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God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2011-09-28

EasyTone

15:17 | EasyToneを含むブックマーク

 リーボックのEasyToneという美脚効果を謳ったウォーキングシューズ、その効果に科学的根拠なしということで訴えられていて、敗訴したらしい。リーボックのじゃないけど、私も同様の美脚ウォーキングシューズ、持ってたのに… あれは単に、疲れるだけの靴だったのか…。ほんとに流行っていて、みんな履いてたけどなぁ…

tomotomo 2011/09/28 18:26 はちこさん、

もう一つだけどうしても教えて欲しいことがあります。
何卒、よろしくお願いします。
ウォーキングシューズと関係のないコメントですみません。


【問い】『イエスは偉い人なのか、それとも、あくまでも神の受肉化なのか?』

という問いに対して、キリスト教は答えを出していない、と思うのですが如何でしょうか?

教えてください。
よろしくお願いいたします。

はちこはちこ 2011/09/28 20:24 tomoさん、
こんにちは! その問いは、とても教理的なものですね。私がtomoさんの質問を誤解しているのでなければ、キリスト教はそれに対してははっきりとした答えを持っていると思います。
キリスト教の理解は、イエスは100%人間であり、100%神であった、ということです。普通に考えればありえないのですけどね。でも、私もそのように信じています。

tomotomo 2011/09/28 21:37 はちこさん

ありがとうございました。
納得いたしました。
『物理的・人理的には矛盾的するけれど、教理的にはOK、という解決がありえる』
ということですね。

私は、自分の日常生活の役に立てようと思い、
次のように考えておりました:

■キリスト教は、その問いには答えずに、ブランクのままにしつつ、
■ブランクを何かで埋めたくなる人間の衝動に対して、
■もう一つ、何か別の処方箋があるのではないか?


『イエスは人間だ』vs『いや神の受肉化だ』という思考は、
単純な同類嫌悪でしかない、ということには気づいておりましたが、
無知の知(ブランクを晒し維持すること)が人間の側の理であることには
気がつきませんでした。

とても勉強になりました。
本当にありがとうございました。

tomotomo 2011/09/28 21:40 はちこさん、すみません。
2回、投稿ボタンを押してしまったようです。
お手数ですが、片方を削除してください。
すみません。

ご教授、本当にありがとうございました。
すごく勉強になりました。

旧ジャージー旧ジャージー 2011/09/29 04:54 はちこさ〜〜〜ん
ええ??効果なしですか・・・
リーボックではありませんが、美脚シューズ
おととし買ったまま、タンスの肥やしになっています。。。
履く前に効果なしと分かると
益々タンスの肥やし化しちゃいます・・・
高かったのに。。。(/(エ)\)

100%人間で、100%神 Amen

はちこはちこ 2011/09/29 08:38 tomoさん、

>無知の知(ブランクを晒し維持すること)が人間の側の理であること

ああ、うまい表現ですね! その通りだと思います。

キリスト教信仰には、いくつか、普通で考えたらあり得ないこともありますね。たとえば、イエスの母マリヤが、処女で聖霊によってイエスを身ごもったこととか、イエスの死後の復活とか。

聖書は、信じるときに知性を用いることの大切さも繰り返し強調していますが(つまり、わけのわからないことを何でも鵜呑みにするのではない、ということ)、同時に、人間の知恵では神の知恵に及ばないことも明言しています。「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです」(コリント人への手紙第一 1:21)

はちこはちこ 2011/09/29 08:40 旧ジャージーさん

ショックですよねー! と言っても、私もろくに使っていなかったので、あまり言えないのですが。(汗)

tomotomo 2011/09/29 13:10 はちこさん

ありがとうございました。
納得できました。

『無知の知を理解するための知性』というジレンマに対して、
『馬鹿になれ』と言ってしまうと盲目的信仰になるので、
無知の知を神知の知へ転換することによって、
教理の世界へ入るということかな、と理解しました。

そう考えると、教派を換えると、
『神の理から人の理へ』の逆流を起こすことがあるのかもしれませんね。
昔の教理への信仰が、『盲目的に信じさせられた』という記憶になると、
それが『昔の教派を打倒しなければ』という使命感に摩り替わります。
新しい教理への信仰が、昔の教派での体験によって支えられ過ぎると、
それはもう神の理ではなく、人の理であると思います。

『忘れる』ということについて、
キリスト教はどのように教えているのでしょうか。

ごめんなさい。
教えてください。

はちこはちこ 2011/09/29 13:56 tomoさん


「盲目的に信じさせられた」というと、カルト的な教会のことでしょうか。最近確かに、カルト的になってしまったキリスト教の教会がメディアを騒がせることが増えていますが… 教理の一部が不健全に強調されたり、歪められたりして、カルト的になってしまうことは、とても残念ですが、時々あるようです。

キリスト教にはたくさんの教派があるそうで、私もすべてを知っているわけではありませんが、キリスト教と名乗る以上は、多少の強調点の違いはあっても教理的にはどれもすべて同じはずだと理解しています。ですから教会を変わっても、カルト被害に会ったのでない限り、前の教会の教理を打倒せねば、とはならないだろうと思います。
人がキリスト者になったとき、最初からキリスト教のすべて、神のすべて、この世の中のすべてを理解してなる人はまずいないと思います。そのため、キリスト者として歩んでいく中で、自分の神理解や人間理解、信仰に照らしてみる社会理解などが変化していくことは往々にしてありますし、実際、そうあってしかるべきで、それを「成長」と呼ぶと思います。また、それぞれの段階で、そのときに理解すべきこと、習得すべきことがあるでしょうから、ある人の信仰では神様の赦しを強調し、別の人の信仰では社会的弱者を助けることを強調しているかもしれません。どちらが正しいとか間違っているということではなく、すべて同じ神を信じる信仰から出てくる、それぞれの段階における当然の帰結なのだと思います。

「忘れる」ことに関しては、特別の教理があるのか知りませんが、たとえばユダヤ人は「記憶の民」と呼ばれ、神様がユダヤ民族に何をしてくださったのか、先祖代々語り継ぎ、とてもよく記憶しているそうです。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」という聖書の言葉もあります。一方で、神様のほうは、私たちの罪を「忘れた」とおっしゃってくださいます。罪が赦されたとは、それが神様の記憶や記録から消し去られた、神様が忘れてくださった、ということなのです。

tomoさんがどういう背景からこういった質問をなさるのか、よくわからないため、的外れなことを言っていたらごめんなさい。

たしんたしん 2011/09/29 14:58 どうせ、原告は楽に美脚になれると思ってなれなかった人でしょ。

スニーカー一足程度のはした金with no努力でグッドシェイプが保てる訳がない。

しかし、「これを履いたら美脚になる」という心理効果でウォーキング&ジョギングに励んで実際に効果を得た人も相当数、存在する筈。


5年ぐらい前に新しいジーンズを買った職場の若いヤツに、「たしんさん、これ、足が長く見えるジーンズなんですよ」と言われた時、喉元まで出かかった「効果ねえじゃん」の一言を飲み下しましたが、あれこそ訴えられて然るべき商品だと思うなあ(笑)。

tomotomo 2011/09/29 16:46 はちこさん、

ご教授ありがとうございます。

小学生の自分を否定して中学生になるわけではないように、
成長の過程に優劣がないことはよく理解しています。

私は、教派を換えることも、成長の一部だと思っていますが、
昔の教派が歪んでいると考えるなら、それは優劣です。
成長という人理の中に、教理を関連付けてしまっている。

このあたりの痛みがすごく気になるんです。
全てを理解していないからキリスト者にならない、
と言う人は稀だと思っています。

『忘れること』に関するコメントもありがとうございました。
とても勉強になりました。

ここまで整理できたのははちこさんと皆様のおかげさまです。
本当に感謝しております。
ありがとうございます。

はちこはちこ 2011/09/30 09:19 たしんさん、
カスタマーからの評判はよくて、リーボックも、効果は確かにあるんだ!と主張しているようです。ただ、科学的には効果が実証されたわけではないのに、そうであるかのように宣伝したことで、日本でいう公正取引委員会みたいなところからチェックが入って、今回の裁判になったようですよ。

やはり、ダイエットや健康に、近道はないですよね。地道な努力が必要ですね〜。

はちこはちこ 2011/09/30 10:59 tomoさん

tomoさんがお考えになっていることに、少しでもお役に立てているなら光栄です。

tomotomo 2011/09/30 13:25 はちこさん

本当にありがとうございました。
こんなに親切に答えて頂けたのははじめてです。
お陰様で次のテーマが見えました。
それは『価値判断なき卒業という神技』です。

ありがとうございました。

♪Sunny♪Sunny 2011/11/10 22:54 今更ですが、最近この靴買って履きだしました。
今記事を拝見し「そうなのか~」と思ったのですが、別に美脚を目指している訳じゃないし、あまりにも運動不足なので、ちょっとでも負荷がかかれば体に良いかも、ぐらいの気持ちなので、ま、良いか~と考えることにします。
毎日履いて歩きまわっている訳ではありませんが、確かに今まで使わなかった筋肉を使っているという実感はあるので、履かないよりはいいかな、と(^_^;)

はちこはちこ 2011/11/11 22:21 この靴をはくと、確か足に負荷がかかるのを感じますよね。それに、運動してる!という気持ちがして、歩くのが楽しくなるし。科学的なデータはなくとも、それで十分ですよね!

2011-09-27

親知らず抜歯、鍋ラック、ケンほか

08:49 | 親知らず抜歯、鍋ラック、ケンほかを含むブックマーク

 昨日は6ヶ月ごとの歯科定期検診&クリーニングの日だった。検診のたびに、最後に一本残っている親知らずを抜くように言われ続けて10年あまり。(最初に言われたのは、ケンを妊娠していた頃だった。)「はい、はい」と言いつつ、特に不都合ないし〜、と先延ばしにしていたのだけれど、昨日はついに、「隣の歯が虫歯になりかかっているかもしれないから、親知らずを抜いて、チェックしないとダメ」と言われてしまった。

 いよいよ年貢の納め時か…(くすん)

 娘たちが4本いっぺんに抜いたのと違い、一本だけだけれど、真横に生えているので、ちょっと厄介かもしれない。通常なら口腔外科でやってもらうのだけれど、もう20年近くお世話になっているこの歯医者さん、「私がトライしてみてもいいわよ。その方があなたにとっても安くて済むし。ただし、どうしても抜けなかったら、やっぱり口腔外科にいってもらうことになるけど。ギャンブルね。あなた次第よ、どうする?」とおっしゃる。「私がやるなら、局所麻酔だけでやるから、後も楽よ」と。

 でも、もし結局口腔外科に行かざるを得なくなったら二度手間だし、歯医者さんの局所麻酔は苦手なので、鎮静剤かなにかで寝ている間にやってもらえるなら、その方がいいんだけどなぁとも思ったり。

 それで、「口腔外科に行きます」と返事すると、「OK, I don't take it as an offense(侮辱とは受け取らない)」だって。そんなこと言われると、逆に「悪いこと言っちゃったかな?」と心配になるじゃないかー。でもここはやはり、先生のご機嫌をとるよりも、私が自分の納得いく判断しなくちゃね。確かに先生にやってもらえるならその方が簡単なのかもしれないけど、ご本人がおっしゃるように、ギャンブルなわけだし。ああ… 近々口腔外科に予約を取るか…

 まったく話し変わって、鍋ラック。去年の秋だか冬に、アマゾンで衝動買いしたもの。日本円にしてわずか2800円ほどの品ですが、レビューもとてもよかったし、実際、頑丈です。自分で工具箱を引っ張り出して、天井にぶらさげました。

f:id:mmesachi:20110419083524j:image

 実は、我が家のキッチンが大好きです。特にシンク周りとシンク前の窓から見える外の景色。外に出てみるとたいしたことはないんだけど(笑)、窓から見るといい感じなのです。秋は目の前のもみじが真っ赤に紅葉します。(紅葉の当たり年だったら。そうでないと、ただ茶色くなるだけ。汗)

f:id:mmesachi:20110925135536j:image

 

 再び話し変わって、昨日は月曜日なのに、夕方からケンのサッカーの試合があった。前半戦はケンがゴールキーパーだったのだが、あろうことか、4点も取られてしまった。はっきり言って、ケンはあまり運動神経がよくないのだ。でも、人には得意不得意があって、ケンは運動が苦手でも、手先を使った工作などは得意だし、それでいいと思っている。私自身は子どもの頃、運動神経はよい方だったので(徒競走はいつも1位だったし、中学のときは校内陸上競技大会女子高飛びの部で優勝した)、ケンの動きの鈍さに気づいたときはちょっとショックだったけど、それでも本人は喜んでサッカーをしているのだから、それでいいと思っている。

 昨日の試合は、4点のうちの1点はペナルティーキックによるもの。一対一で向き合って、ケンはボールは止められなかったけど、怖じ気づかずにちゃんとボールに向かって飛び、触って少しだけはじくことはできた。それでも結局ゴールに入ってしまったのだけれどね。

 後半戦はキーパー交代したものの、結局7対0で負け。ケンはチームメートたちからかなり批判されたらしく、しょげていた。特に親友のジョーイが試合後ろくに口をきいてくれなかったそうで、悲しそうだった。でもコーチは、「ケンだけのせいじゃない。ディフェンスもちゃんとディフェンスの仕事をしていなかった」と言ってくれたそうで、それで少しは慰められた、と言っていたけれど…

 確かに、「これくらい止めてよ!」と言いたくなるようなゴールもあったけど、ペナルティーキックのときは、ケンは逃げずにきちんと向き合ったので、それはたっぷり誉めてあげた。

旧ジャージー旧ジャージー 2011/09/27 17:47 はちこさん
私も横向きの親知らずの持ち主でした
下の歯だったので、根っこが深く抜くのが大変でした
何軒か回ったんですが全て「口腔外科紹介します」の返事。。。
最終的に、家の近くの口腔外科上がりの開業医で抜いてもらいました
抜くのに時間もかかったし、歯を削ったり叩いたり大変でしたよ
後も傷口が腫れて痛かった。。。
私、4本の内、1本は、埋まったままで、生えて来てません
そう言えば、甥が、矯正のために生えていない親知らずを切開して抜いたんですが
5本もありました・・・(/(エ)\)

鍋ラック、
カッコいい〜〜〜レストランみたい!!!

まきとまきと 2011/09/27 18:08 はちこさん、って運動神経がいいんだ!うちも弟が運動神経が良くて今でもなんだかんだスポーツをやってますよ。比べるといけないね。ケン君は工作なんか、手先は器用な様子。がんばれ!

kanahakanaha 2011/09/27 18:15 鍋ラック格好良い〜!
そして、鍋がピカピカなのが素晴らしい!
我家の鍋を磨かねば…と。

ケン君、そうなの?
娘もそれほど運動出来る方では無かったと思うけど、本人が好きでね。
そのうち、それなりになった気がする。
運動は好きでい続けることが大事だから大丈夫よ〜!

はちこはちこ 2011/09/27 20:11 旧ジャージーさん、
うう、削ったり叩いたり… 噂には聞いたことがありますが、そんなことになったらいやだよう… やはり一般の歯科医院で局所麻酔だけでそんなことされるより、口腔外科で寝ている間にやってもらうほうがよさそうですよね。
ああ、これが嫌で、10年間も先延ばしにしていたのですよ…(苦笑)

まきとさん、
ありがとう! そう、比べることないですよね! みんな人それぞれに、得意不得意、好きなこととそうでもないことがあるんですから!

kanahaさん、
さすが目のつけどころが違う!
あのピカピカのお鍋たちは、実はおニュー(死語?)なんです。もともとは、古くなって使い勝手が悪くなっていたお鍋をいくつかreplaceするために、新しいお鍋セットを購入したのが事の始まりでした。ステンレススティールのお鍋8点セットを購入したら、棚の中に入り切らなくなってしまい、それで鍋ラックを買ったのですよ。(笑)
お鍋の方は、最初の頃は、専用のクレンザーまで買って、使うたびにきれいにピカピカになるまで磨いていましたが、今はすでに「使い込んだ」感に溢れています。(笑)

そう、運動は、好きで続けられるなら、それで十分ですよねっ!

TomokoTomoko 2011/09/28 04:11 我が家の2人の娘達はクロスカントリーに始まり、室内陸上、陸上とほぼ1年間走ってます。当然そうしたレースに応援に行く機会も多いのだけど、正直私はこの応援に行くのが気が重いんですよ。何故か?2人ともけして優秀なランナーではなく、それでも長女の方はなんとかいいのですが、次女は今でこそ後ろに何人かのランナーがいるほどまでに記録を伸ばしてきたけど、最初の頃はいつもビリで、3000m走などは先頭のランナーとグランド2周(800m)の差がつけられるほどです。そんな娘達を見ているのも辛いし、応援するのも苦と感じる時があるんですよ。

私は両親、そして祖父、叔父も体育の教師という、スポーツ一家に育ったんです。バルセロナオリンピックの女子マラソン代表となった浅利純子さんのコーチは父が育てあげた人で、走るなら一番になれ!というCompetiveな環境で育ったんです。だからどんなにベストを尽くして頑張って走っていても、それが結果につながらないのだったら止めた方がいい、という潜在意識が私の中にあって、娘達が頑張って走っている姿を見てもいうつも何か複雑な心境だったんです。

長女がシニアの時、スポーツ晩餐会で幾つか大きな賞が生徒に与えたれたのですが、その中の1つに長女が選ばれたんです。本人は勿論、私達も全く予想していなかったことだから本当に驚きました。先にも書いたように、長女はけして優秀はランナーではなかったし、長女よりも早いランナーも同じ高校だけでも何人もいたからです。この賞受賞についてはフェイスブックにも書いたからはちこさんはご存知だと思うけど、その賞で頂いた盾にはこう書いてあります。

"It is not the critic who counts, not the man who points out how the strong man stumbled, or where the doer of deeds could have done better. The credit belongs to the man who is actually in the arena, whose face is marred by dust and sweat and blood; who strives valiantly; who errs and comes short again and again, who knows the great enthusiasms, the great devotions, and spends himself in a worthy cause; who at best, knows the triumph of high achievement; and who, at worst, if he fails while daring greatly, so that his place will never be with those cold and timid souls who know neither victory nor defeat"
-Theodore Roosevelt

そしてこれが私の中で大きな転機となったんです。見方が変わったというか。はちこさんが思ったように、娘達は全力を尽くして最後まで頑張っていつも走っている。そしてその走ることが好きで走っている。たとえ結果が一番でなくてもそれだけでいいじゃないか!と、私も思えるようになったんです。今、次女が高校のクロスカントリーで走ってます。相変わらず順番は後ろから数えたほうが早いような結果ですが、でももうそういうことは気にならなくなりました。途中で諦めず、最後まで走っている、それだけで素晴らしい!次女にはいつもレースの後「よく頑張ったね!」と言えるようになったのです。そして応援に行くのも辛くなくなったんです。

kayokayo 2011/09/28 07:29 窓から見える景色が素敵!これが桜だったら、毛虫が心配なところですね…。
キッチンに写真を飾っていて、濡れたり(フレームが)、何かが当たって落ちたり、しませんか??私は何かといろいろぶつけるので、キッチンをおしゃれに飾ることは、怖くてできません…。
今週の土曜日、幼稚園の運動会です。昨年のがっくり感を思い出してしまいますが、何と本人も覚えていて「こんどは、ちゃんとはしるよ」と意気込んでいます。そのやる気が空回りになってしまったとしても、抱きしめてやれるよう、今からイメージトレーニングをしています…。

はちこはちこ 2011/09/28 08:21 Tomoko,
そうだったんだ!スポーツ一家だったのね。そうなると、やっぱり何となく、高いexpectationを持ってしまうよね。それでも、お嬢さんたち、好きで走り続けているんだね。それは本当に尊いことだと思う。ルーズベルトの言葉、私も励まされました。
好きなことを一生懸命に励む、あるいは、好きではないとしても、自分で大切だと思えば(勉強とか)、一生懸命努力する… そこを認めてほめてあげたいよね。
うちは今ま〜やが、高校でAP US Governmentだか言う授業を取っているんだけど、かなり苦労している様子なの。昨日もテストがあって、あまりできなかったらしい…でも、本人は事前に一生懸命勉強していたのは知っているので、たとえDを取ってきても、叱らないで励ましてあげられるようにと、今から自分に言い聞かせています。

kayoさん、
幸い、毛虫はいないので本当に感謝! フレームは、濡れます。(きっぱり。笑)水しぶきが飛んだあとがついてしまうので、時々クリーナーで吹きますが、またすぐにしぶきがつくので、あまり気にしないことに… 
去年クリスマスにケンがプレゼントしてくれたガラスのお花が飾ってあるのですが、それをぶつけて落として、割ってしまったことがあります。でも、夫が接着剤で付けて直してくれました。
ロイヤルドルトンのピーターラビットのフィギュリンとか、本当に高価なものは、ダイニングルームのガラスケースの中です。(笑)いや、ケンが買ってくれたものだって、値段以上にずっと大切なものですが。
去年の運動会のときのこと、覚えていますよ。まだ小さいうちは、運動会みたいに衆人環視の中で走るとかって、緊張するよね。そういうのが苦にならない子もいるだろうけど、緊張しちゃう子にとっては、行進するだけだってドキドキしちゃうかもしれないし。とにかく、いっくんにとって、運動会が楽しい思い出のときとなりますように!

さらさら 2011/09/29 09:32 私も親知らずがあります。
歯医者さんに行くのさえ、勇気が入ります。
だから、はちこさんの気持ちがよくわかります。
神さま、助けてくださーーーーいと心底、祈りつつ歯医者に行きます。
この世の終わりみたいな気持ちになってしまいます(笑)

私、小学生の頃から運動神経は良くないです。
ケンくんより良くないです。
だから、体育の成績はよくなかったのです。
でも、運動会でのダンスや行進など、音楽に合わせて身体を動かすことは大好きでした。だから、何か得意なこと、楽しいことを探せばいいと思いますよ。

はちこはちこ 2011/10/01 09:10 さらさん、
お返事遅れてごめんなさい!
親知らずの抜歯、早く予約を入れねばと思いつつ、ついうじうじして、まだ入れていなくて… エイヤッとやらねば。

私は子どものころ、図工とか美術が苦手でした。不器用で、雑なんです。(汗)でも、得意不得意があってもいいんですよね。それが当たり前!

2011-09-25

10000 Reasons

16:04 | 10000 Reasonsを含むブックマーク

10000 Reasons by Matt Redman

D

今度クワイヤで歌うことになって、ぼぼるパパが練習中の歌。

とっても美しいです。

もう一曲。こちらはGungorの歌。"Please be my strength"

D

ようこようこ 2011/09/27 08:11 10,000reasons 私の教会でも先週から歌い始めました。今週末の礼拝でも賛美する予定です。

私はちゃんと習っていたわけではないのですが、人員不足のため、へたくそなのに、キーボードを賛美チームで担当しています。

4歳の息子と一緒に教会に行くのですが、朝9時に家を出て、息子と一緒に礼拝前の練習に参加します。礼拝中は息子が1人できちんと座ってることもありますが、大抵は横にやってきます。本当はもっと適任者がいるんだろうな〜と思いつつやってます。

しんどいことも正直多いけど、でも、やっぱり賛美できることは嬉しいし、下手でもこうやって賛美チームに入れていることは楽しいなって思ってますです。

遠い国のはちこさんも今週同じ賛美をされるんだと思うと、嬉しいです。なんだか繋がってる感じがしています。

はちこはちこ 2011/09/27 08:57 ようこさん、
これ、いい曲ですよね!
ようこさんのコメントを拝見しながら、「あ、私とおんなじ!」と思いました。
私もね、翻訳するときとか、いつも「本当はほかにもっと適任者がいるんだろうな。私はこれ、へたくそなのに。苦手なのに」と思うことが多いんです。でも、「適任者」だからその奉仕をするのでなく、その奉仕に召されたとき、「はい」と言って自分にできる限りのものを捧げるとき、神様が私たちを「適任者」にしてくださるのかな〜と思ったりします。

離れていても、同じ主を賛美できること、嬉しいですね!ようこさんの奏楽奉仕が、ますます祝されますように!

2011-09-22

お弁当

12:57 | お弁当を含むブックマーク

 娘たちのお弁当は、ほとんど毎日アメリカ式で、サンドイッチとフルーツやサラダ、それからちょっとしたスナック(クラッカーやクッキーなど)と、非常に手抜きなのだけれど、昨日は珍しく、前の晩のおかずが残っていたので日本風のお弁当を持たせた。

 こちらの高校のランチは、教室ではなくカフェテリアで食べる。時間割によって、食べる時間帯が決められていて、みんとま〜やの時間帯は異なっている。みんが先で、その次の時間帯がま〜や。

 カフェテリアには、監督の先生がいるそうで、昨日、ま〜やがお弁当を広げていたら、その先生が近づいてきて、いきなりこう尋ねたらしい。

 「君、お姉さんいる?」 

 ま〜やが「います」と答えると、「そうだと思った。同じお弁当を食べてる子が前の時間帯にいたから、きっと姉妹だと思ったよ」と言われたのだそうだ。  

 この夏に日本で買ってきた、トトロの柄の長方形の二段重ねのお弁当箱で、片方にはふりかけをかけた白いごはん、片方には鶏の照り焼きと玉子焼きとイチゴが入っていたのだ。(イチゴは一粒しか入らなかったので、別の入れ物にも入れて持たせたけど。)こんなお弁当、アメリカ人は絶対に持ってこないからね。きっとカフェテリアで異彩を放っていたに違いない。(笑)お箸のほかに、一応フォークも入れたけれど、二人ともお箸で食べたらしい。いいぞ。

 写真を撮らなかったのが残念。朝は慌ただしくて、それどころではなかったのだ〜。

 

 ちなみに、ケンスケのお弁当はいつも日本風。最近は焼きおにぎりに凝っていて、毎朝おにぎり焼いてます。

谷川馬夫谷川馬夫 2011/09/26 11:32 もうかなり前に、IT関連の英文資料で「Bento」という単語が使われているのも見た事があるのですが、これはどのくらい”英単語”として市民権を得ているのでしょうか?
一つの容器に主食とオカズ、それにフルーツやスイートなどのデザートまで適切な仕切り等で効率良く詰め込んで、それだだけで一つの完結したシステムになっている「お弁当」って、日本独自の文化なのでしょうかね?

はちこはちこ 2011/09/26 11:58 アメリカで和食店に行くと、bento boxと称したものがメニューに乗っていることが多く、それなりに和食に通じている人であれば、違和感ない単語だと思います。
また、まさにおっしゃるようなコンセプトのデータベースソフトで、「Bento」というのがありますよね。IT関連の資料で使われていたのは、そちらかもしれませんね。

2011-09-21

婦人聖研

20:42 | 婦人聖研を含むブックマーク

 平日の夜のスモールグループはスケジュール的にきついので、今月から平日の午前中にやっている婦人聖研に参加することにした。今日が三週目。リズ・カーティス・ヒッグスLoved by God という学びのDVDを使っている。参加しているのは全部で100人くらいで、まずみんなでDVDを見て、それから10くらいのスモールグループに分かれ(毎週同じメンバーによるSG)、ワークブックを使いながらディスカッションする。

 今、学んでいるのは創世記からヤコブのこと。ヤコブの人生からの学びはもう何度もやってきたような気がするけれど、それでも、また新たに教えられることがあるし、今の私が聞くべき言葉が示されるから、感謝。

 今日はヤコブがエサウからまんまと長子の権利をゲットし、母親リベカとグルになって、年老いて視力が弱っている父親を、しゃあしゃあと嘘を並べて騙して祝福してもらう箇所だった。つくづく… サイテーじゃない? ヤコブって! こんな人をリアルで知っていたら、絶対近づきたくないなと思ってしまう。 それなのに、神様はヤコブを祝福した。なんで?って感じ。

 リズは言った。神様が重んじたのはヤコブのずる賢さ、不正直さではなく、神様ご自身のお言葉だった(創世記25:23)のだ、と。

 イザヤ書55章11節を思い出す。神様は、ご自分が語られたことを決して反故になさらない。必ず言われたことを成し遂げられる。もしヤコブとリベカがイサクを騙さなかったとしても、神様は本当はきっともっと別のやり方でお約束を成就なさるはずだったのかもしれない。そうしたら、ヤコブはエサウから逃げ出さずに済んだかもしれないし、妻たちが恐ろしい女の戦いを繰り広げることもなかったかもしれない。兄を恐れて逃げたり、妻たちの間にはさまれて困ったり、というのは、ヤコブ自身が刈り取らなければならなかったことで、それが神様のお約束の成就を左右することはなかったんだね。そして、あの恐ろしい女の戦いから生まれた12人の子どもたちが、イスラエルの12部族になったのだから、本当に神様のなさることは私たちにわからないものだ…

 話がずれたけれど、リズはさらに言った。神様は私たちの人生の中でも、(イスラエルの歴史の中と同じように、)ご自身のお約束を成就なさってくださる。それは、決して私たちがそれに値しているからではなく、神様がそういうお方だから… 神様が、そういうお方だから。

 ところで、ディスカッションの中で、「嘘をつきたくなる誘惑に駆られるときはありますか。どういうときですか?」という質問があり、一人の女性は、「夫に体重を聞かれたとき」、もう一人の女性は「新しいくつを買って、夫に『いくらだったの?』と聞かれたとき」と答え、みんなうなずいていたよ。(笑)私の夫は、私が買い物してきても、「いくらだったの?」なんて、いちいち聞かないけどねぇ。

kanahakanaha 2011/09/22 01:27 真面目に読み進んでいて、「そうだ、そうだ」なんて思っていたけど、最後のパートの「嘘をつきたくなる誘惑・・・」の話で笑った。
わたしの夫も体重も、「いくらだったの」も聞かないから感謝だわ〜。
これは夫婦円満の秘訣のひとつだと思うけど。
我家は夫の方が高額商品の購入をするタイプだからかもしれない。(笑)
わたしは「安物買いの銭失い」系なので。

平日のSGの交わりを教会は薦めているけれど、今のSGで定職についていないのは私くらいで、みんな仕事を持っているの。
なかなか時間を合わせるのは難しい。私たちは隔週日曜日の礼拝後にSGの活動をしているよ。

はちこはちこ 2011/09/22 10:15 kanahaさん、
体重とか体脂肪率は、我が家ではむしろ私の方が夫にチェックを入れています。(笑)彼も嘘をつきたくなる誘惑に駆られるのかなぁ。(笑)買い物については、何も言わないでくれるのでありがたいです。というか、私も高額商品のものは買わないし!

礼拝後にSGをするところも、わりとあるよね。週が始まってしまうと、みんなのスケジュールを合わせて集まるのは難しいものね。

2011-09-20

いとしのボニー

22:00 | いとしのボニーを含むブックマーク

 去年から子守りをしているま〜やのビオラの先生の赤ちゃん、ボニー。現在1歳5ヶ月。

 もう、むっちゃ可愛いです。先週と今週はうちの娘たちは演劇の公演の準備が差し迫ってきて忙しかったため(みん、ステージマネージャー、ま〜や、照明係)、私が嬉々として代理で子守りをしました。ま〜、疲れたけど、可愛かった。

 今日も1時間くらい二人で外を散歩し、公園で遊び… こんな小さい子を連れて公園に行くなんて、何年ぶりだろう。

 お散歩しながらも、車が通るたびに立ち止まってじっと車を見て指差したり、急に地面のアリに気を取られたり、落ち葉を拾ったり。人がいると「ハーイ!」と自分から声をかけるくせに、相手がボニーに「ハーイ!」と返事をすると、突然固まってうつむいてしまったり。

 でも、小さい子の相手はやっぱり疲れる。将来孫ができたとき、ちゃんと相手してあげられるだろうか…

電気屋電気屋 2011/09/21 04:14 「でも、小さい子の相手はやっぱり疲れる。将来孫ができたとき、ちゃんと相手してあげられるだろうか…」
 
同感です。でもDNA的助けも有って(特に娘に場合母親には孫も娘なら若狩り効果が御守で実証されているそうです。)

今度は認証に数字ありました。

はちこはちこ 2011/09/21 08:50 電気屋さん、
自分の孫を持つって、どんな気持ちだろうと、今からかなり楽しみです。若返り効果がなるなら、なおさら!!^^
認証、うまくいったみたいですね。Jackさん、拍手!

2011-09-19

友人の証

13:20 | 友人の証を含むブックマーク

 先日、『The King Jesus Gospel』について書いたあと、長年このブログを読んでくださっているお友だちから、彼女が行っている教会についてメールをいただきました。いわゆる「成長している教会」とは見た目は違うかもしれない、それでもまぎれもなく尊い働きをされているこの教会のお話に励まされたので、ここでもお分ちさせていただきたいと思いました。そこで、固有名詞などは伏せて、改めてまとめていただきましたので、そのお証をご紹介します。(○○さん、どうもありがとう!!)

====

私は、日本の、ある都市の近郊に暮らす一婦人です。特別なものは何もありません。幼い頃から、教会には遊びに行っていましたが、教会は、それ以上のものでは、ありませんでした。けれど、結婚後、いろいろな思いの中で、神様を真剣に求め、聖霊様に触れられ、洗礼を受け、熱心に教会に通う者になりました。

どうすれば、良いクリスチャンになれるのかな? 熱心に伝道をしなくちゃね、との思いがあり、受洗した教会から、さらに、活気のある教会に移り、そこでも、熱心に奉仕もしていました。教会はさらに成長し、さらに、たくさんの人が訪れるようになりました。恵みに満ちた神様を讃える礼拝は、長く続き、もっと、効率的に、もっと人を集めるためにどうしたら良いのか、おおきな会堂を建てよう、もっともっと所有しよう、もっともっと、捧げよう、そのためには、信徒は痛みに耐えよう、 神様は教会が大きくなるためには、多少の事は目をつぶられる、、、、あれ? イエスさまって、そんな方だったっけ、、、、。 多くの人に福音を伝えることは、もちろん、大切な使命です。けれども、イエス様はご自分の家ももたれず、町外れでたとえ話をされた方。生まれた場所は家畜小屋だった筈。1匹の羊のために、99匹を待たされる方。

その疑問に答えるため、あまり、誉められた事でないのは、承知の上で、また、教会を移りました。今度は、とても小さな教会です。でも、ここに、自分にはできないけれど、すごいことをしている姉妹達がいたからです。姉妹達は、神様から、言われたことをしてきただけ、と言っていましたが。

  

仮に、この教会を「子羊の家」といいますね。大きな教会の枝教会として、メインの教会とは、少し離れた場所で、姉妹達だけでやっていました。 実質的な指導者はいますが、本当に姉妹達が数人の小さな小さな礼拝所です。その子羊の家でこの10数年の間に、あった話をお分ちします。

この礼拝所が出来た時から来ていた、当時小3くらいのK君という男の子と、Zちゃん、という女の子がいました。

どちらも、いわゆる、崩壊家庭の子供で、まともには、育ててもらってない子達でした。

でも、子羊の家の姉妹達は、格闘しながら、彼らと関わり続け、その周りの大人から、よけいなことをするな、と怒鳴り込まれても、彼らが来る限り、拒まずに、教会を開けて、話し相手をして、イエス様を分かち合っていました。

当時、まともに、ひらがなもかけなければ、足し算もできなかった、Kくんは、公立高校に推薦で入り、(面接で、長所として、「自分は小学生の時から、毎週教会に通っています」と言ったそうです。)高校生の時からアルバイトしてきたお店に、正社員として、今も勤務しています。

今は、大人になって、あまり、礼拝の出席状況はよく有りませんが、それでも、たまに顔を見せに来ています。

彼の家族の中で、高校を卒業したのも、定職についているのも、彼だけだそうです。

Zちゃんも、高校を出てから、しばらく顔を見せていませんでしたが、先日、結婚をして、子羊の家の姉妹達に会いに来ました。

今は、少し遠くに住んでいるけれど、教会のことを1日も忘れていない、と話し、一番覚えているのは、「イエスさまって、いつも言っていたこと」と言っていたそうです。

お菓子でも、面白いイベントでもなく、イエス様、だったそうです。

今も、子羊の家には、たくさんではないですが、子供達が来ています。やはり、あまり、評判のよろしくないタイプの子供達です。

でも、彼らは、強いられてではなく、好きで来て、そして、少しずつですが、確実に変えられていっています。

その中には、怒鳴り込んできていた、あの、K君ファミリーの子供達、3人も入っています。界隈のボス的な、Kくんのお姉さんの子供達です。

当時、さんざん凄んでいましたが、『K君の実』を見て自分の子供達も通わせているようです。なんだか、クリスチャンの割合が多いファミリーになってるね、、とびっくりです。

大事なのは、何人信仰告白をさせたか、ということでもなく、どれだけ、メッセージに人を集めて、クリスチャンクラブに入会させたかでもない、まして、どんなに大きな箱を用意するかではない、ということをほんとうに確認できます。 

小さなこの群れの目的は、人数でも、教会成長でもなく、神様が送ってくれた子供達の世話をすること、子供達とともに、自分たちも弟子として成長すること。小さくて、大きな、神様の福音の導きが、確かにあるのを見せてもらっています。 

これからも、へりくだって、間違いは直しながら、子供達とともに、イエス様にお委ねしていきたいと思います。

=====

引っ越しやめます

09:35 | 引っ越しやめますを含むブックマーク

 ワードプレスのブログに引っ越しを考えていましたが、今回は引っ越しは見送ることにしました。お騒がせしてすみません。

 引っ越そうと思ったいちばんの理由は、コメントがときどき「認証失敗」だかではじかれることが相次いでいたためです。これははてなさんの問題で、私がコメント制限をかけているわけではありませんので、どうかご理解ください。そして、何度かやってみてもコメントがうまく入らない場合は、お手数ですが、私までメールでコメント内容をお送りください。(s.nakamura37アットgmail.com)お送りくださった方のお名前で投稿させていただきます。よろしくお願いいたします。

jackjack 2011/09/20 08:00 認証失敗?あーよくありますね。
テンキーの数字だとダメで文字キーのとこの数字だとOKとか...?

はちこはちこ 2011/09/20 20:04 はてなの認証は、数字ですか? もしそうなら、それは試してみる価値あるかも!

電気屋電気屋 2011/09/21 04:10 電気屋としてブログも復活しました者です。
認証のテンキー数字を使わないで出来るかやってみますね。
以前はほぼ無理でしたから出来たならJackさん拍手ものです。

それにしても日本でその様な集まりがある事は、様々な主の働きを思わせてくれる事で、主は素晴らしいです。

あれ認証に数字が無い、、、

マッシュマッシュ 2011/09/21 07:04 お菓子でも、面白いイベントでもなく、イエス様
ーーそんな言葉が出てきたのは、Zさんたちと過ごしてきたこの姉妹が、イエス様だけを見て歩んできたからですね。自分もこの姉妹のような信仰者でありたいです。はちこさん、どうもありがとう。

はちこはちこ 2011/09/21 08:55 電気屋さん、
私も、いったんログオフして、いろいろ試してみようと思います。はてなにログインしていると、認証は必要ないので、わからなかったんですよね。

いろいろな働きに召されている教会があるのですよね。よその教会がやっていることと同じことをする必要はなく、自分たちの群れに与えられている使命をしっかり見きわめ、それに忠実であることは、本当に尊いですね。個人についても同じでしょうね。

マッシュさん、
私も、Zさんのそのセリフにぐっときました。子どもの心に何よりもイエス様が届いておられたこと、本当に素晴らしいと思いました。シェアしてくださった友人に感謝です。

2011-09-16

再び追記

21:39 | 再び追記を含むブックマーク

 今度は、13日の記事にSunny♪さんが寄せてくださったコメントへの私のお返事を、ちょっとだけ加筆してこちらにも追記します。自分としては、大切なことのような気がしたので…

=====

NTライトの言葉に励まされますよね。こうやって、私たちの福音理解に厚みが出てくるのは、歓迎ですものね。違う視点や考え方が提示されたとき、それまで持っていたものに忠実であればあっただけ、抵抗も大きくなるでしょうが、へりくだって、また自分の心に語ってのが誰なのかによく注意しながら(誰かを通して内なる御霊が語っておられるのか、それとも自我がreactしているのか、あるいは敵が嘘を吹き込もうとしているのか、など)、そして、こうして信頼できる友と分かち合いながら、互いにチェックし合いながら、歩んでいきたいですね。って、私自身が今、すごくそう思われているんです。こうして分かち合えて、嬉しいです!

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コロサイ3:16

第一テサロニケ5:11

ブログの引っ越し考え中

17:19 | ブログの引っ越し考え中を含むブックマーク

 このブログは気に入っていましたが、コメントがうまく反映されなかったり、なぜかうまくデザインを変更できなかったりなどの不具合があるため、引っ越しを考え中です。

 引っ越し先の予定はこちらです。

 まだ当分はこちらを更新しますが、正式に引っ越したら、またお知らせいたします。

 使い心地によっては、もしかしたら、結局引っ越さないかもしれないですし。(汗)

2011-09-14

Cute video

18:29 | Cute videoを含むブックマーク

D

このおじいちゃんとおばあちゃん、超かわゆす!

追記

14:42 | 追記を含むブックマーク

 昨日の記事への追記です。ゴリさんのコメントに対するお返事として書いたものを、追記としてこちらにも記しておきます。

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追記:The King Jesus Gospelで著者マクナイトが論じていることのエッセンスは、小嶋先生がまとめてくださっているのでそちらもご参照していただきたいのですが、このページだけをご覧になる人にもあらましがわかるように、コメント欄に書いたことを、ここにも付記しておきます。(ちょっと日本語がおかしいですが…汗)

===

ゴリさん、

コメントありがとうございます! ゴリさんご夫妻は、すでにこの道を歩んでおられますよね!

以下は、FBでご主人のところにコメントしたものですが、こちらでもシェアしますね。

===

マクナイト教授の問題提起は、教会の中で長らく語られてきた「福音」は、「救い」に強調が置かれ過ぎて、教会という場が「救われた人たちのクラブ」になってしまった。「福音」がいわゆる「神の救いのご計画」と入れ替わってしまった。そのため「伝道」というと、いわゆる「4つの法則」のように「あなたの罪のためにイエスは十字架にかけられ、死なれ、よみがえられました。この方を救い主と信じるならあなたは天国に行けます」「信仰義認(信じるだけで救われます)」といったものに薄められ、人に「決心」を迫るだけのものになってしまった…。しかし本来聖書に提示されている福音は、イスラエルのストーリーの成就としてのイエスのストーリーであり、全被造物の回復の希望にまで及ぶ壮大なもの。その中でイエスに従う人たちがイエスの弟子として生きていくよう導くもの。そのように教会がフレームワークを据え直す必要がある…という感じでしょうか。

「神の救いのご計画」が間違っていたとか、そういうことではないのですが、それは「福音」の一部だけだった、ということらしいです。

NTライトを読んできた人にとっては、何ら新しい主張ではないのでしょうが、マクナイトが改めて分かりやすい言葉ではっきり言語化してくれて、ハッとさせられるものがあります。

ウィラードも前書きを寄せていて、彼が「心の刷新」で語っていた問題提起とも重なる部分があります。

===

確かに自分の信仰生活を振り返ったとき、「救いの確信」とか、「神様と自分の個人的な愛の関係」とか、すごくそういうことに強調が置かれていたなぁと思います。それはそれで何ら悪いことではなかったと思うし、これまでの自分の歩みの中で間違いなく大切なことでした。でも、この5〜10年くらい、神様は私の土台を広げようとなさっておられたようで、あちこち掘り起こされたり、削られたりしている部分があり、特にこの数年は、uneasyに感じることが多々ありました。(ゴリさんご夫妻との出会いも、そのプロセスの中で神様が備えてくださったものだと思います!)掘り起こされたり削られたりする一方で、いろいろ新しいパーツも与えられ、でも、それらがどういうふうに組み合わさることになっているのか、今ひとつ見えていなかったのですが、それがここにきてようやく青写真が見えてきた、という感じです。

まだまだ旅路は続きますが、旅は道連れ。これからもよろしくお願いします!!^^

関連記事:2010年2月4日 Reflection: このエントリーでは、2008年7月の記事にまでさかのぼっています。

まきとまきと 2011/09/15 00:19 ぽんと膝を打ちました。信仰義認による贖罪信仰を語らないことは何か、異端にでもなったのかと、うちの教会の特殊性を感じていましたが、はちこさんも信仰の枠組みを大きくとらえておられるのですね。感謝です。

はちこはちこ 2011/09/15 08:21 まきとさん、
インスパイアされるものがあったのなら、私も嬉しいです。「信仰義認による贖罪」は、語られ続ける必要があると思いますが、キリスト教信仰はそれだけで終わるものではない、ということなのでしょうね。

2011-09-13

MEMO:小嶋先生のブログより

09:57 | MEMO:小嶋先生のブログよりを含むブックマーク

 昨年ネット上で出合い、いろいろな啓発を受け、夏の一時帰国の際には強引に面会を申し込んでお会いしていただいた、敬愛する巣鴨聖泉キリスト教会の(前置きが長過ぎる?)小嶋崇先生のブログ「大和郷にある教会」より。

 9月7日にこのブログでも言及した、シカゴのノースパーク大学教授、スコット・マクナイト博士の新刊、「The King Jesus Gospel」について、小嶋先生が取り上げられたブログエントリーです。

 

 私は34年前にイエス様を救い主と受け入れたとき、砂の上ではなく、岩の上に家を建てたつもりでした。ところが今、その岩が揺らがされるような、そんな衝撃を感じています。でもそれは、私にとっては、この本を読み始めて初めてその揺れに気づいたのではなく、この数年薄々感じていたものだったので、こうしてはっきり言ってもらえてよかった、という気持ちでもあります。(本当は、もっと早くに本書を書いていてくれたら、と思いましたが。)ショックなのですが、実に「今さらそんなことを言われても…?」という気持ちなのですが、better late than never、この最初のショックを通り抜ければ、きっといろんなことがもっとずっとクリアにmake senseするはず。

 本書の前書きをN.T.ライトとダラス・ウィラードが寄せています。私はライトの前書きを読んで泣きました。

純粋なキリスト教の特質に、それぞれの世代がキリスト教信仰について、新たに考えなければならないということがある。神は一人ひとりのキリスト者が、理解においても、信頼することにおいても、成長してほしいと願っておられるという、まさにその理由によって(とキリスト者は思うのだが)、キリスト教信仰というものは、一つの世代がすべてを解決し、まとめあげ、次の世代の人々は何もしないで済むというようにはなってこなかったのだ。…

…キリスト教信仰とは、色とりどりの万華鏡のようであるが、私たちのほとんどは色盲である。それは多次元的であるが、私たちのほとんどは、頭の中で一度にせいぜい二つの次元までしか考えることができない。それは交響曲のようであるが、私たちに口ずさめるのは、そのうちの一つの旋律だけである。だから、誰かがやってきて、これまで私たちが気づいていなかった他の色や模様を私たちに指し示したからといって、驚くことはない。誰かがやってきて、私たちが見落としていた三番め、四番め、さらには五番めの次元のあらましを見せてくれたらからといって、怯えることはない。自分がすでに知っているつもりだった旋律に、音楽家が新しいハーモニーを加えるなら、むしろそれを歓迎すべきであろう。…

 これはまさに、私のような読者を想定して書かれた言葉でしょうか。この言葉に本当に慰められ、励まされた。

 今、私の土台の岩が揺らいでいるように感じるのは、それが崩されているからではなく、さらに補強され、拡張されるための工事が始まったからなのでしょう。今現在の私は、何だかとても居心地の悪い思いをしていますが、この工事を指揮しておられるのは神様ご自身だと信じているので、Bring it on! I'm ready.

 ちなみに、本書は、実は今日が発売日。先行販売されていたキンドル版はすでに購入済みだけれど、表紙デザインが素敵なので、ハードカバーでも買おうかな。

The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited

The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited

ちいたちいた 2011/09/13 17:14 いつもミルトスの木かげで貴重なお分かちありがとうございます。お恥ずかしいことに英語が苦手でこの前書きの内容がよくわかりません。厚かましいお願いで申し訳ありませんが日本語訳を載せていただけないでしょうか、どうぞよろしくお願いします。

はちこはちこ 2011/09/13 19:42 ちいたさん、
初めまして。今朝これを書いたとき、十分な時間がなくて日本語訳をはしょってしまいました。ごめんなさい。日本語訳と差し替えておきましたので、ご参照ください。

マックマック 2011/09/13 23:38 はちこさん

私もここ最近、同じようなことを感じつつ、それをどのように表現していいのか考えていたのですが、ライト師の絶妙な表現でクリアーになりました。私達一人ひとりの旋律を神様がどんな楽曲にしてくださるのかを考えると嬉しくなりますね。そう考えますと、エデンの園からカルバリまでのストーリーも驚くべき交響曲第一部となっていますね。そして、私達は交響曲第二部(カルバリから新天新地まで)のどこかのパートに組み込まれているのでしょうか・・・。いやー壮大だな−。生きがいだな〜、こりゃ。

ゴリゴリ 2011/09/14 08:34 ためになるエントリーありがとうございます。
はちこさんのとまどいと、それを前向きに受け入れようとする思い、伝わってきました^^ この本から始まるはちこさんの魂の旅路、またシェアしてくださいね♪
ワタシはどちらかというと、狭義の福音理解があまり好きではない(という表現もヘンですが)ので、この本は歓迎です。
学生時代、KGKでは、全宇宙をあがなう神(いまもその途上)という視点を教えていただいたと思ってます。
また、大学の聖書研究会で招いた講師(長老教会の先生)からは、創世記のエデンの園があがなわれて黙示録の新しい地へと変化していく様を聖書からレクチャーしていただき、驚きかつうれしかったことを思い出しました。神さまのみわざってこんなにダイナミックなんだ!って。(的外れだったらゴメンナサイ)
聖書が示している福音とか救いって、私たちの思いこみ(?)をはるかに越えるものなのですよね、きっと。

はちこはちこ 2011/09/14 14:35 マック先生、
本当に壮大ですよね! そして、こうして絶えず新しいインサイトが与えられるのは感謝です。 先生からもいつもインサイトをいただいています。感謝!!

ゴリさん、
コメントありがとうございます! ゴリさんご夫妻は、すでにこの道を歩んでおられますよね!
以下は、FBでご主人のところにコメントしたものですが、こちらでもシェアしますね。
===
マクナイト教授の問題提起は、教会の中で長らく語られてきた「福音」は、「救い」に強調が置かれ過ぎて、教会という場が「救われた人たちのクラブ」になってしまった。「福音」がいわゆる「神の救いのご計画」と入れ替わってしまった。そのため「伝道」というと、いわゆる「4つの法則」のように「あなたの罪のためにイエスは十字架にかけられ、死なれ、よみがえられました。この方を救い主と信じるならあなたは天国に行けます」「信仰義認(信じるだけで救われます)」といったものに薄められ、人に「決心」を迫るだけのものになってしまった…。しかし本来聖書に提示されている福音は、イスラエルのストーリーの成就としてのイエスのストーリーであり、全被造物の回復の希望にまで及ぶ壮大なもの。その中でイエスに従う人たちがイエスの弟子として生きていくよう導くもの。そのように教会がフレームワークを据え直す必要がある…という感じでしょうか。
「神の救いのご計画」が間違っていたとか、そういうことではないのですが、それは「福音」の一部だけだった、ということらしいです。
NTライトを読んできた人にとっては、何ら新しい主張ではないのでしょうが、マクナイトが改めて分かりやすい言葉ではっきり言語化してくれて、ハッとさせられるものがあります。
ウィラードも前書きを寄せていて、彼が「心の刷新」で語っていた問題提起とも重なる部分があります。
===
確かに自分の信仰生活を振り返ったとき、「救いの確信」とか、「神様と自分の個人的な愛の関係」とか、すごくそういうことに強調が置かれていたなぁと思います。それはそれで何ら悪いことではなかったと思うし、これまでの自分の歩みの中で間違いなく大切なことでした。でも、この5〜10年くらい、神様は私の土台を広げようとなさっておられたようで、あちこち掘り起こされたり、削られたりしている部分があり、特にこの数年は、uneasyに感じることが多々ありました。(ゴリさんご夫妻との出会いも、そのプロセスの中で神様が備えてくださったものだと思います!)掘り起こされたり削られたりする一方で、いろいろ新しいパーツも与えられ、でも、それらがどういうふうに組み合わさることになっているのか、今ひとつ見えていなかったのですが、それがここにきてようやく青写真が見えてきた、という感じです。
まだまだ旅路は続きますが、旅は道連れ。これからもよろしくお願いします!!^^

♪Sunny♪Sunny 2011/09/14 21:54 いつもご無沙汰しています。
この記事、追記も含めて、はちこさんに大いに共感するものがあります。
わたしの場合、夫を通して、今までと違う視点、考え方に気づかされたり教えられたりすることが多々あるのですが、その際に、わたしは今までしばしば、大きく戸惑ってきました。特に最近、わたし自身も、大いに土台を揺るがされているのです。そういうわたしにとっても、この記事はとても大きな励ましになりました。
ありがとうございます!

はちこはちこ 2011/09/15 08:16 ♪Sunnyさん

NTライトの言葉に励まされますよね。こうやって、私たちの福音理解に厚みが出てくるのは、歓迎ですものね。違う視点や考え方が提示されたとき、それまで持っていたものに忠実であればあっただけ、抵抗も大きくなるでしょうが、へりくだって、また語っておられるのがどなたなのかによく注意しながら(誰かを通して内なる御霊が語っておられるのか、それとも自我がreactしているのか、あるいは敵が嘘を吹き込もうとしているのか、など)、そして、こうして信頼できる友と分かち合いながら、互いにチェックし合いながら、歩んでいきたいですね。って、私自身が今、すごくそう思われているんです。こうして分かち合えて、嬉しいです!

2011-09-11

9.11/渡辺謙 アメリカを行く

14:20 | 9.11/渡辺謙 アメリカを行くを含むブックマーク

 オバマ大統領は今朝の9.11メモリアルセレモニーで、詩篇46篇全体を読み上げた。

D

 御言葉が国民の前で、全世界の前で、大統領によって読み上げられるのは素晴らしいと思うけれど、これが形だけでなく、アメリカの本当の祈り、告白となりますようにと願う。

 十年前にも思ったことだけれど、悪によって攻撃されたからといって、自動的に自分が善になるわけではない。神はアメリカの味方だ!と豪語する前に、へりくだり、悔い改め、私たちが神の側に行くべきではないだろうか。

 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」 

 これは神様がまさに今のアメリカに(そして日本や全世界に)、おっしゃっておられることではないかと思える。

 そして、今日は3.11からも6ヶ月め。私が震災直後に示された御言葉も、詩篇46篇だった。今もう一度、日本のことも思いながら、この箇所を読む。

神はわれらの避け所。また力。

苦しむとき、そこにある助け。

それゆえ、われらは恐れない。

たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。

たとえ、その水が立ち騒ぎ、あわだっても。

その水かさが増して山々が揺れ動いても。

……

やめよ。わたしこそ神であることを知れ

わたしは国々の間であがめられ、

地の上であがめられる。」

万軍の主はわれらとともにおられる。

ヤコブの神はわれらのとりでである。

Our Father in Heaven

Hallowed be They Name!

Thy Kingdom come.

Thy will be done in earth,

As it is in heaven.


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「渡辺謙 アメリカを行く」

 パスターマックのブログで紹介されていたNHKのドキュメンタリー「渡辺謙 アメリカを行くー911 テロに立ち向かった日系人」、1時間以上の動画だけれども、観てみたら本当にとてもよかった。

 はてなダイアリーにはうまく埋め込めないので、リンクだけですが。これは観る価値ありです。

http://player.youku.com/player.php/sid/XMjk1MzEyNDA4/v.swf

9.11テロ発生後、アメリカで起きたのは、在米アラブ・イスラム系の人々への暴力や差別でした。こうした動きに心を痛め、厳然と異議を唱えたのが、日本にルーツを持つ、多くの日系アメリカ人でした。その中心となったのが、テロ発生当時、航空行政のトップである運輸長官だった日系二世のノーマン・ミネタさん(日本名・峯田良雄)。ミネタさんは、空港の荷物チェックなどの際、アラブ・イスラム系の人々に対する、人種による選別・差別の禁止を宣言します。この対応に、マスコミや政界からは批判が殺到、しかしミネタさんは、頑として自らの意志を貫きました。

さらに、たくさんの日系一般市民も、アラブ・イスラム教系の人たちを守ろうと独自に行動を始めました。

全く予想外のテロリストの攻撃にアメリカ中が動揺し混乱を極めていた時、日系人たちを奮い立たせたものとは、いったい何だったのでしょうか…。

ビデオの最後のほうで、日系とイスラム系の若者たちにノーマン・ミネタさんが語る言葉に、胸がいっぱいになった(ビデオの70分あたりから)。神の御名を出してアメリカの正義を訴え、悪と戦うと叫ぶブッシュ前大統領の言葉よりも、自分たちが受け継いできたものを互いに分かち合おう、互いに理解し合おうというこのノーマン・ミネタさんの言葉のほうが、ずっと神様の御国と共鳴しているように感じてしまうのは、私がどこかずれているのだろうか…?

ノーマン・ミネタ氏とは、日系アメリカ人として初めて、そして今のところ唯一、アメリカ政府の閣僚となった人。恥ずかしながら、こういう方がいらっしゃったとは、私は存じ上げなかった… (ミネタ氏のような政治家が、日本本国にも必要!)

私が夕べこの動画を一人で観ていたら、ちょうどそのとき、ぼぼるパパからメールが入った。曰く、「今夜、Kさんたち(ワシントンDCにいるパパの友人の日本人)と観たNHKスペシャルの番組がとても興味深かった。子どもたちにも観せたいから、DVDがないか、D(NHK勤務のパパの親友)に聞いてみる」。パパが送ってくれたリンク先をみたら、それが私が観ていたのと同じ番組で、びっくり。DVDがあるといいな。

TomokoTomoko 2011/09/11 18:24 このドキュメンタリーホント感動しました。私も永久保存するつもりです。DVDがあったら購入したいです。シェアしてくれて本当にありがとう、とTwitterの方にも書きましたが。勿論私もミネタ氏のような日系人官僚の方がいたことは知らなかったので、これを見た後Googleして調べましたよ!素晴らしい方ですね。ミネタ氏の発言の中には、学ぶこと、感動することがたくさんあったけど、その中の1つに「感情的にならず、その正しいと思っていることを理論で立証し行動する。」は、今の私の心に凄く響きました。そして私も最後に若者に語るミネタ氏の言葉には、またまた感動し、無知が恐れを生む、というのは本当だと思いました。このミネタ氏を手本とする行動は、自分の置かれている状況と経験から、私達一人一人全員が出来ることであり、すべきことだ、とも思いました。

はちこはちこ 2011/09/11 20:14 Tomoko、
早速観てくれてありがとう! 私も深く感動し、いろいろ考えさせられました。
私はアメリカに来て27年になるけれど、アメリカとも日本とも、さりげなく距離を保ってきたように思います。でもミネタ氏が、日系二世として両国と深く関わったからこそできたこの尊い働きに、何かすごく、目が覚まされる思いがしました。
ミネタ氏はクリスチャンではなさそうだけど、そしてこの動画の中にはキリスト教のキの字も出てこないのだけれど、彼のしていることが、この地上に神の国が来るとはどういうことかを、垣間みさせてくれたような気がして… 何なのだろう、この感覚。もう少し、いろいろ反芻したい気持ちです。

かきごおりかきごおり 2011/09/11 22:15 私も今日はプリンストンに向かう車の中でこの大統領の朗読を聞きながら熱いものがこみ上げてくるのを感じていました。
そして、はちこさんと同じことを考えていました。
神様の前にひれ伏す。「私こそ神であることを知れ」という方の許にひれ伏す、そのことを本当にこの国と、指導者がこの御言葉通りに生きることができますようにと祈らされました。
もちろん、私自身の姿勢もとわれているのですが・・・

私はまだそのミネタ氏の番組を見れていないのですが、
あのあと、飛行機に同乗するアラブ系の方々の顔を恐れながら見ていたことを思い出します。本当にひどい差別がされようとしていたのですね。そして、自分の中にもそのような思いがあったことを思い出して、本当にその差別され、偏見を持たれる痛みを感じて来られた人々に心至りました。
本当になんて自分のことしか考えていない人間なんだろうかと恥じます。

tomotomo 2011/09/12 00:04 はじめまして。キリスト者でもなんでもない者ですが、福音について知りたくて検索していたら、http://twitter.com/#!/mmesachi/status/111800733208281089 に辿り着きました。一つ教えて欲しいことあります。

> そういえば、今「福音とは何か?」みたいな本を読んでいるのですが、以前先生が
> 「福音を30文字で言い表す」というのをやっておられましたよね。改めて拝見し、
> 「愛なる神がキリストにより創造の秩序と使命を回復するという> 約束」
> というお答えに、さすが!と唸りました。

福音とは秩序回復の約束ですので、現時点では秩序は回復されていない、と理解できると思います。

一方で、Wikipediaには、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8、福音とはよき知らせの意味であると書かれています。つまり、現時点は、既によきことが成された後であることになります。

福音とは、未来への約束なのか、過去に起こったことの知らせなのか、どちらなのでしょうか?

はちこはちこ 2011/09/12 08:31 かきごおり先生、
日本に行かれるのですよね。2週間というのは、多少無理をしてでも全力疾走で突っ走ってしまう長さでしょうから、体調が守られますようお祈りしています。そして、一つ一つの旅程、出会いが主にあって豊かに祝されますように。

オバマ大統領の詩篇46篇朗読は、彼の普段の祈りの中から出たわけではなく、スピーチライターに「これを読んでね」と渡されて読んだのだろうなぁ、なんて思ってしまいましたが、それでも、この箇所が読まれたことには意味があると思いました。大統領によって全国民の前で読み上げられたこの御言葉を、今度はクリスチャンたちが主の前にひざまづいて、心からの執り成しとして、また自分自身の祈りとして、祈らねばならないと思わされました。
ミネタ氏の番組は長い(70分以上)ですから、WiFiのある場所で待ち時間などができたら、ぜひご覧になってください。
私も、その場にいたら(十年前にアメリカにいたら)、差別される無実の人たちのことよりも、自分の身の安全のほうがきっと先にきただろうと思います。
ミネタ氏を始めとする日系の方たちが、かつて自分たちが味わった苦しみから、断固として人種プロファイリングに抵抗したように、日本の国も、かつて原爆の悲劇を体験した国として、断固として核にノーを言えるなら、せめてそれが、この苦しい歴史を無駄にしないですむ道ではないか、とも思いました…

はちこはちこ 2011/09/12 08:52 tomoさん、
初めまして。福音について検索なさっていたら私のツイートに遭遇なさったのですか! こちらに書き込みしてくださって嬉しいです。

福音とは、未来への約束なのか、すでに起こったことの知らせなのか… とても的を射たご質問だと思います。

答えは、「両方」、でしょうか。もし、聖書をお持ちでしたら、新約聖書の第一コリント15章をご覧になってみてください。そこで使徒パウロは、「私は今、あなたがたに福音を知らせましょう」と言って、福音について語っています。キリストの十字架、死、復活、ここまではすでに起こったこと、そしてさらにキリストの再臨とそのときに成就されるキリストの支配について述べられています。

私も一信徒でしかないので、詳しいことはわからないのですが、近年、神学者たちの間では、キリスト者たちの語る「福音」の意味が本来の意味からずれてきている、という見直しが起こっているようです。これまで主流だったのが、「イエスを信じればあなたの罪は赦されて、天国に行ける」というようなものだったのが、福音は個人の魂の救いにとどまるものでなく、全世界(全被造物――物理的なものから文化的なものまで全てを含みーー)の贖い(回復)にまで及ぶものだ、という見直しです(と、私は理解しているのですが…)。

福音について、私も改めて考えてみたいと思っていますので、よろしかったらまた時々覗いてみてください。

はちこはちこ 2011/09/12 09:00 tomoさん、
こちらの記事で、http://d.hatena.ne.jp/mmesachi/20110907#1315423588
英語の本なのですが、The King Jesus Gospelという本を紹介しています。本来の福音の意味について書かれている本です。
また、昨年ケープタウンでもたれたローザンヌ世界伝道国際会議で確認された「福音」の意味も、近々、ローザンヌ運動の日本サイトhttp://www.lausanne-japan.org/に掲載されるそうです。掲載されましたら、このブログでもお知らせします。

tomotomo 2011/09/12 10:56 はちこさん

ご返信ありがとうございました。

新約聖書の第一コリント15章には、

福音を、

・キリストの十字架、死、復活、ここまではすでに起こったこと、

そしてさらに

・キリストの再臨とそのときに成就されるキリストの支配、についての約束

のことであると述べられている、と読んで、大底を打った株価の例が浮かびました。

http://www.nomura.co.jp/terms/japan/so/soko_utu.html
悪い材料が出尽くして、株価が下がるだけ下がり、上がるしかない状況のことですが、

似ていないでしょうか?

これは、自分の持っている株だけでなく、相場全体にも当てはまりますので、

「見直し」がされた本来の意味にもなっているかなとも思いました。

一般に、『膿を出し切る』といった言葉で表現される状況が、

福音に当てはまるように思うのですが、邪道でしょうか?

また、「福音」の意味の見直しは、意味の適用範囲に関してで、

意味自体や定義自体に関してではなさそうだと思いました。

質問ばかりですみません。

よろしくお願いします。

はちこはちこ 2011/09/13 08:46 tomoさん、
さらなるご質問をありがとうございます。tomoさんの使っておられるメタファーを、私が正しく解釈できているかわからないので、&今私自身が、「福音とは何か」ということについて、改めて学び直している最中なので、ご質問にお答えできず、ごめんなさい。 今の私には、中途半端な理解で知ったかぶりをしてお返事をすることができないのです。もう少し、お時間をいただければ、と思います。
それでも、tomoさんをここに導いて下さったお方がいることを信じて、そのお方に感謝しています。

私は34年前に、当時私に提示された「福音」を受け入れて、クリスチャンになりました。そのとき提示され、信じたもの(私の罪、イエスの十字架の贖い、復活など)に間違いはなかったですし、それを信じたことによって「救われた」のも確かだったと思いますが、でもそれは、聖書の語る「福音」の一部でしかなかったらしいのです。

tomoさんが福音に関心を持っておられること、とても嬉しく思います。今の私には十分なお答えをすることができず、とても歯がゆいのですが、どうぞ、これからも求め続けてください。こんな場所でよければ、tomoさんが学ばれたこと、疑問に思ったことなど、いつでもお分ちください。私も一緒に考えていきたいと思います。

tomotomo 2011/09/13 11:15 はちこさん

正直、喩え方に配慮が欠けていたと思います。
実際、知り合いのキリスト者にはああいう聞き方は出来ません。
しかし、それが本当に聞きたいこと、でした。
だから、はちこさんの経験や思い入れに、目をふさぎならが、
質問させていただきました。
はちこさんのブログに甘えさせていただきました。

頂いたご回答から、自分なりの次のテーマが見えましたので、
まさに(自分にとっては)福音でした。

本当にありがとうございました。

tomotomo 2011/09/13 19:30 はちこさん

もう一つだけ教えてください。

キリストが十字架にかけられた後、そのことに恨みを持って、後々まで敵を討とうとした人々はいたのでしょうか?

キリストの死と、独裁所の死を比較することで、何かを理解できたらと考えて、質問しております。

立て続けに申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

はちこはちこ 2011/09/13 20:03 tomoさん、
いいえ、配慮が欠けていたとは少しも思いませんでした。ちょうど今の私の状態が、tomoさんのご質問にお答えできるところになかっただけで、ご質問いただいたことは本当に嬉しく思いました。

次のご質問の方はお答えできると思います。キリストが十字架にかけられ、死なれ、葬られたあと、そのことでとても悲しくなった人たちや、恐らくはがっかりしたり、ショックを受けたり、次は自分たちが処刑されるのではないかと怯えた人たちはいました。でも、イエスが殺されたことで恨みを持って、敵討ちをしようとした人々は、いなかったはずだと思います。
というのも、イエスは死後三日めにはよみがえり、まずは墓の前で泣いている女性たちのところに現れ、弟子たちの前に現れ、500人以上の人たちの前に現れ、使徒たちに現れ、ペテロにも現れました。ですから、イエスを慕っていた人たち、従っていた人たちは、イエスがよみがえったことをすぐに知ったので、仇討ちをしようと考える必要はなく、むしろ、イエスが生前語っていたことの意味を理解し、「福音」を伝えねば、と燃え上がったのです。

私で分かることがあれば、喜んでお答えしますので、またいつでもいらしてください。

tomotomo 2011/09/14 00:29 はちこさん

たいへん納得いたしました。
3日で蘇ったから、人々が前向きになれたんですね。

過去に大失敗をしたとき、それをさらりと許してくれた人がいて、
やる気がみなぎり、頑張ろうという気になれたことを思い出しました。
『復活』は『大失敗をさらりと許すこと』とも読めるのかな、と思いました。

ありがとうございました。

小嶋小嶋 2011/09/14 06:26 このブログ主のブログ友達で、東京で牧師をしている小嶋と申します。「福音」について尋ねられているtomoさんにいくらかでも参考になるかと思って書き込みます。

「福音とは秩序回復の約束ですので、現時点では秩序は回復されていない、と理解できると思います。」
「福音とはよき知らせの意味であると書かれています。つまり、現時点は、既によきことが成された後であることになります。」

この二つのコメントの間を埋めてみようと思います。
「秩序回復の約束」とは実は「聖書全体(旧約聖書をイエス・キリストの光の下で再解釈した新約聖書)」を福音と言う語で要約する時のキーワードの一つだと思ってください。
ウィキの文章は歴史的文化的脈絡から離れた色んなものに適用可能な語だと認識してみてください。ただそこから「既によきことが成された後」と持ってくるとキリスト教福音理解と重なる部分はあります。通常は「朗報」程度にも使われますので、キリスト教が使う時の世界史・人類史・宇宙史を二分するほどの「一大画期的な成就・完成」とはスケールがかなり違うことを意識してくだされば結構です。
キリスト教が福音と言う時には、最初の文章と絡めて言えば、「創造後人間の堕落によって失われた被造世界の秩序はイエス・キリストの死と復活において根本的に回復された」との理解を示します。違う表現では「神はキリストにあって世と和解された」と言います。つまりナザレのイエスと言う一人の方に起こった「死と再生」の出来事は、彼が「キリスト」としてイスラエル民族と人類を代表する存在であるがゆえに、宇宙的規模で「世」は死に(新約聖書で「古い世」と表現されています)またよみがえった(新約聖書で「新しい世」と表現されています)のです。ただし人間的な目線ではそれは通常起こっているリアリティーと同一には認められません。「キリストにあって」認められるリアリティーなのです。キリスト者は「新しい世」が既にイエスの死と復活によって開始し、自己がキリストに繋がる者としてそのリアリティーに従って生きます。ある意味目に見えない部分はまだ実際に完成していない部分でもあり、従って被造世界が再生・回復の途上にあることを「産みの苦しみの中にある」過程として認めます。(新約聖書、ロマ人への手紙8:18-25)
そう言う訳でキリスト者は「既に」キリストにおいて成就した「新しい世」と、まだ完全には過ぎ去っていない「古い世」が重なるリアリティーの中を生きていることを自覚するのです。
福音という語はこのようにかなり分厚い神学的ニュアンスを含んでいて、世の中で簡単に使われる「何々の福音」と言うような単なる語感で使われる語と同列に扱われると混乱が生じます。
キリスト教の福音は「神の御子イエスに関する」福音であり、その意味範囲は創造の秩序を回復する聖書全体のストーリーに従って理解される「イエス・キリストの死と復活の出来事」に関わることです。
と言う説明が出来ると思います。どこかぴんと来るところが少しでもあれば幸いです。

はちこはちこ 2011/09/14 13:29 tomoさん、
赦されるって、私たちが元気を出して生きていく上で、重要ですよね。私たちにとっての「復活」は、比喩的には、赦されたからこそ与えられる、セカンドチャンス、もう一度新たに始める機会、と言ってもいいかもしれません。
と同時に、聖書が語る復活には、「からだのよみがえり」という文字どおりの意味もあります。「からだ」には、個人の肉体だけでなくすべての被造物(物理世界など)も含まれます。原発事故で、土地が放射能で汚染されてしまったことを思うとき、私の中では、被造物の贖い(回復)を待ち望む思いがますます高ります。

小嶋先生、
丁寧な解説をありがとうございます! 感謝感激です。

tomotomo 2011/09/14 19:30 小嶋様、はちこ様、

ご教授、ありがとうございました。
私にははじめてみる言葉が並び、難しかったですが、
以下のように整理してみました。
もし間違っていたら、ご指摘頂けましたらありがたいです。
この度は、本当にありがとうございました。

■人間とイエスのスケールの違い
世(キリストはその代表)の秩序回復は、神と世の和解として理解される。
和解なら日常の経験の中にもあり、個人の失敗が別の個人によって赦されるとき、
私は自分の秩序を回復したかのような感覚に包まれる。
しかし、両者はスケールが異なることには注意をする必要がある。
たとえば、キリスト教の福音はイエスに関する福音であり、
「個人個人の身体を含めた被造世界のよみがえり」という含意があるが、
日常の人間的な意味で使われる朗報やセカンドチャンスにはそのような含意はない。

■2つの異なるスケールを接続する、キリスト者としての生
キリスト者がイエスのリアリティーに従って生きるとき、「既に成就された新しい世」を生きているかのようである。
一方、この世界を眺めるとき、いまだ不完全な「古い世」のままであることを認めざるを得ず、そして、あとどのくらいの「古い世」が残っているかも、目には見えないが、これからそれらが「新しい世」に代わって行くことは約束されている。
したがって、キリスト者は、「古い世」から「新しい世」への「産みの苦しみ」の中に生き、その「生」が2つの異なるスケールを接続する。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/09/15 09:33 いやあ、ぼくは長いあいだ放蕩したばかりの者で、立派な信仰経歴があるわけじゃないんですが、ひとつ言えることは、福音=神学、にあらず、ということです。これは100%間違いありません。神学校を出て、神学博士号を取った人間が、実は十字架の敵だった、なんて例は、いくらもあること。福音とは、頭で組み立てたり理解したりするものじゃないんだなあ。

はちこはちこ 2011/09/15 09:45 人参、久しぶり!

福音=神学というのは、人参のpet peeveのようだね。

私ね、20年前に、上沼昌雄先生という神学者の方に出会って、こう教えられたの。神学とは、神学者だけのものではなく、人が聖書を読んで、それが自分の日々の生活とどう関わってくるのかを考えながら生きることですよ、と。だから、普通の主婦が、たとえば聖書を読んで、今日夫や子どもとどう関わればいいかと考え、祈り、そこで語られたことを実践しようとするなら、それは「神学する」ことになるのですよ、と。
だから、大雑把にいうと、このブログなんかも、私にとっての神学の歩みの記録、「ストーリー」と言えるかもしれない?

はちこはちこ 2011/09/15 09:50 tomoさん、
コメント感謝です!
もしよろしければ、なぜtomoさんが「福音」について関心をもたれ、調べておられたのか、それもお分ちいただけたら…と思いました。^^ 個人的なことになるかもしれないので、差し支えなければ、ですが。

tomotomo 2011/09/15 12:18 人参さん

・「神学博士号を取った人間が、実は十字架の敵だった」という例は、単にその神学博士号が的外れだったか、または、「古い世」から「新しい世」への過渡期に起こること、ではないかと思います。

・「福音」はイエスに関する言葉で、キリスト者はイエスの言葉を信仰を通して受け取るのだと思いますが、一般の人である私は、あたかも、足の不自由な人が「走る」という言葉を受け取るようなやり方で、「福音」について窺い知るしかないと思っています。

福音が頭で組み立てたり理解したりするものではないとしても、言葉や説明を求めることが不適切なら、福音といわず、◎$△■でいいハズです。福音という言葉は、一般の人にも届く言葉です。

私には『福音とは、頭で組み立てたり理解したりするものじゃないんだなあ。』が、『最初に言葉あり、その次に妄信あり』にしか聞こえないんです。


はちこさん、人参さん、

私には神学のイメージがないため、福音=神学とは思っていませんでしたが、福音について興味をもったのは、「善行が目的論でなく結果論になる」、「律法から福音へ」というフレーズを、キリスト教の真髄という文脈の中で見かけたのが、きっかけでした。ここでまず、「福音とは結果なのか?」という疑問が沸きました。

そして、「福音」で検索して、はちこさんが『福音とは〜の約束である』という言い方を引用されていたのを拝見して、分からなくなって、はちこさんのブログにお邪魔しました。

tomotomo 2011/09/15 12:22 テキストエディターで書いてからここに貼り付けているのですが、
上の書き込みで、お礼の文言がコピーの選択範囲から外れてしまっていました。

あらためまして、皆様、いろいろとアドバイスをありがとうございました。

はちこはちこ 2011/09/16 15:07 tomoさん、
そうでしたか、キリスト教の真髄という文脈の中で、「善行が目的論でなく結果論になる」、「律法から福音へ」というフレーズをご覧になり、「福音とは結果なのか?」と思われたのですね。

「福音」という単語は、「良い知らせ」と言い換えられることもあり、その知らせの内容は、過去のことであるかもしれないし、未来のことかもしれないし、現在のことかもしれないですし、それらの組み合わせであるかもしれないですよね。
「福音」という言葉がどういう文脈で何を指して言われるかによって、「良い知らせ」の中身は異なるでしょうが、キリスト教の文脈で言うときには、すでに成し遂げられたことと、これから成就すること、の両方が含まれるのでしょうか。

「善行が目的論でなく結果論になる」、「律法から福音へ」というフレーズは、キリスト者をキリスト者たらしめるものは、その人が何を行ない、何を行なわないか、によって決まるのでなく、キリストがすでに成し遂げられたことを信じ、それゆえにこの地上でこれから神が成就なさることに希望を置きながら生きているかどうか、というようなことを指しているのではないかと思いました。

はちこはちこ 2011/09/16 16:25 なんだかますますややこしくなっていたらごめんなさい!><

律法というのは、モーセの十戒に代表されるように、「〜するべからず」「〜せよ」といったユダヤ教の決まりのことで、イエスの登場以前には、この律法を厳密に守ることが重要でした。でも、イエスがこの世にこられて十字架で死なれ、よみがえられたことによって、律法を守る、守らないということが、私たちの神の前における立場を左右するものではなくなったのですね。そもそも律法というのは非常に厳しく、それを完全に守れる人などおらず、律法を守る守らないによって私たちが裁かれるなら、全員アウトになってしまうのです。でも、キリストが十字架を通して成し遂げられたことをを信じるのであれば、その信仰によって救われる、というのが、「福音」の一部なのですね。
でも、それを信じることは、福音を生きることのスタート地点なんですね。

tomotomo 2011/09/16 20:27 はちこさん

だいぶ理解が楽になりました。
ありがとうございます。

『1人称現在完了形から、キリストの過去完了形及び神の未来完了形への信頼へ』、
ということだったんですね。
そう考えると、『最初に言葉あり、その次に妄信あり』という、
先日私が抱いた真っ暗な印象に、明かりが差してきました。
ありがとうございました。

質問が質問を呼んでしまって申し訳ありません。
イエスとその父である神の人称は、共に3人称でいいのでしょうか?
キリスト者同士で神について語るときは、3人称であるかのようですが、
空に向かって神に問いかけるようなときは、2人称であるかのようですし、
キリスト者の内面に神がいるかのように神に問いかけるときは、1人称であるかのようです。

良くして頂いて本当にありがとうございました。

はちこはちこ 2011/09/17 07:44 tomoさん、
質問大歓迎です。と言っても、最初のときのように、わからないときもたくさんあるのですが…汗

人称ですが、そうですね、私たちが直接神様に語りかけるようなときは二人称ですが、客観的に語っているようなときは三人称ですね。一人称はあまりないように思いますが、例外的に、「預言(神の言葉を預かって語る)」をするときには一人称になるかもしれません。

それから、tomoさんは、「三位一体(さんみいったい)」という言葉をご存知ですか? キリスト教の神は、「父なる神」、「子なるイエス」、「聖霊」の三位(三つの神格)からなるが、一つである、という概念というか、教理です。
父なる神と子なるイエスは分かりやすいと思いますが、たぶん、「聖霊(御霊)」というのはピンと来ないかもしれませんね。
イエスが十字架にかけられて、死なれ、葬られ、三日後によみがえられ、人々の前に現れたあと、40日後に天に昇られました。
天に昇られる前に、イエスは弟子たちに、イエスが天に昇られたあとは、父なる神がかわりに「御霊」を送ってくださり、その御霊は、イエスを信じる人ひとりひとりの内側に住んでくださり、私たちにいろいろなこと(神様の働きに対する理解や神様に従って生きるための助言など)を教えてくださると、約束してくださったのです。
この聖霊のことを、よく「内なる御霊」とか「内住の御霊」といった言い方をしますが、それについて語るときでも、一人称ではなく、三人称になるような気がします。

tomotomo 2011/09/17 13:27 はちこさん

ありがとうございます。
『一人称現在完了形から、3人称完了形(イエスの過去完了 + 父なる神と精霊の未来完了)へ』ということになると、『自力(1人称)本願から他力(3人称)本願へ』ということになり、他力本願は自力の放棄という意味ですから、、、果たしてこれでいいのでしょうか?といいますか、、、精霊を1人称で呼ばなくても問題ないのでしょうか?

もし精霊を3人称で呼ぶのであれば、自分というのは、放棄するも何も、元からない、という感じなのでしょうか。『自分』とは、土地とか家のようなもので、そこに住むのは『私』ではなくて『精霊』である、という感じになるのでしょうか。『自力の放棄』というよりは、『私から無私へ』、『私から精霊の棲家へ』、という感じになるのでしょうか。

お陰様で随分と頭がクリアーになってきました。
本当にありがとうございます。

追伸: 上とは別に、もう一つ、お聞きしたいことがあります。
このように質問していると、ほぼ必ず、『基本的に暇でネタ好きの人は改変を欲しがる』
というようなことを、私のいないところで、陰口のように言う人(ルター派)がいます。
キリスト教に興味はあっても、そういうキリスト者が壁になってしまうのです。

私は改変など思いもしないことですが、そうであったとしても、その何が問題なのか理解できません。
GPLライセンスは自由な改変を許しているから、Linuxのようなすばらしいソフトが育っているのだと思います。
http://www.gnu.org/licenses/gpl-faq.ja.html#WhyDoesTheGPLPermitUsersToPublishTheirModifiedVersions
一つの教派に属している限り、聖書の改変(というか質問)は一般にタブーなのでしょうか?
もしそうなら、はちこさんには奇跡的に答えて頂いているのかもしれません。

はちこはちこ 2011/09/18 21:11 tomoさん、
聖霊は、私たちの心に語りかけてくださいますが、私たちはそれに耳を傾けて従う自由も、無視して拒絶する自由もあります。ですから語っておられる聖霊は、一人称ではないのです。一人称にしてしまうと、自分と神を同一視することになりかねず、危険な気がします。

次のように考えると分かりやすいかもしれません。私たちはジェット機の操縦士で、語ってくださる神様(聖霊)は、管制塔からの指令の声。操縦士は自力では目的地に到達できないのですから、その意味では他力本願ですが、他力本願と言っても、管制塔に従って操縦するかかどうかは、操縦士しだいですね。私たちの意志や選択は関わってきます。また、管制塔の司令官は、私たちを操縦席から押しのけて、かわりにジェットの操縦をしてくれることはありません。同じように聖霊も、私たちの意志を無視して、私たちに乗り移って私たちの心や身体を支配する、ということは決してないのです。
聖書は確かに、自分を十字架につけることや、キリストのために自分のいのちを失うことを教えていますが、「無私」というよりは、「自ら神の御声に聞き従う新しい私」に変えられていく…と言う感じでしょうか。


また、「私」というユニークな存在は、クリスチャンになって、聖霊が内に住まわれるようになっても、決してなくなりません。なぜなら、神様は「私」を愛しておられるので、「私」が抜け殻になってしまったら、神が「私」を愛する意味がなくなってしまいます。聖霊が内に住んでくださるのは、私たちを助けるためであって、私たちを支配するためではないのですね。

追伸のご質問に対しては、事情がはっきり分からないので、何とも言いかねるのですが、いろいろ突っ込んだ質問をされると嫌がるクリスチャンは、確かにいるかもしれません。でも、聖書について質問することがタブーだということは、絶対にありませんから、安心してご質問なさってください。

また、私たちがいくら疑問を感じたり、聖書に関して納得がいかないと思う箇所があったとしても、聖書そのものを改変することは、キリスト者はしません。なぜなら、私たちは、聖書はその原典においては(つまり、日本語や英語などの翻訳の聖書でなく、ヘブル語やギリシャ語での原語の聖書においては)、誤りのない神の言葉だと信じているからです。でも、翻訳には誤りがあることがあるので、翻訳の改訂は、随時行なわれています。

tomotomo 2011/09/18 23:51 はちこさん

ありがとうございました。

自分の中に精霊の居場所を作り、精霊との対話によって、
自分の中の記憶の受け取り方を変えていく、という感じなんですね。

私は他所では2回以上は質問をしたことはないのですが、
改変と受け取られる場合があることは理解することが出来ました。

キリスト者ではない私は、『外側』にいますから、
どうしても他の思想や哲学と比較しながら理解しようとしていました。
比較すればするほど、中に入り方が分からなくなり、
中に入ることを妄信だと思ってしまうのだと思います。
一方、信仰者にはそういう比較はあまり意味がないのかもしれない、
ということを少し思いました。

ここまで理解することが出来たのも、はちこさんと、お仲間の先生方のお陰様です。
本当にありがとうございました。
お手数をおかけいたしました。
ありがとうございました。

はちこはちこ 2011/09/19 08:57 tomoさん、

「精霊」ではなく、「聖霊」なのですが、
「自分の中に聖霊の居場所を作り、聖霊との対話によって、
自分の中の記憶の受け取り方を変えていく」というのはうまい表現だなと思いました。


>比較すればするほど、中に入り方が分からなくなり、
>中に入ることを妄信だと思ってしまう

なるほど… 私が「中に入った」のは14歳の頃で、あんまりいろんなことを深く考えていなかったような気もしますが、当時自分が抱えていた問題に対する答えとして、イエスを信じてみよう!と思った、のがきっかけだったかなぁと、ぼんやり思い出しました。

tomoさんがキリスト教に関心を持たれ、質問をされていること、とても嬉しく思っています。どういうきっかけでキリスト教に関心を持たれるようになったのか、もしよかったら、またお時間のあるときにでもお分ちくださると嬉しいです。

tomotomo 2011/09/19 13:38 上の投稿で、丸数字が文字化けしてしまいました。
(数字)に置き換えたものを下に貼り付けますので、
お手数ですが、上の投稿を削除して欲しいです。
よろしくお願いいします。

はちこさん

ありがとうございます。

=======================
(1) 卒業式に活躍する神様
=======================
昔から、「神様ってなんだろう」という関心が、頭の片隅にありました。
それは、いつも視界に入っていたけど、好きでも嫌いでもない、
地味なクラスメイトのような存在(関心)でした。

その地味なクラスメイトが、卒業式のような場面で、
地味に活躍するのが見え始めました。

・卒業式は、終わりであり、始まりです。
・卒業式ではあれほど過去を振り返るのに、気持ちは非常に前向きです。
・自分ではどうすることもできない運命のように卒業の日を迎えます。
・・・・・

私は、卒業式というキーワードで、神様を理解したいと思い始めました。

==========================================
(2) 外側からの比較の誤謬と、内側の拡大の誤謬
==========================================
聖霊の御声は至る所・あらゆる職業・あらゆる場面に届き、
その影響を受けた経済学者が『神の見えざる手』という考え方に到達します。
ここまではいいのですが、後に続く者が経済活動の中に、
『神の働き(手)』『しるし』を探そうとするのは違うと思うのです。

『神の見えざる手』は経済学の一つのワードですから、
この時点で、すでに『外側』に出てしまっています。
内側のつもりで外側に出ると、内側を無理やり拡大し、
内側を押し付ける印象として映ることも、時として、あると思います。
外側からキリスト教と他の思想を比較する『外側の誤謬』、の逆の、
『内側の誤謬』なのではないかと思います。

================================
(3) 外側と内側のインターフェースへ
================================
(2) のように考える人がいても問題ありませんし、
解決しなくてはいけない問題だとも思いませんが、
内側からはどう見えるのだろうか、という関心はありました。
そして、内側と外側のインターフェースに注目するようになりました。

==========================
(4) 人間の言葉から神の言葉へ
==========================
しかし、内側と外側は、コミュニティーに関してですから、人間の側の概念です。
外側と内側のインターフェースを、神の言葉はどのように表現しているのでしょうか。
私はここでも『卒業』という概念が思い浮かぶのです。
私は、『和解』よりも『卒業』の方が適訳なのではないか、と思っているのかもしれません。

以上、聖書の具体的な箇所を挙げた文章ではないので恐縮です。
こういうところまで整理がついてきたのは、はちこさんのお陰様です。
感謝しています。本当にありがとうございます。

ようこようこ 2011/09/20 07:10 ミネタさんの映像を拝見しました。色んな思いがあって、感動しました。言葉にならない思いでいっぱいです。

私はあんなメモリアルモニュメントがあるなんて全く知らずに過ごしていました。しかも私はそのモニュメントのすぐ近くに住んでいたんです。

ミネタさんの肖像は人々に疑問を持たせ、その絵は文字通り語り続けるのでしょうね。

最後の高校生とミネタさんの対話、そして日系人の方とイスラム系の方たちとの交わりには魂が揺さぶられたような思いです。

はちこさんのおっしゃること、「神の御名を出してアメリカの正義を訴え、悪と戦うと叫ぶブッシュ前大統領の言葉よりも、自分たちが受け継いできたものを互いに分かち合おう、互いに理解し合おうというこのノーマン・ミネタさんの言葉のほうが、ずっと神様の御国と共鳴しているように感じてしまうのは、私がどこかずれているのだろうか…?」私は同感です。

イラク爆撃が始まった時に初めて生でクリントン大統領の演説と、スピーチの最後の締めくくりの言葉をきいた時の衝撃はとても大きかったです。その時私はもうクリスチャンでしたが、だから余計に大きかったです。そしてその後そのような衝撃を受けているクリスチャンはあんまり居なくって、むしろ(アメリカでは)私のような考えは少数派なんだなってことにも・・・

そして、日系人の方たちから見て、80年代、90年代と増えてきた日本からの滞在者はどのように映っていたのでしょう。という疑問もわきました。

つれづれなるままにコメントしてみました。

はちこはちこ 2011/09/20 22:09 tomoさん、
お分ちくださりありがとうございます。
最初にご質問いただいたとき、ちょっと思いついただけの軽い質問ではないのだろうなと感じましたが、やはり、ずっと考えてきておられたことだったのですね。
ご自分が知っておられる世界のキーワードを手がかりに、理解を深めようとしておられるご様子に、逆に私の方が教えられます。
また私に何かお手伝いできることがありましたら、いつでもご連絡ください。

ようこさん、
コメントありがとうございます。共感していただけて嬉しいです。
アメリカ在住の日本人クリスチャンとして、あれっ?と思わされること、ありますよね… 私はこちらに来た当初は、こちらの教会の人たちからただただ吸収するばかりで、まだ若かったせいもあったし、アメリカ人クリスチャンの言うことを何でも鵜呑みにしていた部分がありました。 でも、在米年数が長くなり、こちらの社会問題などについても、居住者の一人として関わり、考えるようになってきたとき、必ずしもアメリカ人クリスチャンの言うことに同意できないと感じることが、あちらこちらに出てきて、とまどいました。彼らは聖書信仰の問題のように言うけれど、それは聖書信仰とは別の信仰では?と感じたり、アメリカ人が、クリスチャンもノンクリスチャンも、偶像のように大切しているものがあることに気づいたり…

これからもよろしくお願いします。

tomotomo 2011/09/20 22:09 別の教派へ転入すると、昔所属していた教派を攻撃をし始めますよね。
その攻撃手段は大抵、聖書や他人の言葉の『引用』です。
自分の手は決して汚さず、神様に寄り添って、外側を排除するんです。
それで神の手は汚れないのか?といつも思います。

上のようこさんの書き込みを読んで、
はちこさんが同じようなお考えなのかもしれない、と気づきました。
ようこさん、ありがとうございました。

聞きたいことも聞いて頂きたいこともまだありますが、
ここまで質問させていただいて、とても感謝しております。
本当にありがとうございました。

2011-09-10

MEMO:CTより

19:50 | MEMO:CTよりを含むブックマーク

 Christianity Today誌のサイトにあった記事、How Evangelical Leaders Have Changed Since 9/11の、Will Willimonの言葉より。(全文はこちら

The silence of most Christians and the giddy enthusiasm of a few, as well as the ubiquity of flags and patriotic extravaganzas in allegedly evangelical churches, says to me that American Christians may look back upon our response to 9/11 as our greatest Christological defeat.It was shattering to admit that we had lost the theological means to distinguish between the United States and the kingdom of God. The criminals who perpetrated 9/11 and the flag-waving boosters of our almost exclusively martial response were of one mind: that the nonviolent way of Jesus is stupid. All of us preachers share the shame; when our people felt very vulnerable, they reached for the flag, not the Cross.

 十年前、私たち家族はイギリスにいた。いつものように子どもたちを学校に迎えに行って帰ってきたら、たまたま家にいたぼぼるパパが、「大変なことになった!」と叫んでいた。「NYのワールドトレードセンターに、ジェット機がつっこんだらしい!」

 あの日、テレビで見た崩れ落ちるツインタワーや、迫り来る炎から逃れるために窓から次々と飛び降りる人たちの映像と、その時に受けた衝撃は忘れない。東海岸で4年間を過ごし、見慣れたマンハッタンの景観がこれで永遠に変わったということが、信じられなかった。映画の作られた映像ではなく、実際にそこに大勢の人がいて(私の父も、よりによってその日、仕事でマンハッタンにいて大変な思いをした)、事故ではなくテロという人間の悪意によって、大勢の人の命が失われたということに、震えがきた。

 

 しかしながら、その後ブッシュ大統領が神の御名をだして、アメリカは断固テロと戦う!と連呼するのを聞くにつれ、どうしてもしっくりこないものがあった。今にして思うと、アメリカの(一部の?)キリスト教に違和感を覚えるようになったのは、この頃からだったかもしれない。でも、もし私があのときアメリカにいたなら、そうは感じなかったのかもしれないが…


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(ツイートのまとめをブログに表示させるのは、やっぱり止めました。このテンプレートのデザインのせいだと思いますが、どうもうるさい感じがするので…。ツイートまとめは、左側にある「Twilog(ツイートまとめ)」から読めます。)

2011-09-09

2011年09月09日のツイート

| 23:01 | 2011年09月09日のツイートを含むブックマーク

気が抜けた…

10:11 | 気が抜けた…を含むブックマーク

 夕べ、エミが大学に戻って行った。

 昨日はどういうわけか用事がいくつも重なる忙しい日で、一日中慌ただしく、エミともゆっくりできなかった。最後の晩だというのに、夕食もバッファローウィングスのテイクアウト。一応、エミのリクエストではあったが。

 夜は高校のオープンハウスがあって、エミを送り出す前に、私はそちらに行かなくてはならなかった。オープンハウスとは、保護者が学校を訪れ、それぞれの教室を見学したり先生に会ったりする機会。私にとってはもう7回目だけれど、ま〜やが1年生なので、やはり行ったほうがよかろうということで雨の中を行ってきた。例年ならぼぼるパパと二人で行くのだが、今年はパパがエミを連れて東海岸に行くので、私一人で。

 9時半頃オープンハウスから戻ると、分かってはいたけれど、もうエミはいなかった。(涙)

 今年の冬休みは、エミは日本と香港に旅行するそうで、シカゴには戻って来ない。だから、次に会えるのは来年の5月の末になる。エミが旅行を計画しているのは知っていたけれど、てっきりいったんシカゴに戻ってきて、シカゴから行くものだとばかり思っていたので、こちらには戻らないと聞いたときは(私はそれを10日前に初めて知った)、かなりショックだった。もちろん、エミにとっては日本に行っておばあちゃん達に会うのはとても良いことだから、旅行は大歓迎なのだけれど。

 今、エミが使っていたシーツやタオルを洗濯している。彼女がこの夏使っていた部屋には、ケース一箱分の衣類や、アコギ、ベースギター、エレキギター、マイクスタンド、譜面台など、かなりいろんなものが残っていた。アンプとバイオリンはさすがに持っていったようだが。大学1年目のときは、キーボードも持っていったのだけれど、弾いている時間がなかったようで、2年目は持っていかなかった。(それは今、ま〜やの部屋にある。)各種ギターは、練習したいからと中古で買い集めたそうだが、学校がある間はやはり触る暇はないからと、全部置いていった。(しかし、ま〜やのピンクのDS2は、しっかりエミの荷物の中に入っていた。指摘すると、「エヘヘ… ポケモンブラックが終わったら、送り返すから〜」。勉強の合間の息抜きなんだそうだ。笑)

 去年は、大学に戻るときかなり緊張した面持ちだったけれど、今年はひょうひょうとしていた。「I'm ready to go back」と。


 去年エミを送り届けてきた帰り道で、主が見せてくださった虹を思い出す。一年前にどんな思いで送り出したかを考えると、本当にこの一年間、ups and downsがありながらも、ずっと主の真実の中に守られ、導かれていたことがわかる。特に、去年の10月11月12月は本当に大変だった。当時のブログを読み返しと、(具体的なことはあえて何も書いていないのだけれど)、あの頃のことがまざまざとよみがえる。そしてそれが、辛かった思い出ではなく、心近くにずっと携えておきたいような、貴重な思い出になっていることに気づかされる。一つ一つが、友人たちの祈りに支えられつつ、主とともに苦しみ、主とともに乗り越えたことだから。

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しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」 詩篇31:14

2011-09-08

2011年09月08日のツイート

| 23:00 | 2011年09月08日のツイートを含むブックマーク

2011-09-07

MEMO: The King Jesus Gospel

14:26 | MEMO: The King Jesus Gospelを含むブックマーク

D

(2012.3.2 追記:かわむかいさんが、翻訳してくださいました! [こちらより)

最近、私はある調査のレポートを読みました。 それによると聖書に忠実なキリスト者家庭の子供たちの90%が 彼らの心にキリストを[救い主として]受け入れる決断­­をするということでした。 私たちのほとんどは、そのような数字を期待するのでしょう。

 その90%のうち、35歳になっても、イエスに従い続け­ている­のは、 わずか22%のみだというのです。 私たちのほとんどが、その数字にショックを受けるのではないでし­­ょうか。 私もそうでした。

  お考えになってみて下さい。 私たちは、キリストに従うと決心した人の3分の2以上を失い続け­­ているのです。 何かがおかしいのです。どこかがものすごくおかしいのです。 おかしいのは、私たちが語っている「福音」です。

 おかしいのは、私たちが使っている若い人たちに対して、 彼らのキリストに従う決意のうちにとどまるように説得する方法で­­はないでしょうか。 「福音」は、決意をする方法であることにこだわりすぎてないでし­­ょうか。

  「福音」は弟子であるということや、 イエスの「福音」、 そのためにためにデザインされたボートではないでしょうか。

 私の見るところによれば、 今日の教会で機能している『いわゆる「福音」』は  教会を破壊しており、 「救われた人たちの社交クラブ」にさせているのであり、 本来のイエスの十字架にまで従う人々の社会を作ることに 失敗している、と思います。

この問題の解決のためには、ある牧師たちは、 もっと罪を強調すべきだといいますし、 別の牧師たちは、神の怒りや永遠に続く地獄の炎の激しさについて 語ることを もっと増やすべきだといいます。 ほかの牧師たちは、 すべてのことを恵みと信仰における義認であるということに もう一度焦点を置くべきだというでしょう。

 しかし、これらは本当の問題解決になるのでしょうか。 いくら、弱い福音をいじってみたところで、弱い福音にしか過ぎま­­せん。 なぜこうなるか、ですが、 私たちが『福音』と思っているものは、 オリジナルの『福音』そのものではないからです。 ですから、 私たちは一からやり直さないと、いけません。

 オリジナルの『福音』とはどのようなものだったんでしょうか。あるいは、使徒的『福音』とはどのようなものだったのでしょうか­­。 もっと言うと、 イエスが語った『福音』とはどのようなものだったのでしょうか。


 私たちは、聖書が語っていることを聖書に語ってもらうべきではな­­いでしょうか。私たちが、聖書に語らせたいことを聖書に無理やり語らせるのではなく。

 おそらく、 多くの聖書に忠実であろうとする若いキリスト者が 今日、教会から離れていく理由の一つは、 これらの多くの若者が教会で聞いている『福音』が、 イエスが語った『福音』ではなく、 彼らはイエス自身を『福音』として求めているのです。だからこそ、『聖書』に戻りましょう。ご一緒に。


 そして、イエスや、ペテロやパウロが『福音』というとき、なんといっているかをよく見てみましょう。私たちは、非常に大きな転換をしなければならないことに気づくはずです。私たちが再発見しなければならないのは、


 もともとの幸福をもたらすニュース、


 それを、王なるイエスの福音と私は呼びたいと思います。

The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited

The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited

 紙の本に先立って出版された電子版を、早速キンドルで購入。

 この十年くらい、特に過去4〜5年、あちこちを突き崩しつつ、bits and piecesで集まってきたパーツの数々が、どう組み合わされるのかここにきてようやく青写真が見えてきたような… でも、まだ先は長そうだけど。

はちこはちこ 2011/09/07 07:10 一日のツイートまとめをブログにも表示させてみることにしました。

ふかごろうふかごろう 2011/09/08 01:00 あ、中澤信幸先生とやりとりなされたのですね。
僕は、今、中澤信幸先生の教会に通っています。
去年の9月に正式に転入会して、正会員となっています。
今、赤ちゃんの世話があるので、毎週は、通えてないけど、
妻と交代で2週に1度通っています。

hide&yokohide&yoko 2011/09/08 05:31 King Jesus Gospel 宣伝を見てさっそく注文しました。ライトとウィラードの推薦があるなら、さぞよいのだろうと思いました。ご紹介くださり感謝です。

はちこはちこ 2011/09/08 11:50 ふかごろうさん、
おおー、そうですか、中澤先生の教会に! そうですよね、相模原ですものね。ぜひよろしくお伝えください。赤ちゃんがいると何かと大変ですから、そういう柔軟さは良いですね!!

hide&yoko先生
キンドルではすでに発売されていて、私も購入して読み始めましたが、とても興味深く、いろいろ考えさせられています。

はちこはちこ 2011/09/08 11:57 hide&yoko先生

著者はEvangelismの語源は「福音」なのに、福音派が提示してきた福音は、「救い」に焦点が置かれ過ぎて来た、というようなことを言っています。伝道といえば、とにかく相手に「決心」させ、「天国」に行けるようにすること、のような…(ウィラードが、「心の刷新」の中で、福音派のクリスチャンは死に向けて整えられてはいるけれど、この地上を生きるためには整えられていない、みたいなことを言っていましたが、それとも関連あるようです。)

また、最近、パウロの福音か、イエスの福音か?みたいな議論を耳にすることもあり、なぜそんな議論が起こるのかすら、私にはよく分からなかったのですが、この本を読み始めて、ようやく何が問題になっていたのか、分かり始めてきました。それでも私にはまだまだ分からないことだらけだと思うので、またいろいろご教示ください。

ふかごろうふかごろう 2011/09/12 05:28 昨日、教会で中澤信幸先生とお会いしたので、よろしく伝えておきましたよ。
「聖書に学ぶ子育てコーチング」ですが、順調に読み進めています。
なんだか引き込まれるものがあります。
今、172ページ目まで読みました。
それで、ちょっと気になった部分がありました。
64ページ9行目
 〜突然生まれるのfではありません。〜
「f」と言う文字が入っていて、これは誤植なんではないかと思いました。
もう、気づかれておられるかもしれませんが、一応お知らせします。
ではでは。

はちこはちこ 2011/09/12 09:12 ふかごろうさん
ありがとうございます。

そうなんですよ、あの、「f」! 私も見つけたときは仰天しました。ゲラ校正の時点では入っていなかったのですが、最後の最後に、ちょっとアクシデントがあって、入ってしまったそうです。再刷のときには修正します。(汗)

ふかごろうふかごろう 2011/09/16 22:18 「聖書に学ぶ子育てコーチング」読み終わりました。
読んでいくうちにどんどん引き込まれて行きました。
はちこさんがあとがきで書かれていたように、子どもへの対処法を学ぼうと思って読み始めたのに、自分自身のことに目が開かれました。
とっても良い本だと思います。

はちこはちこ 2011/09/18 21:13 ふかごろうさん、
ご感想ありがとうございます! そのように受け止めていただけて、とても嬉しいです。さらなる祝福がありますように!

2011-09-03

メモ

08:49 | メモを含むブックマーク

 Facebookの方にちょこっと書いたことを、こちらにもメモ。今は時間がないのだけれど、時間がとれたらあとで、この前後のことをもう少し詳しく書きたい。

来週の木曜日に大学に戻る長女。夕べ、彼女とこの一年の彼女の信仰の歩みの話のことを話していたら、ケンがそばにやってきて、それをじっと聞いていた。そして、「覚えてる? ずっと前の礼拝メッセージで、壇上にシーソーがあって、片方が自分の罪の重さで下がってて、もう片方にいろんな『よい行い』のブロックを積み上げるんだけど、下がってるほうはびくともしなくて。でも、そこに『イエス様の十字架』が乗せられたら…」とそこまで言って、ウッと涙でつまって顔をソファのクッションで覆った。随分前のメッセージを覚えていたことにも驚いたけど、彼の涙のリアクションにもっと驚いた。もしかしたら、メッセージを聞いたときには分からなかったとことが、夕べ急に心に迫ったのかもしれない。聖霊さまの働き。感謝。

たんぽぽたんぽぽ 2011/09/06 05:46 そいういときってあるんでしょうね。
信仰の継承を祈ってますね。なんか感動しました。

ところで、学校公開ウィーク、牧師先生を含め、信徒の皆さんが授業を見に来たいというので、丁重にお断りしています。いつもそうなんだよね。なんかさ、見に来たいって教会で盛り上がるのさ( ^^) _U~~頭が真っ白になるよねえ。平日なのにみんな暇なのねえ。というか、祈っていただいているんですよね。他にも教員の人も
教会にいるので、みんなで丁重にお断りしています。恥ずかしいよね。基本的には学校関係者だけなので、実際に見るにはかなり努力しないと難しいの。

どういう授業にするかはクリスチャンの先生同士でも情報交換しています。
辛口、甘口、いろんなコメントがあります。
KGKでもクリスチャンの先生の集まりがあるみたいです。

けんくんもそうやってみんなに愛されて祈られているんだね。