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God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2011-10-31

逆説の十か条

09:35 | 逆説の十か条を含むブックマーク

 hiroさんがツイートしておられた「逆説の十か条」(ケント・M・キース)をメモ。マザーテレサの言葉として聞いたことがありましたが、ケント・M・キースという人が19歳のときに書いた言葉だそうです。(hiroさん、ツイートしてくださってどうもありがとう!)

逆説の十か条

1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。

2. なにか良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。

3. 成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。

4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。

5. 正直で率直なあり方は、あなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。それでもなお、大きな考えを持ちなさい。

7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後ろにしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8. 何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れさるかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。

9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。

10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。


 検索していたら、マザーがカルカッタの孤児院の壁に書き留めたというこの十か条のマザー版も見つかったので、それもメモします。ちょっと違う箇所もあります。

People are often unreasonable, irrational, and self-centered. Forgive them anyway.

If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives. Be kind anyway.

If you are successful, you will win some unfaithful friends and some genuine enemies. Succeed anyway.

If you are honest and sincere people may deceive you. Be honest and sincere anyway.

What you spend years creating, others could destroy overnight. Create anyway.

If you find serenity and happiness, some may be jealous. Be happy anyway.

The good you do today, will often be forgotten. Do good anyway.

Give the best you have, and it will never be enough. Give your best anyway.

In the final analysis, it is between you and God. It was never between you and them anyway.

 マザー版のいちばん最後の一行が特にぐっときました。「結局のところ、それはあなたと神との間のことなのです。あなたと他の人との間のことであったことは、一度もなかったのです。」

めぐんちゃんめぐんちゃん 2011/10/31 10:24 マザーの最後の一行、考えさせられます。ちゃんとそれを心に留めていたら、イライラしたりがっかりしたりせず、平安の中で生きていくことができるんだろうなぁ。。。

マザーテレサは彼女が関わる貧しい人、病を負った人にキリストの顔を見たと読んだことがありますが、上の一文からも主に仕えるように人に仕えていた彼女の姿勢が窺われます。

最近、自分が良いと思っていることが、思い通りに運ばずがっかりすることがあったのですが、逆説の10か条を読んで「あなたのアジェンダを私にゆだねなさい。そうすればあなたは不要な苛立ちや落胆から解放されて、逆境をものともせず進む力と希望を得るよ」と神様に言われた気がしました。

みちこみちこ 2011/10/31 21:55 はちこさん、お元気ですか?
この言葉に出会ったのはいつだったか・・・
覚えてはいないのですが、時おり最後の行を思い出しては
慰めをうけたり、戒めを受けたりします。
これさえ忘れなければ、自ずと行動とこころは導かれていくはず。
今一度思い起こさせていただきました。
いつも大切な気付きを感謝します。

ひみつのあっこちゃんひみつのあっこちゃん 2011/11/01 05:34 この言葉!この言葉を友人に紹介したくて、丁度検索しようと思っていた言葉です!!
たしかマザーテレサが言っていたような・・とは思っていたのですが・・
本当に助かりました〜!感謝です〜!
早速友人にも紹介します♪

はちこはちこ 2011/11/01 18:13 めぐんちゃん、
本当にその通りだよね… いろんな煩雑なことで、気持ちもぐちゃぐちゃしちゃうとき、結局は私と神様の間のこと、そう思うと、何だが物ごとがすっと整理されて、気持ちも落ち着くような気がしました。 めぐんちゃん、引っ越しはいつになりそうですか?

みちこさん、
アーメン! こちらこそ、いつもお分ちを感謝です。私も励まされています!

ひみつのあっこちゃん、
ああー、タイムリーだったのですね。主に感謝!
私も昨日の朝友人が引用しているのを見かけて、昨日はとくにこの言葉が心に留ったので、メモしなくては!と思ってメモしたのでした。 Blessings!

2011-10-30

3年半後

20:43 | 3年半後を含むブックマーク

 2008年の1月に以下のようなブログ記事を書いた。

あれから3年半経ち、今またさらに会堂を増築し、宣教活動を拡大するための計画が始まっている。それを最初に聞いたときは「またぁ? つい数年前にやったばかりなのに!」と思った。ところが、この三年半の間に、礼拝参加の数がなんと約50%増えたのだそうだ。当時は約4000人だったのが、今は約6000人。それを聞いたら、「ついこの前やったばかり」とは言っていられない。神様がこの教会を通してなさっておられることに、ついていかねば!

2011-10-28

Cuteな動画みつけた

14:06 | Cuteな動画みつけたを含むブックマーク


D

 2002年の映像らしいですが、オリビアもジョン・トラボルタも、とってもチャーミングです。ジョンの高音がちょっと苦しそうなところまでキュートだわ。(笑)

D

 

 そして、こっちも可愛いね。歌っている人たちが楽しそうなのが何よりです。(笑)

 映画『グリース』が流行ったのは、私が高校1年生の頃。懐かしいなぁ!

 今ウィキペディアで調べてびっくり。彼女は生粋のオージーだと思ってたよ。

イングランド・ケンブリッジ生まれ。母方の祖父はドイツのノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授であった。5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。

 1948年生まれだそうなので、上の映像のときは54歳かぁ。すごい。

 === 

 このあと、2010年の二人がYou are the oneを歌っている動画を見つけましたが… オリビアは60歳過ぎてもなお変わらず美しいのに、50代半ばのジョンは…ちょっと悲しい姿になっていたので、リンクするのはやめておきます。(苦笑)

TomokoTomoko 2011/10/30 06:36 このオリビアのように、年をとってもいつまでも美しく、そして見事な体型を保っているという人は何が違うのだろう?やっぱり日頃の気持ち、意識の持ち方、そして努力なのかな?

たしんたしん 2011/10/30 09:57 はちこさんにとっての"Grease"は私にとっては高校一年の時に劇場で観た"Footloose"ですね。

ひみつのあっこちゃんひみつのあっこちゃん 2011/10/30 17:44 懐かしい!この映画大好きでした!
ちょうどオーストラリアに住んでいた頃上映されて、たしか小学三年生でしたが何度も映画館へ観に来ました!オリビアが好きだったのでレコードも買い集めていました〜
年をとっても変わらず美しく、声も素晴らしいですね。

はちこはちこ 2011/10/30 20:52 Tomoko、
きっと、ボトックスとか、アンチエイジングのこともいろいろやってるんだと思う! でも、やっぱり人に見られる立場にいると、自然と気持ちも引き締まって、きれいを持続できるんだろうね。努力もたくさんしているだろうし。 ほんとに見事な体型だよね。うむむ〜。

たしんさん、フットルースは、1984年ですよね。私がアメリカに留学した年の映画なので、よく覚えています。いかにもアメリカらしい映画でしたよね!

ひみつのあっこちゃん、
小学三年生でしたか!オーストラリアでは、オリビアの人気は一層すごかったのでしょうね。私も、高校生の頃はオリビアのレコード買い集めていましたよ〜。いつの間にか処分してしまって、もったいなかった…

はちこはちこ 2011/10/30 20:55 それにしても、このジョン・トラボルタがジョシュ・ハミルトンに似ている気がするのは私だけ??

2011-10-26

なんちゃってパエヤ

| 21:35 | なんちゃってパエヤを含むブックマーク

 毎日の献立がどうもマンネリ気味で、今日はいつもと違うものを作りたい〜と、夕方になってから冷蔵庫を覗き込んでうなっていたら、突然「そうだ、パエヤ(パエリア)を作ろう!」と思いついた。材料は、魚介類は冷凍のエビとイカだけしかないけど、あとはベーコンと、ピーマン、マッシュルーム、トマト、玉ねぎ、ニンニク。サフランは昔ぼぼるパパが買ってきたものがある。(かなり古いが。)

 クックパッドで検索して、今回はこれを参照させていただいた。

Cpicon フライパンで簡単!本格パエリア by りゅうくん大好き

 できたのがこれ。

f:id:mmesachi:20111026190307j:image

 夕方になってから思いつきで作ったにしては、それなりに美味しいものができて、私も家族も満足でした!


 ところで、昨日の記事にちょっとだけ補足です。

 心理学の実験などでは、○○をしたら、子供が××の行動を見せた、などの結果が出されますが、これはあくまでも、その他の条件を統制した、「実験」でのこと。現実の子育てでは、家庭・生活環境から持って生まれた性格まで、さまざまな要因(心理学でいう「交絡因子」)が関わってきます。そのため、実験で得られたものと同じような結果が、現実の子育ての中でも見られるとは限りません。

 また、親がこれこれこのように子供に接すれば、子供はこれこれこのように育つ、と強く考えるのも、ワトソンの行動主義心理学のようで、よくないなぁと思っています。

 神の似姿に、fearfully, wonderfullyに作られた人間は、実験室のネズミのようではなく、もっとずっと複雑で、美しくて、繊細で、強いのですよね。子供の中に神様が与えて下さっている内なる可能性や賜物やユニークな個性、そして子供が生まれる前からすでに神の書物に書き記されている、子供の人生への神様のご計画ゆえに、心から主に感謝します。そして、親の役割を担わせていただけるとは何と畏れ多いことかと、ただ主の御前にひざまずくばかりです。

 ちなみに、『子育てコーチング』の著者、クラウド&タウンゼントは、子供の人格形成に親が与える影響は、わずか3割ほどだと言っています。残りの7割は、本人次第だと言っているのです。このあたりにも関連することを『子育てコーチング』の訳者あとがきで少し書いています。関心のある方は、そちらをご参照ください。

山本直樹山本直樹 2011/10/27 06:49 ナチスのアウシュビッツ強制収容所に戦争中捕えられた精神科医にV E Frankl
がいます。「それでも人生にイエスと言う」などの多くの著作を残しています。
彼が一貫して主張したことは還元主義に対する批判です。
人間は生物にすぎない-Bibliogism
人間は衝動に支配されている心理学的機構にすぎない-Psychologism
人間は権力に突き動かされる社会学的存在にすぎない-Sociologism
ある生物学者は遺伝子が主体で人間はその乗り物に過ぎない、
「利己的な遺伝子」などという説まで提出しました。しかし本来は複雑である
はずの仕組みを一つのメカニズムや要素で説明することが、組織全体の恒常性
維持まで壊してしまうと考えられています。優秀な臨床医であり、分子
生物学者の児玉龍彦先生によれば、形質発現は遺伝子が何かを決めていると
考えられがちですが、遺伝子は「活性化される」ことからもわかるように、
能動態ではなくて受動態、制御の対象であり、システムの一部として
働いているのです。

はちこはちこ 2011/10/27 20:23 山本先生
ヴィクトール・フランクルですね。「それでも人生にイエスと言う」、初めて聞きました。調べてみたらとても興味深いので、英語版を購入してみようかと思います。
興味深い遺伝子のお話、ありがとうございます!
何でも物事を「分かりやすく」説明できることが良いことであるように思われることがありますが、本来複雑なものを安易に単純化したり「分かりやすく」することで、不正確になってしまうことが多々ありますよね。
そういえば、ちょっと話がずれるかもしれませんが、先日ここで話題にしていた「福音」の話も、4つの法則などのように、簡潔なリストに還元してしまうことが主流になったため、本来の福音の豊かさが見失われてしまった、ということでした。

2011-10-25

興味深い研究から

| 10:33 | 興味深い研究からを含むブックマーク

 この2、3日の間にたまたま目にした興味深い記事より。

 テンプル大学のローレンス・スタインバーグという有名な発達心理学者の、青年の脳の発達に関する研究について読んだこの記事の執筆者(彼女も心理学者)が、早速そこで学んだことを自分の子育てに当てはめてみた、という話。

 ティーンは「なんでそんなバカなことをするの? ちょっと考えればわかるでしょう?」と言いたくなるような危険なこと、愚かしいことをしたりする。しかし、それはティーンが実際に愚かだからなのではなく、脳の異なる部位の発達速度の違いに関係しているのだそうだ。簡単に言うと、ワクワクするようなことに喜びを見出すことに関する脳の部位は思春期に入ると活発になるが、衝動的な行動を抑えることに関する部位(外側前頭前皮質)は、20代半ばまでゆっくりと発達していく。スタインバーグはそんなティーンの脳を、アクセルだけでブレーキのない車のようだと言った。(恐っ!)

 この研究結果の示唆するものは多く、実際、イリノイ州でも4、5年前にスタインバーグ他のティーンの脳に関する研究結果を受けて、ティーンの運転免許に関する法律が少しだけ変わった。そのときの新聞記事は、私もよく覚えている。

 しかしこの記事の執筆者は、法律と言うまでもなく、すぐにでも自分の子育てに応用できるものがあると言う。つまり、ティーンは、痛みよりも愉しみを動機づけにするほうがよく反応する、という部分。「今やらないと、あとで大変な目にあうよ!」と脅かされるよりも、「今頑張ったら、あとでこんな良いことがあるね!」と言われるほうが、ティーンの行動には変化が現れやすいのだそうだ。今の自分の行動が後に後悔するような結果を生むかもしれない、生むだろう、と分かっていても、衝動を抑えきれないのがティーンの脳。分かっていないわけではないので、いくら脅しても諭しても、あまり効果はないらしい。

 とすると、子供に物事の「結果」について教えるときも、ティーンになったら、ネガティブな側面よりも、ポジティブな側面を強調する方が効果的ということ。なるほど〜。この記事の執筆者も、早速そのようにしたら、1週間で目に見える変化が出たと言う。


 要するに、失敗から学べる人の方が、より速く適切に学習できる、という話なのだけれど、興味深いのはこれ。「あなたは賢いね」と知性をほめられた子供よりも、「よく頑張ったね」と努力をほめられた子供のほうが、よりチャレンジ精神を示し、結果的により伸びる、ということ。

 知性をほめられた子供は、失敗して自分が賢く見えなくなってしまうことを恐れる。だから、難しいタスクにあまり挑戦しようとはしない。自分より出来の悪い子と自分を比較し、自尊心をキープしようとする。一方、努力をほめられた子は、積極的により難しいタスクに挑戦し、自分よりできる子と自分を比較し、できる子からさらに学ぼうとする。

 言われてみれば、確かにその通りだなぁと思う。アメリカでは、子供の自尊心(セルフエスティーム)を高めるために誉めることが奨励されるけれど、誉め方も気をつけないと、プライドばかりを育てることになるんだ。

 以前、別の新聞記事で、「誉める子育て」のせいで、アメリカには自分の能力を客観視できなくなり、特権意識ばかりが肥大した若者が大勢いる、というのを読んだことがある。大した仕事もできないくせに、平気で高い給料を要求したりするのだそうだ。親だけでなく、学校の先生もやたらと誉めるので、私も子供たちの先生に対して、「あまり非現実的な誉め方はしないでください」と思うことがあるもの。(ちなみに、子供の特権意識を育ててしまうことの危険は、『聖書に学ぶ子育てコーチング』にもかなり詳しく出ている。)


 なんとも身につまされる話だ〜。具体的には、私の子育ても後悔することだらけ。一からやり直せたら、と思うことも数知れない。それでも、私の失敗よりもはるかに大きな神様の恵みと憐れみにすがり、私の子供たちへの愛よりはるかに大きな神様の子供たちへの愛に信頼して、今日もよたよたと頑張ります!

 

hide&yokohide&yoko 2011/10/26 09:44 二回にわたり、とっても興味深い記事、心より感謝します。
Consequennceってとっても良い言葉ですよね。なかなか訳しにくいけど・・・
反抗期を自我確立期と見るというのが、僕は本当に教えられました。また怒りを友とするということも・・・
 自分ことで恐縮ですが、僕は、頭が良いと言われた覚えはほとんどありません。でも、「よく努力するね・・・」ということばはいつもいつも言われていました。これって、とっても幸せなことだったのですね。

はちこはちこ 2011/10/26 12:27 hide&yoko先生、
Consequenceって、本当に訳しにくいんですよね。日本語の「結果」は幅が広すぎるし、かと言って「帰結」は、三段論法などの論理的な帰結のことのように聞こえますし… いずれの訳語を使うにしても、説明が必要になりますよね。

本当に頭の良い人は、実は同時によく努力もする人なのだと思います!

TomokoTomoko 2011/10/26 16:56 2回にわたって本当に興味深い、そして考えさせられる内容で、それについてコメントしたいのだけど、はちこさんの文章が深く、素晴らしすぎるので何をどう書いていいのか、、、

nao-LKnao-LK 2011/10/26 18:16 はちこさん
頷いて読んでしまいました。
自分が子どもだった頃、頭ごなしに「こうしなさい」と言われるとやりたくない。ティーンの頃も然り。(今は、「はい。」と応えてちゃんとやっていれば、自分にとっても、両親、特に母にとっても、本当に良かっただろうなと反省です。)
そして、沢山ではないけれども、「頭がいいね〜。」と褒められたことが、その後、私の完璧主義というか慎重すぎるというか失敗をどこか恐れる芽を育ててしまったのかな。。。とも思いました。

今、小学2年生の男の子の母になった私、言葉掛けに気を付けようと思います。「よく頑張ったね」とか、hide&yokoさんの「よく努力するね・・・」、こう言われたら大人になった今でもとても嬉しく感じますね。
子どもにも自分自身にも、失敗を恐れる性質ではなく、チャレンジしようと思える性質を育ててゆけるようにと願います。

nao-LKnao-LK 2011/10/26 19:01 (追加)
朝の掃除機をかけながら、聖書のタラントのお話を思い出しました。、神様も、タラントを活用した者には、「よくやった。」"Well done, (good and faithful servant)!" とほめて下さっていますね。ついついタラントを増やすことにフォーカスしてプレッシャーに思う箇所でしたが、今回のブログの内容を経てちょっと印象が変わりました。失敗を恐れず、神様から与えられた賜物である才能(タラント)を活かすことができますように。

kanahakanaha 2011/10/26 19:08 子育てやり直せたら…そうですね〜。

子育ては親も一緒に親として育てて貰ったと思っていますが、出来の悪い親で、申し訳なかったなあと思います。

適切な励ましの言葉は大人になっても必要だし、今からでも遅くないと信じて、子供(成人してますけど)の良い相談相手になりたいなと思いましたね。

Tomokoさんが書いているように、はちこさんの文章が深く、素晴らしいので、どうコメントして良いのか困りましたよ〜!

はちこはちこ 2011/10/26 21:14 Tomokoさん、
人様の研究を引用させてもらっただけですから、私の手柄じゃないんですよ〜。

nao-LKさん、
親にとって良いことが、子供本人にとっても良いこととは限らないですよね。子供のときは我が強くて扱いの難しかった子が、大人になって卓越したリーダーシップや創造性を発揮することもありますし!

声かけについては、私も、子供が何か失敗したとき、それでも少しでも頑張りを見せたら、その部分をしっかり誉めるようにしようと思いました!聖書にも、神様は恐れ退く者を喜ばない、とありますよね!(ヘブル)お分ちくださってありがとう!

kanahaさん、
親のほうも子供に育ててもらう、というのは、本当ですよね。結局のところ、人間は死ぬまで成長し続けるのでしょうから。
子育てじゃなくても、大人同士でも互いに励まし合って、良い影響を与え合っていけるなら、感謝ですよね。

2011-10-24

「思春期・反抗期」と境界線

| 12:17 | 「思春期・反抗期」と境界線を含むブックマーク

 22日の記事に、kahanaさんから、「わたしの教会では『聖書には思春期はありません。両親は思春期だからと子供を特別扱いしないように』と言っています。この牧師の言葉で、多くの親は自信を失くしたようでした。…」というコメントをいただきました。

 実は私自身、まだエミが小さかった頃、ある牧師夫人が書いた育児書に、「聖書に反抗期はない」とあるのを見て、「そうか!そうなんだ! 心理学が反抗期があると言うからと言って、それを真に受ける必要はない!子供の反抗を許しちゃいけない!」と思っていた時期がありました。(もしかしたら、私のかつての「鬼母」ぶりは、そういった考えによって自分を正当化していた部分もあったかもしれません…)

 また、話が長くなるので詳細は割愛しますが、それとほぼ時を同じくして、私は心理学を聖書に対抗する世的な学問と見なし、毛嫌いしていた時期もありました。(長い間心理学を学んでいたのに!)けれども、Boundaries with Kids(『聖書に学ぶ子育てコーチング』あめんどう)や『バウンダリーズ』(地引網出版)に出会ったことで、私の中で、神様の原則、聖書の権威のもとで心理学を再評価することができ、この件に関する心の平安を取り戻しました。(主に感謝します!)

 そういったこともあり、「聖書には思春期はありません。両親は思春期だからと子供を特別扱いしないように」のような牧師さんの発言は、ちょっと気になったので、ここに私の考えを少し書きたいと思います。


 まず、聖書に「思春期」「反抗期」という言葉は確かにありませんが(「更年期」も「PMS」もありませんね!)、子供の発達段階において「思春期」と私たちが呼ぶ時期が存在するのは、厳然たる事実です。聖書にも、イエスさまの思春期の様子を垣間みれる記事があります。*1 

 ウィキペディアによると、「思春期」は、「人間が生殖器以外でも外形的性差が生じ、やがて生殖能力を持つようになり、心身ともに子供から大人に変化する時期のこと。医学的には『第二次性徴の始まりから成長の終わりまで』と定義されている」とあります。

 体の変化は誰の目にも明らかですから、それを否定する人はいないでしょう。でも、この時期の子供の心が不安定になりやすかったり、反抗的な態度をとることについては、それがあたかも躾不足や、子供のわがままであるかのように思われることが多いのではないでしょうか。しかし、この時期の子供の心が不安定になったり、大人の目からはありえないような行動や選択をしてしまう背景には、神経科学的な理由があるのです。脳の発達です。脳の発達は、12歳ぐらいまでに止まると以前は思われていましたが、近年の研究で、20代半ばくらいまでは続くことがわかっています。そして、脳のすべての部分が同じペースで発達するのでなく、異なる部分が異なるペースで発達するので、この時期の子供は、ある面においては大人並みのことができるかと思えば、別の面ではまったく幼稚だったりします。中でも、ティーンの脳は、計画、順序の決定、総合的判断、衝動の抑制、行動結果の予測等の高次機能をつかさどる部分が未発達なのだそうです。そのくせ、論理的思考をつかさどる部位は一足先に発達するそうで、どうりでこの年代の子供は、ろくな判断ができないくせに、口先では理屈をこねるわけです。(苦笑)

 もちろん脳の発達だけでなく、ホルモンバランスも崩れやすい時期ですから、この時期の子供は大変な内なる葛藤の中にいるわけです。自分がティーンだった頃を思い出しても、うなずけますよね。Boundaries with Teensという本の中で、著者のタウンゼント博士も、親はティーンの抱える葛藤に対して共感を示すべきだということを述べています。

 とはいえ、「両親は思春期だからと子供を特別扱いしないように」という牧師さんの言葉は、受け取り方によっては正しいとも言えるかもしれません。思春期だからといって、子供のやりたい放題にさせておくべきではないと、私も思います。また、この時期を通るのが生理的なことであるなら、親にはなすすべがない、というわけでもありません。この発達過程にある子供は、心身の仕組み上、自律しきれないので、親は自律を助けてあげるような形で介入してあげるのがいいと思います。それが、適切な境界線を引いてあげることです。22日の記事の中で、私がケンに「あなたとあなたの周囲の人を守るため」と言って三つの決まりを与えたのも、まさにそういうことでした。

 また、つい数日前に、次女みんとも似たような会話をしました。彼女の生活のある部分において、最近自制がうまく働いていないと感じられる部分があったので、そのことで彼女にコンフロントしました。(コンフロントと言っても、叱ったのでなく、率直にそのことを指摘した、という意味です。)

「お母さんはあなたのことを信頼しているよ。でも、お母さんが信頼しているからといって、あなたがいつでも賢明な選択ができると保証されるわけではないよね?」

「うん」

「あなたが自分の選択をうまくコントロールできなくて苦しんでいるらしいのを見ると、お母さんとしては、少し介入した方がいいかな?と思うのよ。それで提案なんだけど、これからは○○××にしてはどうかしら? これは、あなたの行動を制限(restrict)することが目的ではなく、あなたがより良い選択をしやすくするためよ(so that it will help you make a better choice)。」

「わかった。それが良いと思う!」

 境界線を引くことを、子供の自由を奪ったり行動をただ制限するためだけのものと考えるのでなく、子供がより良い選択をすることを助けてあげるものだと考えてください。境界線は、上手に提示するなら、子供の心に大きな安心感を与えるものだと思います。境界線の内側は、いわば子供にとっての安全地帯でもあるからです。この時期の子供は、年齢が上がるにしたがって、親の言うことを聞くだけでなく、自分で適切な選択をすることを学ばなくてはなりません。自分が何を欲しているのかを模索し、それをどのように実現させていくのかを学んでいく、自我確立期です。境界線は、親の期待や要求を突きつけて、それに従わせることではありません。それをするなら、子供は反抗するだけです。親はそういう存在だと思われてしまうと、子供は親の言うことにことごとく反抗するでしょう。自我確立期である思春期にある子どもが親に反抗するのは、親が子どもを抑えつけ、支配しようとからではないでしょうか。しかし子供が自我を確立させ、自律するのを手助けする方向で声をかけてあげるなら、子供は反抗はしません。親の言葉に耳を傾け、その上で自分で判断するようになります。結果として、親の考えとは異なるものを選ぶかもしれませんが、それは反抗ではありません。(ちなみに、この時期を「反抗期」と呼ぶと、親の側も子どもに対して戦闘態勢に入ってしまいそうなので、私は「反抗期」という言葉は使わず、「自我確立期」と呼ぶようにしています。そう考えるだけで、親も随分異なる心構えになれるのではないでしょうか。)

 みんとは、実は上記の会話のさらに数日前に、次のような会話もしていました。みんが学校から帰ってきて、お腹がすいたので冷凍のチキンポットパイを食べようかどうしようか、迷っていたときのことでした。「ううう〜!お母さん、どうしよう〜〜?」と唸っていたので、私が、「お母さんが『ダメ』と言えば、あなたは食べるのを止めるの?」と聞いたら、次のような返事が返ってきたのです。

みん「お母さんの仕事は、私たちに物事にはどういうconsequence(結果)があるかを教えることだよね。そして、私たちに選択の自由を与えること。」

私「そうね。そして、あなたの選択の結果はあなたに負わせること?」

みん「その通り!」

私「あなた、『バウンダリーズ』読んだの?」

みん「読んでないけど。でもそれがお父さんとお母さんがいつも私たちにしてることでしょ? しばらく前に、お父さんが私に何か言ったんだよねー。選択と自由と結果について。それが、すごく腑に落ちたの。(It suddenly clicked!) そう言われてみれば、お母さんがいつも言ってることも、していることも、その通りだったな〜って」

 このときは結局、みんはポットパイを食べました。(爆)あとでエクササイズするから、と言って。

 というわけで、思春期の子供には、その時期の子供ならではの対応の仕方があると思うのです。思春期を否定するのでなく、そういうアンバランスな時期にいることを親が認め、その上で適切な援助をしてあげたいと思います。

 ちなみに、みんとはその後、一緒に聖書を開いて申命記30章15〜20節を読みました。神様も私たちに選択肢を与え、それぞれの選択肢を選んだ場合の結果がどのようなものであるかを教え、さらにどちらの選択肢を選んだほうがいいのかまで、私たちに教えてくださっています。でも、実際にどちらを選ぶのかは、私たちに委ねられています。「『いのち』を選ぶ者でありたいね」と話しました。みんはVサインを出していました。(ほんとに分かってるのかな〜? 苦笑)

関連記事

*1:ルカ2章42〜52節、「イエスが十二歳になられたときも、…」から始まり、「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」で終わる箇所、イエスさまが祭りの時期の人でごった返しているエルサレムで親とはぐれて、宮で教師たちと話しをしていたという、あの部分です。イエスさまの自我が発達し始め、ただ親の言うことを聞くだけでなく、自ら考えて行動し始めたのが見受けられます。母マリヤに対しても、結構生意気な返事をしていますよね。もちろん、その後ナザレに帰って両親に仕えたとありますから、さすがはイエスさまなのですが。

td_okudatd_okuda 2011/10/28 11:45 個人的には、そもそも聖書に書いてないからない、という論法がとても危なく感じます。聖書には赤外線も相対性理論もパソコンもインターネットも描かれていません。また、その時代にあった全てが描かれている訳でもありません。聖書の権威と、包括性をわけられないと、世の聖書以外の全ての学問、書籍は無意味または誤謬であるという論法になりかねません。聖書にないからない、という論法はひどい誤解と傲慢じゃないですかねぇ…

はちこはちこ 2011/10/31 17:26 本当にそうですよね。
そうそう、最近、こういう本が出たんですよ。
The Bible Made Impossible: Why Biblicism Is Not a Truly Evangelical Reading of Scripture (by Christian Smith)

「聖書のみ!」と言うことが、微妙な偶像を作り上げ、実は神様が聖書を通して私たちに示そうとなさっていることから逸脱してしまうこともありそうですね。

ようこようこ 2011/11/10 13:33 まさに今鬼母になっている私です。でもこのことを恥ずかしくてなかなか主人に打ち上げられずにいましたが、さっき話してみました。今すぐそういうことはやめなさいと言われたけど、それでやめられたら(態度を変えられたら)私はとっくに変わってるよ(涙)と話しました。

はちこさんは鬼母だとおっしゃってるけれど、暴力は振るわなかったんですね。私はなかなか宿題をしない息子にイライラして叩くことが頻繁にあります。威嚇することも毎日…

今まさに子供に愛されてると自信を持たせてあげないといけない時期なのに…と自分で自分がいやになってしまいます。

はちこはちこ 2011/11/10 14:09 ようこさん、
ご主人に話せたのは、大切な第一歩だと思いますよ! 鬼母になってしまう大きな要因のひとつは、お子さん自身ではなく、母親が抱えているストレスだと思います。だから、まずはそのストレスのもとを見つけて、そこから少しずつ取り扱っていくように…
ようこさん、大丈夫ですよ。神様は必ず助けて下さいます。必ず。あとでメールします。

2011-10-22

「息子のかんしゃく」

| 09:34 | 「息子のかんしゃく」を含むブックマーク

 今、「いのちのことば」という小冊子に、「ミルトスの木かげで」というタイトルの連載をしています。その第三回目のものがちょうど昨日のブログ記事ともちょっと関連があるので、以下に転載します。昨日の話は悔しくて大泣きしたケースですが、今回のは正真正銘(?)のかんしゃくの話。

=====

 2ヶ月ほど前のことだが、ケン(10歳)がかんしゃくを起こした。

 そのとき私は、地下室で洗濯物を選り分けていた。白いもの、タオル、ジーンズ… そこにケンがやってきて、ジョーイの家に行ってもいいかと尋ねた。ジョーイの家はちょっと遠いので、私が車で送ってやらないといけない。そこで私は、「今は忙しいからだめ。また今度ね」と言った。

 洗濯機のスイッチを入れてから階上に戻ると、ケンがリビングのソファに突っ伏して、大声でわめくようにして泣いていた。大袈裟なと思いつつ、「どうしたの?」優しく尋ねても、「ウオー」としか言わない。ケンに触れようとすると、私の手を払いのける。こういうことは滅多にない子なので、戸惑いつつ、「大声出すなら自分の部屋に行ってね」と言うと、ドスドスと足音をたてて二階に上がっていった。そして乱暴にドアを閉める音。彼のベッドはイケアで買ったメタル製のロフトベッドなのだが、どうやらそのベッドを揺さぶっているとおぼしき音も聞こえてきた。あまりの激しさに心配になり、部屋に行って話しかけてみたが、まったく取りつく島もない。ついに反抗期到来か?

 「何か食べさせたら落ち着くかもしれない」。実はこの日のお昼、私はケンの苦手なクリームソースのスパゲティを作ってしまったので、彼はあまり食べなかったのだ。お腹がすいて、機嫌が悪くなったのかもしれない。きっとそうだ! そこで急いでレトルトのカレーを用意し、息子の部屋に持っていった。彼は見向きもしなかったが、とりあえず置いてきた。5分ほどすると、再びバタンというドアの音。覗きに行くと、一口だけ食べたカレーの器が、廊下の真ん中にチョコンと置いてあった。まぁ、強情な。でも器を投げなかっただけマシか。これを投げられていたら悲惨だ。

 その後、私は用事があり、荒れている息子を置いて出かけるのは心配だったが、上の娘に託して祈りつつ外出した。

 1時間ほどして帰宅すると、娘が、「ケンは友達が遊びに来て、公園に行ったよ」と言う。「あら、機嫌はどうだった?」「ふつうだった」

 その後さらに1時間ほどすると、ケンは「ハロー!」と、何事もなかったかのようにニコニコと、でもちょっぴりきまり悪そうに、帰ってきた。そして、「さっきのカレー、食べる」と言う。「ママのカレーほどは、美味しくないけどね!」などとお世辞まで言って。調子のいい奴だ。ううむ、私も何事もなかったかのようにスルーすべきか、それとも話をすべきか。

 ちょっと迷ってから、話をすることにした。「さっきは、ジョーイの家に行けないと言われただけで、なんであんなに怒ったの?」「(うつ向きながら)わかんない」「誰でも、ときにははっきりした理由がなくても、むしゃくしゃすることがあるよね。ケンもそのうち思春期になれば、感情が不安定になりやすくなるだろうし、これからも、いらいらして爆発したくなるときがあるかもしれない。絶対かんしゃく起こしちゃだめとは言わないけど、でも、次のことは約束してくれる? (1)かんしゃくを起こすなら、自分の部屋に行く。(2)壁に頭を打ち付けるとか、自分を傷つけるようなことはしない。(3)大切な物を投げたり壊したりしない。これは、ケンとケンの周りの人を守るためだよ。この三つを約束してくれるなら、お母さんはケンがかんしゃくを起こしても、叱らない。ほっておく。だって、こういうときは周りから何を言われても無駄だものね。自分で落ち着くしかないから」。

 息子は「思春期」という言葉に反応したのか、「うぇ〜、ボク、そろそろ思春期なの? 変なの〜。やだな〜」とおどけてみせ、それから神妙な顔で、「わかった、約束するよ」と言った。

 このときはこれで一件落着だったのだが、本当に興味深いことが起きたのは、この一ヶ月後。私が一人で一時帰国し、2週間家を留守にしている間のことだった。次女からこういうメールが入ったのだ。

 「昨日、またケンがかんしゃくを起こしたんだけど、お母さんとの三つの約束を思い出してそれを守ったら、自然と落ち着いたんだって。ケンがママに伝えてって言ってたよ」

そうかぁ、この約束を思い出して、お母さんがいない時でも、自分で自分の感情を鎮めることができたのかぁ。ちょっと、いや、かなり嬉しい。主に感謝!

 息子の反抗期は、きっとこれから数年後が本番だろうが、そのときが来ても、神様、あなたの憐れみによってこの親子をお守りください!

まきとまきと 2011/10/22 18:08 思春期って英語で何というのですか?思春期には激しい葛藤を持って、自分が変わっていく成長期であることはアメリカでも周知のことですか?エリクソンの発達段階のことを覚えます。

はちこはちこ 2011/10/22 21:13 まきとさん、
英語ではpubertyと言います。ケンにとってのpubertyは、体が毛深くなって、声変わりがすること、という認識みたいです。(苦笑)友達同士の会話でも、結構出てくる話題みたいですよ。10歳なので、実際にpubertyになるのはもう少し後だとは思うのですけどね。

hide&yokohide&yoko 2011/10/23 10:42 はちこさん うちの教会員が通ってるキリスト教系幼稚園で、子育てコーチングの本をテキストに学び会をしています。それと昨年の恵みの雨のはちこさんの証しがみんなの共感を得ていたとのことです。これからもミルトスの木かげ楽しみにしていますよ。

はちこはちこ 2011/10/23 21:29 hide&yoko先生、
嬉しいお知らせを、そして励ましをありがとうございます!^^
学び会が祝されますように。その方にどうぞよろしくお伝えください。Many blessings!

kanahakanaha 2011/10/24 00:02 はちこさん

「思春期」ですけど、わたしの教会では「聖書には思春期はありません。両親は思春期だからと子供を特別扱いしないように」と言っています。
この牧師の言葉で、多くの親は自信を失くしたようでした。
もちろん、わたしも。
わたし自身は幸か不幸か思春期の娘と直接対峙する機会が少なくって。。。
それでも、この言葉のインパクトは大きく、牧師に従わないと言うのではなく、「これは厳しいな〜」と感じたことを思い出します。
何が正しいかでは無く、親も子も精いっぱい生きていることに対して、裁かず聖書の教え通りを実行出来ればベストなのですけど。
それもまたかなり難しくて。(わたしには)

ケン君は自分なりに良く頑張ってますよね。
完璧主義者の子供は本人が大変なのですよね。

もう、この時代が終わってしまったので、懐かしい思いで読みました。

ふかごろうふかごろう 2011/10/24 06:14 「いのちのことば」という小冊子、読みましたよ。はちこさんの文章も読みました。でも、1回目と2回目の連載は、読み逃してしまいました。1回目と2回目の載っていると思われる「いのちのことば」を入手してなかったので。将来的にこの連載が本になるといいな、とか、淡い期待を持っております。

はちこはちこ 2011/10/24 09:08 ふかごろうさん、
「いのちのことば」誌は、オンラインでも読めるので、読みのがしてしまった号の記事も、読めます〜! 連載は、9月号から始まりました。^^
http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/db/kiji_m.cgi?keys28=h1109

ふかごろうふかごろう 2011/10/24 09:22 はちこさん、どうもありがとう。オンラインで無事見れました。
読んでみますね!

はちこはちこ 2011/10/24 16:33 kanahaさん、
kanahaさんのコメントに触発されて、24日の記事を書きました。
聖書に「思春期」という言葉が出てこないからといって、「思春期」そのものが存在しないわけではないですよね。

ふかごろうさん、
見られてよかったです!

ようこようこ 2011/10/26 07:07 なるほどーっと読ませていただきました。私の息子はもうすぐ5歳になるのですが、時々すごいかんしゃくを起こします。それはいつも小さいレゴでとっても細かい作業をしていて思うようにできなかった時、もしくは途中で壊れてしまった時と、何かお絵かきをしていて、これまた細部を書いていて思うようにかけなかったときなんです。レゴの時はガシャーンとすべてを壊す。絵の時はすべてをぐちゃぐちゃーっと上からなぐりがきをしてから紙をぐちゃぐちゃにする。折り紙でも同じ感じです。こういう性格なんだなーと読んでいて思いました。そして、それに対してオロオロしなくて正解だったんだと思ってホッとしました。

ただ学校の宿題でされると困るんですよね。予備の紙がないので、様子をそばで見つつ宿題をさせてますが…。

はちこはちこ 2011/10/26 09:27 ようこさん、
子供はまだ自力でできないことがたくさんあるので、苛立ってかんしゃくを起こすことが多いですよね。子供の年齢や状況によって対応の仕方は異なってくるでしょうが、子供のかんしゃくにつられて、親が自制を失わないようにすることが、いちばん大切なのかもしれないですよね。

そういえば、私の友達のお子さんで、かんしゃく起こして宿題の紙を親の見ている前で食べちゃった、という子がいました…(汗)

ようこようこ 2011/10/26 15:45 はちこさん、

食べるとはつわもの!

境界線の本をほとんど読み終わりました。もう一回最初から読み直すつもりでいます。

境界線 子供編 にも、めちゃくちゃ興味があります。英語でも読めるんですが、なんか日本語の方がストンっと心に入るんですよね。そこまで英語が得意じゃないってことなんですが… 次回日本に帰れるのを待つか、英語でがんばって読むか…う〜ん、でも次回の帰国まで待ちたくないなあ。

ちなみに境界線シリーズはすべて聖書やクリスチャン信仰のことが書かれているのでしょうか?もし書いていないシリーズがあるとすれば、英語で手に入れたいのですが…

はちこはちこ 2011/10/26 16:01 ようこさん、
子育てコーチングは、出版社のあめんどうさんから直接注文されてはいかがでしょうか。きっと海外発送もしてくださるんじゃないかな。問い合わせてみてください。ウェブサイトはこちらです。http://www.amen-do.com/

また、信仰を前面に出さない境界線の本、あります!『One-Life Solution』といいます。これは、ビジネスマン向けに書かれていて、内容は境界線なのですが、信仰にはあえて触れていません。(邦訳タイトルは、『厄介な上司・同僚に振り回されない仕事術』と言います。汗)英語版はこちら:
http://www.amazon.com/One-Life-Solution-Personal-Achieving-Professional/dp/B002EQ9LO4/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1319662772&sr=8-1

2011-10-21

仕事/ケンのマスク

21:42 | 仕事/ケンのマスクを含むブックマーク

 今週もあっと言う間に過ぎてしまった。何とか今週中に終わらせたい仕事があったのだけれど、昨日、今日と、予定外の仕事(奉仕)が急に入り、結局来週に持ち越しに。(週末は翻訳の仕事はしたくないので。)といっても、今週中に終わらせる予定の仕事の締め切りは11月末なので、余裕はたっぷりある。だから、突然入った奉仕も、ノーと言わずに喜んで引き受けた。

 11月末が締め切りの仕事とは、1月に東京で開かれる予定の、都市部での教会開拓に関するセミナーの資料の翻訳。(私のほかに二人の方との分担作業で、私の担当はA4で80ページ分。これが結構多いのよ。汗)著者はティム・ケラー師。内容も知らないままに引き受けたのだけれど、翻訳し始めてびっくり。私の担当部分にGospel Theologyという章があり、ちょうどスコット・マクナイトがThe King Jesus Gospelで語っていることと基本的に同じだった。


 さて、ケンは今、ハロウィン用のコスチューム造りにご執心である。何だかよく分からない日本のアニメのキャラクターのマスクと小道具を手作りしている。

 厚紙を細長く切ったものを何本も用意し、それを重ねて、自分の頭にピッタリのサイズのマスク型を造る。その表面に細長く切った新聞紙を小麦粉で造ったペーストに浸して何重にも貼付ける(ペーパーマシェ)。完全に乾かして、さらに貼り付ける。顔の部分ができたら、角を段ボール紙で作って、それをマスクに接着。そこまでできたのがこの写真。

f:id:mmesachi:20111020192216j:image

 しかし、ここまで来るのも楽ではなく、このマスクは実は二つめ。一つめは、ペーパーマシェをしている最中に、崩れてきてしまったのだ。ケンはがっかりして泣いた。自分が必死になっていることがうまくいかないと、悔しくて泣いてしまうのだ。(過去にも折り紙が思うようにできなくて大泣きしたことがあった。)悔しい気持ちは分かるけど、思いどおりにいかなかったからといって、いちいち大泣きするのはそろそろ卒業してほしい。そう思って今回は、私は特に慰めもせず、放置した。ケンはしばらく一人でプチかんしゃくを起こしていたが、そのうち涙を拭いて、「マスクを造り直すのに、靴箱がいるんだけど、古い靴の箱、高いところに置いてあってボクには取れないから、取ってくれる?」と頼みにきた。そうやって、落ち着いてちゃんと頼みにくることは、もちろん聞いてあげましょう。マスクの台を作る厚紙は、古い靴の箱を分解し、それを細長く切って使っていたらしい。なるほど。

 ケンには、「最初はちょっとかんしゃく起こしちゃったけど、諦めず、すぐに気を取り直して、もう一度やり直そうとするのは、とても偉いよ」とほめてあげた。

 顔の部分が無事にできたら、次は角。角の成形は、ケンは難なくこなしたが、それをマスクに取り付けるのが一苦労。でもそこも何とかクリアして、夕べはもう一膜、ペーパーマシェを貼っていたのだが、そのとき、角が一本取れてしまった。ケンの「ああ〜っ」という悲鳴が聞こえ、私は、「うわぁ、また泣くか!?」とヒヤリとしたが、今回は泣かなかった。涙をこらえているのが伺えたが、泣かなかった。泣くかわりに、どうすればそこからリカバーできるか、一生懸命考えていた。私は、「がっかりしたでしょうに、泣かなくて偉かったね。納得いくまで頑張るんだよ」と励ましの声だけかけた。

 今日は、角を修繕するのに必要だとケンが主張するエポキシパテとやらを買いに行くのにつきあった。修繕の作業は、ペーパーマシェが完全に乾いてからするらしい。本人は、「ボクの工作能力の限界に挑戦するんだ」などと言っている。難しいのは承知でやっているようだから、たとえうまくいかなくてもがっかりせず、とにかく頑張ってほしい。

まきとまきと 2011/10/22 00:51 ケン君さすが、いいですね。自分のイメージを工作で形にすることって、とてもすてきだと僕は思う。

kayokayo 2011/10/22 06:39 すごいマスクですね。お店で売っている大量生産のものが、ちゃちに見えますね…。

ケンくん、大泣きしちゃうんですね。何か、ほっとしました。うちの息子も、やりたいことがうまくいかなかったりすると、一人で勝手に大荒れしているのですが、「もう5歳なのに、こんなんでいいのかな」とか「まだ5歳なんだし、こういうことも当たり前よね」とか、ゆらゆら考えていました。ひとしきり泣いた後、気を取り直して仕上げられることもあれば、もうやらない、と投げ出してしまうこともあり、これまた「もう5歳?」「まだ5歳?」と、私の方がゆらゆら…。

でも、もうしばらくは、叱りすぎず、甘やかさずに励ます、ということを、私もチャレンジですが、やっていってみようと思います。ケンくんも、がんばれ〜☆

はちこはちこ 2011/10/22 09:11 まきとさん
ありがとうございます! 私にはない能力なので、私もすてきだな〜と思います。でもあまりに思い入れが強いと、うまくいかなかったときにがっかりするので、見ているとハラハラします。(汗)

kayoさん、
ケンは物作りにすごい情熱があって、頭の中に何を作りたいか、というのが明確にイメージされているらしんですね。それはいいのだけれど、自分にはイメージ通りの物が作れると思い込んでいる節があって、それがうまくいかないと、がっかりして大泣きになっちゃうみたいです。
これはある意味、現実の境界線にぶつかって、抵抗して泣いている、という感じなのでしょうね。でもそのうち、泣いても無駄ということが分かってくると、泣くよりも、次善策を考えようと、より生産的な思考に変化していくかな〜と期待しています。悔しくて泣くこと自体は一向に構わないけれど、泣いている勢いで他者や自分に対して破壊的な言動はとらないでね、ということは伝えています。それに関する記事を先日書いたので、あとでブログにもアップしますね! 子供が大泣きしているとき、大泣きすることで自分は親や周囲の人に力を持てる、と思わせないようにすることが大事かな、と思います。kayoさんのように、「一人で勝手に大泣き」させておくというのは、良いスタンスだと思いますよ〜!

はちこはちこ 2011/10/22 09:27 ケンは今、私の背後でマスクに角をつける作業をしています。これでまた失敗したら、がっかりするんだろうなぁと思うと、私もドキドキです。(苦笑)

2011-10-15

Dr. Waltonのセミナー

21:33 | Dr. Waltonのセミナーを含むブックマーク

 今日は、朝8時から午後3時まで、教会でウィートン大学の旧約聖書学者、ジョン・ウォルトン博士の創世記1章の解釈に関するセミナーがあった。ウォルトン博士は、以前このブログでも紹介したことのあるThe Lost World of Genesis Oneの著者。今日のセミナーも、この本で語られていることが中心だった。

 博士はまず、聖書解釈(Hermeneutics)と、コミュニケーションの仕方、聖書の権威、聖書解釈における「Literal interpretation(字義通りの解釈)」の意味などについて語られた。特に、聖書のテキストを解釈するにあたり、聖書の本来の読者である古代ヘブル人の文化や世界観を知っておくことの大切さ、テキストの意図に忠実に読むことを強調しておられた。(メモ:Hermeneutical realism, implied author, implied audience, competence of author and reader, ethical reading, virtuous reading)

 聖書解釈における字義通りの解釈とは、聖書テキストのジャンル、文化・時代的背景、そのテキストの"focus of revelation"を念頭に入れて読むこと。

 また、科学的に自然の因果関係が説明できるからといって、そこに神がかかわっていないという意味ではないことも、強調していた。

 ここまで、約2時間かけて説明があったあと(話しが上手なので全然飽きなかったけど)これらのことを踏まえて、いよいよ本題の創世記1章の解釈へ…

 彼のポイントは大きく分けて次の二つ。

(1)創世記1章の神による六日間の創造の記述は、この宇宙の物質的(material)な起源に関するものではなく、この宇宙の機能的(functional)な起源に関するものである。

 「創造した(create)」と訳されるヘブル語の「bara」は、旧約聖書では約50回でてくるが、この言葉は、baraする主体が神である場合のみに用いられる。神がbaraするものは、物質とは限らず、抽象概念(清さなど)や現象(風、炎、災害など)をbaraされる場合もある。古代では、「存在」とは、それを構成する物質によって定義されるのではなく、その機能によって定義される。

 創造の最初の三日間では、神は、この地上での人間の生活基盤となるべきもの、すなわち時間(1日目)、気象(二日目)、食物(三日目)に関する秩序をお与えになった。ここに登場する物質そのものも、神様がどこかの時点でお造りになられたはずだが、創世記1章のこの箇所で神様が言わんとしているのは、これらの物質に神様が付与した「機能」に関する秩序を神が最初に創造した、ということであると。

 例えば、「光」とは、私たちは通常「物質」とは考えないけれど、物理学的には粒子なので、物質と言える。1日めに神様が「光よあれ」とおっしゃったとき、神様はその時に光の粒子を作られたという意味ではなく、すでに創造しておられた光の粒子に、闇と区別をつけるという「機能」をお与えになり、それを「昼」、そして闇は「夜」と名付け、「夕があり朝がある」という時間の秩序をお造りになられた…

 創造の四日目から六日目めは、最初の三日間で設定された機能の担い手(functionaries)が設定される。四日目には太陽と月と星が造られ、「昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て」と言われる。(ちなみに、この時代の「季節」とは、今日でいう四季ではなく、種蒔きの時期とか収穫の時期とかいう「季節」。)五日目には地上のそれぞれの場所を満たすべき生き物が創造される。彼らの機能は、生んで、増えて、地や水や空を満たすこと。六日目には、人間を含む、さらなる生き物が創造される。ここで定められる機能は、「地を満たす」ために「種類に従って」増えること。人間にはさらに、「地を従える」という機能が定められる。

 ウォルトン博士の二つめのポイントは七日目に関する。

(2)神はこの宇宙をご自身が住まわれる「宇宙的神殿(cosmic temple)」として創造された。七日目の休息とは、神がその神殿に入られたことを意味する。神が神殿でなさることは、この世を支配し、治めること。ここでいう休息とは、神が定められた秩序と支配の完成に伴うもの。ただ仕事をしないとか、昼寝をするとか、リラックスするという意味ではない。神が神殿におられるとは、この世が神のご支配のもとにあるということ。

 (従って、私たちにとっての安息日も、日々の生活の中で自分が握ってしまっていたさまざまな支配を手放して、もう一度この世、また自分の人生における主の支配を認める日、と言える。それを認めるからこそ、安息できる。)

 ほかにもいろいろあったけれど、今日はとりあえずここまで。今日記したことは、基本的に本の内容とだぶるけれど、このセミナーに参加したことで、やはり本から得る以上のものを得ることができた。それについては、また後日。

 なお、YouTubeにウォルトン博士のインタビューと、どこかで博士がこのトピックで講演したときの音声がアップされているので、リンクします。

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(6パートのうちの最初の部分)

山本直樹山本直樹 2011/10/16 08:43 私はウォルトン博士がconcordismを批判している点に注目しました。
ウォルトン博士がまた指摘しているように自然科学は定常的でなく、
発展しているものなので現時点で正しいと言われていることも
将来的には訂正される可能性があるものです。だから研究者がいるのです。
進化学も発展中の学問でダーウィンの自然淘汰だけでは説明できない部分も
あり、遺伝子の変異による中立説もあるわけです。
旧約聖書の記述を当時のイスラエル古代人の宇宙の考え方によって解釈する
必要があるのは当然でしょう。

はちこはちこ 2011/10/16 09:14 山本先生、
そうなんですよ、ウォルトン博士は、concordismを説明し、はっきりと批判していました。たとえ聖書の記述に現代の科学の知見と一致するように見えるものがあったとしても、聖書は科学を教えたり示唆するために書かれたものではないので、聖書の中に無理やり科学を見つけようとしたり、聖書の上に科学を建て上げないように、とおっしゃていました。
次の記事に書こうと思っていたのですが、ウォルトン博士は、山本先生がおっしゃっているのを同じことをおっしゃっていました。自然科学は常に将来的に修正される可能性を持っているし、神学もまた、変わっていく部分がある。性急に「私はこれとこれとこれを信じる!」と断言してしまわないほうがいい、と。もちろん、自分の立場や信じるものを明確にし、そこに固く立つべき部分もあるけれど、そうでない部分もあるので、見きわめが大切、と。

tomotomo 2011/10/17 00:15 勉強になります。ティム・ケラー牧師のと化学反応を起こしていますが、上手く自分の理解が成立しそうです!

記事のところどころに、私にも参考になるように、というお心使いを(勝手に)感じました。(勝手に)感謝です。

hide&yokohide&yoko 2011/10/18 07:54 はちこさん 興味深い記事、感謝します。僕が創世記1章をそのまま原文から読んでで驚いたことは、無からの創造は書いていないということでした。だいたい三千数百年前の人に(無」という観念もあろうはずはなく・・・書き出しは、神が天と地を創造した初めの時 と訳すのが一番自然な気がします。そして、最初の創造は、明らかに「光よあれ」です。 それにしても安息日の解釈には目が開かれました。とにかく感謝します。

はちこはちこ 2011/10/18 08:43 tomoさん、
自分用のメモとして書いたのですが、参考になってよかったです。^^

hide&yoko先生、
そうなんですよ!ウォルトン博士も、書き出しの部分は、最初の創造の記述ではなく、Literary introduction、つまりこれから書くことの見出しみたいな感じだとおっしゃっていました。日本語の聖書で読むと、どうしてそうなのかよくわからず、なんだかこじつけてるみたいな気もしてしまったのですが、原語で読むと、そう解釈するのが自然なのですね。先生のコメントを拝見して、私もすっきりしました!感謝します。
2節の「formless and empty」も、物質が存在していなかったという意味ではなく、機能がなかったことを意味しているのだろう、「やみ」と「大いなる水」も混乱の象徴、といったことも語られていました。(そして黙示録で新天新地には「もはや海もない」と言われているのは、完全な秩序があることの象徴だと…)

ウォルトン博士のCosmic temple説は、スコット・マクナイトのThe King Jesus Gospelの中でも言及されていましたよね。

ウォルトン博士が日本に来て講演してくださればいいのにと思いました。博士にそう言うと、呼ばれたら行きますよ!とおっしゃっていました。高橋先生の通訳で、ウォルトン博士の日本での講演が実現したらすばらしいなぁ! カナダのリージェントカレッジでも講演なさったそうです。

hide&yokohide&yoko 2011/10/19 00:28 はちこさん ありがとうございます。マクナイトの本のその箇所は、僕が以前から言いたかったことをとってもうまく表現されていると感心していました。それが改めてウォルトン博士の引用によって根拠付けられているということを今、気づきました。はちこさんのことばがなければ引用のことを読み落としていました。ところで創世記1章1節は実はとっても翻訳が難しいところです。どちらにしても、ポイントは、無からの創造というより、「生命が存在できないと思えるような荒野に直物が生え、鳥が飛び・・・」という記述のほうが、創造のみわざをダイナミックに表現できると思います。確かにヘブル11:3などにあるように「無からの創造」は神学的に当然の命題なのですが、その神学的命題(ドグマ)を創世記1章の記事に読み込もうとするから自然科学との対立が生まれたりするのだと思います。
 なお、ユダヤ人の間でもっとも権威が認められている英語訳は創世記1章のはじめを次のように訳しています。         
 TNK Genesis 1:1-4
When God began to create heaven and earth --
the earth being unformed and void, with darkness over the surface of the deep and a wind from God sweeping over the water --
God said, "Let there be light"; and there was light.
God saw that the light was good, and God separated the light from the darkness.

はちこはちこ 2011/10/19 10:07 先生、ありがとうございます!
「無からの創造」について、ウォルトン博士も同様のことをおっしゃっていました。すべての物質は、どこかの時点で神様が無から創造なさったはずだけれど、それを創世記1章に読み取ることはできない、と。
TNKという訳の聖書は、初めて聞きました。これは何の略ですか? 私も入手してみたいと思いました。いつもありがとうございます!

hide&yokohide&yoko 2011/10/20 00:28 はちこさん ありがとうございます。いろんな神学的解説があっても、「僕にはこのようにしか読めない・・・」という格闘を続けていますが、そのことをアファームされるというのはうれしいですね。 翻訳は Jewish Publication Society TANAKH translation と言います。 律法、預言書、諸書を合わせてTANAKH と略して呼ばれます。僕はそれのThe Jewish Study Bible というのを愛用しています。TANAKH の訳はどこでも簡単に手に入るとは思います。旧約をきちんと学ぼうとする牧師であれば、誰でも持っているというほどに評価されている訳です。

はちこはちこ 2011/10/20 10:49 先生、早速Jewish Publication Society TANAKH translationのスタディバイブルをアマゾンで注文しました。楽しみです!
ご紹介、本当にありがとうございます!

westyccwestycc 2011/10/22 07:36  もう遅いからも知らないけど、Jewish study bibleがいいです。あれのいくつかの論文は目が開かれます。Yale UniversityがiTunesUで旧約の講義を出していますが、そこの教授が使った教科書がこの聖書です。さらに、このstudy bibleにおけるholinessとpurityに関する論文はいいです。
 創世記1:1−3の位置付けについては、諸説があります。しかし、言語から考えて、1:1−3をTNK訳として訳するのが一番適切だとわたしも思っています(hide&yoko先生!)。Waltonの本は読みましたが、学問的に言うと、baraを機能に限定するのは、限定のしすぎとは思います。なんからの意味で物質的な側面はあるはずです。
 なお、被造物をcosmic templeと考える説は、決してwaltonのオリジナルではありません。古代中近東の勉強をしておられる方の間では一般的です。それでは。

はちこはちこ 2011/10/22 08:27 westycc先生、
これを買いました。
http://www.amazon.com/Jewish-Study-Bible-Publication-Translation/dp/0195297512/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1319289296&sr=8-1
同じものでしょうか?

古代中近東の人にとっては、あの創世記1章は、一目瞭然のtemple textなのだとウォルトン博士は言っておられ、なんでそんなことがわかるの?と私は内心思っていたのですが、そうですか、古代中近東の勉強をしておられる方の間では一般的ならば、やはりそうなんですね。安心しました!
以前Twitterで pick & chooseする必要があり、そのためには何をpick & chooseするのかを教えてくれる良き指導者が必要とおっしゃっていましたよね。ウォルトン博士の講義を聞きながら、そのことも考えていました。

westyccwestycc 2011/10/22 17:07  そうです。ユダヤ人の聖書学者達(一級の)が書いているものなので(もちろん、いわゆる福音派ではありませんが)、学問的にはリッチです。
 聖書の理解における神殿の重要性は学者の間ではかなり広がり始めていますが、一般の人々の間ではまだですね。最近は、聖霊とか、栄光とか、そんな言葉が新約聖書に出て来る時、神殿のイメージと重ね合わせながら、納得している次第です。はい。

はちこはちこ 2011/10/22 21:10 westycc先生、
私には宝の持ち腐れのような聖書ですが、それでもこれを入手できて嬉しいです。おとといアマゾンで注文したら、昨日の午後にはもう届きました! 
巻末にたくさん論文がついているのですね!holinessとpurityに関する論文、早速読んでみました。ritual and moral impurity...私にはまだまだ咀嚼できませんでしたが…(汗)
神殿の重要性かぁ… また宿題が増えた感じ。これからもいろいろ教えてください!

はちこはちこ 2011/10/22 23:08 そういえば、巣鴨の小嶋崇先生が、ブログでChristian Smithのビブリシズムに関する本を2回に渡って取り上げておられたのをご覧になられましたか?
http://sugamo-seisen.blogspot.com/2011/10/blog-post_03.html
http://sugamo-seisen.blogspot.com/2011/10/blog-post_13.html
これも、先日の「聖書男」のときのやり取りと関係しているかな〜と思いました。

westyccwestycc 2011/10/23 06:32 biblicismの本はおもしろそうだな、と思っています。小嶋先生もScot McKnightも取り上げてますよね。この本も買っておこうかな、と思う次第です。最近は、福音派内部から、福音派の聖書理解について再検討する本が増えています。いいことですが、日本ではまだそこまで行っていないようです。

はちこはちこ 2011/10/23 21:41 westycc先生、
最近のアメリカの福音派は、聖書理解の再検討派と、これまでの路線をますます固辞する派に、何だか分かれてきている感じがします。ネット上で見る限りは、神学的にきちんと議論している人たちもいれば、ただリアクトしているだけの人たちもいるように見受けられますし… いろんな議論や教えの中で迷子にならないよう、またこれからも先生方にいろいろ質問したりご意見を伺ったりすると思いますが、よろしくお願いします。

2011-10-13

ほぼ復活

10:14 | ほぼ復活を含むブックマーク

 調子がよくなかったのは、ほぼ復活しました。ご心配くださった方、お祈りくださった方、どうもありがとうございます。

 その代わり…ではありませんが、夕べ、右手の甲をやけどしました。(汗)料理中、お鍋をひっくり返しそうになり、あわてて素手で押さえてしまった。これを落としたら家族が食べるものがなくなる!という執念で。ははは。

 仕事などが忙しく、インプットはどんどん入ってくるものの、なかなか落ち着いてアウトプットする時間がとれず、すみません。

nao-LKnao-LK 2011/10/18 02:49 はちこさん
体調復活されたようで良かったです!
健康が守られるようにお祈りしています。

PS:先日は、コメント投稿の際にお手数をお掛けしました。
それで、はてなの会員登録をしてみました:)
今回はちゃんとコメントできると良いのですが。

mmesachimmesachi 2011/10/18 08:47 nao-LKさん、
はてな会員になれば、こちらには問題なく投稿できるはずです。よかった。^^
また、お祈りもありがとうございます!

2011-10-11

不調

22:03 | 不調を含むブックマーク

 ちょっと調子が良くないので、しばらく休むかもしれません。

tomotomo 2011/10/12 00:00 お大事になさってください。
たいへんな中、ご教授、ありがとうございました。
今後は体系的に「自習」を進めて行こうと思います。

ありがとうございました。

まきとまきと 2011/10/12 05:25 早く良くなってくださいね。

MM 2011/10/12 13:12 快復を祈ってます。

鹿子鹿子 2011/10/13 02:31 お祈りしています。

はちこはちこ 2011/10/13 09:26 皆さん、お祈りありがとうございます。
おとといの晩は薬を飲んで寝たら、翌朝にはかなりよくなっていました。
でも最近何かと忙しいので、のんびり行こうと思います。
お祈り感謝します!

2011-10-10

リンゴ狩り

20:53 | リンゴ狩りを含むブックマーク

 今日は、インディアナにある果樹園で、家族+子供の友達でリンゴ狩りをしてきました。10月なのに80度F(26度C)を越す陽気。最高の青空で、楽しんできました。

 とりあえず写真を。…と思ったけど、今日は疲れてしまったので、Facebookに一括アップロードしたほうをリンクします。FBにアカウントがなくても、見られるはず… どうかな??

2011-10-09

Gungor

16:56 | Gungorを含むブックマーク

 うちのパスターの一人がツイートしていたGungorの動画。このサウンド。しびれます。

 このクリスチャンバンドは、いわゆるワーシップバンドとはひと味違う。サウンドがとても芸術的。そして、どこか懐かしい。

D




 

td_okudatd_okuda 2011/10/12 23:17 おー、これは確かにかっこいい!!

はちこはちこ 2011/10/16 08:06 かっこいいよね!

2011-10-07

佐藤彰先生

20:34 | 佐藤彰先生を含むブックマーク

 福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰先生が、Asian Accessという団体を通してアメリカに来られ、月曜日から三日間、南カリフォルニアで、そして昨日はシカゴで、お話をしてくださった。シカゴでの集会は、Asian AccessChurches Helping Churchesという団体との共催だったらしい。

 この集会で感動したのは、先生のお証はもちろんなのだけれど、奥多摩のキャンプにおられる福島第一聖書バプテスト教会の方々と、ビデオコンファレンスしたこと。シカゴの私たち一人一人に、福島第一の方々のお名前のカードが配られ、福島第一の方々には、シカゴの私たち一人一人の名前が渡された。(文明の利器、恐るべし。)そして2、3人ずつのグループごとで、自分のカードにある名前の方のために、シカゴと日本とで祈り合う時間も持った。

 さらに、ビデオをはさんで、シカゴを代表してアメリカ人の牧師さんが福島第一の方々のために祈り、福島第一の若い牧師さんが私たちのために祈ってくださった。これは、福島の牧師さんが祈ってくださったときのビデオ。(画面右側が福島からの映像。通訳はAsian Accessのタカザワさん)

D

 シカゴの私たちは日本語で話しかけ、福島の皆さんは英語で話しかけてくださる。最後のご挨拶も、私たちからは「感謝しま〜す!」そして、福島の皆さんからは「See you later!」^^ See you later...そう、たとえこの地上では会うことがないとしても、天国ではお会いできますね!

 与える者と受け取る者、祈る者と祈られる者という一方方向の図式ではなく、相互に神の恵みが流れるのを感じて、心が震えた。世界中の教会が、佐藤先生の教会、そして被災地の教会のために捧げ、祈っているけれど、同時に、これらの教会からのさまざまなご報告を聞くたびに、そこで主がなさっておられる御業を見て、私たちもまた多くのものをいただいている。

 ちなみに、今回の主催者の一つ、Churches Helping Churchesという団体は、昨年のハイチ地震の後に始まったミニストリーだそうだ。自然災害で被害を受けた教会を、教会が助けよう、という趣旨。始まって以来、すでに400以上の教会が世界中から参加し、400万ドル以上が捧げられたそうだ。そして、そのうちの26の教会は、ハイチの教会なのだそうだ。あの貧しい国の教会が、今回の日本の大災害に際しても、捧げてくださっているのだそうだ。本当に涙が出た。

 

 佐藤先生の『流浪の教会』、英語でも出版にならないかと願っていたけれど、今回の訪米でティンデル社(シカゴ郊外に本社がある)を訪れ、出版の交渉をし、出版されることになったらしい。ハレルヤ!福島からのメッセージが、少しでも多くの世界の人たちに届きますように。



流浪の教会

流浪の教会

ふかごろうふかごろう 2011/10/07 23:20 福島第一聖書バプテスト教会には、知り合いがいるんですよ。
ただ、最近は、ずっと連絡取ってないんですが。
今度、その知り合いの安否を聞いてみようかな。

あと、その奥多摩のキャンプ場は、僕が小さい時から何度も訪れている思い出深い場所なんです。
大人になってからも、そのキャンプ場にセミナーを受けに行きました。

はちこはちこ 2011/10/08 09:11 ふかごろうさん、
福島第一聖書バプテスト教会は、もともと100人以上の教会だったのが、震災後散り散りに避難したものの、70人くらいがまた集まって、バスを購入して共同生活を送っていたそうです。最初は福島で頑張っていたそうですが、避難所生活は大変で、先生は、「これでは死ぬ人が出る。一人も死なせてはいけない」と心を決めて、東京に移動したのだそうです。その後、職が見つかったりなどして、キャンプを離れる人や、亡くなる方もいて、現在では50人ほどが共同生活だそうです。共同生活の中では次々と受洗者も起こされ、お葬式と洗礼式を交互に行なっていたとおっしゃっていました。
ふかごろうさんのお知り合いの方が、どうかご無事でありますように。

2011-10-06

mmesachi2011-10-06

Steve JobsとCulture Maker

16:13 | Steve JobsとCulture Makerを含むブックマーク

 昨日の夕方、シカゴ時間の午後6時40分頃、外出から戻ってきたちょうどその時、二階でま〜やが、「〜〜died!」と叫んできたのが聞こえてきた。「どうしたの?誰か知ってる人が亡くなったの?」と階段に向かって訊ねたら、「スティーブ・ジョブズが!」と。

 驚いた。8月にアップル社のCEOを退任したのは、これからゆっくり膵臓ガンの治療に専念するためだろうと思っていたのに、実はここまで病状が悪化していたからだったのか?と。

 カリフォルニア大学留学中、1984年に最初のマックが出たときに、大学があの箱だけのマック(写真右上)を大量に購入し、文科系の学生のための「マックラボ」を設立した。理系の学生が使うのは「メインフレーム」と呼ばれる、DOSの、画面が真っ黒なやつで、文系の学生には敷居が高かったが、マックラボのおかげで、私のような機械音痴でもパソコンに触れることを学んだ。そして、「文系のためのマックでするプログラミング」という授業もとり、Pascalを学んだ。マックの親しみやすさのおかげで、感謝祭の休暇中もコーヒーのマグ片手にマックラボに入り浸り、この授業ではAをいただいた。

 そして私が最初に購入したパソコンは1987年のマックSE。あの当時は、まだ「ラップトップ」のパソコンなんてものもなかったが、これは私にとって十分ポータブルで、寮の自室と大学の研究室、そして当時交際中だった夫のアパートを、このマックを抱えて行き来していた。博士論文はこのマックを使い、WriteNowで書いた。以来、私はずっとマックユーザーだ。

 ジョブズの業績については、私が書くまでもないので省略するが、彼がこの25年の間にこの世に次々を生み出してきたものの恩恵を被っていない人は、あまりいないのではないだろうか。私のように特にITな人でなくとも、ジョブズの急逝の知らせには強く揺さぶられた。ケンでさえ、しょんぼりしていた。自宅のガレージで立ち上げた会社が短期間でここまで世の中にインパクトを与えるようになったことは、現代の伝説だ。製品だけでなく、ジョブズのヴィジョナリーとしてのリーダーシップは、多くの人をインスパイアしただろう。

 ジョブズの急逝の知らせにこんなに大勢の人が悲しみを受けているのは、それだけ彼の働きが文化に貢献してきたからだと思う。

 そんなことを考えていた矢先、アンディ・クラウチが今年の1月に書いた記事、The Gospel of Steve Jobsを読んだ。考えさせられた。

 クラウチは、ジョブズが生み出した数々のものが、いかに人々に「希望」を与えていたか、それはまさに、世俗の福音とも呼べるものだったと指摘していた。(意図的なものかわからないけれど、アップル社の初期のロゴは、一口かじられたリンゴに虹がかかったものだった。)

 アップルから新製品が出るたびに、人々は注目し、興奮し、喜んだ。新製品を購入し、一時的には満足した。しかしながら、どんな新製品が出ても、しばらくすると、次の新製品が待たれるようになる。イエスが与えてくださる、一度飲むなら二度と渇かなくなる水とは逆に、アップルの新製品をいくら手に入れても、人々は決して満たされなかった。もちろんこれは、アップルやジョブズの問題ではなく、人間の心の問題なのだけれど。つまり、ジョブズが人の目にはどれだけ賞賛に値しようとも、彼の業績は、人間の根源的な問題に無意識のうちにも加担することはあれ、解決することはなかったのだ。

 私は、ジョブズがこの25年で成し遂げてくれたことに心から感謝している。それを否定するものではまったくない。マックや、各種アップル製品のない世界、ピクサー映画のない世界なんて、つまらないと思うから。そして、この世に、第二、第三のジョブズが登場してくれたらいいなとも思う。わくわくするような新製品は、やっぱり私たちの生活に色を添えてくれる。

 アンディ・クラウチは、著書"Culture Making"の中で、キリスト者はこの世の文化をただ非難したり批判したり、真似したり、消費するだけでなく、むしろ率先して文化を造っていくべきだと論じた。

 ティム・ケラーは、イスラエルがエルサレムを首都としたとき、神はシオンに宮を建てるように命じたことを指摘している。シオンはエルサレム市内にある高台で、そこは街中の人から見える場所なのだ。「高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都」(詩篇48:2)。キリスト者が造り出す町、文化は、本来、自己の栄光ではなく、他者への奉仕に基礎を置き、その文化的豊かさは、「全地の喜び」であり神の栄誉となるはずのものだとケラーは言う。


 奇しくも、ジョブズはこの時代のCulture Makerだった。しかし、本来その役割は、キリスト者も担うべきものなのだろう。もちろん、キリスト者じゃない人の生む文化には価値がないと言うのでなく。

 アンディ・クラウチの記事を読んだら、ちょうど今私が学び中のこととも関連して、キリスト者も召されているCulture Makerとしての役割とか、そんなことにも思いが至ったので、ちょっとメモしてみた。話が随分とんじゃったけど。まとまっていませんが、メモなのでご容赦を。

追記:アンディ・クラウチが、ウォールストリート・ジャーナル紙からの依頼で、上記のThe Gospel of Steve Jobsをさらにふくらませた記事を書いたそうです。こちら。 

 この記事を最後まで読んで気づいた。アンディ・クラウチって、いつの間にかクリスティアニティ・トゥデイ誌のEditor-at-large(総合監修者)になっていたのね。知らなかった。

うさたろううさたろう 2011/10/06 22:18 文化命令ですな。
Cf. Abraham Kuyper, "Lectures on Calvinism"

ちなみに、学習院の田崎晴明先生が、プリンストン大学院生時代のMac Plusとの思い出を本日のブログに書いておられましたよ。

http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/d/

ぼぼるぼぼる 2011/10/07 00:39 Steve Jobs は2005年にスタンフォード大の卒業式でスピーチし、「自分の内なる声、情熱、直感」を信じて生きることを説いた。人々はSteveがアップルの新製品を通して与えてくれる「希望」に陶酔した。これを世俗の福音と言うなら、それはそれで一つの見識だけれど、でも、彼が与えてくれたインスピレーションは本物だったと思う。(科学者がアインシュタインやダーウィンから受けるインスピレーションが本物であり、美術館を訪れる者がレンブラントやピカソから受けるインスピレーションが本物であるのと同じように。)それはSteve Jobsもアインシュタインもピカソも、神様の似姿に作られた人間であり、仮に彼らの従ったものが「自分の内なる声」にすぎなかったとしても、それがもし神様が彼らに与えた賜物を生かすものであったならば、本人の意思に関わらず、神様は彼らを通して人々をインスパイアすることができる、ってことじゃないかと思う。それと、Steveの念頭にあったのは、全く新しいパラダイムから人々に人生のよりよいツールを提供する、というビジョナリーとしての信念であり、ラディカルな変革という点ではキリストのミニストリーに通じる部分もあって、共感できるところが多かった。

クリエーターとしてのSteveから私が被った恩恵ははかりしれないが、2つあげると、1990年に義父からゆずってもらったMacIIxに、1000ドルはたいて14メガバイト(!!)のメモリーを増設し、数値実験のカラーアニメーションを作ったこと。これを外部接続のエンコーダを使ってVHSビデオに落とし、同僚に送ったことが、現職をいただく大きなきっかけとなった。2つ目は、2001年にMacOS Xの登場により、Mac上でUNIXが走るようになったこと。それまでは、数値計算は専用のUNIXのワークステーションでやり、データをMacに移動してはIllustratorでグラフを作っていたのが、数値計算、グラフィックス、論文書きのすべてがMac1台でできるようになり、生産効率が飛躍的に向上した。他にもいろいろあるけれど、25年来のマックユーザーとして、やはり、「Steveありがとう」、と言いたい。

hide&yokohide&yoko 2011/10/07 02:52 はちこさん ぼぼる さん コメントを心より感謝します
Steve Jobs は2005年にスタンフォード大の卒業式でスピーチし、「自分の内なる声、情熱、直感」を信じて生きることを説いた というスピーチを今日、聞きました。それを聞いて、そこに彼は意識していないかもしれませんが、伝道者の書11,12章の思想があることに気づきました。11章9節は「あなたの心にある道とあなたの目に映るところに従って歩め」と訳すことができます。拙著「正しすぎてはならない」で解説を加えていますが・・・ニーチェがキリスト教会を批判したのは、そのような神のかたちとしての生きる力をそぐようなことばかりを当時の教会が語っていたからでした。神のかたちとして生きることは、まさにジョブ氏のいうとおりです。彼は禅宗の影響を受けているようですが、禅宗のはるか前に、伝道者の書の教えがあります。

hide&yokohide&yoko 2011/10/07 03:15 追加ですが、ジョブ氏が言っていた、「自分のなすべきことを、決して、他人に言わせてはならない・・・」という趣旨のことは、ビートルズのジョン・レノンも歌っていることです。僕の中では、無神論者と言われるニーチェもジョンレノンも、いわゆるキリスト教道徳の落とし穴を鋭く指摘してくれた預言者的存在で、それによってかえって、聖書に書いてある福音の奥深さと広さに目が開かれました。

谷川馬夫谷川馬夫 2011/10/07 10:43 懐かしいですね〜〜〜
私が社会人になってソニーに入社しての初めての仕事は5"以下のフロッピー・ディスクとして、ソニー仕様の3.5"フロッピー・ディスクを世界統一規格にすることに貢献したことでした。
そして初代Macintoshにはソニー製の3.5"フロッピー・ディスク・ドライブが搭載されたのでした。
こいつを何十台も並べて耐久試験とかもやりました(笑)
Jobsが世に出した全ての製品は、斬新でかつ、誰にでもすぐにわかる強烈なコンセプトを持っていました。
同時に、比類無きアーティスティックな美しさをも持っていました。
間違いなく現代の”天才”と呼ぶにふさわしい一人でしたね。
彼を「先見の明があった」と評するのは間違いだと思います。
彼は常に新しいモノをクリエイトしてきたのだから。当然、当たりもあれば外れもありました。
その中で当たったモノが、結果としてその後の潮流を変えたのであって、「先見の明があった」わけではないと思います。
彼の死で、私がこんなにも喪失感を覚えるとは、私自身驚いています。
私よりたった3歳しか年が違わなかったのですね、、、

はちこはちこ 2011/10/07 13:31 うさたろうさん、
ああ、カイパーですね!カイパー派の改革派教会は、都市における福祉や、地域への貢献や市民運動、文化的働きなどに強調を置いていると聞きました。これも福音がもたらす大切な側面ですよね。
田崎先生とは、ちょうど同じ時期にプリンストンにいました。お写真で拝見する限り、あの頃と今と、全然変わっておられないのに驚きです。^^ MacSEの次がPlusでしたっけ? あの魔法の箱が与えてくれたワクワク感は、ほかでは味わえなかったですね。残念ながら私のMacSEは、もう処分してしまいましたが。あれ、それとも夫のラボにあるのかな?

ぼぼるパパ、
そう、そうなんだよね。高橋先生のコメントとも関係するけれど、スティーブが為したことを振り返り、キリスト者としての召しについてもインスパイアされる… そこがすごいよね。

我が家の歴史も、いつも、「振り向けばそこにマック」だったよね。ぼぼるパパの数値計算が、わざわざ大学まで行かなくても、自宅からできるようになったというのはすごかったよね。
だけど、パパが計算中なのを知らないで、「今、使ってないから」と私や子どもたちがインターネットの接続を切っちゃったり、パパのパソコン消しちゃったりして、がっかりされたことも何度となくあったよね。(笑)

hide&yoko先生、
神様は、ほんとうにいろんなこと、いろんな人を通して、ご自身を私たちに現すことのできるお方ですね…!とてもとてもへりくだらされます。今さらのようですが、「正しすぎてはならない」で先生が、いわゆる「世俗の文化」からのものをマテリアルに多く取り上げておられたのは、読者によりよくrelateできるように、ということだと思っていたのですが、それだけでなく、「世俗の文化」と言われるものを通しても現される神様の御声、御業もあり、そこにも耳をすますことの大切さとか、世俗文化vsキリスト教文化と対比させることによって、見失われるものもあるとか、そういうこともあったのかなと、先生の意図からは外れているかもしれませんが、改めていろいろ考えました。もう一度読み直してみようと思いました。


谷川馬夫さん、
中村家同様、谷川家もご夫妻でマックユーザーでしたから、お二人でしみじみしておられるのではと思っていました。
以前ワイアードか何かで、アップル製品のはずれ10点、みたいな記事があり、「あれ〜、そういえばこんなはずれ製品も出してたんだ〜」と驚いたことがありました。そう、当たりもあれば外れもある。当たりばっかりを出してたわけじゃないということも、私たちを励ましてくれますね。
56歳… もう一度元気になってほしかったですね…

たしんたしん 2011/10/08 08:08 今回のSteve Jobの死に際してのブログ記事をはちこさん、ワタクシ、パスターマック、M師匠で読み比べてみると、思い入れと書きっぷりと言葉の選び方に四者四様の個性を物凄く感じて滅茶苦茶、楽しめるんですよね。

まったく違うアプローチで多くの人間に語られるって、やっぱジャイアントですよ。

はちこはちこ 2011/10/08 08:44 たしんさん、
ほんとにそうですねー!
それにしても、私の親しい友人たちは、どうも圧倒的にマックユーザーが多いみたい。意識したわけでもなかったのに。不思議〜!

谷川馬夫谷川馬夫 2011/10/08 12:31 妻はマカー信者でございますが、私はプライベートでも仕事でもMacを使用したことはございませんですの。
時々、妻のMacが調子が悪い時に診てあげるくらいです。
結局、コンピュータの基本的なアーキテクチャーはどれも同じですから、私でもなんとかなるのです。

私が持っている唯一のアップル製品は車のオーディオ・システムに直接接続できる初代iPodのみです。(オーディオ・システムの専用接続アダプターの仕様で初代iPodしか使用できません^^;)

まあmixi日記にはもう少し詳しくいろいろ書きましたが、私がIBMに転職してからも、IBMのUNIXマシンであるRS/6000(現在は違う名称になっていますが)用に開発され使用されているCPUである"PowerPC"が最近までMacに使用されていたとか、常に私はアップルと何らかの繋がりがあったのですよね。

そしてアップルとソニー間の競合相手でありながら長く緊密な関係。
そういうこともあって彼の死にはいろいろと想うことがあるのです。

はちこはちこ 2011/10/08 15:46 あれ、そうでしたか。そうですよね。馬夫さんは、SONYの次はIBMでしたものね。

このように、いわば競争相手からも尊敬され愛されているところが、スティーブのすごいところですよね。

ぼぼるぼぼる 2011/10/08 19:45 馬夫さん、

ソニーと言えば、ジョブズ氏が、80年台初頭にウォークマンなどで家電業界を席巻していたソニーに心酔していたというのは、有名な話ですよね。その後、ポータブル音楽プレーヤーではiPod・iTunesの登場により完全に立場が逆転してしまいましたが。あと、私的には、ジョブズ氏がアップルを離れている間にも、マックがTaligent時代を通してRISCアーキテクチャに変貌していくプロセスに、デスクトップコンピューティングの歴史が動いているのを感じ、わくわくしたものでした。また、2003年にオフィスのコンピュータを完全にMacに移行するまでは、RS/6000の590型サーバとAIXにお世話になりました。たしかPOWER2というRISCチップで走っていたと思います。PCの時代も、これで幕引きでしょうか。

ジョブズ氏のことなので、日曜日あたりにひょっこり復活して、iPhone 5を発表してくれるのではないかと、ちょっと期待してみたりもしますが、ないだろうな(笑)。

westyccwestycc 2011/10/09 20:38  どうもおもしろい会話が行われていたのに、乗り損なったようです。損した。
 伝道者の書とJobsのstanford addressの間の類似関係は、前から思ってました(だから、今頃言うな)。死こそが最大の発明である、という発想は、伝道者の書全体のメッセージと共有されています。そして、まさにそれゆえに、今与えられている喜悦(すてきなUser experience?)を思う存分楽しむことの重要性も、Jobsのスピーチの背後にあると思います。さらに、「失敗から学ぶ」という発想も、伝道者の書1〜2章での伝道者自身の失敗から学ぶ点と響き合っています。
 経済的な成功、死、そして限界の多い人生。伝道者の書の本を書く時は、steve jobsのアドレスと絡めて書こうかな、と思ったりします(だから、早く本を書け、というのだ)。
 それとともに、jobsのアドレスには、どことなく「超越者による摂理」という発想が感じられます。もちろん、彼はキリスト教の「神」なるものは信じていなかった男ですが、超越者による摂理のもとで、「どのような生き方を選ぶべきか」という重要なポイントを辿ったのだと思います(connecting dotsの発想)。そういう意味で、jobsのアドレスと生き方は、どことなく「宗教的」な匂いが漂っているのかな、と思います。数年前に、友人と話したのは、変な牧師の説教よりもsteve jobsのstanford addressのほうがよっぽど「霊的である」という点でした。そういうわけか、わたしが最初に買ったiPodの裏には、stay hungry stay foolishと書かれております。
 ということで、このあたりでペンを置くとしましょう。

はちこはちこ 2011/10/09 22:03 westyccさん、
損した、って…w 
hide&yoko先生に、鎌野先生からジョブズと伝道者の書の類似についてコメントが入りましたので、お時間のあるときにまたいらしてくださいとお声をかけておきました。
hide&yoko先生は、『正しすぎてはならない』という伝道者の書の解説の本を書いておられるのですが、ジョブズには触れておられないものの、ジョン・レノンやローリングストーンズなどにも絡めておられます。westycc先生の伝道者の書の本も、楽しみです。

hide&yokohide&yoko 2011/10/10 06:43 はちこさん、ご案内ありがとうございます。westycc先生のコメント、ほんとうにその通りですよね。僕はコンピューター音痴に近いので、マックのことはわからないのでスティーブ・ジョブの話は亡くなってから聞いたばかりでした。
 はちこさんが書いてくださったレスポンス、まさにその通りです。実はキリスト教神学における人間理解が、ある種、スティーブ・ジョブ氏が嫌う「ドグマ化」されているために、それを前提とした福音理解もドグマ化の危険にさらされています。一方、伝統的に言われるように、「神を知ることと、人間を知ること」は車の両輪のように進みます。僕がジョンレノンやニーチェやショーペンハウエルというキリスト教会に反旗をひるがえしている人々が好きなのは、彼らが実に、的確に僕の心の問題を言い表してくれているからです。彼らによって自己理解が深まります。そして、それによって聖書を読むと、今まで気付かなかった福音の広さや深さにどんどん気付かされるのです。この原則は自然科学に適用できるのでしょうね・・最初にドグマ的な神学の枠組みがあることによって、またそれを守ろうとすることによって、結果的に、科学にも福音理解にもマイナスになってしまう
 昨日から信州クリスチャン修養会というところで詩篇のメッセージをしてきました。ダラス・ウイラード、マックナイト、タウンゼント、そして今回の話しなど引用し、はちこさんの訳書も紹介させていただきました。こちらこそ、いつもはちこさんのインサイトでとっても助かっています。この修養会の来年の講師は佐藤彰先生とのことです。

westyccwestycc 2011/10/10 08:44  hide先生、ごぶさたです(だれのブログで会話してるんだ)。
 結論から言うならば、「人間理解の深さ」です。クリスチャンでなくても、人間理解が深い人がいる。クリスチャンであっても、いや、キリスト教のドグマのせいで、人間理解が浅くなってしまっている。steve jobsなどは、生い立ちや失敗を通して、実に深い人間理解をもっている。そのあたりが、あのstanford addressに現れていると思います。
 近年の霊性の回復は、人間理解の深みへと私たちを誘うことを願っています。はい。

hide&yokohide&yoko 2011/10/10 23:40 westycc先生 はちこさんのブログで会話とは、感謝です。「全的堕落」、「さばきを正当化できるだけの責任意識」、性悪説の人間観、自分に死ぬことによるきよめ・・、たしかにすべて正しいのでしょうが、それが「神のかたちに創造された者」として自由な主体性を殺す方向に働きますよね。それに比べてスティーブさんは生かされていることを喜んでいる、これこそ伝道者の書のメッセージですよね。
 正直、僕は昔、「きよめ派」のかたがたに恐れのような偏見を少しばかり持っていました。そして、それが僕の本の中に現れています。ところが、今回の信州の修養会も、きよめ派といわれる教会に属する先生たちや信徒の方々が、とっても喜んで受け入れてくださる・・・そのオープンさに感動しています。ドグマ化の中で苦しんでこられた方々の心の優しさにつくづく感心しています。

はちこはちこ 2011/10/11 20:52 hide&yoko先生、westycc先生、
感謝します!お二人のやりとりに、また新たに目が開かれる思いでした。
高橋先生、「この原則は自然科学に適用できるのでしょうね・・最初にドグマ的な神学の枠組みがあることによって、またそれを守ろうとすることによって、結果的に、科学にも福音理解にもマイナスになってしまう」の部分、すごくよく分かりました。それがHumanitiesの分野でも、同じように当てはまるのですね。目からウロコです。こんな雑ブログのコメント欄で、こんなにも貴重なお分ちをいただいて、本当に感謝です!

谷川馬夫谷川馬夫 2011/10/12 13:44 >ぼぼる先生、

Jobsは、ちょっとiCloudの調子を見に行ったようですよ(笑)。

・・・なんていう主旨のジョークをtwitterで見かけたら、そのすぐ後に彼の訃報を聞きました。

この件に関してはいくらでも話しが尽きないので自重せねばと思いつつ書いちゃいますが。。。

また彼は盛田昭夫氏を非常にリスペクトしていたようですね。
彼も盛田氏と同様に完全独裁を貫きましたね。

ただそれには良い点もあるけど悪い点もあって、そういう人の同僚や部下は堪らんわけですよ。

盛田氏はインターナショナルな企業であるソニー・グループの要職に自分のバカ息子(私の上司クラス以上の方々はそう呼んでいました)を据えて会社を私物化して同族会社にしようとしました。
Jobs氏に関しては、もうみなさんご存じの通り、追放されたり復帰したりいろいろありましたよね。

RISCチップに関しては、1インストラクションで複数の処理ができるという、まさに先生のような技術計算用途向けに最適なCPUでしたね。

ところでちょっとしたトリビアなのですが、アップルのスローガンというのかモットーというのかのに「Think Different」という言葉がありますよね。

実はIBM社内のトップダウンの社員に対するスローガンは「Think」なんですよ。
社内で使う文房具(例えばボールペン)などに、みんな「Think」って印刷されているんですよ(笑)

おそらくJobsは、それを意識して、ただ考えるのではなく差を考えろということで差別化させて、この言葉を考え付いたと思うんですよね。

またここに書いていいかどうか迷ったのですが、Jobsは日本の「禅」にかなり深く傾倒していて自称ブッディストだったそうです。

彼が、Bob Dylan と Beatles(特にJhon Lennon)が大好きだったとということを合わせて考えると、キリスト教に関してはどんなスタンスだったのだろうか?と思います。

まあアメリカ人の多くが、スターウォーズのジェダイの表現に見られるように、東洋の深い精神世界文化に憧憬があるらしいのと、どのくらい違うのでしょうかね?
因みに私はスターウォーズのオリジナルのシリーズはどこが面白いのか、全くわかりませんでしたが。

長々と失礼いたしましたm(_^_)m

谷川馬夫谷川馬夫 2011/10/12 14:20 追記ですが、「Think Different」って、「Different」は名詞でも副詞でもなく形容詞なのでどういう意味なのでしょう? 副詞的に使って「違った考え方をする」というニュアンスも含まれるのでしょうか? いずれも日本語に訳すのは難しそうですね。
調べてみたら、この言葉は広告代理店が、ある小説から引用したそうですが、IBMとは関係無かったのかしら?

はちこはちこ 2011/10/16 08:13 馬夫さん、
私も気になって調べたところ、広告に使う文句なので、わざと座りの悪い英語にして、人々の印象に残りやすくしたのだろう、とのこと。文法的には、必ずしもまちがいではないそうですが、(例えば、You don't know any different.という言い方もあり、これは慣用表現になっています)やはり、軽い違和感があるんですよね。このフレーズを見る人に、「異なるパソコンを考えよう」と「異なる考え方をしよう」二つの意味を想起させようとしているのではないか、とある分析にはありました。

2011-10-05

生産的な一日

21:28 | 生産的な一日を含むブックマーク

 昨日はあんなにダメダメで苦しかったのに、今日はすっかり元気で、一日生産的に過ごせた。

 去年の悪夢の日から、もうすぐ一年目のアニバーサリー。本当は10月のカレンダーを見るのも嫌だった。

 それでも10月はやって来て、一年前のことなど何もなかったかのように……と思った矢先に、昨日またグラッとくるようなことが。でも、シッシッと追い払い、主に信頼しますと告白して寝たら、朝になったらいなくなっていた。こんなとき、与えられている御言葉があるのはありがたい。そして、悪夢はすでに贖われていることも知っている。

 さて、今日は朝いちばんで「いのちのことば」誌用の原稿を送付したあと、郵便局など外回りの用事をいくつか済ませ、ガーデンセンターでチューリップと水仙とクロッカスの球根、それから土を何袋か購入。ここ数年、チューリップと水仙の勢いが衰えて、葉っぱばかりになってきていたので、新たに植え直そうと思って。でも一袋に40個も球根が入っていて、そんなにたくさん植えられないよ… 今日は結局、三分の一くらい植えたかな。

 花壇を掘り起こして種を蒔いたり球根を植えたりという作業は、それなりに骨が折れるけど、終わったあとに特にこれと言った変化はない。それでも、来年の春の楽しみのために、今、汗を流す。そのコンセプトが好きだ。

 それから、菊も何株か買ってきて植えた。この時期になると、菊を飾っている家が多くて、きれいだな〜と思ったから。ところが、私が菊を植えてみたら、何だか花壇がお墓みたいになってしまった。なぜ? ぺットが亡くなりましたか?みたいな感じ。汗

 その後は用事でシカゴまで行って、戻ってきて、夕食は中華のテイクアウトで済ませ、これからコロラドから帰宅する夫を迎えに行く。

ぼく人参ですぼく人参です 2011/10/06 05:57 一年、、、
大変だったね。ぼくもこの一年間、お世話になりました。近いところでは例の忠告と後始末。
本当に、サタンは蛇のように裏口から侵入してくるね。善かれと思ってすることの中にまで入り込むやつだ。

はちこはちこ 2011/10/07 11:06 人参、
祈っていてくれて、本当にありがとうね。とっても心強かったよ。
例の件に関しては、蛇が入り込む隙を与えないために、事前に扉を閉めたんだよね!

2011-10-04

泥棒猫を追い払うように

10:53 | 泥棒猫を追い払うようにを含むブックマーク

 90年代、私はEvelyn Christenson という人の本を夢中になって読んでいた。たまたま教会の図書部で見つけた「Lord, Change Me」という本に強く感銘を受け、彼女の本を次々と読んだ。彼女は祈りの人で、祈るとはどういうことなのか、私の目を開いてくれた。

 次々と読んだ彼女の本の中に、Battling the Prince of Darknessというものがあった。いわゆる「霊的戦い」に関する祈りの本で、でも、聖霊派のいう「霊的戦い」とはちょっと違ったかもしれない。

 その中で、とても印象に残り、今でもよく思い出す一節がある。それは、サタンに攻撃されたら、どのように対応するのか?ということ。

 彼女の答えはごくシンプル。「裏口から入ってきた泥棒猫をホウキで追い払うように、シッシッと追い払えばいいのですよ」。

 サタンを甘くみてはいけないけれど、必要以上に大きな存在と見るべきでもない。困難に直面したとき、攻撃にあったとき、私たちが前に出て祈るべきお方はただ一人、主なるイエスさまだけ。サタンがあなたに攻撃をしかけてきたら、シッシッと追い払い、あとはただ主の前に出なさい、ということだった(と記憶している)。もちろん、サタンなどいないとか、戦いなどない、という意味ではなく。戦いも、攻撃も、リアルにある。

 彼女のこの言葉がスッと心に入ってきたのは、じつは私の日本の母教会の牧師だったケニーさんも、同じことを言っていたから。彼も、サタンに戦いを挑むような祈りではなく、ただ主の前にへりくだり、主に祈りなさいと教えておられた。

 (ちなみに、CSルイスも、サタンは神様の敵ではなく、天使ミカエルの敵だと言っている。そういえばヨブ記にも、サタンがもみ手でヘコヘコと神様の前に出てくる様子が描かれているね…)

 今日も泥棒猫にちょっかいを出されたが、シッシッと追い払った。あとは主の御臨在の中に浸る。

D

===

 「のがれの町」(民数記)について読んでいる。私が思っていたのとは、随分違うものだったんだ! びっくり。そして改めて、「神の国(city of God)」の意味するところが、胸に迫ってくる。じわじわと。

tomotomo 2011/10/04 14:58 人の言動がサタンに思えてしまうのが嫌で次のように理解しました。

1.自分の中に何かを溜め込み、それを維持しようとするときに、サタンが入り込む。

2.神の前に出て、その溜め込んだものの小ささを自覚すると、それを追い払うことができる。

3.溜め込んだもののの例としては、記憶、見栄、ウラン、ストレスなどネガティブな言葉が挙げられる。

4.以上を『たくさん溜めるとよくない』、とまとめるなら、キリスト教の中に、ほどよく循環させる知恵を見ることができるかもしれないな。

その後、『数理+神学』で検索して、いろいろな資料の中にに、自分と同じ考え方を発見しました。そしてそれらが、必ずしも、キリスト者の方々から受けが良くはないことを目の当たりにしました。ぼんやりとですが自分の位置を確認できたような気がしました。

いろいろと本当にありがとうございました。

はちこはちこ 2011/10/04 15:02 いいえ、私がここで言っていたのは、人間ではなく、文字どおり、霊的な存在のサタンです。

はちこはちこ 2011/10/04 15:07 聖書には、「私たちの格闘は血肉[人間]に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」とあります。

tomotomo 2011/10/04 18:55 お手数をおかけしてすみません。

キリスト教がそれを付記していることを知れてよかったです。
もっと知る機会を自分で摘んでしまうところでした。

ありがとうございました。

はちこはちこ 2011/10/05 08:03 >もっと知る機会を自分で摘んでしまうところでした。

この言葉にハッとしました。人は、「もっと知る機会」を自分で摘んでしまうことが、たびたびあるのだろうなと思いました。私も自戒します。この言葉、ありがとうございます!

naonao 2011/10/06 08:31 はちこさん
初めて投稿させていただきますが、いつもこのブログから、他の人も参加できるコメント欄も含め、沢山の励ましをいただいています。

この内容、本当にそうだなと思いました。
個人的な辛い時期に、全てから閉ざされたような絶望的な気持ちや恐れを経験しました。その辛い時期があったからこそ、神様をより知ることができたと、今では振り返ることができます。
しかし、3月11日の震災後、度々その時期に経験したのと全く同じ感情に引き戻されます。私は、直接被災していませんが、心にいつもそのことがあり、祈りながら過ごしてきましたが、その感情は残ったままでした。先日私の辛い時期を支えてくれた姉妹に相談して、導かれたところが、まさに今回はちこさんがブログに書かれていたことでした。

揺さぶられても、その度に「裏口から入ってきた泥棒猫をホウキで追い払うように、シッシッと追い払い、あとはただ主の前に出る」こと。辛い気持をサタンに語りかけるように祈るのではなくて、「ただ主に祈る」こと。とても分かりやすい表現で、助けとなりました。

ありがとうございました。

はちこはちこ 2011/10/07 11:11 naoさん、コメントありがとうございます!
naoさんのコメントに、私も励まされました。先日友人とも語り合っていたのですが、絶望感に襲われたときって、「助けて!」の声を上げることすらできず、逆に、「クリスチャンなのにいつまでもこんなに絶望しちゃうのは私だけだ」という恥や孤立の思いも襲ってきますよね。でも、それこそ敵の手口。誰だって、ときには絶望感に襲われたりがっかりしたり不安を感じるときはあります。それは自然な反応。だからそんなときこそ、お互いに声をかけあって、励まし合い、支え合い、祈り合わなくちゃ!ですよね! naoさんが辛かったときにその姉妹の方に相談できたこと、そしてこちらでも分かち合ってくださったこと、嬉しいです。 主がnaoさんの心を幾重にも守ってくださいますように!

tomotomo 2011/10/08 01:10 はちこさんとnaoさんとのやり取りから、
サタンには、隣人に目を向けさせる役割もあるのかなと思いました。
隣人の隣人の隣人の…とずっと隣人関係を拡げていけるので、
逆に言えば、『共同体を分割してはいけない』、
ということをサタンは言っているような気がしました。
だからキリスト教は一つなんだ、と。

ここにコメントさせて頂けて感謝しています。
良い週末をお過ごしください。

はちこはちこ 2011/10/08 08:38 うーん、ごめんなさい、またtomoさんのおっしゃる意味がよくわかりませんでした。
サタンの目的は、「盗み、殺し、滅ぼすだけ」と聖書は言っています。

tomotomo 2011/10/08 19:28 サタンが入ってきたのはどのくらい大きな家の裏口なんだろう、と考えると、もし私の家のように小さな家なら、これを読んでいる皆さんは私の家の外側にいることになります。そこにサタンと皆さんがいる、ということになってしまいます。それではいけないでしょうから、そうすると、次に、『サタンが外側になるような内側ってどのくらい大きいのだろう?』という疑問が沸いてきます。『家』が共同体の意味なら、隣人の隣人の隣人の・・・と拡げていけるだけ拡げて、一番大きなものを想定するのがいいのかな、と思いました。

ともかく、共同体が2つ以上あることになると、お互いに相手側を『サタン側』と呼べてしまいますので、共同体は分割されてはいけないことになるのかな、と思いました。

すみません。

はちこはちこ 2011/10/08 19:52 なるほど、少し見えてきました。
比喩なので、1から10まですべてがピッタリ合うわけではありませんが、ここでの「家」とは、共同体ではなく、「自分の心」くらいに考えてください。「裏口」というのは、自分で意識して考えていたときではなく、思いがけないときにひょっこり心に浮かんできた状態を比喩的に言っていると思ってください。

あと、この比喩とは違いますが、聖書は、サタンを「prince of this world(この世を支配する者)」と呼んでいます。サタンはそもそもどこから出て来たかと言いますと、もともとは神に造られた光の天使だったのが、自分の美しさゆえに高慢になったため、神様に投げ捨てられたのです。そして、終わりの日には地獄に入れられるのですが、今のところは自由にしているのですね。そして、一人でも多くの人間を自分の道連れにしようと、この地上をほえたけるライオンのように徘徊しているのです。「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」 新約聖書第一ペテロの手紙5:8)

はちこはちこ 2011/10/08 19:56 tomoさんはどちらにお住まいでしょうか。とても深い興味をお持ちのようなので、お近くの教会で、体系的に学ばれるほうが、tomoさんの関心にも合うのではないかと思いました。私のブログはでたらめに好き勝手なことを書き散らしているだけなので、かえって混乱させてしまうだけなのではないかと、なんだか恐縮です。

はちこはちこ 2011/10/08 20:05 tomoさん、CSルイスの『キリスト教の精髄(Mere Christianity)』という本をご存知でしょうか。tomoさんのようにキリスト教に真剣な興味を持っておられる方にはピッタリの本かもしれません。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%AE%E7%B2%BE%E9%AB%84-C-S-%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E5%AE%97%E6%95%99%E8%91%97%E4%BD%9C%E9%9B%864-C-S-%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9/dp/4400520544/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1318122275&sr=8-1

tomotomo 2011/10/08 22:08 はちこさん、

ありがとうございました。

思いがけず何かが心に浮かぶことを進入と表現するんですね。
内部から湧くのではなく、外部からの進入と捉えるんですね。
理解いたしました。

私はSFに住んでおり、近所に教会はたくさんあります。
どの教会がどうなのかを知らずに、
これまで、いろいろな人と話しましたが、
突っ込んで質問することはありませんでした。
本当に質問できたのは、はちこさんのブログがはじめてです。
話が通るかもしれない、と、それこそ、「ふいに」思ったので、
質問させていただきました。

本をご紹介頂いてありがとうございました。
いつか手にとってみたいと思います。

tomotomo 2011/10/08 22:10 親切にしていただいて、本当にありがとうございます。
感謝しています。

良い週末をお過ごしください。

はちこはちこ 2011/10/08 22:33 やはり北米にお住まいでしたか。コメントの入る時間帯から、日本ではないのだろうなと思っていました。
SFですか、少し南のほうになりますが、ペニンスラ・フリーメソジスト教会という日本語教会は、そこの牧師さんを個人的に存じ上げているので、お薦めできます。http://www.peninsulafmc.org/jp/ 
牧師さんは、榊原のぶゆき先生といいます。tomoさんのところからどれくらい近いか(遠いか)わかりませんが、もし行ける距離でしたら、ぜひ訪問なさってみてください。

思いがけず何かが心に浮かぶことはなんでもサタンの「進入」ということはないですが(以前も話題に出たように、「内なる聖霊の促し」ということもありますし、自分から出ている思いの場合もあるでしょうし)、たとえば聖書では、悪魔の策略の一つとして、「火矢を放つ」という表現を使っている場所があります(新約聖書 エペソ人への手紙6章)私たちの心めがけて、悪魔が火矢(悪い思い)を放つので、信仰の大楯を取ってそれが心に刺さるのを防ぎ、その火を消すようにと教えています。

全然関係ありませんが、私、大学がSanta Cruzでした。SFやベイエリアは大好きです。

tomoさんも、良い週末をお過ごしください。

はちこはちこ 2011/10/08 22:43 上でご紹介した教会は、Redwood Cityにあります。

tomotomo 2011/10/09 10:55 はちこさん

ご紹介ありがとうございました。
体系的に学びたいと思ったときにここを訪ねてみようと思います。
こういう選択肢を頂いたことで、自分の興味に自覚が出てきました。
言葉の重みの中に誤用を受け付ける度量のようなものがあることに、
私は憧れているのかもしれません。
アイスの当たり棒を拾って『今日の私は福音だな〜』は間違いですが、
言いたいことはなんとなく分かりますし、この後必ず訂正が入ると思います。
福音という言葉には人が纏わり、誤用を受け付け、
そして徐々に訂正が入り、その重みを理解していく。
そういうことに憧れているのかもしれません。
キリスト教自体への興味ではないのかもしれませんので、
訪れるときは失礼のないように慎重になりたいと思います。

Santa Cruzは私も大好きです。ちょくちょく波乗りに行っています。
ほぼ毎年、日本からの友達と数日間滞在します。
大金持ちになって別荘を建てる約束なのですが無理っぽいです。(笑)
農作物に関して実験的に地域通貨が使われていたのも興味がありました。

親切にしていただいて、本当にありがとうございます。

tomotomo 2011/10/09 11:53 誤解を生むかもしれませんので補足させてください。
たびたびすみません。


> キリスト教自体への興味ではないのかもしれませんので、

『キリスト教自体への興味ではないのかもしれませんが、
キリスト教にはそういう言葉が多いと思っています。』
という意味で書きました。

普通は、人の実績が言葉に力を持たせると思いますが、
キリスト教にはそうではないやり方を感じる、といいますか、
神様やイエスの実績には興味がないのですが、
言葉の選択や使い方には憧れています。

失礼しました。

はちこはちこ 2011/10/09 14:12 言葉への興味ですか。それは、「キリスト教に興味がある」と言う場合よりも、何か本質的なものへの興味を表しているような気がしました。
聖書の箇所に、次のようなものがあります。

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。… ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネによる福音書1章1〜5、14節)

そして、この「ことば」とは、イエスのことだと聖書は言っています。

tomoさん、波乗りなさるのですか! サンタクルーズは波乗りのメッカですよね。ボードウォークにも行かれるのでしょうね。不思議ですね、ネット上で偶然知り合っただけなのに、こういう共通点があったとは。私はUCSCのキャンパスのある山の中腹からモントレー湾を臨む景色が大好きでした。
サンタクルーズに別荘が持てたら、最高ですよね!^^

tomotomo 2011/10/09 19:03 はちこさん

こういう文章がさっと出てくるのは本当にすごいことで、
とてもありがたいことです。感謝しています。
本当にありがとうございます。

この文章の『やみ』という単語の使い方に、
私が知りたいことが凝縮されています。
私の悩みは、いつも、この『やみ』という言葉の使い方の形で現れます。
それは、初めにことばがあった以前に、やみが存在した痕跡が窺える部分です。
存在したと言ってしまうと、『初めに、ことばがあった』にも矛盾しますので、
明示的には言えないのは理解できますが、傷跡が残ってしまっていると思うのです。

私の悩みは常にこの形態をとるのですが、
考えてみると、こういうことはよくあることに気がつきます。
たとえば、中1の時に、三人称単数現在のSってありました。
最初、先生は、『動詞にSをつければいい』と教えてくれました。
翌週、早速例外が挙げられましたが、生徒たちは先生を責めませんでした。
翌月、その先生は、『過去形はDをつけとけばいい。これには例外はない。』
と教えてくれました。そしてその翌週、例外なく、例外が挙げられました。
しかし、『矛盾だ。信用できない』と悩む生徒はいませんでした。

だから私は『卒業』というアイディアをキリスト教の中に探すのだと思います。
上手く卒業していければ、将来、その節目が光に満ち溢れ、
やみが消えていくのではないか、というふうに考えているのだと思います。
考えるとき、どうしても時間が止まってしまいます。
時間を流せば、痕跡は消えるのではないか。
それが『やみ』という言葉の使い方なのではないか、と。

はちこさんのお陰さまで随分整理できたと思います。
本当にありがとうございます。

UCSCのキャンパスは何回か行きましたよ。とてもいいところでした。
学食みたいなところで大きなサンドイッチを買って、
森の中のベンチで食べていたら、
新入生のキャンパス案内がやってきて、
そのままくっついていったこともあります。
みんながみんなサーフィンをするわけでもないみたいで、
もったいないなーといつも思います。
サンタクルズはハワイよりいいという人もいますが、
私はハワイは行ったことがないので良く分かりません。
どうなのでしょうか。

泊りがけのときはボードウォークの近くのHoliday Innに泊まっています。
夜のボードウォークは酔っ払いが孤独に酔っ払っていて、
結構怖い印象があります。
ランチはたいてい町の中心部のバッフェに行きます。
どこに店があるのか分かりませんが、有名な自転車屋さんがあるみたいですね。

長くなってしまいました。
すみません。
ついつい・・・。

ありがとうございました。

はちこはちこ 2011/10/11 21:03 tomoさん

「やみ」をキーワードに、聖書を学ばれてみるのも興味深いかもしれませんね。聖書は、神は「やみ」を隠れ家として回りに置かれた、とか、「あなた(神)にとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです」 とも言っているんですよ…

私が最後にUCSCのキャンパスを訪れたのは、1990年の春、サンタクルズの大地震のあった翌年でした。あのときはまだ、ダウンタウンに柵が張り巡らされ、地震の痕跡が色濃くて痛々しかったのですが、今ではすっかり新しくなっているのでしょうね。

tomotomo 2011/10/11 23:50 はちこさん

TimKellerWhitePaperJapanese.pdfにヒントが書いてありました。
お陰様で、また一歩、なんとなく前進できました。

日本語訳はとてもすばらしく、読みやすかったです。
本当にありがとうございました。

レスをを貼り付けさせていただきますが、
お礼になっていないことは承知していますし、
読んでいただけるとも思っておりません。

今後、キリスト教を深めるにしろ、別の方向に向かうにしろ、
体系的にまとまった勉強をする段階に入ったと思います。
それもこれも、はちこさんと、このブログと、
コメントを下さった先生方・先人方のお陰さまです。

本当にありがとうございました。

・神は「やみ」を隠れ家として回りに置かれた
・神にとっては暗やみも光も同じこと

というフレーズもありがとうございました。


=====================================================
(ここから、である調の文章になります。)

進化論とキリスト教を両立させるにはどのような考え方が可能か?というテーマに対して、次のような案が挙げられている。

【案1】『概念の完全な分類は可能である』というスタンスでの2つの案

(1) 読み分け: 聖書は歴史的事実の部分と崇高な散文物語の部分からなり、読み方を適宜切り替える必要がある。歴史的事実を物語として読むべきではないし、物語を歴史的事実として真に受けるべきではない。反復句といった表現方法は、読み方の切り替えを促していると取ることが出来るのではないか。

(2) 記述対象の区分け: 進化論は生物学的適応行動(または生物学的本能)に関する記述であり、キリスト教は真の信条に関する記述である。そして、生物学的適応行動と真の信条とは交わりを持たない。

【案2】『概念の完全な分類が不可能である』代わりに、そうだからこそコミュニティーの形成が始まるのだ、と切り返す案

人には、必ず、いい面と悪い面があり、そのどちらか一方を判断することは出来ない。善と悪を2つの領域だとすると、人間は、それら領域の間に引かれた境界線のようなものではないか。どちらの領域にも属し、どちらにも属さない、それが人間ではないか。【案1】の議論は、そのような境界線をどちらか一方の領域に押し込めようとするような議論であり、境界線をなしにするような議論ではなかろうか。それに対して、【案2】では、概念の完全な分類をゆるくするからこそ、そこに境界を認めることができて、そしてその線の上に、両側にありかつ両側にないような概念を配置することができるようになる。そのような概念の例の一つが「福音」である。福音は、すでになされた良い知らせでもあり、将来の約束でもあるから、境界線の例にんあっている。そして、この福音によって、適切な(適切だと想定される)隣人関係が形成され、隣人の隣人の隣人の・・・と繰り返すことで、コミュニティーが形成されていく。そのコミュニティー形成が、そのまま、『種としての適応行動』であり、神によって「すでになされたこと」なのである、という説明が可能になるのではないか。


以上のような案に対して、Page22に残された疑問が挙げられ、文章が締めらる。(私の勘違いでなければ)、それはやみに関する疑問である。

終わり

2011-10-02

無題

17:53 | 無題を含むブックマーク

 礼拝の後、夫は教会に残ってクワイヤの練習。私は子どもたちを連れて、教会の近くに新しくできた和洋中華折衷のビュッフェへ。

 ビュッフェは… 今ひとつでした。いくつか当たりのお料理もあったものの、ほとんどは平均点かそれ以下。多分もう二度と行かない…

 帰宅後、私はサンルームの片付け。(夏から延び延びになっていた。汗)夫とケンは近所の池に魚釣りに。

 みんはCreative Writingというクラスのプロジェクトのために、グループの仲間たちとシカゴのダウンタウンへ。ま〜やは部屋で…何をしているのやら。

 このCreative Writingというクラスは、てっきり小説とか詩を書くクラスかと思っていたら、何やら奇妙なプロジェクトを次から次へとアサインされ、どこがwritingのクラス?という感じ。たとえば、高さ5メートルから生卵を落としても割れないような装置を作る、とか、知らない人の家の前に励ましの言葉を添えたカードと花を置いてくる、とか。今日は何やら、シカゴでドッキリカメラみたいなことをするみたい。私にはこのクラスの意図が今いち分からない… 子どもたちは、「先生はクレイジーだ!」とか言いながらも、結構楽しそうにやっているが。

 ところで、全然話しが変わるけれど、数日前、みんといろいろ、信仰のこととかsocial justiceのこととか話していたら、彼女が「『地獄』って、punishment(罰)というよりむしろ、consequence(自分の選択がもたらす結果)なんじゃないかなぁ… だって、神様の恵みは、私たちがもはや罰を恐れないでいいようにしてくれたんでしょ? だったら、罰としての地獄って、違う気がする…」と言った。なんだか、鋭い洞察が含まれている気がする… なので、メモ。

kurikskuriks 2011/10/04 23:26 私は聖書のクラスで「地獄とは罰ではなく結果だ」と、習ったことがありましたが、その結論に自分で達したみんちゃんはすごいと思いました。なんでも答えを教えてもらうよりも、自分で結論づけられるような聖書観を持たせる教育って大事ですね。帰納法とも言うのでしょうか。

はちこはちこ 2011/10/05 08:07 くりちゃん、
おお、聖書のクラスでそう学んだのね! 英語の表現で、地獄のことをeternal damnationと言ったりするじゃない? だから、一般的には「罰としての地獄」のイメージが定着しちゃってるのかもね。今調べてみたら、聖書に出てくるeternal damnationはマルコ3:29のことで、地獄のことを指しているわけではなかったんだ。ふむふむ。

2011-10-01

女性集会

09:08 | 女性集会を含むブックマーク

 木曜日の晩は、うちの教会の婦人ミニストリー主催の女性集会があった。講師はJill Savage.初めて聞く名前だったけど、話しが少し長過ぎた以外は、とても良かった。長かったけど、最後まで集中して聴けたし。

 お話のタイトルは、"10 Ways to de-stress your life.(10のストレス撃退法)" 覚え書きとしてここにその10項目をメモしておこう。内容的には、バウンダリーズにかなり近いと思った。それを女性向けに言い換えた感じだったかも。

  1. Take a day off(お休みの日を取る)
  2. Increase margin(生活に余白を取る)
  3. Learn to say "NO"(「ノー」と言うことを学ぶ)
  4. Take care of your body(自分の体も大切にする)
  5. Expect interruptions(邪魔が入るのは当たり前と思う)
  6. Proactively refuel(自分の活力源になるものを、枯渇する前に満たす)
  7. Choose important over urgent(緊急のものより大切なものを選ぶ)
  8. Step away(ときには一歩退く)
  9. Ask for help with words(言葉で助けを求める)
  10. Talk to Jesus(イエスさまとお話する)

そして、メモしたことをいくつかこちらにもメモ。

  • "「ノー」と言うことを学ぶ"のところで、何にノーを言うかを決める目安として、"one major & one minor"と考えるといい。 つまり、自分がコミットする(責任をもって請け負う)ことは、一週間につき、一つの大きなことと一つの小さなことだけにする。大きなこととは、時間的にも労力的にも多くを要求されたり、長期間に渡って続く働きなど。たとえば、フルタイムで仕事をしているなら、それがもう「一つの大きなこと」に数えられるかもしれないし、PTAの役員だとか、イベントの実行委員とか、そういうことは「一つの大きなこと」と数える。「小さなこと」は、一回やれば終わりのこと。クッキーを焼いて学校に持っていくなど。
  • また、頼まれたときは、その場ですぐに「やります」と言わず、返事をするまでに最低二四時間は時間を取ること。(その場では忘れていたほかの用事などもあるかもしれないし。)
  • 自分はそれをすることが「できる」からという理由だけで請け負わず、自分はそれに「召されているのか」と考える。
  • "言葉で助けを求める"のところで、不機嫌になって足をドスドス踏みならしながらドアをばたんと閉めるのは、「疲れているんだから手伝って」と頼んでいることにはならない。
  • "自分の活力源になるものを、枯渇する前に満たす"のところで、自分の活力源とは、人によって異なるので、それが何であるかを知らないなら、まずそれを発見しよう。ある人にとっては「笑うこと」かもしれないし、別の人にとっては「編み物」、また別の人にとっては「人と会うこと」あるいは「一人きりになること」かもしれない。これをしたあとは気分がリフレッシュされて元気が出る、というものを、意識的に自分のスケジュールに組み込み、その時間を確保する。

 このお話そのものも分かりやすくて良かったのだけれど、行き帰りの道のり、友人と車の中で交わした会話も興味深かった。(この集会とはまったく関係ないこと。)そのことも、あとでちょっと書き留めるかも。

 

tomotomo 2011/10/01 23:26 全てのことをキリスト教で説明するわけでもないんだと分かり、
また少し、キリスト者に対する印象が和らぎました。
ありがとうございました。
お邪魔しました。
良い週末をお過ごしください。

ようこようこ 2011/10/02 01:15 とても気になってた話題です。ひとつの大きなことと小さなことかと考えながら、もし所属しているコミュニティで〔たとえば教会。会社。PTA。などなど〕多くの人私にとっての一つの大きなことを5つも6つもしてる場合。そういう時はNOってすっごくいいづらいんですよね。しか、も角を立てずになんてどうしたらいいんだろうって正に今悩んでます。しかもキャパシティが大きい人達には理解されなくてただの怠け者にうつっちゃうんですよね・・・・こういうのって区アメリカでは考えられないメンタリティなのかな・

はちこはちこ 2011/10/02 14:06 tomoさん、
私は、いわゆる「霊的(あるいはキリスト教的)」なことと「世俗的(secular)なこと、というようには、あまり厳密に分けて考えないんですよ。^^
天と地、霊と体、善と悪、といったように、二項対立的な考え方を「二元論」というそうですが、それはキリスト教のかなり初期の頃(ローマ帝国時代とか?)からギリシャ思想などの影響を受けてキリスト教に混入してきているそうです。「二元論」的な考えは、物事を白黒はっきりさせるので、議論としては分かりやすいのですけどね。
私の友人のクレオパさんという方が、数年前にご自身のブログでキリスト教への二元論の混入について、書いておられたことがあります。よろしければご覧ください。

http://amendoblog.blog137.fc2.com/blog-entry-47.html
http://amendoblog.blog137.fc2.com/blog-entry-48.html
http://amendoblog.blog137.fc2.com/blog-entry-50.html
http://amendoblog.blog137.fc2.com/blog-entry-52.html

そして同じくクレオパさんのこの記事、
http://amendoblog.blog137.fc2.com/blog-entry-247.html
そしてそこからリンクされている記事も、お時間があればぜひご覧下さい。私はこれらの記事に非常に共感する者です。

ようこさん、
「スーパーウーマン」のような人って、いますよね。人によっては、確かに「大きなこと」をいくつもこなせる人もいるでしょうが、キャパは人によって違いますよね。ノーと言うのは確かに難しいです。でも、こちらが誠実な思いで言っている「ノー」を受け入れられない人がいたら、それはその人の問題ですよね。次にようこさんが「ノー」と言わなくてはと思ったときに、それをサポートしてくれる人が周囲に現れますように、お祈りします。そしてようこさん、神様はようこさんのキャパも優先順位もご存知ですから、そこから外れるものにようこさんが「ノー」といっても、神様はようこさんを「怠け者」とは絶対に思われませんよ!それどころか、「わたしがあなたに任せたものを優先させていて、偉いぞ!」とほめてくださいますよ!

tomotomo 2011/10/02 15:06 はちこさん

ありがとうございます!
拝読しました。

(1)1元論と2元論を考えるとき、『1元論 VS 2元論』と考えてしまうと支障をきたす。
(2)『支障を来たすから、だからこそ、1元論なんだ』と結論されることが良くある。
(3)しかし、そのときの1元論には、知らずと、2元論が混入している。
(4)このとき選ばれた『1』は、2元論のどちらか一方になっていることがその証拠である。

という感じに理解しました。私もほぼ共感できました。

イエスって、ある種のバウンダリーなんだと思います。
バウンダリーは100%こっち側で、100%向こう側ですから。
バウンダリー上は、いかなる評価基準も無効にされるのでしょうね。
ようこさんとはちこさんの会話にのぼった、『キャパの大小』も無効にされる、と。
で、隣人同士はそれを挟んでお付き合いすれば、心配無用、と。。。

はちこさん、またまた、とても勉強になりました!!
ありがとうございました。本当に感謝しています。
ようこさんも、いいコメントありがとうございました。
良い週末をお過ごしください!!!

追伸: また丸数字を使ってしまい文字化けしてしまいました。
お手数ですが最初の投稿を削除して欲しいです。
すみません。よろしくお願いいたします。

はちこはちこ 2011/10/02 15:14 tomoさん
お役に立てたならよかったです。
正直に言うと、私にはtomoさんの考えておられることがほとんど理解できていない気がするのですが(ごめんなさい)
それでも、何かお役に立てているならよかったです。

tomotomo 2011/10/02 16:14 すみません。
私は時間について知りたくて気がついたら考え続けていました。
親切にしていただいて、ありがとうございました。

kurikskuriks 2011/10/04 23:31 これ、とってもいいですね。Jillさんのお話も聞きたかったくらいです。いつも読めるようにプリントアウトさせて頂きました。バウンダリーズに近いですね、確かに。また読み直そうかな。「自分はそれをすることが『できる』からという理由だけで請け負わず、自分はそれに『召されているのか』と考える」は耳に痛いです。熟考せずに安請け負いしがちなので・・・24時間、漬けてみようっと。

ようこようこ 2011/10/05 03:50 私も10このポイントをメモに書いて冷蔵庫に貼りました。

今色んなチャレンジがあって、自分の中を探られてる感じです。
こういうときってしんどいですね。

kuriksさんと同感で、召されているのかどうかって自分で考える時間を持つことって大切なんですね。私は多分、自分よりしっかりしてるクリスチャンから頼まれると、その人がもう私が適任と思ってるんだから、YESって言わない方が間違いなのかなぐらいに考えてました。お恥ずかしいです。

バウンダリーの再確認をしないとなって思ってるところです。自分のバウンダリーがどこにあるのか、良く分かるように本当に神様の知恵が必要です。

はちこはちこ 2011/10/05 08:19 くりちゃん、
そうなのよ、自分に「できる」のに「やらない」というのは、何だか申し訳ない気がしちゃうのよね。でも、神様から限られたリソースを任されているものとしては、できるからという理由だけで何でも請け負ってしまってはいけないよね。

ようこさん
メールもありがとうございます。 続けてお祈りしています。
この10項目のうち、まずはできるものから実行していくと、だんだんと気持ち的にも実際的にもゆとりが生まれてくるかもしれないですね。たとえば「自分の体を大切にする」では、睡眠時間の確保、栄養バランスのとれた食事、毎日水をたっぷり飲む、といったことが挙げられていました。それから「活力源」。私もこれ、意識的に考えるべきだなぁと思わされました。私の場合、忙しかったりすると、自分が楽しむための時間をとることに罪悪感を覚えて、結局何をするでもなく、かといって特別自分のリフレッシュになっているわけでもないままに、いつの間にか過ぎてしまう時間が結構あって… お互い、祈り合っていきましょう!

tomotomo 2011/10/06 21:13 kuriksさんが『バウンダリーズ』と複数形にされていたのがふいに気になり、
Web検索してみたところ、はちこさんの翻訳本が出てきて驚いきました。
いつか手にとってみたいと思いました。

はちこはちこ 2011/10/07 11:49 tomoさん、
このページの左側にズラズラ並んでいる本は、どれも私が翻訳したものです。機会がありましたら、ぜひご覧になってみてください。tomoさんにもしお子さんがいらっしゃるなら、『聖書に学ぶ子育てコーチング』は特にお薦めです。子育てだけでなく、バウンダリーズの入門書としても、分かりやすい本です。