小泉明郎展を見損なって残念!

 群馬県のアーツ前橋で小泉明郎展が開かれている(6月7日=明日まで!)。そのことは朝日新聞で知った(4月8日夕刊)。ずっと見に行きたいと思っていたが諸般の事情でそれがかなわずついに明日が最終日となってしまった。結局行けそうもなくてとても残念だ。小泉は1976年生まれ、映像作品を制作している。新聞の大西若人の紹介記事から、

 冒頭は、学生時代の2000年に制作したという映像作品。口笛で「蛍の光」を吹きながらものすごい音を立てて鉛筆で殴り書きをする男の腕が映る。「言葉では説明できないこと」を目指した表現なのだという。
 同様の、文字通りナンセンスな表現がある一方、題材は、現代のコミュニケーションや戦争体験、視覚障害者の存在など多岐にわたる。一見、社会派だが、分かりやすい表現はない。
 例えば、母親に別れを告げる特攻隊員が登場する「若き侍の肖像」(09年)。映画などにありそうなシーンを現代の青年が演じているのだ。静かに演じる彼に、小泉は「もっと侍魂を」と過激さを要求し、別れの言葉を何度も述べさせる。するとどうだろう、本当に嗚咽しはじめ、死に直面しているかのようになる。
 内面から外面が生まれるのではなく、演技と言う外面の身体表現で、内面が形成されるかのような奇妙な逆転。予定調和な演出や見方を、見事に裏切る。
 「劇場は美しい午後の夢を見る」(10〜15年)も、不穏さ漂う。通勤電車に座るサラリーマン風の男が話し始め、やがて激しく泣き叫ぶ。見どころは周囲の人々の反応だろう。心が壊れてしまったかのような姿にけげんそうにするが、誰も関わらない。近くにいるのに、別の空間なのか。小泉はどこまで過激にすれば、この不思議な均衡が崩れるのかを試しているようでもある。

 小泉の映像作品は一度見たことがある。東京オペラシティアートギャラリーでの去年開催された石川康宏氏のコレクション展「幸福はぼくを見つけてくれるかな?」でだった。それをブログに紹介したが、ここに再録する。

 小泉の映像作品《僕の声はきっとあなたに届いている(シングル・スクリーン・ヴァージョン)》について、カタログの解説から、

 雑踏の中、若い男性が携帯電話で母親と会話をしています。男性は母親をしきりに温泉に誘い、普段の親子の関係が垣間見られます。ところが映像の後編で通話の相手の声とともに映像が反復されると、私たちを当惑させる事実が明らかになります。

 16分45秒の作品。3つの部分からなっている。最初が雑踏の中での携帯電話による母親との会話。ついで男性が子供の頃のことを母親にあてた手紙に書いている。もうあなたは手紙が届かないところに行ってしまった。あれっ? 最後に冒頭の雑踏の中での電話の場面が反復される。電話の相手の声が聞こえる。再び、あれっ? となる。会場の暗闇で声が詰まりそうになった。

 この一作品を見ただけだが本当に圧倒された。優れた映像作家だ。東京周辺の美術館に巡回してくれないだろうか?


「幸福はぼくを見つけてくれるかな?」が良かった(2014年5月2日)