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狼藉の日々 このページをアンテナに追加

2006-09-27

『僕たちの戦争』雑感

| 15:37 | 『僕たちの戦争』雑感を含むブックマーク

 吾一のこと,ダラダラ考えてて,ふと思い出したこと。

 「はなまるカフェ」に登場した未來さん,「収穫」の一つ,ウェットスーツの解説をしながら,「主人公はダイバーをやってて…」って言ってましたよね。

 それ見ながら,あれ?原作でサーファーだった健太,ドラマではダイバー設定なのかな?なんて思ってたんだけど,放映見たら,ダイバーじゃなかったですね(笑)。原作通り,やっぱりサーファーでしたよ。うふふ。

 きっと,自分の肉体もこころもがガツンとしみじみと経験したことのみを,血肉にして骨にしていく未來さんの中では,主人公は間違いなくダイバーだったんでしょう。宮古島や茨城の海中で,たった一人で泳ぐ吾一,その水中の泳ぎといったら,美しくて力強くて自由自在で,惚れ惚れと息を呑んで見とれてしまいましたもん…。並大抵のダイバーも真っ青!のおよぎだったんじゃないですか?などと思ったり…。 

 あんな安定して美しく力強い泳ぎの前では,そりゃあもう,スタント使わないで彼に全部託そう!って以外に,答えはないですよね。大自然の中に飛び込んでの危険と隣り合わせの水中撮影,彼を信じ彼の力に賭けたスタッフ,それに見事に応えて全行程を一人で泳ぎ切った未來さん…。彼自身にとっても,撮影チームにとっても,この上ない達成感をもたらしたに違いないです。

 うん,間違いなく,健太ー吾一は,未來さんにとっては立派なダイバーだったんだな…。そんなこと考えると,ほくほくとまた嬉しく幸せになるのでした。

 

 精神力も体力も人並み外れた挑戦者。若いって素晴らしいなあ!って毎度のことながら,未來さんを見てると,つくづくつくづくと思っちゃいます。年寄りじみてるとでも何とでも言ってちょうだい!ゲーテだってそう唸りながら小説書いたんだい!ってゲーテじゃないけど(笑)。

 

 ……だから,改めて思います。

 こんな若い輝かしい命、みずみずしい正義感,理想に燃えて滾る肉体,そんな光そのものの魂を、ブルドーザーでかき集めるみたいに一束にして握りつぶして地面にたたきつけて,そして戦地に注ぎ込んで殺してしまったら,絶対にいけないんだ。絶対に。

『僕たちの戦争』「感じたこと」その3

| 04:07 | 『僕たちの戦争』「感じたこと」その3を含むブックマーク


 吾一です。


 このドラマ、物語、で、「たった一人の健太」に対比される吾一、その意味をずっと考えてるんだけれど、いろんな解がくるくる回って収拾がつかず、いつしか、どれもアリなんだろうなってところで落ち着いてしまう。

 というのも、「健太」が過去の世界に放り出され、その中でいろんなことを知り感じ、ミナミを愛する気持ちの核心をつかみ取る過程を描くなら、健太の入れ替わりに吾一という人物を呼びこむ必要は、極端に言えば,無い。それなのに、原作が単独のタイムスリップじゃなく、「入れ替わる」というモチーフを選択したのはなぜなのか。吾一は健太にとって何だったのか。

 人間の本質や核心部分は、時代によって変わることはないーー「俺たちと何にも変わんねえんだよ!」というメッセージの為には、健太一人でも装置としては十分なところに吾一が登場する意味、それを考え始めると、止まらなくなるんです。ばかだなあ…。

 でも、それも今日で、止めるぞ(苦笑)。


 以下、またまたくだらなく長いので、畳みます。





 私が妄想するに、吾一は、最初から健太の一部、というか、健太と吾一は最初から1つの人格ーー記憶と言ってもいいーーを共有してたんだろうと思う訳です。最初から同じ1人を共有する「2人」。それぞれは、時空を超えて引き離されていた半身で*1、それがタイムスリップによって、別個に刻んできた時間を互いに埋め合うことになるという…。そして、最終的に沖縄の海で「2人」は交錯(融合)し1つになる。ミサンガが切れて健太の境界が外れるのは、その象徴。

 小説では、2人が1つの記憶を共有することを示すリンクが、いくつか隠されていました。ドラマではすべて端折られてたけれど…。気のついた点を幾つか挙げてみますね。


  1. 大洗海岸(これは記憶じゃないけど、2人が同時に同じ体験をしていることを示す例、として…)
    • 鴨志田の家で酔っぱらった健太、真夜中に目を醒ます。時刻は午前2時過ぎ。思い立って大洗海岸に出かけ、暗黒の海に泳ぎ入る。しかし、闇の海の恐怖に畏れをなし、夜明けを待たずに海から退散。(単行本p.374〜376)
    • 61年後の同じ日(たぶん)、未来に飛ばされた吾一は健太のベッドで、暗黒の、ねっとりした夜の海に潜る夢を見る。海底に引きずり込まれそうな恐怖に目を覚ますと、時刻は02:11am。その後、吾一は車に乗って大洗海岸へ。車で飛ばせば30〜40分だ、夜明けまでにはまだ時間があるだろう、という独白。(同p.376〜377)
    • ここでは、明らかに2つの半神は呼び合っていたけれど、どこかで何かがずれたんだろうな、ニアミスで一体化は失敗します。でも、問題は次の交錯。クライマックス。
  2. 沖縄伊江島
    • ミナミと初対面の吾一。「ミナミ」という名を聞いて、ふいに行ったことも無い南の島、やしの木の下で、腰に布を巻き、ブーゲンビリアの花を髪に挿した娘の姿が脳裏によぎる。(同p.113)
    • 健太が航空隊で迎えた最初の朝。ベッドで身を守るように胎児の形に身体を丸めていた健太。夢に出てきたミナミは、見知らぬ南の島で、やしの木の下に立ち、ブーゲンビリアを髪にさし腰に布を巻いている。それを見て、「はるか昔に見たことがあるような夢だ」と健太は思う(p.207〜208)。
    • 吾一。フェリーが伊江島の島影を捉えたとき、ぞくりという感覚を味わう。既視感より、もっと強い感覚(同p.401)
    • 8月16日、フェリーの出発までの時間を利用して最後に海に潜る吾一。海岸にたつミナミの姿に、初対面の時に脳裏をよぎった娘の姿と同じだと思う(同p.420)。
    • 吾一は海に捉えられる。心臓の鼓動、羊水に包まれる感覚。(p.426)ドラマではこの場面、吾一@未來さんは、完全な胎児の形で海にたゆたっていた。生と死との、死と生との、ちょうど中間に位置して、息を、いや肺呼吸をせずに…。吾一と健太にとって、「死」は、「生まれる前」でもあるのかな。

 健太が、かつて見たことがあるように思った「ミナミの夢」と、吾一がミナミを見て最初に脳裏に浮かべた「娘のイメージ」。これは伊江島のミナミの姿であったことは、間違いないですよね。その姿は、「海に入る」吾一が見たミナミの姿であるし、「海から再生」した「健太」が眼前に目にするはずの、海辺にたつ娘?ミナミの姿です。

 伊江島のミナミの姿を、吾一と健太は共に記憶の底に留めていたことになります。病院で尿意に襲われてミナミに支えられる吾一、ミナミの髪に花の香りを感じて、遠い昔に嗅いだ記憶がある、何だったかな?とぼんやり考えるシーンもあったし…。この花は、ブーゲンビリアを暗示しているのかもしれませんね。あ、但し、伊江島のシーンで、ミナミは実際には髪にブーゲンビリアをつけてません(苦笑)。でも、健太が穿いてたサーフパンツはブーゲンビリアの模様ってことだし、ドラマでは、沖縄の海のシーンで、ドーンと真っ赤のブーゲンビリアが画面を覆ってたし…。やっぱり、モチーフとして、ブーゲンビリアは大事なはずですよね。


 こんな風に、ミナミを挟んで2人の時間が引き合っていたってことは、2人がバラバラであった時から、実は既に一体であったことを意味するんじゃないか、と思うのです。それが共に胎児のイメージと結びついている(健太の「胎児」イメージは、修辞として少し弱いけど)ことも、示唆的で…。再生のトンネル、扉、鍵……、そんなものを想起させます。

 

 吾一と健太は、最初から1つの存在、いやもしくは、追いかけ合って生を循環していた1つの人格だったのかもしれません。「入れ替わった」のは、それぞれの、自らの、記憶の底に遭遇したということ。吾一の中に健太は生きてるし、健太の中に吾一も生きている。通常なら知り得るはずのない自らの「半神」を、有り得ない偶然が引き合わせて、健太は吾一を知り、吾一は健太を知ることとなった。とすると、「入れ替わった」のではなく、「輪廻の順番が少し前後した」ということになるのかな…。

 だから、海から上がってきた「健太」は、吾一の存在を取り込んで生まれかわった「健太」。吾一の記憶は健太の中に生きるし、一方の健太の記憶は、次の生を待つ「吾一」の中に守られることになる。


 そんな風に考えてくと、健太に肉薄しつつあった「吾一」は、「健太」が帰ってくるその場を守ってくれていた、ってことになるかな。吾一が守った「場」があるから、いろんな意味で生まれかわり再生した「健太」に、ミナミも、パパさんもママさんも、もうきっと二度と驚かない。本当の、この世にたった一人の「健太」が戻ってきても、もう誰も「頭がおかしくなったんじゃないの?」なんて思わないはず。吾一は健太に追いつき、健太は吾一に追いついた。半身だった2人は、やっと1人になれたってこと、かな。

 

【追記】

 というより、ずーっとミナミの前には健太しかいなかったのかも知れない。入れ替わったのは、意識下の「記憶」だけで。肉体はずっと2人のまま…。だから、ミナミとの間の子どもも、健太の子ども。二つの記憶をもって、再び健太が海から帰ってくる。そういうことかもしれないなあ。…なんて、今日思った。(9/28朝)

 よろしければ→をごらんください…。→28日の日記



 いやあ、全然、「戦争もの」として見てませんね(苦笑)。かといって、「輪廻転生」って訳でもないですけど…。あ、ドラマの感想ですらないかも…。すみません。ただ、目の前に投げ出された文脈を、ついついあれこれひっくり返してしまう悲しい性で…。考え過ぎ、ですよね…。


 

 ああ、君のため。

 

 

*1:半神@萩尾望都って言葉をところどころ使わせてもらいます。

yukariyukari 2006/09/27 09:32 mmoohさんの考察面白かったです〜毎度ありがとうございます〜☆
私観ながら、輪廻転生だ、と思いましたよ...前世の記憶がある人もいると私は思ってるので、遠い記憶にふうっと飛ぶ様な体験、そこから享受する示唆を “ニューエイジ色” を消して、それも “入れ替わる” と云う事で明解にしてるのだなぁ...なんて思ってました、現世にお墓もありますしね*原作者遊び心のある真摯な方...!お話してみたいですよね、囲んじゃいたいくらいですよね(失礼!)
昨日朝、信用筋からの薦めで「紙屋悦子の青春」観て来たのですけど、同じ終戦直前のお話乍ら、「僕たち...」みたいにスパイラルじゃ全然無い、これはまた「僕たち...」の後、まだまだ納まらないこの気持ちを鎮めてくれました*食指が動かれたら是非〜

mmoohmmooh 2006/09/27 09:47 ◆yukariさん>コメントありがとござます。ゆかりさんは輪廻転生だと思われましたか。そういう要素もあるかも。ただ、私が思うのは「輪廻転生」とはまた違って…他にうまい言葉が見つからないので一番近いのはそれなのかも知れないかもしれないけれど、なんて言うかな、もっと近い、たぶん、1つの「かたわれ」同士なんじゃないかって、半身同士なんじゃないかって、そんな感じなんです。2人の「記憶」memoryが1つになってやっと1人の「健太」になる、っていう、そんな感じなんです。それが時間を超えて切り離されてた、それがメビウスの輪みたいにぐるりと順序が逆になって裏返ってやっと表裏になったっていうか……。ああ、よけいややこしいですね(汗)。すみません。
「紙屋悦子の青春」ですか。ちょっと調べて見ます☆ありがとうございます。

mnm1024mnm1024 2006/09/27 21:39 完結(?)ありがとうございます☆もうmmoohさんの頭ん中はやっぱり違う!!素晴らしい解釈です・・・あ〜ぜひぜひ原作者さんにこの解釈文(?)を送って頂きたいです・・・とにかく2時間枠でここまでよく持ってきたと思います(彼だからこそですが)
はなまる・・・私もタイムリーに見ながら思ってました・・・ダイバーちゃうやろ!!と一人でつっこんでました(笑)

kee-cokee-co 2006/09/27 21:57 キイコです、こんばんは。お邪魔します。小説、一度読んだだけではここまで考えが及びませんでした!なるほど!とうなりました。 私は、海中でまるまってる姿はてっきり回天の操縦している姿勢のまま戻ってきた健太、に見えておりました。 最近小説を読んだ妹は、最後が、ミナミのお腹の中の子が吾一の生まれ変わり、という表現だと感じたそうです。 いやーしみじみ、いろんな考えをめぐらせられる良いストーリー、そのドラマで完璧な適役だったなー未來くん、とも思いました。ではではまた!

TMRTMR 2006/09/27 22:07 はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいてます。いまだにドラマの余韻に浸っています。水中での吾一、本当に美しかったですね。水中撮影班のカメラマンさんのブログにもドラマをみた感想が書かれてあって、その中でこのような心に残る作品に関われて良かったとのような事を言われてみえて、嬉しくて嬉しくて涙がでそうでした。スタッフさんと役者さんの想いが一つとなり、あのテレビの画面からはみ出そうなパワー溢れた作品につながったんだなと改めて思わされました。本当に今は未來さんには勿論のこと、色んな人にありがとうと言いたい気持ちで一杯です。

yukariyukari 2006/09/28 02:04 いつもながらご丁寧にコメレスありがとうございます!もんのすごく良く分かります〜だって健太は過去の記憶鮮明なまま現世に戻って来たんですからね(って、健太が戻って来たのだって決めてる)これからの健太は、吾一が身ごもらせたみなみのお腹の子を、万感の思いで慈しんで生きて行くんだろう...未來さんステキ〜〜〜!!!と最後はなってしまうんですから雑な私です。mmoohさん続きはぜひ森の石松辺りで☆

mmoohmmooh 2006/09/28 02:48 ◆ mnmさん>こんばんは〜。今日のはドラマというより、原作の話ですよね(苦笑)。でも、小説じゃないと成立しないんじゃないかと思ってた二者一体を、未來さんは、ほんとに見事に生身の肉体で表現しはりましたよねえ。すごいです…。「ダイバー」、つっこみましたよね♪ でも、ドラマ見たら、ほんとにダイバーだった(笑)。
◆ キイコさん>ようこそいらっしゃいました!ふふ、何か不思議、自分の昔のニックネームと同じお名前を呼ぶのって…(笑)。…ああ、そうですね、最後の吾一の姿勢、回天の操縦席の姿勢にも通じますね…。うーん、そこでも吾一と健太がリンクしてるんだ。浜辺のミナミの姿って、ラストの光景だけれど、健太と吾一にとっては、「始まり」でもある…。ほんとに、いろんな想像をかき立ててくれる、原作とドラマでした。その二つに、やっぱり未來さんの存在は大きかったなあ☆と、またまた、つくづく思います。
◆ TMRさん>ようこそお越し下さいました!水中のシーン、本当に美しかったですね。危険なポイントでの撮影だったとか。スタッフの方の苦労が見事に結実した、素敵な映像でした。水中カメラマンさんの感想、私も読みました。作った方が強い達成感をもっておられることに、私も感動しました。ほんとに感謝感謝ですね!…勝手な想像なんですが、未來さんの卓越したエネルギーって、回りの「本気」をぐんぐん引き出す力が有るんじゃないかなって思うんです。それもモノを作る人間に不可欠の天賦の才能なんじゃないかしら、と…。ああ、すみません、どんどん暴走する(苦笑)。また遊びにきてくださいね。
◆yukari さん>いや、私も同じです(笑)。結局いつも、未來さんって、ほんとすごいなあ…と絶句するんです。絶句したままにしとけばいいのに、それを何とか書き表そうとするから変なことになってしまう(汗)。いつもおつき合いくださって、こちらこそ、ありがとうございます!

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