山鳥重『言葉と脳と心』を読む

 山鳥重『言葉と脳と心』(講談社現代新書)を読む。これが素晴らしかった。著者は失語症などの高次脳機能障害の臨床に従事している。
 著者は失語症の4つの症例を解説する。健忘失語は名前がわからなくなる失語症、発話できなくなるのがブローカ失語、聞いた言葉が理解できなくなるウェルニッケ失語、「ねこ」を「なこ」などと言い間違える伝導失語。脳の損傷患者を研究することによって失語症が詳しく理解できるようになった。失語症の症例が脳の損傷箇所によって説明できることが分かってきた。伝導失語の研究から、心の中の単語生成の流れが明らかになった。


図6. 心の中の単語生成の流れ。たとえば、机(ツクエ)という単語を口に出そうとするとき、心の中で生じる動きのことです。まず机の意味(机の形とか、その機能:観念心像)が生み出され、ついで、それに相応する音韻塊イメージが想起されます。ついで、この音韻塊心像(ツクエという音イメージが融合した状態にあるもの)をツ・ク・エというはっきりした3個の音節心像の集まりに分節します。この段階では、3個の音イメージは同時に生み出されており、順序ははっきりしていません。最後に、この3個の音節群がツ→ク→エの系列に展開されます。

 伝導失語は、

言葉の「伝導」の問題ではなく、「分化」と「展開」の問題なのです。言葉が、心の中でうまく「伝導」されなくなっているのではなく、単語を音へ「分化」し、さらのその音を正しく「展開」することが(並べていくことが)できなくなっているのです。

 ついで、失語症とは異なる言語障害が紹介される。ふつう言語機能は左大脳半球に存在するため、失語症は左大脳半球の損傷によって引き起こされる。ところが、脳の左右大脳半球が切断されたとき、左大脳半球に損傷が生じていないのに言語障害が発生している。左手が持っているモノが何であるか分かっているのに、言葉では言い表すことができない。言語を担当する左半球には左手を担当する右半球の情報が伝わらないため、左半球は勝手な名前を発してしまう。
 言語を担当しない右大脳半球が損傷したときも様々な言語障害が現れた。ひとつは饒舌・多弁の傾向が起こり、また無感動かつ無関心となる。口から出た言葉がありえない内容であっても、患者はそのことに気付かなくしゃべり続ける。

左半球から切り離された右半球はかなり高度の認知活動を自律的に営むことができますが、この認知活動を本人が意識することはありません。意識するのは左半球が営む認知活動だけです。
 わたしのささやかな脳梁損傷例の経験でも、左手は触ったモノを認知し、そのモノを正しく扱うことができますが、何を触っているかを意識していませんでした。(中略)
 こうした事実は、認知(ここでは、この言葉を「入力情報の高次処理」という広い意味に用います)と言語と意識という3種の心理過程は決して三位一体ではなく、それぞれ分離しうるものだということを示しています。ある程度の認知過程は本人に意識されることなく進行しうるのです。一方、言語は、言語と言っても音声言語に限りますが、意識したものしか表現できず、意識しないものを言語的に表現することは不可能なようです。

 右半球の「本人が意識することのない認知」こそ、私たちが無意識という言葉で理解していたものではないだろうか。きわめて興味深い指摘だった。同じ著者の新刊『心は何でできているのか』(角川選書)も読んでみよう。
       ・
2月11日に続く。


言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書)

言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書)