シャンバラー

シャンバラー
10世紀 ロシアの正教会神父セルギウスは 伝説「白い湖の国」を
探しに中央アジアへ旅立つ。そこは モンゴルの南に位置し四周を
高峰に囲まれた所で "ロポン"と云う湖がある。
セルギウスは 3年の予定で旅立ったが 何年たっても
戻ってくる気配はなかった。
人々がセルギウスの探査行を忘れかけた56年後の1043年 
彼はキエフに戻り その一部始終を人々に語って聞かせた。


過酷な自然環境は 行く手を阻み熱病や高山病で死者は続出、
恐れをなした者は逃亡し 気がつけば自分ひとりになっていたというのだ。
それでも セルギウスは 白い湖を目指し歩き続けていると
ある日真っ白な塩の湖の畔に辿り着いた。
しかしセルギウスの身体は衰弱し意識は遠ざかっていく。
彼は 自分の死が迫っている事を悟った。
と、その時である。
男が二人やってきてセルギウスを抱き起こすと「聖なる国」へ
導かれた。そこで賢者とともに生活をしてきた。と云うのだ。


このセルギウスの証言は ロシア正教会の手により正式に記録され、
厳重に保管されている。記録の最後には こう書かれてあった。

昔から多くの者たちがこの国を目指したが 実際辿り着いたものは
極僅かである。何故ならば この国は 各世紀ごとに7名しか入国を
許可されないからだ。 そのうち6名は この国で得た奥義を携え 再び
外の世界に戻らなくてはならない。だが残る一人は この国にとどまり
不老不死の生活を送るのである。

シャンバラーに関する記述は 紀元一世紀のボン教教典で確認できる。
教典には 一枚の地図が含まれ古代国家である、
ペルシア・バビロニア古代イスラエル・エジプト・バクトリアと並び
シャンバラの位置も示されていた。


セルギウスの探査から1000年余り後、シャンバラーは再び脚光を浴びる。
神智学協会を設立したロシアのヘレナ・ブラバッキー夫人は、「秘密教義」の
中で 私の思想は チベットの奥地に住むマハトマ(大師)から
送られてくるものだと述べている。


ゲオルギー・グルジュフの著書「注目すべき人々との出会い」の中で
中央アジアには"大いなる叡智"を集結した聖地があると主張する。


またポーランドの地理学者オッセンドフスキーは、中央アジア探検後の
著書「獣・人・神々」で シャンバラーについて書いている。

1920年我々は モンゴルの高原ツァガン・ルクを横断していた。
すると モンゴル人の案内人が突然「とまれ!」と叫び大地にひれ伏すと
真言を繰り返し唱え始めた。何が起こったのかと私が案内人に問うと
「空気が振るえ妙なる調べを 伝えてきています。駱駝もおののき耳を
動かしているのが見えますか?世界の王が地下宮殿から人々へ
未来の運命の予言をしているのです。」
私も耳を澄ましてみると暫くしてその音が聞こえてきた。

この不思議な体験は オッセンドフスキーの心をまだ見ぬシャンバラーへと
かきたてる。 それから彼のシャンバラー探求の旅が始まった。
オッセンドフスキーとともに旅をしたラマ僧によると 

「今から6万年前一人の聖者が ある部族を連れ
地下に入り 地底で理想郷シャンバラーを築いた。
この国は 全ての悪から守られており犯罪などありえない。
シャンバラーの中央部には 世界の王の住む宮殿があり 
その外周には 副王たちの宮殿があり 更にその周囲に
聖者たちの住む館が立ち並ぶ。
彼らは "地表"の人類を凌ぐ超能力を持ち 万が一地表の人間たちが
戦争を挑むような事があれば 地球表面は爆破され不毛の地にしてしまう。
彼らは植物と動物全ての生命活動を支配しており 老人を若返らせ
死者をも生き返らせる。」

オッセンドフスキーは 洞窟まで辿り着いたが残念ながら
その先に足を踏み入れる事はなかった。

また シャンバラーにもっとも近づけた男 ニコライ・レーリッヒがいた。


つづく