黄色い線の内側はどちらだろう

 JRや私鉄の駅で、電車が入って来るので黄色い線の内側までお下がり下さいと構内放送がある。その黄色い線たるや幅30センチの視覚障害者(この偽善的な言葉!)用のぶつぶつがある板のことだ。こんなに広くて線というのだろうかと違和感があった。これは帯だろう。もう一つ違和感があって、内側という言葉だ。黄色い線の内側って何となく線路側の気がするのだ。意味からすればホーム側を差すことは分かるのだが、違和感がぬぐえない。駅=鉄道という意味の中心は線路だと思うから、それから見れば線路側が内側でホーム側が外側に思えてしまうのだ。ホーム側を内側ととらえる鉄道会社は線路ではなく乗客を中心に考えていることになる。
 むかし宮川透という日本思想史の先生が「公と私」(紀伊國屋新書)を書いて、江戸時代の「公」は幕府のことで「私」は社会を表していた、現在と意味内容が正反対だったと書いていた。時代劇でご公儀なんて言っていた。ホームの内外を考えていて、宮川透の公と私の反転を思い出した。