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God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2011-11-27

デイブ・ドラベッキー

17:15 | デイブ・ドラベッキーを含むブックマーク

 今日は、うちの教会にデイブ・ドラベッキー(Dave Dravecky)という1980年代にSDパドレスやSFジャイアンツで活躍した元投手が来た。彼は1988年に利き腕が癌になり、一回めの手術後、奇跡がなければ復帰は不可能と医師に言われながらも、翌年復帰してチームを勝利に導いた。ところがその5日後、試合中、球を投げた瞬間に利き腕を骨折、マウンドに倒れた。そのままプロ野球を引退し、何度か手術を受けたが、結局、左肩から切断。その後、夫婦で鬱になり…

 彼の証はとてもリアルだった。証というのは、めでたしめでたしで終わる美しい話のことではないなぁと、最近つくづく思う。いや、もちろん、すごいんです。神様、すごいです。ただ、私たちが思うすごさを超越しているというか… うまく言葉にまとめられないので、今日はこれで。(多分あとで加筆します。)

 検索したら、デイブ・ドラベッキーに関する日本語のブログが見つかったので、リンクします。

 それから、英語ですが彼の動画もありました。

D

追記:加筆しようと思ったのですが、「いのちのことば誌」用の原稿に、ドラベッキーのことを書いてしまったので、ブログではここまでに…

コメント欄にも書いたのですが、ドラベッキー夫妻は、うつになったとき、ジョン・タウンゼント博士のもとで1年半にわたってカウンセリングを受けたのだそうです。タウンゼント博士に大いに助けられたと言っていました。

また、ご夫妻の現在のミニストリーをリンクします。

===

いのちのことば誌に掲載したドラベッキーに関する文章を、ここにも転載します。

先日教会に、デイブ・ドラベッキーという一九八〇年代に米大リーグのサンディエゴ・パドレスやサンフランシスコ・ジャイアンツで活躍した元投手が来た。

彼はプロ野球選手としてのキャリアが最高潮にあった一九八八年、利き腕である左腕ががんに冒された。三角筋の半分を除去し、奇蹟が起こらないかぎり再びボールを投げることは不可能と医師に言われながらも、翌年復帰してチームを勝利に導いた。その勝利戦のあと、数百人の記者団を前に会見。ドラベッキーは何よりもまず、自分の復帰は神の奇蹟の業以外の何ものでもないことを宣言し、公然と主を誉めたたえた。

ところがその五日後、復帰後第二戦目の試合中に思いがけないことが起こった。六回裏、球を投げた瞬間に、彼の左腕が折れたのだ。骨折の音はスタンドまで聞こえたという。ドラベッキーは衆人環視の中、マウンドに倒れこんだ。奇蹟の復帰を遂げたと思ったのもつかの間、がんの再発によってそのまま引退になった。数度にわたる手術と放射線治療を試みたものの、彼の腕はもはやどうにもならないところまで病が進行しており、結局左肩からの切断となった。

引退会見に集まった記者たちは、最初はみな沈黙していた。しかし、ついに一人の記者が沈黙を破った。

「それで、デイブ、あなたの神はどこへ行ったのですか?」

ドラベッキーは、自分の胸を指してこう答えた。「私の神は、どこへも行っていません。今もここにおられます」彼は内心、「その質問をしてくれてありがとう!」と思ったのだそうだ。そして、彼の神への信頼は揺らいでいないことを、はっきりと語った。翌日のサンフランシスコの新聞の一面にはその会見が大々的に取り上げられ、そこではドラベッキーがヨブになぞらえられていた。

*    *    *

しかしながら、彼の戦いは引退してからが本番だった。投手だった彼が失ったのは腕だけでなく、アイデンティティーも失われた。妻に対してことばの暴力をふるうようになり、夫婦仲は悪化の一途をたどった。そして、答えの見つからない問い、出口の見えないトンネルの中で、夫婦そろってうつになった。

絶望の中で身動きが取れなくなっていたとき、二人は知人の紹介でジョン・タウンゼント博士(『境界線』〔地引網出版〕の共著者である臨床心理学者)のもとでカウンセリングを受けるようになった。一年半にわたるカウンセリングと抗うつ剤の投与、そして周囲の人たちの熱い祈りと支援によって、二人は徐々に立ち直っていった。うつになってから五年以上が経っていた。

今、ドラベッキー夫妻は、様々な苦しみの中にある人たちを励まし支えるための非営利団体「エンデュアランス」(http://www.endurance.org/)を設立し、支援グループを運営している人たちの支援や、資料の提供、そして全国で講演活動などをしている。

……と書くと、いかにも「めでたし、めでたし」だが、ここに至るまでの痛みや苦しみはどれほどだったろうかと思うと、想像するだけで身が震える。

特に、 神の癒しの御業を公に誉めたたえ、すべてのご栄光を主に帰した直後のがんの再発。ドラベッキーはどんな思いだったことか。いっそ、最初に発病した時点で、そのまま引退になっていたほうがましだったとは思わなかっただろうか。堂々と主を証しした直後に、まるでサタンがあざけるかのように、皆の見ている前でその「証」が引き抜かれ、打ち砕かれたのだから。

しかし、神のご計画は肉体の癒しよりも、キャリア復帰よりも大きかった。良い働きをしているキリスト者のスポーツ選手が大勢いる中で、なぜ神はドラベッキーをこのような形で用いることにしたのか。私にはわからない。ただ、私は最近よく思うのだ。一般に考えられている「理想像」とかいうものは、私たちの願望を反映しているに過ぎないのだろうと。神に召された生き方とは、傍目から見ていかにも「理想的」な人生だとは限らない。ホセアは姦淫の女を妻にした。エゼキエルの妻は一撃で取り去られた。彼らは預言者だから別格かもしれないが、それでも、人の目にはいかにも悲惨な人生であっても、悲惨な人生だからこそ、私たちが主とともにそれを生き抜くとき、そこに現される主のご栄光と御業があるのだと思う。

ドラベッキーがアイデンティティー喪失と夫婦関係の危機とうつの中にあったとき、それはどう見ても美しい光景ではなかっただろう。でも、ドラベッキー自身が証ししたように、主は彼らとともにおられた。「私の神は、どこへも行っていません。今もここにおられます」

nao-LKnao-LK 2011/11/28 22:04 はちこさん
お分かち合い、ありがとうございます。
日本語のブログを読みました。

彼の言葉が胸に響きました。
「どんなものにも、必ず答えがあると思っていた。今の私には、答えのない疑問もあることが分かっている。以前は自分に必要なことばかり考えていたが、今は他者への思いやりを学びつつある。自分の力だけで生きていけると思っていたが、今は神の力を信じている」

あることで答えが見つからずにいましたが、彼の言葉によって方向性が見えてきたように思います。

ありがとうございました。

山本直樹山本直樹 2011/11/29 03:37 日本の死生学の創始者と言ってもよい上智大学名誉教授のアルフォンス-デーケン
神父のインタビュー記事です。全く同じことを述べていますね。
フランスの実存哲学者・ガブリエル マルセルの講義を聴いた時は、もの凄く印 象に残ったのは、「問題」と「神秘」ですね。フランス語で、「問題」は「problème」、「神秘」は「mystère」。英語も、「probleme」と「mystery」という区別 がありますけども、それは私のいろんな今までの問いに対する鍵のようになった んですね。「問題」ということは、これは私たちは客観的に見て、「how to」で、 問題を解決出来るんですね。例えば医者は、もし患者がガンになって、どのガン で、どの手術をやって、どの薬で治すことが出来るか。これは問題解決のレベル ですね。けれども、私は今まで体験したことは、例えば治らない患者ですね、例 えば妹である、或いはこの一緒に過ごした患者、或いは例えば悪という戦争とか、 殺すこととか、或いは勿論聖書の愛とか、出会いとか、単なる問題のレベルじゃ なくて、もっと深い次元がある。これはマルセルによれば、それは神秘のレベル ですね。私たちは完全に理解出来ないんですけども、そういうこともあるという こと。「問題」は知識です。知識によってhow toで解決出来るということですね。 しかし「神秘」ということは、やっぱり違う態度が必要ですね。例えば「驚き」 とか、昔からギリシャ人も、「驚きは哲学の初めなり」という有名な文章がありま す。「驚き」とか、そして「畏敬の念」、そして、「謙遜に自分の限界を認める態度」 ですね。自分でコントロール出来ないでしょう。最後の段階で患者は死ぬんです ね。もう医者もそれはコントロールできないんですね。「自分の限界を謙虚に認め る」という基本的な態度は、「神秘に対して大切だ」と、マルセルは強調したんで すね。私はその講義を聴いてから、ほんとに今までずーっと理解出来なかった問 いに対する大切な答えになった感じでしたね。

nao-LKnao-LK 2011/11/29 15:59 山本直樹さま

ありがとうございます。

「問題」と「神秘」
「驚き」「畏敬の念」「謙遜に自分の限界を認める態度」
例えも、重なることがあり、理解の助けとなりました。

「問題」を前に、答えを見つけ出そうとするとき、自分の枠の中で傲慢にも答えが見つかると考え続けていることに気付かされます。
でもそれが、「神秘」、つまり神様の領域であるならば、「自分の限界を謙虚に認める」態度で、祈って、委ねて、今を懸命に生きることが大事なのだ、と心が落ち着きました。

先日、佐藤初女さんという方の講演会に行ったのですが、「悩んだ時には、グルグル考えず、手を動かします。それも、普段は手がかかり過ぎてできないようなことを。」と仰られていました。

その事とつながりました。

助けとなりました。ありがとうございます。

はちこはちこ 2011/11/29 19:18 nao-LKさん、山本先生
洞察にあふれたコメントをどうもありがとうございます!
単に解決すべき問題があるというだけでなく、そこにある「神秘」の次元。神の領域があると認めること…

私は今日、クラウド&タウンゼント博士がよく言っている、私たちは無力だけれど無力ではない、ということに思いをめぐらせていました。問題解決という次元においては、私たちには何らかの形で問題に立ち向かう力がある(たとえそれが、「助けを求める」といったことでも)、でも神の領域のことについては、私たちは無力で、へりくだって主に委ねるしかない… 「隠されていることは主のもの」という御言葉を思い出します。

そういえば、ドラベッキー夫妻は、うつになったとき、夫婦でジョン・タウンゼント博士のもとで1年半にわたってカウンセリングを受けたのだそうです。

浩子浩子 2011/11/30 00:57 神はその力をただ弱さのもとに、知恵を愚かさのもとに、義を罪のもとに、憐れみを怒りのもとにのみ隠したもう。
隠したる神は、私たちに信仰のみを求めたる愛の神です。

あるところで聞いた言葉です。
創世記のヨセフが兄弟に向かって「あなた方は私に悪を図りましたが
神はそれを善いことの計らいとなさいました」という言葉と共に、
神様からフェイントをかけられたかのような気持ちになっていた私に
また立ち返ることができるきっかけをくださいました。
最終的にはイザヤ55−9〜11をもう一度じっくり味わっているところです。

はちこはちこ 2011/11/30 08:35 浩子さん、
イザヤ書55章… このブログを「ミルトスの木かげで」としたのも、イザヤ55章からでした。
私たちの思いをはるかに超えたお方… そのお方のことばは、必ずご自身の望むことを成し遂げ、成功させる… だから私たちは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行くことができるのですね。 そのことの記念がミルトス。

ドラベッキー夫妻のミニストリーのウェブサイトを見ていて、なんというか、とても心を打たれました。彼らのミニストリーは、徹頭徹尾、「寄り添う」ことなんですね… これは、サクセスストーリーの中から生まれるミニストリーではない… 主は、彼らをこのように用いるために、あのようなところを通らせ、そうやって彼らを整えたのか…と。
主を信じて、信頼して、痛みの中にある人、またその支援者たちに寄り添うこと… 私にとっても新たなチャレンジとなりました。

浩子浩子 2011/11/30 18:17 御言葉の成就ということにおいて、これは神様の領域のことであるのに、
信じるという名のもとにいつの間にかその御言葉を自分が操作しようとして
しまっていたことに気が付かされました。
主に信頼するとは、自分が思い描き願うシナリオに基づいて信頼することではないのだということを知っていたはずなのに、単に知っているということと実感として心の底に落ちることとはまるで違うものだと改めて思わされます。
御言葉を握らされ信じて祈るプロセスの中で、自分の分をわきまえる知恵と謙遜を求めつつ、先走りせず主の歩幅に合わせてついていくことの大切さを教えてくださったような気がしています。
徹頭徹尾『寄り添う』ために必要な生半可ではない試練・・・
サクセスストーリーから生まれるミニストリーではないからこそ、固く閉ざされた心にも風穴があくのかもしれない・・そんな風に感じました。

はちこはちこ 2011/11/30 18:23 御言葉の成就は、いつどのような形でなされるのか、私たちには知らされていないのですよね。私たちが生きている間には見ないかもしれないし、あるいはすでに成就されているのに、私たちの目が節穴でそれに気づいていないということもあるかもしれない…
本当に、信じるとは、「強い」信仰とは、信仰の名のもとに神様を操作することではないよね。「自分の分をわきまえる知恵と謙遜を求めつつ、先走りせず主の歩幅に合わせてついていくことの大切さ」、本当に、本当にその通り…
いつも分かち合いありがとう!!

kanahakanaha 2011/12/01 08:39 浩子さんとはちこさんのコメントを読みながら、「わたしの信仰は大丈夫か?」と考えてしまいました。
お二人とも本当に真摯な態度で主に向かっているのだな〜と。
このところ(数年かな)ちょっとした停滞期に入っている気がしています。
救われた時のような情熱は薄れ、もちろん主から離れることはない確信はあるけれど、ただ主だけを見ていないように思うことがあります。
神様の領域…これも本当に頭では理解しているけれど、自分の願い(欲?)もあって、判断に迷う時もありますね。
お二人のコメントから、今一度心を新たにしたいな〜と思わされました。
ドラベッキー夫妻の証は凄過ぎて…
人間として通らされた道は厳しいなあ〜と思ってしまった俗人です。

はちこはちこ 2011/12/01 18:10 kanahaさん、
主との歩みの中にも、いろんなシーズンがあるよね。いつもいつも情熱的とは限らず、信仰の形も変わっていくのかなと思います。また、外から見える形で変化・成長していなくても、地面の下では根を広げていることもあるって言いますよね。停滞期に見えるときになされる神様の御業というのも、あると思います!

2011-11-26

感謝祭

09:40 | 感謝祭を含むブックマーク

 木曜日は感謝祭でした。去年に引き続き、今年もプライベートな集まりをしました。夫のラボの中国人の学生二人と、そのボーイフレンド(ノースウェスタン大学の物理学専攻の中国人)と、ガールフレンド(シカゴ大学の東アジア研究専攻の中国人)、それから、同じ学科の別の先生のラボの中国人の学生二人、インディアナのパーデュー大学で原子力工学専攻の日本人の学生一人、シカゴ郊外の日本人のお友達(masaさん)とその婚約者の方(日本から訪問中のakiさん)、加えてみんの友達二人(ベトナム人とメキシコ人)。うちの家族5人も合わせて総勢16人でした。

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学生たちと、キッチンで歓談中。

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焼き上がったターキー。オーブンバッグに入れて焼いたので、焼き上がりの時間は少し短めです。今年は20パウンド(9キロ)のターキー。

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焼き上がったターキーを切り分けるぼぼるパパ。

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こちらのテーブルに乗りきらなかった料理は、隣のテーブルにも。

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 料理のメニューは、例年とほぼ同じですが、記録のために書きますと…

  • ターキー(20パウンド)今年は、前の晩からbrineに漬け込んでから焼くというのを試しました。Citrus Turkey Brine
  • ホームメイドグレイビー(レシピ
  • スタッフィング二種(クランベリーアップル&マッシュルーム)
  • マッシュポテト二種(チーズ入り&普通の)
  • Praline Sweet potatoes(レシピ
  • 白菜の中華風サラダ(丸ごと一個使いました!)
  • ハム
  • フレッシュクランベリーレリッシュ(レシピ
  • グリーンビーンズキャセロール
  • ちらし寿司

デザート

  • masaさんが持ってきてくださったガトーショコラ
  • パンプキンパイ
  • チョコレートクルミパイ
  • パンプキンスクエア

 食事の前に、まずぼぼるパパが「感謝を捧げること」が健康にも良いことを証明した科学的な研究(参考記事)についていくつか紹介したあとで、皆で一言ずつ、感謝していることを述べ合い、ぼぼるパパが食前の感謝のお祈りをした。

 私にとっては滅多にない学生さんたちとの語り合いのときで、とても楽しかった。どの子も、しっかりしたとてもいい子たち! 皆さんにお祈りいただいた件も、少し話しをして、皆の様子を聞くことができて感謝だった。(お祈りくださった皆さん、ありがとうございます!)

 今年は、masaさんとakiさんが昼過ぎに来てくださったので、akiさんにいろいろお手伝いしていただきました。感謝!!

kanahakanaha 2011/11/27 03:48 写真のアップ待ってましたよ〜。
やはり大勢で食事するのは良いな〜と思いました。
お料理、本当に美味しそうだ〜。
「感謝祭」はアメリカ人でなくても、私たちには感謝する方がいるからこの機会に集って食事も良いかもしれないな〜と思いました。
今日のメッセージが「感謝」についてだったから尚更。
娘もNYの友人宅で有意義な感謝祭を過ごしたようでした。
次のビッグイベントはクリスマスかな?
もう準備が始まりますね〜!
最近、月日の経つのが早くて…(年齢のせいなのか?笑)

はちこはちこ 2011/11/28 08:55 大勢で集まって食事するのは楽しいよね。
意識して、とくに感謝する時を持つのは、いいことだよね。
お嬢さんもよい感謝祭を過ごせてよかった。
うちのエミは、クリスマスには戻らないけれど、1月の学期が終わったあとの休みに、1週間帰ってくることになりました。ばんざい!

kayokayo 2011/11/30 00:58 あぁ、何て素敵!(←日本語で書くと、何だか文章として成り立っているのか不安になる表現ですが…)
いつか、はちこさんちでのサンクスギビングディナーに参加したいです。願い続けていたら、いつか叶うような気がするので、思い続けていよう〜。

はちこはちこ 2011/11/30 12:24 kayoさん、
シカゴに来てくださったら、感謝祭と言わず、いつでもターキー焼きますよ〜! 来て〜。いっくん、にこちゃんにも会いたい!

2011-11-21

ブライアン・バリントン

20:40 | ブライアン・バリントンを含むブックマーク

 私はスポーツのことはとにかく疎いのですが、広島カープの投手、ブライアン・バリントンが、うちの教会の教会員だということを、しばらく前に知りました。ウィキペディアで調べたところ、昨年の暮れに契約し、今年から日本でプレイし始めたようですね。

 この話を聞いたときは「へえ!」と思ったものの、その後すっかり忘れていたら、昨日、そのバリントン投手の奥さんのローレンから、フェイスブック経由でメッセージが来て、びっくり仰天。「私も同じ教会に行っているんだけど、夫が広島でプロ野球をやってるので、一年の半分は日本なのよ。よろしくね」と。それで何度かメッセージのやり取りをしたところ、彼女たちは日本がとても気に入って、日本にいる間にキリストのために日本の人たちに届いていけたらと願い、その方法を祈っているのだと言う。感激!

 バリントン家族は今はこちらに戻って来ていて、2月にまた日本に行くらしい。こちらに戻っている間は何をしているのかな。きっと毎日トレーニングしているんだろうな。1月にシカゴJCFNでお餅パーティーをするとき、バリントン家族も誘ってみようかしら。バリントン投手の野球選手としての活躍を祈り、また主のしもべとして、日本でも豊かに用いられますようにと祈ります。

お祈りのお願い

20:50 | お祈りのお願いを含むブックマーク

 この週末、ぼぼるパパの学科の別の研究室の大学院生が、ラボで自分のいのちを断つという悲しい事件がありました。今日はそれで、学科の教授たちと院生たちが全員集まって、簡単な事情説明があったそうです。もちろんみんな大変なショックを受けているでしょうが、特に、亡くなった院生のラボメイト(第一発見者だったのかどうかはわかりませんが…)が受けているに違いない衝撃は、計り知れません。私が彼の立場だったらと思うと、もう自分の研究など手につかなくなってしまうと思います…

 導かれる方がおられましたら、この学生を始めとするこの学科の学生たちのために、またご遺族のために、指導教官だった先生のために、お祈りに覚えていただけたら幸いです。

 今週の感謝祭には、ぼぼるパパの研究室の学生たちがうちに来ます。どういう展開になるか想像もつかないですが、私も祈って備えようと思います。おそらくはショックや痛みや悲しみを抱えてくるであろう学生たちに、私たちが主の愛とケアをもってministerできますように…

まあさまあさ 2011/11/22 01:30 そのお子さんがどのような状況にあったのかわかりませんが、今ははちこさんと旦那様、そして、ラボのみなさんの平安を祈ります。すべてを神様が益としてくださることを信じて…。

TomokoTomoko 2011/11/22 04:37 なんて悲しい出来事でしょう!お祈りしています。私は大大親友を彼女の自殺によって失った、という経験をしています。高校卒業までに同級生を2人、20代で彼女を含めて2に人、同じ理由で失っています。

感謝祭ではちこさんとぼぼるパパを通して主の恵みと愛が伝わりますように。

はちこはちこ 2011/11/22 19:44 まあささん、
ありがとうございます。私たちも状況はまったく分からないのですが、親御さんがどんな思いでおられるかと思うと…  本当にお祈り感謝します。

Tomoko,
お友達を4人も… 何と言っていいのか、言葉もでません… 親しい人や身近な人のこういう死は、本当にいたたまれないよね…
学科の学生5人来るはずだったのが、もう一人増えて6人来ることになりました。 彼らには、研究に関することなら夫が、それ以外のことでは、私でよければいつでも相談に乗るから、と言おうかなと思っています… 留学生だから、寂しい思いをすることもあるだろうし… お祈りありがとうね。

旧ジャージー旧ジャージー 2011/11/23 08:33 はちこさん
今年、私の行っている教会の教会員が自死しました
家族も皆教会員なんですが、
自死は、家族一人一人に
本当に深い悲しみと心の闇を与えてしまっています
ぼぼるぱぱの身近で起きた事件のことお祈りしました
親御さんはじめ、周りの人一人一人に
主の慰めと励ましがありますように

広島の選手、どんな選手か調べたくなりました

はちこはちこ 2011/11/23 10:08 旧ジャージーさん、
お祈りありがとうございます。旧ジャージーさんの教会の方の残されたご家族のために私もお祈りします。

残されたご家族のためにも祈るに加え、今、生き続ける気力を失いかけている人たちのために、私には何ができるのだろうかと問われています…

ようこようこ 2011/11/25 02:38 いつもお祈りいただいてありがとございます。このことに関わり、胸を痛めてるかたがたを覚えてお祈りしています。自分の留学生時代を思い出しています。学期松そしてこれから家族で集まる行事が多いアメリカですよね。留学生だとそれに加えて自国とは違う行事やその祝い方で余計に郷愁にかられたり一段と寂しさが増す時期でもありますよね。お祈りしています。

旧ジャージー旧ジャージー 2011/11/25 08:26 はちこさん
お祈りありがとうございます<(_ _)>

はちこはちこ 2011/11/25 10:24 ようこさん、
お祈りありがとうございました。昨日は、祝されたひとときを持つことができました。中国人の学生たちだったのですが、留学生だからこその中国人同士の結束が固そうなのを見ることができて、感謝でした。

旧ジャージーさん,
私の周囲にもほかにも遺族の方々がおられるので、共に覚えつつ祈っています。

2011-11-20

Cannonball

20:30 | Cannonballを含むブックマーク

 先日、うちの教会で会堂を増築し、宣教活動を拡大するための計画が始まっている話をした。(こちら

 つまり、大々的な献金キャンペーンを行なっているということでもある。うちの教会では、過去に三回大きな献金キャンペーンを行なったらしい。一回めが1997年。二回めが2004年。三回めが2008年。私たち家族は、2005年の11月ごろからこの教会に集い始めたので、キャンペーンは今回で二度めになる。

 97年のキャンペーンのときは、教会員数330人。100万ドルが集まり、現在の教会堂の土地を購入し、そこに新会堂を建てた。かなり大々的なキャンペーンで、反対して教会を去った人たちも少なからずいたらしい。しかし、このときの会堂移転を契機に、教会はどんどん成長した。2005年暮れの私たちが集い始めた頃で2500人、現在は6000人だ。受洗者は、この3年で2000人以上。

 97年のキャンペーンのとき、「自分たちの教会を大きくすることばかり考えず、集まった100万ドルは他のミニストリーやニーズのために献金してはどうか?」という声も上がったらしい。実際、集まった額の一部は宣教に回したそうだ。私も、自分たちの働きのことばかりでなく、他の人たちのニーズを優先させては?…と考えていたのだけれど、パスターは興味深いことを言った。

 あのとき集まった100万ドルをもとに、教会を移転し、ミニストリーを拡大したおかげで、現在では、毎年100万ドル以上を各種宣教のために献金できるようになった、と。もしあのとき、集まったお金を全額献金していたら、100万ドルを一回献金して終わりだっただろうが、ミニストリー拡大にまわしたおかげで、今では毎年100万ドル献金できるようになったのだ、と。これには考えさせられた。タラントのたとえやミナのたとえを思い出した。与えられたものを賢く用いることで、ますます与えられ、ますます御国のための働きが進む… お金でも、才能でも、機会でも、なんでもそうなんだろうな… そしてこれは、いわゆる「繁栄の神学」とは全然違う。

 うちの教会はチャーチプランティング(教会開拓?)に重荷があり、地元シカゴはもちろん、アメリカ各地、そしてアフリカや南米など、世界各地にも教会を建てる手伝いをしている。(こちら)また、発展途上国に学校を建てたり、人身売買で奴隷や売春に売られた子どもたちを助けて避難させるための「セーフハウス」の建築・運営も経済的に援助している。恐ろしいことに、シカゴも全米2位の規模で人身売買が行なわれているそうで、今回のキャンペーンで集まった献金の一部は、シカゴにセーフハウスを建築するためにも用いられるそうだ。

 うちの教会内のミニストリーやプログラム充実や会堂増築のためだけの献金でないというのが、いいなぁと思う。ちなみに、うちの教会の建物って、外装も内装もとてもシンプルだ。メガチャーチと言うと、建物を見ただけで「うわぁ…」とため息のでるような立派な会堂を持っているところが少なくないけれど、うちの教会はいたってシンプル。友達を連れてきても、メガチャーチを見慣れている人だと、「ふうん」という感じで、特に感動も何もない。(笑)でも私は、機能的で快適だけれど、余計な装飾にはお金をかけていない、このあっさりした会堂が好きだ。(笑)

 今回のキャンペーンの目標額は、2900万ドル。日本円にすると、22億円以上… しかも、この不況の折り… 先週、教会のスタッフたち、役員たち、長老たち、信徒リーダーたちによるアドバンスコミットメント(他メンバーより一足先に、次の2年間にいくら献金しますと約束すること)があり、約180家族が参加し、すでに510万ドル(4億円弱)が約束されたそうだ。これは決して、みんなお金持ちだからというわけではないと思う。そうではなくて、みんな神様の御業が見たいだけなんだ。

CANNONBALL: All In and Making Waves! from Parkview Christian Church on Vimeo.

2011-11-19

白菜、女子会、他

09:47 | 白菜、女子会、他を含むブックマーク

 最近、何をどこまでブログに書いているか、自分でも忘れてしまっている。先週の土曜日、Hマートという韓国系スーパーに行って、NJのかきごおり先生お薦めの「白菜の箱買い」をしてきた。今はキムチの仕込みの時期らしく、白菜10個入りの箱がとても安く買える。私が買ったときは、一箱$4.99だった。大きな白菜10個が約400円ですよ!バラ売りだと、1個で4〜5ドルだったのに。

 白菜は冷蔵庫に入れなくても、ひとつずつ新聞紙にくるみ、立てて冷暗所で保存すれば、そのまま2〜3ヶ月でも持つらしい。

 私は白菜大好きだし、白菜料理のレパートリーもいろいろあるつもりなので、土曜日以来、毎日のように白菜を使っている。白菜とツナの煮込み、白菜のカレー、白菜の中華風サラダ、白菜の浅漬け、白菜とミートボールのトマト煮込み… ほかにも、鍋や白菜と豚肉の重ね煮、ロール白菜、白菜のクリーム煮、白菜の和風煮物、白菜とひき肉の中華風炒め物、白菜の油菜など、いろいろ思いつく。ミネストローネに入れても美味しいし、白菜とベーコンのスープも簡単でいい。

 それでも、さすがに子供たちからは「今日は白菜じゃないものが食べたい」と文句が出始めた。(笑)いくら日持ちすると言っても、10コもあるのだし、いくつかは近所の方にお裾分けした。みんも自分で、白菜をもらってくれる友達(ベトナム人)を見つけて1コあげていた。誤算(?)だったのは、私がHマートに行った日に、この町に住むもう一人の日本人の奥さんもHマートに行って白菜を買っていたらしく、その方にはお裾分けできなかったこと。それどころか、私がお裾分けしたもう一人の日本人の奥さんも、実は私からもらう前に、すでにその奥さんからお裾分けしてもらっていたらしい。(笑)

 昨日は、その奥さんが、「お二人から白菜をいただいて、キャベツの出番がなくなってしなってきたので、お好み焼きパーティーをしてキャベツを使ってしまおうと思うの」と、ランチのお誘いがきた。そこで私は白菜の浅漬けをお土産に持って(「また白菜でごめんね」と言いつつ…)行ってきた。午前11時から子供たちが帰ってくる午後3時まで、日本語でめいっぱいおしゃべり。楽しかった〜!お互いに面白い話をたくさんして、3人で涙が出るほど笑い転げた。

 さて、来週の木曜日は感謝祭。今年は夫の研究室の学生たちと、私(&夫)の友人数名、みんの友達二人の総勢15人のディナーの予定。そろそろディナーのメニューを確定して、買い物を始めなければ。

 

2011-11-14

ケンの近況

09:26 | ケンの近況を含むブックマーク

 先日、ケンがちょっとしたケガをした。ナーフガンの改造に使った工具をソファの上に置きっぱなしにし、その上に座ってしまい太もものあたりを引っ掻いてしまったのだ。引っ掻き傷なのだが、ミミズ腫れのような可愛いものではなく、軽くえぐるような感じで、長さは8センチくらい、幅は太いところで3ミリくらいだった。幸い、深くはなかったようで、出血もそれほどひどくはなく、縫うほどのものではないと判断し、自宅で処置。

 以前、山本先生が創傷には湿潤療法がいいとおっしゃっていたのを思い出し、ドラッグストアで湿潤療法用のフィルムタイプの絆創膏を買って来た。ただ、あとからちゃんと調べたら、湿潤療法は水洗いだけして、消毒はしないのがポイントらしいのに、私は普段のくせで、まっ先にマキロンのような薬をシュッシュとしてしまった。(汗)今のところ化膿する様子もなく、良好に(?)浸出液が出ているみたい。本人も全然痛がっていない。湿潤療法、はまりそう。

 

 ケンの話題、もうひとつ。昨日、夕方薄暗くなってからからおもむろに外に出たケン。何かと思ったら、長さ1mくらいの細いけれど頑丈な枝を見つけてきた。そして、糸のこで両端を切り落として長さを調節し、ナイフで皮をはぎ、たこ糸を張って、弓を作っていた。矢は、紙を細長くピッチリ巻いて、コインで重りをつけたもの。なかなかそれらしいものが完成。矢筒も作っていた。まぁ、本当に次から次へといろんなものを作るよ、この子は。

 でも、さっき彼の部屋を見たら、カーペットの上に剥いだ木の皮が山積みになっていて衝撃を受けた。下に新聞紙も敷かずに。こういう作業は寝室でやらないでほしい… 糸のこで切るのは土間でやっていたから皮はぎ作業もてっきりそこでやって、自分で片付けたのかと思っていたら… 学校から帰ってきたら掃除機かけさせよう。

ま〜やの近況:受洗

16:25 | ま〜やの近況:受洗を含むブックマーク

 ま〜やは、高校生になって演劇部とスピーチ部に入った。スピーチ部は弁論部のようなものだろうけれど、何やら独特のフォーマットがある様子。スピーチのカテゴリーもいろいろあって、いわゆる演説風のスピーチ(オラトリー)、相手を説得するためのスピーチ、コメディ、詩の朗読、ラジオスピーキング(ラジオのアナウンサーのような話し方をする)、ペアをつくって掛け合い(コントか?)などなど。まずは年度の最初に顧問の先生からカテゴリーを言い渡され、そのカテゴリーのルールにそった原稿を作る。(ま〜やはオラトリー。)それから、それを所定時間以内に語る練習。語り方にいろいろルールやポイントがあるらしい。顧問の先生以外にも、複数のコーチがいる。そして、毎週末、持ち回りでどこかの高校に集まって、カテゴリーごとに生徒たちが自分のスピーチを3ラウンドにわたって披露し(つまり、同じスピーチを3回する)、ジャッジにより特定の基準にのっとって採点され、3回の得点を足して順位を争う。

 毎週同じスピーチを3回ずつするなんて、飽きそうだし、何が面白いんだろう?と思うのだけれど、ま〜やはものすごく楽しんでいる。「パーティーとか、遊びみたいな楽しさじゃないけど、すごく楽しい!」と喜んでいる。エミもみんもやっていたけれど、確かに彼女たちも楽しんでいた。よその高校の生徒たちとも回を重ねるごとに親しくなって、交友の幅が広がるのも楽しいらしい。

 私にはよくわからないけれど、ま〜やとみんがスピーチの話題で盛り上がっているのを見ると、私も嬉しくなる。先週の土曜日のスピーチトーナメントでは、ま〜やは自分のカテゴリーで2位につけ、トロフィーをもらってきた。ま〜やの親友のジェイドもスピーチをやっていて、彼女のカテゴリーはコメディ。先々週末に、ジェイドがうちに泊まりにきたとき、みんとみんの親友のナンシーが二人のスピーチを指導してあげていた。そしたら先週はま〜やもジェイドもそれぞれのカテゴリーで2位で、トーナメント後、ジェイドはうちに来たのだけれど、ま〜やよりも先に二階にかけあがり、「みほ〜、私もま〜やも二位だったよ〜!」と報告。みんも「キャー!」と歓声をあげて大喜び。なんだかほのぼのしてしまった。


 そうそう、ついでみたいに書くのもアレなんだけど、先週の日曜日、ま〜やとジェイドは揃って洗礼を受けました。ハレルヤ!! 

 2年前、ケンが受洗したときは「私はまだ」と頑なに(?)拒んでいたま〜やだったけれど、今回は自分から「受ける」と決心。イエス様のことはすでに救い主として受け入れていたけれど、公の場で告白するのが恥ずかしかった(?)らしく、ギリギリまで躊躇していたけれど、ついに決心してくれて私も嬉しかった。驚いたのは、ジェイドも一緒に受けると言い出したこと。彼女はカトリックで幼児洗礼を受けているそうだけれど、うちの教会が好きで、最近ちょくちょく来るようになっていた。パスターのその日のメッセージと、洗礼の説明を聞いて、自分も受けたいと思ったようだった。正直言って、私は、あとからジェイドのお父さんに文句言われたらどうしよう?と思ってしまった。「うちはカトリックなのに、未成年を勝手にプロテスタント教会で洗礼を受けさせるなんて!」と言われたら…と。ぼぼるパパにそう言うと、「もしそうなれば、俺が話しをするから」と言ってくれたので、止めなかった。その後、ジェイドはお父さんに言ったのかどうかわからないけれど、今のところ文句は言われていない。

 受洗の様子をぼぼるパパがビデオに収めてくれたけど、ジェイドも一緒なので、YouTubeに載せていいのかわからず、今はお披露目できなくてごめんなさい。

ツイッターでの鎌野先生とのやり取り

16:25 | ツイッターでの鎌野先生とのやり取りを含むブックマーク

 ツイッターでの鎌野先生とのやり取りのメモ。思いがけず、私が関心を寄せていたことに話題が広がったので、メモしておく。

nkamano Nov 13, 6:42am via MediaMarker

[MM購入] ダニエル・カーネマン心理と経済を語る bit.ly/sRUa4z

mmesachi Nov 13, 7:14am via HootSuite

@nkamano カーネマンって、心理学者なのにノーベル経済学賞とったんですよね。彼の認知バイアスの研究がものすごく面白くて、学生の間でも人気の分野だったことを思い出しました。

nkamano Nov 13, 7:43am via Echofon

@mmesachi 池田信夫が彼のthinking, fast and slowを紹介していました。カーネマンの直感と推量の関連についての理解についての言及を見て、今日、本を買ってしまいました。直感で判断する問題点、そして推論から直感へとのフィードバックなど、おもしろいです。

nkamano Nov 13, 7:46am via Echofon

@mmesachi そして、直感と推量の関係はまさにcharacter formationであると思うので、すこし勉強をしてみようと思っています。心理学でも、行動心理学や社会心理学に興味を持ちますね。

mmesachi Nov 13, 7:48am via HootSuite

@nkamano ははぁ、なるほど。そういう観点から考えたことはありませんでした。私はカーネマンの研究は90年代初頭までの分しかフォローしてないので(古っ)またブログなどでいろいろシェアしてください。

mmesachi Nov 13, 8:03am via HootSuite

あ、トヴェルスキーって、もう亡くなっていたんだ… 知らなかった…

nkamano Nov 13, 8:04am via Echofon

@mmesachi はい。推量によって直感を鍛える、そして鍛えられた直感によって生きつつ、続けて推量を通して直感を鍛え続ける。これが大切だと思うんですよね。

mmesachi Nov 13, 8:06am via HootSuite

@nkamano ここでいう直観って、カーネマンのいうヒューリスティクスですか? それとも、intuition?

nkamano Nov 13, 8:13am via Echofon

@mmesachi 日本語で読んでいるので、わからないですが、訳書ではヒューリスティックは「ヒューリスティック」と訳しているので、たぶん「直感」つまりintuitionだと思います。

mmesachi Nov 13, 3:18pm via HootSuite

@nkamano カーネマンの理論の中で直観とヒューリスティックがどういう関係になっていたか忘れてしまいましたが、直感的判断はその人の中で最もaccessibleな情報によって決まる、みたいな話があった記憶が…。推量によって直観を鍛えるとは、霊的修練などで、その人にとっての…

mmesachi Nov 13, 3:20pm via HootSuite

@nkamano …「最もaccessibleな情報」を、Godlyなものに整えること、と言えるでしょうか? そう考えると、ウィラードの言う「生ける水の流れ」の中で生きることと霊的修練の重要性とも関連してくるような。

nkamano Nov 13, 4:20pm via Echofon

@mmesachi さちさんの理解が正しいと思います。最もaccessibleな情報への対応を整える、ただしそれは深い熟考が必要であるということです。霊的修練は熟考とくり返しによって直観を整えるもの、と定義していくのです。すると、緊急時に、直観で適切に行動ができるのです。

mmesachi Nov 14, 7:14am via HootSuite

@nkamano 霊的修練は熟考とくり返しによって直観を整えるもの、なるほどです! 御言葉の暗記も、ただ暗記するのでなく、熟考して思いめぐらしながら覚えるのですね。

nkamano Nov 14, 9:20pm via Echofon

@mmesachi まさにそうです。カーネマンが提案している二つのレベルの知識は、霊性の問題をすっきりさせるように思います。あと、さちさんは、カーネマンの授業、取ったのですか?時間がずれているのかな?


 鎌野先生とは、しばらく前にも『聖書男』という本に関して興味深いお話を伺うことができ、とても印象に残っているので、あとでログを探してメモしておこうと思う。

piyopiyo 2011/11/14 10:14 湿潤療法、いいですよね。
うちも、娘が擦り傷をしたときは必ずこれです。
でも、息子には合わないんです。
いつまでたってもぐじゅぐじゅしてて、
そのうち周りの皮膚までもかぶれてきちゃって。。。
彼は普通の絆創膏をしています。
ちなみに私はラップを巻きます。
高いんですもん、湿潤療法の絆創膏。(笑)
でも、ラップでも同じ効果があるんですよ。
不思議なのは巻いたら(貼ったら)すぐに痛みがなくなることですね。
ケンくんの傷、早く治りますように。

そして、ま〜やちゃん、受洗おめでとうございます!!
ウチの子達の洗礼式はまだまだのようですが、その時が楽しみになりました!!

はちこはちこ 2011/11/14 10:56 piyoさん、
そうなんですよ、専用の絆創膏は、高いですよね。買ってきたあとで調べたら、ラップで構わないと知り、今回買って来たのが全部なくなったら次からはラップにしようと思いました。今回は、お尻に近い太ももだったので、ラップで巻くのは難しそうでしたから、まぁいいか、と思いましたが…

ま〜やのこと、ありがとうございます!
親がプレッシャーをかけて受洗を急がせるのでなく、本人が納得するときまで待ってよかったと思いました。^^
息子さんには合わないのは、敏感肌とかなのでしょうかね。

みちこみちこ 2011/11/14 19:35 ハレルヤ! ま〜やちゃん、受洗おめでとうございます。
神様の「時」が今だったのですね。
ケンくん、男の子ですねー!(^−^)
早く治りますように。

erinalinabankerinalinabank 2011/11/14 19:45 ま〜やちゃんの受洗、おめでとうございます。これからも引き続きま〜やちゃんの上に大きな祝福がありますように。
けんくんの話を読んでいて、自分の小学生時代を思い出しました。片付けしないで怪我したり、私も落ちていた枝で弓を作ったことがありました。でも、私のはタコ糸を巻いただけの簡単なものですが。次に何を作るのか、読んでいてわくわくしちゃいます!

freedomcatfreedomcat 2011/11/14 20:06 ま〜やちゃん、受洗おめでとうございます!

piyopiyo 2011/11/15 10:25 >敏感肌
そうなのかもしれません。
息子の方が色白でやわらかい肌をしてます。
娘は少し黒くてぱんっと張りがある感じですね。

娘がとびひで大変だったときに湿潤療法を知っていたら、と今でも思います。
年中の時に、とてもひどくなって、薬を塗って包帯でぐるぐる巻きにしてたんですけど、
ラップで体をぐるぐるに巻いてあげてたら早く治ってたのかなぁ、、、なんて。
それほど、彼女には合ってるんですよ、湿潤療法。(^v^)

はちこはちこ 2011/11/15 21:17 みちこさん、えりなちゃん、freedomcatちゃん、
祝辞をどうもありがとう! とっても嬉しいです。^^

piyoさん、
とびひにも良さげな感じがしますね。ラップで覆っていたら、広がらないですみそうだし… 一度は医師に相談して、オーケーが出たらやってみたらよかったかもしれないですね。子どもの肌のトラブルって、辛いですよね。

ふかごろうふかごろう 2011/11/16 04:16 ま〜やちゃんの受洗おめでとう!

ようこようこ 2011/11/16 08:00 受洗おめでとうございます。うちもいつかそんな日が来るのかな〜、きてほしいな〜。

うちは主人が無神論者で、息子を教会につれていくことは反対されていたんですが、アパートの修理のために、日曜日の朝は私が息子と教会に行ってその間主人が修理作業をするという約束になってるんです。

修理作業が終わるまでの間の日曜学校であったり、教会での賛美であったり…家で時々息子がJesusがね、って話をすると、主人はJesusは悪い人だし、神様はうそだからその話はしないようにって言ってます。

私は息子には、お父さんはそう思ってるし、お母さんはそうは思ってない。と説明し続けてます。すると先週の教会の帰り道、息子がお母さんと僕はJesusが好きだねえって後部座席で言ってました。

息子が寝ている間に、神様どうか夢の中で息子に話しかけてください真理を教えてくださいってお祈りしてます。

そうしたら最近、息子が今日も夢でJESUSに会った。とか、今日はJESUSの家に行ったとか言っています。想像なのか、ただの夢なのか、私を喜ばせようとしているのか、それを聞いて不機嫌になる主人を見るのを面白がってるのか…

いずれにしろ、私や主人のプレッシャーでクリスチャンになるのではないと思ってます。息子が成長する中で個人的にイエス様に出会ってくれたらって心から願ってます。

あ、Boundaries With のDVDを注文しました。Participants Workbookもあわせて。1人で(ちょっと寂しい?)お勉強してみたいなって思って。本当はBoundariesなどのサポートグループに入れればいいのですが。とりあえず、今すぐに何か始めたくって。

長くなっちゃいました。。。。

ゴリゴリ 2011/11/17 05:30 こんにちは♪
直観と推量(熟考)について一言だけ…
大学時代、認知心理学の教授が、
アハ体験(=アルキメデスのユーレカ体験=直観的なひらめき)は、熟考があって生まれるもの、と力説していたのを思いだしました。
それを、spiritual formationに結びつけるはちこさん、さすが!

それと関連してググっていたら、
顕現日(東方の博士たちがベツレヘムを訪れた日)
Epiphanyは、
突然のひらめき、直観=epiphanyと同じなのですね! なんだかおもしろ〜い

はちこはちこ 2011/11/17 08:45 ようこさん、
>息子が成長する中で個人的にイエス様に出会ってくれたらって心から願ってます。
アーメンです。 私の大好きな御言葉「あなたの子どもたちはみな、主の教えを受け、あなたの子どもたちには、豊かな平安がある」(イザヤ54:13)を思い出します。

DVDをご覧になって、思ったことやわからなかったことなどあれば、いつでもコメントしてください!

ゴリさん、
私がSpiritual formationに結びつけたのではなく、鎌野先生がそうおっしゃっていたので、なるほど〜と思っただけですよ〜。

ゴリさんのコメントを見て気づきましたが、カーネマンはintuitionをinferenceと対比させているので、訳語は「直感」よりも「直観」の方が適切かもしれませんね。翻訳者さん探して、連絡してみようかなぁ。

ダラス・ウィラードは、「心の刷新を求めて」の中で、私たちは自分の感情そのものを変えることはできないけれど、感情は思考(thought)から生まれるものであり、思考を変えることはできると言いました。例えば、悲しみを感じているときに無理やりその感情を変えようと思ってもできないけれど、楽しいことを考えると、自然に口元がほころぶ、というように。物事の認識の仕方を変えていくことで、感情や、行動も変わっていくというのは、認知療法ともかかわってくるのかな?

ようこようこ 2011/11/17 11:07 DVDが届くのを首を長くして待ってる私です。ネットでBoundaries With Kidsのオンラインフォ−ラムみたいなのがないかなと思って検索してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。仕事で忙しかったり、いろんな事情でスモ−ルグル−プにいけない人にそんなネットがあったらいい助かりますね。

また疑問が出てきたり、頭に電球がついたら(そっか!と思ったら)またコメントをさせて頂きたいです。

息子はあと1週間で5歳。遅すぎないですよね。

そしてイザヤ書の良い御言葉をありがとうございます。

願わくば、いつか夫とイエス様の名前で祈れる日がくればって思ってます。これはお付き合いしていたころからの願いです。

2011-11-12

J・パイパー「進化を受け入れますか?」

| 08:29 | J・パイパー「進化を受け入れますか?」を含むブックマーク

 John Piper - Do you accept evolution or an old earth view?

D

 「進化論や、地球の年齢は古いという考えを受け入れますか?」という質問に対するジョン・パイパーの答え。

 イエス、ノーで即答するのは避け、注意深く答えている。曰く、彼が思うには、聖書的に可能と思える考えは二つあって、ひとつはヤングアース(地球の年齢は一万年以下と考える)で、創世記1章の記事は、文字どおり一日二四時間と受け取るのが自然な読み方なように思えること、二つめの考えは、ジョン・セイルハマーという人の、「創世記1章1、2節に記述されている創造は、何兆年も前になされたことかもしれず、1章のそれぞれの日で起こっているのは、無からの創造ではなく、すでに創造されているものに、秩序を与えること」という考えで、これは1日二四時間という解釈を保持しつつ、地球の年齢は古いことを支持する。私はそちらを受け入れる方に傾いている、と。

 この二つめの考えは、先日も紹介したウォルトン博士のものと基本的に同じではないですか。ウォルトン博士も、創世記1章の各日は、二四時間だと思うと言っていた。(というのも、神様が最初に確立された秩序のひとつが、時間の秩序だから。)

 パイパーは続けて、言葉を選びつつ、進化によってアダムが人間としてこの世に登場したという考えは受け入れない、と言った。

 このパイパーの返答に、私はとても好感を持った。キリスト者、牧師として、自分の分をわきまえた返答というか。生物学的進化の是非は牧師という立場で下す評価ではなく(もちろん、個人的に受け入れる、受け入れないはあるだろうけれど)、創世記1章の釈義という観点から答えるなら、このような答え方(つまり、進化の是非には直接言及せず、神学的にどういう解釈の可能性があるのかということにフォーカスする)になるのが妥当だと思う。また、「進化によってアダムが人間としてこの世に登場したという考えは受け入れない」という言い方も、アダムの問題は、進化を受け入れている牧師・神学者たちの間でもさまざまな考えがあり、「私はこのように考える」と言うこと自体は、科学を軽視するわけでもなく、キリスト者として真摯な返答だと思う。

 パイパーも、おそらく以前は若い地球論を受け入れていたはずだろうと想像するが、近年のさまざまな議論ーー科学の分野でも、神学の分野でもーーを考慮して、このような考えに至ったのではないかしら。

 この動画を紹介していた人(アナバプテストのアメリカ人)は、パイパーは進化を受け入れていない!とややあざけるような口調で語っていたけれど、私はそうは思わなかった。彼が受け入れる方に傾いているという考えは、地上で進化が起こったかもしれないと考える余地を十分残しているし(何兆年も前に…というのは言い過ぎかと思うけど 苦笑)、とても誠実で賢明な返答の仕方だと思った。さすが!

追記:ビデオの中でパイパーが言及していたジョン・セイルハマーの"Genesis Unbound"という本を調べてみました。1996年の発行で、もう絶版みたい。副題は、「A Provocative New Look at the Creation Account」。10件のレビューがついていて、評価はかなり高い。(2011年にDawson Mediaから第二版が出版になったようです。)

Genesis Unbound: A Proactive New Look at the Creation Account

Genesis Unbound: A Proactive New Look at the Creation Account

追々記: Genesis Unboundのレビューを見つけた。こちら。ウォルトン博士の本もそうだったけれど、この本も、科学と信仰の整合性の話をするのが主旨はでなく、純粋に、創世記1章のテキストを見たときにどのように解釈するのがもっとも適切か、という観点からの議論らしい。このレビューを見ると、細かい点はウォルトン博士の説とは違うようだけれど、いずれにせよ、創世記1章のオリジナルテキストを適切に解釈するなら、現代科学と矛盾することはほとんどないはず、というスタンスは同じ。

hid&yokohid&yoko 2011/11/13 09:37 興味深い記事ありがとうございます。自分ことですみませんが、僕のモーセ五書の解説をお読みになられた創造論のある主導者が、「自分の考え方と同じ・・」と感謝してくださったと思ったら、別の方は、僕の解説を読んで、「高橋は24時間論を取っていないから、自分たちの理事にはできない・・・」と判断してくださったとのこと、とっても面白く感じています。彼らは自分たちの分類で、「この人は若い地球を信じているか」それとも「古い地球を信じているか・・・」と分類してくださっているようですが、こちらとしては彼らの枠組みにはあまり関心がありません。そもそも、彼らの枠組みで判断されるのが不本意です。自分こと書いてすみませんが、パイパー先生も同じ気持ちなのかと思いました。だいたい、ある特定の枠組みを作ること自体が、聖書を離れた人間的な枠組みになるわけで、自分は創世記を読んで、どちらの解釈が良いとも悪いとも言えないというのが本来の聖書学者の立場かと思います。だいたい僕は「進化論とは何か・・・」ということ自体が本当の意味ではわかっていません。でも、創世記1,2章の中心テーマは、それなりにわかっているつもりであります。でもそこから、若い地球か、古い地球化という議論はあまりしたいとは思いません。

はちこはちこ 2011/11/13 14:17 hid&yoko先生、
コメントありがとうございます。
自分の考えと同じ考えを持つ人はinで、そうでない人はoutだと言わんばかりに、キリスト者が「この人はinかoutか」みたいな態度でお互いを見るのは、避けたいですよね。

私としては、創世記1章のテキストはどのように解釈可能なのかということに、とても関心があります。実際には神学者の間でもたくさんの解釈があって、これだという絶対的なコンセンサスがあるわけでもなかったのに、いつの間にか、福音派のクリスチャンなら若い地球を信じないと聖書を神の言葉と信じていることにならない、みたいな雰囲気が主流になり、私もまたそのように教えられてきたことに、一信徒として納得のいかない思いでした。
実際には、聖書を神の言葉と信じるからこそ、神様が私たちに何を語らんとしておられたのかを知るために、神学者たちはあらゆる適切なリソースを駆使していろいろな解釈を試みているのですよね。それは、聖書の権威を冒涜していることにはなりませんよね。

創世記1章の「一日」は、文字どおりの二四時間ではないのだろうと、私もずっと思っていました。ところが、先日のウォルトン博士の講義の中で、彼は1日=二四時間だと解釈すると言われていて、驚いたのです。でも、彼の説明はそれはそれで理にかなっていて、なるほどと思いました。そして今回パイパー師がジョン・セイルハマーという旧約聖書学者に言及しているのを聞き、この学者もウォルトン博士と似た路線の解釈をされていると知って、へえ!と思ったのでした。

これは私のpet peeveでもありますが、イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わらないお方ですが、それを取り巻くもの(聖書の解釈など)は、確かに時代とともに変わっていく部分がありますよね。枝葉と思えることに関していろんな説がある分には構いませんが、これはキリスト教信仰の根幹では?と思えること(「福音」とか「天国」とか「イエス」とか)に関して、神学者たちの間でいろんな議論があるのを見ると(最近ではネットのおかげで、私のような一信徒でも、資料が入手しやすくなりました)正直言って、あせります。

それでも、教えの風に吹かれることなく、時代の変遷や人間の議論をさらに越えたところにおられる方の真実に信頼すること、自分は迷ったり混乱したりするし、「専門家」の間でもいろんな意見が出てくるけれど、それで聖書の権威や十字架の御業や信仰そのものに疑惑を抱くのでなく、transcendentなお方を求め続けることを忘れないようにしようと、そんなことを思わされています。

私も、自分に「私は○○派です」とラベルを貼ることには興味ありません。他者が私をどう呼ぼうとかまいません。それよりも、主が現してくださっている真理をひたすら求めていきたいなぁと思います。(結果として、人間が作った枠組みの範疇では右に左に揺れ動いているように見えたとしても。自分が間違っていたなら、へりくだって自分の間違いを認め、修正していきたいです。)

2011-11-09

井口耕二氏のブログ

13:37 | 井口耕二氏のブログを含むブックマーク

 今話題の『スティーブ・ジョブズ』の翻訳者、井口耕二氏のブログを読み、しびれた。こういう方を「プロの翻訳者」と言うのですよね。

 あの大作を、3ヶ月間で一人で訳し上げた井口耕二氏ですが、アマゾンのカスタマーレビューに、誤訳を指摘してこられた方がいたそうです。

 誤訳の指摘にいつもこのように対応するわけではありませんが、と断った上で、それらの指摘に対して、ブログ上でお返事をなさっているのだけれど、その対応の仕方が大人です。明らかな間違いに関しては、すなおに受け入れ、翻訳者としての責任を認めていらっしゃる。実際、「どうしてこんな思い込みをしてしまったのだろう?」というような誤訳って、やっちゃうことが確かにあるんですよね。訳文を読み直している段階で、必ずしももう一度原文と訳文を一語一句照らし合わせて確認するわけではないので(たいていは、訳文だけを読んでも誤訳に気づくのですが、それでも)、誤訳を見落としてしまうことはあるのです。もちろん、言い訳にもなりませんが。井口氏とは比べものにはならないものの、翻訳書を出版したことのある者として、私も一緒にすみませんと頭を下げたい思いです。

 しかしさらに共感したのは、明らかなミスではない箇所の指摘に対する井口氏の対応。原文の一箇所だけを取り出して、その部分と訳文を比べれば、「これは違うのじゃないか?」と言いたくなることはあるかもしれない。でも、訳者もいろいろ背景となる情報を調べたり、実際にその段落の中でのその文章、そのフレーズの日本語でのおさまり具合を考えた上で、「敢えて」そのように訳した、という箇所も多々あるものなのです。

 たとえば、原文に、現実にそぐわない記述が含まれていることがあれば、原文の英語だけでなく、現実も考慮に入れた上で訳すことも、少なからずあります。私の場合、たとえば『子どもに愛が伝わる5つの方法』で、著者は心理学者でありながら、なぜか「正と負の強化」に関する記述が間違っていました。原文通りに訳すと、心理学の定義としては明らかに間違いです。そこで、その部分は正しい定義に直して訳した上で、訳注をつけたと記憶しています。井口さんの例で言えば、ジョブズがホテルオークラの寿司屋でeelの寿司を食べたという箇所があるそうで、別の箇所ではそれがunagi sushiとはっきり言われているにもかかわらず、井口さんは「穴子」と訳された。なんでも、ちゃんとホテルオークラのお寿司屋さんに電話をして、確認したのだそうです。ああ、その手間! 泣ける! そうなんですよ、翻訳者って、そういうことをするんです。しょっちゅうです。(寿司屋にしょっちゅう電話はしませんが。)『ゲノムと聖書』の翻訳をしているとき、私、DNAや進化論に関する入門書をあれこれ読みました。登場人物たちの人間関係を理解するために、いろんな資料を当たりました。たったひとつのフレーズ、ひとつの文章を訳すためだけに、びっくりするほど「裏」を取る場合もあるのです。それが翻訳者の仕事であり、楽しみでもあると思っています。

 原文が曖昧で分かりにくい箇所は、著者の意図を汲んで(少なくともそのつもりで)、訳文でも敢えて曖昧なままに残すこともあります。たとえ裏をとって説明を加えることが可能だとしてもです。

 その辺のさじ加減は微妙で、結果として裏目に出ちゃうこともあるかもしれない。それでも、翻訳者としては、考えに考えて判断しているんですよね……

解説は……やめることにしました。いったんは書いたのですが。ニュアンスが伝わった人にはいまさらでしょうし、ニュアンスが伝わらなかった人は解説されてもおもしろくもなにもないでしょう。だいたい、ここ以外にもさまざまな形でさまざまなニュアンスを込めて書いているわけで、正直、そのすべてがすべての人に伝わるとも思っていません。伝わるどころか、込めたつもりのニュアンスと異なる読み方をする人も当然にいるわけですから。だからといって、ここはこう読むべきと私の意図を押しつけるのが正しいのかと言えば、こういう本の場合、そういうものでもないでしょう。翻訳物にせよ、日本人作家が書いた小説などにせよ、モノを書いて読んでもらうとはそういう行為なのだと思います。

 これは、井口氏の言葉です。翻訳するときに、どうしても翻訳者の解釈が入るように、翻訳されたもの(あるいはもとから日本語で書かれたものでも)が読まれるときも、どうしてもある程度は読む人の解釈とか受け取り方に依存する部分があるでしょう。その部分は、書き手にはコントロールの及ばないところでもあり、そういうものだとしか言いようがないかもしれません。(とはいえ、私が翻訳するようなタイプの本は、極力明快に訳すことを心がけてはいますが。)

 ああー、私のようなヘッポコ翻訳者が、井口氏のような実績ある翻訳家のおっしゃる言葉に便乗して「そうだ、そうだ」と言うのも非常に恐縮なのですが……

 それでも、すごく共感しちゃったので、書いてしまいました。

 ちなみに、井口氏の『スティーブ・ジョブズ』本の翻訳に関するほかのエントリーも、とても興味深いです。これからも、氏のますますのご活躍を期待し、応援します。

かきごおりかきごおり 2011/11/09 23:12 すごいですね。私はこの方の真摯な返答に感動していただけでしたが、はちこさんのコメントを読んで、確かに誰も気がつかないところで、本当に細かい確認をされていること伸しんん検査もすごいですよね。その寿司屋の件!
でも、いつもはそんなことを一々苦労話として披露することもない。
日本語としても伝わるものを作る苦労もどれほどのものかと思います。
私たちが手にする邦訳の陰にある多くの方々の働きに心から感謝します。

かきごおりかきごおり 2011/11/09 23:17 ん?上のタイポ、何でしょう?自分でもわからない。(笑)
よりによって、こういう話題のところで・・・!
「本当に細かい確認をされていることも思わされました。」という気持ちだったと思います。
すみませ〜ん!穴があったら入りたい!間違った時に自分で消せないのも痛い。

はちこはちこ 2011/11/10 10:30 かきごおり先生
このタイポ、受けました。(笑)きっと、「真剣さ」と書こうとなさっていたのでは?

こういった調べものや確認作業も、翻訳の醍醐味の一部なんですよ。一日の作業のうち、翻訳している時間より調べものの時間の方が長かった、なんていう日もあります。というか調べているうちに興味が湧いて、翻訳と関係ないところまで調べちゃったりもするのです。
もう10年以上前になりますが、日本のある翻訳者の方から、クリスチャンの心理学者の書いた本を下訳している最中だけれど、罪の概念が出てきて、気になるので詳しく教えてほしいと、メールをいただいたことがありました。「罪の概念を知らなくても翻訳はできるけれど、それでも知りたくなったので」とおっしゃっていました。今振り返ってみて、その翻訳者の方の気持ち、よくわかるなぁと思いますし、そういう経路で、その方がキリスト教について関心を持ってくださったことも、きっと主のご配剤だったのだろうなぁと感動したものでした。

かきごおりかきごおり 2011/11/10 11:05 あああ、「真剣さ」ですね。解読してくださってありがとうございます。どうしてこうなっちゃったのか、謎は残りますが・・・。

でも、お伝えしたかったのは、読む方は、「日本語がわかりやすい」とか「わかりにくい」とか、勝手なことを言いながら読みますが、その陰には、本当に大きな労力と、「真剣な」伝えたい!という情熱があるんだなあと、つくづく思わされた、ということでした!!!

翻訳の問題はほぼ日本語の問題と理解していますが正しいですか?英語で意味が分かっていないわけではない(もちろん、それも大切で、「罪の概念」云々もそれをわかりたいというお気持ちからだったのでしょうが)、それをどの言葉にすれば、どの言い回しにすれば、この原典を読んでいない人にわかってもらえるか、そこがご苦労なのかな?と考えます。
最近、邦訳ものを読んだあと、原典を読んで「あああ、元々はこういう言葉だったんだ!!え〜?この日本語にしちゃうと著者の意図が全然伝わらないじゃん」とつっこみたくなることも多かったです。そんな中で、いつの間にか傲慢になって、翻訳者の方々のご苦労に心が向かなかったりした自分はなんて浅はかだったんだろうかと。

本当に翻訳家の皆さんに感謝します。もっともっとすばらしいものをもっともっとたくさん紹介してください!

はちこはちこ 2011/11/10 14:18 ぎゃーー。記事中で、「正と負の条件付け」と書いたところ、「正と負の強化」の間違いでした。恥ずかしーー。今きづきました。翻訳どころか、普通に日本語で文章を書いていても、こんなミスをしちゃうんですから、嫌ですねーー。

かきごおり先生、

いちおう仕事で翻訳している人であれば、うっかり英文を読み間違えることはあっても、英文が理解できなくて誤訳することは滅多にないだろうと思います。(絶対とは言いません。)おっしゃるように、英文の意味は分かるのだけれど、その意味をどう日本語で表現するかで苦悶するんですよね。ごく単純な英単語、たとえば「good」なんて言葉が、案外訳しにくかったり、ということはよくあります。God is goodを日本語で何と訳すか?「神は良い」では、あまりに間が抜けてますよね。(笑)


翻訳について語り出したらきりがないので、このへんにしておきますね。

ひみつのあっこちゃんひみつのあっこちゃん 2011/11/11 00:29 私も「スティーブ・ジョブズ」を読んでいますが、夫に薦められて井口氏のブログも興味深く読んでいました。私もしびれました!翻訳の舞台裏のエピソードにハラハラドキドキしました(笑)
翻訳業というのは、限られた時間の中で著者と読者の両者の立場に立ちベストを尽くさなければならず、本当に神経を使うお仕事だと思います。
4人の子育てをしながら翻訳のお仕事をされているはちこさん、本当に尊敬します。
翻訳業をしていると、無尽蔵に時間を(お金も?)かけたくなりますよね。調べ物とか・・
昼も夜も頭から本の内容が離れなかったり・・。
集中して作業をしている時は家事や育児で作業を中断したくない〜と思われたりすることはないですか?一体どうやってバランスをとって翻訳業をされているのか、私には想像できません〜!
本当にはちこさんのご苦労に改めて感謝です。

♪Sunny♪Sunny 2011/11/11 02:43 リンクのところに、今年の1月にわたしがブログに書いた記事を入れさせていただいたのですが、そこに、中島みゆきさんの文章を引用させていただいています。
井口氏の言葉と、わたしの中で何か符合するものを感じました。
引用部分だけでうまく伝わるかどうか、わかりませんが、「ものを書く」表現する、ということは、そういうことなのだ、と改めて感じました。
それにしても、翻訳のお仕事の陰でなされている努力(?)、本当に素晴らしいですね。
プロの仕事というのはそういうものなのだなあ、と改めて教えられております。

はちこはちこ 2011/11/11 13:48 ひみつのあっこちゃん、
そうなんです、著者と読者の間に立つので、受け取り方は読者次第と言っても、そもそも著者が言わんとしていることをちゃんと伝えることができているだろうか?ということが常にあり、責任を感じます。
集中した作業に関しては、いや〜、私はADD的傾向があるみたいで、もともと、気が散りやすいんですね。だから、集中できる環境があったとしても、やっぱりあっち向いたりこっち向いたりして、途切れ途切れになってしまうかもしれません。(汗)その意味で、今の形は私に合っているのかも。^^;

♪Sunnyさん、
ああ〜、そうそう、そうなんですよね。表現するって、受け取る人あってのことですから、自分だけで握りしめていることはできないのですよね。
Sunnyさんの、「非常に、理屈っぽいわたしの性格が表れていますが、結局のところ考えすぎるとわからなくなる、ということでしょうか」という部分、深く共感してしまいました。私も理屈っぽくて、あれこれ考えるのですが、結果として「わからなくなる」ということが多くて。(苦笑)でも、考えることは止めたくないですよね!
どんな仕事も、受け取り手の目には見えないいろんな努力や苦労があるのですよね。自分の好きなことを仕事としてできるのは、感謝だなぁと思っています。^^

たしんたしん 2011/11/14 06:25 たしかに日本の一流ホテルの寿司屋が鰻の握りは出さないよなあ(笑)。

ちょっと引っかかったら気の済むまで調べるということなんでしょうね。
あっぱれ!

はちこはちこ 2011/11/14 10:52 日本人なら、「うなぎ」と出てきたところで「あれ?」と思いますよね。外国人ならうなぎも穴子も同じなのでしょうが、日本人の読者なら違和感あるでしょうから、やはり調べて確認したいところだったのでしょうね。

2011-11-05

三陸石巻ほや・帆立復興支援プロジェクトについて

13:16 | 三陸石巻ほや・帆立復興支援プロジェクトについてを含むブックマーク

Facebookの私のnoteからの転載です。

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 以下の文章は、聖書キリスト教会の尾山キャシーさんが書かれた文章を、オアシスチャペルの松田牧人牧師の依頼により、日本語に訳したものです。(最後の段落に、支援に関する詳細を少しだけ付け加えてあります。)

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 先日、石巻の漁師さんたちを東京にお招きしてお話を伺う機会に与りました。この漁師さんたちは、2011年3月11日のあの大津波によって、生計も、家も失いました。中には家族さえ失った方たちもおられます。漁師さんたちがお分ちくださったお話を伺いながら、私の心は震えました。彼らの体験からは、私たちも学べることがたくさんあります。

 一人の漁師さんは、港で、ちょうどその日の仕事を終えようとしていたところだったそうです。地震が襲ったとき、片付けをしていました。高台に避難する前に、やってきた津波に飲み込まれてしまいました。瓦礫の浮かぶ波間を泳ぎ、漂流物にしがみつき、屋根の上によじのぼっては少し休憩し、それからまた泳ぎ、流されてきたボートによじのぼってはまた休み… しかし、そのうち波に引っ張られて海に流されそうになりました。幸い、電柱と建物の屋根にひっかかったおかげで海に引きずり込まれずにすみました。そして、ついには岸に向かって泳ぎ切り、水からあがり、山に逃げることができました。全身ずぶ濡れで、寒く、疲労困憊していました。その日、その港で彼と一緒に仕事をしていた漁師たちのうち、助かったのは彼一人でした。

 もう一人の漁師さんは、とっさの判断で、養殖イカダを救うためにイカダに乗って海にこぎ出したそうです。そして、イカダの上から町全体が津波に飲み込まれるのを見たそうです。彼は、イカダに乗ったことを後悔したと言っていました。たとえイカダは助かっても、家族がどうなったかはわからなかったからです。その後、二日二晩、イカダの上で過ごしました。瓦礫と化した町の残骸が流れてくるのにぶつからないよう避けながら、そして、愛する人たちは助かったのだろうかと心配しながら… ようやく家族と再会できたとき、皆、泣いて、そして再び離ればなれになることを拒みました。ヘリコプターに乗って安全な場所に避難するときでさえも、ばらばらになることを拒みました。食べ物も身を寄せる場所もなく、寒さに凍えても、家族全員でいるほうが、たとえ避難するためでもばらばらになってしまう不安を再び味わうよりは、ましだったからです。

 また別の漁師さんは、話を分かち合おうと立ち上がりましたが、話し始めるとあの日の記憶が心に押し寄せ、言葉が出なくなってしまいました。彼はただ、そこに立ち尽くし、すすり泣くばかりでした。皆、口をそろえて言いました。あの日の出来事は、思い出したくないことなのだと。まさに地獄の一日だったのです。

 あの日以来、漁師さんたちは生活の糧を失いました。それは、何百年にもわたって、ひとつの世代から次の世代へと受け継がれてきたものでした。単なる仕事ではなく、代々受け継がれてきた伝統であり、日本の歴史を織りなす遺産だったのです。彼らにとって、生計を立てるために別の新しい仕事を見つけるなど、とても考えられず、受け入れらないことでした。再建する以外にはあり得ません。でも、どうやって? 何もかも失ってしまい、やり直したくてもどうしようもなかったのです。

 数人の高校時代の友人が、彼らの事業復興のために協力を申し出てくれました。彼らの養殖事業を建て直すために、必要な資金を集めよう、と。私たちが石巻の漁師さんたちを東京にお招きし、お話を伺うことができたのも、この海友支援隊という団体(http://oasislifecare.org/?p=481)を通してであり、オアシスライフケアの仲間たちの協力があったからでした。

 彼らのお話を伺いながら、この方たちは偉大な信仰を持っておられると気づきました。この事業復興は、自力ではとうていできないことです。しかしそれをするために、彼らは前進しておられるのです。まず、帆立とほやの養殖の再開に向けて動き出しました。これは、最初の収穫までに3、4年はかかるプロセスです。彼らの事業はすべてが破壊され、すべて失われてしまいましたが、金華ほやと帆立の養殖を、そして三陸の漁場とそのコミュニティーを、復興させることに彼らの心は定まっています。 彼らは漁師です。イエスの弟子の中にも4人の漁師がいました。海友支援会は、オアシスチャペルという教会と協力しています。オアシスチャペルは、彼らを励まし、イエスの愛を示すために、彼らに寄り添って働いています。この働きを通して、この勇敢な漁師さんたちが、あの日、彼らを守り、苦しみの中もここまで導いてくださったお方が誰だったのかを知り、その方に信頼を置くようになるときが来ることを、そしてあの日、この地を去った人たちとも、そのお方が共におられたことを知るようにと、祈ります。

 彼らが前進し続けるためには、支援が必要です。流されてしまったものを建て直すために働く一方で、家族を養うために慣れない仕事もしなくてはなりません。最初に出荷できるのは3、4年先で、それまでは養殖の仕事から入る収入はないからです。そこで、彼らを助けるために、海友支援会では、一口一万円からの支援を募集しています。http://www.kinka-hoya.com/ から申し込むことができます。

 経済的支援ができるかどうかにかかわらず、この方たちを皆さんのお祈りに覚えていただければ幸いです。

 尾山キャシー (聖書キリスト教会)

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オアシスライフ・ケアでは、養殖復興プロジェクトを進めている「海友支援隊」さんの働きを手助けするために、活動PR用のドキュメンタリーを制作しました。

宮城県石巻市では、震災前まで全国シェアの8割を占める「ホヤ」が養殖されていました。しかし、津波によって養殖イカダが全部流され、海産物の加工場も全壊してしまいまし­た。養殖業の継続が不可能になる壊滅的な被害…。そんな危機から抜け出すために、一般社団法人 海友支援隊さんが養殖復興プロジェクトを立ち上げたのです。

 私も、一口だけですが、早速支援させていただきました。そして、こんな可愛いストラップをいただきました。^^

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 支援者全員に送ってくださるのだそうです!そして、復興したあかつきには、ほやと帆立の詰め合わせを送ってくださるのだそうです。アメリカまで送っていただくのは無理でしょうが、いつかぜひ、三陸を訪れ、海のパイナップル、金華ほやを味わってみたいと思います。それまでの間、これを見ながら、三陸の漁場の復興のために、祈ります!

2011-11-03

ケンのお面

10:48 | ケンのお面を含むブックマーク

 去年のハロウィンではドラボンボールZの「ゴハン」とやらに手作りの衣装で扮装したケン、今年はBleachのイチゴとやらになった。(私には意味不明)

 まずは約3週間かけて、お面造りから。(この日の日記も参照)

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厚紙を使って頭の枠をつくり、新聞紙でペーパーマシェ。そこに段ボール紙で造った角をくっつける。ペーパーマシェの段階で最初は失敗し、濡れて枠が崩れてしまい、最初からやり直し。これは二頭め。

f:id:mmesachi:20111022103239j:image:left角の部分もペーパーマシェして、顔の部分は白い紙を貼る。角が取れてしまったけれど、エポキシパテとホットグルーで修繕。

f:id:mmesachi:20111023165225j:image:left

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スプレーペイントで白く塗装。








デザインの下書きをする。この時点で、角が再びとれてしまったものの、この時は、泣きも騒ぎもせず、「あとで直すから大丈夫」と、成長の様子が伺えました。

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「歯」を付ける。実際は、ネイル。角もエポキシパテでもう一度付け直し、デザインも入れて、お面完成。

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ローブは、一昨年のハリーポッターのローブを自分でリフォーム。襟は、古いTシャツを切ってつけた。

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写真がピンボケになってしまったのが残念。この刀も手作り。紙と工作用スティックで刀を造るのはお手の物。

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今年も造りました、「嘔吐するカボチャ」

ケンにとってのハロウィンは、お菓子をもらうことよりも、コスチュームを自作して披露できる楽しい機会のようです。将来は、コスプレのコンファレンスとかに行くようになるのでしょうか。(大汗)

 今年は、材料を買うところと、取れてしまった角を接着するときに押さえるのを手伝ってもらった以外は、すべて一人でやりました。

 作品の仕上がりもさることながら、作っていくプロセスで、失敗しても怒って投げ出さず、難しいことを承知で、頑張って最後まで作り通したことを、なによりも嬉しく思います。こういう忍耐や頑張りを、スポーツを通して学ぶ子もいれば、ケンのように工作で学ぶ子もいるし、難しい算数の問題を解いたり、分厚い本を読み通すことで学ぶ子もいるのでしょうね。自分にあった方法で、努力することとそこから得る喜びを、これからも味わっていってもらいたいです。そしてそれが、今度はスポーツや勉強といった、自分があまり好きでないand/or得意でない分野にも波及していくのでしょう(と期待したい)。

 コスチューム造りが一段落して、手元が寂しくなったケン。今は、友達の誕生日にプレゼントするためのナーフガンを改造中。いつも忙しいね。おかげでテレビを見る暇もゲームをする暇もありません。でも、本は夜遅くまでベッドの中でこっそり読んでいます(今読んでいるのは、The Phantom Tollbooth 邦題:マイロのふしぎな冒険)。

2011-11-02

The Four Disciplines of the Heart(再掲)

| 18:27 | The Four Disciplines of the Heart(再掲)を含むブックマーク

米国の大手キリスト教出版社、トーマス・ネルソン(おとといハーパーコリンズに買収が発表されたばかりだけど!)のCEO、マイケル・ハイヤット氏のブログより。昨日も載せたのですが、広告の下にきちゃったので、気づかなかった方もいたかもしれないと思い、少し説明を加えて再掲します。ハイヤット氏は特にリーダーたちを念頭においてこれを書かれたようですが、リーダーでなくても、誰にとっても重要だと思われるので。

 心を守るための4つの霊的修練。

  1. 思いをめぐらす修練:日常の忙しさから一歩退いて、静まって思いをめぐらすこと。聖書を読んで祈るなどのいわゆるデボーションもこの一つ。
  1. 休息をとる修練:神様は私たちの体を休息が必要なものとしてお造りになられた。しかし体が要求する分だけにまかせようとすると、現代の生活でなかなか本当に十分が休息は取れないので、意図的に、霊的修練のひとつとして自分の生活の中に休息を組み込む。断食も含まれる?
  1. 気晴らし(レクリエーション)の時間をとる修練:気晴らしや娯楽といっても、二種類ある。アミューズメントは、それをする前よりした後のほうが疲れているが、レクリエーションは、それをした後にリフレッシュされている。レクリエーションには、私たちに与えられている何らかの創造性を発揮することが含まれることが多い。絵を描く、手芸をする、歌う、楽器を奏でる、お菓子作り、模型造り… こういった活動は、「今しなくてはならないこと」ではないが、実はとても重要。
  1. 本物の関係、リアルなコミュニティーにつながる修練:これは、先の3項目よりも重要。近年は、ミクシィ、Facebook、TwitterなどのSNSによって、オンラインで簡単に多くのつながりを持てるようになったが、いわゆる「リアル」での人間関係・コミュニティー(家族や友人など)に意図的に時間を投資することが大切。

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 (箴言4:23)

Magnificent

10:08 | Magnificentを含むブックマーク

 ちょっと前に久しぶりに購入したマット・レドマンの新しいワーシップアルバム、「10,000 Reasons」がとても良くて、励まされている。 その中から二曲。

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実香子実香子 2011/11/04 04:08 「心を守るための4つの霊的修錬」を教えてくださり、有難うございます。
日々の生活の中で、心掛けたいです。

山本直樹山本直樹 2011/11/05 07:07 はちこさん
大切なことを教えてくださり感謝です。
はちこさんへの主の御守りをお祈りいたします。
私の趣味の合唱の公演が過日ありました。
今年はシューベルトのミサ曲とモーツアルトのレクイエムでした。
HPで当日の録音が聴くことができます。

はちこはちこ 2011/11/05 21:27 実香子さん、
休息をとるとか、気晴らしの時間を取るというのが、案外難しかったりするかもしれませんよね。私も、心がけたいと思います。

山本先生、
こちらこそいつもありがとうございます。そして、お祈りをありがとうございます。
今年はシューベルトとモーツァルトだったのですね。先生にとっては、合唱がまさに「レクリエーション(再創造)」ですね!

2011-11-01

悪夢再び

17:35 | 悪夢再びを含むブックマーク

 まさかの悪夢再び。

 でも、もはや、「なぜ」はもちろん「何のために」とさえ、問おうとは思わない。

 ただこの目があの方を見つめ、この耳があの方の御声を聴き、この手があの方の御手を握りしめているならば、今はもう、それだけでいい。私に知るべきことがあるならば、時がくれば主ご自身が教えてくださると確信しているから。

 夢なのか現実なのかわからないような、夕べのあの出来事の中で、それでも私の心を圧倒的に支配していた主の平安。敵は私に神を呪わせようとしていたのかもしれない。でも私は、昨日の午後2時頃、祈りの中でちょうどこう告白していたのだ。「状況が好転したときだけでなく、どん底に突き落とされたかのようなときでも、あなたに信頼し、あなたを賛美する者でありたいです」 それは、時間を越えてすべてをご存知の神様が、一足先に私の心にそのような思いを植えておいてくださったのかもしれない。

 その12時間後、薄暗い某所の固いプラスチック製の椅子に座りながら、私は自分のその告白を思い出し、主に申し上げた。「主よ、私は今こそあなたを賛美します。あなたに信頼しています。目で見える状況には左右されません」

 失うことは強い。自分で必死に守ろうとするものがないことは、強い。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と、心から言えることは幸い。そして、心に迫ってきた御言葉は、God is able to do exceeding abundantly above all that we ask or think 神は、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできるお方。その、神のexceeding abundanceを、私は今、このとき、心に深く感じている。今後何か思いがけない素晴らしく良いことが起こるだろうという期待ではなく、今、このとき、すでに心にいただいている。

D

 

神よ。私の心はゆるぎません。

 私は歌い、

 私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。

 十弦の琴よ、竪琴よ。目をさませ。

 私は暁をよびさましたい。

 主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、

 国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。

 あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、

 あなたのまことは雲にまで及ぶからです。

 神よ、あなたが天であがめられ、

 あなたの栄光が全世界であがめられますように。

 (詩篇108:1−5)

nao-LKnao-LK 2011/11/01 19:01 主よ、あなたを賛美します。
はちこさんの心、たましいをお守りください。

はちこさん、お祈りしています。

みちこみちこ 2011/11/01 19:41 主よ 
はちこさんがはっきりわかるように、はちこさんを御翼で包んでください。
あらゆる攻撃から守り、勝利させてくださることを感謝します!

kanahakanaha 2011/11/01 21:46 はちこさん

中村家の平安のため、心を静めてただ主にお祈りしました。
みちこさんが書かれているように勝利するのは間違いないですから!

TomokoTomoko 2011/11/02 04:23 読んでいて私の方が心臓がドキドキしてしまいました。でもはちこさんが冷静かつ主をしっかりと信頼しているのが、文面から十分に伝わってきたので、それはほっとしています。昨日も仕事帰りの時、ふとはちこさんのことが頭をよぎったのですよ。今日も続けてお祈りしています。ハグ&キス

はちこはちこ 2011/11/02 08:11 皆さん、本当にどうもありがとう。祈られていることを感じます。ありがとう!