小泉明郎展『帝国は今日も歌う』を見る


 先日、東京渋谷のVACANTで小泉明郎展『帝国は今日も歌う』を見た(5月11日)。小泉明郎展と題されていたが、15分ほどの動画作品だ。
 会場には3つのスクリーンが設置されていて、作品はこのマルチスクリーンに映し出されていく。青年が街なかに立っていてぼそぼそと喋っている。子供の頃変な夢を見た。食糧不足のためニワトリの生産が低下していた。与えるエサが不足していて、人間をエサにすることにした。誰かが犠牲にならなければならない。父親がエサに選ばれる。父は冷静に運命を受け入れて連れられて行く。私は不安に襲われ激しく泣き続ける。
 青年がデモ隊の中にいる。周りを警官が取り囲み、その外側には大声でヘイトスピーチを繰返す乱暴な男たちや女さえもいる。その映像が延々と続いている。その男女は日の丸の旗を持って、極めて感情的に声高に叫んでいる。青年がおびえながら警官たちの中を歩いている。いつの間にか青年は後ろ手に手錠をされている。警官たちの外側で興奮したような男たちが叫び続けている。
 最後に皇居が映し出される。
 ヘイトスピーチを実際に体験したらこんななのかと少し怖くもあった。作品は15分足らずだったが、また物語っぽい部分は希薄なのにも関わらず、非常に濃密な時間が体験されて、それこそアッというまに終わってしまった。もう15分も経ったのかと驚いた。
 小泉明郎の作品はいくつか見たが、1点を除いてすべて動画だった。その動画は亡くなった母親に語り掛けるものだったり、特攻隊の兵士に扮した役者が演出家から繰返しダメを出されて泣き出したり、不思議と見る者の感情に深く突き刺さってくる。現在、見逃すことのできない作家の一人だ。
 閑話休題。最近動画の作品が増えてきている。小泉のほかにも高嶺格とか友政麻理子とか。動画は映画とどう違うのだろう。友政はスクリーンで上映したら映画、モニターだったら動画と言っていたが、少し違うように思う。誰か動画の定義、映画との違いを教えてほしい。
 なお、『帝国は今日も歌う』は、企画:無人島プロダクション小泉明郎プロダクションだった。