淀川長治と吉行淳之介の対談

 『吉行淳之介全集』(新潮社)の第11巻は「全恐怖対談」と題されていて、「恐怖対談」「恐怖・恐怖対談」「恐・恐・恐怖対談」「特別恐怖対談」の4篇が収録されている。対談相手は全部で40人。その「恐怖対談」に淀川長治が登場する。

淀川  あのね、7、8、9月生れは親不孝で、10、11、12の人はセンチメンタル、1、2、3の人は頭がいいの。そして、4、5、6月の方は色気違い(笑)。

 私は色気違いらしい。これって当たっているかどうか分からない。他人のことが分からないからだ。当たっている気もするし、違っている気もする。もっとも、もし当たってたら、他の人たちはそんなに淡白なのかと驚いてしまうが。
 淀川は映画評論家だから話題は映画が中心になる。アラン・ドロンが主演した『大要がいっぱい』について、淀川が「映画の文法」を援用してホモセクシュアル映画だと主張し、驚く吉行を説得する。

淀川  それに、あの映画はホモセクシュアル映画の第1号なんですよね。
吉行  (和田誠、同席の男性も)え、そんな馬鹿な。
淀川  あれ見たら完全にそうですよ。貧乏人の息子のアラン・ドロンが金持ちの家に、坊ちゃんを連れ戻しに行く。彼は金持ちの坊ちゃんのすべてが好きになっちゃうのね。ワイシャツから、ネクタイから、靴から、全部自分のものになったらいいなあ思う。坊ちゃんのほうはそんなもの飽きて困ってる。そして、そんなものほしがる子供みたいな男を喜ぶのね、モーリス・ロネは。手紙書くのも、サイン教えて彼にやらせるようになる。そのうち、彼がおらな面白くなくなってくる。ラヴシーンだろうがなんだろうが、連れて行く。どっちも無いものねだり。片っ方はネクタイから靴から全部ほしい。片っ方はそんなこという感覚の人間がほしい。
吉行  違うと思うんだがなあ。
淀川  ちょっと待って(笑)。どっちも無いものねだりで、憎らしいけど離れられない。それがだんだんクライマックスになってくるとエキサイトしてくるのね。それは、俺が憎いんだろう、憎いんだろう、憎いんだろうで、とうとう殺すところまでゆく。そして殺しちゃった。なにもそこまでエキサイトしなくてもいいのに、エキサイトして片っ方は死んだ。そして、死体になっても、ふたりは離れられないのよ。
吉行  今、それをいおうと思った。スクリューにからみついて死体が離れない。それは淀川流解釈では、そういうことになるんでしょう、と。
淀川  もうちょっと待ちなさい(笑)。アラン・ドロンの方は、洋服からタイプライターから、全部自分のものなった。そこで、サインの練習をするでしょう。
吉行  あれが面白かった。いつか深夜劇場で見たらカットされていましたけれど。
淀川  あれ、大きなサインでしょう。プロジェクターで伸ばして練習するでしょう。まるでキスマークみたい。あんな大きくする必要ないのに、大きく大きくする。あれ、一所懸命、片っ方の唇をなすってるのね。
吉行  それはどうですか……。
淀川  なぜ、そんなことわかるかいうと、映画の文法いうのがあるんです。一番最初、ふたりが遊びに行って、3日くらい遅れて帰ってくるでしょう、マリー・ラフォレの家へ。マリー・ラフォレのこと絵本でも買ってごまかそういって。ふたりが船から降りる時ね。あのふたりは、主従の関係になっている。映画の原則では、そういう時、従のほう、つまりアラン・ドロンが先に降りてボートをロープで引っ張ってるのが常識なのね。ところが、ふたりがキチッと並んで降りてくる。こんなことあり得ないのよ。そうすると、そばで見ていたおじいちゃんが、あのふたり可愛いね、いうのね。そして、絵本渡したら、マリー・ラフォレ怒ってしまうでしょう。あの映画、マリー・ラフォレとモーリス・ロネ、マリー・ラフォレとアラン・ドロンのラヴシーンはほとんどないのね。
吉行  うーん、映画の文法か。説得力が出てきたな。
淀川  そして、モーリス・ロネを殺してしまって、最後のシーンがくるでしょ。その時に、ヨットが一艘沖にいる。あれは幽霊なの。おまえもすぐ俺のところへ来るよ、という暗示なのね。
吉行  なるほど、あのヨットは何だろう、とおもっていた。
淀川  そこへあなたのいうシーン、太陽がいっぱいのシーンがくる。足をバンとあげて喜んじゃう。その前に、マリー・ラフォレと濡れ場があるはずなのね。ちょっとあるんだけど、それは見せない。で、電話がかかってきて、そうかといった時にワインのグラスを持った。彼の手が若くて美少年らしい。それと一緒にモーリス・ロネの死体の手が写るのね。ダブって。握手してるのね。そこへ、また呼ばれていっちゃう……あれは後追い心中なのよ。
吉行  はあ−っ(笑)。映画の文法として、ふたり一緒に降りるというのはおかしいというところ、迫力がありましたね。
淀川  ふたつの殺しがあるのね。ひとつはモーリス・ロネの、もうひとつは憎ったらしい太っちょを殺すの。ちゃんと分けてる。太っちょのほうは銅像みたいなのでガーン。モーリス・ロネのほうはナイフで刺す。刃物で殺すのはラヴシーン、前のは単なる殺しですよ。片っ方のは夢の殺しなの。殺せるか、殺せるか、殺せるか試してごらん、とうとう殺してくれたというね。
吉行  ぼくは、貧乏人と金持ちというパターンであの映画見てましたけどね……。
淀川  また、監督がルネ・クレマンだから、いえるのね。
吉行  そうですか……。いや、勉強になりました。長いこと小説家やってて、そこに気がつかないんじゃ駄目だな。
淀川  善良なのよ、あなたさんは。これはさっきの仇討ち(笑)。
吉行  いや、こわかったですねえ、勉強になりましたねえ(笑)。

 さすが淀川長治、映画の見巧者。そんな風に見るなんて思いもつかないことだった。今まで私は映画の何を見ていたんだろう。脱帽!


吉行淳之介全集〈第11巻〉全「恐怖対談」

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恐怖対談 (新潮文庫 よ 4-10)

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