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God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2011-02-27

Renovation of the Heartリトリート

| 21:07 | Renovation of the Heartリトリートを含むブックマーク

 金曜日の晩と土曜日の一日、うちの教会で持たれたRenovation of the Heartリトリートに行ってきた。名前が示すとおり、ダラス・ウィラードの「Renovation of the Heart(邦訳:「心の刷新を求めて」あめんどう)」という本をベースにしたもの。このリトリートに行くのは実は2度目。一回めは、調べてみたら2008年の4月だった。前回に比べると内容もいろいろ工夫され、今では毎年行なわれる、うちの教会の定番セミナーになっている。インタラクティブにするため、一回に参加できるのは50人くらいまで。

 

 メッセージとか講演のように一方的に語られるのでなく、5〜10人くらいずつのグループごとに座り、パスターのプロンプトに従って、自分で考え、グループで分かち合いながら話しが進んでいった。いくつか私の中で特に印象に残ったことを以下にメモ。

  • 「神を信じるのが困難に思えるのはどんな時か?」→(皆のレスポンス)子どもや愛する人がガンになったとき、祈っている状況がいつまで経っても変わらないとき、現状にどうしても解決の道がないように思えるとき、自然災害で大勢の人が亡くなったとき… When we don't believe in the God that Jesus believed(イエスが信じていた神を私たちが信じないとき)、神を信じるのが困難になるのではないか、とパスター。WWJTAG (What Would Jesus Think About God) イエスが御父について持っていた神観、神像を持つこと。
  • では、イエスが御父について持っていた神観とは? 「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。」(ルカ15:31 放蕩息子の父が、兄に言った言葉) このことを私たちはどこまで信じることができるか。私たちの神観は、どれだけイエスの神観と一致しているか。
  • 「魂の闇夜」 いくら祈っても、いくら聖書を読んでも、いくら教会に行っても、神の御臨在が感じられなくなるとき。遅かれ早かれ、誰でも体験しうること。アメリカの教会ではよく、「When you feel distant from God, guess who moved?」というが、この標語が暗に意味するのは、「神があなたから離れたのでなく、あなたが神から離れたのだ」ということ。しかし実際のところ、神は、時にはご自分から離れて行かれることがある。なぜなら、神は私たちの信仰を自分の感覚(フィーリング)や感情に依存させてほしくないから。私たちを成長させるため。
  • Outcome(結果)をコントロールしたいという思いを手放すこと。
  • イエスのこの地上での人生は、happiest, richest, most fulfilled lifeだったと言えると思うか? イエスの弟子として自分も同じような人生を生きたいと思うか? →皆でディスカッション。私の考えは、「人間的な基準から見たら、必ずしもhappiestだったとは言えないかもしれない。物質的・経済的には決して豊かではなかったし、いわゆる安定した暮らしをしていたわけでもないし、結婚もしなかったし、社会的地位のある人たちからは逆恨み的に妬まれたし、あげくに信頼していた友人からは裏切られたし… 表面的なところを見るなら、はっきりいって、そういう人生を歩みたいとは思えない。しかし、イエス様は確かに『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ』という御父の言葉を信じ、その約束から目を離すことなく、御父の御臨在の中で生きておられた。その意味では、私もイエス様に倣う者として生きたいと思う。そして、そういう生き方をしているなら、暮らし向きがどうのとか、そういうことは関係なくなるのだろうと思う(まだまだそこまで思えるようにはなっていないが)」
  • 「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます(ヨハネ4:14)」 自力で一生懸命頑張るのでなく、内側からわき出る生ける水の川(ヨハネ7:38)をせき止めず、その流れの中に身を委ねること。どのように? 恵みを受け取り、自我を外に(Let grace in & take ourselves out)出すよう、自らを訓練する(「霊的修練」)。Don't try harder, but TRAIN.たいていの人は、一生懸命頑張ったところで腕立て伏せを100回することはできないが、適切に訓練すれば、ほぼ誰でもできるようになる。霊的にも同じこと。
  • 霊的修練とは、私たちをより清いクリスチャン、より優れたクリスチャンにするというわけではない。それは、単に、恵みへのアクセス。
  • すべての人は、それぞれユニークな存在として作られており、神様とコネクトする方法も、人によってさまざま。一般に、「牧師」は大学卒業後、さらに神学校で学んでからなるものなので、概して本を読んだりノートを取ったりという方法が向いている、あるいは慣れているという人が多い。そのため、聖書や信仰書を「読む」、ジャーナルをつける、礼拝の最中にはノートを取るといったことが奨励されることが多いが、そういう活動をしようと思っても、どうしても長続きしないという人がいるのは当然のこと。霊的修練と呼ばれるものにはいろいろあり、すべての方法がすべての人に同じように有益であるわけではない。自分に合ったやり方を見つける。
  • 私たちの感情は、私たちの思い・思考に左右され、行動や習慣も、それによって左右される。したがって、それぞれの領域を神の恵みに開かせるような霊的修練をするとよい。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/28 18:48 すみません、直接にはどれほど関係するか分からないけど、でも何となく繋がりがあるようでもあるので:
なぜ自分のような者が、永遠の命に与るように召されたのか。多くの中から自分が選ばれたのか。自分自身のメリットでないことは明らかなんで。amazing grace that saved a wretch like me...でも、なぜ自分がというのが、どうしても分からない。なぜ、Why??
ローマ8:28 これは何度目にし、口に出しても言ったか分からない句。自己流に言い換えだってしている、こんな風に。I have been called according to Purpose! I know that in all things Father works for the good of those who love Him, who have been called according to Purpose.
それでも気がつかなかった。夕べ、寝る前に見ていたら、いきなり、びびびと、稲妻のごとくやってきますた。
Because Father has His own purpose for me. なんで今の今まで見えなかったのかなあ。
そうなんですよ。I had nothing to do with it. Everything originated with Him. HIS PURPOSE period

はちこはちこ 2011/03/01 14:42 アーメン、人参、シェアありがとう!
何だか鳥肌がたった!(良い意味で)
Yes, Father has His purpose for you! for me, for each one of us! It's His purpose! And we are His hands and feet!

はちこはちこ 2011/03/01 14:52 For from him and through him and to him are all things. To him be the glory forever! Amen. (Rom 11:36)

2011-02-22

折り紙の折り跡

11:23 | 折り紙の折り跡を含むブックマーク

 今朝、車を運転しながらぼんやり考えていた。

 先日も書いたように、ケンが折り紙に凝っていて、しかもやたらと複雑なのに凝っていて、こんなの折れるの?というようなものでも、YouTubeでチュートリアルを見たり、説明のpdfをダウンロードしたりして、いろいろチャレンジしている。

 中でもやっぱり最近のヒットは、先日の折り紙ヨーダ。(こちら)このページからダウンロードできる折り方の説明は7ページにも及ぶ。ケンが随分時間をかけて折っているから、どれくらいできたのかなと思って覗き込んでみると、なんと彼の前にあるのは、しわくちゃになって広げられた折り紙。ぜんぜんできてないじゃない! と思いきや…

 7ページに及ぶ折り方の最初の3ページは、折っては広げ、折っては広げを繰り返し、ひたすら紙に折り跡をつける作業の繰り返しなのだ。鶴を折ったことのある人なら誰でも知っているように、折り紙では、この「折り跡をつける」という作業がとっても大切。折っている最中は、何のためにここをこんな風に折って、しかも結局また広げるのか?と、自分のやっている意味がよくわからなかったりするけれど、折り進むうちに、先ほどつけた折り跡があるおかげで、次の段階がスムーズにきれいに折れるのだと気づく。先人の知恵に舌を巻く。

 1時間ほど時間をかけて、折り方説明の3ページ分をひたすら折って、ようやく到達したのが折り跡だらけの一枚の紙っきれ。折り始める前のまっさらな折り紙と比べると、よれよれでみすぼらしくさえ見える。でも、ここには次のステップに進むために必要なものが詰まっているのだ。

 人生も似たようなものなのかもしれない。いろいろなことを学び、経験を積み、前進してきたはずなのに、ふと気づくと、まるで振り出しに戻ってしまったかのように感じるときがある。「ぜんぜんできてないじゃない!」「何も形になってないじゃない!」そう感じて、ショックを受けるときがある。でもそうじゃない。振り出しに戻ったかのように見えても、今ここにいる私には、次のステップに進むために必要な、たくさんの「折り跡」がついている。失敗した跡ではなく、神の似姿へと完成されようとしている私に必要な「折り跡」。それは、人生の「折り紙マスター」である神様の御手によって、確信をもってつけられた跡。神様のつける折り跡に、一つも無駄はない。

D

かきごおりかきごおり 2011/02/23 16:10 ですよね。振り出しには戻らない。完成に向けた必要な「折り跡」。失望しないで、大胆に歩ませていただきたいです。ちょうど先日の雪とここ2日の冷え込みで、春までの歩みが「振り出しに戻る」感があったこともあり、「・・・だよねえ」とうれしく読みました。

kurikskuriks 2011/02/24 01:31 どっかで聞いた話だなぁ。。。と思ったら、むかし自分でブログに書いていたのでした。読んでみたら、はちこさんのコメントもしっかりありました。先人の知恵、ですね。私は今、新しい折りスジをつけているのか、昔の折りスジを辿っているのかなぁ・・・

たんぽぽたんぽぽ 2011/02/24 06:28 ケン君くらいの年ではすごい集中力ですね。
すばらしい!

今年は公的なところはお休みするのにしました。
まわりに不思議がられました。
公務員になれるキャリアをお休みするのはクリスチャンしかいないよね、多分。まわりの理解が得られるように祈ってください。
もう少しだけど、まだまだ大変。資料つくりの途中で来ました。
折り紙の折り跡について考えさせられました。
たんぽぽはキリスト教主義のところで仕事をするので、広い意味では
献身になります。今までは人の半分しか働いてなかったのに、フルタイムで
体力大丈夫かなって心配です。(準備の時間は必要だったけどね)
せっかくのチャンスなので、体力も与えられるように祈ってね。

お疲れ気味です。祈ってね。
一度はダーリンに守ってもらいたいたんぽぽ嬢でした。

たんぽぽは社会経験があるけど、この世界は狭い世界なので、
そういうことは嫌われます。経験が大事なので。

本当に御心って思わない前に進めないよね。
お仕事がない人たちのことを思えば幸せだ

キャリアコンサルタントの人にはラッキーって言われて、自分もそうなのかは、
うーんわからないの。体力大変だからね。

体力・気力が充実していないといけないから。せめて励ましてくれるダーリンが
ほしいなあ。

子供たちとはいったんお別れです。毎日大好きって抱きついてくれて
つらいです。あと少し、がんばります。

新しいところの子供たちも待っててくれます。
みなさんに祈って頂けるとうれしいです。

SGに行けるようになりたいなあ。

はちこはちこ 2011/02/24 11:09 かきごおり先生、
そちらのブログも拝見しましたよ〜!
クリスマスのときといい、同じときに同じことを語られていると、おおっっ!と思います。嬉しいですね。
あと、雪の中に落とした車のキー、見つかって本当によかったですね。うちでもやりそうな話しなので、ドキドキしました。

くりちゃん、
覚えてるよ〜!で、私は、日本の母教会の牧師婦人から聞いたというコメントをしたんだったよね。そのときのこともありありと覚えてるの。今回、このヨーダの折り方を見ていて、一時間かけてひたすら折り跡をつけ、またぜんぶ広げてしまうのに打ちのめされたのね。そして、ビデオを見ると、折っている人が確信をもって丁寧に折り跡をつけている姿に、その手が神様の御手と重なって…(涙)

たんぽぽさん、
学校でのお仕事、お休みされたのですか? 休息が必要なときには、思い切って休むことも大切ですよね。たんぽぽさんの人生でも、神様がいろんな折り跡をつけておられるのですね。せっかくここまで折ってきたのに、また全部広げちゃうの?という段階では、不安もあるかもしれませんが、折り紙マスターの確かな御手の中にあることを信頼して、安らぐことができますように。
あと、ダーリン。たんぽぽさんにダーリンが与えられるよう祈っていますが、ダーリンは救世主じゃないから、たんぽぽさんに必要なもののすべてを未来のダーリンに求めていると、あとでがっかりしちゃうかもしれないし、ダーリンとなるべく人が現れたときに、気づかないかもしれない…かな、と思いました。でも、祈っていますよ! 今日の私の祈りのジャーナルにも、たんぽぽさんのこと書きました!

はちこはちこ 2011/02/24 13:01 あ、書いただけじゃなく、祈ったからね〜!

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/24 13:32 ついでにぼくのハニーのこともお願いします。

kanahakanaha 2011/02/24 23:27 はちこさん

折り紙の折跡ね〜。
凄くよくわかります。娘が折り紙少女だったので、横で見ていて不思議だった思い出があります。
わたしはこうも思いました。
折跡だけはつけたけど折り紙が完成していないように思える時があると思うのです。そういうことの方が多いかもしれません。
でも私たちにはその折跡をご存じな方がいるから幸いだなと。
人間の目から見たら「何を無駄な」とか「回り道」かもしれないけれど、「全てのことは益になる」…この御言葉があるから、がっかりしなくても大丈夫だと、特に若い人たちに伝えたいです。
本当に良い例えです!

たんぽぽさん
ダーリンを待ち望む気持ち、わかりますよ。
けれど、夫婦は一方的に守って貰うと言うより、双方が守り守られるものだと思うのですよ。ダーリンが与えれても試練はあるしね(笑)
それで全て解決しないところがある意味楽しいのかも。
いつも心を開いてコメントされているのを読んで、陰ながらお祈りしています。
気力体力が守られますように!ダーリンもね。

はちこはちこ 2011/02/25 10:58 人参
了解! 今朝祈ったよ!

kanahaさん、
「すべてのことは益になる」本当にそうなんですよね!  
わからないことはたくさんあります。でも、善い御父なる主が導いておられる、そのことに信頼できるのは私たちの特権ですよね。

たんぽぽたんぽぽ 2011/02/26 10:50 ありがとうございます。
ニンジンさんのコメントに笑っちゃいました。(みんな切実なのね)

社会人のミニストリーに行ってきてお仕事があるだけで幸せなんだなって思いました。就活をしてる人も今は多いね。デスクワークがいいと言っていると正直、みつからないです。みつかるのは20代までじゃないかな。たんぽぽもがんばって体力勝負のお仕事なので、相談にのってあげても、いらっとくるときもあります。
体が弱いなら鍛えろよって思って・・・。(おいおいって感じだけど・・・・)当に何でもする覚悟じゃないとみつからないの。私は介護の仕事の面接も受けてました。みつからない人は現実認識がないです。そんなに世の中甘くない!私が今の仕事ができるのは、勉強と仕事しかしてこなかったからです。ちゃらちゃら恋愛しててキャリアは積めないよね。

本当にさっさと介護の資格取って就活しなよと思うのでした。
よく相談乗るけど。本当にリーマン以降はないのよ、仕事。
(って教会でよく言われてるから書くけど。お年寄りのクリスチャンにはよく言われます)
イメージ悪くなっちゃうかな(;一_一)相談されるけど、決まらない人本当に決まらないんだもの。

はちこはちこ 2011/02/27 17:06 たんぽぽさん、
アメリカも失業率は上がっていますが、日本の就職難も相変わらず大変ですね。
最近、「労働」ということについて考えさせられていて、働くって、ただ自分や家族の食いぶちをかせぐためだけのものでなく、社会の一員としての責任でもあるのだなぁ、なんて思わされています。(専業主婦が家族の世話をするのも、間接的に社会への貢献になっているはずですよね。)

2011-02-20

IVCF WinterFest

08:06 | IVCF WinterFestを含むブックマーク

 シカゴ大学のInterVarsity(日本のKGKのような超教派のキャンパスミニストリー)のスタッフにお招きいただいて、WinterFestというシカゴ周辺の複数の大学の学生が集まる二泊二日の修養会の、土曜日の午後の部にだけ参加させていただいてきた。

 スタッフから招待された大学関係者や地域の牧師さんたちのための「スペシャルゲスト」枠だった。つまり、参加費は無料で、さまざまな分化会を自由に見て歩いていい、というもの。最初にスペシャルゲストだけ小さい部屋に呼ばれ、そこでビデオプレゼンテーションなどがあった。この枠の目的は、InterVarsityのミニストリーを知ってもらい、協力を求める、ということらしい。

 私は留学生のときにIVCFのミニストリーに関わっていたので、説明を受けるまでもなかったけれど、JCFNに関わる者として、彼らがこういう方法で支援者をつのろうとしているのを見れたのは、とても参考になった。

 今回の修養会は、学生の参加者400人強(うち、50人がノンクリスチャン)、スタッフ30人強、ボランティア50人強。会場はシカゴ郊外のホテルで、食事、宿泊込みで学生は$120。安い! 2月半ばの閑散期だからだろうが、それにしても安い!

 シカゴ大学からは、今年は80人の参加者があったそうだ。去年はその半分の40人だったのが突然倍増したそうで、スタッフは、「神様は今、シカゴ大学のキャンパスで大きく働かれています!」とおっしゃっていた。

 ひとつ気づかされたのは、学生の人種層にほとんど偏りがなかったこと。白人、黒人、アジア人、ヒスパニック系と、どのエスニックグループも、まんべんなくいた。あえて言えば、スタッフも含めてアジア人がいちばん多かったかも。またスタッフの話によると、どのキャンパスに行っても、アジア人が多いと言っても日本人学生はとても少ないとのこと。そういえばJCFNのO主事も、近年アメリカのキャンパスで日本人留学生の数が激減していると言っておられた。たとえば、かつては40人の日本人留学生がいたのが、今では4人だけとか。留学生だけでなく、日系人の学生も少ない気がする。

 さて、内容は、いくつものトラック(分科会?)に分かれ、基本的にトラックごとに一日が進み、途中何度か、さらにスモールグループに分かれての時間があったり、各大学ごとに集まる時間があったり、全体集会があったり。

 トラックで特筆すべきは、50人のノンクリスチャンが集っていた「Finding God」というもの。ゲストたちは、どのトラックも自由に出入りしていいですが、この「Finding God」にだけは行かないでください、と最初に言われた。なぜかというと、参加者たちがとてもvulnerableになって心を開き、深いレベルでの交わりがなされているので、見知らぬ人が出入りしているとよくない、ということらしかった。このトラックの説明を見ると、各セッションが「壊れた関係」「回復された関係」「癒しのために共に送り出される」となっていた。こういう話がノンクリスチャン向けのトラックでなされている!? すごい。神様のことを知りたいと思って集まってきた50人のノンクリスチャンの学生たちが、安全な環境で自分の内側をさらけだし、主に触れてもらおうとしているのかと思ったら、ゾクゾクした。土曜日の夜の全体集会では招きの時間などがあるとのことで、スタッフたちは、おそらく大勢の人たちが応答するだろうと言っていた。全体集会は始まる時間が9時からで、かなり遅くまで続くとのことだったので、私たちは一足先に会場を後にしたのだけれど、あとからスタッフにメールして、何が起こったかぜひ尋ねようと思う。

 それ以外のトラックは、「Transformed life, transformed community, transformed world」というテーマのダニエル書からの学び、「収穫のとき」というテーマでのマタイ福音書からの学び、男性向け、女性向け、キャンパス伝道、これから社会に出る4年生向け、とりなしの祈り、などなど… 土曜日の夜から日曜日の午前中までの短いコンファレンスだけれど、中身が濃そうでした。ダニエル書やマタイからの学びでは、どちらもがっつり「帰納的聖書の読み方」が用いられ、私も学生時代を思い出してなつかしかった。

 大学生だからか、皆さんエネルギーに満ちていて、夕食の時間にはいきなりflash mobが始まったりして、面白かった。(笑)

 限られた時間だったけれど、とても有意義な時を過ごさせていただき、感謝だった。

追記:この晩、15人の大学生が新たにイエス様を救い主として受け入れたそうです!

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/20 22:24 9.11以降、アメリカではスピリチュアルな面でも本物志向が広まった、とくに若い人のあいだでそうだ、ということを聞いたことがあります。建前ばかりの薄っぺらなreligionではなくて、もっと何かがっしりした物を欲しがっている。だから、例のPurpose Driven Lifeを小脇に挟んでStarbucksに入っていく、なんて光景も珍しくない。あれが爆発的に売れたのはひとつの表れだと。これ、そっちに住んでいて、どのように感じますか?

はちこはちこ 2011/02/22 10:28 本物志向、と言えるのか分からないけれど、特に若い人たちの間で、既成教会にとらわれない動きが出てきているのは本当です。「ジーザスは好きだけど教会(やクリスチャン)は嫌い」みたいな発言も、よく耳にします。これまでの既成教会の型にはめたやり方に対する、一つのリアクションかと思います。
この記事も参照にしてみてください。
http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20100806

はちこはちこ 2011/02/22 12:35 人参、
こんな記事も見つけたよ。
http://philologus.wordpress.com/2011/02/22/the-lactose-intolerant-christian/

はちこはちこ 2011/02/22 12:43 それから、この本も。Next Christians: The Good News About the End of Christian America

http://www.amazon.com/Next-Christians-About-Christian-America/dp/0385529848/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1298399947&sr=8-1

今、過渡期にあるんだな〜って思います。一過性のブームに乗るのでなく、神様がどこにHis beloved Churchを連れていこうとしておられるのか、惑わされずにちゃんと見つめたいと思います。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/22 14:31 八月の記事は、HK滞在中も見せてもらいました。んん、なかなか難しい問題。ぼくなんかにゃ何とも言えません。
でも、エクレシアはキリストの体にして花嫁。この終わりの時代、目に見える状況がどうであろうと、神様は一点穢れのないエクレシアを子羊の為にととのえつついられるのだと思います。ここに集まる兄弟姉妹の一人一人も、エクレシアではないでしょうか?
きっとそうですよ。ブログだって立派なエクレシアでありうる。信徒が集まり励ましあい、礼拝する。ネットだろうと、礼拝堂の中だろうと、あるいは薬師池パークの芝生の上だろうと、大事なのは信徒の一致と愛ではないでしょうか?ほんものであることではないでしょうか?

ヒソカヒソカ 2011/02/23 18:05 日本人の海外留学生は激減しています。少し前にも日本のニュース番組でそのことが取り上げられていました。理由はいくつかあります。「留学してから帰ってくると、就職に不利になる」と番組で答えていた人がいましたが、留学後の受け皿が構造的にできていないのです。それにもかかわらず、「留学しろしろ」とアナウンスする方が無理なんです。海外の教育機関が悪いわけではなく、日本の側が留学に関わることを十分に考えず、「留学生激減→数を増やさなければ」という短絡的発想で事に当たっているのが悪いのです。単純化して言うと、ですよ。なぜ留学するのか、留学するとはどういうことか、留学してから帰ってきてどんな貢献が故国にできるのか、その場はあるのか、そこまで制度的に整っていないと、いくら費用は無料といっても、行く人はいません。もっとも、留学しない学生の視野も狭い気がして、日本の内側について言えばどちらが悪いとも言えないのですが。反対に、学生ではないが、様々な事情で学生時代、留学できなかったので、留学したいという人はたくさんいるから、そういう人に門戸を開けばいいのに、それはなぜかしないんです。日本人の留学生を増やすなら意欲のある人に行ってもらった方がいいはずなのに。

はちこはちこ 2011/02/24 11:39 人参、
そうね、私も、こんなブログのコメント欄であっても、信徒が集まるならば、それはキリストの身体だと思います。
信徒が集まるからといって、それがいつも主の愛に溢れた麗しい交わりとは限らない。みんなキリストの似姿へと変えられる過程にある者同士だから、ぶつかりあったりすれ違ったり、距離をとってしまったりということもある。そういうことを通して、私たちの忍耐や品性が練られていることが大切だと思うので、ブログのコメント欄であれ、教会であれ、信徒の集まりの中でコンフリクトがあること自体は問題ではないと思うのですが、たまたま集まっただけのグループだと、コンフリクトがあったときに、腰をすえてそれをresolveしようとせず、そこから逃げ出すことが容易になってしまう。そして、別の「気の合うグループ」の中に行って、自分たちは愛し合っている、と満足してしまう。その意味で、なんのコミットメントも要求されないこういう自然発生的な交わりも尊いし、大切にしたいけれど、地域教会としてのエクレシアも、たとえ自分とは考えやウマが合わない人がいるとしても、やっぱり大切だと思うのよね… だって、頭に手だけがいっぱいくっついていたり、足だけがいっぱいくっついてたりしたら、怖いじゃない?

ヒソカさん、
留学後の受け皿が構造的にできていないというのはそのとおりだろうと思います。でも、留学生の数を増やさなければという短絡的発想で、「留学しろ」とアナウンスしている人がいるのですか?

あと、留学することに関して、自分なりの考えやゴールがあることは大切ですが、留学の一つの醍醐味は、異国に行って暮らすことでそれまでの自分の考え方や価値観に、まったく違う角度からのチャレンジが与えられて、時にはそれが打ち砕かれることもあることだと思うのです。留学前にあれこれ考えて自分でコースを定め、制度的にも受け入れ態勢が整っているからといってする留学であるなら、留学しなくてもいいんじゃないかとさえ思います。
海外に出て、まったく違う人間になって帰国する人は、少なくないと思うんですよ。良い意味での「こんなはずではなかった」体験、というか… 海外に出て初めてイエスに出会ってクリスチャンになる人というのは、まさにそれですよね。

あと、社会人になってから留学する人も、けっこういると思います。大学卒業後、数年働いて資金をためてから留学するとか、仕事の現場で経験を積んだあと、さらに新たな知識やスキルを求めて留学する人とか。こちらにいて、結構そういう人たちに出会います。むしろ学生のうちに来る人よりも、そういう人の方が多いかもしれない。誰でもかれでもフリーパスで行けるものではないですが、本気で行きたい人のためには門戸は十分に開かれていると思います。行く前から先のこと(帰国後の就職とか)を心配し過ぎて、出られなくなっている人が多いのでしょうかね。経済的なこともありますから、簡単ではないのはよくわかりますが。

はちこはちこ 2011/02/24 11:44 もちろん、「海外に出てみれば、何かあるだろう」という漠然とした思いだけで留学することは、確かにお勧めできないのですが…
自分なりの目的意識は持って来てほしい、でも、それに凝り固まるのではなく、こちらで出会うものに積極的にチャレンジされる柔軟さも持っていてほしい、そんな感じかな…

はちこはちこ 2011/02/24 12:03 人参、
そういえばね、私がちょくちょく覗いている英語のブログがあって、そこではものすごくいろんなトピックが扱われているんだけど、いつもとても興味深いディスカッションが繰り広げられています。
Jesus Creed
http://www.patheos.com/community/jesuscreed/

記事の数も多くて、全部はとても読み切れないんだけど、興味のあるトピックだけ拾って読んでいます。内容もさることながら、そこでディスカッションしている人たちの姿勢にも学ぶことが多くて。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/24 13:12 >地域教会としてのエクレシアも【ぼくは「教会」という漢語そのものに拒否反応めいたものを覚えずにはいられないのですが、、、】たとえ自分とは考えやウマが合わない人がいるとしても、やっぱり大切 ← ぼくも同感です!(と言いたい)
ついでながら、いささかも誤解の残らないように(少なくとも、はちこ様には誤解されたくないので)言い添えますが、人参めがEVNからfall awayしたのは、EVNに問題があったからでは全然なく、ひとりおのれの不信仰がもたらした結果です。(哲学のなんのと、人智に頼ろうとする悪心。これはエレミア17:5が災いの原因として名指しするところです。まあ、身をもってレッスン料を払ったわけであります、、、)そんな者にたいしても、神様は真実であられます。はじめて改心して洗礼を受けたとき、全身全霊をもってコミットしたことは本当なので、ミ言葉どおり、神様はお見捨てにならないで、ちゃんと引き戻してくださいました。God's gifts and His call are irrevocable...

はちこはちこ 2011/02/25 10:59 人参、
EVNの件は、大丈夫、誤解してないから!
God's gifts and His call are irrevocable. アーメン!

2011-02-17

クレオパさんに捧ぐ…?

16:16 | クレオパさんに捧ぐ…?を含むブックマーク

D

 クレオパさん、ライバルが現れましたね? (ニヤリ)

クレオパクレオパ 2011/02/17 23:35
げ、げ、ギョ、ギョ!

この的確な指揮ぶり。いったい、どういうわけ??
この事態に理解が及ばなく頭が真っ白です。
私の技量(指揮マネ)の遠く及ぶところではありません。(笑)

小太りの男の子が可愛いだけでなく、その指揮の的確さ、多様さ。

とくに冒頭の、指揮棒を右手から左手に持ち替える落ち着きぶり。
カッコいいといったら。こんなこと、素人が思いつきません。

曲への熟知が半端でなく、テンポ、強弱、アッチェラランド、ときに声をあげての指示、右手、左手の使い分け。流麗な場面の腕の動き。さらに楽器類(第一Vn、第二Vn、管楽器等)がどこにあるか、ちゃんと意識して指示。。。

む、む、む。熟練した巨匠の域に達しています。後半になると、鼻の汗まで拭いている。理解しがたいです。

曲は「運命」の第四楽章。とくに最後の集結部がしつこいので知られています。(「ここまでひっぱるかい、どこで終わるの?」)という感じ。ベートーベンが37歳頃作曲。

でも、この坊や、ここまで見事が指揮ぶりで来て、最後をどう閉じるか、ハラハラしながら見ていましたが、なんと見事な「落ち」があって、爆笑しました。
可愛いですね〜。

でも、こういう問いが生まれます。「この年で、なんでこんな熟練した指揮ができるのか? 風格もある。不自然だ」と。

そこで、しばし瞑想ののち(笑)、閃いたのは、「この動画は、DVDを見ながら真似している。それも、ふだんからよく遊んでいて、身についている」

そして、この、どこかで見たようなスタイルは、華麗な指揮ぶりで知られる故カルロス・クライバー! かっこいい姿で今も熱狂的なファンがいます。

「のだめ」で有名になった第七交響曲から第三楽章でクライバーの姿が見られますよ。
きっと、クライバーのDVDを見ながらまねていると思います。
しかし、いやー、楽しませていただきました。ありがとうございます。

http://www.youtube.com/watch?v=OiEt9y_r-og

クレオパクレオパ 2011/02/18 09:14 ネットで調べましたら、クライバーで第五のDVDはなさそうです。
知ったかぶりしてすみません。
たぶん、アメリカで手に入りやすいバーンスタインのDVDかもしれません。
やはり情熱的な華麗な指揮で知られています。
それにしても、すごい坊やですね〜。
一度、本物のオケを振ってもらったらどうでしょう。

はちこはちこ 2011/02/18 11:31 クレオパさ〜ん、
お楽しみいただけてよかったです!^^
いや〜、この少年、本当にすごいですよね。音楽に合わせて適当にタクト振ってるのでなく、ちゃんと次に何がくるのか分かっていてやっている… そうか、ところどころ身体の向きを変えるのも、オケの位置関係を分かったうえでやっていることなんですね。ご指摘のように、DVDを見て学んだのでしょうが、それにしても3歳で、これだけ長い曲を聴き込んで、指揮者のやっていることをこんなに再現できるなんて、ただ者じゃないですよね。
彼の動きに、指揮者のやることをよく観察しているな〜と関心しました。
カルロス・クライバーという指揮者のことは、初めて知りました!彼の指揮の様子、さっそくご紹介のビデオで楽しませていただきましたよ!この少年が腕をぐるぐる回すところとか、確かにクライバーに似ていますよね。バーンスタインの、踊るような指揮も観客を楽しませてくれますよね。(YouTubeでしか見たことないですが)

ジョナサン君、将来が楽しみですよね〜。期待して彼のデビューを待ちたいと思いました!

はちこはちこ 2011/02/18 11:36 そういえば、以前クレオパさんに教えていただいたドゥダメル、ロサンゼルスフィルの指揮者になって、今アメリカにいるんですよ。彼の指揮する演奏をライブで、全米のselected映画館で観ることができる、というのを今やっているんです。
http://www.laphil.com/LAPhilLIVE/
チケット取ろうと思ってたのに、忘れてた〜。今からでもとれるかな…

通りすがりの者通りすがりの者 2011/02/18 18:40 ヨコですが…
この少年のyoutubeモトサイトによると、カラヤンの指揮を見ているようです。

たんぽぽたんぽぽ 2011/02/18 19:26 すごーい!才能ありますよね。最後かわいいですね。

クレオパクレオパ 2011/02/19 03:19 はちこさん
そうでした。ドゥダメルは、いまアメリカなんですね。彼のエネルギッシュな指揮でファンが増えるでしょう。全米に演奏会の中継をするなんて、デジタル放送が可能にした新しい取り組みですね。ベルリンフィルも、ネット中継を見られるのではなかったかな〜。

クライバーは、カラヤンの後継者として楽団員が第一候補に推挙した人ですが、その最高峰のポジションを断った人です。世界一の優雅でエレガントな指揮者と言われました。演奏者も思わず見とれてしまうくらいに。笑) 彼のあらゆる演奏は最高水準質です。
6−7年前に亡くなりました。残念。

通りすがりの者さん
なるほど、カラヤンですか! ありがとうございます。たしかに両腕を下ろして、ぐいぐいと前に突き出す振り方は彼ですね。気づきませんでした。目をつむったり自己陶酔的に指揮すれば、彼と分かりましたが、足踏みしたり、最後に、パチン、パチンと手を打ってテンポを取るのは、バーンスタインならやりそうかも、と思ったものですから。

ここまでの細かな表現力をもジョナサン坊や、すごいです。
800万以上のビューアーがいるうようで、世界中を楽しませてくれていますね。

祈り祈り 2011/02/19 07:36
劇場映画「ヤコブへの手紙」を見に行きました。
祈りについて考えさせられました。
東京近辺にお住まいの方是非お勧めいたします。

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=11608

はちこはちこ 2011/02/19 08:45 通りすがりの者さん、
本当だ、ちゃんと書いてありましたね!ご指摘感謝!

たんぽぽさん、
すごいよねー! 私、もう何度も観ちゃった。

クレオパさん、
クレオパさんのおかげで、いろいろ世界が広がって感謝です!
YouTubeのおかげで、DVDを購入しなくても、指揮者の動きや表情を見ることができて、感激です。まぁ、私のようによくわかっていない者には、ドゥダメル以外はみな同じように見えてしまいますが…(汗)でも、とても楽しいです!

祈りさん、
情報ありがとうございます! 公開は、東京近辺だけなのですか?

祈り祈り 2011/02/19 20:15 劇場映画「ヤコブへの手紙」
銀座テアトルシネマの案内です
ここからオフィシャルページを見てください。

http://www.ttcg.jp/theatre_ginza/nowshowing

銀座では3月4日までです。

ヤコブヤコブ 2011/02/19 20:42 全国ロードショウでしたね。
よかったです。

たしんたしん 2011/02/20 07:13 私はこの子のエアギターを見たい(笑)。

はちこはちこ 2011/02/20 11:31 祈りさん、ヤコブさん、
「アメージングレース」も良い映画だそうですね!
http://www.amazing-movie.jp/
こういう映画が日本で公開されるのは嬉しいですね。

たしんさん、
私も。(笑)

2011-02-15

メモ:豆乳で生クリーム代用

14:56 | メモ:豆乳で生クリーム代用を含むブックマーク

 タイトルの通り。生クリームを用いたパスタソースなどは、豆乳でクリームの代用ができるらしい。一度試してみないとどんな具合かわからないけれど、これでうまくいくなら、グッとカロリーを減らせていいじゃないか。

(そういえば、また「はてなダイアリー」の仕様が少しかわって、ツイートボタンが各記事ごとにつきましたね。どうせなら、Facebookにシェアするボタンとかもつけばいいのにね?)

メモ:Missional Community

10:59 | メモ:Missional Communityを含むブックマーク

 取り急ぎ、メモだけだけど、今日のJesus Creedのブログ記事に、先日の太田和氏のコイノニアの記事で触れたことと同様のことが話題になっていた。

 聖書を読む、祈る、瞑想するなどのいわゆる「霊的修練」は、それ自体が目的なのではなく、真の目的に達するための手段であること。そしてその目的とは、「神を愛し、隣人を愛する者となること」。Jesus Creedでは(この記事だけでなく他のいろいろな記事で)、さらにそれを個人の霊的形成の問題としてだけでなく、主にあるコミュニティーレベルに持っていくためのディスカッションがなされている。いわゆる、Missional community.

 マクナイト氏は、それをすでに本にもまとめている。

One.Life: Jesus Calls, We Follow

One.Life: Jesus Calls, We Follow

Editorial Reviewより:

In his latest book, McKnight, a professor of religious studies at North Park University in Chicago and the author of the acclaimed Jesus Creed, argues against the Christianity he was taught in his youth, an interpretation he finds overly fixated on the personal piety of believers rather than their influence in society. He contends instead that Jesus called believers to action and to the establishment of a world of justice, compassion, and peace.

 ただ、私はまだこの本を読んでいないから何とも言えないけど、influence in societyがゴールであるかのようになると、それもまた違うような気もする…


追記:最近Missional communityという言葉/概念をよく耳にするようになったと思ったら、うちの教会のcommunity life pastorのブログにもその話が出ていたので、リンク。

そしてMike Breenのブログもメモ。

 全部読んでる時間はないけど、あとで思い出して読みたくなるかもしれないからね。

マハロマハロ 2011/02/16 01:33 >聖書を読む、祈る、瞑想するなどのいわゆる「霊的修練」は、それ自体が目的なのではなく、真の目的に達するための手段であること。そしてその目的とは、「神を愛し、隣人を愛する者となること」

素晴らしい。うなずけます。
ありがとう。

はちこはちこ 2011/02/17 10:01 マハロさん、
こちらこそありがとう。こちらにも関連記事があります。
すでに読まれておられるかもしれませんが…
http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20100414

piyopiyo 2011/02/18 10:27 先々週はビデオ礼拝をしたのですが、
その時も「『ビジョン』と『ゴール』と『バリュー(ライフスタイル)』をいっしょくたにしてはいけません」というようなことが語られていました。
(『ビジョン』は、皆がイエス様を信じて救われること、
 『ゴール』の1つは、「神を愛し、隣人を愛する者となること」、
 『ライフスタイル』の1つに、「霊的修練」
 ということでしょうか。。。)
今、全世界に語られていることの1つなのかもしれませんね。
(ビデオはJesus Lifehouse Church Tokyoの木村師のものです)

ヒソカヒソカ 2011/02/18 11:06 キリスト教会もかなり「自己実現イデオロギー」に染まってしまったという印象を抱いています。ビジョン、ゴール、そしてライフスタイル。教会の外だけでなく、教会でこそ、今、流行りですよね。

 しかし、そのヴィジョンって何ですか。自分の願望が果たされる夢を語る言葉として用いているのではないでしょうか。一見、聖書にかこつけて「わかりやすい」お話をいろんな牧師がしますけれど(日本でもアメリカでも)、そんなわかりやすいキーワードにまとめられる「福音」に果たして、人間らしく生きさせる力があるのか疑問です。聖書の語るヴィジョンは、向こうからやってくるものです。そうならば、自分の願望成就を望む口調にはならないのではないでしょうか?

 私が問いたいのは、ビジョンとかゴールとかライフスタイルとか霊的修錬というものに熱中できるのは、自分の直面している苦しい現実に目をつぶれるからではないのかということです。それに「霊的修錬」という言葉自体、なんかうさんくさいです。むしろ自称パリサイ人の私は、厳しい現実を前にして立ちつくすことを選びたいです。


 それから、キリスト者は自らのことを「救われた」「救われている」と表現しますね。では、キリストを信じていない人は「救われていない」人ということですね。そうカテゴライズされる人の気持ち、考えたことはありますか?「救われている」という言葉を、私は不用意に使いません。どうしても排他的な響きが出るからです。単に「洗礼を受けています」とだけ言います。どうしてそれではだめなのでしょうか?わざわざ「救われている」と言う理由を教えていただけませんか?

はちこはちこ 2011/02/18 11:43 piyoさん、

ビジョンとゴールとバリュー、最近教会でもよく聞きますよね。そして、カタカナ用語が並ぶと、それぞれが何を意味しているのか、どう違うのか、混乱しますよね。そういえば、以前、出版社あめんどうのクレオパさんが、そのトピックでブログ記事を書いておられたような…
http://amendoblog.blog137.fc2.com/blog-entry-364.html

流行言葉のようになってしまったので、いろんな人が口にしていますが、それが何を意味するのか、特に教会でそれが語られるとき、何について語っているのかが、明確にされる必要がありますよね。そのビデオは、ネット上では配信されていないのですか?

はちこはちこ 2011/02/18 12:48 ヒソカさん、
そう、ほんとに今、教会の中でもこういったことがよく言われるようになりましたよね。ビジョンもゴールもバリューも、本来私たちの歩みに方向付けを与えてくれるはずのものなのでしょうが、時折、強調されすぎかも?と感じることもあります。

「霊的修練」という言葉は、私もうさんくさいと感じます(笑)。Spiritual disciplineという言葉に対する、苦肉の策の和訳なのでしょうが…。霊的訓練という言葉が当てられたこともありましたが、訓練だとまるで軍隊みたいだし、ということで、最近は修練と言われることが増えたみたいです。でも、どちらにしても、あまり取っ付きやすい言葉ではないですね。

ヒソカさんのご意見、どうもありがとう。内容には私は必ずしも同意しませんでしたが、たえず自分の言葉や意識に問いかけをするのは大切なことですよね。

「救われた」「洗礼を受けている」の件は、なぜ急にそういう質問が出てきたのか、関連がよくわかりませんでした。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/18 13:28 神を愛し、人を愛することが、キリスト信仰のキリスト信仰であるゆえんと言ってもいいかと思いますが、これは「人間らしく」生きることとはちょっと違いますね。仮にそう定義するとしても、いろんな但し書きを付け加えなければならない。(もちろん、ヒソカきょうだいは百も承知でしょうが、、、)いえ、決して議論のための議論をしようというのではありませんよ?やはりここは注意するに越したことはない。それはなぜかなら、ひろく誤解されていることに、to be a Christianとは、to be a good personだ、というのがあって、これは100%誤りだからです。(ここに集まる方々には、そんなことは分かりきっている、いちいち書くなと言われそうですが、まあ、一応念のため、、、)(最近、自分はクリスチャンだ自分はクリスチャンだという英国人女性とお話する機会がありました。だんだん判ったのですが、その女性が言うのに、自分は神様の存在を信じる、故郷の教会では洗礼名を授けてもらったし、たまに日曜礼拝にも出席する、必ずしもイエスがSon of Godであるとは考えない、でも自分はそれには拘らない、to be a Christianとは、to be a good personだと思うから、というのでした。クリスチャンを名乗る人でさえこうなのです、、、)
それから、厳しい現実を直視して、それを噛み締めながら立ち尽くすなり、あるいは勇ましく立ち向かって行くなり、というのも良いでしょうが、神様はもっと別の方法を提案してくださいます。それは、目に見えるものによって歩むことはよして、信仰によって歩む、という方法です。やってみれば分かりますが、これも中々難しい方法です。一種の逆説ですね、目に見えないものを、信仰によって見る、そしてそれに向かって進んでゆく。でも、そうすることによって、アブラハムやノアなどは神様とともに歩む特権を得た。
ぼくも、公で「救われた」という言葉を使うのに抵抗を感じる一人です。確かに自分は救われていると信じます。けれども、ヒトさまのことは分かりません。最終的に決めるのは神様です。ところで、また何かと反対意見をいうようですが、ぼくは洗礼を受けたとも言いません。「洗礼」についても非常な誤解が行われていて、全然意図しない意味に取られる恐れがあるからです。(例えば、件の女性も「洗礼」を受けたと言っているあたり。)
どなたも気を悪くしないでくださいね。ぼくは、はちこさまのここを「兄弟姉妹と考える場」とも捉えているので、つい余計な投稿をしがちのようです、、、

piyopiyo 2011/02/18 16:58 >最近教会でもよく聞き…
>流行言葉のようになってしまった

そうなんですね!!
メッセージは↓から見られます。
一番下の『ビジョン・ゴールそして価値観』という題です。
http://jesuslifehouse.tv/archive/2011/1
(私は、Jesus Lifehouseに所属してるわけではないのですが…)

はちこはちこ 2011/02/19 08:38 piyoさん、
リンクありがとうございます!

人参、
はい、この場をみんなで考える場として使ってくれるのは嬉しいです。私自身は毎回ディスカッションの中に入っていくことはできないけど、「愛神愛隣」のグランウンドルールさえ守られていれば、自由にやってください!

ヒソカヒソカ 2011/02/23 17:43 >はちこさん
 「救われた」「洗礼を受けている」は、私の前のpiyoさんのコメントにあった「『ビジョン』は、皆がイエス様を信じて救われること(という意味)」についてのものです。唐突でしたね、すみません。
 それから、教会に限らず、自分でもよくわかっていないカタカナ語を使う人を基本的に私は簡単に信用しません。安易にカタカナを使い、それが日本で言うとどういう言葉になるかを考えようともしないのは、まずいと思います。これは、「福音はすばらしい、だから、言い方など考えずも伝わる」と考える脳天気なクリスチャンに似ています。けれども、受け取る側が可能な限り受け取りやすいような伝え方をするのが、善意の押しつけではない、「隣人を愛すること」だと私は思います。

>人参さん
 "to be a Christian"と"to be a good person"は違うというのはその通りですが、そのことと「人が人間らしく生きられる世界にする」は全く別のことです。

 「信仰によって」。ちょっと確認なのですが、あなたはアブラハムやノアは「信仰があったから」義とされた、と理解しておられませんか?また、「目に見えないものを見る」というのは、現実を見ないという意味ではありません。この世の苦難を見ないキリスト信仰自体あり得ません。
 
 それから、「気を悪くしないでくださいね」と予防線を張るぐらいなら、当たり障りのないことを言うにとどめた方がいいんじゃないでしょうか?厳しいことを言わせていただければ、あなたの方こそ、クリスチャンとは"to be a good person"だと理解しておられるように思うのは私の勘違いでしょうか?「嫌な人間」と思われたくないから予防線を張っているように見える、私の穿ち過ぎだといいのですが。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/23 22:18 >ヒソカさん
たしかに、アブラハムやノアは信仰があったから義とされた。そのように理解しています。
言われるように、目に見えないものを見るというのは、現実を見ないという意味ではありません。いまだ現前せざるものに目を据えるのであります。「目をつぶって歩みなさい」という薦めは、聖書にないようです。ぼくは聞いたことがない。
それからたしかに、敢えて不快な人間になろう、とは、思いません。もちろんそんなふうには思いません。むしろ、キリストの弟子であるなら、日進月歩"a good person" "いい人"になってゆくのは当然のことではないでしょうか。他方、ガラテア1にもあるように、ヒトに媚びへつらうのはよろしくない。その場合、弟子の列から除外処分を受けるようなことになりかねない。そのへんの塩梅が難しいところですね?ぼくの場合、もう少しヒトの目を気にして「嫌な人間」と思われたくない心をもったほうがよいのかも知れません。根が傍若無人ゆえ、なかなか気遣いという面で至らないようです。日進月歩牛歩汗進、、、
第一文の「そのことと云々」は、前後意味のつながりが、ちょっと分かりませんでした。

ヒソカヒソカ 2011/02/26 07:51 >人参さん
 これは失礼、私の書き方が悪かったですね。私のコメントの第一文「そのことと「人が人間らしく生きられる世界にする」は全く別のことです」は、「神を愛し、隣人を愛するとは、「人間らしく」生きることとはちょっと違います」というあなたの文章に対して、「そうではなく、愛神愛隣とは、人がこの世において人間らしく生きることだ」と述べているのです。念のために申しますが、「いい人になる」という意味ではありません。

>アブラハムやノアは信仰があったから義とされた。そのように理解しています
 それなら、彼らの信仰は、息子への愛情より皇帝への忠誠を優先して、息子の「蒸し焼き」を皇帝の食卓に乗せた秦の始皇帝の料理人と変わらないことになります。「信仰」がアブラハムやノアの「内面」に既にあったから、神に義と認められたのではありません。そうではなくて、神の不可解な命令(アブラハムなら「親を捨てろ」「子供を殺せ」、ノアなら「船作って、家族親族動物と一緒に引きこもれ」)を、二人が「己の責任において」聴き取り、その意味を「己の責任において」引き受ける者として自身を神に奉献したことで、事後的にあたかも既にあったかのように「(二人には)信仰がある」と認められたのです。

>目に見えないものを見るというのは、現実を見ないという意味ではありません
 すみません、「2011/2/18/13/28」のコメントで、あなたは、「厳しい現実を直視して、それを噛み締めながら立ち尽くすなり、あるいは勇ましく立ち向かって行くなり、というのも良いでしょうが、神様はもっと別の方法を提案してくださいます。それは、目に見えるものによって歩むことはよして、信仰によって歩む、という方法です」と書いておられます。18日のあなたのコメントは、文脈から「現実から目を逸らせ」以外の意味には取れないと思いますが。だから、私はそれはキリスト信仰ではないと申し上げたのです。その御自身のコメントを23日のコメントで否定されるのはどういうわけでしょうか。

 また、"a good person"の意味合いも、2月18日のコメントと違いますよね。2月18日の方では、クリスチャンになることは"a good person"になることではないと述べていながら、23日のコメントでは「キリストの弟子であるなら、日進月歩"a good person" "いい人"になってゆくのは当然のことではないでしょうか」と言われる。どちらがあなたの主張なのか、私には全くわかりません。

 正直申し上げて、愚弄されているようで嫌な気分になりました。私はきつい言い回しはしますけれど、茶化したり、自分で言ったことを説明なく翻したことはありません。真面目に議論しようとした私が馬鹿だったのでしょうね。残念です。

はちこはちこ 2011/02/27 17:01 ヒソカさん、
こういった場所でのやりとりは、相手の真意が汲み取りにくいので難しいこともありますが、私は、他者の発言にたとえ「あれ?」と思う表現などがあっても、基本的にその人の善意を前提に解釈するようにしたいと思っています。

人参くんは、客観的に見ても、決してヒソカさんを茶化したり愚弄しようとしているとは思いません。むしろ、ヒソカさんの表面のきつい言い回しに惑わされることなく、ヒソカさんが言わんとされているところを極力読み取り、それに真摯に応答しようとしているように見えます。たいていの人は、言い回しがキツイと、それに反応して言っている内容にまでは目を留めないものです。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/27 19:18 >ヒソカさん
いやあ、なにか変なふうになったようです。
はちこ様が弁護してくださったように、ぼくは愚弄しようだの茶化してしまおうだのしたのではありません。【はちこ姉ちゃん、ありがとう、恩にきるぜ(涙)、、、】
この場に限らず、ぼくは日常なるべくユーモアとか俳味がでるような言い方を好む、これは本当です。時にそれが仇となって、不謹慎に聞こえる。万人が認めるユーモアと茶化しの明確な境界線がないため、こっちは悪気のない言葉でもって、相手の気を悪くさせてしまう。最前から話題にのぼせている、意思疎通の困難さとは、ここのことなのでしょう。まして、われわれは面と向かっていないのだから、、、
それでは、ぼくも言い足りないところがあったようなので、補足してみます。

(1)まず、「信仰によって歩む」
そもそも、なぜぼくがこれを持ち出したかというと、『ビジョン』という言葉に関連してでした。クリスチャンが『ビジョン』というとき、多く、「いまだ現前せざるものに目を据える」という意味で用いるからです。【Am I right, sister?】信仰によって歩むとは、厳しい現実を無視するのではなく、現実の向こうに、まだ目には見えない神の約束を見る。これが真の希望であり、しばしばクリスチャンが口にするところの『ビジョン』であり、信仰によって歩む、信仰によって生きることです。(ヒソカさんの言われるように、向こうからやってくるビジョン、ヨエル書などに語られるビジョンだってありますし、むしろそっちの方が本来的な意味合いだとも考えられます。しかし、ぼくが言うのは上の『ビジョン』であって、"『ビジョン』は、皆がイエス様を信じて救われること"の方のビジョンです。)
現実にいたっては、それを直視することが大事か大事でないかはケース・バイ・ケースとしても、否が応でも目に飛び込んでくるものです。厳しければ厳しいほど、その前に立ち尽くしたくなるのも人情でしょう。また、力任せに立ち向かってゆきたくもなるでしょう。しかし、信仰者は、己の力量を頼むことをやめて、神に頼りつつ前に進むように言われている。これは聖書の一貫したメッセージです。ぼくなどは、このメッセージに逆らったために、いっぺんひどい目をみました。

(2)to be a Christian は to be a good person か
答えは、NOです。これは超大切なポイントです。
つまり、a Christian≠a good personだし、a good person≠a Christian
これは絶対に言わなければならない点でしょう。二つは等価でない。
道徳的な善人だからといって━もちろん、そういう人は立派だし、尊敬されるのは当然ですか━クリスチャンであるとは限らないし、クリスチャンだからといって、必ずしも善ばかり行う人間であるとは言えない。(後者はぼくがliving example)
a Christian=a follower of Christ ただこれのみです。
けれども、a follower of Christとなった以上、善を行おう、a good personになろうと日々努力するのも、これまた当然ではないでしょうか。いえ、それのみか、善を行いなさいとは、聖書中繰り返し命令されるところです。(だから、言われるように、この世の苦難を見ないキリスト信仰はあり得ないことになります。)
お分かりいただけたでしょうか。
善に努めることは、クリスチャンであることの、必要条件でこそあれ十分条件ではないのであります。

最後に、信仰と義の神学について
正直のところ、ヒソカさんの説明してくれた「それなら、彼らの信仰は、息子への愛情より云々」のくだりは、ぼくの理解を超えます。よかったら、言葉を変えてもう一度お願いできませんか。

ヒソカヒソカ 2011/03/03 03:37 「クリスチャン」ってどういう人を言うのでしょうか?教会で洗礼を受けた人のことでしょうか?

 イエスの最後の言葉(マコ16:15「イエスは言った。「世のいたるところに出て行って、すべての造られたものに福音を告げ知らせなさい」)は、キリスト教を広めなさいではなく、「福音を告げ知らせなさい」であり、それはマルコ福音書冒頭に告げられた通り、「福音に信頼して歩みを起こせ」です。「キリスト教徒になれ」なんて一言も言っていない。ユダヤ教徒であろうとムスリムであろうと仏教徒であろうと、福音に信頼して歩みを起こすことは可能です。福音は宗教を超えるんです。

 私の教会に時々、ホームレスの男性が来ます。その人が来ているのを知りながら、私は素通りします。良心の呵責も覚えます。でも、仕事を探しつつも見つからず、恥を忍んで(やったことのある人はわかるでしょうが、誰かに施しを受けるのは、非常に肩身の狭い思いをするのです)、それでも希望を抱いて「教会」に来る、しかし、そこの人たちからはあまり暖かい眼差しを向けられない。けれども、そのホームレスの人こそ、キリスト者だと私は思います。教会で洗礼を受けた私ではなく。

 ヴィジョンとかゴールとか、私には経済的・物質的に余裕のある「クリスチャン」が口にできる贅沢な「悩み」に思えます。私のように体を壊し、療養に励みつつ、仕事を探している人間にとっては、そんなものより、働ける場が欲しい。「神様はあなたといつも一緒にいてくださいます」という口先の言葉なんかよりも、悩みを聞いてくれる友人や仕事が欲しい。イエス様はそういう人たちの仲間だったんじゃないんでしょうか?


>人参さん
 (1)と(2)について、私は既に書きました。それを繰り返す気はありません。そして、「信仰者は、己の力量を頼むことをやめて、神に頼りつつ前に進むように言われている。これは聖書の一貫したメッセージです」と、あなたに「説教」される筋合いはありません。誰がいつ、自分の力量に頼ったなんて話をしましたか?

 「それなら、彼らの信仰は、息子への愛情より云々」のくだりは、「自分の内面に確固たる確信があったから神に従えた」という理解を棄てない限り、理解を超えて当然です。聖書の順序は、神が語る→人間が応答する、であって、人間の内面云々という話ではないのです。

はちこはちこ 2011/03/03 15:34 ヒソカさん、
「クリスチャン」とは「キリストの弟子」だと思います。洗礼を受けているいないの問題ではなく。だから、洗礼を受けていても「クリスチャン」ではない人や、その逆も存在しうるでしょうね。そして、キリストの弟子とは、ヒソカさんの言葉を借りていえば、福音を信じて歩みを起こした人、と言えるでしょうか。(福音の定義は、第一コリント15章の冒頭で、パウロがはっきり述べていますね。)

おっしゃる通り、「イエス様はそういう人たちの仲間だった」と私も思います。これは、教会が何をビジョン・ゴールとして掲げるかにも関連するでしょうが、教会の中で、ある種の人たちが教会の働きの「足手まとい」のように見られることがあります。たとえば、心の病を抱えている人がいると、「こういう人がいると、 皆が振り回されてしまって、教会がやろうとしていることができなくなる。こういう人は、教会ではなく専門家のところへ行って欲しい」などの声を聞くことがたまにあります。教会のゴールが各種の「伝道」や「成長」のためのプログラムを運営して、より多くの人を教会に集めることであるなら、なるほど、確かに「足手まとい」になるでしょう。でも、教会は何らかの結果を出すための団体ではなく、キリストの身体であり花嫁である「共同体」なんですよね。そのホームレスの方のように、また何らかの障害や病や問題を抱え、教会には何の貢献もできないように見える人であっても、肩身の狭い思いをすることなく、安心して神を愛し、 神に愛され、他者を愛し、他者に愛される場所… 教会がそういう共同体になることを、ビジョンとして掲げてくれたらいいのになぁと思います…

2011-02-13

mmesachi2011-02-13

チキンのレモンケッパークリームソース

| 14:30 | チキンのレモンケッパークリームソースを含むブックマーク

 昨日All Recipeのメルマガで送られてきたレモンケッパー(ケイパー)クリームソースのチキンが美味しそうだったので、試してみたら激旨だった。作るのもすごく簡単だったし。

 オリジナルの作り方はこちら

 私はレビューを参考にしながらちょっと改変し、次のように非常に簡単な手順で作った。

  1. 鶏胸肉を半分の厚さにスライスし、塩こしょうをして小麦粉をまぶす。
  2. みじん切りのニンニクをたっぷりめのオリーブオイルとバターでかるく炒め、そこに鶏肉を加え、ふたをして両面にこんがりと焼き色がつくまで焼く。
  3. チキンが焼けたらフライパンから取り出し、温めたお皿に入れてアルミホイルでつつんでおく。チキンを焼いたフライパンに白ワインを入れ、さらに生クリーム、しぼったレモン(半個分くらい)、ディル(dill)を加え、シーズニングソルトなどで味付けをしながら、よくかき混ぜて煮詰める。煮詰まってきたらケッパーを入れ、先のチキンを戻してソースを絡ませる。出来上がり。

 以前ご紹介した「激旨チキンケチャップソテー」と並ぶ、簡単さ、美味しさ! 作り方の基本は同じで、片や焼いたチキンをガーリックケチャップソースに絡め、片やレモンケッパークリームソースに絡めるだけ。

 今回のソースは、一口大に切ったチキンを使ってパスタに絡めても美味しそう。今度やってみよ〜! チキンの胸肉は安売りのたびに多めに買って冷凍してあるので、わりといつでもすぐに作れるのも嬉しい。

 ちなみに、All Recipeのレビューによると、このソースはサーモンや白身魚ともよく合うとのこと。確かに合いそう。それも今度やってみよ〜。

kanahakanaha 2011/02/14 02:10 チキンは腿肉ばかり使います。
胸肉はパサパサしているようで、しっとり調理出来ません。
このレシピは本当に美味しそう。
是非作ってみたいです。
cafeにも使えそうだし。

何だか、わたしのコメントは家族の話と料理のことばかりで、皆さんのように真面目な深いものがなくて…
ご容赦を!

山本直樹山本直樹 2011/02/14 07:44 主婦のはちこさんはもう知っておられるかもしれませんが
農務省:Department of Agriculture (USDA) と保健福祉省Department of Health and Human Services (HHS)のジョイントで、2011年1月31日発表されたもの
を添付します。御参考になさってください。以下は常体で記します。
ガイドラインでは、どの食べ物を増やし、どの食べ物を減らすかにチャプターを割いている。
・赤身肉、鶏肉、卵は、適正化がモットー
・低脂肪・無脂肪乳製品がベスト
・栄養分不足、カロリー増加をもたらすため、・固形脂肪や添加糖のカットダウン
・塩分摂取量に注意
何を減らすか・・・
塩がNo1、脂肪に関して注意が必要(トランス型脂肪酸、酸化脂肪酸など、ココナッツ・パーム・パームカーネルオイルなどの飽和脂肪酸を避け、スティック・マーガリンの代わりにソフトを用い、バターの代わりに野菜オイルを用いる。サフラワー油、菜種油(キャノーラ油)、オリーブ油などの単価不飽和脂肪酸・多価不飽和脂肪酸がベスト などhandy chartを含む)、コレステロール、シュガードリンク・アルコール
(紅花油は品種改良された高オレイン酸の紅花油(ハイオレイック種)で、オリーブ油の成分に近いもののことだと思う)
何を増やすか・・・
フルーツ・野菜、全粒粉、カリウム、食事性線維物、カルシウム、ビタミンDなどを含むもの
蛋白関しては、赤肉を減らし、大豆、無塩ナッツ・シーズを推奨、牛肉・豚肉の代わりにシーフーズを増やすこと、シーフーズ・ナッツ・シーズは単価不飽和・多価不飽和脂肪酸を含む
ただ、シーフーズは、妊娠・授乳女性では適正化が必要
豆は注意が必要で、蛋白を持つもの持たないものがある。
kidney beans(インゲン豆)、pinto beans(インゲンマメ), black beans(黒豆鼓), garbanzo beans (also known as chickpeas :ひよこ豆), lima beans, black-eyed peas, split peas, lentils は蛋白を含む。鉄、亜鉛、線維、カリウム、葉酸の供給源となる。
一方、グリーンピースやサヤマメは蛋白源にならない。グリーンピースは炭水化物野菜である。サヤマメは、レタス・オニオン・セロリ・キャベツと同じ群である。
U.S. Department of Agriculture and U.S. Department of Health and Human Services. Dietary Guidelines for Americans. 7th ed. Washington, DC: US Government Printing Office; December 2010.

はちこはちこ 2011/02/14 09:27 kanahaさん、
私ももも肉の方が好きです。胸肉の方が健康にはいいと言われているんですが、うまく調理しないとすぐにパサパサになっちゃいますよね。でもこのレシピは、胸肉でもジューシーに仕上がりますよ! 見栄えもいいので、カフェメニューにもきっと良いと思います! ^^

山本先生、
そうなんですよね、バターやクリームを使った物は、控えめにしないと健康によくないですね。まぁ、毎日こういうものばかり食べているわけではないので。(^^);
ささやかな工夫としては、レシピで「バターで炒める」とある部分は、オリーブ油をメインにし、最後に香り付けにちょっとバターを足すとか、炒め物やドレッシングのオイルはキャノーラ油かオリーブ油、最近はオリーブ油とアボガド油のブレンドのものも使っています。
グリーンピースがタンパク源にならないとは驚きでした。kidney beans(インゲン豆)、pinto beans(インゲンマメ),となっていますが、どちらも日本のインゲンとは違います。日本のインゲンはグリーンビーンズまたはストリングビーンズと言います。インゲンはタンパク源になるのでしょうか。考えてみると、豆の部分よりさやの部分の方がメインみたいなので、あんまりタンパク源にはならない感じですね。

たんぽぽたんぽぽ 2011/02/15 05:15 おいしそう、つくってみたいな。
胸肉は教会での大量調理にも便利ですよ。

はちこさん、ありがとう。
お休みなるべくとってます。
子供相手のお仕事はバーンアウトしやすいから気をつけないとね。
ママはバーンアウトできないものね。祈ってます!
今日、教えてる子が、突然大好きって言って抱きついてきて
すごくうれしかったけど、びっくり。午前中はすねてたから。
子供ってそうなのかなあ。
ママってこういう瞬間もあるからがんばれるんだろうなって想像しました。



教会の奉仕は配慮して頂いているので感謝です。
CSも無理に手伝わなくてもいいから感謝です。教会の子供たちとは仲良く遊んでますが。

はちこはちこ 2011/02/15 11:35 たんぽぽさん、
なるべくお休みとっているとのこと、良かった。たんぽぽさんは、お仕事がそのままミニストリーだから、教会での奉仕は配慮していただいているというのも良かった。私たちは皆、安息を取ることが必要だもんね! たんぽぽさんの安息の時がいつも祝され、いつも元気に子どもたちのところに行くことができますように!

TomokoTomoko 2011/03/01 04:48 昨日、このチッキン作ってみました。はちこさんのレシピを参考に、そしてちょっとだけ変えちゃったりもしたのですが、出来上がりは良かったです。家族にも好評でした。でも昨日は超急いで作ったので、次回ははもっと愛情かけて作りたいです。愛情が加わる分、更にもっと美味しく出来るでしょう(笑)!

はちこはちこ 2011/03/01 14:29 私も、数日前、また作ったばかりです!
今度は、ヘビークリームの代わりに豆乳を使い、さらに缶詰のトマトも入れてみました。そして鶏肉は一口大にして、最後にスパゲティに絡めました。家族みんなお変わりしてくれました。次回はこれにアーティチョークを入れてもいいかも、と思いました。
Tomokoさんはどんな風に変えてみましたか? 情報交換しましょう!

2011-02-11

John Ortberg & Dallas Willard

| 22:36 | John Ortberg & Dallas Willardを含むブックマーク

 Catalyst 2010というカンファレンスで、ジョン・オートバーグがダラス・ウィラードにインタビューをしている動画。

Catalyst West 2010: Dallas Willard Part 1 from Catalyst on Vimeo.

Catalyst West 2010: Dallas Willard Part 2 from Catalyst on Vimeo.

コイノニアの記事

21:58 | コイノニアの記事を含むブックマーク

 昨日送られてきた、関東地区KGK卒業生会ニュースに掲載されていた太田和功一氏のインタビューが、とっても良かった!「第2回」となっていたけれど、どうしてだろう、第1回を読んだ記憶がない。残念。

 今年のコイノニアのテーマが「神との深い交わりを回復する」ということらしいのだけれど、それに対して、編集委員さんたちの間で「回復」という発想が出てきたことに、太田和さんが問いかけをしておられる。

 「回復」ということは、かつてはあったものが今は失われていて、もう一度取り戻そうとしているということ。しかし、回復したいと思っている元のイメージは、どういう状態のことなのか?と。

 たとえば、学生時代はKGKでがっつり鍛えられた「静思の時(デボーション)」を持てていたけれど、社会人になったら忙しくて思うようにそれが持てなくなった、とする。しかし問題は、学生時代に持っていたようなデボーションを再び持てるようになることなのか? 聖書を開き、一人静まって祈る、というスタイルでのデボーションだけが、神との深い交わりを持つ方法なのか? それは特定のイメージに拘泥されたスタイルやテクニックの問題ではないのか…? むしろ、自分は何のためにそれをしているのか、ということに自分なりの答えを持っていないと、そういったことが形式だけ、頭の中だけの活動になってしまう、リアリティ(神との生きた関係という?)がなくなってしまう… しかし、神様との交わりとかデボーションといったことは、自分にとってどういうことであり、何のためにしているのかということが自分の中ではっきりしていれば、その目的に到達するための手段はいくら変わってもいいのではないか。…

 先日、あめんどうのクレオパさんの依頼で、クレオパさんの働きを支える会のニュースレターに『心の刷新を求めて』の翻訳者として寄稿させていただいた。その記事で、『心の刷新を求めて』から学んだことの一つとして、「土の器と宝」について分かち合わせていただいた。霊的形成のためにはさまざまな霊的修練と呼ばれるもの(祈る、聖書を読む等など)が有益だけれど、具体的な方法はいわば「器」であって、本当に大切なのは、その器の中に入れられる宝ーーすなわち、生きた神との愛の交わりーーであるはず… 器なしでは宝を持つことはできないけれど、器にこだわりすぎて、器ばかり立派で肝心の宝は入っていない、ということにならないように… というような話し。このコイノニアのインタビューで太田和氏がおっしゃっているのも、まさにそういうことではないだろうか。

 太田和氏は、「子供や乳飲み子を抱えているお母さんなんかは、デボーションっていっても難しいよね。でもさ、方法だから、違う方法を考えるとか…」ということをおっしゃっている。これも私的に大ヒット。ブログに書いたことがあるかどうか、覚えていないけれど、若いお母さんたちに個人的に何度か次のようなことをお分ちしたことがある。

 私も、子供が幼いころは、いわゆる「デボーション」が持てなくて悩んだ時期があった。でも、教会でほかのお母さんが、「私はキッチンのテーブルにいつも聖書を開きっぱなしにして、読めるときにちょっとずつ読んでいるの」と言うのを聞いたとき、「これだ!」と思った。エミやみんが赤ん坊の頃はいつもてんてこ舞いで、実際の食事でさえも、ゆっくり座って食べることすらできず、立ったままお茶碗もって口にかきこむ、みたいなこともあった。御言葉もそれでいいんだ、と思った。ゆっくり座って食べられないから食事は一切しませんなんて言ったら飢えてしまう。霊的にも同じで、ゆっくりデボーションの時間が持てないから聖書読めません、祈れませんなんて言ってたら、霊的に枯渇してしまう。だから私も、キッチンカウンターに聖書を開きっぱなしにして、食事の支度をしながら、皿洗いをしながら、聖書を読んだ。一節ずつでも、読んだ。洗い物をしながら、お鍋をかきまぜながら、祈った。それが当時の私を、霊的につないでくれた。(洗い物をしながらの祈りは、今でもしょっちゅうやってる。)いつも聖書をテーブルやカウンターに出しっ放しにしていたので、子供にいたずら書きされたり、ビリビリにちぎられてしまったページもある。(あとでピンセットで拾ってセロテープで貼った。)今となってはなつかしい…

 太田和氏は、私が大学1年生だった頃、KGKの総主事をしておられた。私はご本人と直接お話したことはなく、KGKのニュースレターなどでお写真を拝見したことがあるだけ。と〜ってもダンディーで素敵な方、という印象だった。しかし(?)今回のインタビュー記事で、太田和氏の言葉遣いがとてもカジュアルなのに、イメージが変わったというか、親しみを覚えたというか…(笑) いつかお目にかかってお話できたら嬉しいなぁ〜!

追記:今日のJesus Creedのブログ記事に、ここで触れたようなことがちょうど話題になっていたのでメモ。

聖書を読む、祈る、瞑想するなどのいわゆる「霊的修練」は、それ自体が目的なのではなく、真の目的に達するための手段であること。そしてその目的とは、「神を愛し、隣人を愛する者となること」、などなど。Jesus Creedでは、さらにそれを、主にあるコミュニティーレベルに持っていくためのディスカッションがなされている。いわゆる、Missional community.

ヒソカヒソカ 2011/02/12 00:59 ディボーションに限らず、「霊的形成」のいろいろな小道具はありますけれど、「そもそもなぜそれをするのか」という根源的な疑問に自分で答えることができないと、いろいろな道具をとっかえひっかえするということになります。「ディボーション何日やれた」とか「通読何回やった」と誇るタコ助を時々見かけますが、そういうことのためにそれらをやるのではないでしょう。

 それと「神との深い交わりを回復」した後で、どうするかという視点がないと、ただの自己満足になります。「霊的枯渇から回復した。そんな私は他者のために何ができるだろう?」という問いが次にこなければ、それは果たして「回復」と言えるのかという疑問が残ります。「霊的成長」論の類を私があまり好まないのは、自分の生活の場における他人とどう関わっていくかという視点があまり見られないからです。けれども、それは「神を愛し、隣人を自分のように愛せ」と何の関係もない話でしょう。

シナモンシナモン 2011/02/12 09:28 〜と誇るタコ助、という表現方法はすごく毒気を感じました。。励ましや愛のある言葉の選びをしたいなあと思いました。

はちこはちこ 2011/02/12 11:29 ヒソカさん、
コメントありがとう!
ただ、シナモンさんのコメントにもあるように、「〜と誇るタコ助」という表現に私も引っかかりました。
ヒソカさんは、「神を愛し、隣人を自分のように愛する」ことの大切さ、他者との関わりの中で生きることの大切さを、よくご存知であられると思います。分かっていても、うまく愛を表現できなかったり、他者を傷つけるような言い方をしてしまうことは、誰にでもありますよね。以前ヒソカさんは、ご自分でも、書いたあとから「しまった」と思うことがあるとおっしゃっていました。このコメント欄は、プレビュー機能がないので、書いたコメントを投稿前に客観的に見ることができないし、はてなのアカウントを持っていないと、一度投稿したものを削除したり編集したりすることができません。そこで一つ、提案があります。ヒソカさんもはてなアカウントに登録なさってはいかがでしょうか。そうしたら、投稿した後で「しまった」と思ったら、他の人に指摘される前に自分で訂正することができます。ヒソカさんのコメントが時々キツイことは、以前からも指摘がありました。ではもうコメントをしなければいいのかといえば、そういう問題ではないですよね。こういうことは、他者との関わりの中で失敗を繰り返しながら学び、習得していくものだと思っています。ヒソカさんはたくさんの洞察を持っておられるので、それが他者の徳を高めるために用いられる形で表現できるようになれば、すばらしいことだと思うのです。ストレートに書きましたが、私が意地悪でこんなことを言っているのではないことを、ヒソカさんは分かってくださると信じています。I love you, brother!

これをメールで個人的に伝えるのでなく、あえてコメント欄に書いたのは、ヒソカさんだけの問題ではなく、誰にでも当てはまることだと思ったからです。今の時代、面と向かってだけでなく、いろいろな形でのコミュニケーションの場が与えられていますが、あらゆる場所での交わりにおいて、主の愛と恵みと憐れみとご栄光が現されることを願います。

シナモンさん、
おお、こちらにコメントくださるのは初めて…かな? ようこそ!^^

ぼく人参ですか?ぼく人参ですか? 2011/02/12 14:15 ひきつづきdevil's advocateをさせてもらいに上がりました。
タコ助ぐらい、何だというのです。
パウロは遥かに激しい言葉を用いました。(バカだとか、いっそ自分のナニをちょん切ってしまえばよい!だとか。)イエスは人を捉まえて狐呼ばわりしています。ぼくも、くだらない事を自慢する人間にはタコ助と言ってやりたい。
いったい、日本人は人の言葉尻を気にしすぎます。昂じるとただの揚げ足とりです。(すみません、ぼくは考え方が根っからアメリカ人だものだから。HATENAアカウント、拵えようかしら。)
長いこと、学習塾で中学生高校生を相手にしていた時分、「さっきのあの言い方に傷ついたあ~」なんといって互いに膨れあう女子生徒を見るにつけ、「何を言ってあがんだい、おとといきあがれ」と言いたくなるのを、ぐッと堪えたものでした。(これは放蕩息子をしていた頃の話。さすがに今はそんなお下品な言葉づかいは心の中ででもしないように心がけています。)
ところで、せっかくの素晴らしいブログ、正直で活発な議論は大いに歓迎されるべきではないでしょうか。
決して誰にもoffenceを与えてはいけない、と、そのことばかり気にするなら、今度は逆に、中身のあることは何も言えなくなります。政治家の答弁みたいに。
事実、そういう過剰な気遣いがBody of Christの中にも入り込んで、骨抜きにされた、なんてことは好く耳にしますね:何でもOkay、Anything goes as long as there's loveの神学。
とまあ、これはあんぽんたんのデコ助野郎のたわごととしてお許しを、、、
I love you sister! And Dr Boboru too! And Emi and Miho and Maya and Kensuke four!

小嶋崇小嶋崇 2011/02/13 04:43 はちこさんのブログに書かれるコメントは若さに溢れた感じのが多いですね。
ダラス・ウィラードの「神の国」の説明、getting to heaven when you dieではなくgetting to heaven before you dieは面白いturn of phraseですね。N.T.ライトは焦点を「死後」のいのち、つまり究極的終末に関して、大衆的敬虔主義的救済理解(単純なlife after death)を修正しようとして、life AFTER life after deathと言うフレーズをよく使います。
さてウィラードとライトは結構考え方に似たところがある、とどこかで聞いたことがありますが、やはり「神の国」に関して言うとウィラードの強調点はキリスト者の「現在」的経験としての「神の国」にある、とこのビデオから感じました。その点ライトの聖書解釈から紡ぎ出された表現とはやはり距離感を感じます。勿論このような若者向け、しかも短時間で表現するわけですからキャッチフレーズ的な、カジュアルな理解を狙っての説明で、厳密な聖書解釈云々に関しては言及できないでしょうが・・・。
彼の強調したい「神の国」のリアリティーは、動的(God in action)であり、それがgraceとして利用可能(availability)と言う点にあることは分かりました。
もしライト的な補完をするとすれば、一にも二にも、歴史的なナザレのイエスの神の国宣教を現代に延長する歴史意識、そして現在(それは「既に」を強調する神の国解釈)とともに究極的終末(「未だ」)を意識したものである、と言う点ではないかと思います。但し聖書学者たちの「既に」と「未だ」の対立のさせ方に関してはライトは余り生産的ではないと見ていますが・・・。
私もブログで何回かに分けて「神の国」を紐解く努力をしていますが、聖書記者の「意味の地平」で理解することと、現代人の「文脈」で理解させること、その橋渡しにはかなり難しさを感じます。

たんぽぽたんぽぽ 2011/02/13 05:33 私も仕事が忙しいときはローズンゲンや、聖書のメルマガにしています。
携帯にメルマガをもらってたときは、年配のクリスチャンの方に今時はそういう
方法があるのねって驚かれました。いろんなやり方があってういいよね。
携帯の目覚まし機能を使っていて、朝、低血圧で起きにくいときは、ベッドの中でメルマガを読んでたことも。何もしないよりはよかったです。
年配の方からしたら、つっこみどころは満載かもね。
教えてあげたら、そうしてみる方も多いですけどね。

子供を相手だとたいへんですよね。ましてママならね。通勤バッグに聖書は必需品。職場のデスクの中とかね。早く出勤できたときは、コーヒーハウスに行っても
聖書を読んでました。SGも疲れて出られません。

本当につらいときは、職場のマグカップに英語の御言葉つきのものを選ぶとか。
職場の近くの教会の前を通る時は、週替わりでかわってる聖句を読むとか。

いやあ、しかし、聖書も教えるんだよ、今年は。
CSで教えたことあるし、成長とか教案誌はあります。
今日は子供讃美歌を勉強してました。

ギリシャ語の学びもしてるんですが、子供には平易なものが一番ですよね。
ママは忙しいんだね。祈ってます!

ヒソカヒソカ 2011/02/13 07:01 >シナモンさん、はちこさん
>〜と誇るタコ助、という表現方法はすごく毒気を感じました。
 はい、毒を込めました。だから、このコメントのこの表現については訂正と謝罪の必要を感じていませんし、「しまった」とも思っておりません(態度の悪い人間ですみません)。「愛のある言葉」、それは誰をも傷つけない言葉なのでしょうか?そうでもあるし、そうでもないかもしれない。時に相手も自分も傷つくことを覚悟で、ガツンと言う必要のあることもあると私は思います。

 ここの閲覧者の中で私はあまり良い印象を持たれていないのは自覚していますし、それは私の不徳の致すところです。ただ、「愛のある言葉」を発することで、隠されてしまう現実というのもあるし、時に毒を言う必要もある気がします。ただ、はちこさんの言われることもよくわかるし、ここははちこさんのブログですから、以後は注意するようにします。

 これは私の経験則で一般化できませんが、聖書やキリスト教用語を排して、ガツンとぶつかりまくった人とはクリスチャンであろうとなかろうと「友達」になれます。そうしないと進まないことはあるのです。ただ誤解しないでほしいのですが、私の発した毒を「許容しろ」とか「正当化できる」と言っているのではありません。そうではなくて、「愛のある言葉」は本当に「愛のある言葉なの?」という問いかけを発しているわけです。私は自己の無謬性を深く確信するほど「善人」ではありませんから、その種の正当化はしません。

はちこはちこ 2011/02/13 14:51 人参、ヒソカさん、
そうですね、近年、人々が傷つきやすくなったというか、まるで「傷ついた者勝ち!」みたいに、ちょっと言われるとすぐに傷ついたと言う人が増えた気がします。確かにそれでは、言うべきことも言いにくくなってしまうよね。
実際、どんなにこちらが細心の注意を払って言葉を選んだとしても、offendされる人はいつでもいる。誰のこともoffendしないように発言するなんてまず無理だし、人参やヒソカさんが言うように、そんな当たり障りのないことだけを言い合うなら、そもそも何のためのコミュニケーションなのか?と私も思います。そして、傷ついたり痛みを感じるのは必ずしも悪いことじゃない。化膿した部分から膿みを出すために切開するのは痛いけど、痛みを与えることを恐れて放置していたらもっと困ったことになるように…

お二人のコメントを読んで、私が言いたかったのは、単なる言葉遣いとか表現方法の問題ではなく、その背後にある話者の動機、どういう思いを込めてそれを言っているのか、ということかなと気づきました。つまり、「本当に愛のある言葉なの?」という問いかけは、「私はこの言葉を、神を愛し、隣人を愛するがゆえに語ろうとしているのか?」という問いかけに言い換えることができるかもしれない。それに対する答えが否であるならば、私はその言葉は言わないようにしたい、ということかな…

イエス様も、時に過激な発言をなさっていましたよね。「まむしの末ども」とか。律法学者やパリサイ人に対しては情け容赦のない言葉をかけたイエス様だけれど、そのキツーイ言葉の背後には確かに愛神愛隣があるのがわかるよね。

私も、「正直で活発な議論」を歓迎します。(他愛のないおしゃべりも大歓迎だけど!)ただそのためには、ある程度のground ruleは必要だと思うの。そのground ruleがまさに「愛神愛隣」なのかな。言葉で人を傷つけるのはものすごく簡単だから、そして言葉で受けた傷は治るのにとても時間がかかるものだから、いくら時には耳に痛いことを言わなくてはならないとしても、やはり常に自分の発言の動機を確認することは必要だと思う。
また、「正直で活発な議論」に多くの人が参加できるためには、we need to keep it civilだと思うので、そこも気をつけていたい。今のところ、このブログでuncivilな応酬があったことは、ほとんどないと思うので、その点いつも皆さんに感謝しています。

蛇足ですが、数年前に「And we don’t give a shit」というブログ記事を書いたことがあったのを思い出しました。人参には、「何だよ、はちこ姉ちゃん、ブログにS-wordかい?」って言われそうだけど。(笑)
http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20080420

ヒソカさん、私の意図を真っすぐに受け取ってくださってありがとうね!
人参、あなたのperspecitveもきっと多くの人にとってrefreshingだと思う。ありがとね!


小嶋先生、
先生にこんな素人ブログにコメントをいただくのは恐縮ですが(のらくら者さんとのやりとりも、興味深く拝見していました!)来てくださって嬉しいです。^^
N.T.ライトのlife AFTER life after death、Surprised by Hopeの中で出てきましたよね。「現在」的経験としての「神の国」や、life after deathとしての「神の国」(いわゆる「死んだら天国に行く」)なら分かる気がするのですが、ライトのいうlife AFTER life after deathは、なかなか咀嚼できずにいます。先生がブログでお分ちくださっていること、とても感謝しています。これからもよろしくお願いいたします。

小嶋先生のブログ http://sugamo-seisen.blogspot.com/


たんぽぽさん、
そうよね! マグカップに書かれた御言葉やたまたま通りかかった教会の看板の御言葉から語られ、慰められ励まされることだってあるのよね! 携帯電話に御言葉やメッセージが送られてくるのも、現代ならではのありがたいツールだし。

たんぽぽさん、週末はちゃんとお休み取れてる? 心も身体も、定期的に休めることができるように、お祈りします。 たんぽぽさんが教える聖書のクラスも祝されますように!

ヒソカヒソカ 2011/02/15 05:17 >人参さん
 あなたのコメントを読んで、好感を抱きました。私は直截な言い方はちょっとできませんが、仰ることには同感です。
 「あの言い方に傷ついた」と言うだけでなく、そのまま「ヒソカは気遣いのできない奴だ」と認定されて、コミュニケーションしてくれなくなる「クリスチャン」に何度か会いました。それで関係断絶なら一向に構わないのですが、陰口を広めるから、「それの方がよほど人を傷つけるだろうに」と悲しくなります。配慮し過ぎて言いたいことも言えないというのは、何か違うと私も思います。

>はちこさん
 内田樹先生が2005年に「勝者の非情・弱者の瀰漫」という文章をブログに書いておられます。その頃から「傷つきやすさ」や「弱さ」を武器にする人たちはいたのでしょう。しかし、その御本人たちは「弱さ」を武器にした言動で傷ついた人がどれだけいるかということにはほとんど注意を払っていません。私も経験がありますが、「私は傷つけられたんだ。ヒソカも同情すべきだ」というのにあまりにうんざりしたので、「あなたが傷ついたことは理解したいと思う。けれども、だからといって、傷ついた経験を武器にして他人に何をしてもいい理由にはならないでしょう」とはっきり言ったら、「ヒソカは偽善者だ。人でなしだ」と言われ、絶縁されました。その人は牧師の子供でした。クリスチャン同士だったから、余計に相手の私に対する期待が高かったのかなと思います。私も以前は「同じクリスチャンならわかってもらえる」と考えていましたが、今はこの考えを捨てました。人によりけりなので。

 イエスの過激な発言と言えば、イギリスの哲学者イーグルトンが『宗教とは何か』でイエスのふるまいを要約しているのですが、その一部にこう書いています。イエスは「伝統的権威には批判的で、体制側に突き刺さった茨の棘、金持ちや権力者に天誅をくだす者」である。イエスの過激さをうまく言っていると思います。「柔和なイエス様」より、私はこういうイエスの方が好きです。その理由は、最近の私の教会生活が反映されているためでしょう。牧師交代を経験したのです。

 ground ruleの必要性はよくわかります。

はちこはちこ 2011/02/15 11:31 ヒソカさん、
お分ちくださってありがとう。ヒソカさんが正面からきちんと対応しようとしたのに、絶縁された挙げ句に陰口を広められては、辛いですよね。
交わりの中では、どんなに愛しているつもりでも、傷つけたり傷ついたりは避けられない…。夫婦とか親子とか、紛れもなく愛し合っている関係であっても例外ではありません。ましてや、友人同士、他人同士では、なおさらです。
よく言われることですが、人はみなヤマアラシのようで、近づくと刺し合ってしまうんですね。主の憐れみと恵みが、私たちの傷ついた心を癒し、交わりを癒し、助けてくださいますようにと祈らされます。

別件でいただいたメールでご紹介していただいた文章、読ませていただきましたよ!いろいろ思うところがあったので、また後日、ゆっくりお返事しますね!

td_okudatd_okuda 2011/02/17 18:20 最近、仕事で接する人の幅が大きく広がっているので、コミュニケーションのスタイルについて思うことが色々あります。

ひとつは当たり前ですが、選べる表現スタイルの幅は、相手との信頼関係に大きく依存すること。信頼関係が深ければ「馬鹿じゃない!」と言っても受け止めてもらえるし、信頼関係がなければ、どんっなに言葉を選んで丁寧に伝えても、何も伝わらない。

また僕自身も含めて、受け止められる表現の幅ってみんな狭いんだな、ということ。言外に含めるスタイルの人は、直接的な表現の人を苦手とするし、逆はいらっとする。やわらかな言葉の人は過激な言葉遣いにOffendされるし、逆はつまらないと思う。

でも、それは育った環境や性格などに大きく依存するので、どっちが「正しい」という話でもないし、自分の伝え方が正しい!と言い切ってしまうと、違うスタイルの相手と信頼関係を築くのはとっても難しい。

なので最近改めてしみじみ思うのは、コミュニケーションの目的が言い捨てる事ではなく、相手に伝わって、対話ができて、理解と信頼が深まることであれば、まず相手に信頼してもらうためにも、自分が好きでし慣れた表現スタイルを押し付けるのではなく、相手が受け止めやすい表現をなるべく選ぶ努力をする、ということが大切なんだなぁという事です。

表現スタイルの違いで相手にうまく伝わらない時は、単に伝わらないではなく、相手を誤解させる時が多いのがつらいところで。伝える努力が逆効果≒誤解や怒りを生むくらいなら、信頼関係が生まれるまで、黙ってる方がましな事もありますよね。。。

長々とすみません。最近コミュニケーションでひたすら苦労しているので徒然と書いてしまいました。

はちこはちこ 2011/02/18 11:25 td_okudaさん、
そういえば、td_okudaさんとも、早いものでもう約10年来のお付き合いになるんですねぇ。(遠い目)頻繁に連絡を取るわけではなく、実際にお会いしたのも一度だけであっても、こうしてゆるやかにつながっていられることは、感謝です!

おっしゃること、実に同意です。
>受け止められる表現の幅ってみんな狭い
これ、本当にそうですよね。

だからこそ、「自分が好きでし慣れた表現スタイルを押し付けるのではなく、相手が受け止めやすい表現をなるべく選ぶ努力をする」こと、そして、相手の表現スタイルが自分に不慣れなものであったとしても、とりあえずはコミュニケートしようとしている相手の善意を信じること、が大切だったりするのでしょうね。配慮したいと思っても、自分も含めて、不器用なせいで、配慮がうまく形にならない人も少なくないでしょうしね…

しかし、黙っていたら信頼関係はいつまでたっても生まれない気もするし、一度(or more)は誤解されたりぶつかったりすることは覚悟で、コミュニケートする努力は続けたほうがいいのかなとも思ったり。Challengingですね。

今年の夏は一時帰国しますので、またお会いしたいですね〜!O田Tくんともお友達なんですよね? 一緒に集まりたいですね!

td_okudatd_okuda 2011/02/19 01:22 最初にネット上でお会いしたのが98年ですから、もう13年ですね!まだブログがなくてHTMLで日記を書いて、掲示板で交流してた時代でしたね〜(しみじみ)
とむ(とも?)君は今は同じ教会で、執事で頑張ってくれてます。夏の訪日の際にはぜひご連絡ください!

はちこはちこ 2011/02/19 08:40 ひゃー、もうそんなに昔になりますか!ネットに関することも、ユーザーたちの目の前で、まさに日進月歩ですよね。
では夏、ぜひget togetherしましょう!tomoくんにもよろしくお伝えください!

2011-02-07

メモ:内田樹氏のブログより

20:19 | メモ:内田樹氏のブログよりを含むブックマーク

 しばらく前に鎌野直人先生に勧めていただき、内田樹氏の『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』という本を読んでいる。とても興味深い。

 内田氏はクリスチャンではないらしいが、レヴィナスの研究者であられるそうで、そのお話にも聖書的価値観に近い?と感じさせられるところがあちこちにある。コミュニティーに属することや師弟関係を重視するところとか…

 最近の氏のブログ記事にも「アブラハムと顔の経験」という記事があり、目が留った。なので、メモ。

信仰においても、学びにおいても、それを起動させる「最初の一撃」は同じものである。

それは「このメッセージは私宛てである」という確信である。

「聴け、イスラエルよ」(シェマア・イスラエル)から預言者の言葉は始まる。

ここでいう「イスラエル」はその言葉が発される前から存在している民族集団の名ではない。

その預言者の叫びを「私宛ての言葉だ」と思いなしたもの、それが「イスラエル」なのである。

私とは「『私宛て』のメッセージを聴き取ったもの」である。

…(中略)…

私たちが「これは私宛てのメッセージだ」という確信を持つ根拠は実は一つしかないのである。

それは「受信者の知性に対する敬意」である。

驚くべきことだが、今の文脈で言うならば、それは「主の、彼の被造物である人間に対する敬意」なのである。

やすやす 2011/02/08 05:50 おもしろそうな本ですね。チェック。

マハロマハロ 2011/02/08 06:30 面白そうですね。少し前からこのような事が気になっていました。
さっそくその本明日探します。

はちこはちこ 2011/02/08 10:08 やす、マハロさん、
著者は大学の先生ですが、この本は学術書ではなく、著者が講演でお話されたことをまとめたものだそうで、読みやすいです。
この本での彼のメインの主張は彼の仮説でしかないのでしょうが、そのメインの主張の周辺で彼が言及していることの中に、いろいろ考えさせられることが含まれていて、面白いです。

ヒソカヒソカ 2011/02/11 05:10 おお、内田樹師匠のお名前が。
内田先生は、家は曹洞宗、合気道場は神道、師匠はユダヤ教(レヴィナス)、職場はプロテスタント(会衆派)の大学ですが、どの信仰にも帰依しておられない宗教混淆主義者です。けれども、レヴィナスに聖書の読み方を学んだためか、そんじょそこらのクリスチャンよりもはるかに適切に聖書を読み解かれます。職場の上司である飯謙神戸女学院院長に言わせれば内田先生は「クリスチャン」で、私もその判断に同意します。「愛神愛隣」を適切に理解しておられると共に、日々の生活で実践しておられるからです。ちなみに、20年間、神戸女学院での様々な礼拝で、教務部長として聖書朗読と奨励を行ってきたので、礼拝することは先生にとって貴重な経験のようです。

 『下流志向』はまだ読んでませんが、ある友人に言わせると内田先生の著書でも最も過激な部類に入るそうです。

はちこはちこ 2011/02/11 10:32 わ〜い、ヒソカさん、コメントありがとうございます!
私の中ではレヴィナスといえばヒソカさんなので、いろいろ教えていただき嬉しいです!
上で紹介した内田先生のブログ記事も、神戸女学院での礼拝での先生のお話で、時間が足りなくて語りきれなかったことをブログに書いた、というものなんですよね。クリスチャンでなければこういう視点、こういう言葉は出てこないはず、という内容だと思っていましたが、ヒソカさんのお話を伺い、納得です。『下流志向』は私にはとても興味深く、読んでよかったと思える本でした。氏の別の著作も読んでみたいです。お勧めがありましたら教えてください!

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/11 12:31 たびたびお邪魔します。
今日は魔のadvocateになります。
ぼくはこう思うのです。キリストの弟子にとり、「神学」などは本棚の隅に収まっていればよく、肝心なのは愛の行ないとして表れる信仰です。どんなに立派な、正しい言葉を語ろうとも、必ずしもその人が兄弟であるとは限りません。にせ兄弟であることだって考えられます。
日曜礼拝だと言いながら教壇から神学をレクチャーする牧師博士がいるような建物に、なるべくぼくは近寄らないようにしています。お勉強しに集まってくる方々にしても、得てしてそういう「教」会の会員さんは、仏頂面をした人が多いようです。
キリストの集まりで仏頂面を見るのはたくさんだ。と、ぼくは思うのですよ。

はちこはちこ 2011/02/11 14:23 人参、
コメントありがとう!
言ってることはよくわかるよ。私も同感だもの。
でもね、この内田氏に関しては、人参は誤解したかも。この方は、ご自分ではクリスチャンとは名乗っておらず、本の中でも、キリスト教やユダヤ教のことには一切ふれず、ましてや神学のことなどこれっぽっちも語っていません。
こ の社会の中で、若者が学ぶことから離れ、労働することから離れてニート化していることについて、若者たちを助け、社会を助けるにはどうしたらいいかという ことを、先生の言葉で語っています。そしてそれは、聖書を知っている人、神の愛や恵みを知っている人が聞けば、「あっ、これは御父のやり方によく似て る!」と気づくんです。
この先生は大学を引退したら、「寺小屋」のようなものをやりたいとおっしゃっていました。そうやって、行き場のなくなった 子どもや若者、さらには大人たちに、私財を投じてコミュニティーを提供したいと考えておられるそうです。これぞまさに、愛の行いとして表れる信仰の一つの 姿じゃないかしら。クリスチャンとかキリスト教という看板は一切出さず、神学的なことも一切ふりかざさずに、ただ聖書の教えを実践しておられる… それで、すごいな〜と思ったわけ。

ちなみに、内田樹氏は、ウィキペディアによると「日本のエッセイスト、元フランス文学研究者、翻訳家、神戸女学院大学教授」で、神学者でも牧師でもないです。多分、地域教会にも属していないのでは。また、上のコメントで私が「神戸女学院での礼拝で」と書いたのは、日曜礼拝ではなく、キリスト教系の大学でのチャペルアワーみたいなもののことです。

ぼくも人参ですぼくも人参です 2011/02/11 14:49 先月、初めて航海ということをして、海を渡るのに二夜を明かしました。その証をします。
一夜目は月もない、曇った夜でした。
曇った夜の暗さが忘れられません。たぶん十二時ごろだったでしょう。
この世にあんな恐ろしい暗さがあることを思い知ったのです。
甲板の真下がぽうーっと照らし出されるので、水をわけて進む白い泡が見える。あとは闇です。水平方向は、見渡すことすらできない、果てしもない、漆黒のヤミです。そんな海を見ていると、わめきだしたくなるような、頭が変になりそうな感じです。もし何かの拍子で投げ出されようものなら、まず望みはない。船はどんどん行ってしまうだろう。おのれひとり、この真っ黒い、逆巻く波の中に取り残される。いったい、どんな思いがするか。どれほどの絶望か。
そして気づいたのですよ。
実に、そういう所へ放り出されるイキ方をしていたのが、おのれだったと。
神を知らないでしまったなら、このぼくは、あの中で、時の尽きることもなく、あてもなく、何も見えない中をまさぐりながら、一縷だに望みのない絶望の海に浮かびながら、歯ぎしりするようになっていたろうと。
ああくわばらくわばら、身震いをこらえつつ甲板を下りたことでした。

はちこはちこ 2011/02/11 17:16 人参、
シェアしてくれてありがとう。星も月も出ていない夜の海…

今はどこにいるの? 東京周辺? 夏に一時帰国します。会えるといいね。

ヒソカヒソカ 2011/02/11 18:23 >はちこさん
 処女作の『ためらいの倫理学』(角川文庫)をまず勧めたい。内田先生の本の半分ぐらいはブログを再編集したコンピレーション本なので、書き下ろしならこれに加えて『日本辺境論』(新潮新書)をお勧めします。ところで、このコメントの範囲を逸脱しますが、内田先生の『日本辺境論』と『街場のアメリカ論』(文春文庫)を読んで、アメリカで進化論論争が止まない理由がわかりました。どんなに「進化論はこうです」という説得的な本が出ても終わりません。アメリカがアメリカでなくなれば終わるでしょうが。事実の水準の話をいくら積み重ねても終わりません。
 キリスト教と聖書のことを、「クリスチャン」にのみ通じる「内輪の語法」ではなく、より広い範囲の人に語れる日本人として、内田樹先生と作家の佐藤優さんを挙げたい。佐藤さんはバリバリの改革派信徒ですが、学識豊かな方で、しかも平易で明解な論理の文章を書かれる方です。しかし、佐藤さんが多くの現代的諸問題を論じられるのは、キリスト教神学を学んだからこそです。この人は内田樹先生同様、学んだことを「腹に落ちる」ようにされます。神学を学んだ牧師の言葉が難解に思えるとしたら、それは神学が間違っているからではなくて、彼等が自分の身体レベルでわかることを怠っているからです。だから、「牧師の言っていることはつじつまは合っているんだろうけれど、腑に落ちない」ということが起こるわけです。

>ぼく人参ですさん
 そもそも私たちが聖書を自分の母国語で読めるのは、多くの聖書学者や神学者の研鑽があったからこそです。それを忘れて、「神学不要論」を主張なさるのは、先人に失礼だと思います。加えて、「信仰義認論」というのは、信仰があれば、それは必ず行為に現れることを意味しています。信仰即行為です。ですから、「肝心なのは信仰です」には同意しますが、その前段としての神学不要論には全く同意できません。せめて、佐藤優さんの『はじめての宗教論』をお読みになってからそういうことを仰ってください。自分の見方を不当前提して、「神学は本棚にあればよい」と言って終わりというのは、「愛の行いとして現れる信仰」と背馳する姿勢ではないでしょうか?

はちこはちこ 2011/02/11 20:57 ヒソカさん、
お勧めありがとうございます!その3冊、チェックします。また、佐藤さんの本も探してみようと思います。楽しみです!

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/13 04:41 ヒソカきょうだい、

お叱りありがとうございます。なるほど神学は信仰者のために不要なものではなく、むしろ必要なのでしょう。クリスチャンになったからといって、ただちに数学や経済学が無駄な知識になるのでないのと同じで、神学もまた要らないというふうにはならない。
ところで、数学や経済学が直接人を救ったり慰めたりするのに向いていないように、神学だろうとも、人に信仰や希望や愛を与えたり、人をしてそれらの実践者たらしめるには、ちょっと荷が勝ちすぎはしないでしょうか。
神学には神学の正当な位置付け(its rightful place)がある。聖職者の書斎の中、あるいは余程成熟した信徒の本棚のうち、とこう私は考えます。それは、「学」なるものは、主に人間の知識欲を満たすのが目的だから。なにかに言ってありますが、知識は高慢ちきにさせる(Knowledge puffs up)とも。
聖書が薦める「神の知識」とはその種のknowledgeではなく、神との交わりからくるintimacyのことだと思うのです。夫が妻を知り、妻が夫を知る。これは知性レベルのknowledgeではない。体ごとぶつかって知るknowingのことです。神を知れという場合、イエスキリストを通し、聖霊の力によって、神を体験せよ、と言われているのでしょう。神が三位一体であるか否か、予定説は嘘か本当か、を検証しなさい、と言われているのではない。
少なくとも、日曜の朝にそんな話をされるなら、寝不足な未熟者である私は、きっと寝ます。

ヒソカヒソカ 2011/02/16 04:26 >人参さん
 何のために神学を勉強し、何のために知識をつけるのか。的確にそれを述べているので、佐藤優さんの言葉を引用します。「これは救済のためです。何の悩みもなくて私は幸せである、いつまでも現在の生をエンジョイしたいという発想で、死をも恐れないような人間に関しては、神学は不要です。神学は基本的に悩める人の学問です。救済を必要とする人の学問です」(佐藤優『はじめての宗教論 右巻』NHK出版、p,68)。

 知識は無駄ではないかという問いについて。確かに、コヘレト1:18に「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す」と書いてあります。しかし、「学問不要」「知識不要」という主張を支持する考えは聖書にはありません。聖書を読む際には文脈を考慮しなければなりません。聖書を誤読して組み立てた考えに基づいて、神学を云々するのは神学の世界では禁じ手です。また、勉強して高慢になる人とは、「勉強したことを他者のためにどう用いればよいのか」という問いを自分に向けることのない人でしょう。

 「神の知識」と学問を比較するのは、事柄の水準が違います。あなたのコメントは何か議論のための議論に思えます。神学を勉強したくないなら一向に構いませんが、あなたの仰ることは自分の出会った一人の外国人がたまたま嫌な奴だったために、その国の人全員をダメ認定することに似ています。聖職者の書斎の中とか成熟した信徒の本棚だけが、神学のあるべき場所というのは、何を根拠に言われるのでしょうか。

ヒソカヒソカ 2011/02/17 00:32 >はちこさん
 内田樹先生のでもう一つ、キリスト者に是非読んでほしいのがありました。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)です。これはブログのコンピ本ではありません。

はちこはちこ 2011/02/17 09:59 ヒソカさん、ありがとう!
夏に一時帰国予定なので、そのときに探す本リストに入れます!

westyccwestycc 2011/02/26 06:22 内田樹でもりあがっておられるようですが、本を推薦した鎌野です。内田氏はクリスチャンではありません。本にもそう書いてあります。しかし、彼の身体論を読み、ディラードの講演を聴き、ライトの講演を聴いていると、彼らの間に共通の認識があるように感じます。マッキンタイアがリバイブさせたcharacter ethicsの理解です(前におすすめしたwilliam brownの本もこの流れ)。日本で少しはやっているハーバードのマイケル・サンデルもその底流には同じ思想が流れています。このあたりをこれからしっかりと勉強せねばならない、そこから霊性の聖書神学みたいなものが出て来るのかな、とも感じています。

日本に今年の夏、一時帰国されるとのこと。神戸におこしの時は、遊びに来て下さい。

ヒソカヒソカ 2011/02/26 07:19 >westyccさん
 多分、最初の私のコメントを意識してのことだと思いますが、私は括弧つきで「飯謙神戸女学院院長に言わせれば内田先生は「クリスチャン」で、私もその判断に同意します」と書いています。内田先生が受洗されていないのは、最初に私が明言しています。

はちこはちこ 2011/02/27 16:56 おお〜、鎌野先生!コメントくださるのは初めてですよね。Welcome!! 不思議なことに、先生に勧めていただいて以来、なぜか急に至るところで内田樹氏の名前を見るようになりました。私のアンテナに引っかかるようになったからなのでしょうが… 
character ethics、初めて聞く表現です。またいろいろ教えてください!
関西まで足を伸ばせるかまだ分かりませんが、もし行くことがありましたら、ご連絡いたします!

やっぱりぼく人参でしたやっぱりぼく人参でした 2011/03/03 23:57 いまさら余計なことかもしれないけど

Faith comes by hearing. Faith comes not by studying the Bible; never when the Bible is substituted by the words of wise men and theologians.

頭でっかちな我々だから、あたかも知性を通して神に近づき、救いを見出すことができるように思い勝ちだよね。自分では謙遜の衣をまとって道を希求しているつもりが、知らず知らず、いつのまにか罠にはまっている。行き着く先は夜の海。
ぼくがさいしょ魔のadvocateになって投稿したのは、べつだん内田氏が胸にあったわけではなく、深く自戒する意味もこめてのことだったのよん。
それが変なふうに流れていって、はちこ様にストレスを与える結果になったようで、、、ごみんなしゃい。

はちこはちこ 2011/03/04 08:20 人参、
大丈夫だよ〜、私は最初から、ただ「皆で楽しいね!ルンルン♪」な交わりを求めていたわけではないからさ。

そう、信仰はキリストについての御言葉を聞くことに始まるけど、それは聖書を学ぶことの大切さを排除してはいないと思うよ。ベレヤの人たちのように、熱心にみことばを聞けばこそ、私たちはますます聖書を学びたくなるんじゃないかな。
「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」」(使徒17:11)

イエスも言われたように、聖書を調べていても、永遠のいのちを得るためにイエスのもとへ来ようとしない人がいるのも確かだろうけど。(ヨハネ5:39)

「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』」いろいろあるけど、やっぱりこの二つに尽きるね。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/03/04 21:30 ん、そうだそうだ。聞く。それから調べる。調べることは大事。まったくvitalだよ。順序だろうね、要するに。まずは聞く。聞くことなしに、いくら調べたって、ヘブライに関する知識は増えるだろうけど、肝心な物が得られない。しかも、ここの「聞く」は心の耳で聞くことだね。聖霊のささやきに心の耳を傾ける。神の言葉は聖霊の息吹きだから、その聖霊本人の超自然的な助けなしで正しく聞くことは絶対に不可能なんだ。だから、正しく聞くことができる人ほど、一見、文脈を無視したかのように思われる、突拍子もない「聖書解釈」をする。「解釈」じゃないんだよね、実は。revelationなんだよ。revelationのない単なる解釈の集積をば、ぼくは神学と呼んでいる。revelationのない神学も、あれはあれで一種の学問を形成するんだろうから結構にちがいない。けど、学者さんのすることだよ。われわれ一般信徒の仕事じゃない。新約聖書なんか、耳たぶのついた耳で聞くにとどまるなら、却って、愚かしさの極みさ。(1 Cor 2:14)ぼくはよッく分かるよ。不信仰だった時分、バイブルなんてのはただただ馬鹿馬鹿しいだけの書だった。マリアの処女懐胎だとか、ペテロの水上歩行だとか、イエスの昇天雲隠だとか。

2011-02-06

お餅パーティー!

19:07 | お餅パーティー!を含むブックマーク

 今年のシカゴJCFNお餅パーティーも大盛況でした! 

 今年はお餅以外の食べ物も多かったので、お餅は40合でも十分足りた。参加人数は、ドタキャンやとび入りもあって、最終的には大人(高校生以上)30人ほど+子供くらいかな。

 メニューは…

  • 各種お餅:磯辺、きなこ&あんこ、クリームチーズ&のり、納豆、からみ(大根おろし)、お雑煮
  • ローストポーク
  • アンディーブの煮浸し
  • 枝豆
  • 切干し大根のサラダ(W家より)
  • ステーキ(S家より)
  • ポテトサラダ(S家より)
  • チキン2種(S家より)
  • 豆腐サラダ(I家より)
  • 豚の角煮(masaさんより)
  • キムチ&各種お漬け物

デザートに…

  • いちご大福
  • クリームチーズ入りバターケーキ
  • ガトーショコラ(masaさんより)
  • みかん

 では、写真をいくつか。

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(上の2枚といちばん下の1枚はmasaさんから拝借しました。)

 こういう集まりを企画すると、準備は毎回確かに大変なのだけれど、主の御臨在の中でみなさんが楽しんでおられるのを見ると、心から嬉しくなる。だから毎度性懲りもなくホストさせていただくのだろう。

 個人的には、久しぶりにめぐんちゃんとゆっくりお話できたのがとても嬉しかった。めぐんちゃんと話していると、自分のいちばん弱い部分、醜い部分も、ごく当たり前のこととしてふつうにシェアできて、それをそのまま受け止めてもらえるのが嬉しい。

kanahakanaha 2011/02/06 22:27 はちこさん

お疲れ様でした。
イチゴ大福OKじゃないですか!立派なイチゴで、日本ではなかなか手が出ないくらいですね。
お料理も素晴らしい。
けれど何より、参加者の方々の顔が良いですね。

こういう企画のホストは疲れるのも正直あると思うのですが、それ以上に多く恵まれますよね。

素敵な交わりの様子を見れて、感謝です。

さらさら 2011/02/07 04:09 おいしそう〜〜&楽しそう〜〜!!!
いちご大福もおいしそうにできましたね!!食べてみたいもんだ!!!

それにしても、阪神タイガースのユニフォームが・・・・こんなところにも。
それに着ている方、アメリカのお方。
おそるべし!!!阪神タイガース!!!
タイガースファンの人は、日常でもさりげなくタイガースグッズを身につけている人、多いです。
トートバック、携帯灰皿、ハンカチタオル、首に巻いているタオル。

ちなみに私は、巨人ファンです。ここだけの話です。
私の周囲には、阪神タイガーズファンが多いから。。。。

はちこはちこ 2011/02/07 10:32 kanahaさん、
やはり疲れが出たのか、夕べは9時半に寝て、今朝6時まで熟睡しました。 こういうことホストできるのも、いつまでかな〜と思ったりもします。
イチゴ大福、一時は完全に諦めたのですが、「せっかくだから完成させましょうよ」と励ましてくださった方がいて、おかげで何とかなって本当に嬉しかったです。本当に大粒で美味しいイチゴで、おかげで大福もとっても美味しかったです。見た目はアレですけどね。(笑)高さが8センチくらいあるんです。

さらさん、
タイガースに、アメリカ人のクリスチャンの選手がいますよね。名前失念してしまいましたが、秋にフランクリン・グラハム大会でも証された方… 写真のタイガースシャツの彼は、その選手のお友達なんだそうです。^^

めぐんちゃんめぐんちゃん 2011/02/07 13:22 はちこさん、I miss you already(号泣)。私も帰りの車の中でJそんと「今回のVisitのハイライト」を話していて、すぐに「はちこさんとゆっくりお話しできたこと」が出てきました。

はちこさんがいつも正直に、Authenticに、神様と向き合っている姿は、私をはじめ多くの女の子達にとって素晴らしいroll modelです。私個人の歩みの中で、節目節目にさちさんの言葉や姿が思い起こされて励まされたことが何度あったか分かりません。

今回もありがとうございました!餅食いのためにお家を開放してくださったなかむらけの皆さんと、準備をしてくださった方々全ての労に主が豊かに報いてくださいますように。

まきとまきと 2011/02/07 17:35 >めぐんちゃんと話していると、自分のいちばん弱い部分、醜い部分も、ごく当たり前のこととしてふつうにシェアできて、それをそのまま受け止めてもらえるのが嬉しい。
いい関係のお友達と会えて良かったですね。なかなか、弱さはシェアできませんからね。^^;

たんぽぽたんぽぽ 2011/02/08 04:14 子供たちかわいいですね。
早く私もママになりたいな。祈ろうっと。
今年は仕事は充実しています。
発達診断では自分のいいと思う方法を提案できます。
聖書と英語のクラスも持ちます。
英語のクラスは帰国子女受け入れ先にもなるといいな。
安心して帰国してねと言えるようになってます。
いろいろ攻撃もあるので、家族の健康や私の健康、プライベートの充実のためにも
祈ってね。

やすやす 2011/02/08 05:54 う〜ん、懐かしい光景です。
僕みたいに去って行く人もいれば、賛美リードしているYたちみたいにずっといる人たちもいる・・・感慨深いです。
今年も無事開催出来た様子で感謝しています。

さらさら 2011/02/08 08:41 阪神タイガースのどの選手でしょう。友人がいるんだーーー。
タイガースのユニフォームは、目立ちますね。

野球といえば、巨人のラミネス選手もクリスチャンで、
はちこさん、日本に来た時に一緒に写真を撮ったことありましたよね。
ラミネスが優勝インタビューの時に「神さまに感謝しています。」といえるのは、
あれは、アメリカ人クリスチャンならでは。
堂々としていますね。

さら 追伸さら 追伸 2011/02/08 08:45 ラミネスではなくて、ラミレスでした。失礼。

ゆみりんゆみりん 2011/02/08 09:35 ご無沙汰しております。
お餅大会たのしそー!イチゴ大福ってアイデア、ハンツヴィルでも
いただきです!みんなで作るのも楽しそうです。
めぐんちゃんや、みなさんの楽しそうな顔を見てると
ハンツヴィルでもがんばろうって励まされます。
こういう時間ってほんとに神様からの恵みですね。

はちこはちこ 2011/02/08 10:16 めぐんちゃん、
めぐんちゃんがシカゴに来て、もっと頻繁に定期的に会えるようになればどんなにか嬉しいのに…といつも思います。めぐんちゃんもいつもinspiring & insightfulで、I really enjoy talking with you! です。今回はしんげん君もたくさん抱っこできて、嬉しかった!私もくらたけのために祈っています!

まきとさん、
はい、こういう関係は、とても貴重で、なくてはならないものですね。

たんぽぽさん、
お仕事が充実しておられるとのこと、嬉しいです!
これから先、帰国子女の数はますます増えるでしょうから、とても大切なお働きですね!公私ともに、守られ、ますます祝されますように!

やす、
それがねー、Yも、この秋からいよいよ遠くに行ってしまうみたいよ。寂しいけど、仕方がないね。シカゴの地で共に過ごせた時間を感謝し、みんなのここからの旅立ちの上に、主の豊かな導きと祝福があることを、いつも祈らされます。Love you all!

さらさん、
アメリカには、クリスチャンのプロスポーツ選手が大勢いて、皆さんとてもよい働きをされていますよね。タイガースの選手、なんていう名前だったかなぁ… あ、今調べてみたら「マートン」でした!

ゆみりんさん、
イチゴ大福、美味しくって楽しくって、よかったですよ〜。
ただ、ふつうのお餅だと、お餅がすぐに固くなってきて包みにくいんですね。それで私も最初、大失敗してしまいました。
レシピをいろいろ調べると、白玉粉だったり、餅米+上新粉だったり。私は先日リンクしたのですが、クックパッドでみつけた餅米+砂糖+小麦粉+湯冷まし、というのを使ったのですが、それでももたもたしていたら、すっかり固まってしまいました。
ハンツヴィルの皆さんの上にも、主のたくさんの祝福がありますように!

たんぽぽたんぽぽ 2011/02/10 06:07 はち子さんありがとう。
帰国子女の英語力を落とさないようにするクラスはいろいろあるんです。
私は、自然な形で、日本で必要なソーシャルスキルも楽しんで
自然に学べるといいなと思います。そうできたら日本初?!
アメリカ人の先生と一緒に教えます。私の経験からいうと、
日本にずっといる子供には、日本での考え方を教えてあげないと、
学校で苦労します。でも、たとえば、アメリカにまた行くとかに
なると違うしね。日本の学校に行く子には、どういうときに日本では
注意されるとか、わかってたほうがいいけど。
それよりリラックスできる場がいいのかな。
小さい子供ほど英語はすぐに忘れます。
忘れるともったないですが、大人になって勉強しても遅くはありません。
日本の学校、社会に合わせていく場合はいろんな問題があります。
キリスト教式で教えられるので、私たちの国籍は天にあるって伝えるのが
一番いいのかもね。アイデンティティの問題になりますね。
人生観が問われるかもね。

kayokayo 2011/02/10 23:13 どれもとってもおいしそう〜。
アンディーブの煮びたしって、日本ではお目にかからないかも。
一度食べてみたいです。

いちご大福は、私は白あんで作ります。赤と白で春らしい、かわいい感じに
なりますよ〜。

いつか絶対、行きたいです!!

BlessingsBlessings 2011/02/11 08:16 はちこさん、すばらしいお料理ですね!はちこさんのご紹介のレシピは必ずチェックさせてもらっています(^^)
さて、いちご大福、いちごがジューシーで甘そう!
私は、いつもこし餡を丸い座布団にしていちごを鎮座させ(?)お餅で全体を包むので、上部はややとんがり帽子気味で、いちごの赤が透けて見え、これはこれで美しいのですが、この写真のように、ボリュームたっぷりを切り分けて、断面の芸術(!)を披露するのもアイデアだなあと思いました。いちご大福、応用がききそうですね。
ちなみに、砂糖のみの配合で、午後一番に作り、夕方のお客様まで十分柔らかさが保っていましたよ。持ち帰って夜もO.K.だったような…。ご参考まで。

はちこはちこ 2011/02/11 10:24 たんぽぽさん、
そうですね、言葉だけの問題ではなく、暮らしている国の文化や習慣も身につける必要がありますよね。生徒さんたちが、まだ小さいうちに信頼できる良い先生に巡り会えるというのは、本当に尊いことだと思います。たんぽぽさん、良い働きをなさってくださり、ありがとう!!

kayoさん、
ものすごく大量に作るので、ほうれん草だともたもたしてたらドロドロに煮えちゃいそうだし、小松菜は大量に手に入らないし…ということで、生活の知恵として学んだのがアンディーブを使うことでした。^^ クセがないので子どもにも食べやすいし、多少似てもシャキッとした歯ごたえが残るので、煮浸しにはぴったりです。
白あんで作るいちご大福、素敵! おひな祭りに、白あんの苺大福でおひな様を作ったら可愛いかも!! って、私はそういう手先の器用なことはできないのですが、もしkayoさんが作ったら、ぜひ写真見せてくださいね!

Blessingsさん、
私はほとんど何もしていないのですが、皆さんが助けてくださったおかげで、にぎやかな食卓になり感謝でした!
このいちご大福、とにかくいちごが大きかったんですよね。切らないままだと、オバQ(ご存知かな?)みたいで、「なにこれ?」の世界だったんですが、切ってみたら、いちごの鮮やかさが映えて、嬉しかったです。子どもたちも手伝ってくれてワイワイ作ったので、形は不格好なのもありますが、とにかく楽しく、美味しかったので、二重丸!

砂糖を入れて柔らかさを保つお餅には、ぜひもう一度挑戦したいです。今回大失敗で、最後には瓦のようになってしまって残念だったので!

2011-02-04

イチゴ大福

17:43 | イチゴ大福を含むブックマーク

 明日のお餅パーティーでは、デザート用にイチゴ大福に挑戦してみようと思う。

 イチゴと餡を包む皮は、このこのお餅レシピを参考にします。うまくいくといいなぁ〜。

Cpicon 硬くならない☆不思議なお餅の作り方〜♪ by Pira

 ただ、売っていたイチゴが大粒のものばかりで、しかも半端でない大きさで、これでイチゴ大福作ったら野球のボールくらいの大きさになってしまいそうで、あせっています。orz 当初、一人2コの予定でいましたが、巨大になりそうなので、一人1コにします。ああ、ドキドキ。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/02/05 02:18 イチゴ大福イチゴ大福!ぼくも大好き。あの組み合わせ考えた人だれだろうね。いいセンスしてたんだね。以前津和野で食べたの、うまかったな。

♪Sunny♪Sunny 2011/02/05 06:52 苺大福はいかがでしたか。
わたしも小ぶりの苺を見ると「苺大福作りたい〜」と思いながら、今年はなんとなく忙しくて、あまりお菓子を作っていません。
苺大福、食べたい〜。

BlessingsBlessings 2011/02/05 07:37 実は、うちの名産に羽二重餅というのがありまして…。南アフリカの友人が、なぜお餅が柔らかいままなのか?と問題提起をしてくれたことがあったのです。それは、当然何かの添加物(自然ではない)のせいじゃない?と軽くあしらう私をよそに、工事見学の際、しつこく食い下がる彼女に、担当者が意外な種明かしをしてくれたのです。
その秘密が「砂糖」と知って、半信半疑で作ってみると、あら不思議!本当に柔らかいまま…今では教会のお茶会でも、いちご大福お出しします。(小麦粉は初耳ですが、さらに持ちがよくなるのかもしれませんね)
それにしても、アメリカでいちご大福♪レパートリーの幅広さに、はちこさんの周囲の方々、次は何かとワクワクしちゃいそうですね!

はちこはちこ 2011/02/06 17:46 人参、
イチゴの酸味のある甘さと餡とお餅のコンビネーションが絶妙だよね! 当日は紆余曲折の末、美味しいイチゴ大福をお客様に楽しんでいただくことができました! いや〜、ほんとに美味しかった!

♪Sunnyさん、
詳しくはあとでブログに書きますが、このレシピで作ったお餅、なぜか、しっかり固くなってしまい、最初はうまく包めなかったんです。結局、つきたての柔らかいお餅をつかってやり直した所、うまくできました! 大粒のイチゴで、色つやといい、味といい、まるで日本の「一粒500円!」のイチゴみたいで、包むのは難しかったのですが、味は最高でした!

Blessings さん
このレシピでは、一升の餅米に対しての分量が出ていますが、私は6合の餅米を使ったのでそれに合わせて砂糖などの量を調整したつもりだったのですが、なぜかあまり柔らかくならなかったんです… もちろん、つきあがった時は柔らかかったのですが、油断したら、あっというまに固くなってしまって… 今、冷蔵庫にありますが、瓦のように固くなっています… いつかもう一度、このレシピに挑戦してみたいです。次は、小麦粉抜きでやってみようと思います。

2011-02-03

Monster Blizzard

21:50 | Monster Blizzardを含むブックマーク

 日本でも報道されたようですが、アメリカはこの火曜日から、全米の半分以上をおおうような大変な雪嵐に襲われていました。特に中西部から東側が大変だったようです。シカゴでは、火曜日の午後3時から「Potentially Life-Threatening」Blizzard警報が出て、翌水曜日の午後一時過ぎに解除されました。降雪と暴風で、雪が降っている中で雷がゴロゴロ鳴るという不思議な体験をしました。ブリザード警報が解除された今日は、気温がものすごく下がり、体感温度では氷点下20〜30度だったそうです。(確かに、ちょっと外に出ただけでもものすごく寒かった!)

 この数日は大騒ぎでしたが、雪そのものは60センチも積もらなかったと思います。それでも丸一日以上、交通はマヒして大変でした。道路で車が進まなくなり、車を乗り捨てて歩いて帰ろうとする人たちも続出。シカゴのダウンタウンのレイクショアドライブという道路では、1000台以上もの車がトラップされてしまったそうです。そして、車の中に一晩中閉じ込められていた人もいたそうです。 

 学校は、シカゴ大学も含めて、水曜日と木曜日が休校でした。夫は木曜日(今日)中間試験を行なうはずだったので、水曜日に出勤できなくなる可能性を見込んで、火曜日の昼までに試験問題をすべて印刷し、TAの大学院生たちに必要な指示をすべて出したそうです。おかげで、TAたち(彼らはキャンパスのそばに住んでいる)が必要な手はずを整えてくれたので、ぼぼるパパは助かりました。でも、木曜日も休校になったため、結局試験は来週に延期になりましたが…

 うちの周辺の写真です。

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 それからパノラマ写真も撮りました。ここでフルサイズの画像が見れます。道路が完全に雪没(?)して、分からなくなっています。

ガラスのティーポット

21:50 | ガラスのティーポットを含むブックマーク

 今週の土曜日は、シカゴJCFN恒例のお餅パーティー(別名「餅食いパーテー」)。今日は、その買い出しでミツワまで行ってきた。そしたら、以前から欲しいと思っていたガラスのティーポットがなんと12ドルで売っているのを発見。即買いでした。まぁ、12ドルだけあって、いかにも安っぽい作りではありますが、とりあえず、いい感じに楽しめるので、満足。すぐに割ってしまいそうだけど。

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 こんな具合に、先日ご紹介した工芸茶のジャスミンティーをいれるのにピッタリなのです。

kurikskuriks 2011/02/04 03:28 す〜て〜き〜。私もやってみたい。普通のジャスミンティーとお味は違うんですか?餅食いパーティーも懐かしいです!皆さんによろしくお伝え下さい。雪すごいみたいですけど、皆さん無事に運転できますように・・・

heidiheidi 2011/02/04 07:07 私もガラスのティーポットを使っています。もうちょっと上に高いサイズかな。なるほどこういう使い方があるんですね。見ても楽しめて良いですね。それから、確かに洗う時にちょっと緊張します。(^_^;;

さらさら 2011/02/06 08:55 このガラスのティーポット、素敵ですね。
これが、12ドルということは1300円くらいなのかな。
うわぁ、お買い得ですね。私もガラスのティーポットがほしくなりました。
ちょっと優雅なお茶タイムになりますね。
この値段でこんな素敵なガラスティーポットが手に入るなんて、いいですね。
私も祈って探してみよう。
だって、座椅子がほしくて祈っていたら、ある方から比較的にいいものを無料で譲っていただけることになりました。

はちこはちこ 2011/02/06 17:50 くりちゃん、
このお茶は、味は、普通のジャスミンティーより、もっと香りがしっかりついている感じかな。味や香りだけでなく、見て楽しめるのも魅力です! お餅パーティー、今年も大盛況で楽しかったよ!めぐんちゃんちのしんげんをたっぷり抱っこできて嬉しかった!

heidiさん、
洗う時に緊張しますよね! 私のは安物なので、ガラスも薄い感じがして、ちょっとぶつけたらすぐに壊れそうです。でも、今のところ楽しんでいます!

さらさん、
見た目は素敵でしょう。^^ でも、実際に持ってみると、やっぱり安物、という感じがはっきりわかります。逆に言えば、たとえ壊しても惜しくない値段なので、めいっぱい普段使いに楽しもうと思います。さらさんも手頃なガラスのティーポットが見つかるといいですね!

2011-02-01

Google Art Project

21:00 | Google Art Projectを含むブックマーク

 家にいながらにして、インターネットで世界中のいろんな美術館を訪問できる。これはすごい。

再掲:出エジプト記23章

20:43 | 再掲:出エジプト記23章を含むブックマーク

 約5年前の記事の再掲です。数日前、今年も出エジプト記23章を読んで改めて胸に迫るものがあったので。

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 昨日読んだ23章が頭を離れない。この章からは、てんこ盛りでいろいろなことを語られた。たとえば29、30節。イスラエルの民に約束されている地の先住民を主が追い払ってくださるとおっしゃっているのだけれど、一気に駆逐するのでなく、徐々に追い払うと言われている。それは「土地が荒れ果て、野の獣が増して、あなたを害することのないため」だとおっしゃる。主は、イスラエルの民が相続地をtake overし、管理するための勢力をつけるのをはかりながら、つまり成長の度合いを見ながら、その地を民に渡すとおっしゃっているのか。

 何か問題があるとき、私たちは往々にして、一気にそれを取り除いて欲しいと願う。神さまは万能なのだし、それを取り除くことは明らかに神さまの御心にかなっているはずなのだから、スパッと一息にお願いしたいと思う。しかし神さまは、あえてゆっくり時間をかけて取り扱われることがある。そのプロセスの中で、私たちが自制を学び、忍耐を学び、主に自分を明け渡すことを学び、互いに愛し合うことを学び、そうやって品性を練られていくためだろうか。結果だけ、ゴールだけをポンとお与えになるのでなく、そこに到達するまでの道のりを、神さまは尊ばれる。

 また、30節では「わたしは…あなたの前から追い払おう」とおっしゃっているのに、31節では「わたしがあなたの手に渡し、あなたが彼らをあなたの前から追い払うからである」と言われる。あれ、私が? 神さまがやってくださるのじゃなかったの?と言いたくなるが、神さまがなしてくださることでありながら、そこには私が果たすべき役割もあることがわかる。成長って、聖化って、こういうものなのだろうな。神さまとの二人三脚で進む道のり。

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