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(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

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2011-11-09

井口耕二氏のブログ

13:37 | 井口耕二氏のブログを含むブックマーク

 今話題の『スティーブ・ジョブズ』の翻訳者、井口耕二氏のブログを読み、しびれた。こういう方を「プロの翻訳者」と言うのですよね。

 あの大作を、3ヶ月間で一人で訳し上げた井口耕二氏ですが、アマゾンのカスタマーレビューに、誤訳を指摘してこられた方がいたそうです。

 誤訳の指摘にいつもこのように対応するわけではありませんが、と断った上で、それらの指摘に対して、ブログ上でお返事をなさっているのだけれど、その対応の仕方が大人です。明らかな間違いに関しては、すなおに受け入れ、翻訳者としての責任を認めていらっしゃる。実際、「どうしてこんな思い込みをしてしまったのだろう?」というような誤訳って、やっちゃうことが確かにあるんですよね。訳文を読み直している段階で、必ずしももう一度原文と訳文を一語一句照らし合わせて確認するわけではないので(たいていは、訳文だけを読んでも誤訳に気づくのですが、それでも)、誤訳を見落としてしまうことはあるのです。もちろん、言い訳にもなりませんが。井口氏とは比べものにはならないものの、翻訳書を出版したことのある者として、私も一緒にすみませんと頭を下げたい思いです。

 しかしさらに共感したのは、明らかなミスではない箇所の指摘に対する井口氏の対応。原文の一箇所だけを取り出して、その部分と訳文を比べれば、「これは違うのじゃないか?」と言いたくなることはあるかもしれない。でも、訳者もいろいろ背景となる情報を調べたり、実際にその段落の中でのその文章、そのフレーズの日本語でのおさまり具合を考えた上で、「敢えて」そのように訳した、という箇所も多々あるものなのです。

 たとえば、原文に、現実にそぐわない記述が含まれていることがあれば、原文の英語だけでなく、現実も考慮に入れた上で訳すことも、少なからずあります。私の場合、たとえば『子どもに愛が伝わる5つの方法』で、著者は心理学者でありながら、なぜか「正と負の強化」に関する記述が間違っていました。原文通りに訳すと、心理学の定義としては明らかに間違いです。そこで、その部分は正しい定義に直して訳した上で、訳注をつけたと記憶しています。井口さんの例で言えば、ジョブズがホテルオークラの寿司屋でeelの寿司を食べたという箇所があるそうで、別の箇所ではそれがunagi sushiとはっきり言われているにもかかわらず、井口さんは「穴子」と訳された。なんでも、ちゃんとホテルオークラのお寿司屋さんに電話をして、確認したのだそうです。ああ、その手間! 泣ける! そうなんですよ、翻訳者って、そういうことをするんです。しょっちゅうです。(寿司屋にしょっちゅう電話はしませんが。)『ゲノムと聖書』の翻訳をしているとき、私、DNAや進化論に関する入門書をあれこれ読みました。登場人物たちの人間関係を理解するために、いろんな資料を当たりました。たったひとつのフレーズ、ひとつの文章を訳すためだけに、びっくりするほど「裏」を取る場合もあるのです。それが翻訳者の仕事であり、楽しみでもあると思っています。

 原文が曖昧で分かりにくい箇所は、著者の意図を汲んで(少なくともそのつもりで)、訳文でも敢えて曖昧なままに残すこともあります。たとえ裏をとって説明を加えることが可能だとしてもです。

 その辺のさじ加減は微妙で、結果として裏目に出ちゃうこともあるかもしれない。それでも、翻訳者としては、考えに考えて判断しているんですよね……

解説は……やめることにしました。いったんは書いたのですが。ニュアンスが伝わった人にはいまさらでしょうし、ニュアンスが伝わらなかった人は解説されてもおもしろくもなにもないでしょう。だいたい、ここ以外にもさまざまな形でさまざまなニュアンスを込めて書いているわけで、正直、そのすべてがすべての人に伝わるとも思っていません。伝わるどころか、込めたつもりのニュアンスと異なる読み方をする人も当然にいるわけですから。だからといって、ここはこう読むべきと私の意図を押しつけるのが正しいのかと言えば、こういう本の場合、そういうものでもないでしょう。翻訳物にせよ、日本人作家が書いた小説などにせよ、モノを書いて読んでもらうとはそういう行為なのだと思います。

 これは、井口氏の言葉です。翻訳するときに、どうしても翻訳者の解釈が入るように、翻訳されたもの(あるいはもとから日本語で書かれたものでも)が読まれるときも、どうしてもある程度は読む人の解釈とか受け取り方に依存する部分があるでしょう。その部分は、書き手にはコントロールの及ばないところでもあり、そういうものだとしか言いようがないかもしれません。(とはいえ、私が翻訳するようなタイプの本は、極力明快に訳すことを心がけてはいますが。)

 ああー、私のようなヘッポコ翻訳者が、井口氏のような実績ある翻訳家のおっしゃる言葉に便乗して「そうだ、そうだ」と言うのも非常に恐縮なのですが……

 それでも、すごく共感しちゃったので、書いてしまいました。

 ちなみに、井口氏の『スティーブ・ジョブズ』本の翻訳に関するほかのエントリーも、とても興味深いです。これからも、氏のますますのご活躍を期待し、応援します。

かきごおりかきごおり 2011/11/09 23:12 すごいですね。私はこの方の真摯な返答に感動していただけでしたが、はちこさんのコメントを読んで、確かに誰も気がつかないところで、本当に細かい確認をされていること伸しんん検査もすごいですよね。その寿司屋の件!
でも、いつもはそんなことを一々苦労話として披露することもない。
日本語としても伝わるものを作る苦労もどれほどのものかと思います。
私たちが手にする邦訳の陰にある多くの方々の働きに心から感謝します。

かきごおりかきごおり 2011/11/09 23:17 ん?上のタイポ、何でしょう?自分でもわからない。(笑)
よりによって、こういう話題のところで・・・!
「本当に細かい確認をされていることも思わされました。」という気持ちだったと思います。
すみませ〜ん!穴があったら入りたい!間違った時に自分で消せないのも痛い。

はちこはちこ 2011/11/10 10:30 かきごおり先生
このタイポ、受けました。(笑)きっと、「真剣さ」と書こうとなさっていたのでは?

こういった調べものや確認作業も、翻訳の醍醐味の一部なんですよ。一日の作業のうち、翻訳している時間より調べものの時間の方が長かった、なんていう日もあります。というか調べているうちに興味が湧いて、翻訳と関係ないところまで調べちゃったりもするのです。
もう10年以上前になりますが、日本のある翻訳者の方から、クリスチャンの心理学者の書いた本を下訳している最中だけれど、罪の概念が出てきて、気になるので詳しく教えてほしいと、メールをいただいたことがありました。「罪の概念を知らなくても翻訳はできるけれど、それでも知りたくなったので」とおっしゃっていました。今振り返ってみて、その翻訳者の方の気持ち、よくわかるなぁと思いますし、そういう経路で、その方がキリスト教について関心を持ってくださったことも、きっと主のご配剤だったのだろうなぁと感動したものでした。

かきごおりかきごおり 2011/11/10 11:05 あああ、「真剣さ」ですね。解読してくださってありがとうございます。どうしてこうなっちゃったのか、謎は残りますが・・・。

でも、お伝えしたかったのは、読む方は、「日本語がわかりやすい」とか「わかりにくい」とか、勝手なことを言いながら読みますが、その陰には、本当に大きな労力と、「真剣な」伝えたい!という情熱があるんだなあと、つくづく思わされた、ということでした!!!

翻訳の問題はほぼ日本語の問題と理解していますが正しいですか?英語で意味が分かっていないわけではない(もちろん、それも大切で、「罪の概念」云々もそれをわかりたいというお気持ちからだったのでしょうが)、それをどの言葉にすれば、どの言い回しにすれば、この原典を読んでいない人にわかってもらえるか、そこがご苦労なのかな?と考えます。
最近、邦訳ものを読んだあと、原典を読んで「あああ、元々はこういう言葉だったんだ!!え〜?この日本語にしちゃうと著者の意図が全然伝わらないじゃん」とつっこみたくなることも多かったです。そんな中で、いつの間にか傲慢になって、翻訳者の方々のご苦労に心が向かなかったりした自分はなんて浅はかだったんだろうかと。

本当に翻訳家の皆さんに感謝します。もっともっとすばらしいものをもっともっとたくさん紹介してください!

はちこはちこ 2011/11/10 14:18 ぎゃーー。記事中で、「正と負の条件付け」と書いたところ、「正と負の強化」の間違いでした。恥ずかしーー。今きづきました。翻訳どころか、普通に日本語で文章を書いていても、こんなミスをしちゃうんですから、嫌ですねーー。

かきごおり先生、

いちおう仕事で翻訳している人であれば、うっかり英文を読み間違えることはあっても、英文が理解できなくて誤訳することは滅多にないだろうと思います。(絶対とは言いません。)おっしゃるように、英文の意味は分かるのだけれど、その意味をどう日本語で表現するかで苦悶するんですよね。ごく単純な英単語、たとえば「good」なんて言葉が、案外訳しにくかったり、ということはよくあります。God is goodを日本語で何と訳すか?「神は良い」では、あまりに間が抜けてますよね。(笑)


翻訳について語り出したらきりがないので、このへんにしておきますね。

ひみつのあっこちゃんひみつのあっこちゃん 2011/11/11 00:29 私も「スティーブ・ジョブズ」を読んでいますが、夫に薦められて井口氏のブログも興味深く読んでいました。私もしびれました!翻訳の舞台裏のエピソードにハラハラドキドキしました(笑)
翻訳業というのは、限られた時間の中で著者と読者の両者の立場に立ちベストを尽くさなければならず、本当に神経を使うお仕事だと思います。
4人の子育てをしながら翻訳のお仕事をされているはちこさん、本当に尊敬します。
翻訳業をしていると、無尽蔵に時間を(お金も?)かけたくなりますよね。調べ物とか・・
昼も夜も頭から本の内容が離れなかったり・・。
集中して作業をしている時は家事や育児で作業を中断したくない〜と思われたりすることはないですか?一体どうやってバランスをとって翻訳業をされているのか、私には想像できません〜!
本当にはちこさんのご苦労に改めて感謝です。

♪Sunny♪Sunny 2011/11/11 02:43 リンクのところに、今年の1月にわたしがブログに書いた記事を入れさせていただいたのですが、そこに、中島みゆきさんの文章を引用させていただいています。
井口氏の言葉と、わたしの中で何か符合するものを感じました。
引用部分だけでうまく伝わるかどうか、わかりませんが、「ものを書く」表現する、ということは、そういうことなのだ、と改めて感じました。
それにしても、翻訳のお仕事の陰でなされている努力(?)、本当に素晴らしいですね。
プロの仕事というのはそういうものなのだなあ、と改めて教えられております。

はちこはちこ 2011/11/11 13:48 ひみつのあっこちゃん、
そうなんです、著者と読者の間に立つので、受け取り方は読者次第と言っても、そもそも著者が言わんとしていることをちゃんと伝えることができているだろうか?ということが常にあり、責任を感じます。
集中した作業に関しては、いや〜、私はADD的傾向があるみたいで、もともと、気が散りやすいんですね。だから、集中できる環境があったとしても、やっぱりあっち向いたりこっち向いたりして、途切れ途切れになってしまうかもしれません。(汗)その意味で、今の形は私に合っているのかも。^^;

♪Sunnyさん、
ああ〜、そうそう、そうなんですよね。表現するって、受け取る人あってのことですから、自分だけで握りしめていることはできないのですよね。
Sunnyさんの、「非常に、理屈っぽいわたしの性格が表れていますが、結局のところ考えすぎるとわからなくなる、ということでしょうか」という部分、深く共感してしまいました。私も理屈っぽくて、あれこれ考えるのですが、結果として「わからなくなる」ということが多くて。(苦笑)でも、考えることは止めたくないですよね!
どんな仕事も、受け取り手の目には見えないいろんな努力や苦労があるのですよね。自分の好きなことを仕事としてできるのは、感謝だなぁと思っています。^^

たしんたしん 2011/11/14 06:25 たしかに日本の一流ホテルの寿司屋が鰻の握りは出さないよなあ(笑)。

ちょっと引っかかったら気の済むまで調べるということなんでしょうね。
あっぱれ!

はちこはちこ 2011/11/14 10:52 日本人なら、「うなぎ」と出てきたところで「あれ?」と思いますよね。外国人ならうなぎも穴子も同じなのでしょうが、日本人の読者なら違和感あるでしょうから、やはり調べて確認したいところだったのでしょうね。