吉岡まさみのトークショー「プロになる」を聞く

 現在銀座を中心に15軒の画廊で「東北芸術工科大学 アートウォーク2017」が開かれている(2月25日まで)。これは東北芸術工科大学の卒業生支援のプログラムで、主に個展形式で卒業生の展覧会が開かれている。その一環として2月23日にSteps ギャラリーで、そこのオーナーであり作家でもある吉岡まさみのトークショー「プロになる」が開かれた。本来これは美大などで学ぶプロを目指す学生を対象としたものだが、私も聞いてきた。吉岡の話は大変面白く、聞き逃した多くの人にその片鱗を伝えたいとここに紹介することにした。ただ、吉岡の話を正確に再現するのではなく、私が興味を引かれた部分を中心に記録してみたい。吉岡の主張そのままではなく、私の意見も勝手に織り込んでいる。
 最初に吉岡が配布した資料(目次)を写す。

1.「プロ」の定義
  プロとはなにか?
2.作品の評価
  評価の観点
  誰が評価するのか
  誰に評価されたいのか
3.ギャラリーとはなにか
  美術館とギャラリーはどこが違うのか
4.個展とはなにか
  誰に見てもらうのか
5.美術を「勉強する」
  勉強の二つの方法
6.サマセット・モーム『月と六ペンス』
  ゴーギャンの場合

 プロの定義は難しい。作品が売れればプロか? いくら売れればプロか? 作品を売って生活するのがプロなら年間数百万円は売れなければならない。仮に300万円の収入を得るためには画廊が半分取るとして600万円売り上げねばならない。そんな作家は少ないだろう。また多作であることも必要になる。自分がプロだと自覚し、または主張すればプロだろうか。決定的な結論は出なかったと思う。
 作品の評価について吉岡は断言した。まず評価の観点は3つある。1.ユニークな作品であること(作家がどういう人か)。2.作品にパワーがあること。3.メッセージ(生き方)があること。
 技術、センス、上手であることは、これらは最低ラインだ。そのうえで上記3つのことが必要となる。ユニークであることは作家そのものがユニークであることと同じだろう。独創的と言い換えることもできる。
 パワーが感じられること。いや作品がパワーを持っていること。これはニューヨークの画廊を訪ねたときによく分かった。彼らは作品に命を賭けている。いい加減な作品は作っていない。
 メッセージは作家の生き方から生まれる。ただ最初からメッセージを持たせることを考えなくて良い。それは自然に出てくるだろう。
 誰が評価するのか。吉岡は作品が買われたときが確実な評価だと言う。作品がどんなに褒められても評価されたとは言えない。買った客の評価が決定的だ。
 誰に評価されたいのか。それは尊敬する作家に評価されることだ。
 美術館とギャラリーの違いは、ギャラリーはショップ=店だ。売る場所だ。だから入場料を取らない。美術館は見せるための施設で販売はしない。だから入場料が必要になる。そして吉岡は美術館は作品の墓場だとまで言う。たしかに市場にあれば作品は動いていくから生きている。美術館へ入った作品はもう動かない。画廊は売るための場所だ。だから買った人が客となる。買わない人はただの見物人だと。
 個展は大事だ。それは勝負の場なのだ。グループ展とはその点で異なっている。公募展に応募している作家はその団体の頂点が目標になる。団体の仲間しか見ていない。世界に目を向けていない。作家は個展で勝負すべきなのだ。
 美術を勉強する方法は、まず人の作品を見ること。自分の作品だけ見ている作家は潰れる。たくさんの作品を見て歩かねばいけない。ついで読書することが大事だ。読む本はなんでも良い。そして個展をすること。
 最後にサマセット・モームの『月と六ペンス』(新潮文庫?)の90〜94ページが朗読された。ゴーギャンを主人公にしたこの小説で、甥がゴーギャンらしき主人公に問いかける。40歳にもなって、家庭も株式仲買人の職も捨てて画家になろうとしているのは何故なのか。今から始めて画家として成功する目算はあるのか? それに対する答えは、「僕は言ってるじゃないか、描かないじゃいられないんだと。自分でもどうにもならないのだ。水に落ちた人間は、泳ぎが巧かろうと拙かろうと、そんなこと言っておられるか。なんとかして助からなければ、溺れ死ぬばかりだ」。
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 とても面白く有意義な話だった。ここでは聞いていた私の関心に引き付けて紹介している。ニュアンスも力点もバイアスがかかっていると思う。それでも大まかには外れていないのではないだろうか。
 少し私の意見を。私も評価の一番大きなところに独創的であることを置く。他と似たところがないこと、今まで見たことがないことなどだ。生きるのに苦しんでいる作家は、もうそれだけで作家としては有利だと思う。巧さは必ずしも必要ではない。山口長男も片岡球子もデッサンが下手だった。丸木スマのデッサン力なんて小学生以下だろう。
 評価の観点は難しい。瀬木慎一の本によれば、大正期から戦前の日本の画家の評価が大きく変わっている。現在最高の価格がついている横山大観の評価は過去もっと低かった。ここ数年めちゃ高額になった上前智祐はそれまであまり評価されてこなかった。アメリカの美術館の学芸員が高く評価するまでは。ゴッホセザンヌだって同時代の市場や評論家は評価しなかった。そして評価は絶対ということがほとんどなく、時代とともに変わってもいくのだ。
 美術の勉強で他人の作品をたくさん見ることは重要だと思う。私は美術の勉強は全くしてきていなかったが、25年ほど前から銀座を中心に画廊巡りを始め、またここ10年はそのことをブログに綴っている。信原幸弘『考える脳・考えない脳』(講談社現代新書)でも、脳の役割はただ経験を蓄積することだとある。その蓄積から新しい判断が生まれる。私は年間2,000以上の個展を見ることを25年以上続けてきて、少しは美術が分かるようになったと思っている。吉岡の言う通りたくさん見ることが大事なのだ。
 さらにここ10年間ブログを書き綴っている。ブログに書くという行為を通じて、見たものを自分なりに消化し分析し体系づけることができたと思う。たくさんのものを見て、それを書くことがどんなに大事なことか自分でもよく分かった。
 もう一つ、読書について。25年前に読んだ本に、美術を理解するために3つのことが重要だとあってそれを実践している。1.たくさんの作品を見る。2.美術史を勉強する。3.作家の伝記を読む。
 この「作家の伝記を読む」というのも重要で、伝記を読むことによって、それまで関心のなかった作家が好きになり理解が深まった経験が確かにあった。
 今回吉岡の話は1時間ほどのものだった。もっと時間を取ってゆっくり聞きたいと思う。多くの若い人に聞いてもらいたいとも思った。