつつも、見つけられないでいることの)答えは神だと思いますか?というタイム誌の質問に、ドーキンス博士は、「There could be something incredibly grand and incomprehensible and beyond our present understanding.(現在の我々の理解を越えた驚くべきほど壮大でとうてい理解しきれないような何かがあるかもしれない)」と答えた。そこにコリンズ博士が「それが神ですよ」とすかさず突っ込むと、それに対するドーキンス博士の返答は、なんと、「Yes.」 ただし、その神が何であろうとも、ヤハウェの神である可能性だけは、とてつもなく低いと思う、と彼は主張する。対談の一番最後でも、こんなことを言っていた。「…自然界について説明するのに、知的なデザイナーなどという概念を持ってこなくても、私は十分な説明ができると思うが、それでも、知的なデザイナーという概念は、一目置くに値する壮大な考えであるとは思う。ただ、その知的なデザイナーが、人間が考え出した神であるというのが納得できない。オリンピアの神々だとかイエスがやってきて十字架で死んだとか、そんなことは宇宙のデザイナーである壮大な神に値しない。あまりに偏狭すぎる。もし神が存在するなら、どんな宗教のどんな神学者が提示した神よりも、はるかに壮大で、はるかに理解し難い存在であるはずだ。」

 うーん、ドーキンス博士、実は求めているんじゃないのかなぁ。科学者として、「神」という概念を科学的な説明の中に持ち出すことはできないけれど、それでもやっぱり、彼が見ているこの宇宙、自然の世界はあまりにも精巧で精密で壮大で美しく、何か「神」のような存在を認めざるを得ないものを、彼自身感じている… ところが、ではその「神」とはどういうお方なのかと周りを見渡した時、人間が説明している神は、彼が科学を通して自然界の中に見ている「神」よりも、あまりにちっぽけ過ぎて、それで彼は絶望してしまっているのではないかしら… 

 ドーキンス博士は、著書『神は妄想である』の中で、特にクリスチャンたちに徹底的に嫌悪を示しているらしい。その偽善や、欺瞞や、排他的なところや、時に暴力的でさえあり… 彼が見ている「神」はもっとずっと崇高な存在なのに、彼の周りにいるクリスチャンたちからは、そのように崇高な神を信じているというにはあまりに似つかわしくない言動や態度ばかりが見えるので、それで彼は、神を信じたくても信じられないでいるんじゃないだろうか、そんな気がしてしまった。ドーキンスが神を信じるにあたってつまづきとなっているのが、「科学」そのものではなくて、クリスチャンたちのモラルであるのなら… そう思ったら、申し訳ないやら悲しいやらで、涙が出た。

 それにしてもね、私たちがどれだけ「科学的データ」や「証拠」を積み上げていったとしても、それだけでは人はキリストを主とは告白できないのだと、改めて思わされた。いくら自然界に創造主の存在を垣間見ることはできても、キリストを主と告白するためには、人は自分の魂と向き合わないといけない。 私たちに必要なのは、創造主だけでなく、救い主なのだから。そして、イエスがこの地上にやって来て、十字架で死んだというのが、自分の魂のためであるとわかったなら、ドーキンス博士ももはやそれを「偏狭」だとは呼べなくなると思う。



 追記:フランシス・コリンズ著『The Language of God』の邦訳は、『ゲノムと聖書』というタイトルで2008年9月にNTT出版社より刊行されました。


ViviVivi 2007/09/26 19:23 >特にクリスチャンたちに徹底的に嫌悪を示しているらしい。その偽善や、欺瞞や、排他的なところや、時に暴力的でさえあり…

耳の痛いところではありますが、真摯に受け止めていかなくてはと思わされますね
クリスチャンとしては、その貧しさ、弱さのうちに働かれる神を証ししたいと願うわけですが、わたしたち自身が自分の貧しさ、弱さを謙って受け止めなければならないのだと思わされています。

人は神を知りたいと願いますが、人が知り得るものがどれほどかと思う時、神を研究対象にすることに人の傲慢が見える気がします。
イエスさまがわたしのために来てくださったという個人的な関わりをいただいてこそ、神を知る意味もまた新しくされるのではないかと思いました。

はちこさんのブログでの一連の記事を読ませていただいて、考えさせられることがたくさんありました。
うまく言葉にできませんが、少しずつ思い巡らせてみたいと思っています。
お分かちを感謝します。

浩子浩子 2007/09/26 20:28 私も創造主があったことを聞いたときはあぁ、やっぱりそうだったんだと長年の胸のつかえが取れた気がしました。が、話が救い主という段になると??で、自分とあの方に接点があるとはどうにも理解しがたく、そのときから創造主でもあり、救い主でもある方を知る旅が始まり、今もそれは続いています。
viviさんが仰っているように、主を知るためには自分の弱さや汚さ愚かさを徹底的に提示され続けられる中でしか、私の場合はなかった気がします。
どうにもならない罪深さを誰に言われるまでもなく自分が気がつかされることほど<辛いものはなく、故に初めてそこで救い主が必要だったとその時その時少しずつ<b知らされ、悟らされてきた感じがします。
クリスチャンになっても未だ知りたいことの全容は明らかにはなっておらず、だからこそ飢え乾いて求めていく、そうしないと自分が苦しいから・・。
クリスチャンの歩みをはじめてからずっと思っていたのは、他の人に神様のすばらしさを紹介する、教会に誘う、といった一連の伝道をなかなか私はできませんでした。なぜなら自分自身がなかなか主はすばらしい、救い主はすばらしいと心底感じなかったから。
すばらしそうだけど、イマイチよく分からないという気持ちが強いままに人に紹介できないなあ、偽善っぽくてと思っていたし、だからその分裏方としてとりなしの祈りに徹することができたきもして、それは恵みだったし、より主を知るチャンスを多く与えられたとも思います。
だから救いのすばらしさを全部は分からなくても、少しずつ知るようになれてきて、はじめて自然体で人に話せるようになってきたような昨今です。
実体験こそが証になるんだなあと、つくづく思い、机上の空論では人は心を動かされないと感じています。

タロウタロウ 2007/09/27 00:21 今日の記事も大変興味深く、面白く読ませていただきました。
アインシュタインの
「この世のなかをつぶさに見て、
これほどの調和が何か計りしれない偉大な存在なしに
実現しているとは思えない」
という言葉を僕はノートに書きとめて持っているのですが、
これも科学者の考える、神の捉え方なのかなと思います。
聖公会の神父さんが
「本当は神という観念の中に、とじこめて考えたくない」
ということをおしゃられた言葉が
深く僕の心に残っています。
ドーキンス博士もそんな思いもあるのではないかと
感じたりしました。
しかし、無神論者と神を信じている人の対論というのは
面白いと思います。
以前二人の無神論の作家が、
クリスチャンの作家、音楽家、大学教授、マザーテレサなどに
「あなたは何故神など信じるのか」という質問をするという
対談集を読んだことがあるのですが、
大変面白いものでした。
その本では二年間ほどかけて色んな職業のクリスチャンと
対談したものを一冊の本にしたものだったのですが、
対談を終えたあと、二人の作家は
「何かあるなぁ」という感じを受けて、
後年、そのうちのひとりが
遠藤周作さんをとおして、
洗礼を受けたということでした。
僕もこの本のなかの
クリスチャン(カトリックの人が多かったです)の人の言葉が
非常に深く心に響きました。

たいちゃんたいちゃん 2007/09/27 04:06 長すぎて英語読む気しなかったから、感想と要約書いてくれて助かったー(ナサケナイ)

神を信じているはずのクリスチャン・・・ほんとにそうだと思う。
品性。あああ。
精進します。

聖書に、この世の知恵では神を見出すことができないって書いてあったっけ?宣教の愚かさによって神を知る、って。窓である俺らが汚れてるんだね。窓をきれいにすれば・・・もっとよく神さまが見えるんだろうなぁ。

きれいになりたいなあ。
遠いよー。

meekmeek 2007/09/27 04:46 私もその御言葉が思い浮かびました。第一コリント1:21ですよね。
しかるに、「進化論は矛盾している。科学とはいえない、擬似科学だ。」との主張は、もしかすると、この世の知恵によっているのかなぁと思わされました。

erinaerina 2007/09/27 07:36 今日も本当に興味深く考えさせられる記事です。
こういうディスカッションを含め色々な意見が聞ける題は大好きです。
ちなみに、前回の書き込みなんですが、賛同より共鳴を選んだのは賛同という言葉以上に私の記憶にあることと書かれていたことが一致していたからです。
それと、あの記事を読んで色々思い出し、考え始めたから。
でもでも、はちこさんが下さったコメント、それ自体記事の内容そのもの。
うれしくなります。
ところで、アメリカにいてクリスチャンになる前にはいっぱい交わしたこの議論。
自分がクリスチャンとして歩み始めたらなくなってしまった気がします。
それ以来、神様を疑ったことはないけれど、自分のことは別です。
あんまり昔のことは何かのトリガーがない限り思い出さないし重い出せなさ過ぎて自分がクリスチャンと名乗っていいのか…。時には疑問を抱く時もあります。
でも、こういう聖書に出会ったときの疑問を再度投げかけられると、自分がクリスチャンとなったその過程を思い出します。

うさたろううさたろう 2007/09/27 19:40 お久しぶりです。そして興味深い内容の記事をありがとうございました。特にTIME誌の記事は興味深く読ませていただきました。
ドーキンスについては、Charles Colson著”How Now Shall We Live”の中で言及されていた人物であり、興味を覚えて、その著書”Blind Watchmaker”の邦訳を買って読んだことがあります。しかし、その反キリスト教的な文章にいささかげんなりし、さらにアリスター・マクグラス著の”Dawkins’ God”を読んで、ますます印象を悪くしました。科学者でありながら、宗教的な情熱をこめてキリスト教を排撃する人物、というドーキンス観が固まったわけです。
しかし、コリンズ博士とのやりとりをしているドーキンスは、なかなか純粋ではありませんか。フランシスと呼んでもいいかい、なんてくだりにはにっこりさせられましたし、はちこさんもお書きの、それが神ですよ。YES。のあたりの文章を読むと、ああ、この人は、アインシュタインが信じていたような、透徹した至高の宇宙原理のような神なら信じられるのだな、と胸落ちするものがありました。
やはり、そうそう簡単にレッテルをはって人を見てはいけませんね。
むろん、彼の科学者としての枠を越えた個人的主張や独断をすべて首肯するものではありませんし、彼には、われわれ人間がみな生まれつきもっている心のかたくなさ、つまり、自分は神などから自立して生きたい、自分の人生に主権的に干渉する神などいらない、という部分が突出して表われているという評価は変わりませんが。
その彼にも、十字架の愛を知ってほしい、というはちこさんの優しさには胸を打たれます。はちこさんのパスターの心やわらかさも素敵です。コリンズ博士のキリスト者的な柔和さもすばらしい。
さて、その創造vs進化ですが、上記Colsonの”How Now ...” は完全にID説に基づく、進化否定の立場で書かれていました。こういう本ばかり読んでいると、福音派はこの方向で行くしかない、という気がしてきますね。70年代からこっち、日本で出版されてきた福音派の進化関係の本はほとんどみなそうではないでしょうか。
ところが、現代の福音派の代表的な神学者のひとりである、Wayne Grudem著”Systematic Theology”を読むと、その創造に関する章では、かなりぼぼるパパさんや改心(笑)したパスターさんの立場に近いのですよ。進化を支持する堅固な科学的データは多い。それを退けるだけの聖書的なデータは乏しい。むろん進化に立たない創造説をとることも聖書的に不可能ではないが、科学的に何が真実であるかを聖書的に確定することはできない以上、どちらの側も独断的な主張は避けるべきである。また、今後のデータの蓄積をも待つべきである、といった感じでした(うろ覚えなのでやや不正確かもしれませんが)。アダムとエバの特別な創造ははっきり主張していますが、Grudem博士は決して有神論的進化論に心も立場も閉ざしていないのだと感じられることでした。
聖書の十全霊感をしっかり信じている福音主義者の神学者が、この問題については、異論の余地がありえることだとして、このように硬直的でない、柔軟な姿勢をとっていることに嬉しくなります。
自分が育ってきた70年代、80年代の福音派の主張についても、聖書的に照らして吟味し、守るべきものは守り、正すべきものは正して行くことが必要なのだろうな、と思わさせられます。

はちこはちこ 2007/09/28 10:13 Viviさん、
私も、ドーキンスのような人が言うことには、真摯に耳を傾けたいと思うんですよ。彼の論調は相当攻撃的らしいのですが、その背後で、彼がどこにつまづいているのか、私たちもへりくだって考えたいですよね。神を知るのも、おっしゃるように個人的な関わりをいただくこと抜きにはありえないし、ドーキンスのような人と話をする時も、理屈で議論するだけでなく、その人と個人的に関わることが大切なんだろうなぁと思わされました。こうして一緒に考え、分かち合えること、感謝です!

浩子さん、
「主を知る」というのは、本当に、私たちの知性、理性、感情、感覚、体験のすべてを総動員させていくものなのだなぁと思います。頭でわかっていても、感情がついて来ない時もあるし、逆に感情的には受け入れられるけれど私たちの理性が納得しないという時もありますよね。また、聖書の約束は信じているけれど、実際の生活ではそれを体験できていないという時もある… どれか一つに私たちの信仰の基盤を置こうとするなら、いろんなところでつまづいてしまいますね。でも、浩子さんが分かち合ってくださったように、感情がついて来ない時、理性がついて来ない時、体験がついて来ない時、無理に自分を納得させるのでなく神様の前で思いきりもがくことで、それぞれの部分が鍛えられていくのかもしれないなぁと思いました。信仰の筋トレでしょうか? 
そして、証をする上でも、人の心を動かすことのできる実体験というのは、何かすごい奇跡を体験したことがある、とかいう次元のものではなくて、私たちがいかに神様の前で真摯にもがいてきたか、ということなのかもしれないとも思わされました。というのも、浩子さんとの関わりの中で、そのことを感じさせられています。ありがとう!

タロウさん、
ドーキンスの思いの中に、何か大きな、壮大な神観が存在していることを感じさせられますよね。聖公会の神父さんの言葉にも、私たちの理解の範囲を越えた大きな神の存在と、その壮大な神を知りたいと求めて止まない人間の願いを感じます。
ご紹介くださった対談集、タイトルは覚えてらっしゃいますか? 興味深げな本ですね。私も読んでみたいなぁと思いました。

たいちゃん、
あの記事、9ページだからね、長いよね。私も、長っ!って思った。(笑) 
meekさんも書かれていますが、私もその御言葉を思い出していました! 神様を知るって、奥が深いよね。でも、遠くて長く感じられるこの道のりこそが、私たちの信仰生活の醍醐味(?)なのかもね。

meekさん、
進化論は、実際いろいろな分野に進出していて、「科学」だけの範疇にはおさまらず、無神論的世界観に加担してしまっている部分が確かにあるので、それでクリスチャンとしては危機感を覚えるのですよね。でも、クリスチャンの科学者たちも、「科学」の範疇内での進化論にはそれなりのデータと裏付けを見いだしているようなので、それを「擬似科学」で片づけてしまうのはやはりどうかと思います。日本のクリスチャンの学者の間でもそういう声をあげている人はちゃんといて、私がこの夏日本で買ってきた「進化をめぐる科学と信仰」(大谷順彦著 すぐ書房)はとても良い本だったと主人が言っていました。(彼に先に渡してしまったので、私はまだ読んでいない… (^_^;;)大谷先生は経済学者なのですが、つくば市の近くにある土浦めぐみ教会の教会員で、土地柄(?)、こういった問題に教会をあげて関心が高いようです。

erinaちゃん、
ああ、そうだったんだ、賛同という以上に、もっと内側で共感してくれていたのね。嬉しいです。(^^)
クリスチャンになった後も、自分の中で決着のついていない問題が残っていることは、実は珍しくないと思うの。それを抑圧するのでなく、神様の前で安心して探り求め続けていきたいね!

うさたろうさん、
素晴らしいフォローを感謝します! 正直に言うと、うさたろうさんからのコメントがあるのを見た時、ちょっとドキドキしながら読んだんですよ。うさたろうさんは「保守」のつく教団の方だし、私が書いているようなことは、けしからん!と叱られちゃうかな、と。(笑)
ドーキンスの執拗(?)とも言えるキリスト教攻撃は、普通の無神論者の域を越えているようにも思えますよね。何か個人的なissueがあるのかなとも思わされます。それだけに、コリンズとの対談でのドーキンスは、鎧をおろしているというか、ほんと、純粋な感じがしましたよね。真っ向から反論してはいるけれど、honest で
transparent だと感じました。それはやはり、相手がコリンズ博士であればこそだったのでしょう。彼の学識と、内側からにじみ出るキリストの品性の前に、ドーキンスの心も多少は柔らかくされたのかなと思いました。ドーキンスは、コリンズほどの科学者がなぜこうもあっさりと「神」を持ち出してしまうのか、聖書の神を信じると言えてしまうのか、それに対する苛立ちと、同時に羨ましさのようなものを感じていたのではないだろうかと、勝手に私の中で妄想を膨らませています。(笑)私も「フランシスと呼んでいいかい」のくだりにはにっこりしました。

>こういう本ばかり読んでいると、福音派はこの方向で行くしかない、という気がしてきますね。
本当にその通りなんだと思います。福音派のクリスチャンには、この件についてはオプションが与えられていないというか… ぼぼるパパも、相当苦しい思いをしてきたそうです。私に対しても、彼がカミングアウト(?)してきたのは、この数年のことなんですよ! 最初は二人の間でもかなりもめました。(笑)

Wayne Grudemのご紹介もありがとうございます! 私だったら到底手を出さないような本なので、ご紹介いただけて大いに励まされました。

>自分が育ってきた70年代、80年代の福音派の主張についても、聖書的に照らして吟味し、守るべきものは守り、正すべきものは正して行くことが必要なのだろうな、と思わさせられます。
アーメン!

うさたろううさたろう 2007/09/28 14:37 コメントへのコメントありがとうございました。
(思うところをつらつら書いて投稿しましたら、思いの外たくさんの行数になってしまうものですね。しかも、あの内容で...。以前に言われていましたように、はちこさんのブログのコメントの濃度をまた上げてしまったようで申し訳ありません。)

>> ちょっとドキドキしながら
わはは! しかも、あの長さの文章でしたからね。あいすみません。まあ、うちの教派名は「鬼面人を驚かす」というやつですよ。中身はひょうひょうとした紳士が多いことは、はちこさんの先輩であるM師を見てもわかりますよね。

>> ドーキンスの執拗(?)とも言えるキリスト教攻撃は、普通の無神論者の域を越えているようにも思えますよね。
うむ。そうなんですよ。彼はその著書『利己的な遺伝子』で各界に大きな影響を与え、そのprestigeを後ろ盾にして、以後、self-imposedな反キリスト教の闘士になっていったのですよね。それがなぜかはわかりません。
前記のアリスター・マクグラスは、最近、”The Dawkins Delusion?”という刺激的な題名の本を出版したようですが、Amazonでのこの本のReviewを読むと、Reviewers 同士の掛け合いが面白く、ためになり、読まなくとも楽しめます。
マクグラス自身、科学者としての過去があり、そこから神学者になった人ですが、ここ数年、ドーキンスに対して心柔らかく接してきたこと、個人的にも、公にもやりとりをし合い、その中でドーキンスが自分の非を認めるような場面もあったこと、しかし、それでも『神の妄想』に見られるような偏見に満ちた主張を変えない彼の姿勢に対する嘆きのようなものを感じていることがうかがわれます。その毒舌ともいうべき攻撃的な姿勢には、同じ進化論者の中でも、それはいかがなものか、という意見が出ているらしいですね。
何か、この反宗教的な凝り固まりぶりは、『カラマーゾフの兄弟』に出て来る兄息子に似た印象がしますね。あ、ドストエフスキーのこの大著は未読なので、これ以上の深いコメントはできないのですが(笑)。

>> 彼がカミングアウト(?)してきたのは、この数年のことなんですよ!
存じ上げております。でもご夫君のご意見をはちこさんがこのブログの中で色々と分かち合ってくださっていたからこそ、前記Grudemの本の内容を読んだとき、素直に受け入れられたということは大きくあるのですよ。
ぼくが有神論的進化論について、一番のつまずきを覚えていたのは、創世記に書かれているアダムとエバの創造が、どう見ても、それまで何百万年もの進化を経てきた末に、ある世代でアダムやエバという両個人がぽっと理性と霊性を備えた人間になった(された)とは受け取れないことだったのでした。エバがアダムのあばらから取られて創造されたことは、明確に書かれており、パウロも肯定していることでしたからね。
Grudemは、人間の創造と、その他の被造世界の創造とを明確に分けて論じていたので、その点で自分としては抵抗を感じることはなかったのです。

>> 私だったら到底手を出さないような本なので
確かに ”Systematic Theology” という題名は、とっつきにくいものかもしれませんね。でも、Grudemのこの本は、かんで含めるような教育的なもので、technicalな記述を極力排した、やさしい語り口の、しかし、徹底的に手を抜かない、そして何よりも、良い意味で devotional な本ですよ。毎章ごとに、最後には個人的な適用の質問と、暗唱聖句と、礼拝の賛美があげられており、実際、日々の霊想にも、グループでの学びにも用いることができるくらいのものです。一般信徒が神学を体系的に学ぶための一冊としては、現時点では最適のものだと思います。
しかもとても廉価です。いまAmazonで買うと、26.39ドルですか。なんなんでしょうね、そちらでの神学書の安さは。やはりマーケットと需要の大きさでしょうか。最近日本で邦訳が完成したMillard Ericksonの『キリスト教神学』は、全四巻を定価で買うと17,000円するのですが、原著は49.99ドル、Amazon.comで買うと32.99ドルではありませんか。
爪に灯をともすようにお茶の水CLCの洋書部で神学書を買っていた学生の頃にくらべると、良い時代になったものです。
あの頃、今の時代の100円ショップとかがそこら中にあったら、もっと豊かな(笑)生活ができたのにと今でも思うことがありますね。
って、話題がそれましたので、このへんで。

うさたろううさたろう 2007/09/28 14:57 セルフ突っ込み

>> 『キリスト教神学』は、全四巻を定価で買うと17,000円するのですが

暗算まちがえました。
3200 + 2800 + 4200 + 5000 = 15,200円やん! 
つつしんで、17,000円 --> 15,200円と訂正させていただきます。

はちこはちこ 2007/09/28 21:08 うさたろうさん、
ええ、また濃度が上がりましたね。(笑)でも大歓迎ですよ!

マクグラスの件、情報ありがとうございます! 早速アマゾンでチェックしてみました。ドーキンスにstrike back すべく(?)、三連作を出したのですね。もっともこれは、ドーキンスと論じ合うためというよりは、ドーキンスの本を読んでひきつってしまった人たちが、ドーキンスの弁舌に引き込まれないようにするために出されたのかもしれませんね。ドーキンスの不思議なところは、自分自身がファンダメンタルな信仰者を毛嫌いしているくせに、彼の無神論者としての態度も、まさにファンダメンタルなところですね。マクグラスとの対話においても彼はけっこう素直な一面も見せながら、著作や講演となると相変わらずの毒舌になるというのは、どういうことなのでしょうね。

有神論的進化論について、うさたろうさんの疑問はよくわかりますよ! 私も同じところで引っかかります。夫も、進化の過程で出てきたホモサピエンスと、神の息を吹きこまれて造られたアダムとの関係が説明しきれない、みたいなことを言っていました。とにかく、現在のデータでは、説明しきれないことが多々あるのも間違いないことですから。

日本語版が原著より高くなるのは、やはり翻訳の労が加わっているからでしょうかねぇ。原著を買うにしても、今の方が昔よりも安いですしね。私たちが大学生の頃は、1ドル=250円くらいでしたから。(って、年が… 笑)

タロウタロウ 2007/09/29 01:57 僕の長々としたコメントに答えてくださりありがとうございます。
お体の方は、大丈夫ですか、お大事にしてください。

コメントの中で書いていた本は
「率直にきこうあなたはなぜ神など信ずるか」という
タイトルで女子パウロ会というカトリックの出版社から
出ている本です。
泉 秀樹 と加藤 宗哉 という人の著作になっていますが、
この二人が質問している作家です。
本は廃版になっているので、
古本屋などにあるかもしれません。
僕はたまたま図書館で見つけて、借りました。
とても面白い本でした。

はちこはちこ 2007/09/29 08:29 タロウさん
本のタイトルありがとうございます。アマゾンで調べてみたら、中古なら出ていましたね。
タイトルそのものも率直でいいですね!

meekmeek 2007/09/30 07:17 はちこさん、本の紹介ありがとうございます。とても興味深いです。
ここと出会わなければ、私はおそらく創造科学しかしらなかったかもしれません。

はちこはちこ 2007/09/30 17:37 meekさん
実は私自身、このトピックは取り上げるのにためらいがあったのですが、書きながら改めて自分でもいろいろ考え、自分が感じていたことを言葉にできたことで、一種の解放感のようなものを覚えています。神様の大きさを感じます。私自身は科学者ではないので、あまり専門的に調べたり考えたりはできないのですが、わからないこと、答えが出ていないことに関して、私なりに問題意識を持ち続け、主に尋ね求め続けていきたいなと思わされました。

はちこはちこ 2007/09/30 17:41 有神論的進化論であろうと創造科学であろうと、神の「創造の御業」であることには変わりはないのですよね。どちらも神様の偉大なる創造の御業のすべてを説明し尽くすことは出来ない… 主の御業の大きさに思いを馳せる時、何とも言えない厳かな思いにさせられますね。

たいちゃんたいちゃん 2007/10/03 22:32 記事も長かったけど



コメントも

なぁがっっ



(笑)

はちこはちこ 2007/10/04 08:40 たいちゃん、
あはは! ほんとだよねー!

なぁがっっ!

TeoTeo 2009/03/01 06:07 >私たちがどれだけ「科学的データ」や「証拠」を積み上げていったとしても・・・

本当にそうだと思います。ドーキンス博士のような人たちは、どんな合理的な証拠や推論を与えても、科学的見地ではなく実は彼らの哲学が邪魔をしてそれを認めないだけだと思います。知的創造者である神の存在を否定するという結論に達している彼らは、どんなに有力な証拠を目の前にしても「ちょっと待った、将来神を否定するもっといい何かが見つかるかもしれない」と思うのです。
また、論理的・知性的疑問や教会やクリスチャンが原因で神を信じられないと言う人たちを、今まで何人も観てき分ったのですが、それらの理由は建前でほんとうの理由は別にあるということです。信じたくない本当の理由から逃げるために科学や知性やその他諸々を持ち出しているだけなので、ほんとうは聖書をよく知らない人たちがほとんどでした。
進化論は、致命的な欠陥を持つ、ダーウィン時代と同様に現在でも、直接の証拠を一つも持たない推論的仮説にすぎませんが(獲得形質は遺伝しないというメンデルの基本法則を無視して時間任せの無責任な生物進化を仮定としている、信頼できない年代測定法の上に進化論のすべてが成り立っている、染色体上の遺伝子の突然変異はその種にとって病気や不都合を引き起こすばかりで、突然変異がその個体に対して生存上のメリットとなる新たな特質を与えて進化したなどという観察は、今までただの一例もない、等)、前述の理由で、創世記を裏付けるどんな証拠があっても彼らは永久に認めないでしょう。前提条件が違うので、何を言っても観意味なんですね。
私がホーキンス博士に言えるのは次の事と、彼の救いのために主に祈るだけです。
「命は自然に発生し、弱いものは滅んでいくという生命観は、虚しくないですか?人は、計画も目的もなく、ただ偶然に生まれたと信じる人生は、楽しいですか?なぜ自分は生まれたのか、人生の意味は何であるのか、どこへ向かうのか、そして死んだらどうなるのわからない根無し草のような価値観が、あなたの心をすさませているのではないですか?聖書の真実性を疑うあなたの知識や理性をひとまず脇に置いて、自分の心と思いを尽くして受け入れる姿勢を持って御覧なさい。あなたが、偏見のない公正な視野を持つ本当の科学者で真摯な人ならば、イエス様の教えはこの世界のどんなものとも違い、聖書が人格的な創造主から啓示された真理であると確信できるようになりますよ!」

「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」エレミヤ 29:13

はちこはちこ 2009/03/02 11:38 Teoさん、
お返事遅れてしまってごめんなさい! コメントありがとうございます!

『ゲノムと聖書』の著者も、信じるか信じないかは科学的事実の問題ではなく、本人が持つ哲学の問題だ、というようなことを言っていました。

もし機会がありましたら、ぜひ『ゲノムと聖書』もお読みになってみてください。(^^)

2007-09-25

ec07 プロモ動画 on YouTube

12:38 | ec07 プロモ動画 on YouTubeを含むブックマーク

D


ec 07 one m.o.re

http://equipper.org/2007/index.htm

ああ〜、今年もec がやって来る!

God vs. Science: Time誌の記事

12:38 | God vs. Science: Time誌の記事を含むブックマーク

 昨日の記事の続きとして、私なりにいろいろ感じている事、考えた事、また、みなさんのコメントを読んで新たに気づかされた事など、書き留めておきたいのだけれど、毎日ブログばかり何時間も書いているわけにもいかないので、今はちょっと我慢。

 とりあえず、メモとして、昨年秋のタイム誌に掲載されていたリチャード・ドーキンスとフランシス・コリンズの対談記事のURLを書き留めておこう。(ぼぼるパパのお薦め記事で、私はまだ読んでいなかったので。)


 この記事に登場するドーキンスはオックスフォード大学の進化生物学者で、無神論者としても著名。彼が書いた『The God Delusion(邦題:神は妄想である)』は、NYタイムスのベストセラーにもなった。(来週シカゴ大学に来て講演するらしい…)

 対するフランシス・コリンズは、あのヒトゲノム計画のリーダーで、もと無神論者だったのがDNAの研究を進める中で、クリスチャンになった人。彼の科学と信仰に関する見解を記した『The Language of God: A Scientist Presents Evidence for Belief』は、うちのパスターも薦めていたので、私も今朝アマゾンでオーダーした。(ちなみに、創造に対する彼の立場は、「有神論的進化」です。本を薦めつつも、うちのパスターは、その点についてはコリンズには同意しない、と言っていた。)


関連記事:

みちこみちこ 2007/09/25 19:12 はちこさん、こんにちは!
今朝の千葉は少し曇っていますが、秋らしくさわやかです。
昨夜は中秋の名月がとても美しく、幻想的でした。
昨日の記事、とても興味深く拝読しました。
いつもすばらしいお分かちを本当に感謝します。
神様がくださる愛と救いだけを伝えることは簡単なようで
むずかしいですね。人は、感じとることだけでは不安で
自分の理解できる範囲での証拠を求めてしまうものなのでしょうか。
「クリスマスは12月24日じゃないんだ」とか「馬小屋でうまれたのは
ちがうらしい」とか私も聞くことがあります。
でも、そのたびに感じるのは私にはそれは重要なことじゃない、
ということなんですよね。
重要なのは、いつであれイエス様が生まれてくださったこと、
それも、この私のせまくて汚い心に、私を救うために、ということで。
もしかしたら、私の知識のなさや不勉強をそうしてごまかしているのかも
しれませんが……。

キャベツキャベツ 2007/09/25 19:30 はちこさん ご無沙汰しておりました 今は亡き(ってこたないか)キャベツです
唐突にすみません ec07のプロモ動画を(もしや?)と思って見ていましたら なんと私の長男が映っていました。スモールグループ というタイトルの後で出てくる 女の子に体当たり?されてる青年がそうです。今は日本に帰り大阪で勤務しています。なつかしいなぁ〜〜〜。

はちこはちこ 2007/09/25 20:08 みちこさん
夕べは中秋の名月でしたか。すっかり忘れてて、空を見なかった。しまったー!

私たちは、「理解」する必要がない、ということではないと思うんですよ。昨日引用したヘブル書の箇所でも、私たちが「悟る」(英語では「理解する」)ようにと書いてありましたよね。信仰って、何でも無批判に丸呑みすることとも違うのでしょうね。「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くして」神を愛しなさい、という御言葉からもそれがうかがえますね。
クリスマスが12月だろうと10月だろうと、ほんと、私たちにとって救いの意味には変わりはないですよね。何が枝葉で、何が福音の根幹なのか、自分の中でも、そして他者に証する時にも、それを明確にしておきたいものですね。こだわるべきところと、そうでない所を見極めるための知恵も、主から与えられますように…

キャベツさん!!!!
お久しぶりです。お元気でしたか? そうですか、ご長男が、動画に映っていましたか! とても良い笑顔をしてましたね。楽しそうで… あの時のecには、私も行ってたんですよ!
今は大阪ですか。今年も行きたいなぁなんて、考えているかもしれないですね!一度行くと、病み付き(?)になるんですよ。(^^)

erinaerina 2007/09/26 01:51 こんにちは♪
昨日から何度書いては消し、書いては消しを繰り返したでしょうか。
創造と進化について。
実体験も含めて色々シェアしたいことはあります。
けれど要点だけ。
何故なら、今の私には今思っていることを文章として形作れないくらいいろんなことが溢れているからです。
でもそんな中で、端折り過ぎかもしれませんがはちこさんが書かれた内容に感銘し、またすっごくその考え方や思いに共鳴(日本語の使い方があっているでしょうか)してしまいました。ちなみに、賛同とかではなくて、あくまでも共鳴です。
それと、この説教ってウェブかCDかで聴くことはできないでしょうか。

meekmeek 2007/09/26 05:22 キャベツさんって、もしかしたら、2004年7月にS県であった、Sカンファレンスに参加されてたキャベツさんでしょうか?もしそうなら私、同じグループだった者です。キャベツさん、別れ際に名刺を下って、裏にキャベツと書いてありました。もし違ってたらごめんなさい。

進化と創造の記事はあまりにもすごすぎて、言葉になるのは時間がかかりますね。いろいろな思いが心にめぐります。続編も、ゆっくり、じっくり、と主が祝してくださいますように。

はちこはちこ 2007/09/26 08:22 erinaちゃん
私が以前行ってた教会のパスターは、mature people can disagree with one another とよく言っていたものでした。クリスチャンの中でもいろんな意見があって、同意できない時があっても少しも不思議ではないですよね。賛同はしないけれど共鳴はできるって、素敵だなぁと思いました!
この説教、ウェブで聴けます。24日の時点ではまだアップされていなかったけど、今みたらアップされてました! 
http://www.parkviewchurch.com/multimedia/9-23-07/why_science_and_bible.mp3
このパスターは、スライドやビデオを見せたり、途中でいろんなユーモアをはさむので、音声だけだとちょっとわかりにくい部分もあるかもしれません。冒頭で、「私は進化論が正しいという証拠を、America’s Funniest Home Videoの中に見つけました!」と言って、犬が言葉を話しているように見えるかのようなユーモラスなビデオを見せたのですが、ビデオの部分の音声はカットされているので、???だと思います。それだけちょっと、warning.

meekさん
おお、キャベツさんと知り合いかもしれないのですね! こうしていろいろなところでつながっているのを知ると、嬉しくなりますねー。^^

2007-09-24

クリスチャンにとっての創造論vs.進化論って?

| 12:23 | クリスチャンにとっての創造論vs.進化論って?を含むブックマーク

 聖書と科学は相容れないものなのか?というテーマの昨日の礼拝メッセージの話の続き。

 なぜ今回、パスターがこのトピックをとりあげたのか、それは彼自身の痛い経験があったからだ、と冒頭に彼は説明した。

 このブログを以前から読んで下さっている方たちは覚えているかもしれないが、昨年6月、うちの教会に無神論者の青年を招き、壇上でパスターと対談したことがあった。(その時の記事はこちら。)本当に素晴らしい対話で、私もそこから多くを学んだ。ただ唯一、話題が進化vs.創造に及んだ時だけは、パスターの態度がやや意固地気味になり、同じ土俵での「対話」になっていないのが感じられ、それだけは残念だったなぁと私は思っていた。その後、パスターはこの無神論者の青年や彼の仲間たちと、ブログやメールで進化vs.創造についてしばらくやりとりをした。パスター曰く、その結果は悲惨で、結局のところ、サイエンスに関しては素人であるパスターは、大学で生物や化学を学んで来た無神論者たちの前に、こてんぱんに論破されてしまった。何が悲しかったと言えば、パスターは別に、進化vs.創造について話がしたかったわけではなく、神様のことを語りたかったのに、自分の曖昧な進化論批判のせいで彼らをつまづかせてしまい、本当に大切なことについて、まったく話す機会がもてなかったことだった、と彼は言った。

 ブログ上での彼らのやりとりは、実は私もしばらくフォローしていた。パスターなりに、創造を支持する「科学的根拠」を述べたり、進化論の間違っている点を述べようとしていたが、相手は、化学や生物の専門家たちで、パスターは突っ込みに突っ込まれていた。最後にはパスターは「私はサイエンスの専門家ではないのでこれ以上はわからない。もう議論はやめます」と投げ出してしまった。すると、「よくわからないのならなぜ、進化論を批判しようとしたのか? あなたは素晴らしい牧師だとは思ったけれど、このような無責任な主張や議論をするのであれば、あなたがいくら『神の愛』について語ろうとしても、あなたの語る言葉には耳を傾ける価値がないと思ってしまう」と一人の無神論者が言った。私は、この無神論者の言うことはもっともだと思い、胸が痛んだ。私自身、これは心に刻んでおかないといけないと思ったのを覚えている。

 このパスターは、福音主義の教会の牧師なら珍しくないと思うが、進化論を批判し、ID(インテリジェント・デザイン)論を支持していた。教会でもそのように教え、私たちがこの教会に来るようになる直前には、子供たちの学校の理科の先生に手紙を書いて、学校でも創造論やIDを教えるよう頼もう!キャンペーンをやっていた程だった。理科の先生に送るサンプルの手紙を教会員に配布し、いかに進化論が間違っているかを説くDVDも制作していた。

 彼のこのような行動はすべて、聖書を神の言葉と信じ、イエスを愛すればこそだった。だからこそ、せっかく無神論者たちと良い関係の中で会話をする機会が与えられたのに、結果として自分の言動が彼らをますます神様から遠ざけてしまったことに、彼自身、大きな痛みを感じたのではないだろうか。

 その後パスターは、このトピックに関するアプローチの仕方について、神様に知恵を求めたのだと思う。その結果が、昨日のメッセージだったのだろうと思う。

 最初にパスターが言ったのは、聖書と科学というと、相容れないものであるかのように議論されることが多いが、実際にはそうではない、ということだった。実際のところ、双方に極端な考えをする人たちがいて、ある人たちは「科学がすべてで、神の入る余地はない」と言い、またある人たちは、「神がすべてで、科学の入る余地はない」と言う。パスターは、後者のようなクリスチャンたちに悪気がないのはわかるが、彼らは勉強不足、情報不足であり、聖書を信じるクリスチャンは頭が悪い、という印象を世に与えてしまう、と言った。どちらの立場を取る人たちも、目の前にあるデータを無視し、自分の信条だけを押し通そうとする点で、無責任ではないだろうか、とも言った。

 そして彼は、会衆に向かい、「私もまた、自分の信条を固守するあまりドグマティズムに陥り、みなさんの信仰を傷つけてしまったことがあったと思います。まず最初に、そのことについて謝罪します」と頭を下げた。自分が間違えたと思った時、それを素直に皆の前で認めて謝罪できる人って、素晴らしいと思う。この誠実さとへりくだりこそ、私たちがイエスさまについて世に証しようとする上で、どんな理論武装よりも、一番の「武器」になるんじゃないだろうか。

 パスターは、聖書と科学は敵対しあうものではなく、どちらも正しく理解されるならば、本来調和するものであると言った。(これは、ぼぼるパパも以前から言っている通り。)

 科学とは、「HOW(どのようにして)」ということを探求するものであるのに対して、聖書の創造の記述が私たちに語っているのは「WHO, WHAT, WHY(誰が、何を、なぜ)」である。また、聖書の記述には、字義通りに解釈すべき箇所と、比喩表現または象徴的表現として解釈すべき箇所があるのも忘れてはならない。

 創世記1章には、「神は二つの大きな光る物を造られた」とあり、大きい方には昼をつかさどらせ(太陽)、小さい方には夜をつかさどらせ(月)、また星を造られた、とある。この箇所を文字通りに理解しようとすれば、天空には太陽と月という二つの光の源があり、月は星よりも大きいということになる。しかし現在の科学では、月は光を発していないし、月より大きい星は無数にあることは周知の事実。では、聖書の記述は間違っている、ということになるかといえば、そういう問題ではなく、当時の読者にわかるように表現したのだろうと言える。また、現在の私たちは、地球が自転しているのであり、空が回っているわけではないこともよく知っている。聖書には「日が昇る」「日が沈む」という表現が出てくるし、私たちだって日常的にそういう表現を使うが、だからといって、聖書が間違っているとか、私たちが非科学的だというわけではない。慣習的にそういう表現を用いているだけで、それによって科学的真理を述べようとしているのではない。また、黙示録に「地の四隅」という表現が出てくるからといって、地球が四角い平べったい形をしているわけではないことも現代の私たちはよく知っている。(昔はそう思われていたらしいけど。)

 創造が本当に六日間で行われたのか、それとも実際はもっと長い期間がかかったのか、神学者の聖書解釈にも諸説ある。地球や宇宙の年齢についても、科学者の間のコンセンサスはあるが、それだって新しいデータがでれば、今後また修正されるかもしれない。ちなみに、アメリカの福音主義の神学校のサイエンスの学部では、27%が「若い地球(地球の年齢は約6000年)」説、45%が「古い地球(地球の年齢は数十億年)」説、そして27%が「有神論的進化論(神が進化のプロセスを始めた)」の立場を取っているらしい。(残りの1%はそれ以外ってこと?)

 そして、パスターは、「私がここで言いたいのは、これが本当に重要な問題なのか? これは我々の救いに関わる問題なのか? もちろん違う!ということです」と言った。仮に創世記1章の六日間での創造は比喩的な記述であると解釈したとして、それではイエスの処女降誕やその他の聖書の奇跡の記述も、全部比喩的・象徴的であると解釈しないといけないのかといえば、それはまったく違う。私たちが目を留めるべきなのは、「HOW」ではなく「WHO」であり「WHY」の問題である。創造が文字通りの六日間であろうと、数十億年であろうと、神が私たちを愛の対象として造られ、神であるイエスが私たちを罪から贖うために人となってこの地上に生まれ、十字架にかけられ、死なれ、蘇られたと信じる信仰には何ら差しつかえない。

 ここまでメッセージを聞いていて、私は心の中でハタと気づいたことがあった。第一ペテロ3:15には「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい」とあるので、私は創造に関することなども、説明を求める人がいたらちゃんと弁明できないといけないと思っていた。しかしここでペテロが言っているのは、「あなたがたのうちにある希望について」なのだ! 神様は、創造についてもちゃんと説明できるようでいなさいとは、おっしゃっていなかった。 申命記には「隠されていることは、私たちの神、主のものである」と書かれている。

 1916年に、科学者たちに「人間と個人的な関係持つような『神』の存在を信じますか」と尋ねたところ、40%が信じると言ったらしい。その後1990年代になってから、再び同じような設定で、科学者たちにまったく同じ質問をしたところ、神の存在を信じると答えたのはやはり40%だったそうだ。増えも減りもしなかった。70年以上の間に科学は相当進歩したはずなのに、新たに蓄積されたデータによって、さらなる人たちが神を信じなくなったわけでもなく、信じる人が増えたわけでもなかった。結局のところ、科学のデータそのものは神の存在に関してはあくまで中立であって(それが科学のルール)、それをもって神を信じる、信じないの結論を導き出すのは、個々の人間の心の問題、信仰の問題だからなのだろう。

 パスターは言った。教会にとって大切なのは、この世に神を指し示すことです。この教会は、あなたが「若い地球」説を信じようと「古い地球説」を信じようと「有神論的進化論」を信じようと、別にかまいません。自分で調べ、考え、納得のいくものを信じてかまいません。「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り(understand)、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです(ヘブル11:3)」とある通りです。ただあなたがたにお願いしたいのは、あなたがどの説を信じようとも、その信条が、まだ神を知らない人たちにとってのつまづきとならないようにして欲しいということです。あなたが天国に着いたら、イエス様にどうやって地球や人間を造ったのか、聞くといいでしょう。きっとイエスは答えてくださるでしょう。ただその時、「なぜあなたは、わたしのもとに来ようとしていた人たちの邪魔をしたのか。わたしは、もっと大勢の人をわたしのもとに連れて来たかったのに!」と言われないようにしたいではありませんか。…

 私、泣きました。人の魂を恋慕ってくださる神様の、ハートビートを感じました。神様の大きな大きな御業と深い深いお心の中の、なんと小さな小さな一点に、私たちはこだわり捕われてしまいやすい存在であることでしょうか。科学と信仰について、これこそまさに神様が私たちに知っていて欲しいことなのだろうと、心にストンと落ちました。

 

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。(詩篇19:1)

 神様、すべての人たちの心の目が開かれ、あなたの被造物が語り告げている、あなたのご栄光と御手のわざを見ることができますように。私たちの自我やドグマが、その妨げとなってしまうことがありませんように。

 なが〜くなってしまってごめんなさい。読んでくださってありがとう。

追記:このトピックに興味のある方は、このブログ内の関連記事「ドーキンス vs. コリンズ」もご参照ください。

-ドーキンス vs. コリンズ(9/26/07の記事)

F子F子 2007/09/24 19:37 すばらしいお分ちをありがとうございます。 結局イエス様はどちらが正しいか、ではなく、 どうやってお互いが愛し合うかに一番関心がある方ですよね。 誠実さとへりくだりの中にある愛に目をとめて行きたいと思いました。

まきとまきと 2007/09/24 19:38 読んだよ。はちこさん泣ちゃったんだ。

タロウタロウ 2007/09/25 02:03 はじめまして。
私はキリスト教に興味をもって、
あるクリスチャンから、はちこさんのブログを紹介され
それ以来、キリスト教のプロテスタントの考え方のひとつとして
大変楽しく興味深く拝読させていただいてます。
「クリスチャンの成長を阻む12の誤解」は
大変勉強になりました。

今日の記事は大変興味深いものでした。
私は以前教会に少しの期間行ってましたが、
色々と疑問に思うことが多くありました。
そのひとつが進化論と創造論の議論でした。
聖書に書かれていることは
科学と相容れなくても僕はいいと思います。
無理に聖書に書かれていることを科学的に説明しようとすれば
それこそ大変な議論になると思います。
聖書に書かれていることは、
たとえば創世記に書かれていることは
神話的側面があると僕は思いますが、
それで、神を信じないとかいう風には思いません。
はちこさんの教会の牧師さんが
無神論の学生たちとの議論をやめてしまったのは
無理のないことだと思います。
プロテスタントの福音主義のクリスチャンの方々にとっては
聖書に書かれていることはすべて真実である必要せいのために
進化論や創造論について
むりやり聖書の言説にこじつけていく姿勢というのは
僕はおかしいと思います。
僕は何故そこまで聖書に固執するのかがよくわかりません。
聖書はキリスト教の信仰において、
大切な書物だと思いますが、
あくまで、信仰の参考にするものではないかと思います。
聖書にこだわりすぎる考え方というものに
僕はどうもついていけませんでした。
そのため今は教会にも行っていませんが、
聖書も含めた色んな本を読んでいます。
新約聖書学者の本やプロテスタントの一信徒の書いた本などです。
そうすると教会に行っていた頃より
より聖書に対する理解が進んだように思います。
しかし、僕もある意味つまずいた人間なのかもしれません。
僕の書いたことの中でおかしいと思うことがあれば、
遠慮なく、ご指摘ください。
僕は今、求道者なのだと思います。
僕は今後も学んでいきたいと思います。
長々と勝手なことを書いてすみません。

まきとまきと 2007/09/25 03:55 ドグマを越えて自分が希望に生き、感謝の心、愛に目覚める。そのことにおいて科学思考が、果たす領域との違いは、確か河合隼雄の解釈にもあるように、対象を自分から離れたものとするのかどうか、確認したいです。西洋型の思考ではない、対象を自分をも含んだものとすることにおいて、僕の側では良く話をします。それは仏教との対話であったり、哲学との融合であったり、僕も器量を超えるので、牧師に聞いてくれといいたいところです。けれど、現代に生きることにおいて、僕が導かれているのは、旧来のドグマでは、文字に仕えるだけで、自己を相手に押し付けるだけになっていると思います。キリストはキリスト教を伝えようとしたのではなく、神の世界を伝え、自分も生きて、示そうとしたと思います。自分も過去に教わってきたことをinterpritation/transration して自分の言葉で生きたと思います。
長くなってしまいました。ありがとう。

meekmeek 2007/09/25 06:31 興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。今後も続編を期待いたします。

kayakayakayakaya 2007/09/25 07:33 牧師が素直に誤りを認めたところが感動的でしたし、論点が整理されていてわかりやすかったです。よい文章をありがとうございます。

遠山遠山 2007/09/25 10:16 聖書には 天国への行き方 が書いてあって、それこそが売りなのに、
どうしてクリスチャン自らが、それ以外のところで勝負を挑もうとするのでしょうね。
そういう私も中学生の時は、一生懸命 進化論を否定していました。
もしかしたらクリスチャン自身が「罪」にあまり向き合いたくないから、
無意識に土俵を「科学」に移してしまうのかなと、かつての自分を省みて思います。

はちこはちこ 2007/09/25 11:40 F子さん
もし神様が私に、創造が「どのように」行われたを知っていて欲しいと思われたなら、神様は最初からちゃんと聖書にそれを記してくださっていただろうと思うんですよ。でも、私たちが創造についてのHOWを知ることは、神様にとって重要ではなかった。F子さんがおっしゃるように、神様が私たちに知っていて欲しいと願うことは、他にあったんですよね。その肝心な部分からはずれてしまいたくないものですね。もちろん、科学そのものが神の御心外だというのではないですが。神さまは、ご自分の子供たちが科学を通しても主の創造の御業の偉大さを垣間見て、主を褒めたたえる様子を、嬉しそうにご覧になっていることでしょう。^^

タロウさん、はじめまして! 
コメントありがとうございます。このブログを読んでくださっているとのこと、とても嬉しく思います。
クリスチャンが聖書を大切にし、ある意味、そうですね、「固執」するのには、理由があるのですね。クリスチャンにとって、聖書は私たちに与えられた神のことばなので、他の参考文献とは、一線を画すのです。ただ、その聖書解釈とか、神学とか教理と言われるものについては、未だなお「不完全」な部分もあるのだと思います。神学が「完成」してしまったら、私たちは神学書だけ読んでいればよくなって、聖書が必要なくなってしまうでしょうから、神学がいつまでたっても完成しないのは、それも神様の御心なのかもしれませんね。聖書の理解を深めるために、聖書以外の本を読むことは良いことだと思います。実際、素晴らしい本はたくさんあると思います。

>進化論や創造論についてむりやり聖書の言説にこじつけていく姿勢というのは僕はおかしいと思います。
私もそう思います。まきとさんも指摘しておられましたが、私たちは聖書を読む時、文字そのものに捕われるのでなく、その背後にある神様のお心を知ろうとすることが大切だと思います。(聖書はそれを、「文字に仕えるのでなく、御霊に仕える」と言っています。)そしてそれは、私たちの勝手な解釈によるのでなく、聖霊が私たちに教えてくださるのだと思います。タロウさんが、聖書や聖書以外の参考文献を読みながら聖書や神についての理解を深めている時も、それを可能にしているのは聖霊なんですよ。^^

タロウさんがキリスト教に興味を持たれ、今後も学んでいこうと思われていること、とても嬉しいです。またこれからも、気軽にコメントしてくださいね!

まきとさん
河合隼雄の解釈については、私は不勉強なので何ともコメントできませんが、文字に仕えて自己を相手に押し付けるのでなく、神の世界に自らが生きることでそれを他者に示すというのは、私も共感します! いつもありがとう!

meekさん
meekさんも科学と信仰についていつも深く考えておられますから、遠慮なく何でもコメントしてくださいね!

kayakayaさん
コメントありがとう! 念のためですが、牧師が誤りを認めたのは、進化論を否定していたことに関してではなく、極端に走った自分のドグマを信徒に押し付けたことについてです。 牧師は立場上、自分のドグマを信徒に押し付けることは容易いですが、だからこそこうして、いつも誠実に自分自身を吟味し、行き過ぎたと思った時にはすぐに訂正してくれる牧師には、本当に感謝だなぁと思います。

遠山さん

>もしかしたらクリスチャン自身が「罪」にあまり向き合いたくないから、無意識に土俵を「科学」に移してしまうのかな
これは鋭い視点ですね。
聖書の本質とはズレたところで、クリスチャンたちがあまりにも侃々諤々やっていると、神様もがっかりしてしまうでしょうね。

ゆみりんゆみりん 2007/09/25 13:36 いろいろ考えさせられました。
私ももともと科学畑の人間です。
まだ未信者でしたが、研究をする中で、こんなことは
神さましかできない!これを造られた、完璧に造られた
存在があるのだということをまざまざと見せ付けられました。
だから、そのとき、どうして科学自身が、神様(その時は
唯一の神と解釈はしていませんでしたが)の素晴らしさ、
人間の無力さを証明するために用いられないのか、
どうして科学者が神の存在を否定して、奢って無神論者などと
言えるのか不思議でたまりませんでした。
進化論は、あくまでもひとつの理論。でも創造論は、ひとつの
理論とクリスチャンは思ってませんよね。
だから、比べること自体が間違っていると思います。
なんていうか、土俵が違うと思うんですよね。
それに焦点がずれているとも思います。
聖書の一日は本当に24時間だったのか・・・いろいろ議論がありますが、
でもその長さよりも、神様が全てをアダムのために造られた、
人間のために備えてくださった、そのことが大切ですよね。
私たち、クリスチャンとして、日々この、パスターのように
自分のドグマを押し付けていることがどんなに多いか、
胸が痛みました。
分かち合い、ありがとうございました。

タロウタロウ 2007/09/26 04:46 僕の長いコメント読んでいただき、
丁寧なお返事を書いてくださったことに
深く感謝します。
はちこさんのコメントを読んで
色々と気づかされること、学ぶことが多々あり、
大変勉強になりました。
しかし、僕の不勉強とキリスト教の信仰において
知識の浅さのため、色々とお聞きしたいこともあります。
また、質問させていただければ、ありがたく思います。
はちこさんも日々の生活お忙しいと思いますので、
お時間のあるときで結構ですので、
はちこさんのお考えをお聞かせいただけると
ありがたく思います。
ありがとうございました。

はちこはちこ 2007/09/26 08:24 タロウさん
私で答えられることでしたら喜んでお返事したいと思いますので、コメントでもメールでも、お気軽にどうぞ! (^^)

はちこはちこ 2007/09/26 09:20 ゆみりんさん、
もともと科学の研究をされていた方だったのですね! 科学は、探求すればするほど、この世のあらゆるものが、どれだけ精密に、精巧にできているかがわかって、私個人的には(ゆみりんさんもそうであったように)やっぱり創造主である神様がいると思わないと、make senseしないと思うのですよね。でも、たとえ何らかの創造主を認めるとしても、「その創造主は、聖書に記されている神である」と告白できるステップは、聖霊によるものでしょうからね… 科学に携わる人たちの心が柔らかくされ、聖霊さまの語りかけに応答できるよう、祈っていきたいなぁと思わされます。

リンダリンダリンダリンダ 2007/09/26 11:25 進化論絶対の中で育ってきた、僕にはまだ、勉強って言うか、時期が早い問題ではありますが、はちこさんのハートがなんか伝わって、僕の心もビートしました!
これから、信仰に自分に対する、また人に対する、科学的根拠深めていくときにもまた、読ませていただくと思います。
良いシェアを有難うございました。
またお願いしまーす(笑)

はちこはちこ 2007/09/26 12:45 リンダリンダさん、
そう言っていただけて嬉しいです。(^^) また来てくださいね〜♪

2007-09-23

今日の礼拝メッセージ

21:36 | 今日の礼拝メッセージを含むブックマーク

 今日の礼拝メッセージは、科学と信仰についてだった。神様のハートビートが聞こえてくるような、素晴らしいメッセージだったと思う。こんなにも謙遜で、自分が慣れ親しんだ神学よりもドグマよりも、ただ主のお心を知り、それに従おうとすることを選ぶパスターが与えられていることに、心から感謝だと思った。

 肝心のメッセージの内容については、今夜はもう9時を過ぎて眠くなってしまったので、また今度。(ごめんね。)

 

ふぅきぃふぅきぃ 2007/09/24 10:51 科学と信仰!!!
僕やぼぼるパパみたいな理系クリスチャンが狂喜乱舞しそうなやつですねw
ちなみに、僕は昨日の日曜から教会で小学生のメッセージをする事になりました。
Music Director&worship leaderもしてるので、行ったり来たりで大変だけど、子供はやっぱり最高です☆

そういえば、先週みなみななみさんに会ったんですけど、はちこママの話になった時、「あの人はいつも翻訳する本のセレクションが素晴らしい!」って絶賛してましたよ。
僕は自分の事じゃないのに鼻ターカダッカでしたw

はちこはちこ 2007/09/24 14:32 ふぅきぃ、久しぶり! 日本では連絡し忘れてゴメンねーー!
小学生のメッセージ、ふぅきぃぴったりそうだね。「愛アイアイ」とかも歌ったり?
みなみななみさんに会ったの? キャー、私、彼女の本何冊か持ってるよー。もしまた会うことがあれば、よろしくお伝えくださいねー。
翻訳する本のセレクション、実はいろんな人からそう言ってもらうんだけど、I can’t take credits for that!!なんですよ。 だって、私が選んでるんじゃ、ないんだもん。『境界線』以外は、全部、出版社さんからの依頼なんです。でもね、いつも、私のマネージャーは神様で、神様が私にやらせたいと思っておられる仕事を持ってきてくださると思ってるの。みなさんに誉めていただけるのも、そのせいだよね!(^^)

リンサリンダリンサリンダ 2007/09/24 20:19 どうも、MIXIでマイミクさせていただいている、リンダリンダです。
僕は文系ですが、「科学と、信仰」のテーマとってもとっても興味があります。
最近心に受け入れたばかりなので、進化論やら、化石やら、わからないこと一杯です。で、今はそこら辺は横に置いといて、神様の愛を頂くこと追求してますが、やっぱり同時にそういうことにも興味があります。
シェア、お待ちしていますー

はちこはちこ 2007/09/25 21:36 リンダリンダさん、ようこそ!
24日の記事に書きましたので、ご時間のある時にもご覧になってみてくださいね。^^
もっとも、期待していただいているような記事ではないかもしれませんが… (^_^;;

2007-09-22

心地良い疲れ

19:45 | 心地良い疲れを含むブックマーク

 今日の女性セミナーは、多くの方達のお祈りに支えられ、本当に祝されたものになった。(お祈りしてくださっていた皆さん、ありがとう!)

 約20名ほどの方たちが集まってくださり(予想はしていたけど、ほとんどがクリスチャンだった!)、和やかな雰囲気の中でお話させていただくことができた。テーマは、おもに既婚女性に焦点をあてた女性の性的・感情的満たしについて。(私がこのテーマについて話すなんて、役不足荷が重すぎると思ったけれど、主がやりなさいとおっしゃるなら嫌だとは言えなかったのー。)

 ある参加者は、ここ数ヶ月、まさに今日話された内容について葛藤していたそうで、このセミナーの知らせを見た時、祈りに対する答えだ!と思い、片道3時間の道のりを駆けつけて来てくださった。またある参加者は、先月結婚されたばかりの新婚ホヤホヤだったけれど、一ヶ月めにしてすでにいろいろ身につまされることがあり、これからの結婚生活を守り、主のご計画の中で豊かなものにしていくために参考になったと言ってくださった。ある人は、自分だけが悩んでいることではないとわかって安心したとおっしゃり、またある人は、自分にも当てはまることがたくさんあったと言われた。皆さんのそういった声を聞きつつ、やっぱり神様は、今日のこのセミナーに来るべき方たちを、ちゃんと呼んでくださっていたのだと確信でき、心から主を誉めたたえた。

 参加者はほとんどがクリスチャンになると最初からわかっていたら、講演のあと、スモールグループに分かれての分かち合いをして、最後に祈り合うような時間が持てたらなお良かったかなとは思ったけれど、今日のセミナーは、こういう形で行われたことに主の御心があったのだと信じる。

 あと、2ヶ月前に知り合いになったばかりのリジョママさんも来てくださったのも、とても嬉しかった。主がいろいろな人の人生の中で、力強く働いておられるのを見ることのできる幸いは、何ものにも代え難い。

 そうそう、シカゴのレーキサイド教会の牧師夫人のS木先生も来てくださったのに、とても励まされた。先生も、このセミナーの知らせを見た時、これは日本人女性にとっても必要な学びだ!と思われたそうだ。JCFNのようなグローバル(!)な働きに関われることも幸いだけれど、地元の日本人教会と連携した働きができることも大きな祝福。

 私にとって、人前で話をするのは非常に緊張することなので、一仕事終わってほっと一安心なのだが、その一方で私の中に、今はまだ言葉にならない「stirring up」が与えられたような… 私の小さな思い、小さな心が、主の大きな御思い、大きなお心の中に吸い込まれていくような、なんともいえない感覚がある。

 主の主、王の王、ただあなたの前に、ひれ伏します。

まきとまきと 2007/09/23 15:18 僕は、伝統的な威厳のある父親像からは遠いです。まして、ゲイ嗜好でもありません。家内が大事です。でも、僕にひとつ病が学生時代に与えられました。おかげで、家内が、外で、というか、家族、母や義理の妹や伯父たちと知的障害者の授産所を経営することになりました。彼女が育児期の頃は大変忙しかった。一山越えて経営を母からバトンタッチするところです。そこで、家の家事は夫婦で分担しています。伝統的な男性は食事も作らなかったと思いますが、僕は厨房に立っています。はちこさんのセミナーのお話は聞きたかったなあ。子犬が食卓から落ちたパンくずは食べますと言った、フェニキアの女が主イエスに言ったように。男。女のカテゴリーはかなり緩くなっていますから。いつも、ありがとう。

はちこはちこ 2007/09/23 15:51 まきとさん、
昨日のセミナーは、男子禁制で、男性スタッフは始まる15分前になったら全員退散だったんですよ。(笑)なーんて言っても、男性に聞かれたら困るような話をしたわけでなく、来てくださった方々が、安心して心を開きながら話を聞けるように、との男性スタッフ側からの配慮によるものだったのですが。
夫婦間における具体的な役割分担というのは、夫婦ごとにいろいろあって然りですよね。夫は妻を愛しいたわり、妻は夫を敬い夫に従うという、聖書的原則の上に夫婦が成り立っている限り、どんな形の夫婦でもそこには主の祝福があると思います。(^^)

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/23 16:46 すごく聞きたかったー(>_<)。でも、祝されたと聞いて感謝です(^0^)。

はちこはちこ 2007/09/23 21:14 めぐんちゃん、
さっきはお電話ありがとうねー!! 祈ってるよー!

浩子浩子 2007/09/24 08:01 お疲れ様でした、私も聞きたかったよ!
一つ一つクリアしていくことが大切なんだよね?
弱っているときはいっぺんにいろいろなことが出来ない分、
かえって自力がだせない分よい部分もあるなあと思う昨今。
こんなときはホント、欲も得もなく、っていう気持ちになるから
かえって委ねやすいのかなとも思う。
何はともあれ、祝福されてよかったね!

はちこはちこ 2007/09/24 08:54 浩子さん、
本当にお祈りありがとう! 歯の具合はその後どうですか?
自分の力で頑張れない時、踏ん張れない時って、気持ちの上では辛いけど、やっぱりそれも恵みなんだよね。 Living one day at a time... そう、一つ一つ、だよね。
体調が辛い時も、心が沈む時も、主の励ましが浩子さんと共にありますように!
いつも私のためのお祈りと励ましもありがとう!!

たいちゃんたいちゃん 2007/09/24 11:04 ごめんなさい、気になったものでつい・・・

「役不足」
(1)俳優などが与えられた役に満足しないこと。
(2)能力に対して、役目が軽すぎること。
「―で物足りない」

参照↓
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CC%F2%C9%D4%C2%AD&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

いつだったかテレビで「実はこういう意味だったんですよ。みなさん逆の意味でつかってるんですねー」ってやってて「へ〜〜〜〜知らなかった〜〜〜」って知ったんだけど、それ以前もそれ以後も、正しい使い方をしている人はまだお目にかかったことがありません。

ってことで、そのうち辞書が現状に追従するのかなあ、と思ってる。

(じゃあ何のために指摘したんだ)
((だって気になっちゃうんだもーん))  ←ひとりごと

はちこはちこ 2007/09/24 14:25 たいちゃーん、ご指摘ありがとう!
こりゃ大変だ、言おうとしてたことの正反対だったね。(^_^;;
こういう思い込みってあるんだよね。指摘してもらわなかったら絶対気づかないから、教えてくれてよかったよー。ありがとうね!

2007-09-21

早寝早起き/いよいよ明日

19:11 | 早寝早起き/いよいよ明日を含むブックマーク

 子供たちの新学期が始まって数週間が過ぎ、私もようやく早寝早起きのペースができてきた。今では、夜も9時を過ぎるとあくび続出で、10時にはもう寝てしまっている。

 しかし、今朝目が覚めたらなんだか首が痛くて、寝違えたか?

 女性セミナーはいよいよ明日。パワポも準備オッケー。でも気持ちの上では相変わらず「ひと事」モードで、ほんとに私が話すの?みたいな感じ。いえいえ、私ではなく、あのお方が話されるのだから。主の御臨在の中、主の御心だけが余すことなくなりますように。

MikaMika 2007/09/22 06:49 ちょっとだけ久しぶりに開く「はちこさんとぼぼるさんの日記」のページです。はじめに記された「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」という御言葉が心に響きました。その下にある9月21日の日記のはちこさんのお話。ホント、お忙しいですね。女性セミナー。私も受講してみたかったです 女性として、また、性別を越え人間として、さらに、クリスチャンとしての生きか方を私は、考え中です。はちこさんのお話は、何だったのでしょう?未完成な私にきっと興味深い、ためになるお話であった事でしょう。主の御臨在の中で、女性として、女性の方たちが、学ぶ祝福された姿を想像します。

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/22 14:18 今の時間、お話が終わる頃でしょうか。話された言葉が聞いた方々の内に留まり、主がそれを育ててくださいますように!労されたはちこさんの上にも豊かな報いがありますように。

はちこはちこ 2007/09/22 18:50 Mikaさん、お久しぶりです!
今回の女性セミナーは、主に既婚者対象の、女性の性的・感情的満たしに関する話でした。
人数は20名くらいでしたが、参加者のお一人お一人を目線を合わせつつ話すことのでき、手応えを感じた祝されたセミナーとなりました。(^^)
めぐんちゃん、
お祈りありがとう! 上にも書いたように、本当に祝されたセミナーとなり、感謝でした。
>話された言葉が聞いた方々の内に留まり、主がそれを育ててくださいますように!
アーメン!

2007-09-19

思い出した

16:27 | 思い出したを含むブックマーク

 昨日、書こうと思って忘れてしまったこと。

 最近、ワタシ、抹茶入り豆乳にハマッています。と、ただそれだけなんですけどね。うちの近所のスーパーでみつけて。最近は豆乳もいろんな味がありますね。チョコレート味、カプチーノ味、フルーツ味、バニラ味、そして抹茶味…f:id:mmesachi:20070920062509j:image:right

フルーツ味と抹茶味は、キッコーマンです。私、以前は豆乳って苦手だったけど、今はいろんな味で楽しんでいます。

 あ、これ。

 栄養たっぷりです。

有限と無限

09:41 | 有限と無限を含むブックマーク

 『博士の愛した数式』のDVDをついに観た。原書を読んだ直後なので、原書と違う設定があると最初のうちは気になったが、あれはあれでよかったのかもしれない。(それにしても、寺尾聰さんの博士は、やっぱりスマート過ぎ! 笑) 原書の中では少しだけほのめかされていたようなことが、映画の中ではもっとはっきり描かれていて、ある意味わかりやすくてよかったかも。オイラーの数式の意味とか。原書ではいくつかの伏線が敷かれながら、最後までそれがどこにも到達しないまま終わってしまった、みたいな、ちょっと欲求不満(?)を覚えていたので、映画でそれがいくらか解消された感じ。ただ、博士と義姉の関係は、ややクローズアップされすぎだったかなぁ?(原書の義姉からは岸田きょうこさんみたいなイメージを描いていたので、朝丘ルリコさんの美しい義姉にちょっとビックリでした。笑)

 細部はともかくとして、全体として思わされたのは、有限と無限の世界のつながり、みたいなものだろうか。博士の80分しかもたない記憶は、無限に続く時間の世界からみれば、ほんの一瞬のようなもの。過ぎてしまえばなくなってしまう。しかし、だからといってその有限の80分には価値がないわけではなく、一瞬一瞬を、一時一時を、精一杯幸せに生きることの意義。

 折しも、聖書通読でちょうど伝道者の書を読んでいて、そこでもソロモンが捉えていた有限と無限の世界のつながりのようなものを思わされていた。

 空の空、すべては空、とソロモンは言う。正しい人にも悪人にも、知恵のある人にも愚かな人にも、待っている結末はみな同じで、なんとむなしいことかと彼は言う。しかしながら、絶対者である神の存在を認め、神を恐れるとき、永遠と比べれば一瞬以下でしかない私たちの人生にもperspectiveが与えられる。 そして、日々の労苦の中にしあわせを見つけ、自分の受ける分を神の賜物として喜んで受けることができる。

 博士は、私たちが紙の上に描く「直線」は、実は本物の直線ではなく、点と点を最短距離で結んだ「線分」なのだと言う。しかし、線分でありながら、私たちはそれを通して、その背後にある「直線」、つまり無限に左右に伸びていく永遠の世界を垣間見ることができると言う。

 この地上での私たちの存在も確かに有限で、いずれ過ぎ去るものだけれど、その背後には確かに無限のお方、永遠のお方がいて、私たちの地上における有限のいのちにさえも意義を与えてくださる。博士の80分という有限の世界が、「私」や「ルート」のおかげでもう一度活力と幸せに満ちたものになり、連綿と流れる時間の世界の中に居場所を見いだしたように、私たちも創造者を知り、そのお方を恐れつつ生きる時、私たちの背後でこの有限のいのちを支えておられるお方の、永遠のいのちが注ぎ込まれる…

 そんなことをね、思ったのでした。

まきとまきと 2007/09/20 19:23 有限という言葉を受けて、最近観た映画を覚えています。「Life-天国で君と逢えたら」という、飯島夏樹さんというプロウインドサーファーの物語です。彼は人生が有限だと宣告されるんです。そう、ガンの告知。それから葛藤があって小説を描いたりエッセイを書いたりするんです。彼クリスチャンになってしまう。僕も知ってるハワイのマキキ聖城教会。人生の線分。最後は自分のしたいことしていいといわれる。今、知り合いでガンの余命宣告を受けた人もそんな感じ。人生が限られていると知ることと、永遠を思うことは大切ですね。ありがとう。

まきとまきと 2007/09/20 19:50 僕は鬱の波があります。ほんとに考えこんでしまって、喜びがなく、気力が無い時に、ちょっとでも、一瞬でも、喜べるこうしたいな、あれがいいなという欲がいい意味であると、そこから、永遠が続くように連鎖的に、あれもいいな、これもいいと。おもえるようなことがあります。コーヒー味の豆乳家内が好んでいます。ありがとう。

まりまり 2007/09/20 21:05 >私たちの地上における有限のいのちにさえも意義を与えてくださる。
本当にそうですね。日記を読んで、考えさせられました。例えば、私は夢が2つあって、簡単に言うとそれは家庭と研究を両立させることなんです。
でもそれも叶うかどうかは主のみがお決めになること。そして、人間の限られた人生、原罪のある人生を主が意義あるものにしてくださっていること。だから、弱い私たちでも毎日生きていけるんですよね。同時に、意義ある人生を送りたいと思うことの甘さも思わされます。

お分かちありがとうございました。映画を見てみようかなと思います。

はちこはちこ 2007/09/21 08:55 まきとさん、
その映画、日本にいる時にポスターを見ました。飯島さんは、ガンを告知された後でクリスチャンになったのですか? マキキ聖城教会は私もよく知っています。黒田先生ご家族には、何かにつけてお世話になっています。
 主を恐れ、主を思うことは、この地上で限られたいのちを持つ私たちにとって、永遠への扉なんですね。まきとさんの、「ありがとう」という言葉に、心がとても安らぎました。私の方こそ、ありがとう!

まりさん、
家庭と研究を両立させること、素敵な夢ですね! 主なしでは、どんな素晴らしい夢も、どんな努力も、ソロモンの言うごとく空の空ですが、そこに主の存在、主の主権を認め、明け渡すなら、私たちの夢が主の夢となって、主が御心のままにそれを実現させてくださるのでしょうね。

AzumiAzumi 2007/09/21 17:53 以前私は伝道者の書を読んで、なんだか寂しい思いをしたことがるのですが、今ははちこさんのおっしゃるように、有限の命の中に、主がおられるからこそ、自分の受ける分を本当に楽しみ、感謝することができるのだと思うようになりました。主の計り知れない恵みと、大きなものから小さなものまで、日々与えてくださるものに感謝です。

はちこはちこ 2007/09/21 19:03 Azumiさん
無限の主が、ご自身の愛の対象として私たちを造って下さったこと、永遠においても、今というこの瞬間においても、尽きることのない愛で愛してくださっていること、本当に感謝ですね!

kurikskuriks 2007/10/10 13:59 Gobusata shiteorimasu... 『博士の愛した数式』の映画version、観られたのですね 。I loved the book, but I haven’t watched the movie yet... いいな! <http://blog.goo.ne.jp/kuriks/e/784a805ee9bde8bc07016618a46a7caa>

はちこさんの映画評、yappari deep desune. 聖書通読中の伝道者の書とつながるtokoroga suteki. 『絶対者である神の存在を認め、神を恐れるとき、永遠と比べれば一瞬以下でしかない私たちの人生にもperspectiveが与えられる。』
永遠と比べれば80分も80年も、amari kawaranaino kamo. Donnna jinsei demo『自分の受ける分を神の賜物として喜んで受けることができ』たらいいな。

(I can’t type in Japanese, so sorry about this cut & paste mess!)

はちこはちこ 2007/10/11 08:40 kuriksちゃん!
おおー、そちらはまだ日本語環境が整ってないのね。切り貼りしながらでもコメントしてくれて嬉しい! 私は、そもそもkuriksちゃんのブログで『博士…』について読んで以来、ずっと興味を持っていたんですよー!
感謝祭やクリスマス頃にはこっちに戻ってきますか? 戻ってくる時には連絡してね!

2007-09-18

ハハはハハハ、ハハのハハはハハハハと笑う(早口言葉)

08:12 | ハハはハハハ、ハハのハハはハハハハと笑う(早口言葉)を含むブックマーク

 昨日、子供たちを送り出してほっと一息したところで、みんがお弁当を持っていくのを忘れていることに気づいた。出かける直前になって、合唱部のユニフォームの申し込みがどうのこうのと言い出して、あわてていたのが原因か。今なら間にあうかなと、みんの携帯に電話をいれると、二階で彼女の携帯の着メロがなっている。あー、携帯も忘れてる。やれやれ、届けるのか、と思った矢先、ケンの小学校から電話。ケンがスクールバスの中で吐き、今保健室で休んでいますとのこと。昨日のケンは、朝ご飯をたっぷり食べ、バスに乗り遅れそうになったため、食べた直後にそのままバス乗り場まで全力疾走していた。多分それが原因だと思うのですが、迎えに行った方がいいですか?と聞くと、そうしてください、と先生。絶対病気じゃないんだけどな、と思いつつ、とにかく迎えに行き、家に連れ帰った。(途中でみんの学校へ寄って、お弁当を届けた。)

 家でのケンは、最初の30分だけは神妙な顔をして大人しかったが、その後は普段通り。よほど学校に送り返そうかと思ったけけれど、私も面倒だったのでそのままにしてしまった。その代わり、昨日は二人で折り紙したり、あやとりしたり。

 折り紙は、伊丹の昆虫館で購入した「虫のおりがみ2」という本が今、我が家では大活躍している。最初は難しそうで、こんなのとてもできないと思ったが、まずパパが見本を見せ(彼は結構折り紙が得意)、パパを見ているうちにケンもかなり自分でできるようになった。本の絵の解説をみながら、一人でけっこう作っている。日本語の説明は読めないので、絵だけが頼りなのだが、それでもかなり頑張っている。昨日は、赤トンボ、タガメ、カブト虫の幼虫をつくった。

 あやとりは、私が数年前に日本で買ってきた幼児向けのあやとりの本を、ケンが自分で見つけ出して来て、教えてとせがまれたのがきっかけ。昨日は、「ホウキ」を一人で作れるようになり、大喜び。私は、子供の頃の記憶というか、手が覚えている感覚にまかせて何も考えずに手を動かしたら、「ハシゴ」ができた。あれはちょっとした芸術だよね。やってみれば覚えているものだなと感動して、ケンにも「教えてあげるよ」と言ったのは良かったが、考えながら作ろうとしたら、とたんに作れなくなってしまった。不思議、不思議。おかしいな、頭を無にして(?)やってみよう、と再トライしたが、もう思い出せず。うーん。

 …悔しいから、今もう一度やってみたら、あら不思議、今度はできました! とにかく考えないで手を動かしたらできましたわ。面白いね。

 何かもう少し書くつもりだったのに、あやとりに夢中になったら、コロッと忘れてしまいました。(^_^;; 思い出したらまた書きます。

まーち夫人まーち夫人 2007/09/18 11:27 忙しい朝でしたね。けんちゃんはなんともなくて何よりです。
お母さんと二人っきりで楽しめて楽しい一日だったのでは?
子供の忘れ物は脱力しませんか?出て行った後、ランチバッグをテーブルの上に見つけた日には、「見なかったことにしよう」とつい、思ってしまいます。笑
忘れ物を届けるときにはクラスと名前を書くでしょ?それにデリバリーフィー、25セント、まいどあり、と請求書もつけてます。私。

はちこはちこ 2007/09/18 11:41 そうなんですよ! 本当はね、もう届けなくてもいいと思ってたんです。自分でなんとかするでしょ、と。でも、ケンを迎えに行くことになっちゃったので、そのついでに届けたんですよね。(笑)デリバリーフィー、私も去年はやってました。うちはもっと高くて一回2ドル!あまりにも忘れ物が続いたので、これはなんとかしなくては、と。今年もまた再開しようかな。

まーち夫人まーち夫人 2007/09/18 16:15 え?相場はそんなに高いのか・・・。
値上げしてやろうかしら?笑

ViviVivi 2007/09/18 18:07 忘れ物、折り紙、あやとり、全部思い当たって一人でニヤニヤしています。
特に、あやとりですが、「はしご」はわたしも自分ではできるのだけれど、娘に教える時にはとても苦労しました。リズムよくやっているとできるのに、一つ一つの行程で止まるとできなくなってしまうのです。なぜなんでしょうね。(笑)
折り紙は小学生になってまもなく、娘のほうが上手になりました。本を見ながら何でも折って、夏休みには折り紙だけで小さなお部屋を作って(机とかピアノとか洋服、ベッド、靴やバッグまで^^;)いましたね。
彼女の忘れ物は高校生になっても変わりません。一つのことに気が向くと他のことを忘れてしまうらしいです。運転免許はとらないでほしいと思う母です。

はちこはちこ 2007/09/18 20:28 まーち夫人、
まーち家で値上がりしたら、私、お嬢さんたちに恨まれちゃいますね。(笑)

Viviさん
そうなんですよねー、リズムが決め手というか。何も考えずに手がサッサッと動く。もう十数年やってなかったと思うのですが、手がちゃんと覚えていたのが不思議でしたね。あやとりとか折り紙を子供の頃にやると、脳の刺激になって良いと聞きました。折り紙だけで小さなお部屋を作るって、楽しかったでしょうね!
そう、うちの子も、同時に複数のことができないというか… 心配は尽きませんねぇ。(苦笑)

はちこはちこ 2007/09/18 20:39 それにしても、同じ「折り紙」でも、男の子と女の子では、やっぱり作るものが違いますね。(笑)

piyopiyo 2007/09/19 08:59 ウチも、今朝忘れていきました、お弁当。。。
(冷凍卵焼きの件、ありがとうございました。
味が少し落ちるとわかって、ちょっと躊躇してしまい、
結局毎朝焼いてます(T_T))
デリバリーフィー、初めて聞きました!!
ウチでもやろうかしら。1回50円?? 100円??? ^m^

はちこはちこ 2007/09/19 09:44 お弁当忘れ、やっぱりみんなやってますねぇ!(笑) 私も子供の頃、お弁当を持っていき忘れると、母がすごくがっかりしたものでしたが、今になってその意味がよくわかります。
卵焼き、毎日作ると大変ですよね。私は最近は手抜きで、ゆで卵ですますことが増えてきました。(笑)

TamikoTamiko 2007/09/19 13:58 うわああ、忙しい日でしたねー。でもケンクンとの時間、なんだか素敵ですね。おりがみとか、あやとり、なんだか懐かしー!すごく中村家の家族スタイルはあったかくて、うらやましいわーー!

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/19 14:03 あやとりの梯子とか、誰が考案したんでしょうね。他の文化でもありそうな遊びなのに、「アフリカ版あやとり」とか、「南米版あやとり」とか聞かないなぁ?私が知らないだけでしょうか。

折り紙苦手です。ズボラなんで、角をきっちり重ねて折るとかできません。少しずつずれていって、ブヨブヨの鶴ができたり(*_*)。折り紙の本も理解できませんねぇ。なんかサイエンティストが折り紙得意っていうのは、妙に納得しますが。

はちこはちこ 2007/09/19 17:22 Tamiちゃん、
たみちゃんたちも、赤ちゃんが生まれたら、パパとママが手作りの絵本作ってあげたりとか、一緒にお絵描きしたりとか、そういうことしていそう!楽しみだね! 

めぐんちゃん
あやとりって、英語ではcat’s cradleっていうよね。本を見た事があるよ。他の文化でも、やっぱりあるのかな。調べてみたら面白いかもね。
折り紙は、私もいくら頑張っても、角がピッチリ折れないんだよねー。私の鶴もブヨブヨです。(^_^;;

2007-09-16

一言が嬉しいとき

18:30 | 一言が嬉しいときを含むブックマーク

 今朝、教会の駐車場で、うちの教会のteaching パスターとすれ違ったら、彼の方からニコニコと「ダラス・ウィラードの翻訳は進んでいるかい?」と声をかけてくれた。「はい、ゆっくりとですが」と答えると、「ウィラードの著作は読むだけでも時間がかかるから、翻訳となれば一層時間がかかるだろうね、頑張ってね」と励ましてくれた。とても嬉しかった。翻訳って孤独な作業だから、こんな理解と関心のある一言が、本当に励みになる。

 先週は、カントの「根本悪」についてあれこれ調べものをした。自分に馴染みのない分野の翻訳をする時は、ただ訳すだけでなく、調べものの分量も随分増える。翻訳そのものも、ゆっくりと、咀嚼しながら、味わいながら。先週やってた箇所に、突き刺されるくらい痛い箇所があって、夫に「こんなことが書いてあって、すっごく辛い」と訴え、1時間くらいカウンセリング(?)してもらっちゃったよ。

 それにしても、「根本悪」「根本善」というカント用語で訳していいのか、それとも、もう少しぱっと見て分かりやすい表現に直してしまった方がいいのか… 著者がradical evil や radical goodnessに言及するとき、カントの概念を意識しているのは確かだと思うが、文中でカントの名前は出てこないし… 著者は哲学者だから当たり前のようにこういう言葉を使うけど、日本の一般の読者向けには、カント用語だということは敢えて無視して、もっと分かりやすい言葉に言い換えてしまった方がいいのかも、とも思ったり。悩むところだ。

MEMO

18:34 | MEMOを含むブックマーク


 “Doubt is not the opposite of faith; it is one element of faith” Paul Tillich

 今朝の礼拝で、主任パスターのメッセージの最後の方で引用されていた言葉。この言葉には、フィリップ・ヤンシー的響きがあるなぁと思った。

 もっとも、聖書には疑わすに信じなさいと書いてあるよね。多分、パウル・ティリッヒ(ポール・ティリック)の言う「疑い」や、ヤンシー的スタンスの「疑い」は、「信じない心」のことではなく、「わからないものはわからないとそのまま認め、その答えを神に向かって探求する心」なんだと思う。こじつけ?

まきとまきと 2007/09/16 19:07 I see. I see that you are on the way of transtation a book.
そうですね。はちこさんが翻訳の途上に居られる事を知りました。

はちこはちこ 2007/09/16 19:19 ええ、これは、出版社さんから依頼を受けた「仕事」ではないのですけれどね。知人の牧師さんが自費出版されるので、そのお手伝いをさせていただいています。^^

ViviVivi 2007/09/17 05:46 先週、うちの牧師が翻訳を担当しているティンデル聖書注解の原稿ができあがって、晴れ晴れとした顔でメッセージしてましたよ。(笑)頭の上にあった漬物石がとれた感じなのだそうです。
毎週、「わたしの翻訳の仕事のために祈ってください」って言っていました。本当に神経を使う大変な仕事なのですね。
はちこさんのことも祈りに覚えていますね。

その牧師がよく言うことに「聖書を読んでいて疑問に思うところから、むしろ教えられるところが大きい。疑問に思うところは徹底的に調べたり、祈ったりして神が何を示してくださっているのかを求めることが大切だと思います。」というような内容のことを話します。
>「わからないものはわからないとそのまま認め、その答えを神に向かって探求する心」なんだと思う。

わたしもそう思うのですけれど。

はちこはちこ 2007/09/17 07:28 Viviさん、
ティンデル聖書注解ですか!それは大仕事ですよね。でも、次がでるのを待ち望んでいる人も多いでしょうから、やり甲斐がありますよね。 私のためにもお祈りくださってありがとうございます! Viviさんの牧師さんがおっしゃること、本当にその通りですよね。
ところでうちのキューリは、最近めっきり実のつき具合が悪くなりました。花はたくさん咲いているのだけど、虫がもうあまり飛んでこないせいか、実にならなくて。トマトは、摘心するのをすっかり忘れていたため、葉っぱがぼうぼうに茂って、実はプチトマトサイズのがちょこっとなっただけでした。来年はもっと頑張ろう!

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/17 11:23 私もP・ヤンシーの言うDoubtって「疑い」というより「疑問」みたいに解釈していたような気がします。こういう解釈が100%聖書的なのかどうか分からないけど、確かに信じれたらそれに越したことはないけど、事実頭に心がついてきてなかったり、その逆の場合がある時、「このままで、神様の前に出てもいいんだ」と思えて、随分ホッとしたことがあります。

はちこはちこ 2007/09/17 17:55 めぐんちゃん、
今、遅ればせながらマイブームの『博士の愛した数式』の中で、博士は子供に質問されると、自分が難しい数学の問題を考えている時でも。「子供の方が大人より大切なことを疑問に思っているんだ」みたいなことを言って、すぐに子供の質問に耳を傾けてくれる、という場面があったのね。神様も、私たちがわからなくて神様に訊く時、「それは大切な質問だね」と、ニコニコしながら私たちと向き合ってくださるんじゃないかなぁ、と思いました。そう思ったら、なんだか嬉しかった。^^

ViviVivi 2007/09/17 19:40 はちこさん。
義母はきゅうりの花が咲くと、筆で受粉しているって言っていたのですが、わたしは虫がくるだろうし、風もあるし、なんて暢気に構えていたら1本採れただけでさっぱりでした。今は夫がこまめに葉についた虫を退治している大根が肥るのを待っています。(笑)

はちこはちこ 2007/09/17 22:25 Vivi さん
やはり筆で受粉ですか。うちも、そうした方がいいのかな、と夫と話しつつ、面倒でそのままです。まだ花はたくさん咲いてるから、今からでもやってみようかな。その手間を思うと、神様が虫を使って受粉させるようにしたというの、本当にすごいことですよね。

たいちゃんたいちゃん 2007/09/19 07:04 根本悪?根本善??
個人的には、読んで意味がピンと来るほうがありがたいなぁ。
むずかしそうね。わかりやすい言葉にすると、
意味が微妙にずれてしまったりしそう。

はちこはちこ 2007/09/19 08:31 たいちゃん、コメントありがとう! 
やっぱりそうだよね。よし、たいちゃんのコメントを読んで、私の中で方針が決まったぞ。章のタイトルでは専門用語を残し、本文中ではもっとわかりやすく言い換えることにしよう。
フィードバック、ありがとうね!(^^)

ゆみりんゆみりん 2007/09/20 22:26 どうして、疑ったり迷ったりすると罪悪を感じたり、自分はよくない
クリスチャンのように感じるのでしょうね?
その根本には何があるのでしょうか?
教会でのプレッシャーでしょうか?
それとも自分の信仰に自信がないからでしょうか?
誘惑でしょうか?

でも、いずれにせよ、全てを持って、神様の下に
膝まずくことが大切ですよね。
はちこさんの解釈、私はそのとおりだと思うなー。

たいちゃんたいちゃん 2007/09/22 21:32
わーいわかり易い言葉採用っ☆
こうやってなんかのきっかけになれるって、なんか不思議。なんかうれしーい(喜)
あ、なるほどー。意味を深く知りたい人には、ちゃんと追えるようにしておくんだね。それはありがたい。なんか、聖書の脚注みたい(笑)

今の時代に届く文脈化が、全てのメッセージに必要だなあって思うよ。たとえば、女子高生向けの聖書翻訳とかね。でも変化のスピードが速すぎて2年ごとに新しい翻訳が必要そう(汗)非現実的か・・・。

はちこはちこ 2007/09/23 13:43 たいちゃん、
ほんと、こうして意見を聞けるのは私としてもありがたいのです!
女子高生向けの聖書ね、アメリカにはあるんですよ。これ↓
http://www.christianbook.com/Christian/Books/product?item_no=016483&show_all_cr=1&event=CF
パッと見た感じはまるでファッション雑誌。中身はわかりやすい訳の新約聖書。
賛否は両論あるみたいだけどね。^^

たいちゃんたいちゃん 2007/09/24 10:58 うげ、あるんだ・・・Σ(・ω・;)びっくり
やっぱ、あったらいいよなぁ。
そのうち日本でもわんさかそういうのが出てくるかな。出てくるといいな。

はちこはちこ 2007/09/24 14:27 出てくるといいよね。でも、日本のクリスチャン人口は少ないから、出版社側としては市場が小さ過ぎて、こういう限られた年齢層を対象にした商品はなかなか造りにくいんだろうね。

たいちゃんたいちゃん 2007/09/25 02:09 ギデオン協会とかがこういうの作って学校の門で配布したら、喜んでもらってもらえるかも、と思った。
でも、そこまでできる人材、今の日本にいるかな。

新約聖書が無理なら、小冊子でも。ギデオンに提案してみようかな。
もっとも俺、言うだけで何もしないけど(汗)

2007-09-15

今日は…/女性集会

20:35 | 今日は…/女性集会を含むブックマーク

 今日は、朝7時45分から、ケンのサッカーリーグの写真撮影のボランティア。何百人もの子供たちがチーム毎にやって来て、まず個人別の写真を撮り、次にチーム写真を撮る。それを流れ作業で次から次へとこなす。私はチームを待ち合い室からカメラマンのいるところまで誘導する係だった。7時45分から10時半までのシフトで、ずっと立ちっぱなしだったので腰が痛くなった。でも、こういうボランティアをやっていると、他の保護者と顔見知りになって結構楽しい。

 午後はケンを友達の誕生日パーティーに連れて行き、それが終わったら家族みんなでミツワ方面へ。運転はエミ。(高速道路で1時間の道のり!)彼女の運転は、最初はどうなることかと思ったけれど今では随分上達し、私もかなりリラックスして乗っていられるようになった。まだ駐車とか、細かいスキルはおぼつかないけれど、高速に乗ってしまえば私よりもはるかに度胸があっていい。何度かヒヤッとする場面はあったけど、十分に合格点。

 さて、今日ミツワ方面に行ったのは、来週の土曜日にもたれるシカゴのVIPクラブ主催の女性集会の打ち合わせのため。シカゴの日系スーパーや日系新聞・雑誌などにも広告やポスターを出し、ノンクリスチャンの日本人女性にも来ていただくことを期待している。シカゴVIPクラブの顧問であり、シカゴ市のD教会で日本人教会牧会歴40年あまりのS藤先生や、普段JCFN関連でもお世話になっているG教会のH沼先生の奥様、そしてもちろんシカゴVIPクラブの皆さんが協力し合い、祈りをもって準備を進めて来た。

 当初は、VIPクラブの女性メンバーをはじめとするクリスチャン女性を対象にしたセミナーのはずだったのが、いつの間にかノンクリスチャンにも来てもらえるような集会にしよう、ということになっていて、実は私は初めは面食らい、とまどった。一体何を話したらいいのだろうとなかなか思いが定まらず、はっきり言って不安だった。でも、とにかく祈って祈って、私はただの管で、語ってくださるのは神様だ、と腹をくくったら、恐れがなくなった。原稿の骨子も与えられた。今では、まるでひと事のように期待感に満ちている。

 現在の最大の祈りは、主がこのセミナーに連れて来たいと思っている女性が(クリスチャン・ノンクリスチャンを問わず)来てくださるように、ということ。人数の問題ではない。とにかく主がこの集会に招いておられる方たちが、当日足を運んでくださるように。そして管となる私の思いと唇を主が清めてくださり、整えてくださり、主ご自身が語ってくださるように。当日までの一週間、私も、準備に携わっておられる方々も、なすべき最後の準備を抜かりなくできますように。(特に私は、パワーポイントの準備をしないと…)

 今日の打ち合わせも、限られた時間の中で、「花を飾ったらいい」といったことから話の内容にいたるまで、とても有益だった。何より、皆さんの熱意とサポートをひしひしと感じられたことで、私はとても励まされた。主にあって一つでいられるって、本当に素晴らしいなぁと思った。

 ところで、ミツワにあるビデオ屋さんで、ぼぼるパパが早速『博士の愛した数式』のDVDを借りて来たよ! わぁい♪

浩子浩子 2007/09/16 05:01 当日には万事が主の定めたとおりに成されますように・・!原稿が無事まとまってイカッタネぇー!私はとうとうインプラントにしなければ立ち行かなくなっちゃって来月の9日に手術です。1ねんもだましだまししてきたので最近歯の疼きがひどかったし体調悪しの日々なので早いとこ片付けたいです。しかし先立つものものも半端な額じゃないし、10月からの講座は日程的にも無理そうです。まあこれもそれも主の御手のうちと思っていますが、あれやこれやあっちこっち
考え出すと頭に漬物石のっけてるみたい・・!
祈りたくても祈れないときって・・・あるよね?ウゥ〜(泣)
手術日までこれ以上感染が広がらないよう祈っててくれるとすごく嬉しいです!

フィベフィベ 2007/09/16 07:20 劇場で「博士の愛した数式」を観ました。
なかなか心温まる映画でしたが、あの数学の数式が今もってよくわからない。(笑)
日本映画のDVDを借りるなら、
「ALWAYS三丁目の夕日」も借りてみてください。
これは、是非お薦め品です。小学生も一緒に観られます。
今年の秋は、続編が観られます。
HP http://www.always3.jp/
(このHPは、続編の方です。)

フィベフィベ 2007/09/16 07:24 ↓このHPが第1話、映画ALWAYS三丁目の夕日のものです。
http://www.always3.jp/05/
主題曲も好きです。HPの背後に流れている曲です。
「博士の愛した数式」の数ヶ月前に放映された映画です。

この映画で急に日本映画の良さがわかりました!
初めてです。日本映画で感動するの!
この映画の話しをはじめると熱くなります。

はちこはちこ 2007/09/16 17:39 浩子さん、
お祈りありがとう!(そういえば、もう一つの件の方は、結局ダメでした〜。あせらずいきます。) 来月、手術かぁ。手術ときくと、緊張しちゃうね。でも、痛みもあって体調も悪いのでは、早く手術して、直してしまいたいね。 感染が広がらない様、祈りますね。
祈りたくても祈れないとき、あるよ。そんな時こそ、主の家族に祈ってもらえるのがありがたいよね。講座のことも、主が時にかなった導きを与えてくださると信じます!

フィベさん
おおそうですか!「ALWAYS三丁目の夕日」、噂に聞いたことあります。薬師丸ひろこが母親役というのにちょっと衝撃でした。どうしてもセーラー服に機関銃のイメージがあるから。(笑) 今度こちらもビデオ屋さんで探してみますね。

2007-09-14

冷凍トイレ(回文 by 博士)

07:59 | 冷凍トイレ(回文 by 博士)を含むブックマーク

 昨日はま〜やの半年に一度の歯科検診。虫歯はゼロでした。良かった。待っている間、待合室で『博士の愛した数式』の続きを読む。ちょうどルートが怪我をしたあたりで、博士の動揺ぶりにこちらまでもらい泣き。泣けて泣けて、しゃくりあげそうになったけど、そこにいたのは私一人ではなかったので、息を止めて我慢した。

 歯医者さんの後はメガネ屋さんに行き、ま〜やの初めてのメガネを注文。ローズレッドの長方形ののフレーム。子供用だから安かったとはいえ、それでも99ドル。日本のフレームはもっと安いらしいですね。この違いはなぜなんだろう。出来上がるまでに1週間から10日だそうだ。

 その後は、6時からま〜やのヴィオラのグループレッスン。ま〜やはこの9月からスズキの教室に通い始めたのだ。しかしこの教室でヴィオラをやっているのはま〜や一人。(みんなヴァイオリンかチェロ。)ヴィオラとヴァイオリンは大きさが違うだけかと思ったら、私にはうまく説明できないのだけれど、different clef だとかで… ヴィオラにはE線がないとか… あー、よくわからん。とにかく、何かが違うんだって!

 で、ま〜やのレッスンが終わるのを待つ間、再び『博士の愛した数式』を取り出す。博士とルートと「私」がタイガースの試合を観に行く場面で、今度はクックックッと、笑いをこらえるのに苦労した。

 レッスンの終わり頃になったらそっと抜け出して、6時半からのエミのグループレッスンのためにエミを高校まで迎えに行く。幸いレッスンの会場と高校までは2分くらいの距離。エミをピックアップしてレッスン場まで戻って来たら、ちょうどま〜やが終わったところで、二人をバトンタッチ。エミを会場に降ろし、ま〜やを車に乗せ、家まで連れて帰る。そして今度はエミのレッスンが終わる頃を見計らって迎えに行き、高校まで再び送り届け(高校でもストリングスのアンサンブルの練習が7時からあるため)、もう一度レッスン会場に戻って7時からのスズキの保護者会に出席。保護者会は8時までで、エミのアンサンブルの練習が終わるのも8時なので、保護者会が終わったら高校へ行ってエミをピックアップし、それから帰宅。

 と書くと随分大変そうだけど、夕べはま〜やを連れて帰ってきた時点でぼぼるパパが交代してくれたため、私は楽でした。ありがとう、パパ!

追記: 気になって、ヴァイオリンとヴィオラの違いを調べてみた。

大きさが違う(ヴィオラの方が大きい)のは一目瞭然なのだけれど、他にも、弦のチューニングが違う。ヴァイオリンはE, A, D, G、ヴィオラはA, D, G, C、つまり、ヴィオラの方が低い音がでる。あと、先生が言っていた、「clefが違う」ということ。ヴィオラのパートはC clef(ハ音記号)で書かれているらしい。ピアノで言うと、右手のパートはト音記号で、左手のパートがヘ音記号だったよね。ということは、私がま〜やのヴィオラの楽譜を見て、それをピアノで弾いてあげようと思っても、そのままでは弾けないということか… ややこしい。 確かクラリネットもC clefじゃなかったっけ? (この辺りはYokoちゃんが詳しいはず。)

erinaerina 2007/09/14 09:16 いつも思うのですが、はちこさんのタイムマネージメントもさることながら、お子様達のタイムマネージメントに色々触発されます。
勉強をして、音楽をやって、インターネットを使って、そして友達と遊ぶ。
一日が24時間以上あるのでなければ、寝る時間が短いようにも思えないのですが。惰眠をむさぼらないだけでしょうか。

YokoYoko 2007/09/14 17:05 ト音記号、ヘ音記号ってなじみの方が多いと思いますが、
楽器や声の音域にあわせて5線紙を有効利用するのがそもそもの目的だと思うんです。
ハ音記号以外にも仲間たちが存在します。
違いはというと、
5線上のある一箇所を指定して、そこが「ト音(ソ)、ヘ音(ファ)、ハ音(ド)」とするわけです。
ハ音記号でかかれた楽譜は、一般的なト音記号の楽譜を1音あげて読むとピッタリあうはずです。
ちなみにクラリネットはト音記号でかかれてます。
でも、楽器自体がBbなので、1音上げて読むとピアノとぴったり合うってことになります。
ややこしくてすみません。
でも、そう思うと、ト音記号ってGが変形してできてたり、ヘ音記号はFが変形してできた記号だったりして面白いんですけどね。

はちこはちこ 2007/09/14 19:03 erinaちゃん
4人分を書いているからいろいろやっているように見えるけど、一人一人は普通の活動量だと思うよ。ま〜やも、火曜日と木曜日にヴィオラのレッスンがあるけれど、それ以外の日は放課後はフリーだし。みんは習い事ゼロ。ケンは空手とサッカー。まぁ、エミは部活動をたくさんやっているので確かに忙しいね。惰眠は、週末にむさぼっている様子。(笑)

Yoko ちゃん
おおー、打てば響くように早速登場してくれてありがとう!
5線紙を有効利用するのがそもそもの目的、なるほど! あれがないと、楽譜の線の数が五本じゃおさまらなくなっちゃうんだね?
クラリネットはト音記号か。楽器自体がBbというのは、クラリネットのドの音は、ピアノでいうとBbの音になるということ?
交響楽とか作曲する人って、そういうことも知り尽くしているんだろうね。すごいなー。こういう話、面白い!またいろいろ聞かせてね!

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/14 19:36 ま〜やちゃんもメガネさんですかぁ^^。私もワインレッドとどっちにしようか迷ったんですが、大人っぽさ(?)を追求してラピス・ラズリブルーのフレームにしました。写真だと黒に見えますけど。

虫歯もなくてよかったですね。ルートカナルとかになると、保険が効いても高いらしいし、とにかく痛いそうなんで(>0<)Tちゃんも詰め物だけで済んだらしいし、良かったですよねー。(と他の人の日記へのコメントのようなことを書いてますが)

ぶんぶん 2007/09/15 01:52 「博士の愛した数式」やっぱり面白そうですね。
寺尾聰さん出演の映画公開時から気になっているんです。
作者の小川洋子さんが、毎日曜日の朝、ラジオ出演されていて、
礼拝に向かう車の中でいつも聞いているのですが、とても魅力的な人柄が感じられて、どんな文章を書かれるのか興味しんしんです。
(実際はなかなか図書館行ったり、小説読んだりできないんですけど・・・)
「博士〜」のお話をされていたときには、伝説の男・江夏豊選手のことで熱弁をふるわれていました。相当な「虎ファン」なんだそうですね(^^)

遠山遠山 2007/09/15 07:10 ま〜やさん、ヴィオラですか! 渋く賢い選択ですね。
オーケストラではヴィオラが不足気味で、その分、舞台に乗るチャンスが多いでしょう。
けれど弾く内容は極めて地味なので、それが性に合わないとつらいかもしれませんねぇ。

はちこはちこ 2007/09/15 13:51 めぐんちゃん、
めぐんちゃんのメガネ、写真でもちゃんとブルーってわかったよ! ホントに大人っぽくて素敵。 Tちゃん、詰め物だけで、しかもタダだったって、良かったよねぇ! 神様の憐れみだなぁと思いました!

ぶんさん、
ちょうど夕べ、夫が『博士…』のDVDも見たいね、と言ってたところでした。寺尾聰さんが博士役ですか。博士は、今でこそ小太りでシワシワだけど、若い時はハンサムだったという設定なんだけど… (な〜んて言ったら、寺尾さんに悪いか。笑)私も見てみたいなー。日本にいる間に買っておけば良かった。原書の方は、ある意味淡々としていて、ストーリーが盛り上がってきた、と思ったら、ふと肩すかしをくらわされるようにその場面が終わってしまうことの繰り返しというか。でもそれがかえって、博士の80分しか続かない記憶を現しているようで、胸キュン(死語?)でした。

遠山さん
ヴィオラは「縁の下の力持ち」のような、地味だけど重要な役割を持つ、とどこかで読みました。エミのように目立ちたがり(?)の性格だとヴィオラはつまらないでしょうが、ま〜やには向いているかもしれません。スズキに通うようになって、まずはヴィオラを持つ姿勢、弓を引く姿勢から直されているのですが、きちんと持って立つとかっこいいですね。将来が楽しみです。(ただの親ばか。笑)

2007-09-12

busy evening

22:02 | busy eveningを含むブックマーク

 今日は夕方から忙しかった。ま〜やが午後、シカゴ大学の病院で目の検診を受け(彼女もメガネさんになる)、四時過ぎに帰宅。その後、ぼぼるパパがP教会でビデオ収録があったので、五時半に家を出て教会まで送っていった。(P教会までは車で片道30分。)ビデオ収録というのは、パスターが科学と信仰に関するメッセージをするために資料集めをしていて、教会員の中にいるサイエンス畑の人3人を呼んでインタビューするところを録画したのだ。ぼぼるパパの他には地質学を専門にしていた人と、現役の高校のサイエンスの先生。(これに関しては、また後日ゆっくり書くと思う。)

 パパをP教会に降ろしたら、すぐに家に帰って今度はみん、ま〜や、ケンを私たちが以前行っていたC教会の子供のプログラムに連れて行った。(こちらは車で片道7分。)このプログラムには、教会を移った後もずっと続けて行っている。子供たちをC教会で降ろしたら、そのまま高校へ行ってエミをピックアップし、ヴァイオリンのレッスンへ向かう。レッスンは40分なので、私はその間、外に停めた車の中で本を読みながら待つ。今読んでいるのは、日本で買って来た『博士の愛した数式』。面白い。結構泣かされる。

 レッスンが終わったらエミを連れて帰り、20分くらい休んでから、再びC教会へ行って子供たちをピックアップ。一旦子供たちを家に連れ戻したら、そのまますぐにP教会へ向かい、ぼぼるパパをピックアップ。行ったり来たりして、やっと落ち着いたのが夜の9時45分頃。ふぅ。

 P教会へ行く時には高速道路を使うのだが、私はやっぱり高速は苦手だ。膝はガクガク、心臓ドキドキ、手は汗ばむし… しかも、ぼぼるパパを降ろして戻ってくる時、高速の出口を間違えて、反対方向へ行っちゃったよ。

 明日の夕方も、またいろいろ忙しい予定。昼間のうちに夕食の支度をしておこう。

TamikioTamikio 2007/09/13 10:42 うわあーー!すごいわああ。家族が多いと、送り迎えとか、大変ですよねえ。日本だったらみんなそれぞれ、(けんくんは、まだかな。。。笑)電車であっちこっちいくのに。。。だからこそ、家族のつながりや、信頼も深まるアメリカのいいところだけど、やっぱり親は大変ですよねええええ。

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/13 11:12 Dittoたみちゃん。「子育てしながらどうやって神様との時間を保つか」という話をしてて、子供さん達が小さかった頃、はちこさんは台所のカウンターに聖書を開きっぱなしにしておいて、隙を見ては(?)すかさず読めるだけ読む、ということをしていた、というのを思い出しました。

子供さん大きくなってもやっぱり忙しいですね〜。

はちこはちこ 2007/09/13 11:59 たみちゃん、
うちは車が一台しかないので、それが結構ネックなのよね。そのうちエミが免許を取ったら、いよいよ2台め購入となるので、そうすればもう少し楽になるかな。送り迎えは大変だけど、実際その時間って、子供といい交流になってたりするね。^^

めぐんちゃん、
あの頃に比べたら、今は椅子に座って、机に向かって聖書が読めるようになったんだから、感謝だよねー。そういえば、アーサー・ホーランド師の奥さんのアイコさんは、お子さん五人なんだけど、子育てで大変だった頃は、トイレが唯一ひとりきりになれる時間で、トイレで聖書を読みトイレで神様に触れられていた、という証を読んだことがあります。

まーち夫人まーち夫人 2007/09/13 12:55 はちこさんでも高速道路がどきどきなんですか?ちょっぴり意外な一面ですね。
家族の送り迎えの忙しさ、お察しします。ともかく私が動かなきゃはじまらないんですよねぇ。私もママさんタクシーの閉店は10時前になったり、です。
車の中での子供との会話はいい時間だと私も思います。面と向かってない分、いろんな事を話せたりしますし。

yukayuka 2007/09/13 19:45 スーパーママですね、はちこさん!すごい!私も運転はあまり好きな方ではないから、いつも運転前、運転中は神様に祈ってばかりです。でもご家族にとって、はちこさんが運転してくれるっていう事はとても大きな事ですね。

はちこはちこ 2007/09/14 07:34 まーち夫人
いやー、私、高速苦手なんですよ。バリバリ運転する人のように思われることが多いんですけどね。アメリカで子育てしてると、ママさんタクシーは必須ですよね。
>面と向かってない分、いろんな事を話せたり
なるほど! それは確かにそうかもしれないですね!

yukaちゃん
夕べも行ったり来たりの忙しい日だったんだけど、途中から夫が交代してくれたので助かりました。夕方以降が忙しくなる分、昼間の一人の時間は結構のんびりしてるんですよ。(笑)

2007-09-11

メールアドレスの不調

11:51 | メールアドレスの不調を含むブックマーク

 しばらく前にも報告しましたが、今まで使っていた4gzusのメールアドレスの不調が続いています。普通にすぐ届く時もありますが、数日かかったり、届かないまま紛失してしまうケースもあるようです。恐れ入りますが、私あてのメールは、s.nakamura37#gmail.com (#を@にかえてください)にお願いします。

スモールグループから始めよう!

11:38 | スモールグループから始めよう!を含むブックマーク

 …というのは、本のタイトルだけど。

 最近、たて続けに日本在住の複数の友人から「教会のスモールグループに入った」「私の教会でこれからスモールグループを始めようとしている」といったメールをいただき、嬉しくなっている。一人の姉妹は、改めて『スモールグループから始めよう!』を読み直したそうで、今後のグループ活動に期待し、とてもエキサイトしている様子だったのが、私としても本当に嬉しかった。

 それで、私も彼女に次のような返事をした。

 スモールグループも個々のクリスチャンと一緒で、始まったばかりの頃はいろいろうまく機能しないこともあるけれど、主の憐れみと恵みの中で、個人としてもグループとしても、だんだんと成長させられていくものだから、これから神様が○○ちゃんを連れていってくださるこの旅路を、急いでゴールに到達しようとするのでなく、その途中の景色を楽しみ、道のりそのものを楽しみながら進んでくださいね!


 当然のことながら、スモールグループ(SG)に入りさえすれば、一夜にして人生が変わるというわけではない。もしかしたらそこで、厳しい人間関係に直面し、すっかりうんざりさせられることもあるかもしれない。でも、そんなことも全部含めて、SGという場が、私たちの品性が練られ、キリストの愛の実践を学ぶための場所として用いられていくのだと思う。SGがただの仲良しグループ、都合のいいグループで終わってしまうのでなく、私たちの成長の場となりますように。

 これからSGを始めよう、今すでにやっている、という方々のために、手前みそっぽくて恐縮ですが、ここにあらためて『スモールグループから始めよう!』をお薦めします。訳者あとがきで書かせていただいたことを、ちょっと引用します。


 本書は基本的に、スモールグループのリーダーのための実践的手引き書として書かれています。しかしその内容は、クリスチャンの霊的成長のプロセスの根幹に関わるものであり、知識や概念として知るだけではなく、実際に成長したい、他者の成長を具体的に助けたいと願う方すべてに有益であると思います。また本書に記されている「恵みと真理」の原則や助言の数々は、スモールグループという形態を越えて、様々な場面での人と人との関わり合い、コミュニケーションにも応用が可能でしょう。私たちも、本書の翻訳を通して学んだことを家庭や職場での人間関係、教会学校のクラスなどに早速適用しています。人の話をよく聞くこと、愛をもって真理を語ること、ただ知識や情報を伝達するだけでなく、互いとの関係を建て上げることも重視するなど、少し意識するだけで、それまで混沌としていた人間関係の中に秩序と愛が回復されていくのを見る思いです。

 スモールグループとはいわば教会における愛の実地訓練場であり、本書はそのための良い手引きです。読者の皆様が、聖書の教えを人との関わりの中で実践することで、人生の変化を体験されることを祈ります。


スモールグループから始めよう!

スモールグループから始めよう!

TomTom 2007/09/11 18:23 初めまして。今日は、前から気になっていたことがあるので質問させてください。スモールグループはセルグループとはどう違うのですか?

はちこはちこ 2007/09/11 20:03 Tomさん、初めまして。
ご質問に関してですが、どちらも少人数によるグループという意味では、同じだと思います。
ただ、セル(細胞)グループという名前の由来は、教会をキリストの身体という有機体として見るとき、その中にある小グループは細胞のひとつひとつで、細胞分裂によって増殖することで教会も成長する、というものだと聞いたことがあります。そのため、セルグループは伝道に重きを置き、新しい人を連れてきて、少人数での交わりの中で福音を伝え、弟子訓練をし、新しいリーダーを育て、そうしてグループの人数が増えてくると、二つに別れて、それぞれのグループがまた同じように新しい人たちに届いていく、という流れを持つことを想定するのでしょうか。でも、単純に小グループという意味で「セル」という言葉を使っているところもあると思います。
一方、スモールグループ(SG)は、単純に「少人数のグループ」という意味で、実際の運営のされ方や目的などは多岐に渡るでしょう。(各種のサポートグループやバイブルスタディ、家庭集会などなど、そしてセルもSGの一形態と言えますね。また、ハウスチャーチのように、教会そのものがSGである、という場合もあります。)逆にいえば、SGだからといってすべてがうまく機能するとは限らず、参加者の霊的成長が促されるグループもあれば、ただ集まっているだけのグループもあるかもしれません。ご紹介した本の原題は、『Making Small Groups Work』と言い、直訳すれば「効果的なスモールグループを持つには」という意味です。著者は、グループの人数そのものが増えることよりも、個々の参加者が霊的に成長することに重きをおき、そのようなグループを持ちたいと願う人たちのための手引書として本書を書きました。
というわけで、セルであってもSGであっても、どちらも本来あるべき姿で機能し成長していった場合、到達地点は同じでしょうから、呼び方にそれほど深くこだわる必要はないだろうと私は思っています。
他にもっと適切な説明が出来る方がいらっしゃいましたら、please help me!

さやっこです。さやっこです。 2007/09/11 21:19 お久しぶりです、はちこママ!
私も、SG大好きです♪SGによって
成長させられ、SGによって励まされてきました!
でも、その中でも悩む事、たくさんあります。
今回、ecでSG担当なので、
この本にますます興味がわいてきました!
『あなたはどこに愛を探していますか』も、
この本も、ぜひぜひ購入したいです!
どこで手に入りますか?

なんだか、楽しみになってきました〜
いつも素敵な本、教えてくださってありがとうございます!

はちこはちこ 2007/09/11 21:25 さやっこちゃん、お久しぶり! そうだったね、さやっこちゃんはec07でSGの担当だったね。pray4ecのメールもらってるから、祈ってるよ! ecでもSGは重要なcomponentの一つだものね!
本はうちにあるので、送ります。送り先の住所をメールで教えてね。^^

フィベフィベ 2007/09/12 10:09 私が行っていた12ステップのセルグループは、
(ここは、スモールグループもセルグループも同じ意味で使われていました。)
構成人員が難しい感じがしました。
心の病を持っている人と痴呆がはじまった老人もいて
普通の会話が大変だったです。
何かグループ分けをした方がいいのかな。と思いつつ。
何故かこのような方の参加希望が多かったです。
それに人の話を聞くというのが難しいみたいです。
「この人にこんなことを話してもいいのかなー。」と躊躇して
何も話せなくなりました。
日本人の教会は、心の病を持っている人が多いのかな。。。
それはそれでいいのだけど、
昔を振り返るとなると尋常ではない経験を持っている人もいるので
難しいと感じて、参加するのをやめてしまいました。

はちこはちこ 2007/09/12 11:03 フィベさん、
『スモールグループから始めよう!』では、どういう時に専門家を紹介した方がいいか、という記述もありました。教会や自助グループとしてのSGは、プロのカウンセラーや精神科医の監督のもとにあるわけではないので、状況が深刻な場合(自殺願望があるとか)や医師による治療が必要な人は、専門家に行くようリーダーが勧める方がいいようです。また、専門家にかかっている人が、その了承のもとで自助系のSGにも参加することもありますが、その場合、リーダーがそれを把握している必要があります。
グループの構成人員というのは大切ですよね。同じような人ばかりでも、またニーズや目的意識がまったく違う人たちが集まっても、あまりうまくいかないらしいです。(その辺りも、前述の本に書いてあります。)
また、メンバーがあまり流動的だと、なかなか信頼関係が築けなくて、あまり自分の深いことを分かち合う気になれないですよね。人の話を聞くのが難しいのは、多分多くの人にとっての課題でしょうね。

ふじかけふじかけ 2007/09/23 08:22 はちこさま

はじめて書き込みます。
「スモールグループから始めよう」は良い本です。
(「境界線」のときも感動しました。)
毎回、良い翻訳の働きをされているのには感心するばかりです。
先週、私のかかわっている勉強会(http://fujikake.jugem.jp/?eid=764)でも、ここの本、きちんと推薦させていただきました。5〜8冊貢献したかもしれません(笑)。
ますますのご活躍を期待しています。

はちこはちこ 2007/09/23 13:54 これはこれは、ふじかけ先生、ようこそおいでくださいました。コメント感謝です!
先生のように臨床現場におられるプロフェッショナルの方から推薦していただけると、とても励まされます。
先生のブログでお話されていたグループの相互作用性のプロセスの大切さ、本当にその通りですよね。
先生のお働きも、ますます祝され、用いられますように!

2007-09-10

コモドとドコモ、子供はどこも悲喜こもごも口もごもご(早口言葉)

| 06:20 |  コモドとドコモ、子供はどこも悲喜こもごも口もごもご(早口言葉)を含むブックマーク

日本に帰国することの楽しみの一つは、理科教育や研究に関する日本語の良書を仕入れることである。この夏に日本で買ってきた本の中で、一番面白かったのが、慶応大学の下村裕先生による『ケンブリッジの卵』。下村先生が英国ケンブリッジ大学での2年間の研究休暇中に、本業の乱流理論ではなく、回る卵がなぜ立ち上がるかという、一見単純そうで実は奥の深い問題に取り組み、これを解決するに至った経緯が、事細かに描写されている。この研究は数年前にNature誌に取り上げられ、日本でも大々的に報道されたので、覚えている人も多いかもしれない。実は私は下村先生とケンブリッジで滞在期間が半年重なっていたのであるが、学科が違ったので、顔見知りになることができたのは、そのNatureの論文が発表になる直前であった。ミル・レーンのうどん屋で、本人の口から成果の解説をしてもらった時の興奮は今も忘れられない。(2002年3月26日の日記

このような個人的なつながりを差し引いても、この本はおすすめである。科学者が成果として公表するのは、要領よくまとめた論文であり、下村先生のNature論文に至っては、わずか1ページ半である。その結果に到達するまでの苦悩や努力などは、論文からは全く伺い知れない。しかし、そのプロセスこそがまさにサイエンスの本質なのであり、醍醐味なのである。この本を通して、下村先生が通ってこられた一進一退の道のりが手に取るようにわかり、こちらまで一喜一憂しながら研究している気分になってしまう。特に、近代科学の歴史を刻むケンブリッジ大学の学風、キース・モファット教授という一流の研究者との共同作業、ゆで卵という日常的なテーマに隠されていた大発見など、物理学者の日常と非日常が余すところなく語られていて、これから科学者をめざす中高生には、ぜひ読んでもらいたい一冊だ。研究の話の合間に、慶応大学での先生の講義の中身などにも話が及び、その巧みなチェンジアップによって読者を全く飽きさせないところが、ニクい。(アマゾンに寄せた書評より)

まきとまきと 2007/09/11 02:18 研究の結果だけでなくて、プロセスを聞けるのは楽しみですね。僕はなぜその人がそのテーマにたどり着いたのか、基本的なとことが知りたいです。たとえば、シャノン・エスリッジにどうしてはちこさんが辿り着いたか?とか。

はちこはちこ 2007/09/11 08:13 私がどうしてエスリッジにたどり着いたかですか? アメリカでは数年前Every Man’s Battle とそのシリーズがキリスト教書のベストセラーになったのですが、私が当時所属していた教団誌でそれに関する記事を読んだのがきっかけでした。その後いたるところでこの本の話題を聞き、そうこうしているうちに、ことば社さんから本書の翻訳の依頼をいただいたのです。当初は、Man’s と Woman’sのそれぞれを、主人と私で翻訳して欲しいという依頼だったのですが、その頃主人は忙しくて翻訳ができる状態ではなかったので、Woman’sだけ引き受けたのです。Man’sの方は、結局出版部さんが自ら翻訳することになったそうで、本当は夏には出るとのことだったのですが、遅れているようですね。

2007-09-08

ナルトを薬にリスクを取るな(回文)

| 20:31 |  ナルトを薬にリスクを取るな(回文)を含むブックマーク

 ぎょえ〜 しばらくご無沙汰していたら、世の中はもう9月の8日!大学の新年度まであと2週間しかないぞ。そうかと思うと、シカゴのダウンタウンのデパートには、なんとクリスマスツリーが並んでいるではないか。夏が通り過ぎてしまう前に、日本への旅行で印象に残ったことを書き留めておかないと。

  • 日本到着の成田空港に、「真」の字入りの黒い帽子をかぶった俳優の小山田真がぽつねんと立っていた。すでにこちらはバスに乗ってしまっていたので、サインをもらいそこねた。
  • 成田空港で見かけた宅配便の宣伝文句「We Deliver...Off Course!」。Off Course?それじゃ荷物が行方不明になっちゃう。
  • 京都の清水坂で、マンゴーやブルーベリーやラムネ味の生八ツ橋を発見し、仰天する。産寧坂には、七味唐辛子入りの世界一辛いソフトクリーム、「ハバネロソフト」なるものが売っていた。
  • 伊丹では朝っぱらからクマゼミのシャワシャワという大合唱で、17年ゼミの悪夢がよみがえりそうだった。昆虫といえば、昆虫館の人面カメムシ
  • 自転車に日傘を縛り付けて走り回る、たくましい伊丹市民の姿。
  • ちなみに、伊丹で泊まったビジネス旅館さくら荘の浴場がきれいで気持ちよかった(はちこと二人で入った)。
  • JR六甲道駅のコインロッカーは小さいので、次回はケーブルカーの山麓駅のを利用すべし。
  • 明治維新の頃の六甲山はハゲ山だったそうだ。
  • 23年ぶりに訪れた神戸異人館の界隈は、震災からも復興して昔のままの面影を残しており、懐かしかった。
  • 神戸港のカワサキワールドの受付のおねえさんに、ケンスケが「キングジョーとウルトラセブンが戦ったのはどこですか」と聞こうとした。
  • 流石は国際都市広島。広電の車掌が、正規の下車口を使わずに飛び降りた外国人旅行者と、堂々と英語でわたりあっていた。
  • 鶴岡の賀茂水族館のクラゲ。優雅な泳ぎっぷりに、ジェット推進の流体力学を円筒座標で考察。
  • 酒田港の「海鮮どんや・とびしま」で、三日間体験労働をした中学生の感想文が張り出されていて、ほほえましかった。「このたびは、海鮮どんや・とびしま様で、三日間という長い間、大変お世話になりまして…」

 行く先々で新旧の出会いがあり、大勢の皆さんにお世話になった旅でした。

erinaerina 2007/09/10 07:49 ケンちゃんがもし聞いたらとちょっと想像して、その受付のお姉さんの困った顔が目に浮かびました。そして、それを思って一人でウケてしまいました。

ぼぼるぼぼる 2007/09/10 08:26 「日本語がわからないから、お父さんが聞いてよ」って言われたのですが、さすがにためらわれて、「いやあ、おねえさん、知らないと思うなあ」とか言ってお茶を濁してしまいました。

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/10 11:21 神戸港の受付のお姉さん、その質問の答えは多分知らないでしょうねぇ^^。本当に盛りだくさんの帰国だったんですね。

ぼぼるぼぼる 2007/09/10 21:52 3週間弱に目一杯つめこんだという感じでした。今振り返って、やっと少しinternalizeできたかな。

まきとまきと 2007/09/11 02:10 傘を自転車に縛り付けて走るのは、うちの町(茨木市)でも、聞くところ大阪市内でも当たり前です。ビジネス旅館の話には、おいオアツイデスネとつっこみたくなる。

ぼぼるぼぼる 2007/09/11 04:02 つまり自転車傘というのは、阪神圏の文化の一部ということですね。昔からそうなのでしょうか。東京ではあまり見かけなかったので、とても新鮮に映りました。
>おいオアツイデスネとつっこみたくなる。 
ああ、お風呂の件ですか。まあ、夫婦ですからね。いいんじゃないですか。

フィベフィベ 2007/09/12 10:02 もう、街の店頭にクリスマスツリーですか。
早いですね。日本は、まだまだです。
11月あたりからなのかな。
クリスマスの12月25日の翌日になると一夜にして
クリスマスからお正月の飾りにあっ!というまに変わるので
この変わり方に驚きます。
2007年もあと3か月ちょっとなんですね。

ぼぼるぼぼる 2007/09/12 22:51 昔はアメリカも11月のサンクスギビングが過ぎるまではクリスマス色は見られなかったものでしたが、それがハロウィーン(10月)、レイバーデイ(9月)とどんどん早くなっている感じです。とはいえシカゴはもはや肌寒く、秋が駆け足に深まっていく感じです。

2007-09-07

歯が抜けた

22:25 | 歯が抜けたを含むブックマーク

 ケンの五本目の歯が抜けた。前歯なので、なんとも間の抜けた感じ。もうすぐ学校で写真を撮るのに、今年も歯抜けかぁ。上の娘たちもそうだったけど、小学校の低学年の頃は、どの写真もだいたい歯抜け顔で写ってるんだよね。それもまた可愛らしいか。

ひぃぃ!

10:04 | ひぃぃ!を含むブックマーク

 このニュースで報道されている、全日空の機内で子供に配布されたポケモンマスコットタオル、私たちも庄内から羽田に帰る便でもらった! ケンだけでなく、上の娘たち3人とももらって、喜んでたんだよー。今も一枚、私の目の前にある〜! 折れた針が混入だなんて、こわいね。

erinaerina 2007/09/08 05:00 日々、、、中国製は笑って使えなくなりますね。
それにしても、歯抜けの写真は絶対可愛い!!!
歯がはえかわるのは低学年だったんですね。

heidiheidi 2007/09/08 05:37 子供の歯抜けは可愛いです。(笑)ケンブリッジではちこさんの目の前で、仮歯が二本抜けて、そのまま一週間旅行を続けたのを思い出しました。(^_^;;

はちこはちこ 2007/09/08 18:07 erinaちゃん
確かに、歯抜けの写真は可愛いよね。前歯が抜けたので、今ケンは上手に話すことができず、フガフガ言っています。それもまた可愛い。(親ばか)

heidiさん
あの時は困りましたよねー。旅行中だからどうしようもなかったし。今となっては、楽しい思い出でしょう?(^^)

2007-09-06

mmesachi2007-09-06

ケータイを新しくした。

14:45 | ケータイを新しくした。を含むブックマーク

 最近私の携帯の調子が悪かったので、ディーラーに行ったら、ちょうど契約更新の時期に来ていたため、今契約を更新すれば新しい電話を150ドル引で買えると言われた(そのうち50ドルはmail-in rebate)。それで新しいのを購入したが、割引のおかげで実質上無料だった! しかも、私が買ったモデル(Motorola KRZR)は、一台買うと、Motorola RAZR V3mが3台無料でついてくる!というキャンペーンをやっていたので、ついでに家族の携帯もみんなアップグレードしてしまった。(無料といっても、手数料が40ドルかかったけど。まぁ安いものか。)日本でも、携帯電話は、電話機それ自体はものすごく安いと聞いてるけど(1円とかって!?)、アメリカも同じなんですね。

 さー、これからマニュアルとにらめっこして、セットアップして、新しい機能の使い方を学ばなくては。

新クリスチャン生活百科

16:45 | 新クリスチャン生活百科を含むブックマーク

 昨日、ことば社さんから新クリスチャン生活百科が送られてきた(私も「健全な人間関係」という項目を執筆させていただいたため)。カバーされているトピックは幅広く、教理的なことから(二元論に関する記事もあったよ!)、「生活百科」の名前にふさわしい非常に実際的なことまで(結婚式の記念撮影の並び方とか)。あるものは、あくまで参考までにということで、クリスチャンは絶対こうしないといけない!というものではないはずなので、そのつもりで読む方がいいかもしれないけれど。

 小さないのちを守る会水谷潔先生が「養子縁組」についての項目を執筆していらして、これはクリスチャンの間でも、これからもっと注目を浴びてよい(浴びるべき?)トピックではないかと思った。

新クリスチャン生活百科

新クリスチャン生活百科

jackjack 2007/09/06 20:01 こんなバカなビジネスモデルが成り立つわけないと思ってたら、アメリカも状況が変わってきたみたいですね...しかし3台!

私の使っているケータイは実はモトローラです。たまにドイツへ行くので国際ローミング可能機にしたんですけど、日本独自仕様みたいですね。

こんなやつです。
http://www.nttdocomo.co.jp/product/foma/702i/m702ig/index.html

USBコネクタしかないのでいろいろ面倒。困ったことがあればご相談ください。

はちこはちこ 2007/09/06 21:50 1台買ったら3台ついてくるって、すごいですよね。しかも、その最初の一台も今回は無料だったし。彼らにとって、収入源は通話料金なんでしょうね。電話機を持ってもらわないことには通話してもらえないので、タダ同然でもいいからたくさん配って、通話プランで元を取ろうということなのでしょう。実際、今回買った電話も、いろんな機能がついているのですが、そのいくつかは有料なんですよね。機能がついてると思うと使いたくなってしまいますが、そこが狙いなんでしょうねぇ。jackさんの携帯は、RAZRに似てますね。多分、基本的に同じ機種なのかな?

まきとまきと 2007/09/06 23:15 ちょっと話が飛びますが、この前、デジカメの新機種が出たと広告をみました。
一体何を撮るのだろうと思いました。携帯は持ってません。あると便利ですね。
けれど、一体何を話すのかなと、ひるんでしまいます。

erinaerina 2007/09/07 05:40 一円携帯は今、政府が苦言を呈していて今後はなくなっていく方針です。だって、安い本体の表裏は高い通話料と長期契約に起因しているのですから。だから、日本の携帯は次の携帯を買うまでに使用した年月によって価格がことなるってのもみそなんですよね。
でも、それにしても新機種。
綺麗ないろですね。

はちこはちこ 2007/09/07 09:19 まきとさん、
携帯でもデジカメでも、どんどん新機種が出て、ついていけないですよね。私もすっかり年を取ったのか、新しいものを学ぶ意欲が落ちていて困ります…

erina ちゃん
次の携帯を買うまでに使用した年月が、長い方が安くなるの?それとも短い方が安くなるの?アメリカの場合はどうなんだろ。私はまだ携帯初心者なので、この世界のしくみをよくわかっていなくて、何か餌食にされている気がする…
綺麗な色でしょ。私も色やデザインが気にいったんだけど、カスタマーレビューを見たらあまり良くなかったので、ちょっと心配。

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/07 11:19 私も新しいケータイ欲しいですー。何度も落としまくっていたらスクリーンの一部がポツンとオレンジになって、その部分が現在侵食中。そのうち何も見えなくなってしまうでしょう・・・。可愛いのに換えたいなぁ。

はちこはちこ 2007/09/07 14:52 めぐんちゃん、
私の新しいの、見た目は可愛いんだけど、カスタマーレビューがあんまりよくないので、ちょっと心配。同じ機種でも、キャリヤーによって性能も違うらしいしね。いいdeal で性能がよくて可愛いのに買い替えられるといいね!

はちこはちこ 2007/09/07 19:51 あれ、今ふと見たら、erina ちゃんとめぐんちゃんへのお返事に、同じこと書いてる。(苦笑)よほど心配なのか、単なるボケなのか… 微妙だ。

erinaerina 2007/09/08 04:56 Reviewよりも使い勝手が一番ですよ!
初めての契約の時が1円。
あとは1年以上使ってからじゃないと次の携帯は正規の価格を支払わなくてはいけなくなります。
何故かというと、携帯の通話料に携帯電話のお金が含まれているからなんです。
本当に安く買いたい場合は2-3年以上使用しないと駄目なんです。
でも、、、大体1年経ったら私は変更しちゃいますが。

はちこはちこ 2007/09/08 18:10 なるほど、長く使う方が安く買えるんだね。買い替える時、古いのはどうするの? 引き取ってもらうのかな?

erinaerina 2007/09/12 21:30 古い携帯については引き取ってもらうことも可能なはずですが、私はそうしたことがないです。ちなみにDOCOMOのFOMA機種に関してはカードを差し替えるだけで古い携帯も使うことができるので、例えば水没事故などに備えて取っておく人が多いと思います。あと、Yahooとかで売れる価値があるらしいので。

はちこはちこ 2007/09/13 07:30 なるほど、水没事故のための備えね。そういえばこの夏、私の父が買ったばかりの携帯を水泳パンツのポケットに入れたまま海に入ってしまうという事件(?)がありました… 携帯を水着のポケットにいれたらだめだよねぇ。(笑)
私の古い携帯は、ケンとま〜やのおもちゃになってます。充電さえすれば、写真撮って遊べるし、時計代わりにもなるし。

2007-09-04

徒然に

11:22 | 徒然にを含むブックマーク

 この週末は、Labor Day weekendという3連休だった。お天気も最高で、外出するのにはうってつけだったと思うけど、中村家は夏にさんざん遊んだので、特にどこにも出かけず、家でのんびり。

 子供たちの新学期が始まって2週めに突入。先週は、どうも調子がでなかった。時差ボケの名残…とはもはや言えないだろうが、まだ早寝早起きのペースがつかめず、午前中は眠くて仕方がなくて、ソファでうたた寝したり、お昼寝したり。お昼寝も15分くらいだと身体にも良いらしいが、2時間寝ちゃうと夜の睡眠に差し支える。今週は頑張ってお昼寝はしないようにしよう。

 キリスト教書のカタログをパラパラと眺めていたら、「人気のある女性著者」というコーナーに、ベス・ムーアやストーミー・オマーティアンと並んでナンシー・リー・デモスという名前があった。彼女が書いた『Lies Women Believe』という本は結構有名で、よく女性聖研のテキストに使われていたりする。ナンシー・デモスと言えば、あのアーサー・デモス氏の奥さんではなかったっけ?と思い調べてみたら、ナンシー・リー・デモス氏はアーサー・デモス氏の娘さんであることがわかった。奥さんはナンシーで、娘さんがナンシー・リーなんだ。

Leaving a Generous Legacy

Nancy Leigh DeMoss. Speech delivered at the annual Generous Giving Conference, Colorado Springs, Co., April 21-23, 2005.

Bible teacher and radio host Nancy Leigh DeMoss speaks of the pivotal role that giving plays in one's spiritual growth, for we are never more like Jesus than when we're giving. Her message centers on the life and testimony of her late father, Arthur S. DeMoss (1926-79), a pioneer in insurance marketing but, most importantly, a devoted follower of Christ. .....


 彼女は、クリスチャン女性向けにたくさんの本を書いていて、クリスチャンラジオのホストをし、Revive Our Hearts という女性ミニストリーも主宰している。だから何というわけではないけれど、アーサー・デモス財団について調べていた時には出て来なかった情報だったので、なんとなく驚いた。

マザーテレサ

| 11:24 | マザーテレサを含むブックマーク

 今週の上沼先生のウィークリー瞑想は、8/23号のタイム誌のカバーストーリーに取り上げられたマザーテレサの話についてだった。(上沼先生の記事はこちら)マザーが亡くなって十年を機に、彼女が残した手紙が本にまとめられることになったそうだ。その手紙は、彼女の信仰の苦悩を赤裸々につづったもので、本人はその手紙はすべて破棄するようにと書いていたそうだが、カトリック教会当局がそれを差し止めたらしい。

 今読んでいる『Renovation of the Heart』(ダラス・ウィラード著)の中に、人間の心は堕落しており、あまりに暗く汚れているため、神を知らない人には現実を直視することはできず、みな何らかの現実否認(denial)に陥らざるを得ない、というようなことが書いてあった。確かに、神を知らずして、自分の心の闇(そして社会の闇、人間世界の闇)を直視することなど、恐ろしくて到底できないと思う。マザーテレサが自分の心の闇夜、信仰の苦悩を直視できたのも、まさに彼女が主と深いところでしっかりつながっていればこそだったのだろうと思わされた。

追記: タイム誌の記事です。

http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1655720,00.html

長いのでまだ読み終えていませんが、ある意味とても衝撃的であり、一方でとても真実なものを感じています。

はるかはるか 2007/09/05 04:46 こんにちは。ずっと以前に一度おじゃましたことがあります。
マザー・テレサの苦悩について、他でも読みましたがいろいろと考えさせられます。
>マザーテレサが自分の心の闇夜、信仰の苦悩を直視できたのも、まさに彼女が主と深いところでしっかりつながっていればこそだったのだろうと思わされた

同感です。「苦悩・疑念」をそのまま差し出せるのは、信頼あればこそですね。
エリ・ヴィーゼルの「夜」という書物の初めのほうに、ある堂守りが出てくるのですが、彼は「問いを差し向けることこそが、神様との対話だ。神様は答えてくださるがその答えはわからない。祈るのは、本当の問いを神様に差し向け続けることができるように力をお与えくださいと祈っているのだよ。」というようなことを語ります。エリ・ヴィーゼルはホロコーストの犠牲者でかつて信じていた神を見失ったと言っていますが、本の冒頭の方に、この堂守りの言葉を書いていることで、彼が一抹の希望を神に繋ごうとしているのかなとよく考えました。マザー・テレサからちょっと話がそれてしまってごめんなさい。ただ、時には「信仰の闇夜」や「疑い」についてしっかりと語ることで、助けられる魂もあるのではないかとふと思いました。今回、マザー・テレサの内面の一部を垣間見ることで、また他の多くの人たちが自分の苦悩に向き合い、闇の中の一筋の光を見出すことができたらいいなと思いました。
タイム誌の記事についてなど、またお時間があったらお分かちいただけたらうれしいです。英語ができないものですから(笑)。

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/05 07:54 つい数日前、ラジオをぼーっと聴いていたら、マザーテレサと直接面識のあった人のインタヴューをやってて、彼女が祈りの中に神様の臨在を感じられなくて苦しんだという話をしていました。祈っても祈っても答えを見出せなかったけど、最終的にマザーテレサは精神的・物質的に貧しい人や、病気で苦しむ人の内にキリストの顔を見ることになったから、祈りの中に神様の臨在を感じられなかったのも、神様が彼女をミニストリーに導く中で必要なことだったんだろうと。

ものすごい用いられ方をした人でも霊的弱さを覚えて七転八倒するんだ、と思いました。カッコ良く、全く疑いもなく歩めたら祝福だけど、不安でボロボロで泣きながらでも必死でイエス様の後をついて行く人の姿は、リアルで励まされます。

涙と共に種を撒く人は、喜び踊りながら収穫するというあの御言葉を思い出しました。昨日のY君の歩みの話にもなんだかつながるな。

カッコ悪くても、Brokenなままでも、イエス様の後をtrudge alongしていくことができますように。

はちこはちこ 2007/09/05 10:01 はるかさん、こんにちは!
エリ・ヴィーゼルの話をシェアしてくださってありがとうございます。ヴィーゼルにしてもマザーテレサにしても、この世の生き地獄のような様を目の当たりにして、それは日本やアメリカで普通に暮らしている私たちからは想像もできない状況だろうと思います。そういう中で、疑問や疑いが出てくるのはある意味当然ですよね。神を見失った、神を感じられない、そう言いつつも、だからこそ、実は誰よりも強く激しく、神に向かっていったのがマザーテレサでありヴィーゼルであったのかもしれない… はるかさんのコメントを読みながら、そう感じました。
>時には「信仰の闇夜」や「疑い」についてしっかりと語ることで、助けられる魂もあるのではないかとふと思いました。今回、マザー・テレサの内面の一部を垣間見ることで、また他の多くの人たちが自分の苦悩に向き合い、闇の中の一筋の光を見出すことができたらいいなと思いました
同感です。タイム誌の記事は、けしてマザーの苦悩をあげつらうようなものではなく、とても真摯に捉えていました。教会、また無神論者たちが、それぞれにマザーの苦悩の記録をどのように受けとめているかを対比させつつ、彼女の書簡集が今後私たちにどのような意味を持つものになるのか、考察していました。

めぐんちゃん、
そうなの、神を感じられなくなったマザーの苦悩に満ちた言葉を読むと、ある意味ショックでもあります。こんなふうに感じつつ働きを続けるのは偽善ではないかとも悩んだようです。彼女について今、カトリック教会の中で「聖人」と認められるよう、手続きが進められているらしいんだけど(そのプロセスの中で、今回の書簡にも光が当てられた)、マザーの、痛みや苦悩を感じることのできるその「人間らしさ」「肉」の部分こそ、神様は豊かに用いられたのかなぁ、なんて思ったり。いろいろ考えさせられますね。

hide&yokohide&yoko 2007/09/05 23:28 はちこさん タイムの記事有難うございます。ファクスを送ってもらってみてたけど読みにくかったのでとっても助かりました。めぐんちゃんのコメントにあった、これはマザーのミニストリーのために必要だったということが本当に良く分かります。これがテレサの働きにとどまらないために必要なことだったと思わされています。
 ところで、また例によって、余計なことですみません。引用されていた十字架の聖ヨハネ、上沼先生から勧められて読んで、今度の本の詩篇18篇9節、「主は暗やみを足台として下りてこられるの解説ですが載せさせてください。 

なお、神が私たちに近づいてくださるときに起きがちな神秘を、十字架のヨハネは、「霊の暗夜」と呼び、神とともに訪れる「暗やみ」を積極的に描きます。彼は16世紀後半に活躍したスペインの修道士で、ルターの改革に真っ向から反対した人のはずですが、この詩篇を読みながら体験したことは極めて似ているように思われます。詩篇は信仰者を一致に導くのでしょうか。
十字架のヨハネは「光」と「暗やみ」が相反するものではないことを、「窓を通して入ってくる太陽の光線は・・空中にほこりやゴミがあればあるほど、その光は、より輝かしく目に映る。そのわけは、見られるものは光そのものではなく、光は、光が襲う他のものが見られるための媒介に過ぎないからである」と説明しています(『暗夜』ドン・ボスコ社、山口女子カルメル会改訳p171)。これは、宇宙飛行士が、宇宙に出て体験する暗やみと同じでしょう。太陽により近づいているはずなのに、光を反射する地球から遠ざかるほど暗やみが自分を包んでいるとしか感じられません。
同じように神との距離が近くなればなるほど、神の光を照らし出すのは、この世のものではなく、自分の心の闇や惨めさとなります。彼は、「神の霊的な光は、非常に壮大であり、人間の自然的理性をはるかに超えるものであるため、それに近づけば近づくほど、その人を盲目にし、暗くする。ダビデが詩篇18篇で『主は、やみを隠れ家としてめぐらし、暗い雨雲、濃い雲を仮住まいとされる』(12節)と言っているのはそのためである」(同書p238)と記しています。
信仰者に襲う人生の暗やみを恐れる必要はありません。そこから逃げ出そうとあせったり、人間的な解決を急ぐことは、状況をかえって悪くしてしまいがちです。神にとって不可能はありません。神は聞いていないようで、私たちの叫びを聞いておられます。それどころか、私たちを襲っている「暗やみ」は、「神の救いが近いしるし」かも知れないのです。そのようなときこそ、神の御前に静まり、神が、愛を持って私を取り扱っておられることに思いを向けるべきです。

ゆみりんゆみりん 2007/09/06 02:43 今うちの主人が祈りについて、日曜学校で教えているのですが、
このマザーテレサが自分の信仰生活、そして祈りで葛藤したと
いう記事を、同じく注目したようでした。
誰もが、えー、あのマザーテレサが!と思ったでしょうね。
でも、マザーも、人間なんですね。
肉に生き、どんなにあがいても、その肉を断ち切ることは
できず、肉との戦いは終わることなかったのですね。
この記事を読んでいて、ペテロのことを思い出しました。
”たとい全部のものがあなたのゆえにつまずいても、私は
決してつまずきません”マタイ26:33
でも、彼はつまずきますよね、思いっきり!
でも、それがあってこそ、彼はこのあと神様により仕え、
大切な仕事を成し遂げ、殉教することができたのでしょうね。
ダビデや、モーゼや、たくさんの人たちが、私たちと同じように
葛藤し、困難に向かい、祈り、肉と戦って霊的な戦いに
挑んできたのだとおもうと、勇気付けられますね。
とっても考えさせられる記事でした。
ありがとうございます、いつもいつも・・・。

浩子浩子 2007/09/06 05:12 この記事とコメントの一つ一つに本当に励まされました。

>・・ダビデが詩篇18篇で『主は、やみを隠れ家としてめぐらし、暗い雨雲、濃い雲を仮住まいとされる』(12節)と言っているのはそのためである

この部分を拝読させて頂いた時、ずっと前から今ひとつ分かったようで分からなかったイザヤ16−3,4の御言葉が浮かんできました。
”昼のさなかにもあなたの影を夜のようにせよ・・・あなたの中にモアブの散らされた者を宿らせ、荒らす者から逃れてくる者の隠れ家となれ”
というところです。(的が外れているのかもしれませんが・・)
昼のさなかに夜のように、そして隠れ家になる、ということ、それに続いて5節、”・・一つの王座が恵みによって堅く立てられ・・・そこに座る”

ここをもう一度読み返しながら、闇を恐ろしいもの、見たくないものとしてだけ
見るのでなく、もう一つの側面があることを改めて思わされました。
マザーテレサは、虐げられた人の隠れ家となってかくまい、逃れてくる人たち
を受け入れた一方で、自らが神様に近づく故に味わった闇に葛藤し続けたのです
ね。
でも神様からの応答がないように見えても逃げ出さずとどまり前進し続けた姿に
私も本当にそうでありたい、と心から思います。

記事の中身、またいずれ訳してくださったら私も物凄く嬉しいです(無料翻訳ソフトで試して見たら、まあニュアンスとしてはわからないではないんだけど、ひっくりかえりそうな珍訳でした・・(笑))

はちこはちこ 2007/09/06 08:50 hide&yoko先生、
いつもながら素晴らしい解説をありがとうございます。十字架のヨハネ、タイムの記事にも言及されていましたよね。 「信仰者に襲う人生の暗やみを恐れる必要はありません。」以下のくだりには大いに励まされました。詩篇139篇には、神にとっては暗やみも光も同じことだとありますよね。荒野は神様が語られる口であり、暗やみは主が隠れ家としておられる所… 私たちが一番避けて通りたいと思っていたような場所が、実は一番主に近い場所なんですね。

ゆみりんさん
ほんとに、聖書の中には自分自身の弱さと葛藤し、戦い、それゆえにますます主に近づき、主に愛され、主にあって偉大な働きをした人が大勢出て来ますよね。本当に励まされます。こちらこそ、いつもありがとうございます!

浩子さん、
イザヤ16:3−5をありがとう! これって、まさにマザーのことを語っているかのような箇所ですね。感動しました。こうして皆さんと分かち合いができること、本当に嬉しく思います。
>でも神様からの応答がないように見えても逃げ出さずとどまり前進し続けた姿に
私も本当にそうでありたい、と心から思います。
アーメン! 暗やみや沈黙がある時、安易なものにしがみつこうとするのでなく、そこにおられる主を味わえる(?)ようになりたいです。
タイムの記事は、5ページにも渡る長編なので、ちょっと翻訳するのは無理ですが、きっとマザーの書簡を本にまとめたもの「Come Be My Light」が、いずれ日本でも出版されると思います。マザーの苦悩をセンセーショナルに扱うような出版社でなく、真摯に扱ってくれるところ、多分カトリック系の出版社から出るといいな。

浩子浩子 2007/09/10 07:48 ごく最近突然気がついたのだけど、今エレミヤを通読していて、エレミヤの
苦悩と自分の煩いをダブらせたり余計に憂鬱になったり(!?)とする中で
ふと、”知恵”って恵みを知る、って書くんだなって気がついたの。
今更ながら。
知恵って聖書中にあふれている語句だと思うのだけど、よく考えたら私一般的
な意味でしか捉えていなかったと思う。神様の知恵といったら文字通り神様の
知恵、わかったようで分からなかった気もする。
でも、エレミヤの9−24を読みながら前述の”恵みを知る”ってことが思い
うかんで、それが箴言の2:2〜5や3:13〜18と一致して・・。

恵みの源はいうまでもなく神様にしかないのだとすれば、知恵って主を知るって事
なのかあって改めて思ったの。
そして今日、エレミヤ22−16を読んで思った。
今味わっているいろいろな悩みや煩いや放り出してしまいたくなるようなこと
がすべて、ただただ主を知るための材料にすぎないこと、何度も何度も同じこと
思って来た気がするけど、そう思ったのです。表面上は具体的な現実に絶望したり苦しんでいるように自分自身感じているけど、もしかするとどこまでいってもまだ届かない、知ることが出来ない神様そのものへの渇望感が本当は苦しみの原因
なのかも知れない、などと思ったりしたのです・・。
次元が違いすぎるかもしれないけど、マザーのうめきや絶望ももしかして
同じようなことだったのかな・・と先日以来、マザーテレサのことが心に
ずっとあります。
どんな聖人に思えても皆、同じなのかな・・とどこか嬉しいような
ホッとするような・・

はちこはちこ 2007/09/10 09:56 浩子さん
私は今、箴言を通読してるんだけど、8章には、「知恵であるわたしは…」(12節)とか「主は、その働きを始める前から、…わたしを得ておられた」(22節)とか、「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった」(30節)とかって記述があって、私の友人が「知恵って、受肉前のキリストのことなんだね」って言ったの。そうか、知恵って、キリストご自身なんだ!と思ってあらためて8章や箴言の他の箇所を読み直した時、知恵を恐れ、知恵を求め、知恵を見いだすことがいかに大切で、それが「いのちを見いだ」す(35節)ことと同義であるか、ものすごく納得してしまったのでした。

>もしかするとどこまでいってもまだ届かない、知ることが出来ない神様そのものへの渇望感が本当は苦しみの原因なのかも知れない
これ、なんだかすごく心にストンと来ました。前にも、上沼先生の「渇望の旅」という記事を紹介したけれど、神様への渇望感って、ある意味私たちの原動力なのかもしれないね。

2007-09-02

ワイ君のこと

20:02 | ワイ君のことを含むブックマーク

 ワイ君は、大学院留学中にアメリカで救われた。彼とは2004年の秋にシカゴで出会い、JCFNシカゴにも引っ張り込み(?)、以来ずっと一緒に活動してきた。ワイ君は大学院卒業後は神学校に進学した。まだ在学中だが、この8月から約一年間、イリノイ州のとある大学で、インターバーシティークリスチャンフェローシップ(IVCF)というキャンパスミニストリーの留学生部門で、インターンとして奉仕することになった。

 IVCFでインターンとして奉仕するためには、まず、サポートレイズ(support raise)というものをしなければならない。サポートレイズとは、奉仕の期間中その働きにフルタイムでかかわれるよう、その間の生活費を献金によってまかなうべく、経済的に支援してくれる人たちを集めること。彼の場合は、来年五月までの奉仕で、この8月6日までに25000ドル(約290万円)をレイズする必要があった(実際の献金プラス、献金しますという約束も含めて)。ワイ君がインターンをすることを正式に決めたのは確か5月で、6月上旬までは神学校の期末試験があったため、サポートレイズのために彼が具体的に動き始めることができたのは、6月も中旬になってからだったと記憶している。

 6月上旬頃、彼と電話で話していて、8月6日までに25000ドルをレイズしないとならないと聞いた時、正直なところ、「これは大変だ!」と私は思った。ワイ君には、「できるよ!」と励ましの声をかけたものの、内心、私だったらできないなと思っていた。献金してくださいと頼んで回るって、とてもエネルギーと勇気のいることだと思うし、特に日本人にはとても苦手なことなんじゃないだろうか。しかしワイ君は、IVCFのインターンとして彼を呼んでくださったのが神様であるなら、そのための経済的ニーズも必ずや神様が満たしてくださると信じた。私も、自分自身の人間的な弱気はさておき、神様はきっとそれをしてくださるとワイ君と一緒に信じて彼を励まし、祈りを通して共にこの道のりを歩かせてもらった。

 彼はたくさん祈った。そして、サポートを求めるべく、いくつもの教会を訪問し、大勢の人を訪ねた。こういうことが、それほど苦にならない人もいるだろうが、ワイ君にとってはこれはかなりの信仰と勇気と忍耐を要することだったと思う。「なんだか、友達を失っていくような気がする…」と泣きそうな声で電話がかかってきたこともあった。「サポートのお願いをするために友達と会う約束を取り付けようと思っても、最近は誰も電話にさえ出てくれなくて…」と。多分、もう止めたい、きっと無理だ、と投げ出したくなった時もあっただろうと思う。だけど彼は、諦めなかった。

 ある時は、本当に泣きながら電話をしてきたこともあった。でもそれは感謝の涙で、サポートのお願いをした友人が、月々まとまった額を献金すると喜んで応じてくれたのだそうだった。彼は、献金の約束を取り付けたことももちろん嬉しかったけれど、それ以上に、その友人が示してくれた友情と愛が嬉しかったと言っていた。ワイ君は、自分もこの友人のように豊かに捧げる者になりたい、と言った。良かったね、良かったね、と二人で泣きながら主に感謝を捧げた。

 その後私は日本に行ってしまったが、ワイ君からは祈りのリクエストとサポートの集まり具合を報告するメールが定期的に届いていた。最初のうちは、本当に8月6日までに25000ドルもレイズできるのだろうか、と疑いが湧くこともあった。しかし、ワイ君は忠実に努力を続け、神様もそんなワイ君に対して、ご自身の忠実さを示してくださった。7月27日の時点で、目標額達成率が95%、そして8月3日の時点では、なんと104%になったのだ! この知らせのメールを読んだ時、私は泣きながら喜び、主をほめたたえた。

 この一ヶ月あまりの彼の冒険(?)を通して、私自身も多くを教えられた。何より、ワイ君のへりくだった姿勢が印象的だった。サポートのお願いのために人に会う時でも、ただ自分の目的を達成させようとするのでなく、相手のニーズにも自分の心を開き、主がさせてくださる形でその人たちにミニスターしていきたいという祈りをもって、彼はいつも出かけていた。実際、彼のニーズのために私と祈る時でも、ワイ君は私のニーズにもいつも心を配って祈ってくれたものだった。

 私は、そんなワイ君を神様が喜んでおられるのを間近に見せていただけて、本当に特権だったなぁと思う。このブログでも、「日々の労苦」や「自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘」することについて書いたことがあったけれど、ワイ君はそれをまさに忠実に行っていたと思う。そしてそれに対して、主は違うことなく豊かに報いて下さるお方であることを、私はもう一度見せていただいた。ワイ君にも、神様にも、心から感謝だ。

 今ワイ君は、彼の宣教地である大学のキャンパスに引越し、そこでフルタイムで働いている。昨日も電話がかかってきて、新学期が始まったばかりの今は、農家で言えば種蒔きの時期だからとても忙しい、と言っていた。土曜日にもたれた留学生のためのイベントには、予想を上回る80数名の学生が集まったそうだ。彼にとってはまだ慣れない働きで、いろいろストレスや迷いを感じることもあるようだが、それらを通しても神様はますます彼を練り、整え、神様との関係を親密なものにしていってくださるのだと思う。ワイ君の働きを通して、また彼の人生の中で、神様がこれからも何をなさってくださるのか、とても楽しみだ。

(ちなみに、「ワイ君」というのは仮名です。ブログに書いてもいい?と聞いたら、いいけど本名は出さないでね、とのことだったので… ^^)

ゆみりんゆみりん 2007/09/02 23:01 うーん、とっても同感してしまいます。
ワイ君と状況は少し違うながらも、うちも主人が
8月から分校で神学のクラスを取り始めて、
彼はいずれはマスターをとりたいと思ってるそうなのですけど、
仕事、家庭、教会での奉仕、そして学校と、やっぱり
無理なんじゃないかって思ったことが今も多々あります。
一番の問題は経済的なもの。彼は不動産鑑定士なんですが
去年から不動産界のバブルのせいか、仕事が極端に
減って本当に毎月、チェックがくれば支払いで飛んでいく
生活が続いていました。そんな中で、学費が払えるのか、
生活がどうなるか私は不安です、今も。
でも、神様が、このワイ君の例のように、きっと備えて
必要なものは与えてくださると、そう信じることが
大切ですね。
ここでは書ききれない苦労があったでしょう。
でも、それも全ては神様がワイ君を成長させ、そして
備えてくださるためにされたことなのでしょう。
これから、神様がワイ君を通して、どんな素晴らしい
働きをされるか、楽しみですね。お祈りしてます。
私も、はげまされました。

のこちゃんのこちゃん 2007/09/03 08:52 ワイ君、辛かったでしょうね。
友達に対して怒りを覚えたり、信仰がむなしく思えたりしなかったのかしら?
読みながら自分と重ね合わせ、うひゃーと思ってしまいました。

今、心の中で七転八倒しているので、思わずここに来ました。
いつもいろいろ書きたいと感じているのですが、悲しみのせいか、言葉に詰まってしまっていて、うまく言い表せないのです。
ごめんね。

と、ここ↑で切ってしまうと心配かけてしまいそう・・・
ワイ君に比べれば、私の悩みなど何でもない事なんだけど、やっぱり辛くて仕方ないんだ〜って付け加えておきますね。

はちこはちこ 2007/09/03 10:34 ゆみりんさん、
ゆみりんさんもですか! 実はうちも、今経済的に苦労していて、それもあってワイ君のことはとても励まされたんです。アメリカの不動産業界、今大変ですよね。ゆみりんさんのご主人のお仕事が祝福され、ご家族の月々の必要のすべてが満たされますように。足下をみて恐れることなく、主が召してくださったことに信仰をもって大胆に進んでいくことができますように! 

のこちゃん!
ここに来てくれてありがとう! 御家族の皆さんはいかがですか? 辛い時、とにかく悲しい時ってあるよね。何でもない悩みなんてないと思うよ。渦中にいれば、他の人にはわからない苦しさがあるよね。この夏、ちょっと日本に帰ってたの。あー、のこちゃんに連絡すればよかった。またメールででも近況を知らせてください。

TamikoTamiko 2007/09/03 17:51 Yさん、そんな過程があったんですね。。。無知というか、無責任というか、すごくこわいなー、と改めて実感しました。こうやって書いてくださって、知ることができて、とてもうれしいです。丁度、VBSなど夏の教会のゴタゴタになってしまった、という言い訳をさせてもらいつつも、イエス様の兄弟として、一生懸命つかえてる彼を心からケアできてなかったなーー、とても恥ずかしい、というか、情けないというか。。でも、ほんとうに、神様の働きの大きさに、今日改めて心うたれました。彼のことももっともっと、祈りに覚えたい!!Updateしてくださってありがとうございます!神様の恵みが彼のうえに、そして彼のミッションフィールドに、豊かにありますように!

はちこはちこ 2007/09/03 19:41 Tamikoちゃん、気にしなくていいのよ! この夏のたみちゃんは大切な時期だったんだから!たみちゃんのその、素直で大きくて優しい心、主に感謝です! たみちゃんを通して今神様がなさろうとしている素晴らしい御業のためにも祈ってるよーー!

めぐんちゃんめぐんちゃん 2007/09/05 08:29 Y君の忠実な御奉仕に感謝します。神様の御用のためと確信があっても、人とのつながりを大切にする彼だから余計に、電話に出てもらえなかったり、「友達を失っているかもしれない」と感じる状況は本当に辛かっただろうに。

IVでの働きが豊かに祝されて、辛かったことや時間やお金や彼の捧げたもの
全てに主が大きく報いてくださいますように!

はちこはちこ 2007/09/05 10:05 >IVでの働きが豊かに祝されて、辛かったことや時間やお金や彼の捧げたもの
全てに主が大きく報いてくださいますように!
アーメン! そして、彼を祈りや経済的にサポートする人たちも、彼と共に神様の大いなる御業をみて、素晴らしい祝福に与れること、感謝です!