ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

井口耕二氏のブログ

 今話題の『スティーブ・ジョブズ』の翻訳者、井口耕二氏のブログを読み、しびれた。こういう方を「プロの翻訳者」と言うのですよね。
 あの大作を、3ヶ月間で一人で訳し上げた井口耕二氏ですが、アマゾンのカスタマーレビューに、誤訳を指摘してこられた方がいたそうです。

 誤訳の指摘にいつもこのように対応するわけではありませんが、と断った上で、それらの指摘に対して、ブログ上でお返事をなさっているのだけれど、その対応の仕方が大人です。明らかな間違いに関しては、すなおに受け入れ、翻訳者としての責任を認めていらっしゃる。実際、「どうしてこんな思い込みをしてしまったのだろう?」というような誤訳って、やっちゃうことが確かにあるんですよね。訳文を読み直している段階で、必ずしももう一度原文と訳文を一語一句照らし合わせて確認するわけではないので(たいていは、訳文だけを読んでも誤訳に気づくのですが、それでも)、誤訳を見落としてしまうことはあるのです。もちろん、言い訳にもなりませんが。井口氏とは比べものにはならないものの、翻訳書を出版したことのある者として、私も一緒にすみませんと頭を下げたい思いです。
 しかしさらに共感したのは、明らかなミスではない箇所の指摘に対する井口氏の対応。原文の一箇所だけを取り出して、その部分と訳文を比べれば、「これは違うのじゃないか?」と言いたくなることはあるかもしれない。でも、訳者もいろいろ背景となる情報を調べたり、実際にその段落の中でのその文章、そのフレーズの日本語でのおさまり具合を考えた上で、「敢えて」そのように訳した、という箇所も多々あるものなのです。
 たとえば、原文に、現実にそぐわない記述が含まれていることがあれば、原文の英語だけでなく、現実も考慮に入れた上で訳すことも、少なからずあります。私の場合、たとえば『子どもに愛が伝わる5つの方法』で、著者は心理学者でありながら、なぜか「正と負の強化」に関する記述が間違っていました。原文通りに訳すと、心理学の定義としては明らかに間違いです。そこで、その部分は正しい定義に直して訳した上で、訳注をつけたと記憶しています。井口さんの例で言えば、ジョブズがホテルオークラの寿司屋でeelの寿司を食べたという箇所があるそうで、別の箇所ではそれがunagi sushiとはっきり言われているにもかかわらず、井口さんは「穴子」と訳された。なんでも、ちゃんとホテルオークラのお寿司屋さんに電話をして、確認したのだそうです。ああ、その手間! 泣ける! そうなんですよ、翻訳者って、そういうことをするんです。しょっちゅうです。(寿司屋にしょっちゅう電話はしませんが。)『ゲノムと聖書』の翻訳をしているとき、私、DNAや進化論に関する入門書をあれこれ読みました。登場人物たちの人間関係を理解するために、いろんな資料を当たりました。たったひとつのフレーズ、ひとつの文章を訳すためだけに、びっくりするほど「裏」を取る場合もあるのです。それが翻訳者の仕事であり、楽しみでもあると思っています。
 原文が曖昧で分かりにくい箇所は、著者の意図を汲んで(少なくともそのつもりで)、訳文でも敢えて曖昧なままに残すこともあります。たとえ裏をとって説明を加えることが可能だとしてもです。
 その辺のさじ加減は微妙で、結果として裏目に出ちゃうこともあるかもしれない。それでも、翻訳者としては、考えに考えて判断しているんですよね……

解説は……やめることにしました。いったんは書いたのですが。ニュアンスが伝わった人にはいまさらでしょうし、ニュアンスが伝わらなかった人は解説されてもおもしろくもなにもないでしょう。だいたい、ここ以外にもさまざまな形でさまざまなニュアンスを込めて書いているわけで、正直、そのすべてがすべての人に伝わるとも思っていません。伝わるどころか、込めたつもりのニュアンスと異なる読み方をする人も当然にいるわけですから。だからといって、ここはこう読むべきと私の意図を押しつけるのが正しいのかと言えば、こういう本の場合、そういうものでもないでしょう。翻訳物にせよ、日本人作家が書いた小説などにせよ、モノを書いて読んでもらうとはそういう行為なのだと思います。

 これは、井口氏の言葉です。翻訳するときに、どうしても翻訳者の解釈が入るように、翻訳されたもの(あるいはもとから日本語で書かれたものでも)が読まれるときも、どうしてもある程度は読む人の解釈とか受け取り方に依存する部分があるでしょう。その部分は、書き手にはコントロールの及ばないところでもあり、そういうものだとしか言いようがないかもしれません。(とはいえ、私が翻訳するようなタイプの本は、極力明快に訳すことを心がけてはいますが。)

 ああー、私のようなヘッポコ翻訳者が、井口氏のような実績ある翻訳家のおっしゃる言葉に便乗して「そうだ、そうだ」と言うのも非常に恐縮なのですが……
 それでも、すごく共感しちゃったので、書いてしまいました。

 ちなみに、井口氏の『スティーブ・ジョブズ』本の翻訳に関するほかのエントリーも、とても興味深いです。これからも、氏のますますのご活躍を期待し、応援します。

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