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ミルトスの木かげで このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

God Bless you!!
(ミルトスの花)

Christian spiritual formation is the process of being conformed
to the image of Christ for the sake of others.
M. Robert Mulholland Jr.

ブログを移転しました。こちらにお越し下さい。よろしくお願いいたします。
http://rhythmsofgrace.blog.jp

2012-11-26

徒然メモ

16:44 | 徒然メモを含むブックマーク

 (1)昨日ご紹介したRend Collective ExperimentのBuild Your Kingdom Hereですが、聴けば聴くほどイイ! 歌詞もメロディも良いし、ビデオも観ていて楽しい! この曲の中で使われている不思議な楽器は、トルコ起源のジングリング・ジョニーというパーカッション楽器なのだそうだ。

 この曲が入っているアルバムは、“Homemade Worship by Handmade People”と言うらしい。ほかの曲はまだ聴いていないけれど、要チェックかな。

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 (2)二日前のヘンリ・ナウエンのデボーショナルに、復活は隠された(hidden)出来事だった、というものがあった。蘇ったイエスは、彼を十字架につけた人たちの前にファンファーレとともにドヤ顔で現れて勝利宣言をしたわけではなく、ただ、神の愛は死よりも強く、神の偉大なるご計画は成就されたことを示すために、彼を愛し、彼に従うほんの一握りの者たちの前に静かに現れただけだった… 人類を死と罪のくびきから解き放ち、神の国の到来と神の新創造の始まりとなる、それはそれは意義深いものでありながら、復活という出来事そのものは、世の目には隠されていた… 神のなさることって、そういうものなのだろうな、と妙に納得してしまう。神の国において意義あること、価値ある働きは、往々にしてこの世から見れば地味で、目立たないものなのだろう。ダラス・ウィラードが、特別な施設や企画、才能、技巧(テクニック)も、予算も必要ない、と言っていたことをふと思い出す。

 (3)「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」(第一サムエル8:5) イスラエルには、王なんかいなくても神様がおられたのに、「ほかのすべての国民のように」、自分たちにも王がほしいと言った。ほかの人たちが持っているものを自分も欲しいという人間の傾向。神が与えてくださるものよりも、「ほかの人たちが持っているもの」が欲しい。クリスチャンでさえもそうかもしれない。「ほかの人たちが持っているもの」に、ちょっと教会色をつけて。実際には、自分が欲しがっている「ほかの人たちが持っているもの」は、自分を支配することになるだけかもしれないのに。(8:11−18)

 (4)「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(第二サムエル7:12、13)王制は、本来、神がイスラエルにお与えになるつもりのものではなかった。それにもかかわらず、むしろそれは、イスラエルが神を拒絶したしるしでさえあるにもかかわらず(第一サムエル8章)、ここで神は驚くべき約束をくださる。その王の家系から、とこしえまでも続く王国の王が出る、とおっしゃるのだ。先日の講演会で、NTライトが、第一サムエル8章と第二サムエル7章の間にあるこの「テンション」について、何度か言及していたことが心に残っている。このテンションは、実に、神のなさることのミステリーだ。私たちにfigure out することはできない。ただ、畏怖と畏敬をもって仰ぎ見、感謝して受け取るだけ。