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2017-12-20

[]古部族研究会 編『古諏訪の祭祀と氏族』を読む



 古部族研究会 編『古諏訪の祭祀と氏族』(人間社文庫)を読む。先日紹介した「日本原初考」シリーズの2冊目にあたる。その1冊目は『古代諏訪ミシャグジ祭政体の研究』だった。古代諏訪の原始信仰を研究し、古代日本の政治体制を探っている。

 古部族研究会というのは、野本三吉、北村皆雄、田中基の3氏で構成されている。本書も1975年に単行本が出版されたものの文庫化になる。目次を拾うと、「古墳の変遷からみた古氏族の動向」「古諏訪信仰生島足島神社」「呪術の春」「諏訪上社御射山祭について」「諏訪神社の竜蛇信仰」「諏訪の大天白神」「天白論ノート」から成っている。古墳の形式と分布について詳しく記されていて、学術書の傾向に近い。

 おもしろかったのは天白神についての項であって、この「天白」という言葉を初めて聞いたのだったが、読み進めると「オシラ様」とも呼ばれていたみたいで、それなら聞いたことがあった。天白神は古い信仰で、稲作に伴うミシャグチ信仰より以前の信仰だとある。やはり今井野菊さんが徹底して調査していて、全国の分布の一覧表が付されている。わが故郷の長野県喬木村にも伊久間16160番地と16113番地に天白信仰の地名が残っているという。また同じく飯田市下久堅の下虎岩と上虎岩や、上郷飯沼と座光寺にもこの地名が残っているとある。

 ほかにも興味深い事例が種々紹介されている。

 既に『道の思想史』(講談社)という書物で、ミシャグチや天白について、一つの仮説的な体系を打ち出した山田宗睦氏によれば、これらの「原始信仰」は、日本列島全土に普遍的な「山の神」信仰を母体とし、安曇海人族によって拡がったということになる。

 縄文中期、この列島の中央、もっとも奥行きの深いところにある安曇平に、すでに焼畑をつらねる道があった。この道をひらき、往来したものが、安曇海人族であったことは、うたがいない。その海人族信仰がやがてミシャグチになった、とわたしは考えている。

(中略)

 もちろん、安曇平にある「穂高神社」が、海神・ワタツミの御子である「穂高見命(ほたかみのみこと)」を祭神としていることから、天竜川木曽川をのぼって移動してきた海人系民族がいたことは間違いなく、安曇族とミシャグチや天白の分布を重ねる作業も重要だとは思うが、今は、その前段階として「天白神」の具体的な分布、それがどんなものとして伝承されているのかという点を中心にして考えてみたいと思う。

 山田宗睦の本も読んでみようか。山田はわが古田武彦の古代史論を肯定した数少ない学者でもある。吉本隆明も賛意を示していたことを読んだことがあったが。古田先生が生きていたら、ミシャグチ信仰について何を語っただろうか。