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God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2008-11-29

祝されました!

17:24 | 祝されました!を含むブックマーク

 昨日のJCFNシカゴ主催の感謝祭ディナー集会は、大変祝されました! お祈りに覚えてくださった皆様、どうもありがとうございます。

 夕べうちに宿泊された10人を今朝、送り出し、その後私は簡単に片付けをしてから、お昼寝。

 まだ頭がポ〜っとしているので、詳しいことは後にして、とりあえずグループ写真を載せます。

f:id:mmesachi:20081128221439j:image

 講師のアンディー先生を始め、数人の方がすでにお帰りになったあとだったのが残念。この写真に写っているだけで大人が44人いるので、写っていない人を含めると、50人(プラス大勢の子供&赤ちゃん)がいたことになる…

 神様の恵みとgoodnessに共に感謝し祝うひと時を持たせていただいて、本当に感謝でした!

(追記:拡大写真は外しました。)

田崎真一田崎真一 2008/11/29 20:22 大変おつかれさまです。はちこさんの自信と達成感に裏打ちされた幸せな大人の女性の笑顔に比べると、ぼぼるパパは丸っきり少年ですね。素晴らしい。パチパチパチ。

はちこはちこ 2008/11/29 20:58 たしんさん、
あはは、ぼぼるパパ、無邪気に笑ってますよね。
左端の茶色のシャツのアメリカ人男性の後ろにミホの写真が飾ってあるのが見えますか? 彼女が着ている黒いTシャツはたしんClothingの「空腹に三角締め」Tシャツなんですけど、わかるかしら?

田崎真一田崎真一 2008/11/30 07:56 はい、わかります。恐らくは年に一度の学校の Photo Day の写真かと思われます。普通なら、まともな服を着ていくべきところをわざわざ選んでいただき恐縮の限りです。

はちこはちこ 2008/11/30 16:38 みんにとってはあのTシャツはとっても「クール」な自慢の一枚なんですよ。(^^)

めぐんちゃんめぐんちゃん 2008/11/30 22:28 うわぁ、今年も大所帯でしたね〜^^。

・・・。去年まで何も考えず集合写真の一部になってましたが、そこにいなくなって改めてこのコミュニティーでどれほど多くの祝福を受けていたかを思い感謝です。

今年はハヴィ(*^_^*)と二人きりのサンクスギビングでしたが、それはそれで楽しくて感謝でした。

I miss you!

I miss youって言える人や場所が与えられていることも、また感謝ですね。

はちこはちこ 2008/12/01 09:30 めぐんちゃん、
今年は過去最多人数になりました。
なんかね、この写真を見ているだけで、感謝で胸が一杯になって泣けてきます。今回は、アンディー先生ご家族やM田ご夫妻も来てくださり、それもまた感慨深いものがありました。
I miss you, too! うちの隣の家(現在空き家)に引っ越してきて欲しいよ〜。
二人きりのサンクスギビングも貴重だよね。来年は家族が増えている可能性だってあるし! 家族はいったん増えてしまったら後へは引けないので(少なくともその後数十年は)、二人きりを楽しめるうちに楽しんでね!

2008-11-27

トミ吉カレンダー2009

12:12 | トミ吉カレンダー2009を含むブックマーク

 今年も出ました! クリスチャン・イラストレーターのトミ吉による、トミ吉カレンダー2009!!

 中村家は毎年愛用しています。トミ吉のイラストと御言葉に、日々励まされ、癒されています。

 皆さんもぜひどうぞ! 北米ではJCFNを通して購入できます。日本ではアマゾンやいくつかのキリスト教書店で取り扱っています! 価格は税込みで 525円。これは買いだね、Check it out!

トミきちカレンダー 2009

トミきちカレンダー 2009

 ちなみに、JCFNの会報に掲載のトミ吉の4コマ漫画も面白いのです〜。

Give thanks to the Lord

09:18 | Give thanks to the Lordを含むブックマーク

 今日はアメリカは感謝祭という祝日。今日ばかりは、普段は忙しい娘たちもぼぼるパパも何も予定がなく、家でゆっくりしている。普通はこの日は家族や友人が集まって、ターキーを囲んだディナーをするのだけれど、私たちのディナーは明日。40人以上(初めての人やノンクリスチャンの方たちもいる)が集まる予定。

 メニューは、品数を増やすよりも、一品ずつの量を増やすことにした。定番のグリーンビーンズのキャセロールやマッシュポテトは普段の二倍作る。マッシュポテトは夕べ半分つくって、冷凍した。ちらし寿司用の錦糸卵も夕べのうちに作って冷凍。

 今日はデザート類(チョコレートクルミパイを三つか四つと、パンプキンスクエア)を全部焼き、野菜を洗って切るなどの下ごしらえを済ませ、ターキーを一羽焼く。できれば今日中にグレービーも作るかも。冷蔵庫には今、20パウンドのターキーが二羽、解凍されるために横たわっている。事前に焼いたターキーは、ホワイトミートとダークミートに分けてスライスして、器にいれてピッチリとホイルでくるんで冷蔵しておけば、次の日は温めるだけで準備オッケーになる。これは去年学んだ技で、非常に便利。スタッフィングも今夜のうちに準備する。

 感謝なことに主がヘルパーも備えてくださり、グレンビュー教会日本語部の蛭沼先生の奥様がお赤飯を差し入れしてくださることになっているし、私の貴重なキッチンパートナーであるSちゃんは、和風のおかずをいくつか作って持ってきてくれることになっている。ハレルヤ!

 マイクとPAシステムは講師のアンディー先生が持ってきてくださり、プロジェクターはぼぼるパパが大学から借りて来た。

 明日が楽しみです。遠方から来られる方は気をつけて運転なさってください。ライドのアレンジをしてくれているmasaさんやあっきぃの上にも主の守りと祝福がありますように!

erinaerina 2008/11/27 22:16 懐かしい!あの日からもう5年、6年。私も初めての一人でしたね。
みなさまの上に大いなる祝福があるよう祈っています!

はちこはちこ 2008/11/27 22:29 もうそんなになるんだね!
あの日は、初めてだったerinaちゃんに、いきなり会計係をお願いしたんだったよね。(笑)なつかしい! お祈りありがとう!

hide&yokohide&yoko 2008/11/28 08:24 比登美さんからお赤飯の差し入れですか・・・今年は会いそびれたのでなつかしいですね。よろしくお伝えください。次男が生まれた時には当教会にいました・・・何か、とっても身近に感じます。祝福されたパーティーになりますように。

はちこはちこ 2008/11/30 16:51 比登美さんにお伝えしました! 神の家族は、こうしてみんなどこかでつながっているのでうれしくなりますね!
比登美さんのお赤飯は、皆さんに大好評でした。(^^)

2008-11-25

眠い…/ヨブ

17:00 | 眠い…/ヨブを含むブックマーク

 夕べはなかなか寝付けなかったので、今日は眠い。とりあえず、夕べ噴出した問題はなんとかなりそうだけれど、それがきっかけでいろいろ考え始めたこと(実はずっと前から感じていたこと)は、今後の課題として続く。もっともっと主の御前にへりくだり、もっともっと主の知恵を求めていかなくては。(この一連のことは子育てに関することです。)

 今日はヨブ記を最後まで読んだ。一番教えられたのは、主の御前においてへりくだることかもしれない。先日メモした「ヨブ物語」に、「神への敗北宣言」という表現があったのが印象的だった。


……神を知るということは、神ではない自分を知るということ、罪深く、神から遠く離れた存在である自分を知るということなのです。

 ですから、神を知る人間は、神の前に打ち砕かれた人間になります。神を畏れる人間になります。そして、謙遜にさせられるのです。まさしく、ヨブはそのような体験、神を知り、自分を知る体験をしたといえましょう。


 「わたしは軽々しくものを申しました。

  どうしてあなたに反論などできましょう。

  わたしはこの口に手を置きます。

  ひと言語りましたが、もう主張いたしません。

  ふた言申しましたが、もう繰り返しません。」


 このヨブの敗北宣言は、神の発見の言葉であり、同時に新しい自己の発見を言い表した言葉であり、またサタンに対する勝利の言葉なのです。

Thank you, Jesus

11:13 | Thank you, Jesusを含むブックマーク

今日は朝一番から、夕べ噴出した問題に対処すべく、祈りつつ私にできる限りの手を尽くした。結果として、当初心配したよりも迅速に、かつベストと思われる形で問題が解決しそうな運びになった。ハレルヤ、主よ、感謝します。昨日の段階では、十分が信仰が持てず、不安に心を揺るがしたことをどうぞお赦しください。何とかなりそうだと思えるところまで来ないと、正直な感謝が捧げられない私をお赦しください。

田崎真一田崎真一 2008/11/25 23:53 何とかなった後、ヤッホー!とならないと、正直な感謝が捧げられない私(ジーザス道・白帯)をお赦しください。

TamikoTamiko 2008/11/26 12:05 神様への、敗北宣言。。。でもって、サタンに対する勝利の言葉。。なんだかとっても、おおきな事に気づかされた感じです。ありがとうございます。
問題解決、よかったですね。ほんとに、ごたごたの真ん中にいるときって、神様とHealthyな所にいるか、クエスチョンするようなこと、ありますよね。わたしも、さちさんみたく、もっと正直に!と、思わされます。
いい感謝祭すごしてくださいね。

はちこはちこ 2008/11/26 18:00 たしんさん、
ヤッホー!となって、感謝を捧げているのなら、着々とジーザス道を歩んでいますね!(^^)V 私は落伍しそうになりながらもとろとろ歩んでいますが、これからも互いに励まし合いながらこの道を歩んでいきましょ!

Tamikoちゃん、
あさってのディナー、来るよね? ダビデくんにも会えるのを楽しみにしていますよ〜!
神様への敗北宣言がサタンへの勝利の言葉って、すごいよね!

2008-11-24

困ったことになった…

22:56 | 困ったことになった…を含むブックマーク

 困った事態が発生した。一番最初の段階で、もう少しうまく対処できれば良かったのかもしれないが、後手にまわってしまい、ややこしいことになってきた。とにかく、明日は電話をして、なんとか交渉しなくては…

 主が助けてくださいますように… お守りください!

 …と書いて、心臓がドキドキしちゃって今夜は眠れないかも、と思ったけど、そう、今週は感謝祭でした。この状況の上にも主の御手があり、主がすべてを治め導いておられることに信頼し、主に感謝します。

愛のグッドチューニング

09:38 | 愛のグッドチューニングを含むブックマーク

 ろくでもないタイトルですみません。若い世代の人には何をもじっているのかも、さっぱりわからないことでしょう。(笑)

 今、ピアノの調律師の方がきて、ピアノをチューニングしてくれている。(彼は実は、私が前に行っていた教会のオルガニスト。私やぼぼるパパにたくさんの古い賛美歌を教えてくれた。久しぶりに会ってなつかしい。)もう一年以上チューニングしていなかったので、音がずいぶん鈍っていた。しかも、いくつかのキーを叩くとカタカタ音がするので、エミが、きっと中に鉛筆か何かが落ちているよ、と言っていたのだが、大当たり。エンピツが2本と割り箸が1本でてきた。(笑)

 今日来てもらえたので、これで感謝祭集会に間に合う。よかった〜♪

GoせんせGoせんせ 2008/11/24 12:42 ピアノからエンピツと割り箸...我が家は「子供が小さい時」にビデオデッキからレゴがいくつも出てきたことがありました。
きっとはちこさんちのエンピツと割り箸もお子さんが小さい時に入ったんでしょうね...(笑)

はちこはちこ 2008/11/24 20:06 子供がいると(と子供のせいにしてみる)、いろんなところから思いがけないものが出てきますよねー。
ある時は、ホームベーカリー(パン焼き器)のお釜の中から、ずっと探していた家の鍵が出てきたことがありました。長女が2歳くらいの頃でした。(笑)
ビデオデッキからレゴというのも、いかにもありそうですね。一個じゃなくて、いくつも、というのがまた「わかる〜」とうなずいてしまいました。(笑)

jackjack 2008/11/24 21:03 うちはピアノのフタを開けるとネコの毛がでてきますね。
レースカバーの内側に入り込んで昼寝するのが好きみたいで...

はちこはちこ 2008/11/24 22:58 ネコの毛ですか! 一口にピアノの中といっても、家庭によってそれぞれ特色のあるものが出てきますね! (笑)
娘がビオラを習っている先生の家のネコは、ビオラケースの中で寝るのが好きらしく、いつもケースの中にいます。(笑)

さー。さー。 2008/11/25 00:46 友人宅で、さぁお魚を焼こう!とグリルを開けると、プラスチックのピンクや黄色等色とりどりの金魚が、いくつも出て来た…なんてハプニングがありましたw

あ、ピアノから脱線…スミマセンw

さー。さー。 2008/11/25 02:24 昔、友人宅で『さぁ、お魚を焼こう!』とグリルを開けると、そこにはプラスチック製のピンクや黄色等色とりどりの金魚ちゃんが!!!!笑

電子レンジでチンしようとされなくて、良かったね〜〜〜
(*´Д`)=з
とホッとしたのを思い出しました。

スプーンとかお箸とか、実家の棚の後ろには今でも色々ありそうです^^;

takumitakumi 2008/11/25 03:05 とにかく上手く解決しますように!
そしてあらゆる時に主に信頼して、感謝をささげておられるはちこさんの上に守りと平安がありますように。お祈りします。

教会のピアノもオーバーホールした際にはペン、コイン、ネックレス、指輪、髪飾り・・・想定外のものがいろいろ出てきました。。。

はちこはちこ 2008/11/25 08:29 さー。さん、
子供のやることは本当に可愛いですよね。グリルにを点火していなくてよかったですねー。
ソファのクッションをどかすと、うちは今でもいろいろなものがでてきますよ。(笑)

takumiさん、
ありがとうございます。正直に言うなら、感謝を捧げたのは口だけで、心はやっぱり不安を覚えています。主にあって動じることなく、乗り切れるようにどうぞお祈りください。

教会のピアノも、やっぱりいろんなものが出てくるんですね!(笑)

めぐんちゃんめぐんちゃん 2008/11/25 10:49 うちは大人しかいないのに変なものが変なところから出てきます〜。

はちこはちこ 2008/11/25 11:15 自前の宝探しみたいで、楽しいよね、いろんなものが出てくると。(^^)

ぼぼるぼぼる 2008/11/25 20:28 そうそう、2年前の食べかけのヨーグルトにカビが生えてひからびたやつとかね。

はちこはちこ 2008/11/25 20:33 それのどこが「宝」なんだー。
だけど、一ヶ月前のカレーとかね、ソファの後ろから出てきてびっくりしたことがあったなぁ。
(これだけ聞くと、いろいろ誤解されそうだけど… 笑)

めぐんちゃんめぐんちゃん 2008/12/04 11:08 あっ、そのカレー置いてったの私な気がします・・・・。すみません><。大笑いしましたよね^^;。

はちこはちこ 2008/12/04 15:21 あの時はみんなでウケたよねー。
先日の感謝祭集会でも、実は怖いものが出て来たんですよ。
集合写真をとるためにソファを動かしたら、背後から何と女の子用のパンツ(下着)が… 多分ま〜やのかと思いますが、いったいいつからそこにあったのやら… 見つけちゃった人も反応に困るしね〜。(笑)

2008-11-23

ヨブ記

15:42 | ヨブ記を含むブックマーク

 ヨブ記を読んでいる。今回ヨブ記を読んでいて、また新たにいろいろなことを教えられ、考えさせられている。理不尽な苦しみ、神の沈黙、とりなしをしているようで、実は自分を神の位置に引き上げて他者を批判するという落とし穴…etc.

 私は今まで、エリフはヨブ記の最後の章で神さまから叱責されていないから、彼の言うことは神様の前にも正しいとみなされていたのかなと思っていた。でも、今回読んでいて、先に登場するヨブの三人の友だけでなく、どうもエリフの言葉にも引っかかることが多くて、何だか戸惑っていた。それで手元にあるジョン・マッカーサー・スタディバイブルや他の解説書を見たり、ネットで検索してみて、エリフもまたエリファズら3人のヨブの友人たちと同様、必ずしも神様について、また人間と神様の関係について、正しいことだけを言っていたわけではなかったらしいことがわかった。

 以下は、ネットで見つけた解説。私はまだ32章以降の解説しか読んでないけれど、何か溜飲が下がる思いがした。

感謝祭ディナー集会

15:56 | 感謝祭ディナー集会を含むブックマーク

 来週は感謝祭。今年もうちでJCFNシカゴ主催の感謝祭ディナー集会を開く。今年の講師は、最近このブログにも時々コメントをくださるミシガンのアンディー中嶋先生

 今年はすでに40名ほどの人が参加表明をしていて、はたして狭いわが家に入りきるのだろうかと、マジで心配になってきた。 

 食べ物は、ターキー2羽とハムと、他にたくさん用意するので、その心配はしていないけれど、部屋が… 確か去年も、マイクがあった方がいいという声が聞かれたし、今年は本気でマイクとスピーカーを用意した方がいいかもしれない。今年も祈りつつ準備。Glory to God!

kurikskuriks 2008/11/23 18:03 Coming aaaaaaaaaaaaaall the way from Virginia! (Actually, coming from Michigan that day) Looking forward to seeing you & everyone :)

はちこはちこ 2008/11/23 19:55 イエイ! I'm looking forward to seeing and hugging you, too! Drive safely!

2008-11-22

赤ちゃん見てきた♪

20:15 | 赤ちゃん見てきた♪を含むブックマーク

 同じ町に住む日本人の奥さんが、4週間ほど前に二人めのお子さんを出産された。もっと早くにお祝いに伺うつもりが、あれよあれよと時間が過ぎ、今日ようやく訪問することができた。赤ちゃんは小さくて、とっても可愛かった! お祝いのお洋服を買うとき、もう新生児がどれくらいのサイズか忘れてしまっていて、3ヶ月サイズの服も随分小さい気がして小さすぎるんじゃないかと心配したけど、赤ちゃんを見てみたらもっと小さくて… 新生児独特の表情、動き、発声… かわいいーー。お邪魔していた間、ずーっと抱っこさせてもらっちゃった♪

 私はさすがにもう5人めはちょっと…だけど、孫ができるのが楽しみだな〜。孫はしつけしないでいいから可愛いっていうし。(笑)

田崎真一田崎真一 2008/11/22 20:35 知り合いのおばあさんは、同じ孫とはいえ、息子の子供は気イ使うけど、娘の子供は気兼ねなくて、いいわあ。と言っています。

Mrs.YMrs.Y 2008/11/23 07:57 私も、身近なところに赤ちゃんが生まれたと聞いては飛んで行き、隙あらばオムツまで換えさせてもらっちゃいます(笑)独身の時には想像できないことでしたが、今ははちこさんのそのハッピー感、よくわかります(^。^)

はちこはちこ 2008/11/23 14:12 たしんさん、
あー、そういう話、聞いたことあります。所詮、息子の子はお嫁さんの子だから、気を遣うのだ、と… 
私はケンに子供ができるまで元気でいられるかなぁ〜。

Mrs.Yさん、
おおー、Mrs.Yさんもなのですね〜! オムツまでかえさせてもらえたら、ウキウキしちゃいますね!(笑)
でも私、今日は腕と胸が筋肉痛です。(^^;) 赤ちゃん育てている時は筋肉痛なんて感じたことなかったから、あの頃は私の腕、相当逞しく鍛えられていたんだろうなぁ。(笑)

veilchen23veilchen23 2008/11/23 23:04 heidiです。いやん、もう孫の話?(笑)

はちこはちこ 2008/11/24 20:04 孫… 私の憧れです! 早く孫が欲しい!

2008-11-21

寒い朝/visitation

08:51 | 寒い朝/visitationを含むブックマーク

 今朝は氷点下4度くらい。一晩外に停めてあったエミの車のハンドルを握ると、氷のように冷たい。ハンドルカバーを買ってこないと。

 実は数日前、私はやってしまった。うちでは親が乗っている車(シエナ)はガレージの中に、エミの車(カムリ)は外に停めている。シエナを出す時にはカムリにぶつけないように注意しないといけない。でも、私はカムリがあることを忘れて、つい勢いよく出してしまうことがあり、いつかはぶつけるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。

 そしたら、やはりやってしまったのだ。シエナをガレージから出すとき、ガクンと嫌な衝撃。しまったー!と慌てて車を止め、外に出て外傷の確認。でも、音のわりには車体には傷がついていなかったので、ホッと胸をなでおろしつつ、今度は気をつけてソロソロを車を出した。しかし、カムリの横を通り過ぎた時、何かいつもとは違うものが目にはいった。見たくない! しかし確認しないわけにはいかない… いや〜な気持ちでもう一度車を降りると、Alas, そこにはカムリの左側のドアミラーが、無惨にも折れてぶらさがっていた。

 ワイヤーは無事だったので、さいわいミラーの向きを調整するのは問題なかった。とにかく、車体に固定しなおさなくては、ということで、銀色のダクトテープでガチガチにとめた。エミ、ごめんね。エミは、どうせ自分もぶつけるかもしれないし、と思っているのか、全然気にしていない様子だったのでありがたかったが。やれやれ、やっぱりやっちゃったかー。


 ところで、昨日は先日亡くなられた女の子のvisitation(お通夜)にエミと二人で行って来た。場所は教会で、大勢の人が来ていた。そこで弔問客に配られていたメモリアルのカードを読んで、だいたいの事情がわかった。彼女は、長らく躁うつ病と戦っていたのだそうだ。学校も、地元の公立高校ではなく特別なケアを必要とする子どもたちの専門学校に通っていたらしい。パスターやユースミニストリーのリーダーたちは、彼女の戦いを知っていて、ご家族との協力のもとで暖かく見守りつつ励ましていたようだ。

 彼女が亡くなった少し前におじいちゃんが亡くなられたばかりだったそうで、彼女はおじいちゃんの家で、後を追うようにして自らの命を絶ったらしい。おじいちゃんっ子だったのだろうか…

 彼女は女の子三人男の子二人の5人の兄弟姉妹の一番上だった。カードには「life-long battle」とあったので、彼女の病は、本人にとってもご家族にとっても、かなり長期にわたっての戦いだったのだろう。大変な道のりだったろうが、教会で周りの人たちから愛され、大勢の友や信頼できる大人たちに囲まれ、彼女は少なくとも元気な時にはきっと幸せだったに違いない。夕べ展示されていた数々の写真やスライドショーからも、彼女がどれだけ多くの人に愛されてきたかがわかった。残されたご家族にはいろいろな思いがあることと察する。引き続き、ご家族の上に主のさらなる慰めと守りがあることを祈る。

 お祈りに覚えていてくださった皆さん、どうもありがとうございます。こういう事情だったことがわかったので、ご報告いたします。

さー。さー。 2008/11/21 11:06 エミちゃんとの関係を通してはちこさんが"赦し"を受け取り続けておられるご様子、個人的にも嬉しく思います。私も今、母との関係に主の憐れみとfavorをたくさん見せられて、痛みのある思い出や記憶が恵みに塗り替えられているところなんです(;▽;)

また、亡くなられた方のご家族の為に祈ります。
私の身近でも結構いるので、他人事に思えませんでした。事故等と違って、家族が責めを負ってしまう事がないよう祈ります。

はちこはちこ 2008/11/21 20:04 さー。さん、
言われてみれば、私はいつも子どもたちに赦してもらうことの連続な気がします。大きいことから小さいことまで、いろんな失敗をしてきましたが、子どもたちにはいつも赦してもらってきました。子どもたちに(そして夫にも)私の失敗を責められたという記憶がないことに、今気づきました。これってすごいですよね。ほんとに、失敗はたくさんしているのに!
さー。さん、感謝なことに気づかせてくださってありがとう!

また、お祈りもありがとうございます。皆さんの一つ一つのお祈りが、このご家族の支えになっていることを主にあって信じます。

meekmeek 2008/11/22 04:16 >彼女は、長らく躁うつ病と戦っていたのだそうだ。

日本でグリーフケアの働きをしておられる平山正美医師の著作に
書いてあったと思うのですが、(うろ覚えですみません、、、)
世界のなんらかの論文で、
自殺する人の中で何らかの精神疾患と戦っているパーセントは
かなり高く(ほとんど、と言っていいぐらいの
数字だったと記憶しています。)

その中で「鬱」症状のパーセントもまた、かなりの数字だったようです。

そして、平山医師は、亡くなられた方について、
「本当は生きたかった。しかし、
どうしても抗しきれない精神状態に追い込まれていって
やむなく死を選び取ってしまった方」という意味のことを
書いておられたように記憶しています。

そして、だからこそ「自殺」という言葉を使わず、
「自死」という言葉を使うことを勧めておられるようです。

>皆さんの一つ一つのお祈りが、このご家族の支えになっていることを主にあって信じます。

わたしも信じて祈り続けます。
内に深いうめきをもってとりなしてくださる御霊に頼りつつ。

はちこはちこ 2008/11/22 09:15 meekさん、
「自死」という言葉があるのですね。最初に「自殺」と書いた時、自分でも違和感を覚えたので、後から表現を変えたのですが、確かに「自死」という方が印象が違いますね。

共に祈ってくださっていて、本当にありがとうございます。

meekmeek 2008/11/22 09:43 おそらく平山医師が作られた言葉ではないかと思います。
すみません、また漢字の誤変換がありました。

誤 平山正美医師

正 平山正実医師

hide&yokohide&yoko 2008/11/23 08:36 身近な人が自分のいのちを絶つというのは本当に本当に辛いです。僕も五年程前にせっかく教会に来て、イエスに出会って喜んでいた人の葬儀を行なわざるを得ませんでした。今も心が痛みます。思い出すたびに申し訳ない気持ちにさいなまれます。それまで、僕は、心の病をもった人にお役に立てるという自負がありました。でもとんでもない傲慢な思い込みでした。本当に、自分の枠で人を計っていました。その人が、僕のカウンセリングを喜んでいてくれると思い込んでいました。でも、僕は本当の悩みをわかっていなかった・・・亡くなられたご両親に感謝されて、かえって申し訳なくて・・・今は、その方の死を無駄にしない・・・ということをいつも心に留めています。「分かっている・・・」と思うことは、本当に恐ろしいことです。人の心の繊細さ、不思議さを知る事が、福音を知る事と同じ程度に大切ですね。

はちこはちこ 2008/11/23 14:11 meekさん、
平山正実先生って、クリスチャンの精神科医の方ですよね。メディアなどでお名前を見た事があります。

hide&yoko先生、
お分ちありがとうございます。他者の悩みや痛みに、できる限り寄り添いたい、共感を示したいと願いますが、本当の意味で「分かる」というのは、やはり不可能なことなのでしょうね…
今、ちょうどヨブ記を読んでいるのですが、最初はただヨブに付き添って七日七夜、共に地に座っていた友人たちも、ヨブの苦しみが長引くにつれ、だんだん批判的になっていく様子に、なんともいえず身につまされていました。

2008-11-18

お祈りください

20:58 | お祈りくださいを含むブックマーク

 教会のエミのユースグループの女の子(エミと同い年)が、昨夜亡くなりました。(追記:表現を変えました。)理由などは現時点では私たちは知らされていません。彼女は教会ではアクティブで、スモールグループリーダーなどもしていたそうです。全部で100人以上いる大きなユースグループで、エミは直接その子と親しかったわけではなかったそうですが、その子には一つ年下の妹がいて、妹さんの方とは親しいとのこと。エミもとてもショックを受けています。

 亡くなられた女の子のご家族のために、また、このユースグループのコミュニティーのためにお祈りいただけると感謝です。

ーーー

 夕方、教会のユースグループの保護者向けのメーリングリストを通して、この女の子が亡くなられた知らせが入った。理由が書いていなかったので、嫌な予感がしていた。エミが学校から帰ってきてから、この子のこと知ってる?と聞くと、「そんなに親しくはないけど、知ってるよ、どうしたの?」 彼女が亡くなったことを伝えると、エミは驚いてすぐにオンラインにいって、その女の子のフェイスブック(アメリカの若い子の間で流行っているSNS)に行き、そこにすでに多数寄せられていたコメントから、事情を知った。

 エミが泣きながら二階から降りてきて、二人でしばらく抱き合って泣いた。エミはとにかく、現実をどう受けとめたらいいのかわからない様子。私はあれこれ言わないで、エミが半分独り言のようにブツブツ話すのを、とにかくうなずきながら聞いた。

 大人だって、友人にこういうことが起きればショックなのに、高校生にとってはどれだけショックなことだろう。教会では、プロのクリスチャンのグリーフカウンセラーと連絡を取り、教会のパストラルスタッフと共に二四時間体制に入っているらしい。

あいみあいみ 2008/11/18 22:19 Oh no!
祈ってます。
ご家族や友達の上に主の平安がありますように・・・

F子F子 2008/11/18 22:30 亡くなられたお子さんと、そのご家族、特に妹さんの心を聖霊様が包んで慰めてくださいますように、また、えみちゃんや周りの子達が、この事実を乗り越えて行けますよう、主が導いてくださいますように、お祈りしています。

ふかちんふかちん 2008/11/19 02:29 今日のはちこさんの日記を読んで涙が出そうになりました。
エミちゃんや、関係している人達に慰めがありますように。

meekmeek 2008/11/19 03:47 心から、切に、切に、お祈りいたします。

meekmeek 2008/11/19 04:15 日本でもここ10年近く自殺者が3万人を超え続けています。
決して人事のように感じることはできません。
ともに主の前にうめきます。

はちこはちこ 2008/11/19 07:54 皆さん、お祈りありがとうございます。
何より、ご遺族の方のことを思うと本当に胸が痛みます。エミと同い年と言うと、この時期はきっと大学受験の準備とかして、将来のことを考えていたでしょうに…
本当にお祈りありがとうございます。

tomotomo 2008/11/19 10:35 祈るにもふさわしい言葉が見つかりませんが、心を合わせます。
神様のあふれるばかりの慰めがありますように。

かきごおりかきごおり 2008/11/19 15:22 何よりもつらいことです。
ご家族、ユースグループの仲間、スモールグループの仲間、ユースグループのスタッフ、教会の牧師、など身近な方々に特別な守りと慰めがありますように。エミちゃんも支えられますように。

はちこはちこ 2008/11/19 18:03 tomoくん、かきごおり先生、
ありがとうございます。夕べは教会で高校生の集まりがあり(エミは学校の用事で行けなかったのですが)、パスターたちやカウンセラーもいて、「なぜ」に対する答えを出そうとするのでなく、ただ皆で痛みと悲しみを分かち合い、祈る時を持ったとのことでした。お祈りに覚えてくださって本当にありがとうございます。

KazukoKazuko 2008/11/19 20:44 2001年感謝祭の日にお友達の娘さんがボーイフレンドとけんかした後自殺なさいました。悲しんでいる友達をhttp://www.compassionatefriends.org/に連れて行った最初の日、同じように息子さんをなくされたお父様の話を聞きました。うつ病だった息子さんにいろいろ手を尽くしたのだけれど、ある日帰宅したら、もうなくなっていたとおっしゃっていました。子供を亡くしたいろんな親の話をきいて友人は慰められました。毎年12月にはキャンドルサービスがあり、子供の名前を呼んだり、風船に伝言をつけて飛ばしたりします。御家族、お友達など、多くの方がさぞ悲しんでおられることでしょう。このグループ全米にありますので是非紹介してあげてください。同じ悲しみを分かち合う人と会えるのが一番の支えです。えみちゃんのためにも祈っています。

そっちゃんそっちゃん 2008/11/19 21:15 ゲノムと聖書という本のタイトルをWebで
見つけたので、ふと見たらなつかしいお名前がありました。
7年ぶりです。お元気ですか。
ケンはウルトラセブンのメガネを手に入れたのですか。
強くなりましたね!
はてなダイアリーっていつ頃出来たのかな??

続けていれば、ふとしたことで会えるかも知れない。
でも、亡くなられた方とは会えるまで
時間がかかりそうですね。

昔を思い出しました。
病もこころも難しいほど癒すのに時間がかかります。
彼女はとても難しい問題を解いていたのでしょう。

私たちにできることは彼女を忘れないことだと思います。
お祈りします。

では、さようなら。

はちこはちこ 2008/11/20 08:52 Kazukoさん、
CompassionateFriends、教えてくださってどうもありがとう。実は私と同じSGの仲間の友達も、この日曜日の晩に息子さんを交通事故でなくしてinconsolableな状態とのことで、この方のためにも祈っていたところでした。早速SGの仲間にもこの情報を伝えました。エミの友人は、今日がvisitationなので、あとで行って来る予定です。 お祈りもどうもありがとうございます。

そっちゃん、
なつかしい!元気にしていましたか?7年ぶりじゃなくて、5年ぶりくらいだよ。あの頃目指していたものはどうなりましたか? 良かったらまたメールででも近況をお知らせください。
ケンのウルトラマン好きは、パパゆずりです。(^^)

お祈りどうもありがとうね。17歳の心が、どんな重荷を負っていたのかと思うと、とても切ないです。残された妹さんやご両親の上にも慰めがあることを祈るばかりです…

めぐんちゃんめぐんちゃん 2008/11/20 15:50 お祈りしています。ユースの子供達の上に、そして家庭で子供達を支える親御さんや、教会でケアに当たられているスタッフの皆さんにの上にも知恵となぐさめがありますように。

アンディーアンディー 2008/11/20 21:40 本当に残念です。エミさん、そして悲しみを通っているエミさんを支えておられるはちさんやご家族、そして教会の方々のために祈っています。

はちこはちこ 2008/11/21 09:11 めぐんちゃん、アンディーさん、
お祈り本当にどうもありがとう。
事情がわかったので、今日の日記に書きました。人生って、理不尽と思えることも含めて、いろいろあるものですね… そんな中に生きていても、私たちにはイエスがいて、そして互いに愛し合い励まし合い助け合える仲間達がいること、本当に感謝です。

2008-11-17

クルミ入りチョコレートパイ

| 21:31 | クルミ入りチョコレートパイを含むブックマーク

 二年前に作ったチョコレートピーカンパイの改訂版です。というか、実はひょうたんから駒でできたものですが。チョコレートピーカンパイを作ろうとしてピーカンを買ってきたつもりが、家に帰って来てから買った袋をみると、なんとクルミ(ウォルナッツ)だった! 並んで売っていたので、違う方を買ってしまったのだー。よくやるんですよ、こういう間違い。

 仕方がないのでピーカンの代わりにクルミで作ってみたら、これが大ヒット。ピーカンよりもあっさりして香ばしく、とても食べやすい。スモールグループに持っていったら大好評できれいになくなってしまった。みんとま〜やは残るのを期待して待ってたのだけれど、全部なくなってしまってがっかり。明日また作りましょうね。作り方は簡単だから。

  • 1 cup semisweet chocolate
  • 2 tablespoons margarine, melted
  • 3 eggs
  • 1/3 cup brown sugar
  • 1 cup corn syrup (light or dark)
  • 1 teaspoon vanilla extract
  • 1 1/2 cups shelled walnuts (not crushed)
  • 1 unbaked 9-inch pie shell, homemade or frozen

Preheat oven to 350 degrees.

Melt chocolate and margarine in the microwave. Let cool slightly. Beat eggs lightly in medium bowl. Add sugar, corn syrup, chocolate mixture, and vanilla; stir until well blended. Mix in walnuts.

Set pie shell on heavy-duty baking sheet and pour in filling. Bake 45 to 50 minutes, until knife inserted midway between center and rim comes out clean.

 最近、白い砂糖の代わりに何でもブラウンシュガーを使うようにしていますが、いい感じです。

 パイ皮は、市販の冷凍パイシートを使用。


寒い朝 

07:44 | 寒い朝 を含むブックマーク

 今朝は氷点下。昨日の午後は少し雪もちらついた。いよいよ寒くて長い冬の到来か。

 11月10日のコメント欄は、どんどん発展して、最後にはうさたろうさんと救世軍の山谷少佐とぼぼるパパによる神学における自然観みたいな話になり、とても興味深かった。(こちら

 参加してくださった皆さん、どうもありがとう。(^^)

erinaerina 2008/11/18 09:56 最近、15秒でできるパイ生地の作り方を…マスター。というほどでもありませんが、お勧めです。小麦粉と塩をタッパーに入れて溶かしバターを入れてタッパーのふたをして15回容器を振って、生地を真ん中にまとめて冷やすだけなんです!完全に混ざり合っていないことがポイントなんですよ。冷凍パイが無いときはお勧めです!

はちこはちこ 2008/11/19 17:55 えー、それは簡単そう! 今度分量も教えてー!

2008-11-15

チキン南蛮

| 19:00 | チキン南蛮を含むブックマーク

 レシピというほどでもないけれど、今日作ったチキン南蛮の南蛮酢の具合がとても良かったので、メモ。(分量は6人分。けっこう多め。)


しょうゆ      大さじ6

砂糖(ブラウンシュガー) 大さじ7

酢          大さじ7半

唐辛子          少々

水            大さじ1

材料を火にかけて、砂糖を溶かしちょっとだけ煮つめたら火からおろす。薄切りのタマネギ1個分と薄い短冊切りの人参を1本分を南蛮酢に入れる。揚げたチキンを熱いうちからどんどん漬けていく。


 今日は卵を切らしていたので、タルタルソースはなし。でも美味しかったです。

TamikoTamiko 2008/11/17 09:18 あ、うれしいなあああーー!チキン南蛮。。。カレー南蛮という、おうどんは食べた事あるけど。。。おもしろそうです。
それにしても、お子様方、かわいいですね。宿題のやりかた一つにしても、ほんとに個性ってでますねー。けんくんは、やっぱりパパみたくなるのかな。。。

はちこはちこ 2008/11/17 14:20 カレー南蛮っていうと、要するにカレーうどんだよね。
チキン南蛮のちゃんとしたレシピは、検索するといろいろ出てくるから、確認してみてね!(^^) おいし〜よ〜!

2008-11-14

Show Your Work, 再び

12:03 | Show Your Work, 再びを含むブックマーク

 三年ほど前のこと、ま〜やがやっていた算数のワークシート(K文式)について、こんな日記を書いたことがあった。

 John picked 48 apples. Mike picked 87 apples. How many apples did they pick altogether? (Show your work.)というような問題に対して、ま〜やはShow your workと書いてあるからと、律儀にリンゴの絵を48コと87コ書いて、それを数えて答えを出していた。Show your workというのは、計算式を書きなさい、という意味だったのに…

 あれから月日が流れ、最近、同じくK文をやっているケンが、当時のま〜やと同じ箇所に到達した。彼の解答をみると、Alas! 彼もまた、点を48コと87コ書いている! しかし、ケンがま〜やと違うのは、ま〜やはリンゴの問題ならリンゴの絵を、「本は全部で何冊?」という問題なら本の絵を、そして「鳥は全部で何羽?」という問題なら鳥の頭の絵を描くと言う具合に、とても律儀で緻密(?)だったのに対して、ケンはいかにもめんどくさそうに、乱雑に点々を打っているだけ。しかも、すみっこの方にはこっそりと計算式が書いてあり、いかにも、「Show your workっていうから点々を書いたけど、いちいち数えてなんかいられないよ。こんな問題は、計算して答えを出した方が手っ取り早いのに!」と思っているらしいのがありありと見えて、笑ってしまった。そして実際、最初の二問はそのように解答していたものの、三問めになったらさすがにバカバカしくてやってられないとでも思ったのか、点々を書くのはやめ、計算式だけドーンと大きく書いて、堂々と答えを出していた。(笑)

(ちなみに、7歳でB教材のはじめの方というのは、とても進みが遅い方だと思います。実際、ケンは今、学校ではかけ算と割り算をやっていますから… 母親がだらしなくて、ちっともまじめに見てあげていないので、どんどん遅れてしまって…(^_^;; )

馨子馨子 2008/11/14 20:18 まーやちゃんとケンくん、それぞれ面白いですね!
まーやちゃんの緻密なところ、ケンくんの早道志向、
微笑ましくて、笑ってしまいました〜♪

かきごおりかきごおり 2008/11/14 20:37 下のような話題にはちょっと腰が引けちゃっているのですが、こういうのは飛び込んじゃいます。いいですよね。子供たちの発想。性格も出ますよね。
でも、まーやちゃんもケン君も一応目的は忘れてなかったんですよね・・・。
うちの真ん中が一桁の足し算をしてた時に、○を書きながら計算していたのですが、そこにいつの間にか手が出て足が出て、カメの絵になっていきました。そして、最後には足し算を忘れて、カメの絵をどれだけ上手に書けるかに一生懸命になっていました・・・。これまた、性格出てしまっています。
でも、ケン君2年生ですよね。かけ算わり算は早い!うちの2年生は今日も8+8とかフラッシュカード作ってました。学校によってずいぶん違うもんですね。

tomotomo 2008/11/15 09:43 公文! 僕も小学校中学年と高学年でやってました。
それも数・国・英3科目とも... 懐かしいです!!

はちこはちこ 2008/11/15 11:12 馨子さん、
ほんとにねー、それぞれ個性があって、飽きないです。(笑)それにしても、Show your work って、子供にはすぐにはわからない表現なのかな。

かきごおり先生、
先生のお宅では、神学書が壁を埋め尽くしていたじゃないですかー!
途中から計算を忘れてカメの絵を描くことに夢中になる… かわいい!こういうエピソードは、大切に覚えておきたいですね!
ケンの学校は、シカゴ大学の数学教育研究会だか何だかいうグループが開発した教科書を使っていて、教え方が独特な気がします。フラッシュカードも三角形をした独自のもので、たとえばそれぞれの角に「15、3、5」といった数字が書いてあって、15のところを隠して、「3×5」と「5×3」を覚え、5を隠して「15÷3」を、3を隠して「15÷5」を覚える、と言う具合に、一枚のかードでこの4つのパターンを同時に覚えるようになっているらしいです。足し算と引き算の時も、似たような感じで3角形のフラッシュカードを使っていました。
Hくんのサッカーの写真、見ましたよ〜!かっこ良かったですね!

tomoくん、
tomoくんもやってましたか! 私も算数だけですがやっていました。でも、実は大嫌いだった…(笑)

masamasa 2008/11/16 22:15 俺も小学校に上がる前にやっていたらしいです…7歳以前の記憶がかなり欠落しているので自分では思い出せないんですがね。
まぁそのおかげか中学ぐらいまでは算術で困った事はなかったですねぇ、というかあのぐらいの年代の問題は問題の意図をきちんと読みぬく国語力のほうが大事な気がしますw

erinaerina 2008/11/17 04:41 k文で昔、先生のアシスタントしていました。結構同じ学年でもみんなやってる箇所はバラバラ。しかも、のんびり進んでいた子がある時一気に駆け上がったり。色んな子がいるんだな〜と思っていました。

はちこはちこ 2008/11/17 07:50 masaさん、
「算術」という表現にウケてしまいました。最近の子どもは(確か日本もアメリカも)、文章題の読解力が足りなくて問題が解けないという話を聞いたことがあります。もっとも、私も子どもの頃は文章題が苦手でしたが。算数も大切ですが、結局は何事においても国語力こそが基礎とも言えますね。

erinaちゃん、
私もk文で昔アルバイトしていました! K文の先生向けニュースレターだかポスターだかに、幼稚園で微分をやっている子のワークシートの写真が出ていて、驚愕したのを覚えています。

2008-11-13

フランシス・シェーファー

07:34 | フランシス・シェーファーを含むブックマーク

 現代アメリカの「宗教右派」が形成される思想的バックボーンとなったと言われる、晩年のシェーファーの著作『クリスチャン・マニフェスト』、また昨年シェーファーの息子フランクが出版したメモワール、『Crazy for God』から伺われるシェーファー家の悲しい機能不全な姿などについて、11月10日の記事のコメント欄で意見交換が続いている。(こちら

 後期シェーファーの神学の問題やそれが現代アメリカのクリスチャンや社会にどのような影響を及ぼすようになったかなども深遠なトピックだけれど、私個人的にはやはり、親として子どもに何を伝えるのか、そこが一番気になる。(というか、前者は私には難しすぎる問題だし。汗)

 おまけ。ジョエル・ハンターの『A New Kind of Conservative』もメモ。

 ジョエル・ハンターはフロリダのメガチャーチの牧師で、2年前にアメリカのキリスト教右派の政治的な団体であるクリスチャン・コアリーションの次期代表に選出されたものの、役員会との考えの相違により、実際に就任する前に自ら辞任したという人。(ハンターは、貧困や環境問題など、もっと幅広い問題についても考慮すべきだと言い、役員会は、従来どおり中絶と同性愛婚反対だけでいいと言ったらしい。)

 ハンターの姿勢は私の目にはとても新鮮にうつったし、彼が保守派クリスチャンとしての価値観を妥協することなく今の社会に対応していくためにどんな提案をしているのか、興味のあるところ。

Christian Manifesto

Christian Manifesto

A New Kind of Conservative

A New Kind of Conservative


 

yukieyukie 2008/11/13 10:01 なんだか、政治とキリスト教が複雑に絡み合った問題に見えますけれども、
やはり個人的にはさちさんのおっしゃるとおり、
親として子供に何を伝えるべきか、神様に知恵をもとめるばかりです。

日本でクリスチャン歴がある自分としては、
やはりシェーファーファンはまだまだ多いような気がします。
もちろん日本語で読める彼の著作、または彼についての研究文献が限られていて、ある意味客観性がもちづらかったり、
福音はもいわば西洋化されたキリスト教のおっかけを10年か20年遅れていまだやっている感もあるから?
日本語では母校で彼の著作を教科書にしようとしたところ、絶版だったため、学生分コピーを配布するしかなかったと聞きましたよ。

それと夫の学ぶ学校の教授夫人の何人かは、
シェーファーの奥さんの著作をよくすすめます。
彼女に対する評価は一般的にどうかわからないのですが、
少なくともアメリカの福音派神学校で教えるいくつかの教授の家庭に
シェーファーファミリーは影響を与え続けているんだなぁと思わされます。

山谷山谷 2008/11/13 11:08 オバマ氏当選で米国史が新段階を迎えつつあるわけですが、そこへ入る前に「宗教右派の時代」を総括しなければならない。その最大の対象がフランシス・シェーファーだ。そういう流れであろうと思います。なんとなく福音派後退の「戦犯」探しみたいで、イヤーな感じもしますが。。。

小生なりのシェーファー論を、こう考えています。

1.シェーファーの登場が要請された背景としてのカウンターカルチャー

清教徒のキリスト教が社会を形成した米国で、1950年代から東洋の禅仏教を規定要素としたカウンターカルチャーが若年層に台頭し「代替案」を示しました。そこから出たのが、性の解放、菜食主義、スピリチュアリズム、精神療法、ロック、環境保護、ドラッグ等々でした。70年代になると、主客が逆転して、カウンターカルチャーが「主流」、ファンダメンタルなキリスト教が「傍流」という状況になりました(米国の異教化)。この状況に深刻な危機感を抱いて、米国の再キリスト教化を懸命に考えたのが、ウェストミンスター神学校のコーネリアス・ヴァンティルだと思います。

2.コーネリアス・ヴァンティルの仕事

ヴァンティルは、現代社会にキリスト教を弁証する方法として「前提主義」を考えました。すべての社会は、世界観的な前提に立って構成されており、前提の真偽を証明することは難しいが、ある前提に立って構成された社会が、どういう社会かによって、前提の真偽を間接的に証明できる、という方法です。「社会実験による弁証学」とでも呼べましょうか。

3.シェーファーの仕事

ヴァンティルの弟子シェーファーは、ヴァンティルを受け継いだ仕事をしました。聖書の世界観に立って構成された社会Aと、ヒューマニズムの世界観に立って構成された社会Bをシミュレーションして、どちらが良い社会か比較したわけです。シェーファーは社会のサンプルを、西欧史から採集しました。カルヴァン主義に立って構成された社会と、共産主義に立って構成された社会を比較する、という具合です。

4.シェーファーが行なった提案

最終的にシェーファーは、東洋の禅仏教の世界観に立って構成された社会(カウンターカルチャーが主流化した現代米国)と、カルヴァン主義の世界観に立って構成された社会とを比較して、前者の「非人間性」を指摘し、現代米国を「改革」する処方箋を提案しました。それが「マニフェスト」でありましょう。

5.マニフェストが目指すこと

端的に言えば、聖書の世界観に立って、米国社会を再構成することです。ただし、理想の社会を、どのような「青写真」に従って再建すべきかについては、シェーファーは詳細な提案を行ないませんでした。そこで、シェーファーは問題点だけ提起して、青写真を示さなかったという意味で「シェーファーの提起逃げ」と批判されることがあります。一方、シェーファーが提示できなかった青写真を、ラッシュドゥーニーのような再建主義者が具体的に示した、とする見方の人々もいます(ラッシュドゥーニーもヴァンティルの弟子です)。

6.シェーファーの問題点

やはり世界観的な問題があったと思われます。シェーファー自身は『理性からの逃走』の中で、二項対立図式の世界観が、ヒューマニズムを生む原因になったとして、二項対立図式を批判しています。ところが興味深いことに、ヴァンティル、シェーファー、ラッシュドゥーニーの世界観は、いずれも「神律か自律か」という二項対立図式に陥ってしまっているのです。特に、自律を脱して神律を確立するレファランスポイントが「中絶反対運動」になってしまった感があり、この点で全ての敵味方を識別して、米国を分断する結果になりました。

7.どうしたらよかったのか?

シェーファーは、二項対立図式の原因は、トマス・アクィナスの「恩寵vs自然」の世界観にあるとして、トマスを批判しましたが、トマス自身は、恩寵と自然を媒介する中間領域としての天使的諸力を考えていて、国家や文化の背後には、神の摂理としての精緻な天使的秩序があると考えていました。しかしシェーファーは、こうした天使論を迷信として一顧だにしませんでした。こうなりますと、米国人は、国家や社会に関して、無媒介に、ただちに神に直面しなければならなくなります。つまり、国家や社会が常に聖書に基づいていなければ、すぐに呪いを受けるという、一種の脅迫観念に縛られてしまうことになるのです。もし、シェーファーが「国家や社会は天使的諸力が司る中間領域であって、基本的にはキリストのしもべだが、時に悪鬼化することもある。だから、キリスト者は適度に距離を保ち、その時々に、個々の具体的事案別に、各個人の良心に基づいて、是々非々の態度で接すればよい」という程度で国家と社会を扱っていれば、よかったのではないかと思います。もしそうしていたなら、80年代以降の宗教右派・福音派の在り方は、相当違うものになっていたのではないか、と小生は想像する次第です(あくまで想像です)。

はちこはちこ 2008/11/13 13:52 yukieさん、
コメントありがとう!

シェーファー婦人は、きっと絵に描いたような牧師婦人の鑑のような女性だったんじゃないかと思います。いろいろの人たちのお世話に明け暮れ、本当に献身的な方だったに違いありませんよね。だけど、それが息子の目からしたら「perfectionist nut」に見えたというのは、悲しいことですよね。多分彼は、自分には十分にアテンションをもらえていないと感じていたのでしょうか。奉仕で忙しい親の子供にはありがちなことですよね。

そういうことを考えると、オバマ氏の奥さんのミッシェルはすごいなーと思うんですよね。彼女はシカゴ大学の大学病院の副医院長だか、とにかく、44歳の若さにしてすごく高いポジションについている超デキル女性。その彼女がこれから大統領夫人になろうとしているわけですが、彼女の目下の最優先事項は、二人の幼い娘たちなんですものね。子供たちのこれからの環境の変化を考えても、母親が全力投球で子供をサポートするのは確かに最優先されるべきでしょう。何が一番大切で、しかも、時期を逃す訳にはいかないirreversibleなものであるかを押さえていることは、さすがと思います。その姿勢、同じ母親として見習いたいです。

はちこはちこ 2008/11/13 14:28 山谷少佐、
このようなブログに少佐のような博識な方からコメントをいただくのは非常に恐縮ですが、とても有益なインプットをいただき、感謝です!

>なんとなく福音派後退の「戦犯」探しみたいで
いや〜、そんなつもりではなかったのですが、言われてみれば、確かにそんな感じかもしれませんね。(苦笑)でも、「戦犯」を探して、その人だけを糾弾してあとはめでたし、というのではなく、その後の歩みをどうつなげていったらいいのかということを、みんなで考えていけたらいいですよね。

一方アメリカの宗教右派の人たちは、今後いろいろ変化は出てくるでしょうが、自分たちの時代が終わったとは思っていないようです。( http://news.yahoo.com/s/ap/20081108/ap_on_el_ge/rel_religious_right_future )

さて、シェーファー論ですが、うちの主人も10日の記事のコメントで示唆していましたが、やはり新しい神学なり主義なりが登場する時には、その時代の背景、時代の「要請」があって、ある意味、出るべくして出てくるものなのでしょうね。少佐の解説を読みながら、こういう時代背景を考えると、確かに当時、ヴァンティルやシェーファーが主張したことは、必要なことだったのだろうなと改めて思いました。

>聖書の世界観に立って構成された社会Aと、ヒューマニズムの世界観に立って構成された社会Bをシミュレーションして、どちらが良い社会か比較した

なるほど、大変興味深いです。ただ、問題は、厳密に聖書の世界観に立って構成された社会というものは、恐らく歴史を探してもどこにも存在していなかったのでは? そう考えると、彼の方法論は良かったものの、実際のサンプルは彼が意図したものを代表していなかったことになり、そうするとそこから導きだされた結論(『マニフェスト』)も、彼が意図したゴールを満たすものにはなりえなくなってしまう…?

>やはり世界観的な問題があったと思われます。
そうですよね。出発地点が間違っていたら、行き着く先も、ずれてしまいますよね。

二項対立図式から抜け出すというのは、どうも困難なことのようですね。大局的には一元論的世界観であっても、部分的には二項対立がembedされている場合もあるのではないかと思いますし… 難しくて十分咀嚼できないのですが、これに懲りずにまたいろいろご教示ください!

hide&yokohide&yoko 2008/11/13 21:41 お話がとっても興味深いので書きたくなりました。山谷さんが整理してくださったので、この数十年間の神学の流れがほんとうによくわかりました。山谷さん、存じ上げませんが、心より感謝します。
 僕も、二十年前にシェーファーを読みました。そのころ、彼のもとで信仰的回心を体験した人ともよくお交わりをしていました。その話にもひとつひとつうなずけました。
 でも同時に、ある意味で、その対極にあると思われるような文化にも親近感を抱いていました。このサイトで、リンク先としてご紹介いただいている「高橋秀典先生の礼拝メッセージ」(すみません、宣伝してしまって・・・)の伝道者の書のメッセージでも、ジョン・レノンと般若心経とから教えられたことまで書いております。このメッセージは結構、うれしいレスポンスが聞かれました。
 今、この時代に求められていること、またこの時代に対して発するべきメッセージは本当に変わってきていると感じています。その中で、昔は批判の対象でしかなかったことが、見直されるようになってきます。
 最近もこのお交わりを通して、いわゆる「進化論」に対する見方も変わってきました。ついこの前までは、戦う対象でしかなかったものが、視点を変えると異なったものに見えてきますね。
 僕は、神学において、また、この世界に対して、連続性と非連続性(分離)の両面をみることの大切さをますます感じさせられています。
 従来の福音派は、「分離」の面に目が向かいすぎていたと思います。そのため見失われていた、「今、この混乱のただなかで生きて働いておられる神」、「すべての人の中にある心の渇きの共通性」などが見落とされがちであったかと思います。
 今、問われているのは、対立概念としての「真理」を宣言すること以上に、ひとりひとりのこころの渇きに寄り添ってゆくことができるようなストーリーとしての福音かな・・・と思わされています。
 このサイトでのお交わりを心より感謝しつつ・・・

KazukoKazuko 2008/11/14 08:44 わたしもフランシスしぇーファーに影響を受けた一人です。人間の命の尊さを強く教えられました。マザーテレサが、”母親が利己主義になって子供を犠牲にしたら、一体誰が守ってくれるのでしょうか?”とおっしゃった言葉が強く心に残っています。ただこれは私個人の選択であって政治戦力の手段にするのは賛成できません。先日フイットワース大学長が来られてこうおっしゃいました。”私の教会はゲイのことで教会が分裂としている。聖書にゲイに反対す節は7箇所あるけど、プライドについて117箇所書かれているのになぜ教会はプライドについてもっと反対しないのだろうか。プライドのほうがよっぽどネガテイブな影響もたらす。”とおっしゃったとき、まさにそうだと思いました。プライドから守ってもらうには聖霊に頼る以外にはありません。

はちこはちこ 2008/11/14 12:21 hide&yoko先生、
山谷さんは、杉並区の救世軍の少佐であられます。(^^)

以前の私だったら、礼拝説教の中でジョン・レノンが出てきたら、きっとそれだけで無条件に拒絶反応を示していたのではないかと思います。でも今回、先生のメッセージを読ませていただき、心にストンと落ちるものがありました。何かとてもホッとして、涙が出ました。以前の私は、正しいものと間違っているもの、聖書的なものと非聖書的なもの(と私が思い込んでいたもの)を、なるべく瞬時にして見分け、間違っている(と私が判断した)ものは切り捨てていく、ということを、自分の一つの信仰のありかたとして持っていたように思います。けれども、主の憐れみによって、この数年のうちに私のそういった部分が変えられていっているのを感じています。hide&yoko先生や上沼先生、また他のいろいろな方たちとの交わりを通して、新しい視点が与えられているのを感じます。

「今、この混乱のただなかで生きて働いておられる神」… 私も最近よくそんなことを思わされています。しばらく前にある姉妹と、クリスチャンは何でも白黒はっきりさせたがる傾向があるけれど、神様はグレイエリアの中でこそ、一番大きく働かれるのではないかしら、と話していました。でも、うっかり大きい声でそんなことを言おうものなら、「ポストモダンの思想に毒されているぞ!」と誰かに叱られそうで、なんとなく、心の中にとどめておくような感じでいました。「連続性と非連続性(分離)の両面をみることの大切さ」、本当にそうですね。決してAnything goes ではない。神様の基準、真理ははっきりとしている… ただそれを踏まえた上で、hiroさんも10日のコメント欄に書いておられたように、その真理、基準を、実際の生活に愛の実践として適用していくことが、私たちはまだまだぎこちないのでしょうね…

>今、問われているのは、対立概念としての「真理」を宣言すること以上に、ひとりひとりのこころの渇きに寄り添ってゆくことができるようなストーリーとしての福音かな・・・と思わされています。
アーメンです。本当に本当にありがとうございます。大切な方向性を示していただき、心から感謝です。
『哀れみに胸を熱くする神』も読み始めました。「はじめに」から、いきなり泣いてしまいました。また追々、ブログの中でも分かち合わせていただきますね。

Kazukoさん、
良いお話をお分ちくださってありがとうございます。中絶問題も、ゲイマリッジも、確かに聖書に照らし合わせて私たち一人一人が考えていくべき大切な問題ですが、政治戦力の手段として、その問題ばかりが取りざたされると、何か本末転倒になっていくのを感じますよね。Kazukoさんのお話を聞くと、いつも私の心がスーッと優しくなるような、そんな気持ちがします。理屈を超えた主の優しさと憐れみを感じます。Kazukoさんとのお交わりも、主に感謝します。

hirohiro 2008/11/14 20:43 実はここのところ、disagreementを感じることが重なり、答えを求めていました。こちらのブログにしつこくコメントしているのも、そのせいだったのかもしれません。

シェーファー氏のことを、ここで多くの方から教えていただき(かじった程度にすぎないけど)、とても有益でした。「それでは如何に生きるべきか」は信仰を持つころに勧められて、読まなかったけれど、映画シリーズのビデオを見ました。でも、何のことだか良くわからなかった。
なじめなさを感じることの多くが、どうもこのシェファーの思想の影響を受けていると思われる(ここで知ったことと一致することが多い)ことが、わかりました。もちろん、シェーファー氏の貢献によって益されている部分も多いと思います。
皆さんのおかげで、自分の立ち位置を鳥瞰することが出来ました。感謝です。

>神様はグレイエリアの中でこそ、一番大きく働かれるのではないかしら

イエスは、まさにグレイエリアで(私には、律法によって色分けされたその白黒のせめぎ合う、非常に危険なエリアに思える)働かれましたね。
罪人たちと食事をされ、安息日に癒しの業をなされた。
その権威によって、白を宣言され、黒に対する勝利を得られていったのかなあ。
私たちには、黒を白と宣言する権威はない。このことで、しっかり自分を戒めなくてはならないと思う。
でも、イエスの働きのことを、いつも考えていたい。

ここでのお交わりを、本当に本当に 感謝しています。

はちこはちこ 2008/11/15 11:37 hiroさん、
グレイエリアというと、私はヨハネ8章の姦淫の現場を捕まって石打ちにされそうになった女性と彼女に対するイエス様のお取り扱いを思い出します。罪人との食事も、安息日の癒しもそうですよね。
13日の記事を書いている最中、ちょうど上沼先生からメールが入ったので、ついでに『マニフェスト』のこととか聞いてみたんですよ。そしたら、80年代には、それが当然のこととして受け止められていたように思うとおっしゃっていました。そして、いわゆるポスト・モダンになってそれ以前の命題ではやっていけないことを福音派が経験している、課題はこれからだ、とも。
時代の流れの中にいて、どうしても影響を受ける部分があるのは避けられないですよね。今私たちが「こちらの方がより正しいのでは?」と思うことも、30年後にはまた違う見方になっているかもしれないし。そういう中で生きざるを得ない私たちにとって、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです」ということは、本当に大きな慰め、励みですね。そうでなかったら、宗教も信仰もただの時代の産物になってしまって、むなしいですものね。
hiroさんも、いろいろお分ちくださって、どうもありがとう!

2008-11-11

お片づけ

15:22 | お片づけを含むブックマーク

 今日は祝日で子どもたちは学校がお休み。そこで懸案になっていたま〜やとケンの部屋の大掃除をした(というか、まだ掃除の最中)。この二人の部屋は、本人だけにまかせておくと、だんだんものすごいことになる。数ヶ月に一回、親が介入して大掃除しないとどうにもならない。

 片付けをしながら、つくづく人間というものは、ゴミや汚れ物を出さずには生きていけない存在なのだなぁと思った。ちょうど、神様が作られた人間の生物的な性質にも排泄が含まれているように… 個人レベルでもそうだし、社会レベルでもそうなのだろう。

 さて、ここであんまり考え込んでいないで、もう一仕事してこなくては。

雑記

| 09:59 | 雑記を含むブックマーク

 昨日の日記にhiroさんが寄せてくださったコメントと、それを受けてぼぼるパパが書いたコメントなどを読みながら、いろいろ考えさせられている。(昨日の記事のコメント欄

 科学と信仰の折り合いは、コリンズ博士や、大勢のクリスチャン科学者たちが証しているように、決して難しいものではない。どちらも、神様が立てられた真理に基づくもので、真理は一つなのだから。一方、政治と信仰となると、かなり話は違ってくるのかもしれない。政治は必ずしも真理に基づくものではなく、互いに異なる価値観や利害関係にある人たちの最大公約数を取りながら、国全体としてのベストを目指していくわけだし、しかもそこに権力争いや利益争いも絡んで、一筋縄ではいかないだろう。そう思うと、クリスチャン政治家って、ほとんどオキシモーロン(oxymoron)かも?… 難しいですね。

 そして、政治と科学も難しい… これに信仰や倫理観が加わると(加わってしかるべきだと思うけど)、一層大変だ。 『ゲノムと聖書』の補遺で、コリンズ博士が書いておられたこと、いよいよもって、その重要さが身にしみる。

馨子馨子 2008/11/11 19:22 ガガーン、部屋のお片づけ・・・
親は実力行使はしてきませんが、言葉の圧力はしょっちゅうです。。
物って、整理していないとすぐに大変なことになりますが、
考えてみれば、排泄というところまで含めて、神様は作られたのですよね。

動物の排泄は自然の中にある限り、それがまた別の生物に再利用されて無駄がないのに
人間の排出する物は、なぜこのように再利用が効かず、
処理にまた別のプロセスが必要なのだろう、
何が一体全体神様の御心に叶っているのだろう、と考えさせられました。。

田崎真一田崎真一 2008/11/11 19:59 掃除とは、すなわち捨てまくることです。私は帰国の際、実家のゴミを約2トン、捨てて親戚中の喝采を浴びた経験がありますから栃木県宇都宮市界隈の無料/有料の可燃、不燃、粗大、リサイクル、あらゆるゴミの合法な捨て方は熟知しています。
さらに実家の二つの冷蔵庫の取り外し可能な棚を全て外し、追い炊きの風呂に全て投げ入れて汚れをふやかしている間に冷蔵庫内をくまなく磨き上げ、棚を洗い終えた後に風呂桶の中の固形の汚れをキッチン用の網ですくい、浴室内を磨き上げるという鬼神のごとき力技もやりました。

はちこはちこ 2008/11/12 07:57 馨子さん、
馨子さんは、長いイギリス生活から日本に戻ってこられたばかりだから、荷物が片付いていないのも仕方がないですよ。(^^)

排泄といえば、レビ記でしたか、荒野での放浪生活の時、排泄物はどう処理すべきかについての記述もちゃんとありますよね。エデンの園時代は、排泄物って、どう処理されていたんでしょうね?

たしんさん、
2トンのゴミ、しかも一件の家からそんなに大量のゴミがでるって、想像もできませんが、実はみんなそんなに大量のゴミを溜め込んで生きているのでしょうか。でも、長く一カ所に住んでいると、不要なものがどんどんたまっていきますよね。

冷蔵庫の中というのも、結構汚れるんですよねー!私も数ヶ月おきに棚を外して洗っていますが、掃除した後は、冷蔵庫の中の明るさまで違う感じ。
たしんさん、今度うちにきて、ゴミ捨てるの手伝ってください〜! (笑)

2008-11-10

MEMO:Change.gov

09:19 | MEMO:Change.govを含むブックマーク

 オバマ次期大統領の政権移行チームが新しく開設した、米国民との情報共有サイト。

 すごいなーと思ったのは、Share your visionというコーナーがあって、国民がアメリカに対して持っているビジョンやオバマ次期大統領への要望などを直接メールできるようになっていること。もちろん、担当者がスクリーンするのだろうけど、それにしても、国民の声を聞く気満々な様子はすごい。

 オバマ氏が次期大統領に選出された次の日には、ぼぼるパパも関わっているUniversity Corporation for Atmospheric Researchというところに連絡が入り、環境問題に関する専門知識を持ったアドバイザーを求めているので、適切と思われる人を推薦してくださいと言ってきたそうだ。その動きの早さにぼぼるパパも驚いていた。

 それから、オバマ氏の政権移行チームには、アジア系の人が3人いるというのもとても嬉しい。

 ところで日曜日には、うちの教会のパスターはいの一番にオバマ次期大統領への祝福の言葉を述べ、それから彼のために祈った。教会員の反応は、ブーイングこそ出なかったけれど、拍手はそれほど大きくなかった。

 これは彼が自分のブログにオバマ氏が次期大統領に選ばれたことについて書いているエントリー。

 私もパスターに100%アーメン。中絶や同性愛婚に関することについては、私もどうしても気になっていた。でも、そうですね、私たちは、彼がその問題について神を畏れる判断に導かれるよう、祈ることができる。そのように祈ります。

王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。

みこころのままに向きを変えられる。(箴言21:1)

 PT, thank you for sharing!

hirohiro 2008/11/11 00:53 米大統領選については、ほとんど何も知識のない私ですが、11月9日付けの読売新聞で次のような記事を見つけ、「ゲノムと聖書」で論じられていた問題とかなり重なっているので、「あー、この問題は、米国では宗教と科学の間のことにとどまらず、政策とも大きく関わっていることだったのだなあ」と気づいたような次第です。

記事の冒頭を記します。
>「科学を正当に評価して欲しい」。米国の科学者たちが次期政権に抱く大きな期待は、この8年間の失望の裏返しだ。
 ブッシュ政権は、人類の活動による地球温暖化を否定したうえ、公的公共機関が温暖化の証拠や影響などについて発表するのを抑えたことが問題化した。
 キリスト教を強く意識した政策も、科学と対立した。不妊治療で余った受精卵を研究に使うのは「生命の破壊」として、胚性肝細胞(ES細胞)の作成を規制した。米航空宇宙局(NASA)の資料に「ビックバンは証明されていない」として、創造説に配慮する表記を求めたことも一昨年、米紙に暴露された。
 オバマ氏は今夏、科学団体からの公開質問状に「政府に科学の健全性を取り戻す。成果の発表が政治的にゆがめられないことを保障する」と答えた。

政治にはなかなか興味を持てない私ですが、全ての領域で神のご計画がなされることを祈って、New Presidentとその政策のために祈ります。

それから、この記事の「キリスト教を強く意識した」という表現が 誤って理解されませんように。
もしノンクリスチャンからこのことで説明を求められたら、誠実な説明ができますように。

はちこさん、記事の引用に問題があるなら、削除して下さい。

ぼぼるぼぼる 2008/11/11 04:31 現ブッシュ政権については、10年、20年たって振り返ったときにもう少しましな評価になる可能性はありますが(たとえば、イラクに民主主義が根付き、iPS細胞技術の発展によって胚の破壊を伴わない再生医療が可能になり、温暖化の影響も思ったほどではなかったとなれば)、現時点ではやはり、お粗末だったというのが大方の見方のようです。彼は敬虔なクリスチャンだっただけに残念です。

アメリカの政治はとくに権力闘争の色合いが強く、私はあまり好きではありません。80年代前半以降、フランシス・シェーファーの著作の影響もあり、キリスト教保守派の発言力が強くなりました。それはその時代に必要なことだったのかもしれませんが、結局保身以上の成果を上げているようには見えず、逆に保守層とリベラル層の二極化を深めてキリスト教のイメージを悪くしているように感じます。科学に関することは比較的客観的な問題なのでいいとしても、モラルに関することは、お互いを糾弾し合って最後には投票で決めるっていうのでは、決して解決にならないでしょう。私は中絶、同性愛結婚には反対ですが、それを律法主義的なプロパガンダにするのには大いに抵抗があります。力でねじふせるっていうのは、根本的になにかキリストの道とは相容れないような気がするんですね。

はちこはちこ 2008/11/11 09:39 hiroさん、
記事のご紹介をありがとう! 私も、もともと政治のことも科学のこともろくに知らないので、『ゲノムと聖書』の補遺を読んでいなければ、このような記事を見ても何の事だかわからなかっただろうなと思います。

>政治にはなかなか興味を持てない私ですが、全ての領域で神のご計画がなされることを祈って、New Presidentとその政策のために祈ります。

私も同じ思いです。

また、ブッシュ氏が「クリスチャン大統領」として日本に知られ、彼の価値観がそのままキリスト教の価値観を代表するものであるかのように日本で報道されていることは、残念ですよね。イラク戦争の当初も、日本でしきりに「福音主義キリスト教」があたかも好戦的であるかのように報道され、当惑した日本人クリスチャンは少なくなかったのではないでしょうか。一国のリーダーには神を畏れる人であって欲しいですが、信仰が政治的野心やプロパガンダと結びつくと、どうも何かがずれていってしまうようです。人間の罪深い性質のゆえなのでしょうか。

ぼぼるパパがシェーファーに言及していたので、「え?シェーファーって問題あるの?」と思ってちょっと調べてみたら、元KGK主事のある牧師さんによるこんなブログを発見しました。この牧師さんは、初期のシェーファーの著作の貢献を評価しつつも、70年代半ば以降の著作には、「聖書とは異物の思想が混入し始めたようだ」と言っています。そしてその中でも1981年に発表された「A Christian Manifesto」という著作が、「いわゆる今日のブッシュ政権を強力にバックアップする、保守的政治勢力としての「福音派」の台頭のための思想的バックボーンになったと言っても過言ではない」と指摘しておられます。(「晴耕雨読の日々」より。)

http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/f_db9a.html

はぁ〜、なるほど〜と思いました。ウィキペディアにも結構詳しい説明がありますね。

人間は、地上で生きる限りどうしても時代の流れの中にいますから、それぞれの時代で、その前の時代に行き過ぎたものへの抵抗として、また逆の方向に行き過ぎてしまう傾向があるのでしょうね。真理に立っているつもりでも、実は真理とは微妙にずれているもの、真理も含まれているけれど、異物も混入しているものの上に立っているかもしれないということ… う〜ん、へりくだらされ、また考えさせられます。

つくづく、今は「終わりの時」であり、私たちはよく目を覚ましていなければいけないのですね。見るもの聞くもの、そして自分の中に取り入れるものについて、本当によく気をつけていないといけませんね。聖霊さまが識別力と知恵を与えてくださり、私たちを助けてくださいますように… そしてただ懐疑的になったりシニカルになるのでなく、主の平安と恵みの中に憩い、それをまわりにも伝える者であれますように…

うさたろううさたろう 2008/11/11 21:27 はちこさん。
シェーファーが後期シェーファーに変容した背後には、息子であるフランキーに引きずられた部分が少なからずあったようなのですよ。これは田舎牧師様にも紹介した記事ですが、父親の死後、福音派を離れ、かつ父母をはなはだしく悲しませるような文章を書き綴ったフランキーに対する1つの批判をオズ・ギネスが書いています。

http://www.banneroftruth.org/pages/articles/article_detail.php?1417

その中でフランキーは父親を政治化させたのは自分と語っています。それが本当だとすると、シェーファーは骨肉の情によって道を誤らされたのかもしれません。実に残念なことです。それ以外の点でも、これは非常に悲しい記事ですが。

身内に対する愛情は誰にでもあるものですが、最終的に私たちは主の前にひとりひとり自分の責任を問われるものですから、主への忠実さをあらゆる点で貫きたいものですね。

hirohiro 2008/11/11 22:28 シェーファーさん? 誰? というほど無知な私ですが、「それでは如何に生きるべきか」は教会で教えてもらったことがあり「おー、あの本か!」と思い出しましたが、内容は難しそうだったので読んでいません・・・。

ぼぼるさん はちこさんのコメントを読んで、
科学と信仰(あるいは神学?)については、神が立てられたひとつの真理を求めるものであり、ある意味で究極的には白黒がつく(?)のだろうけど、それをこの地上で適用する 運用する 応用する、つまり愛するということは、なんと難しいことだろうと思いました。

人間は全く罪深いものだからその暴走を防ぐために生命倫理を脅かすES細胞の研究は規制されるべき、というのは「クリスチャン的」安全策と思えるし、病気で苦しむ人を目の前にしてその病気の解明と治療のために最新の技術を用いようとするのは、「クリスチャン的」行為と思える。
イラク開戦前後にブッシュ大統領の机の上にはいつも聖書が広げられていたと聞けば、「クリスチャンらしい」と思うし、自らをクリスチャンと呼びキリスト教色の濃い政策でなくとも真に客観的真実を見ようとするオバマ氏は、奥まったところで祈る人のように「クリスチャン的」に思える。

そして、こういったことは、大小に関わらず、私たちの周りにごろごろしてます。

うさたろうさんが「最終的に私たちは主の前にひとりひとり自分の責任を問われるもの」と書いておられるとおり、そのあり方については、ブッシュ氏と神、オバマ氏と神の関係の問題であり、「クリスチャンらしい とか らしくない」とか周りから裁くべきことではなく、はちこさんが「とりなしの祈り」の記事に書いておられたように、本当にとりなしの祈りをし、でも丸投げするのではなく、自分の信仰と知識に基づいて意見は述べていくべきなのだなあ、と思いました。私は、残念ながら知識が足りなすぎて意見が持てませんが、でも祈ることは出来る。

ついでに書いちゃうと、ES細胞問題はiPS細胞技術にとって代わられることにより解決するのかなあと思いますが、数年前にパーキンソン氏病を病むマイケルJフォックスの著書「ラッキーマン」を読んだ時(この本の事は、前にもコメントに書いたかも)のことを思い出します。
「突然人気俳優となってなんにでもイエスと言う“yes man"だった自分が、病気のおかげでノーと言うことが出来るようになった。自分は本当にlucky manだ。病気は贈り物だった。」と書き、毎日「平静の祈り」を祈っているという彼が、同時に「では、誰からの贈り物か?神からか?いや、自分はヨブほど我慢強くない」と書き、また別の箇所でパーキンソン氏病の治療につながる可能性のあるES細胞の研究を規制するキリスト教保守派を非難していたことを、思い出します。
このことが ずーっと心にひっかかっていたのですが、「ゲノムと聖書」を読んでこのひっかかりが少しほぐれたような気がしました。

はちこはちこ 2008/11/12 08:38 うさたろうさん、
これは興味深い(ほとんどショッキングとも言える)資料をご紹介くださってありがとうございました。主人と一緒に読んで、こんな家族にはなりたくないね、と二人でいろいろ語り合ってしまいましたよ。
フランク・シェーファーのCrazy for God もアマゾンでチェックしていくつかレビューを読んでみましたが、うならされました。

シェーファー一家は、両親のあまりに熱心な信仰とミニストリーの情熱によって機能不全に陥り、息子は傷つき歪んでしまったのですね… 息子フランクには親への愛憎の両方と、信仰そのものへのdisillusionmentがあるようで、何とも痛ましい限りです。

一連の記事やレビューを読んで、二つのことを思いました。シェーファー一家の痛ましい傷と、アメリカのキリスト教右派のあり方について…

オズ・ギネス氏は、フランシスの友人として彼をdefendしていますが、実際のところ、晩年のシェーファーに対する評価は、一般的に(キリスト教界において)どのようなものなのですか? やはり行き過ぎたと思われているのでしょうか。

アメリカでは今でもキリスト教右派と呼ばれる人たちのクリスチャンに対する政治的な影響力は、相当なものがあります。ドブソン師なども、若い人たちからの支持はあまり得られなくなっていることにあせりを覚えつつも、今回の選挙でも自分の声を皆に届かせようと、躍起になっていたという印象です。正直言って、彼は自分が影響力を持たないことには気がすまないかのように見え、何だかなーと思っていました。(しかし、この傾向は今後きっと変わっていくと思います。今回の選挙も、それが変わってきていることの証でもあるでしょう。


フランシスが政治的になって道を外したことがフランクの影響によるものであったのなら、それは「神様より僕を見てよ!」という傷ついた(けれどもそれを親にストレートに出せなかった?)息子の魂の叫びであったかのようにも思えました。そして、もしかするとフランシスも、こういう形であえて息子の叫びに応えてあげようとしたのかな、と…
だとしたら、本当に悲劇ですね。涙が出ます。シェーファー一家に主の憐れみがありますように…

Crazy for Godのレビューの中に、こういうコメントがありました。これは、すべての牧師、宣教師、伝道師、またキリスト教系産業に関わる人たち(私自身も含まれる?)は覚えておくべきことだなと思いました。
"Crazy for God" also reminds me of what a dangerous vocation it is, more perilous than mountain climbing, when one becomes a professional Christian, writing or speaking about the Gospel, Jesus Christ, the kingdom of God, making some or all of your living doing this. It's a danger I live with too.

はちこはちこ 2008/11/12 08:55 hiroさん、
私も、シェーファーは名前と著作のタイトルをいくつか聞いたことがある、という程度で、何も読んだことはありません。(汗)

hiroさんのおっしゃることに同感です。神様の目にはすべての物事は白黒はっきりしているのでしょうが、私たちの目にはたくさんのグレーエリアがありますよね。エデンの園で、神様がアダムに「善悪を知る知識の木からは食べてはいけない」とおっしゃったことを思い出します。そういった善悪の判断は、本来神様の領域の問題だったのですよね。私たちは神様のいのちにつながることによって、主のご判断に委ねつつ、そこに憩っていればいいだけのはずだったのが、善悪を知る知識の木から食べてしまったことにより、自分では到底手におえないような責任を負うことになってしまった… 今日の善悪の判断における混乱も、実はエデンの園での出来事に端を発しているのかもしれませんね…

ES細胞などの生命倫理に関しても、本当に難しいですね。詳しくは『ゲノムと聖書』にありましたから繰り返しませんが、人間の知恵では、一筋縄には解決できない問題ですよね。マイケルJフォックスのように、実際に病で苦しんでいる人にすれば、冷凍保存されている受精卵の命を尊ぶために自分の病の治療法の研究が制限されるというのは、納得のいかないことでしょうし… しかもなぜ受精卵が冷凍保存されているかといえば、子どもが欲しいという、ある意味神様の領域の問題であることに、人間が人工的に介入した結果であることを思うと、何が正しくて何が間違っているのか、いかに一概には言えない問題であるかということに、恐れを覚えるほどです。

主を畏れ、主の前に私たちの無知・無力を認め、祈りつつ歩んでいくしかないですね…

クレオパクレオパ 2008/11/12 22:22 う〜ん。ここで大変重要で深刻な話題がとりあげられているのでびっくりしました。
大きな宣教団の創始者の家庭で、子どもたちに大きな犠牲を強いる話を割と聞きますよね。
かなり前ですが、「有名な指導者の息子さんが正教会に改宗したらしい」という話も日本で聞きました。だぶん、フランク・シェーファー氏のことだったのですね。
フランシス・シェーファーの変化については、私も「晴耕雨読」ブログ(最近中断で残念)で知って驚きました。日本では、このシェファー家をめぐる出来事は、ごく一部の識者の間でささやかれているだけではないでしょうか。

うさたろうさん紹介のオズ・ギネス氏の記事によると、フランク氏の母親のスーパー・クリスチャン、スーパー・ウーマンぶりにびっくりしました。あまりにすごい人なので、もしかして人格障害?と思えてしまえるほどですが、たぶん私が間違っているのでしょう。問題発言だったらすみません。

はちこさんが紹介されたレビューのなかの「when one becomes a professional Christian」とありますが、職人的な領域においてのプロフェッショナルはあっても、信仰において、キリスト教会においてプロであることの危険性について、あらためて思いました。これはジェームス・フーストン氏(オズ・ギネス氏の記事にも出てくる)も指摘していたことでした。

オズ・ギネス氏の論説はたいへん重要な内容を含んでいると思いますが、なにぶん長く、上級者の英語力(?)と広いキリスト教思想の知識が必要とされるので、だれか正確に訳してくれませんかね〜。知りたいな〜。私は全体の印象が分かるくらいの英語力なのでできません。

うさたろうさん、いかが?  報償は何もでないですけど・・・。無理ですよね。

うさたろううさたろう 2008/11/12 22:51 はちこさん、

> 実際のところ、晩年のシェーファーに対する評価は、一般的に
>(キリスト教界において)どのようなものなのですか?

こちらについては、自分もよく分かりません。前期シェーファーについては、相当に評価する人から、その弁証論において人間知性の自律性を評価しすぎたと批判する人から、まるで良く知らない人まで色々といますが。

『Christian Manifesto』は、いつか読もうと思って書棚の重しになったまま未読ですので何ともいえませんし、後期シェーファーについて、キリスト教界におけるまとまった評論というものを目にしたことがないのです。ですから、この点に関しては、まだ宿題ということになります。

ただ、次のような点については、よく調べて考えるべきだと感じました。

1. シェーファーの論説や行動と、その後のキリスト教右派の動向を同一視してよいのかどうか。主イエスの福音と後代の十字軍を、あるいは(それが極端だとすれば)ジョナサン・エドワーズの神学とその後のニューイングランド神学を切り分けるようなしかたで、シェーファーと現代のキリスト教右派を切り分けることができるのかどうか。こうした右派の主張や運動のどこまでがシェーファーの引き起こしたものなのか。それとも、シェーファーは1つの価値ある主張を行ったが、それだけに飽き足らないい息子や右派が、イメージ的なシンボルとしてシェーファーを利用しただけなのか。あるいは、その中間か。
2. 宗教と政治ということでいえば、中絶反対についてシェーファーが取った行動と、奴隷制反対についてウィルバーフォースが取った行動は、全く違うのか。後者については評価の声がなぜ高く、前者についてはなぜ批判の声があがるのか。
3. ローマ帝国において、正統信仰とアリウス主義は互いに帝国の政治力をさんざんに利用しながら闘争し、政治を大いに巻き込みながら一世紀間争ったあげくに、正統信仰がニカイア・コンスタンティノポリス信条で勝利を得た経緯があるが、そこからキリスト者と政治について学ぶべきことはあるか。
4. キリスト者は、いかなる仕方で、その社会的責任を果たしていくべきなのか。特に民主政体においてキリスト者が自分の信じる信仰のために、政治の力を用いることはどこまで許されるのか。全く許されないのか。投票することまではよくて、運動することはよくないのか。

自分に何かこれといった答えがあるわけではありません。今後の学びが必要ですね。

(そういえば思い出しました。第4点については、ジョン・ストットが著書『地の塩 世の光』か『地には平和』で、押し付けるのではない、誠実な説得を行うべきだ、と主張していましたね。)

家族とミニストリーということでは、本当に考えさせられます。主を愛し、主の働きに打ち込むということと、周囲の人々、特に家族を愛するということは相反するものではないはずですが、極端に傾きやすいのが人間です。絶えず識別する目と、時に大きく方針を変更して、そのとき示されているみこころに従う素直さを祈り求めることが必要なのでしょう。

目に見える兄弟を愛せない者に神への愛がないのだとしたら、自分の家族を愛せない者には、ましてや神への愛はないはずです。神を愛することと、人を愛することがイコールになるようなあり方をしたいと願わさせられます。

ぼぼるぼぼる 2008/11/13 01:46 「A Christian Manifesto」については、本の内容に沿ったフランシス・シェーファーの講演の全文を英語で読むことができます。
http://www.peopleforlife.org/francis.html
私は、今これを読むと確かに煽動的に感じ、違和感を覚えます。ただ、当時は、唯物的なスローガンがメディアでかなり目につくようになった時期であり(カール・セーガンの「コスモス」とか)、また学校の科学カリキュラムに関する創造論運動が司法現場で行き詰まりを見せていたこともあり、アメリカのクリスチャンの間に閉塞感があったことは確かだと思うのです。そこへ、聖書的な世界観を政治・社会活動を通して働きかけていくことに、「A Christian Manifesto」(やその他の後期シェーファーの著作)が正当性を与える論拠として登場した。それで、キリスト教右派がそれに飛びついたということは言えるのではないでしょうか。

Wikipediaによると、「レフト・ビハインド」で有名なティム・ラヘイや、人工中絶クリニック前での座り込み活動などで知られる「オペレーション・レスキュー」のランドール・テリーが、彼らの政治活動は後期シェーファーの著作の感化によるものであることを認めているようです。これは80年代から90年代初頭の話ですが。直接の影響かはわかりませんが、ID論運動が起きたのもこの時期です。そのころ、私たちがいた教会でも、聖書の教えにそぐわない社会制度に対して、クリスチャンはどこまで市民的不服従行動をとることが許されるのか、あるいはとるべきなのか、という話題が日曜学校で出たように記憶しています。命令に反してユダヤ人をかくまったコーリー・テンブームと、中絶クリニック前での座り込み運動は同列に論じられるのか、保守的な教会でしたが、教会員の間でも意見が分かれていました。

80年代以降のクリスチャンの政治参加は、唯物的なスローガンへの応答という意味では必要だったかも知れません。しかし、しょせんは相手陣営の動きへの反応ですから、時代とともに価値が変わっていく運命にあったと思います。今考えて、この運動が結んだ実は、残念ながらアメリカ社会のイデオロギー的な分断だったと私は思っています。神の言葉は永遠不動であっても、社会がそれにどうレスポンドするかは、時代背景が大きくかかわってくるのではないでしょうか。したがって、後期シェーファーの著作は、当時の社会状況に対する彼なりの応答であったという点を考慮に入れつつ、慎重に解釈することが必要ではないかと思います。

合法人工中絶やES細胞研究を容認するオバマ氏が、今回、保守派キリスト教徒の間でも少なからず支持されたことの理由は、前政権の失態や経済危機という状況もさることながら、現在のイデオロギー的な分断に辟易し、対話をもとにした国の統合を心から望んでいる人が多いことのあらわれではないかと、私は考えています。私自身がそう思いますから。それが、いまのアメリカ社会の時代背景でしょう。4年後、8年後はまた変わっているかもしれません。それだけに、変わらないものとしての聖書の御言葉に思いを馳せることの意味が、ますます重くなるのではないでしょうか。

「A Christian Manifesto」をはじめ、晩年のフランシス・シェーファーの思想に息子のフランクがどう関わっていたのかは、フランシスの書いたものだけからはわからないと思いますが、もしフランクの言い分が本当なら、家族としてはやはり悲劇的ですよね…。子供とできるだけ時間をすごし、子供の目線で一緒にものを考えることの大切さを思わされました。と同時に、hiroさんのコメントを読みながら、自分の子供たちには、「Thus Saith the Lord」という基本原理はきちんと教えるにしても、彼らが自分をとりまく状況にそれをどう適用するかは、「親がそう言ったから」「牧師がそう言ったから」では決してなく、自分の頭でとことん考えて決めてほしいと思います。それで私たちの考えと違う結論を彼らが選んだとしても、それを尊重する自由だけは間違いなく与えてあげたいと。

hirohiro 2008/11/13 09:14 博識な皆さんの中で、ほとんど何も知らない私があまりにも当たり前のコメントをしたりして「恥ずかしいな〜」と思っていたのですが、ぼぼるさんは 私の意を汲んで下さったかしら〜と有頂天になり、調子に乗ってもうひとつだけ書きます。
フランシスさんフランク君の間のことは私には全然わかりませんが、(ご紹介いただいた英文を読むには時間がかかりそうです)、もし皆さんが仮定しているように、「両親のあまりに熱心な信仰とミニストリーの情熱によって機能不全に陥り、息子は傷つき歪んでしまった」り、「フランシスが政治的になって道を外したことがフランクの影響によるもの」だったりして、(それは確かに悲劇でしょう。でも)、本人たちがそれを、そのとおりです、と認めているなら、(違ったらすいません。そうでしたら、このコメントは全く見当違いですので削除していただきたいくらいです。)私なら「甘えんじゃないよ!」と言いたいです。(うわっ、過激かな)
親の子に与える影響を否定しているのではありません。親が子に伝えるべきことについては、十分に考え、学んでいかなくてはなりません。親として反省すべきことは反省し、子どもに対して謝罪することも必要だと思います。
しかし、それとは別に、もし子どもが「親のせいでこうするしかなかった」とか「親がああいうふうだったからこうなった」とか言ったら、親としての自分に非がある部分は認めても、それでも激怒します。「こうした」のはあなたで「こうなった」のもあなたでしょう!(怒)と。
悲劇的な家庭というのは他にもあるでしょう。悲劇的な環境については、その改善を心から祈ります。自分の非についても、本当に改善したいと思います。ただ、子どもには、自分に関する責任をとれるようになって欲しい。

はちこはちこ 2008/11/13 10:59 クレオパさん、うさたろうさん、hiroさん、貴重なコメントありがとうございます。(もちろんダーリンも♪)

政治的なこと、神学的なことは私もよくわからないのでパスせざるを得ないのですが(汗)、いくつかの資料から垣間みられるシェーファー家については、私もいろいろ思うところがあります。

ギネス氏の記述やCrazy for Godのレビューに書かれていた事から伺えるのは、この親子は決して仲が悪かったわけではなく、逆にものすごく近い関係にあったようだということです。心理学用語で言うなら、エンメッシュメント(纏綿状態)かもしれません。その親密さは残念ながら健全なものではなく、親の神様の働きにおける多忙ゆえに息子は放置されがちで、しかしそれに対する罪悪感から、親は息子のことを溺愛し甘やかせ、自分のミニストリーに関わる事柄についても、息子が成人したあかつきにはかなり自由に権限を与えた…

フランク氏は明らかにとても賢い人で、子供ながらに親が通っている葛藤や欠点が見えていたし、親が自分にしていることが、必ずしも自分のベストにならないこともわかっていた。わかっていたけれど、敢えてそれを甘受し、利用していた…? 父と息子の間に健全な境界線がなく、それがフランクをして「父親を政治活動に仕向け、宗教右派の創始にひと肌脱いだのはまさに自分である」と言わしめたのかもしれません。ギネス氏の説明では、1974年のローザンヌ会議後、フランシスはひどい鬱状態に陥ったのだそうです。それを見たフランクは慌てて、それまで自分が目指していたアーティストへの道を断念し、父の政治的活動へのビジョンを再燃させるべく、父の「片腕」となったのだそうです。このフランクの行動は、鬱状態に陥った父を励ましたいという愛情から出たものなのか、そのあたりははっきりわかりません。ギネス氏の論調だと、それ以降のフランシスは、かなりフランクの意のままになっていたように思われます。その頃のフランシスは、もしかしたら精神的にかなり疲弊し、病んでさえいたのかもしれないですね。そのような負のエネルギーの中から出てきたのが『クリスチャン・マニフェスト』なのだとすると、これを読む時には気をつけないといけないのでは、という気にさせられます。

ギネス氏は、フランクの暴言に対して、フランシス&エディス・シェーファーをよく知る者として弁護していますが、フランシスのやり方に問題があったことも認めていたようです。フランシスがラブリの運営についてフランクに権限を与え過ぎた時、ギネス氏たちはその方針に同意できなくてラブリを離れたと言っています。しかし彼は「人間は誰しも欠点を持ち、欠点があるからといってその人が偽善的だというわけではない」とも言い、また晩年のフランシスがどうあれ、彼とエディスが20世紀の福音主義にもたらした業績は大きく、それを捨ててしまうべきではない、というようなことも言っています。

あと、ギネス氏の記事の中でIn Frank's case, he chose to steer his father's steps for his father's sake, so he is responsible rather than resentful. But he is responsible for what he now acknowledges was a horrible outcome, so he turns on his entire upbringing to excuse his role.というくだりがあり、興味深いと思いました。これからすると、フランクは善かれと思って父が政治的な方向に進むよう助けたものの、今となってはその結果が恐ろしいものであったことに気づき、父にそのような影響を与えたのは自分の責任ではなく、自分をそのように育てた親のせいだと言っている、ということでしょうか。(ということはCrazy for Godの副題「How I Grew Up as One of the Elect, Helped Found the Religious Right, and Lived to Take All or Almost All of It Back」は、最初はとても尊大だなぁと思いましたが、実はフランクの自嘲が込められているのかも?)

とすると、まさにhiroさんが指摘しておられるように、彼は自分の行動の責任を自分で取らず、親のせいにしているわけですね。しかし、たとえばギネス氏自身は、シェーファー一家の近い友人として、これらのことを間近に見ていながら、フランシスに対して愛をもってコンフロントしなかったのか?と思ってしまいます。結局、これを書いているギネス氏自身も、友人として「互いに訓戒し合う(ローマ15:14)」という自分の責任を回避していたように見えますね。

ギネス氏個人は、『クリスチャン・マニフェスト』や現代のキリスト教右派の活動をどう評価しているのかというのも、聞いてみたいところです。彼としては、シェーファーとの個人的な友情から、後期シェーファーを客観的に評価することができない、あるいは敢えてそれを差し控えているかのようにも見えますが…

問題が大きすぎてまとまりませんが、私の視点から感じたことでした。

それにしてもフランク氏も、今や恐らく60代半ばか後半くらいでしょうが、なぜ今になってこういう本を出したのでしょうね?彼の本には自分の妻や子供のこともたくさん書かれているそうで、彼が自分の家族に対してはどういう目を向け、どう接していたのか、興味があります。親を反面教師にしたのか、それとも親の二の舞になっていたのか…

クレオパクレオパ 2008/11/14 01:03 複雑で、ニュアンスイ富んだギネス氏の記事の、簡潔にして正確なサマリーをありがとうございました。感謝、感激です。

山谷山谷 2008/11/14 10:09 後期シェーファーの著作『それでは如何に生きるべきか』(1979年)の中で、ずっと気になっていた表現が、ひとつ。

「自然法」について論じる中で、シェーファーは、自然は残酷であるから、自然法に基づく社会は残酷になる、という主張をしています。その文脈で、マルキ・ド・サドのサディズムの話が出て来ます。

一読して、非常に違和感を抱いた箇所でした。と言いますのも、シェーファーの思想的バックボーンを成している(はず)の改革長老教会の諸信条においては、自然法も律法も共に神の指によるものであり、共に神の永遠法に由来する、とされているからです。カルヴァンなどは『キリスト教綱要』の中で、自然法を発展させた異教社会(ローマ)の法学者たちのうちに、「聖霊の賜物」が働いていたことすら、認めます(!)

カルヴィニズムは、カルヴァンが人文主義者(フマニスト)であったことからわかるように、元来は、異教徒にも聖霊の賜物が働く、とか、自然法も神の指によって記された、とか、異教の国家もキリストに仕えるしもべである、とか、非常に「寛容」な世界観を持つ思想であったわけですね。

しかし、シェーファーには、そうした「寛容」さが、どうも薄い、という印象を抱かざるを得ません。

想像するに、ジョージ・オーウェルの『1984年』に描かれたような、ヒューマニズムの全体主義社会の「悪夢」のイメージが、シェーファーにとってあまりに強烈であったため、シェーファーは自然法に「残酷」という評価しか与えることができず、その点で、本来のカルヴァン主義から袂を分かつことになってしまったのか。

興味はつきません。

はちこはちこ 2008/11/14 11:25 クレオパさん、
いえいえ、私の印象に残った箇所だけをピックアップして要約しただけなので、記事全体の正確なサマリーにはなっていないと思います。(^^;) でも、少しでもお役に立てたのなら嬉しいです。

山谷少佐、

>「自然法」について論じる中で、シェーファーは、自然は残酷であるから、自然法に基づく社会は残酷になる、という主張をしています。

ははぁ、なるほど。これは、クリスチャンの進化論に対する反論にも通じるものがありますね。進化論を受け入れるなら弱肉強食、適者生存、すなわち「残酷な」社会をプロモートすることになる、という。アメりカのクリスチャンの間で進化論に対する抵抗が強まったのも、このあたりと関係があるかもしれないですね。
カルヴァンは人文主義者だったのですか!今ではヒューマニズムというとキリスト教の思想的な天敵のように言われていますが。
「自然法も律法も共に神の指によるものであり」、まったくその通りですよね。科学者である私の夫も、自然法も神の指によるものであればこそ、その自然を研究対象とする科学は「神を知る人にも知らない人にも同じように門戸が開かれているということが大事で、それが神を知る機会を広げることにもなる」と考えています。(http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/200302)

うさたろうさんがご紹介くださった資料によると、フランシス・シェーファーは1974年にひどい鬱状態に陥ったそうで、彼の著作の趣が変わっていったのも、どうもそのあたりを境にしているのかもしれません。

本当に興味はつきませんね。

それにしても、私自身も一つの時代の流れの中にあって、その中でしか物事を見れなくなっているのかもしれないなぁと思わされました。でも、皆さんがいろいろな視点からいろいろなご意見を聞かせてくださり、いろいろな気づきを与えられ、本当に感謝です。(^^)

うさたろううさたろう 2008/11/14 18:21 シェーファーと自然法についてご紹介がありましたので、何年か前に私訳した『そこに存在する神』のサド侯爵が出て来る部分を読み直してみました。第三部の第三章後半、「歴史的キリスト教と人間のジレンマ」という項目の冒頭で、シェーファーはこう書いています。

------------------------------------------------------------
歴史的キリスト教の立場によれば、人間のジレンマには一個の道徳的原因がある。神は、決定づけられていない存在であり、人間をも決定づけられていない者として創造された。これは、二十世紀的な見地からものを考えている、いかなる人にとっても困難な考え方である。なぜなら、二十世紀的な考えはほとんどの場合、人間を決定づけられた者とみなすからである。人間は、サド侯爵が信奉し、フランシス・クリックが証明しようしているところによれば、化学的な諸要因によって決定づけられており、フロイトその他の人々が示唆してきたところによれば、心理学的な諸要因によって決定づけられており、B・F・スキナーが信奉するところによれば、社会学的な諸要因によって決定づけられている。こうした場合において、あるいは、これらが寄り集まった結果、人間は、初めから行動をプログラムされた者とみなされている。それが正しいとしたら、人間は聖書が言うような途方もない存在ではない。神のかたちに造られた人格でもなければ、自由に最初の選択を行なえる者でもない。しかし、神が一個の宇宙を真にご自分の外側に(ご自分の本質の延長としてではなく)創造されたがゆえに、そこには真の歴史が在るのである。それゆえ、神のかたちに創造された人間は、意義ある歴史の中にいる意義ある人間なのであり、神の命令に従い、神を愛するか、神に反逆するかを選べるのである。
------------------------------------------------------------

論旨からすると、シェーファーが歴史的キリスト教の立場と、サド侯爵/フランシス・クリック/B.F.スキナーの立場を対立させており、シェーファー自身としては前者を支持していることは明らかです。そして、ぼくが読みとるに、このサド/クリック/スキナーの主張は、「残酷な自然」を至上の秩序として、人間が機械のように化学的反応や弱肉強食の論理によって突き動かされるだけの存在とみなし、そうしたあり方を是とする立場だと思います。シェーファーがこうした立場を自分のものとしているわけではありません。

『それでは如何に生きるべきか』(p.157-158) の中でシェーファーは、
「自然の……神格化の行き着く論理的結論」について語っているのであり、それが「存在するものはすべて正しい」というサディズムや強者の論理に至るのだとして、神なき自然主義の帰結(と悲劇的な破綻)を提示しているのだと思います。その自然至上主義と、カルヴァンが認めていたような「自然法」概念は同一視できないでしょう。

『それでは如何に生きるべきか』は、主としてキリスト者でない人々向けの提示ですから(これは巻末の特別ノート冒頭からわかります)、シェーファーのすべての主張は盛り込まれていないと見るのがよいではないでしょうか。非キリスト教的な、神なき冷徹な機械的自然主義の行き着く果てまで示して、それがいかに破綻するか、いかに人間の有する本源的なあり方とジレンマを生じさせるものかを相手に納得させた上で、歴史的キリスト教の主張こそ、そうしたジレンマに陥らずにすむ唯一の世界観であると提示することがシェーファーの狙いだったと考えられます。

そのための手段としてサド侯爵の考えを紹介しているのですから、それをシェーファー自身の自然観として、カルヴァンと対立しているのではないかとするのは、誤読ではないかとぼくは感じます。

ぼぼるぼぼる 2008/11/15 07:57 山谷少佐、うさたろうさん、

非常に興味深いお話をありがとうございます。私は神学は素人なのですが、科学者として、神学者が自然や自然科学に対してどのような見方をしているのかは大いに気になるところなので、こういう話はすごく面白いです。

問題の自然法の件ですが、『それでは如何に生きるべきか』の、サド侯爵の話が出てくる少し前(原典では159ページのー段落目の一番最後)
http://books.google.com/books?id=9bR8xRzvNpQC&printsec=frontcover&dq#PPA159,M1
で、シェーファーは『しかし、自然をもとに法体制を築こうとする試みには重大な問題がある。それは、自然には残酷な面も、そうでない面もあるからだ』と言っています(「そうでない」が強調されています)。また、『Pollution and Death of Man: a Christian View of Ecology (邦訳?)』の2章では、『汎神論的な自然観を持とうとする者には、自然には慈悲深さもある反面、人間の敵ともなりうるという両面性を説明することはできない。汎神論者にとっては自然はいつも正常なのであって、異常な自然などというものが入り込む余地はないのである。』と汎神論的な自然観を批判しています。また、『それでは如何に生きるべきか』の少し前の箇所では、ゲーテの思想がまさに汎神論的であった(自然=神)ことを指摘しています。これらから思うに、シェーファー自身は、自然そのものに慈悲深い部分も、残酷な面も認めていたと思われます。問題の文脈はおそらく、自然を倫理の基に置くと、その残酷な面によって人間は惨めな思いをすることになる、という警告ととるのがいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

そして、ひとつ質問なのですが、カルビン派神学では、災害を起こすような自然の「残酷」な面(日本語で言う「天災」)を、どうとらえているのでしょうか。これも神さまのprovidenceの一部であるということなのでしょうか。それとも、もともとは神の意志ではなかったが人間の堕落によってもたらされたやむをえぬ局面なのでしょうか。実は次の学期に自然災害の講義をすることになっており、もちろん科学講義なのですが、個人的には天災の神学的な解釈に興味があります。

うさたろううさたろう 2008/11/16 09:17 ぼぼるさん、

> 自然を倫理の基に置くと、その残酷な面によって人間は惨めな思いをすることになる、という警告ととるのがいいのでは

そうですね。「あるがままの自然」だけが正しいとすると、神のかたちに造られた人間にとっては辛いことがたくさんありますね。

サド侯爵のくだりのすぐ後で、シェーファーはこう書いています。

------------------------------------------------------------
オランダのリフォーメーション[宗教改革系]の画家達は、生活の単純なものを喜んで描いた。というのは彼らはある一つの枠組みの中で描いたからである。まず第一に、人格的な善の神による自然の創造、第二に堕落により現に存在する自然のままの姿は異常であるということである。しかし自然を現在あるがままに取り、それを良きものの尺度とすることは全く上に述べたことと異なる。それはもし存在するままの自然が、それによって人間が生きるための規準となるならば、非残酷さは同時に残酷さとなるからである。(邦訳 p.158)
------------------------------------------------------------

オランダの画家たちの枠組みは、シェーファーの支持する聖書的キリスト教の自然観であり、カルヴァン主義の自然観でもあります。それとは違い、ただ現在あるがままの自然を良きものの尺度とするあり方(サド侯爵その他の人々の)は人間にとって残酷なものとなるというわけです。ぼぼるさんの言われる通りだと思います。

そして、上で「第二に堕落により現に存在する自然のままの姿は異常である」と言われていることが、ぼぼるさんの疑問とされている天災についての答えの鍵となると思います。

ぼくは、別に専門の神学者でもない一般信徒ですが、世界に発生している様々な天災について聖書はこう教えているのではないかと思っています。詳しくは専門の先生方の教えに待っていただきたいとは思いますけれども。

まず、天地創造の際に自然世界は完璧に良いものでした。「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった」(創1:31)。この時点では、何の天災もありえませんでした。災いとなるものは世界になかったからです。

しかし、被造世界の支配者とされた人間が堕落したとき、それに連座して全被造世界もまた、堕落の影響を受けて呪われたものとなってしまいました。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。……土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。」(創3:17-18)。ここに、世界の不調和と擾乱が始まったと思われます。天災の起こりうる、そして実際に天災の起こる世界となってしまったわけです。

その影響は今に至るまで続いています。しかし、神の国が完成し、神の民が完全に栄化されて、御国を相続するとき、被造世界もまた新しく完全な姿に変えられることが約束されています。それまで、世界は様々な自然現象上の災いに苦しみ、もがき続けるのです。

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。」(ロマ8:18-19)。

現在の世界に起こりくる様々な天災は、人間の堕落ゆえにもたらされた「滅びの束縛」であると言えるのではないでしょうか。

では、なぜ人間が堕落し、被造世界そのものが呪われるようなことになったのでしょうか。

カルヴァン主義では、天地創造前における神の聖定があったと考えます。神はすべてのことを正しく、聖いご自分の目的に沿うものとなるように、時間や物質や世界や人間といった万物を創造する前から計画を立てておられたのです。

人間が自由意志によって神に反逆してそむくこと、堕落すること、被造世界が呪われたものとなることも含めて、大きな神のご計画のもとにあった、それがカルヴァン主義の立場だとぼくはとらえています。それは、人間の贖いを通して、天地万物が、原初の段階をも越えて、より大きなかたちでキリストにあって1つとされることで、神の栄光が現わされるためでした。

「神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです」(エペ1:8-12)。

天災をも含む世界の窮状と惨禍は、神がお喜びになることではなく、むしろ神が憎み、戦い、変えようとしていることですが、その根底には、そうした戦いと贖いのみわざを通してご自分の栄光を現わそうとしておられる神のグランドデザインがあり、究極的にはすべてのことが神をほめたたえるものとされるようになるのです。

カルヴァン主義では(例えば、ウェストミンスター小教理問答では)、この神の聖定は、創造と摂理によって実行されていると教えられます。摂理とは、天地創造と異なる、その後の世界の物事の運行をつかさどる神のみわざというわけです。ならば、人間の罪も堕落も、そしてその後の呪いも、神の大きなご計画の中にはめこまれていた摂理的なピースの1つといえるのではないかと思います。

そして、ここからはカルヴァン主義とは関係ない自分の妄想ですが、人間の堕落の責任が、アダムの後裔である人間たちのみならず、被造世界にまで転嫁されたのは、人間が「星のくず」をもとに創造されたからではないでしょうか。原初に創造されたクォークの不整合から生じた光の爆発とその後のあらゆる組成原子をもとに宇宙が生じ、地球が生じ、その中からあらゆる植物、動物、そしてヒトに似たけれども人間ではない動物が連続して、しかし神の創造の御手によって発生していき、ヒトゲノムのもととなるDNAコードを有するそうした「ちり」をもとに神が一個の霊的存在としての「人間」アダムをあるとき特別に創造し、その人間のあばらから同じ霊的性質を持つ人間女性エバをやはり特別に創造されたのだとしたら、人間と万有はもともと原子的につながっていたとはいえないでしょうか。

人間は被造世界の「代表者」であったと同時に、被造世界の粋が人間の中に「実在」していたとも考えられるのではないでしょうか。そう思うときに、人間の罪の責任が全宇宙に転嫁されたことも、しごくうなずけるものを感じるのです。

これは、「ゲノムと聖書」を読んで以来の、はなはだ裏づけの乏しい個人的想像です。お聞き捨てになってもかまいません。

長くなりまして、失礼しました。

山谷山谷 2008/11/16 15:51 シェーファーの著作の引用、感謝です。青春の日々をリアルに思い出しています。

シェーファーは、有神論を「非決定論」、自然主義を「決定論」と捉えて論じていますね。

その上で、自然主義=決定論は、存在を無条件に肯定することだから、残酷の肯定としてのサディズムに通じる、と考えるようです。

面白いと思ったのは、シェーファーの師、コーネリアス・ヴァンティルは、「科学的世界観は決定論であり、これに前提を与えることができるのは、決定論であるカルヴァン主義だけである」として、ウェスレアン・アルミニウス主義(必決定論)を退けていることです。

師と弟子の間で、決定論をめぐる態度が違うのです。新エルサレムのパーリーゲート・カフェに行ったら、ぜひこの点における二人の討論を聞いてみたいものです。

「自然と災害」の問題については、小生は次のように考えます。

(ア)そもそも新約聖書正典に「自然」の概念がない。

(イ)あるのは、宇宙の構成に関わる諸力(ストイケイア)の概念である。

(ウ)ストイケイアは、原理、原子、数学、自然法則、自然法、制度、宗教、国家、天体、天使的諸力を包含する大きな概念である。

(エ)聖パウロは、ストイケイアを天使的諸力と見ている。(ここの論証を、オランダのカルヴァン派の神学者ヘンドリクス・ベルコフが『キリストと諸権力』(日本基督教団出版局)で行なっています)

(オ)ストイケイアは、主イエスキリストの十字架と復活の出来事で打破され、キリストに従属させられ、キリストのしもべとして奉仕させられている。

(キ)ストイケイアは、キリストの世界統治の奉仕者であるが、時に悪鬼的性格を露見させ、人間に苦痛を与えることがある。(ストイケイアは、人間に苦痛を与える限りにおいて、悪鬼的である)

このような世界観に立てば、たとえば「台風」という現象は、キリストの世界統治の奉仕者であると同時に、人間に苦痛を与える限りにおいて悪鬼的である、と観ることになります。(これは、地震、噴火、洪水、津波、隕石の衝突、等々にもあてはまります)

「台風」を動かしているシステムが天使的諸力である、ということは、「神が人格的存在(非決定論)を用いて摂理的支配(決定論)を行なっている」という世界観になりますから、決定論か非決定論か、という二項対立図式が成り立たないことになります。

ここから先は、神義論の問題に入ります。「台風」の被害という悪鬼的出来事を許容している神は、義なる神と言えるのか、ということです。

主イエスキリストは、天使的諸力の呪いを一身に受けて、十字架につけられ、死んだが、復活して、天使的諸力を打破したわけですから、神義論の希望の焦点は「十字架と復活」にある、ということになります。

つまり、「台風」がもたらす苦しみの中に、すでに「十字架」のしるしが刻み付けられていること、かつ、死んだ人たちがすべて「復活」する時が来ることを、わたしたちは考慮しなければなりません。

まあ、ドーキンズ氏には受け入れられない考え方だと思いますが(苦笑)

ぼぼるぼぼる 2008/11/17 05:39 うさたろうさん、山谷少佐、

門外漢の素朴な質問に、時間を割いてご教示くださり、ありがとうございます。一読して、科学者が日頃考えているようなこととは全く異なる、深遠な次元があるのだなあと思わされました。

>人間が自由意志によって神に反逆してそむくこと、堕落すること、被造世界が呪われたものとなることも含めて、大きな神のご計画のもとにあった、それがカルヴァン主義の立場だとぼくはとらえています。それは、人間の贖いを通して、天地万物が、原初の段階をも越えて、より大きなかたちでキリストにあって1つとされることで、神の栄光が現わされるためでした。

>カルヴァン主義では(例えば、ウェストミンスター小教理問答では)、この神の聖定は、創造と摂理によって実行されていると教えられます。摂理とは、天地創造と異なる、その後の世界の物事の運行をつかさどる神のみわざというわけです。ならば、人間の罪も堕落も、そしてその後の呪いも、神の大きなご計画の中にはめこまれていた摂理的なピースの1つといえるのではないかと思います。

カルヴァン主義については、魂の救いにおける神の恩寵の役割について、アルミニアン主義との比較などは教会でも聞いたことがありましたが、その自然観についてはよくわかっていなかったので、勉強になりました。少なくとも、天災は自然の本来あるべき姿ではない、ということであれば、天災から一人でも多くの人を救うために科学的な知識を動員することには、積極的な理由があるということになりますね。また、災害の中で多くの人が人間の無力さを知り、神のあわれみに触れることを考えると、そのようなものも含めて、神の計画はご自身の栄化であるというのもうなずけます。

一方で、天災の起源について、神学的な次元と科学的な次元が完全に相補的かというと、こまかい疑問点はいくつかあります。たとえば、ヒトが登場する以前にも台風や地震はあったであろうこと、ヒトの登場直後に自然法則が変わったという科学的な証拠はいまのところないことなどから、「被造世界への呪い」というのは、はたして科学的に観測可能な変化だったのか、それとも背後にある霊的な世界で起こったことなのか、ということ。人間が本来神の領域である善悪の判断に踏み込んでしまったことが堕落の本質であるとすると、神から支配を許されたすべての被造物に対して、人間の理解が制限あるものとなり、その結果、自然と人間の関係に軋轢ができたと考えることはできないのか(たとえば、エデンには地震も台風も来なかったが、そこを離れ、自立生活を強いられるようになった結果、本来住むべきでない、災害の来やすい場所にも住まざるをえなくなった。)、等々。簡単には答えられない問題でしょうけれど。

>人間は被造世界の「代表者」であったと同時に、被造世界の粋が人間の中に「実在」していたとも考えられるのではないでしょうか。そう思うときに、人間の罪の責任が全宇宙に転嫁されたことも、しごくうなずけるものを感じるのです。

これ、なかなか説得力ありますね。ときどき、私たちが自然と妙な一体感を感じる理由も、実はそういうところにあるのかも知れません。それにしても、人間のせいで一緒に呪われてしまい、我々にキリストが与えられたあとも、いまだ滅びの束縛の中にある被造物たちは気の毒だなあとは思いますが。新エルサレムの構築が待たれるところです。


>(ウ)ストイケイアは、原理、原子、数学、自然法則、自然法、制度、宗教、国家、天体、天使的諸力を包含する大きな概念である。

>(エ)聖パウロは、ストイケイアを天使的諸力と見ている。(ここの論証を、オランダのカルヴァン派の神学者ヘンドリクス・ベルコフが『キリストと諸権力』(日本基督教団出版局)で行なっています)

ストイケイア(στοιχεια)という言葉は聞いたことがなかったので、辞書で調べてみたところ、「elements or first principles of matter (ものの要素または第一原理)とありました。用例としては2ペテロ3:10、12の「天の万象」、ヘブル5:12「神のことばの初歩」などがあるようですが、パウロの手紙では、「この世の幼稚な教え」(ガラテヤ4:3、9、コロサイ2:20)、「だましごとの哲学」(コロサイ2:8)などと結構批判的に用いられています。(前後関係からは、パウロは、少なくともここでは律法主義的な教えのことを言っているようにも思えます。)しかし、「第一原理」という概念は重要かなと思いました。物理学者にとっては、第一原理と言えば熱力学法則やニュートンの法則、マックスウェルの法則などが思い浮かびますが、それは物事に因果関係をもたらす原動力です。それが新約聖書では天使的諸力という意味で用いられているかどうかは、日本語で通読しただけではわかりづらいですが、「被造物」の振る舞いを支配している原理の認識が底辺にあるというのは、非常に興味深いご指摘だと思いました。

ところで、オンラインでコーネリアス・ヴァンティルがシェーファー宛に書いた手紙が公開されているのを発見しました。
http://www.opc.org/OS/html/V6/4d.html
ほとんどヴァンティルのモノローグで、二人の見解の相違はあまり見えてこないのですが、この手紙のなかでヴァンティルが、「natural man」(肉の存在としての人間、ということでしょうか)が世界を見るときは、合理性・論理性に基づき、ただ事実を事実として見るので、人間の罪の結果として自然が呪われているという見方は出てこようもない、と書いています。これはまさに自然科学のものの見方であり、それは自体は悪いことだとは思いません。しかし、キリストを信じ、聖霊による再生を経験した者には、科学の領域外である、被造物の背後にある霊的な次元を認知するようになる、ということは言えるでしょう。それはけっしてオカルトなどではなく、理性に語りかけて私たちの世界観を非常に豊かにするものだと思います。(私は、「ありがとう」と語りかければ、水が美しい結晶を作るようになるなどとは信じません。)一方で、神学的な枠組みは、不完全でときには残酷な自然に対し、完全な諦めでも無鉄砲な改造でもなく、希望と節度をもった対応をする知恵を与えてくれるようにも思えました。

なんか、オバマ氏のスレッドのはずが、いつのまにか神学談義に飛んでしまいましたね。

うさたろううさたろう 2008/11/17 07:24 > オバマ氏のスレッドのはずが、いつのまにか神学談義に

はい。心優しい女主人に甘えて裏庭であばれている悪童のような気分がしてきたので、ここらで退散します。はちこさんも、さぞかし呆れていることでしょう。

しかし、女主人のご主人がボールとバットをかかえて出てきて、一緒になって遊んでくださったのは嬉しいことでした。

それでは。

はちこはちこ 2008/11/17 07:37 あはは、今ちょうど、「皆さん、お仕事に差し支えるといけませんから、そろそろお開きにしたらどうですか?」と言おうかと思っていたところでした。

実は昨日のコメントを拝見した後、主人と興味深いやりとりができ、その中で出てきた疑問もあったのでそれを聞いてみようかと思っていたら、主人は「それを言い出したらopening the can of wormsでいよいよ収拾がつかなくなるから、今はやめておいた方がいいよ」と、私は閉め出されて(?)いたのでした。(笑) バット振っても空振りばかりの私が出てきたら、面白くないということだったのかしら。(笑)

うさたろうさんも山谷少佐も、夫につきあってくださってありがとうございます。横で見ていた私にとってもとても興味深くて有益でした。またいつでもおいでくださいませ。(^^)

最初にこのトピを投げかけてくださったhiroさんもありがとう!

2008-11-09

パタパタと…

19:06 | パタパタと…を含むブックマーク

 子どもたち関連のことでちょっと忙しくしています。コメントのお返事が1〜2日遅れると思いますが、元気にしていますので、どうぞご心配なく!(^^)

2008-11-08

mmesachi2008-11-08

TashinMMAClothing.com

10:58 | TashinMMAClothing.comを含むブックマーク

 先日もちらっと言及しましたが、このブログにもよくコメントを下さる「たしん」さんこと田崎真一さんが、オンラインのオリジナルTシャツショップを開設されました。TashinMMAClothing.com です! ぜひ、Check it out!

 たしんさんは格闘技の大ファンで、オリジナルTシャツも格闘技をテーマにしています。拠点はフィラデルフィアですが、日本にも発送してくださるそうです。私のお気に入りは、これ。あと、これもいいですねぇ!

 たしんさんの新しいショップに、ジーザスの祝福がありますように!

びっくりした

13:43 | びっくりしたを含むブックマーク

 アンテナに入れてある松岡正剛さんのサイト、今日のエントリーが「中村昇 ホワイトヘッドの哲学」。一瞬びっくりした。えーっと、別人ですから。(^^;)

こちらは有名な哲学者の方です。他にも写真家の中村昇さんとか、元オウム真理教の方とか、けっこうよくある名前なんですね。

 正剛さん、せっかくですから『ゲノムと聖書』(中村昇訳)もとりあげてくれないかしらん。無理かな。(笑)

みおみお 2008/11/08 12:05 >たしんさん
祝開店。
「前田日明」名義で花輪を送りましょうか(笑)?
ぜひぜひ、「ゲノムTシャツ」も作ってください。
(もちろん「ヒトゲノム」ではなく「イノキゲノム」ですよ)

>はちこさん
またしても意味不明な書き込みで掲示板を汚してしまいごめんなさい。
格闘技の話題ならば、たしんさんと直接メールでやり取りしてくれって感じですが、他人の目に触れる場所に書き込むことで、格闘技の輪が世界に広がることを期待しています(←まさにIWGP構想そのもの。また、意味不明でしたね)
クリスチャン歴よりも猪木信者歴の方が長いので、すぐに格闘技・プロレス方面の話に暴走して、伝道してしまう悪癖があるのです(笑)。

はちこはちこ 2008/11/08 13:37 みおさん、
どうぞ、みおさんとたしんさんには、ここに格闘技の話題を自由に書き込む許可を差し上げましょう。(笑)ぜひどんどん盛り上げてください。
元JCFNの理事であられた故片岡伸光先生も、プロレスの大ファンであられました。片岡先生のお話では、格闘技ファンの牧師は、結構多いとのことでしたよ。(^^)

QingMeiQingMei 2008/11/08 14:38 はちこさん、格闘技系コメントをご許可ください(^^;
格闘技系きょうだいの方、はじめまして。
生前のブルーザーブロディに私の信仰や家族の理解を祈っていただいたことがあります。今でも天国で祈ってくださっていると信じています。
プロレス界でちょっと前にちょっとしたリバイバルがありましたね。
テッドデビアスが牧師になったり。
・・古すぎでしょうか。私もクリスチャン歴よりリングファン歴のほうが古くて。
最近はすっかり遠ざかっていましたが時々血が騒いでしまうんです。

はちこはちこ 2008/11/08 15:09 QingMeiさん、
ええ、いいですとも!(^^)
これは楽しくなってきましたね。私はあいにく格闘技系(or any sports for that matter)は疎いのですが、お話伺っているだけで楽しいですよ!
QingMeiさんのお子さんたちにも、Tashin MMA ClothingのTシャツ、クリスマスプレゼントにいいのでは? (^_-)-☆

さやっこ。さやっこ。 2008/11/08 16:26 Tシャツ、かわいい〜〜☆
去年も、ecで格闘技インタレストミーティングを
たくさんのボーイズが参加してやってましたよ♪
きっとそういう子たちが目を輝かせて喜ぶでしょうね。
私も誕生日プレゼント、クリスマスなどにショップ行きまーす☆

ぼぼるぼぼる 2008/11/08 20:49 格闘技とはちょっと違いますが、私も学生時代相撲部でしたから、遠縁のようなもんですかね。ちょうど今頃の時期、学園祭で「ちゃんこ屋」を出し、となりの柔道部の「闘魂トウモロコシ」「燃える焼き芋」と張り合ったものでした。

田崎真一田崎真一 2008/11/09 01:12 ありがとうございまあっす! パスターマックと中村家には精神的に後押しされたところは大きいので感謝 X いっぱい、です。
三尾さんは狙い通り、お客様第一号とあいなりました。しかも、売り上げのお知らせとは別口で本人から来たメールによると、11/11(土曜)のラスベガスのUFCのビッグ・イベントで、一番、宣伝になりそうな"OFG(Open Finger Glove) America"を着てオクタゴン・サイド(UFCはリングではなく八角形の金網の中で試合をするので、リングサイドではなくオクタゴン・サイドなのです)で取材/撮影をしてくれるとのこと。
高田延彦風に言うと、「鳥肌たった!」。
しかも6分遅れの二人目のお客様もサンディエゴのパスターマックがM師匠と慕うミュージシャンの方。
「はっきり言って鳥肌たった」。(高田アゲイン)

私は十数年前、初めて「ルーズソックス」を見た時に「おお、ブロディ!」と思ったクチです。日本での追悼セレモニーの後、親友のスタン・ハンセンが「こんな悲しいセレモニーは二度と御免だ」と言ったのが忘れられません。ちょっと前にテレビ・ジャパンの「英語でしゃべらナイト」でハンセンの幸せそうな近況を見て涙が出ました。
プロレスというジャンルにおいては、私の生涯ベスト・バウトは1982年2月4日、東京体育館におけるPWFヘビー級選手権試合、ジャイアント馬場対スタン・ハンセン初対決です。

私のつたない記憶では「え!大学の相撲部!すっごいっすねえ!」という私の感嘆の声に対し、ぼぼるパパは、「相撲部になる直前の同好会」と、おっしゃった気がするのですが。

さやっこさん、サイトにはない、インパクトだけはアリアリのTシャツをおまけでつけます!

本当に皆さん、ありがとうございます。今日、何回目だろう? AMEN!!!!!

ぼぼるぼぼる 2008/11/09 01:26 たしんさん、みなさま、

商売繁盛なようでなによりです。ほんとなら花輪とかお届けすべきとこなんでしょうけど、せいぜい宣伝だけでもせいいっぱいさせてください。入学当時、相撲「同好会」だったのでタカをくくって入会したら、2年目で体育会相撲部に昇格してしまって、稽古がとんでもなく厳しくなりました。時津風部屋のようなことはありませんでしたけど(汗)。オクタゴン・サイドというのは、つまるところ、桟敷席ってぇことですね?力士じゃなかったレスラーがふっとんできたり、乱闘になったりして、巻き込まれるこたぁ、ないんですか?私は昔、蔵前の国技館で、取り組みを終わって花道を引き上げてくる高見山に危うく引きずり込まれそうになって往生したことがあります。

田崎真一田崎真一 2008/11/09 02:07 アメリカにおけるMMA(総合格闘技)=すなわち、UFCが絶対君主として存在するジャンルは、とにかく各州のスポーツ・コミッションの厳しさがハンパじゃないので、乱闘その他は、まず、ありません。
「蔵前」。懐かしい響きですねえ。私は「両国」しか行ったことがありませんが、テレビ、ビデオ、LP、全てに通して言えるのは、会場のデカさのままにコールが合わない。
日本に帰ってプロレス者のダチ共と盛り上がると、いつもやるのは蔵前における猪木コール。
こう聞こえます。
いーのーきーのーいーのーきーのーいーのーきーのー

ちょっと、プロレス・ネタ、やり過ぎだよ。三尾さん、月イチぐらいにしようぜ。

鹿子鹿子 2008/11/09 04:41 >>
中村昇 ホワイトヘッドの哲学
<<

はちこさんセイゴウさんをアンテナにいれていらっしゃるんだぁー、アタシもこの時、違うと知りつつ思わず読んじゃっていました・・・、とはいえ、ホワイトヘッド等は、正直なんかよくわからんのですけれども(苦笑)^^;

セイゴウさん、アウグスティヌスの『三位一体論』は千夜千冊でとりあげていましたね。これも読んでみて正直なんかよくわからなかったのですけれども(−−;

erinaerina 2008/11/09 06:42 ゲノム読み終わりました。
熟読はできませんでした、が、読んで良かったです。
自分には関係ないだろうと思って、読み始めたんですが、、、そんなことはまったくなく、科学に疎い私でも一気に(大いに途中を飛ばしつつ)読みきってしまいました。

KazukoKazuko 2008/11/09 12:46 はちこさん

ばたばたしてて数日訪れなかたった間いろんなことがあったんですね。キャッチアップできてうれしい。

まずは選挙。私は選挙権持っているのでずいぶん考え祈りました。選挙までに市民権をとろうと必死でがんばっていた同僚2人とうとう取れずに選挙が終わってしまいました。でもオバマ勝利で喜んでいましたが。。。
アメリカに(世界)に直面している数々の問オバマ氏なら独走せず、いろいろなカウンセルをきいて決断出してくれると思います。

レスリングはね、娘が高校のとき、お友達の息子さんの試合を見に行ったのがすごく印象に残っています。レスリングするくらいの高校生って筋肉もりもりで、まん前で見たんですよね。迫力ありました。決勝戦で勝ったら州大会で出れるという大切な試合で負けたんです。お母さんがトイレに走って叫び声出しながらワンワン泣いて、私までもらい泣きしました。あの時私に息子が与えられなかったのは、神様の恵みだったのかもとふっと感じたのを覚えています。確かヤコブと神様と一晩中格闘しましたが男の世界は厳しいものです。うちの孫もこういうの大好きです。だから少しずつ私も勉強してみようっと。こういう話題がはちこさんのサイトにはいってるとはうれしいことです。ぽぽるパパ相撲ですか。尊敬しちゃいます。

JぽJぽ 2008/11/09 22:12 そそそそそうか!
もしや、神さまとヤコブの格闘が、格闘技の原点?!
さぞ、見ごたえのある試合だったんでしょうねぇ。
天国行ったら、録画中継見れるかな?
なんだかすごい発見かも!

はちこはちこ 2008/11/10 09:41 うわー、この盛り上がり、嬉しいですねー!

さやっこちゃん、
おお、そうなの? ECのインタレストミーティングで、格闘技のグループがあったんだ!素晴らしい!
みおさんにECに行ってきてもらって、格闘技インタレストミーティングを導いてもらうというのもアリかも。

たしんさん、
ECというのは、私やパスターマック、そしてみおさんも関わっている日本人クリスチャンのグループが主催しているカンファレンスなんです。その中で、同じ興味を持った人たちが集まる時間があるのですが、その時に格闘技好きのクリスチャン青年たちが集まったなんて、なんだか嬉しくなっちゃいますね!

鹿子さん、
正剛さんのサイトは、ゲノムを翻訳している時、アウグスティヌスについて検索していたら遭遇し、さらにアニー・ディラードについて探していた時にも遭遇し、それで興味を持ってアンテナに入れていました。彼の書評(?)は、いつも長くて難しいですよね。だから私はたいていチラ見するだけなのです。(^^;)

erinaちゃん、
読んでくれてありがとう! ね、科学には無関係と思っていても、そんなことなかったでしょ? (^^)

Kazukoさん、
私は選挙権はありませんでしたが、Kazukoさんと同じ思いです。
レスリング、そうですね、我が子が全力でぶつかって、そして無念の涙を流す姿を見るのは、親としては切ないですよね。Kazukoさんのコメントを読むだけで、私までもらい泣きしてしまいました。

Jぽちゃん、
おお、確かにそうかも! ここに格闘技の原点あり!

2008-11-06

大学訪問、再び

20:11 | 大学訪問、再びを含むブックマーク

 先週、予行演習で行ってきた大学に、今日はエミを連れて二人で行ってきた。運転はばっちり。ただし、帰りはラッシュアワーとぶつかったせいか、1時間強でいくはずの道のりがたっぷり2時間半かかった。エミが途中でトイレに行きたくなっちゃって、なんとか家に帰り着くまで我慢させた。(^^;)

 午前中は音楽学部の説明会。ゆっくり話を聞くことができてとても有益だった。願書の締め切りは1月1日で、結果が出るのは3月下旬から4月中旬の間だとか。2月にはオーディションに行く。他の学校のオーディションもあるから、2月は忙しくなりそうだ。

 午後からは大学全体の説明会とキャンパスツアー。今日はあいにくの雨だったので、ツアーの方は私はパスして、一人でコーヒーショップでのんびりした。

 それにしても、運転した日は疲れる。もう寝よ。

2008-11-05

解禁

15:02 | 解禁を含むブックマーク

 年内中に片付けたいことがいくつかあって、時間の使い方の調整のために実験的にプライベートモードにしてみましたが、結局書きたい時には書いてしまってあまり意味がなかったので、もとに戻します。(^^;)

 

選挙後の徒然

15:02 | 選挙後の徒然を含むブックマーク

 予想はされていたことだけれど、オバマ氏の圧勝だった。通常よりも高い投票率になって、投票にも開票にも時間がかかるだろうと言われていたが、夜10時過ぎにはあっさりオバマ氏の勝利が決まった。今回のマケイン氏の敗北は、彼の敗北というよりも、ブッシュに対して国民が突きつけた不信任だったと思う。オバマ氏は、大統領になったらマケイン氏のことも要職に就けて、活躍してもらいたいと思っていると言っているという話を聞いたことがあるけれど、本当にそうなればいいな。オバマ氏がどんなキャビネットを構成するのか、とても興味深い。

 夕べは、マケイン氏の敗北宣言のスピーチはリアルタイムで聞いたけれど、オバマ氏の勝利宣言のスピーチが始まるまでは待てなくて寝てしまった。(今朝になってからオンラインのビデオで見た。)マケイン氏の敗北宣言はとてもgraciousで、涙が出た。彼の最後のGod bless America! と言う言葉は、神様の祝福がなければこの国は立ち行きません、という自分たちの無力さと神様へのサレンダーの告白であるようにも聞こえた。実は、私はアメリカ人が何かにつけて言うGod bless America! というフレーズがあまり好きではないのだけれど、この時ばかりは、私も心からGod bless Americaと思った。

 マケイン氏のこのHumilityをオバマ氏がしっかりと受け継いで、神様の前には身を低くしつつ、国民のために大胆なリーダーシップを発揮してくれることを願う。そのためにも、本当に彼のために祈っていかなくては。第一テモテ2:1だ。

 

 God bless America. God bless Japan. God bless all the nations and people of the world. 

 ああ、そのためにも、アメリカが、日本が、全世界が、神様の道を歩むことを学びますように。いのちを選ぶ者となりますように。(申命記30:15−20)聖書は、どうすれば私たちが神様からの祝福を受けることができるか、はっきり記している。

-選挙日の徒然(11/4/08)

かわむかいかわむかい 2008/11/05 20:15 復活してくださってうれしい。ありがとうございます。

そう、アメリカ人が、God Bless Americaという発言を、異邦人、寄留者として聞くときは、ちょっと、なんでアメリカだけなんだよぉ。という気持ちを正直思いますよね。God bless America の後ろに、”not for other countries”がついているんじゃないのかなぁ、と思っちゃいますよね。疎外感を感じざるを得ない異邦人としては。

この種の違和感は、America the beautifulを歌ったときにも感じます。特に、
God shed his grace on thee
And crown thy good with brotherhood
などのところでは、無茶苦茶違和感がありました。
From sea to shining sea!
のところでは、第7艦隊の空母やフリーゲート艦が目に浮かぶしF18の爆音が聞こえたりしるかのようなイメージがあります。

私にとって、このAmerica the beautifulは映画ディア・ハンターで最初に出会った曲なんですが、本当に、あの中で歌っている友人をなくしたアメリカ人がこれを歌った悲劇を思うと、戦争がなくなってくれたらいいのに、と思います。

meekmeek 2008/11/05 22:45 大統領選のニュースは昨日は日本でも一日中テレビで報道しているような勢いでした。(今もテレビでオバマ氏が写っています)

ブログの休みモードは大統領選と何か関係があるかなと思っていました。
勝利演説がシカゴで行われテレビで写っていましたので、
もしかしたらはちこさんたちもそこにいるのかな〜と思ってみていました。9/29のコメントにもレスをさせていただきました。

マケイン氏の敗北演説は日本の番組でも評論家から
「やっとマケインさんらしくなりましたね。」
もともとはいい人なのに、と好意的に評されていました。
それだけオバマ氏を攻撃する戦法が逆効果だったと思われますが。

選挙が終われば、みんな協力し、お互いを称えあえるなんて、
日本からみると、まだまだ見習うところがあるのかなと思いました。

はちこはちこ 2008/11/06 08:30 かわむかいさん、
お騒がせしてすみません。あっという間の出戻りです。(笑)
アメリカ人にとって、愛国心と信仰って、切っても切れない関係にあるように思えますよね。それは基本的には良いことなのでしょうが、アメリカ人の愛国心は戦争とも密接にからんでいるようですし… 微妙ですね。
America the beautifulは、独立記念日の頃になると教会でもよく歌われますが、歌詞の内容にもかかわらず、実は軍歌とも言えそうですよね。きっと兵士たちは、戦場で祖国を思いつつこの歌を歌うのでしょうね…

meekさん、
いやー、選挙とは全然関係なくて、むしろ後から気づいて、「しまった、間が悪かった」と思っていたくらいです。(汗)

マケイン氏は、アメリカのメディアでも決して評判の悪い人ではなかったのですが、ペイリン氏を副大統領候補に指名した事が、裏目に出てしまいました。

>選挙が終われば、みんな協力し、お互いを称えあえるなんて、
これは確かにアメリカ人の良いところだと思います。どんなに意見の相違のある激しい議論をしても、議論が終わればまた仲良くできるんですよね。CNNのインタビューで、パウウェル元国務長官も、まさにそういうことを言っていました。

29日のレスもありがとうございます! あとでゆっくり主人がお返事するかと思いますので、お待ちくださいネ。

ぼぼるぼぼる 2008/11/07 04:33 >今回のマケイン氏の敗北は、彼の敗北というよりも、ブッシュに対して国民が突きつけた不信任だったと思う。

そうだねえ。いくらイデオロギーとかキャラクター(資質)とか言っても、結果がこれじゃあね。プラグマティズム抜きの政治なんてあり得ないわけだし。ブッシュ氏にとっては多少の不運もあったけど、それを差し引いても暗黒の8年間だった。

>選挙が終われば、みんな協力し、お互いを称えあえるなんて

表面上はそうですし、やがては本当にそうなるのでしょうが、マケイン氏支持者のなかには、まだオバマ氏の大統領当選を心から受け入れられない人が大勢いるようです。オバマ氏自身も、勝利演説のなかで「まだ私が支持を勝ち取っていない皆さん」と呼びかけ、彼らに手を貸してほしいと歩み寄りの姿勢を見せていました。私が見る限りでは、これらの人たちは、イデオロギーの違いも多少はあるかもしれませんが、むしろ、オバマ氏は何をしでかすかわからないという(ほとんど理不尽な)不安感、恐怖感に支配されているように思えます。変化に多少の不安はつきものですが、ここは気息を丹田に沈めて全貌を大観し、国のために歩調を合わす度量を見せてほしいものです。

いっぽう、シカゴの祝賀会場となったグラント・パークは、熱狂的な人・人・人。とくに、若者の姿が圧倒的に目立ちました。オバマ氏の偉業の一つは、インターネットを通じて、10代から20代の若者を政治に惹き付けることに成功したこと。今年はじめて投票した人の実に70パーセントはオバマ氏に投票したそうです。これらの若者が4年後、8年後にひきつづき民主党支持を続ける可能性が高いことを考えると、これは長期民主党政権の誕生かな。それはともかくとして、勝利祝賀会はこれからのアメリカを背負って立つ若者のエネルギーと、希望を象徴する笑顔であふれかえっていました。そしてなにより、黒人の人たちにとって、これは歴史的な出来ごと。多くの年配の黒人の方たちが涙を流しながら、生きてこの日(黒人大統領誕生)を迎えようとは、夢のようで信じられないことだと口をそろえて言っていました。昔、「お医者さんになりたい」「パイロットになりたい」と言えば親に喜ばれたが、「大統領になりたい」と言っても、「何かベつのものにしときなさい」と言われたそうです。長い抑圧と差別の歴史を背負ってきた彼らにとって、「やろうと思えば、本当にできないことはないんだ。時代は変わった。アメリカも変われるんだ」という希望と、45年前にキング牧師が語った「夢」の体現、それがオバマ大統領誕生でした。彼らには、心からおめでとう、と言いたい。

はちこはちこ 2008/11/07 07:44 >結果がこれじゃあね。

ブッシュ政権の結果、ということ? ブッシュ政権で私が一番嫌だったのは、戦争にお金と国民(特に若者)の命をつぎ込みすぎたことかなぁ…

ジェシー・ジャクソン師の頬をつたう涙のあと、そしてCNNのインタビューで黒人大統領の誕生に感極まって声をつまらせたコリン・パウウェル元国務長官の姿… とても印象的でしたね。 そしてオバマ氏が勝利演説の中で言及していた106歳の黒人女性の話…
オバマ氏が大統領になるからといって、明日からすぐに国民の生活が変わるわけではないけれど、それでもアメリカ人がアフリカ系のオバマ氏を大統領に選出したという、その事実だけでも、やはり歴史に残る重要な出来事だよね。

2008-11-04

選挙日の徒然

09:31 | 選挙日の徒然を含むブックマーク

(プライベートモード中ですが、メモとして。)

 今日は大統領選挙の日。オバマ氏優勢が伝えられており、今夜シカゴのグラントパークには百万人以上の人が集まってオバマ氏の勝利を祝うと言われている。(一体どんな騒ぎになることだろう…)

 個人的には、実は私はマケイン氏のことは嫌いではなかった。サドルバックでのフォーラムや、クリスティアニティートゥデイに出ていた特集記事などから、マケイン氏が神の前に持っていると思しきhumility(謙遜)に心打たれるものを感じていた。彼は恐らく自分では自分のことをstrong Christianだとは思っていなくて、そのせいか信仰について大胆には語ろうとしていなかったけれど、それでもこの人はきっと一人静かに神の前には頭を垂れているに違いない… そんなことを思わされていた。

 一方、オバマ氏の信仰も私は疑わなかった。彼の聖書解釈に、時々保守派のクリスチャンが嫌悪感を示す様子を見聞きしていたけれど、私はむしろ、律法学者やパリサイ人の独善的な信仰を厳しく批判していたジーザスのことを思い出したりもして、新鮮なものを感じていた。二人ともクリスチャンとして、それぞれの歩みをしているのだと思った。私たちだって、それぞれに自分の信仰の歩みの中でいろんなところを通っているように、彼らだって神様の前の一人の人間として、それぞれの道のりを歩んでいるのは当然のこと。すべての有権者のクリスチャンの好みを満足させるなんて、できやしない。

 とにかく、幸か不幸か私には選挙権がない。先日、とりなしについて語られたことを覚えつつ、祈りの中で静かに一日を過ごそうと思う。主の御心がなるように。それから、歴史的な瞬間を生むことになるであろうこの日が、人間的な熱狂の渦の中に陥ることがなく、主の御手の中で、平穏で秩序だった一日となるように。

 今朝、エステル記を読み終えた。エステル記には、「神」という言葉は一度も出てこない。「神が〜と語られた」とか「神が〜をなさった」という記述は一切ない。しかし、神の見えざる御手がすべての出来事を指揮し、ご自分のご計画のために導いておられたことは、読者の目にはありありとわかる。

 私たちの人生においても、audibleな神の御声が聞こえることはないし、visibleな神の御手を見ることはない。それでも、この世界で起きている一つ一つの出来事、一見、何の関連もないかのように思えたり、ただの偶然のように見える事柄、そしてその時点では最悪の展開に見えるような事柄の背後にも、主の究極的なご支配があることを覚え、主を畏れつつ、敬虔に歩んでいきたい。

2008-11-02

心地よい疲れ

20:57 | 心地よい疲れを含むブックマーク

 昨日のエミの友だちのサプライズパーティーは、大成功だった。

 主役が登場する前に、子どもたちは部屋の電気を消して隠れて待っていたのだけれど、ふと気づくと、玄関には皆が脱いだくつの山が。

 「ちょっと! こんなにくつが置いてあったら、いくら隠れてたって一目でバレちゃうよ!」

 みんが慌てて、地下室に向かう階段にくつをポンポン投げ入れる。

 「マイクが来たら、誰が玄関に出るの? 何て言って中に入れるの?」

 あと15分もしたら主役が到着という時になって、あたふたと計画を練り始める。(笑)結局、エミに悲しいことが起きて、一人で辛いので話を聞いてもらうためにマイクに来てもらうという設定にして、マイクが来たら、みんが玄関に出て、「エミはキッチンでお母さんと話している」と招き入れる。(リビングルームはパーティー用に飾り付けてあるため、そっちに入れてしまうとすぐにバレちゃうから。)そしてキッチンには私がいて、「あれ? エミは?」と聞かれると、「相当落ち込んでいてね。あっちの部屋で泣いてるみたいよ」とダイニングルームを指差す。そしてマイクがダイニングルームに行くと、隠れている皆が出てきて「サプラーイズ!」という段取り。

 みんに連れられてキッチンに入ってきたマイクに、私が段取り通りにダイニングルームを指さすと、彼は「オオ…」ととても心配そうな顔。そしてダイニングルームに行って、真っ暗な中で顔をうずめているエミの肩に手をかけて「Emi... Are you okay?」 するとその時、「サプラーイズ!」 明かりがつくとそこには大勢の友人たちが。マイクはキョトーンとしてしばらく絶句。皆がぞろぞろと彼のもとに歩みより、かわるがわるハグ。

 私は、マイクがあんなにエミのことを心配してくれた様子に感激。その彼を騙したのは申し訳なかったけれど、最終的には喜んでもらえたので良かった。

 その後彼らは夜中近くまで、「ロックバンド」というゲームに興じていた。直接ゲームとは関係ないタンバリンやコンガやカウベルやクラリネットまで登場して、みんなとても楽しそうだった。

 ティーンのパーティーなんていうと結構よくない話を聞くことが多かったので、私は今まで乗り気ではなかったのだけれど、昨日集まった子たちはみんな礼儀正しく良い子たちばかりだったので、私も気持ちよくホストすることができた。(^^)


 一夜明けて、今日は朝9時からの礼拝と11時からの礼拝の両方でキッズプログラムでの奉仕があったので忙しかったけれど、子どもたちや他の奉仕者との触れ合いは、それ自体とても楽しいので、感謝な一日だった。礼拝メッセージもちゃんと聞けたし。

 そんなわけで、盛りだくさんの楽しい週末でした。疲れたので、まだ9時前だけど、もう寝ましょう。(あっそうか。今日から冬時間なので、普段10時就寝の私の体内時計にとっては、眠くなってきて当然の時間なのね。)

田崎真一田崎真一 2008/11/02 21:37 親である喜び、炸裂ですね。ケン君も混ざりたくて落ち着かなかったんじゃないですか。私だったら舞台監督の如く段取りをつけたくてウズウズすると思います。サプライズ・パーティーは何といっても「おびき出し役」が一番の大役ですよね。
しかし「サプラーイズ!!」前の最後の演技を授かったはちこさんは相当の人気ママでしょう。かなり緊張して、笑いを堪えるのに苦労したんじゃないすか。

今日は私にとって通算43回目のタイム・チェンジでしたが、今まで何事もなく、すんなり行ったのは3分の1もないと思います。1990年春の時は火曜日に、やっと気がつきました。

はちこはちこ 2008/11/03 06:35 たしんさん、
そうなんですよ。ケンも混ざりたくて、お姉ちゃんたちの間をウロウロ。ゲームが始まると、「僕もやりたい!僕もやりたい!」と必死で声をあげるものの、みんなに完全に無視されていました。(笑)

火曜日まで時間が変わったことに気づかなかったというのもすごいですね。(笑)私もこれが40数回めでしたが、完全に忘れてた!というのは一度だけです。私の場合、教会で「来週から変わりますよ」とリマインドしてもらえるので覚えていられるのですが、それがなければ、やっぱり忘れるかも。

あじょしあじょし 2008/11/03 11:07 サプライズ大成功でしたね。
韓国の友人のサプライズの時は、トイレに隠れていました。
隠れている時は、本当にドキドキしますね^^

はちこはちこ 2008/11/03 16:06 あじょしさん、
ようこそ!
「さぁ、来るぞ、来るぞ」という時のドキドキ感がなんとも言えないですよね。(^^) そして見事成功した時の快感!

2008-11-01

『ゲノムと聖書』書評

| 20:31 | 『ゲノムと聖書』書評を含むブックマーク

 ジェームス・ワトソンの『二重らせん』の翻訳者であり、JT生命誌研究館館長をしておられる遺伝学者の中村桂子さんが、『ゲノムと聖書』の書評を書いてくださった。11月2日付けの日経に掲載されているらしい。(はちこ父からの情報)

 著者の意図をよく汲み取ってくださっている内容で、感激。機会のある方は、ぜひご覧下さい。私の手元にもコピーのPDFがあるけれど、それをここで読めるように掲載したら、コピーライトかなにかの都合でやっぱりまずいのかなぁ?

ティーンのパーティー

19:32 | ティーンのパーティーを含むブックマーク

 今夜はうちで、エミの親友のボーイフレンドであり、エミのバンド仲間のマイクのサプライズ誕生日パーティーをやっている。サプライズなので、まずゲストたちが到着し、主役が来る前に一緒に部屋に飾り付けをしたり。ぼぼるパパが研究室のプロジェクターを借りてきたので、今はそれをエミのパソコンにつなげて、壁に映し出してみんなでYouTubeを見ている。

 私はJCFNの集まりで、若い人たちの中にまざることに慣れているので、ついエミたちのパーティーの中にも入っていきたい衝動に駆られてしまって困っている。(笑)だけどそんなことしたらきっとみんなに嫌がられるだろうから、我慢して隣の部屋でこれを書いているわけ。

 昼間はパーティー用に、ミニクロワッサンにチキンサラダを挟んだサンドイッチとか、ホームメイドのサルサやディップとトルティラチップスとか、ホームメイドのカラメルソースとスライスしたリンゴとか、そんなものをいろいろ用意した。

 バースデーケーキはエミがベーカリーに注文した。表面にデイビット・ボウイーの写真が映し出されている。マイクはボウイーファンなんだそうだ。あと30分くらいしたら到着予定。こんなにみんなが集まっていて驚くかな? 楽しみだ。(^^)

yukayuka 2008/11/02 06:40 我家は、日経購読者です。Sunday Nikkei この一冊 という所にあります。

うさたろううさたろう 2008/11/02 08:50 ぼくは教会の図書係をしているのですが、今回『ゲノムと聖書』を教会図書に入れさせていただきました。そして、本日発行の「図書だより」には、次のような紹介文を書きました。これも一種の書評ですよね。

* * *

本書の翻訳者のおひとかた、中村佐知さんとは十年来のメル友ですが、今回の訳書は一般の出版社からの刊行ということで得がたい経験をしたようです。「霊的」というキリスト教用語が、編集者の方にいわせると別の意味を読者に感じさせてしまうのではないかとのことで、確かに「霊界」とか「スピリチュアル」とか今の日本では、教界とは違うニュアンスで受けとめられてしまいますね。その訳語を考えるお手伝いを少しだけさせていただきました。でも「霊的」という訳語も「あとがき」の説明などを加えて明確化することにより、訳文中で多数生かされていますね。

 組織神学者ウェイン・グルーデムが著書『組織神学』の第15章で提示している創造論は、本書の著者コリンズの立場を十分受け入れる内容であり、数年前にグルーデムの文章を読んで、自分もまた「若い地球」論やID論とは距離を置く立場の方が妥当性が高いのではないかと軌道修正させられたことを思います。そう考えると内村鑑三やチャールズ・ホッジ、B・B・ウォーフィールド、またA・H・ストロングらが進化論に対して取った比較的容認的なスタンスが意外と正鵠を射ていたのかもしれないと考えさせられます。しごく穏当な福音主義者の著者と、やはり穏当な福音主義者の翻訳者たちによる本書の刊行によって、一部の突出した創造科学の方々には、考えるべき大きな課題が与えられたというべきでしょう。というよりも、そうした立場の紹介ばかりなされてきたこれまでのキリスト教書や出版社の方向性が、いま世界的に修正されるべきときに差し掛かっているのかもしれません。もはや科学の説明が聖書に近づいたとかいっている場合ではありません。

 しかし、何よりも本書を読んで感じさせられたのは著者コリンズの実に誠実な信仰者としてのあり方と、神様によって取り扱われた人生の感動です。最初の数章と最後の11章はコリンズの生きた証しとして引き込まれ、そして熱い共感をいだかされます。ゲノムの話は、どうでもいいという人も(笑)ここだけは読んでほしいものです。といって、他の章も内容的に高踏的なところはほとんどなく、文系の自分もほとんど難なくついていくことができました。

 「ダーウィンメガネをはずしてみたら」も教会図書に入れながら、「ゲノムと聖書」も入れるという幅の広さをどう維持できるのかは、ぜひグルーデムの『組織神学』を読んでいただきたいと思います。

* * *

お粗末様でした。
(メル友は死語だったかな? 「十年来のネット上でのお交わりがありますが」の方がキリスト教徒らしかったかもですね。失礼しました。)

hide&yokohide&yoko 2008/11/02 09:18 日経に載ってほんとうに良かったですね。僕は昔の専門と仕事の関係上、約35年間、新聞といえば日経を購読していますから、とっても嬉しいです。
 中村桂子さんの書評で、何よりも感動的なのは、著者の事を「無神論者の両親の元で育ち、医学生になったときに、神の存在について考えなければいけないと気づいて勉強を始めたという経歴なので、ゼロから考える過程を共有できる」と書いてあることです。つまり、クリスチャンでもないはずの中村さんが、「考える過程を共有できる」と書いてくれたことです。
 それと最後に、「だが、ここで、常に道徳律に背く存在としての人間が見えてきたという点は、現代人の一人ひとりが自分の問題として考えるべきところだろう」と書いてあるのもすばらしいと思いました。
 ただ、その真ん中の部分で、このまま読むと、まるでアメリカの福音的な信仰者が愚か者の集まりであるかのようなニュアンスが出ているのが残念でした。でも、それはいつも日本で報道される米国福音派の姿ですから、このように記されるのも仕方がないかなとも思います。とにかく、日経にこのようにこの本を読みたくなるような書評が載ったことが画期的です。それは本当に本当にすごいことだと思います。
 ところで、僕としては、この本の結論ばかりが紹介されるのはあまり嬉しくありません。僕は、この書で著者が記している結論部分をそのまま受け入れるのには躊躇があります。ただ、この書は科学的事実をとっても整理して書くとともに、著者の信仰体験、今も生きて働いておられる神のことが証されているという点ですばらしいと思えるからです。結論に同意できないと思える方も本当に読んで安心していただける書だと思います。
 ちなみに、僕の立場からしたら、いわゆる極端な創造論の聖書解釈は、聖書の言語や文脈からしたら、「この箇所はそのようなことを書いているわけではないのに、進化論者を意識しすぎて読み方が偏っているのでは・・・」と思わされることが多いからです。科学の議論などを持ち出さずに、聖書が書かれた当時の文化的な文脈から、聖書記者が記した意図に忠実に読んで欲しいと願うからです。聖書を本当に生きた、あやまりなき神のことばとして読むのは、そのような読み方だと思います。

はちこはちこ 2008/11/02 17:25 yukaちゃん、
日経のサイトに出てないかなと思って探してみましたが、オンラインには出ないのでしょうかねぇ。

うさたろうさん、
おお、ありがとうございます! うさたろうさんに紹介文を書いていただけると、本当に嬉しいですね。(^^)
それにしも、もう十年来になるんですねぇ。今まで、本当にいろいろお世話になってきました。これからもよろしくお願いします!! 次に帰国する時には、ぜひうさたろうさんともお会いしたいものです。私の中のうさたろうさんのイメージは、以前クレオパさんが「その風貌で『うさたろう』というHNはズルイ」とおっしゃっていたことから、いろいろ妄想が広がっていますので。(笑)

「霊的」という言葉に関しては、最初はご存知のように編集者さんの意向もあって徹底的に避けていたのですが、最後まで訳してみた時に、「霊的」という言葉を全部避けてしまっては著者の意図が伝わらなくなってしまうということで、編集者さんからもゴーサインが出て、後からもう一度「霊的」という言葉に差し替えたり加えたりする作業をしたのでした。結果的に、いい具合にできたかなと思っています。

『ダーウィンメガネ』は、著者の方の信仰の証として読んだ時、私は実は感動して涙が出ました。科学と信仰は、本当なら決して二者択一を迫られるべきものではないはずですが、多分彼女がキリストに出会った時、あたかも二者択一の問題であるかのように提示されてしまったのではないでしょうか。(私自身、そういうことを見聞きしてきたように…)そして彼女は、これまで自分が科学者として信じてきたことを捨ててでも、キリストを選んだのですよね。それは尊いことだと思いました。

グルーデムの『組織神学』は、日本語訳もあるのですか? 読めるかどうかは別としても、参考書として手元においておけたらいいなぁと思いました。


hide&yoko 先生、
先生も日経の購読者であられるのですね! 今回の書評はNTT出版の方から頼んだものではなく、編集者さんも日曜日にたまたま日経に書評が掲載されているのを見つけ、驚いたそうです。(笑)

中村桂子さんはゲノム関連の著書や訳書の多い方らしいですが、hide&yoko先生もおっしゃられたように、そのような専門家の方が、神の存在の可能性について「ゼロから考える過程を共有できる」と書いて下さったというのは、本当に嬉しいことです。最後の一文についても、まったく同感です。アメリカのクリスチャンって…と驚かれて終わりなのでなく、魂の問題について、自分に関わりのあることとして一人一人が考えるべきだと彼女が結論していること、本当に嬉しいです。キリスト教書としてではなく、一般書として一般の出版社から出版した甲斐があったというものです。魂の問題や神の存在の可能性とそれが自分の人生に及ぼす影響について、これまで信仰に無関心だった人にも真剣に考慮してもらうということ、それこそまさにコリンズの本書の執筆目的の一つだったのですから!

「この書で著者が記している結論部分」ですが、進化論のことでしょうか。進化論に関するコリンズのendorsement はあくまでも科学的な結論です。コリンズは神学については素人ですから、彼の論旨の流れは科学的な検証、及び個人的な信仰体験に基づくものであり、神学的なことについてはせいぜいCSルイスやアウグスティヌスを引用するにとどまっていましたよね。進化論に関する科学的結論をそのまま神学的・霊的結論であるかのように受け入れることに抵抗があるのは、無理もないことだと思います。実際、科学的結論が神学的結論とイコールである必要はないというか、そもそも違う次元の問題ですよね。

この点に関連して、今翻訳中のダラス・ウィラードの『Renovation of the Heart』という本に、興味深いくだりがありました。ウィラードはクリスチャンの哲学者で、『Renovation』はSpiritual Formationに関する本なのですが、彼はその中で、科学的・進化論的な見地からは、地球における人類の存在期間とは壮大な宇宙の歴史の中でほんの一瞬のことでしかないけれど、霊的見地からは、人間のいのちとは永遠の価値を持つものであり、この宇宙がなくなったあとも神と共に永遠に生き続けるのだと述べていました。ウィラードの中でこの二つの世界観が拮抗するものとしてではなく、肉と霊を併せ持つ人間にとって当然のものとして共存しているらしいことがうかがわれ、とても興味深く思い、また励まされたのでした。

>いわゆる極端な創造論の聖書解釈は、聖書の言語や文脈からしたら、「この箇所はそのようなことを書いているわけではないのに、進化論者を意識しすぎて読み方が偏っているのでは・・・」と思わされることが多いからです。

そうなんですよね。コリンズも、若い地球の創造論は、進化論が出てきた時、無神論者がそれにとびついてキリスト教を攻撃し始めたことへのリアクションとして現在のように極端なものになってしまった、というようなことを言っていましたよね。
「聖書が書かれた当時の文化的な文脈から、聖書記者が記した意図に忠実に読」むということ、本当に、そのことをいつも覚えていたいと思います。いつもいろいろな事柄に目を開かせていただき、本当にありがとうございます!

erinaerina 2008/11/03 08:32 友人との待ち合わせの間に立ち寄った本屋さんにゲノムがありました。
正直、私は科学も理科も苦手ですし、、、読む本のリストに入れていなかったのですが、出会ってしまったという感じで手に取りました。出会ってしまったというより、出会うべくしてという感じでしょうか。とにかく今読み始めています。やっぱり科学は苦手ですが、抵抗の少ない出だしで安心しています。

はちこはちこ 2008/11/03 10:21 erinaちゃん、
ありがとう! もし途中で、科学の記述に挫折してしまったとしたら、途中はとばしても、ぜひ11章は読んでね!(^^)

yuriyuri 2008/11/06 00:44 はじめまして。今回はゲノムの素晴らしい本を翻訳してくださりありがとうございます。一言お礼を言いたくて書き込みさせてもらいます。私はとても感激しまして、主人にも読むようにすすめました。科学と信仰が反するものでないことを本当によく説明してくれていると思います。主人は大学院で工学系の学生を教えていて、科学をかじる一人でノンクリスチャンです。教会の進化論や地球誕生などの取り扱いに疑問を持ちキリスト教を敬遠しています。創造科学の講義にわたしが引っ張っていったときは半分までは聞きましたが、途中で帰ってしまいました。今回のこの本はそのような主人にも納得のいくものだと思います。特に日経新聞で主人も尊敬する中村佳子氏の書評を見つけたとき、主人はこの本を読んでみようと改めて興味がそそられたようでした。今後もどうぞ翻訳でいろいろな本を紹介ください。今後のご活躍を期待しています。

はちこはちこ 2008/11/06 09:16 yuriさん、初めまして!
コメントをありがとうございます。本書は、ご主人のような方に特に読んでいただきたい本なので、このようなご感想をいただき、とても嬉しいです。ご主人が神の存在について、自分のいのち(魂)について、本書を通して真剣に考えるきっかけになればと願ってやみません。ご主人が求める心を抱かれるようになり、主がそれに応えてくださることを祈ります。

うさたろううさたろう 2008/11/09 06:56 > グルーデムの『組織神学』は、日本語訳もあるのですか?

残念ながらグルーデムの邦訳本はありません。教会のみなさまに細々と内容紹介を続けているようなわけで。でも、いつかは邦訳をどこかで出していただけないかと思っています。

今回、何年かぶりで問題のグルーデムの15章を斜め読みしてみたところ、ヒトゲノム解読の数年前に出版された本だけに、有神論的進化論の立場に対しては、記憶していたより点が辛いことに気づきした。DNAのコーディング内容がネズミなど他の生物と似通っていることが解読された現在、どのような意見をお持ちかグルーデムに聞いてみたいような気がしますね。

とはいえ、最初に『組織神学』を読んだときは、福音派の進学者でありながら、科学的データを見る限り、地球の年齢は46億年前後と考えることが最も妥当と思われる、と言い切っている点に保守的な自分としては大きなインパクトを受けたものです。とはいえ、その一方で、聖書の釈義的には、地球をもっと若く考えた方が自然だとも記述しているのですが。両論のどちらかに結論を出すのではなく、今の私たちに与えられているデータに限りがあるため、理解できな部分があるのは当然であり、今後の科学者と神学者の対立ではなく協力が必要であること、最終的には真理が1つであることを訴える柔軟な姿勢に心から共感を覚えました。

肝心の進化論についていうと、もちろんグルーデムは無神論的進化論には断固反対しています。ですが、その論旨や根拠が後のID論者たちが用いるものにかなり傾いているような印象を受けました。もう少し今年中に読み込んでみたいと思います。

ゲノムとは関係ありませんが、そのグルーデムが編集主幹 (?) を務めたESV Study Bibleが届きました。29.99ドルで送料10ドルですから、4000円弱というところでしょうか。安い! 読みやすい! 早速デボーションのおともになっています。

はちこはちこ 2008/11/10 09:31 うさたろうさん、
ダラス・ウィラードの"Renovation"の第12章で、An excellent contemporary writer としてグルーデムが引用されていました! Systematic theology の746ページから聖化について、1パラグラフくらい。

>今の私たちに与えられているデータに限りがあるため、理解できな部分があるのは当然であり、今後の科学者と神学者の対立ではなく協力が必要であること、最終的には真理が1つであることを訴える柔軟な姿勢に心から共感を覚えました。

アーメン!