宇野千代の推敲

 『個人全集月報集 円地文子文庫・円地文子全集・佐多稲子全集・宇野千代全集』(講談社文芸文庫)は、全集に付録としてついてくる月報をまとめたもの。このうち、宇野千代全集に、しばしば宇野が文章を何度もていねいに推敲するという話題が出てくる。
 まず一時夫婦だった画家の東郷青児の「宇野さんのこと」から、

 谷崎潤一郎さんが、魚崎の家で、麻のじんべえさんを着て、消しては書き、消しては書きして、一日に一行しか書かれなかったことを見ている。
 宇野千代さんもひどく遅筆だった。「その日は朝から雨が降っていた」と云うような簡単な言葉でさえ、推敲に推敲を重ねて、最後に其処に落ちつくといった具合で、永い間その苦労が私にはまるで解らなかった。

 つぎに作家の美川きよ「宇野さんと私」から、

 宇野さんの遅筆は一日一行の時すらもあるとか、煉りに練り凝り凝りに凝る美しい独特の文章はわるふざけが俗受けする時代には、すでに古典視される気配だ。

 作家の阿部光子「生命力の秘密」では、

 宇野さんはまた、わたしたちの仕事や生活の心配もして下さって、特に、わたしが書いている売れない小説について、随分と面倒をみて下さった。ゆっくり書くように、字を一字ずつ書くようにというような注意もされた。宇野さんご自身、はがきの署名さえ、一字一字活字のように書かれるのだった。当時、多分、「おはん」を書いていらしたと思うが、日に二、三行しか書かれないこともあると伺った。

 みなが、宇野は推敲に推敲を重ね、一日に一、二行しか書かないこともあったと言っている。すごいことだなあとと感心して読んでいたが、作家の小山いと子の「手が書く」の文章を読み返したら、少し違うのではないかと思えてきた。

 宇野さんはこのように他のことでは私に甘いけれども、事、文学となると秋霜烈日である。文学観もとりあげる対象もちがうが、折にふれ電話で叱咤鞭撻してくださる。
「今書いてるの?」「いいえ」「何してた?」「庭の手入れしてたわ、菊が……」「なぜ書かないのよ」「構想中なんだもん」「だめッ、菊なんかで遊んでちゃだめよ。いい? 頭が書くんじゃない、手が書くのよ。そういったでしょ。頭でいくら考えてもダメ。今すぐ手で書きなさい。雨が降っていた、とまず一行書く。そこから次々とほぐれてゆく。私は何十年もそれでやってきたんだからほんとうのことよ」

 宇野は推敲して遅筆なのではなく、何を書こうか書きながら考えているのではないのか。書くことが決まっていて書くのではなく、まず一行書いて、そこから作っていったのではないか。小山の思い出から、そんなことが想像されたのだった。