ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

逆説の十か条

 hiroさんがツイートしておられた「逆説の十か条」(ケント・M・キース)をメモ。マザーテレサの言葉として聞いたことがありましたが、ケント・M・キースという人が19歳のときに書いた言葉だそうです。(hiroさん、ツイートしてくださってどうもありがとう!)

逆説の十か条

1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。

2. なにか良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。

3. 成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。

4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。

5. 正直で率直なあり方は、あなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。それでもなお、大きな考えを持ちなさい。

7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後ろにしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8. 何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れさるかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。

9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。

10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。


 検索していたら、マザーがカルカッタの孤児院の壁に書き留めたというこの十か条のマザー版も見つかったので、それもメモします。ちょっと違う箇所もあります。

People are often unreasonable, irrational, and self-centered. Forgive them anyway.
If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives. Be kind anyway.
If you are successful, you will win some unfaithful friends and some genuine enemies. Succeed anyway.
If you are honest and sincere people may deceive you. Be honest and sincere anyway.
What you spend years creating, others could destroy overnight. Create anyway.
If you find serenity and happiness, some may be jealous. Be happy anyway.
The good you do today, will often be forgotten. Do good anyway.
Give the best you have, and it will never be enough. Give your best anyway.
In the final analysis, it is between you and God. It was never between you and them anyway.

 マザー版のいちばん最後の一行が特にぐっときました。「結局のところ、それはあなたと神との間のことなのです。あなたと他の人との間のことであったことは、一度もなかったのです。」

悪夢再び

 まさかの悪夢再び。
 でも、もはや、「なぜ」はもちろん「何のために」とさえ、問おうとは思わない。
 ただこの目があの方を見つめ、この耳があの方の御声を聴き、この手があの方の御手を握りしめているならば、今はもう、それだけでいい。私に知るべきことがあるならば、時がくれば主ご自身が教えてくださると確信しているから。
 夢なのか現実なのかわからないような、夕べのあの出来事の中で、それでも私の心を圧倒的に支配していた主の平安。敵は私に神を呪わせようとしていたのかもしれない。でも私は、昨日の午後2時頃、祈りの中でちょうどこう告白していたのだ。「状況が好転したときだけでなく、どん底に突き落とされたかのようなときでも、あなたに信頼し、あなたを賛美する者でありたいです」 それは、時間を越えてすべてをご存知の神様が、一足先に私の心にそのような思いを植えておいてくださったのかもしれない。
 その12時間後、薄暗い某所の固いプラスチック製の椅子に座りながら、私は自分のその告白を思い出し、主に申し上げた。「主よ、私は今こそあなたを賛美します。あなたに信頼しています。目で見える状況には左右されません」
 失うことは強い。自分で必死に守ろうとするものがないことは、強い。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と、心から言えることは幸い。そして、心に迫ってきた御言葉は、God is able to do exceeding abundantly above all that we ask or think 神は、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできるお方。その、神のexceeding abundanceを、私は今、このとき、心に深く感じている。今後何か思いがけない素晴らしく良いことが起こるだろうという期待ではなく、今、このとき、すでに心にいただいている。

 

神よ。私の心はゆるぎません。
 私は歌い、
 私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。
 十弦の琴よ、竪琴よ。目をさませ。
 私は暁をよびさましたい。
 主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、
 国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。
 あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、
 あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
 神よ、あなたが天であがめられ、
 あなたの栄光が全世界であがめられますように。
 (詩篇108:1−5)

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