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2018-01-31

[]『美しきものの伝説』を見る



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 宮本研『美しきものの伝説』を文学座アトリエで見る。文学座ホームページから、そのあらすじ。

物語は大正元年伊藤野枝が社会主義活動家・堺俊彦の売文社を訪ね、 大杉栄平塚らいてうに出会う場面から始まる。 〈売文社〉〈芸術座〉をめぐって、人々がいかに生き、ハイカラでモダンモボ・モガが闊歩する美しき時代"ベル・エポック"と呼ばれた大正期は、 実は明治史に一大汚点を残したと言われる明治43年の"大逆事件"以来、 大いなる挫折のあとの「冬の時代」であった。 しかし、そのような弾圧の中でなおすべてに対して挑戦的に、ひたむきに生き抜いた人々がいた。 売文社を中心とする堺俊彦、その売文社にあきたらず新たに近代思想社をつくった大杉栄荒畑寒村、また芸術座を中心に活躍する島村抱月松井須磨子沢田正二郎、 青鞜社を中心とする平塚らいてう、神近市子、伊藤野枝等がモデルとなっている登場人物たち。 花を咲かそうとして死んでいったのか・・・・・。 史実虚構が入り交じった人物たちの物語が楽しくも哀しく展開していく・・・・・。

 有名な戯曲で、一度は見たいと思っていた。今回文学座附属演劇研究所研修科卒業公演で取り上げられたので見ることができた。3時間超の長丁場。さすが名作と言われる芝居だった。伊藤野枝は夫辻潤に子供を預けて大杉栄と一緒になる。神近市子が三角関係の大杉栄を刺した日陰茶屋事件は以前吉田喜重が映画『エロス+虐殺』で取り上げていた。

 ただ、登場人物が少なくなく、舞台の役者が誰を演じているのか、しばしば配られたパンフレットを見なければ分かりにくかった。それは、登場人物たちがあだ名で呼ばれていることにも関係があるだろう。大杉栄クロポトキン、堺利彦は四分六、荒畑寒村は暖村、平塚らいてうモナリザ、神近市子はサロメ島村抱月は先生、沢田正二郎早稲田中山晋平は音楽学校、小山内薫はルパシカ、久保栄は学生と呼ばれている。伊藤野枝はそのまま野枝だったが。

 思うに、1968年に初演されたとき、やっと戦後23年だったので、戦前の記憶がまだ新しく、少ない情報でもこれらの登場人物が観客たちに分かったのかもしれない。

 演出が西本由香、卒業公演ということで入場料がたったの1,000円だった。

 舞台は大杉栄伊藤野枝が着飾って出かけるところで終わる。この後二人は憲兵隊に捕らえられ、無残に虐殺される。殺したのは甘粕正彦とされているが、佐野眞一は『甘粕正彦 乱心の荒野』(新潮文庫)で、真犯人は甘粕ではなかったと書いていた。


甘粕正彦 乱心の曠野 (新潮文庫)

甘粕正彦 乱心の曠野 (新潮文庫)

2018-01-30

[]前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』を読む



 前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)を読む。アフリカ北西部のモーリタニアへバッタの研究に行った昆虫学者の記録だ。アフリカアジアにはlocustという恐ろしいバッタが生息する。サバクトビバッタと言うが、時にものすごく大量に発生して植物を食い尽くしてしまう。農作物もひとたまりもない。読んでいないがパール・バックの『大地』にもイナゴとして登場するらしい。

 バッタについて、前野が解説している。

 バッタは漢字で「飛蝗」と書き、虫の皇帝と称される。世界各地の穀倉地帯には必ず固有種のバッタが生息している。私が研究しているサバクトビバッタは、アフリカの半砂漠地帯に生息し、しばしば大発生して農業に甚大な被害を及ぼす。その被害は聖書コーランにも記され、ひとたび大発生すると、数百億匹が群れ、大地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりとバッタに覆い尽くされる。農作物のみならず緑という緑を食い尽くし、成虫は風に乗ると1日に100km以上移動するため、被害は一気に拡大する。地球上の陸地面積の20%がこのバッタの被害に遭い、年間の被害額は西アフリカだけで400億円以上にも及び、アフリカの貧困に拍車をかける一因となっている。

 イナゴは群生しないがバッタは条件によって群生する。日本でも20年ほど前に、突然鹿児島県馬毛島トノサマバッタが大発生してニュースになった。バッタが群生すると体が黒っぽくなり、羽が長くなって遠くまで飛翔するようになる。これを群生相という。普通にみられる群生しないバッタを孤独相という。

 前野はバッタが専門の昆虫学者だ。ポスドクという不安定な身分で単身モーリタニアに渡りバッタの生態を研究する。しかし本来ならきわめて専門的な内容になるはずだが、前野は研究内容は学会で発表してからあらためて本を書くという。本書はアフリカでひとり苦労をしながら周りの人たちに助けられて研究を続ける若い昆虫学者の奮戦記なのだ。

 そんなわけで研究内容が報告されている訳でもないのにベストセラーになっているようだ。読んでみればおもしろい。前野のキャラクターと文章の力だろう。

 あちこちで雑談が披露されている。アフリカでは太った女性が好まれるというエピソード

 日本では、太っていると自己管理がなっていないととられがちだが、こちらでは「太っている=金持ち」となる。自分の妻が痩せていると旦那は甲斐性なしと思われるので、妻を太らせるために気を遣うそうだ。このような文化的背景が異性に対する好みに働きかけ、いつしか男性は太っている女性に美を感じるようになっていったのだろう。

 娘を太らせるために、大量に食べさせる。6歳の女の子の基本的な1日の食事のメニューは、ミルク8リットルと2kgのクスクス(粒状のスパゲティの一種)、それにオイルだそうだ。

 巨乳嗜好もそうだったが、美=欲望は作られるのだ。

 前野の名前の「ウルド」は、現地のミドルネームで、研究所の所長から業績を評価されて命名された名誉ある名前だという。周囲の人たちに可愛がられているのがよく分かった。


2018-01-29

[]吉行淳之介『わが文学生活』を読む



 吉行淳之介『わが文学生活』(講談社文芸文庫)を読む。吉行淳之介についてはほとんどを読んだとまでは思っていないが、主要な単行本は読んだつもりでいた。しかし、この本のことは知らなかった。昭和40年に『私の文学放浪』が発行されている。本書はその続編の性格も持っていながら、必ずしもそれにこだわってはいない。昭和58年から2年間、講談社から『吉行淳之介全集』が刊行された。その折りに吉行と講談社の編集者との対談が行われ、それが月報に掲載された。本書はその対談をまとめたもので、単行本は昭和60年に発行され、それが今度初めて文庫化されたものらしい。

 吉行淳之介の対談は面白いと定評があり、対談集もたしか何冊もあって事実おもしろい。本書もその例にもれず面白いのだが、何か格別の発言があるわけでもない。私なんかは吉行ファンだから一人面白がっているけれど、だれが読んでも同じ意見かどうかは保証の限りではない。

 あるいは対談相手が編集者なので、吉行に対するどこか遠慮があって、底が抜けるような面白さにはなっていないのかもしれない。いや、編集者だからこそ、手堅い面白さではあるのだが。

 以前読んだ吉行の対談集にはきわめつけの面白いのがあった。それを紹介したのが下記のものだ。


吉行淳之介全集第11巻『全恐怖対談』を読む2014年2月15日)

淀川長治と吉行淳之介の対談2014年2月4日)

纏足の女性との結婚式が興味津々だ2014年2月20日)



わが文学生活 (講談社文芸文庫)

わが文学生活 (講談社文芸文庫)

2018-01-28

[]クルト・ヴァイルの歌曲



 読売新聞に鈴木幸一による田代櫂『クルト・ヴァイル』(春秋社)の書評が載っている(1月28日)。

 ドイツ作曲家クルト・ヴァイル(1900年〜50年)といっても、音楽通ですら、ブレヒトとつくった「三文オペラ」や、米国亡命後の「セプテンバー・ソング」を記憶する程度かも知れない。本書は、膨大な数に及ぶ全作品に触れ、足跡をたどることで、ヴァイルこそが、第1次世界大戦後のワイマール文化を知る意味で、もっとも重要で刺激的な人物なのだと理解させてくれる労作だ。……

 私も以前(2009年)、このブログでクルト・ヴァイルの歌曲を紹介したことがある。少々古いかもしれないが、再録してみたい。

     ・

 クルト・ワイルの歌曲が日本ではあんまり人気がないように思える。もったいない話だ。クルト・ワイルは戦前ドイツで活躍し、ナチスを逃れてアメリカに移住した。有名な『三文オペラ』は戯曲家ブレヒトとの共作のオペレッタアメリカでは「セプテンバー・ソング」がヒットしている。

三文オペラ』には名曲がたくさんあるが、まずジャズの有名なナンバーになっている「マック・ザ・ナイフ」、正確には「メッキー・メッサーの殺人物語大道歌」、それから「海賊ジェニー」「大砲ソング」「バルバラ・ソング」「セックスのとりこのバラード」「人間の努力の至らなさの歌」「ソロモン・ソング」等々。

 歌手は何人もが歌っているが、私が持っているCDはまずギーゼラ・マイGisela Mayの「Brecht-Weill Songs」、ウテ・レンパーUte Lemperの「Ute Lemper Sings Kurt Weill」、アンネ・ソフィー・フォン・オッターAnne Sofie von Otterの「Speak low」、テレサ・ストラータスTeresa Stratasの「Stratas Sings Weill」、ミルバMilvaの「Milva Canta Brecht」、御大ロッテ・レーニャLotte Lenyaの「Kurt Weill Berlin & American Theater Songs」などだ。

 一番好きなのはウテ・レンパー、彼女の「セックスのとりこのバラード」はしびれる。ストラータスは気だるい大人のクルト・ワイル。ロッテ・レーニャはワイル夫人だった人。映画「007 ロシアから愛をこめて」で靴の踵に凶器を仕込んでいた悪役の婆さんがロッテ・レーニャだ。ミルバはコンサートに行ったくらい好きな歌手だけど、やはり「三文オペラ」のバラードはドイツ語で聴きたい。イタリア語ではどうも・・・。ギーゼラ・マイは定番だそうだけど、あまり好きになれない。名歌手フォン・オッターはとても上品だが、やはりクルト・ワイルにはアクが必要のようだ。彼女にも不満が残ってしまう。

 ジャズではエラ・フィッツジェラルドの「Mack the Knife-Ella in Berlin」がいい。何とロックでも素晴らしいCDがある。「星空に迷い込んだ男〜クルト・ワイルの世界」で、スティングが「マック・ザ・ナイフ」を歌い、「大砲ソング」をザ・フォウラー・ブラザーズが、「セプテンバー・ソング」をルー・リードが歌うなど全20曲を別々のロック歌手が歌っている。

 高橋悠治も「いちめん菜の花」のアルバムで「人間の努力は長続きしない」を歌っている。

 私の隠し球は「ショウボート昭和」というLPレコード。副題が「黒色テント68/71『喜劇昭和の世界』より」と題して、クルト・ワイルの曲に佐藤信換骨奪胎したメチャ面白い歌詞を付けている。佐藤信ブレヒトの演劇が好きで、『三文オペラ』も上演しているし、「喜劇昭和の世界3部作」の『阿部定の犬』『キネマと怪人』『ブランキ殺し上海の春』にはクルト・ワイルの曲による劇中歌がたくさん使われている。私もこの黒テントの芝居でクルト・ワイルを知ったのだった。

(引用以上)


クルト・ヴァイル: 生真面目なカメレオン

クルト・ヴァイル: 生真面目なカメレオン

Brecht-Songs With Gisela May

Brecht-Songs With Gisela May

Sings Kurt Weill

Sings Kurt Weill

Milva Canta Brecht

Milva Canta Brecht

Mack the Knife-Ella in Berlin

Mack the Knife-Ella in Berlin

いちめん菜の花

いちめん菜の花

2018-01-27

[]東京国立近代美術館熊谷守一展を見る



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 東京国立近代美術館熊谷守一展が開かれている(3月21日まで)。熊谷1880年生まれ、1977年に97歳で亡くなっている。高齢まで生きたが、熊谷らしい作品を描くようになったのは60歳くらいからだ。

 熊谷ははっきりした輪郭線を描いていて、輪郭線に縁どられた部分をわりあい平滑に塗りつぶしている。輪郭線を描いた絵を見て、山口長男を思い出した。山口も中期のころ、山の稜線を太い赤色で輪郭線のように描いていた。もちろん熊谷の輪郭線が先にあり、山口がそれに強く影響されたのだろう。

 熊谷と山口の二人のデッサンが下手なのも共通している。二人とも巧さと別次元を選んで、晩年の大きな達成に到達している。そういう意味でも、山口は熊谷を研究し、強い影響を受けたのではないだろうか。

 ほとんど小品だが点数が多く、見ごたえのある展覧会だった。

     ・

熊谷守一展「生きるよろこび」

2017年12月1日(金)―2018年3月21日(水)

10:00−17:00(金土は20:00まで)月曜日休館

     ・

東京国立近代美術館

東京都千代田区北の丸公園3-1

電話03-5777-8600(ハローダイヤル)

http://kumagai2017.exhn.jp/

2018-01-26

[]安田理央巨乳の誕生』を読む



 安田理央巨乳の誕生』(太田出版)を読む。副題が「大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか」というもので、巨乳という概念がいつ生まれ、どのように受容されてきたかを、雑誌のグラビアアダルトビデオを素材に分析している。その名前も、ボイン、デカパイ、Dカップなどと呼ばれ、のち巨乳、爆乳、などと名付けられる。巨乳アメリカでは第1次大戦後に、日本では戦後から注目され始めた。安田は日本での事例を収集する。

 1964年、『平凡パンチ』が創刊される。青年向けヌードグラビアが書店に並ぶ。1965年水城リカデビュー、バスト103センチ。1967年、青山ミチデビュー、バスト102センチ。1973年、麻田奈美のリンゴヌード、85センチDカップ(のち90センチFカップに成長)、1975年、アグネス・ラム来日で大ブーム。1980年以降、松坂季実子Gカップ、桑田ケイGカップ113センチ、イギリスのゼナ・フルゾムがバスト250センチ。細川しのぶGカップ、井上静香Qカップ124センチ。

 巨乳の歴史を雑誌やアダルトビデオなどから安田は丹念に集める。データを収集する。「おわりに」によれば、国会図書館へ通い詰めて、60年分700冊の雑誌から「グラマー、ボイン、デカパイ、Dカップ巨乳、爆乳、カップ数表記などがいつからどのように使われていたか」を「エクセルに打ち込んでデータベースを作っていった」。

 資料として徹底していると思う。半端な仕事ではない。主な巨乳タレント、モデル、女優がいつからデビューしたか、彼女らの公称のバストサイズ、カップサイズが記録される。人名索引が付いていないのが惜しまれる。

 ところが不思議なことに、カバーを含め写真が皆無なのだ。いや、末尾に「巨乳年表 1871〜2017」というのが付録のようにあり、そこにサムネールのような白黒写真が載っている。長辺2センチ程度、写真枚数126枚(人)。これが口絵でカラーで掲載されていれば売れ行きは違っただろうと思わせるのだが。おそらく著作権や肖像権の問題なのだろう。

 安田述懐しているが、巨乳はさほど好きではないという。私も実は巨乳に強く惹かれることはない。そのような観点から見ると、資料偏重の本書はあまり面白くなかった。これらの豊富な資料をもとに、なぜ巨乳が好まれるようになっていったかなどの考察を読みたかった。

 私は以前、このブログで男たちがなぜ巨乳を好むようになっていったかを考えた。巨乳嗜好は日本では戦後から、それはグラビア雑誌や映画からの影響だと書いた。男たちの本来の欲望ではなかった、と。すると、何人もの人から自分は巨乳がとても好きなのだとコメントされた。本書を読んでも巨乳に対する欲望は確実に伝わってくる。すると、私も先の主張を訂正しなければならない。欲望は作られるのだと。作られた欲望は本来の欲望と区別がつかない。安田浮世絵で見る限り、江戸時代は乳房欲望の対象ではなかったと言っている。欲望は作られるのだ。ラカンも「他者欲望」と言っていなかったか。

 帯に都築響一が書いている。「以後、おっぱいについて語る者は、この本を避けて通ることはできないだろう」と


どうして男たちは巨乳を好むのか――巨乳論の試み(2007年6月20日)



2018-01-25

[]高橋順子『夫・車谷長吉』を読む



 高橋順子『夫・車谷長吉』(文藝春秋)を読む。3年前に亡くなった作家車谷長吉の思い出を妻の詩人高橋順子が書いている。二人は50歳少し前に結婚した。車谷が高橋の詩を読み、絵手紙を送り続ける。その頃二人ともほとんど無名だった。高橋は自費出版の仕事を細々としていた。

 車谷の「鹽壺の匙」が雑誌『新潮』に載り、これを高橋のところから出版してほしいと、原稿と100万円を持ってきた。その後その作品が芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した。高橋は原稿とお金を返し、作品は新潮社から出版された。のち三島由紀夫賞も受賞した。

 高橋がお祝いを送って交際が始まり、結婚することになった。車谷は奇矯の人である。この結婚大丈夫かと読み続ければ、やはり大変な生活が待っている。車谷強迫神経症を患っていて、汚れを落とすため長時間手を洗い続ける。普段、月額4千円ほどの水道代が1万5千円にもなった。畳の縁を踏むと足の裏が汚れ、その足で部屋を歩くと部屋中が汚れると、神経質に畳を拭きまくる。動いてはいけないと言われたらじっとしていなくてはならない。布団を干しているときに動くなと言われ、雨が降ってきたのに布団を取り込めなくてびしょ濡れにさせたことがあった。

 のちに直木賞を受賞したおりにも、その狂乱の日々を実名入りでエッセイに書き、親しい友人たちから絶交を言い渡されてもいる。近所の人からもらった祝い金も実名と金額を晒している。親戚からも自分たちの恥ずかしいことを小説に書いてと、恨まれている。

 高橋はよくそれに耐えて日々を送っている。それにしても壮絶な結婚生活だ。やがて高橋の詩も高く評価され、読売文学賞や丸山豊記念現代詩賞などを受賞することになる。

 記述は詳細を極めるほど逐一記録している部分と、きわめて大雑把な記載とが混在している。これはなぜだろう。

 4月、新潟県柏崎。6月、私だけ宮城県中新田。7月、長吉だけ内灘。8月、姫路、坊勢島、箱根、飯岡、銚子。9月、大洗海岸。10月、姫路の灘まつり。12月、沼津熱海

 私も疲れていたが、長吉があまりに疲労困憊しているようなので、1日代わって北浦和のクリニックに薬をもらいに行った。待合室のうつろな雰囲気に気が滅入った。しかしここが長吉と私の原点であることを再確認しなければならなかった。

 2015年5月17日、散歩から帰ると自宅で長吉が倒れていた、救急隊が来て病院に搬送され、高度救命救急センターで死亡が確認された。生のイカを丸飲みした誤飲性窒息死だった。

 とてもすばらしい伝記だった。高橋が優れた書き手であることがよく分かる。読後傑作を読んだ後の満足感とともに一抹の寂寥感に捉われていた。高橋の悲哀が私に伝染していたのだった。

 

夫・車谷長吉

夫・車谷長吉

2018-01-24

[][]DIC川村記念美術館日本画の名品売却



 朝日新聞が、佐倉市DIC川村記念美術館が所蔵する日本画の名品を売却することを決めたと報じている。

 長谷川等伯横山大観の傑作、全て売却へ DIC美術館

 印象派現代アートなど約1千点の幅広いコレクションで知られるDIC川村記念美術館千葉県佐倉市)が、安土桃山時代の絵師長谷川等伯作の国の重要文化財を含む日本画の名品を、すべて譲渡(売却)する方針を決めたことが15日、わかった。同館は「新たな収集方針の策定に伴うもの」と説明している。

 同館の日本画作品は、等伯尾形光琳近世絵画横山大観上村松園らの近代日本画など約20点ある。いずれも名品ぞろいで来館者の人気も高かったが、昨年12月に公開を終了。今後、国内の美術館や博物館個人に全点を譲渡する。

 これらの作品の中で最も貴重とされているのが、国の重文に指定されている等伯の「烏鷺(うろ)図屛風(びょうぶ)」だ。縦約150センチ、横約350センチの左右一つの屛風は、左の黒い烏(からす)と右の白い鷺(さぎ)の対照が見事な晩年期の傑作で、同館最初の所蔵作品だった。

 これは一昨年だったかのバーネット・ニューマンの「アンナの光」売却に続く第2弾だ。このDIC川村記念美術館は元大日本インキと言ったDIC事業部門で、独立した法人ではないはずだ。

 もう30年以上前、川村記念美術館学芸員の話を聞いたことがある。美術館はよくある財団法人とかいう形態ではなく、大日本インキの一事業部門だと。なぜですかと問うと、会社が困ったときに美術品を売却できるようにと。

 大日本インキの初代社長が日本の古美術を集め、その息子である2代目社長が印象派などを集め、孫にあたる3代目社長がアメリカ現代美術を集めたようだ。ステラのコレクションでは世界1を誇り、ほかにマーク・ロスコの部屋を作っている。一昨年売却してしまったが、抽象表現主義の巨匠バーネット・ニューマンの代表作「アンナの光」もコレクションしていた。日本ではあまり人気がないが、ニューマンはアメリカでは抽象表現主義のトップの画家だ。その代表作だからどんなに評価が高いかわかるだろう。

 ところがDICでは1999年に2代目と3代目が相次いで亡くなってしまった。インキ事業では日本のトップだった大日本インキも、IT化の影響で徐々に業績が悪化しているのではないか。さて、高額の美術品を会社の経費で落としていただろうから、おそらく歴代の社長は困ったときには売ればいいと言っていたのだろう。それは株主や従業員へのいい訳だったのだろうが。社長たちは売却する来ななかったに違いない。好きで買い集めたコレクションなのだから。しかし創業家が経営陣から姿を消せば、後継の経営者たち――社員から出世したり、銀行などからやってきた――にとっては、コレクションへの思い入れはないだろう。創業家の社長たちも言っていたではないか、困ったときには売ればいいと。

 それが「アンナの光」や日本画の名品を売却する真相なのではないか。いや、これは私の推測であって、確証があるわけではないが。

2018-01-23

[]ボルヘス『語るボルヘス』を読む



 ボルヘス『語るボルヘス』(岩波文庫)を読む。ボルヘスが1978年にブエノスアイレスベルグラーノ大学で行った5回の講演を収めたもの。正確には5月24日から6月23日まで、ほぼ1カ月間に行った講演で、極めて密度が高く驚いてしまう。5回のテーマは、「書物」「不死性」「エマヌエル・スヴェーデンボリ」「探偵小説」「時間」というもの。

 いずれも古今の幅広い文献を網羅して、ほとんど哲学的なレベルまで達している。不死について、まずウィリアム・ジェームズが自分にとって不滅性は取るに足りないもの、哲学より詩にふさわしいテーマだと言っていることを紹介し、ついでプラトンの『パイドン』からソクラテスが死の直前に交わした対話を引いている。ソクラテスは、魂は肉体から解き放たれてはじめて思索に打ち込むことができるようになると推論しているという。そしてロック、バークリーヒュームが語られ、フェヒナーの意識の不滅性が紹介される。タキトゥスゲーテも同じように偉大な魂たちは肉体とともに消滅することはないと書いているという。続いて、ジョン・ダンルクレティウスユゴー、そしてショーペンハウエルバーナード・ショーベルグソンらが呼び出され、不死性へのさまざまな意見が紹介される。1つの講演は文庫本で30ページ前後だ。この短い講演で目くるめくような議論が展開される。この講演の最後は次のように結ばれる。

 最後に、私は不死を信じていると申し上げておきます。むろん個人のそれではなく、宇宙的な広がりをもつ広大無辺の不死です。われわれはこれからも不死であり続けるでしょう。われわれの記憶を越えて、われわれの行動、われわれの行為、われわれの態度物腰、世界史の驚くべき一片は残るでしょう。しかし、われわれはそのことを知らないでしょうし、知らない方がいいのです。

 スヴェーデンボリはスウェーデンの神秘主義者。「探偵小説」の講演もおもしろい。「時間」が一番哲学的だ。解説を入れてもわずか150ページ足らずの小さな本だ。また読み返すべきだろう。



2018-01-22

[] 沼野允義の書評から



 毎日新聞に沼野允義が阿部公彦『史上最悪の英語政策』(ひつじ書房)と鳥飼玖美子『英語教育危機』(ちくま新書)の書評を書いている(1月21日)。

 阿部の本は大学入試の改革に焦点を合わせた緊急提言だという。入試改革ではスピーキング(話す能力)もテストする。つまり「読む・書く・聞く・話す」の4技能をすべて測ることになった。しかし今提唱されている「4技能」主義はほとんど「カルト教団の教え」(!)のような意味不明さだとのこと。スピーキングは従来の試験では扱いにくいので、外部委託=民営化して、TOEICなど民間の試験を使うことになった。外部試験を導入したら、受験生は受験テクニック習得に走るだけで英語力の向上につながるという保証はない。またその対策のために予備校に通うなど受験生の親の負担が増え、裕福な家の子が有利になって社会的格差が拡大する。

 鳥飼の本では、文科省はこの30年ほど頻繁に改革を重ね、その結果、現在の中高の英語教育は文法・訳読偏重をやめ、英会話に向けて舵を切っている。近い将来は中学でも、英語の授業は日本人教師であっても「英語で行うことを基本とする」となっている。しかし、鳥飼は、これだけ会話や実用性を重視しながら、その成果が一向に上がっていないのはなぜかと問う。言語環境も教える人材も整っておらず、限られた授業時間数で無理に会話重視に踏み切ったため、肝心の基礎がおろそかになって、本当の意味での英語力が落ちつつあると言う。

 以上、2冊を紹介してきて、最後に沼野が「個人的な考えを付け加えておく」として書いている。これがとても興味深い。

「ペラペラ信仰」などそろそろ捨てるべきではないか。英語教育改革の議論で乱発される「コミュニケーション」という言葉もあまりに空疎。人間どうし、特に立場が異なる人の間や異文化間のコミュニケーションというのは、英語で「買い物ごっこ」ができる、といった次元のことではない。

 そもそも、どうしてスピーキングを大学入試でテストしなければならないのか? 高校までに学ぶべきもっと大事なことはないのだろうか?

 英語ばかりに力を注げば、当然、他の教科が手薄になるだろう。日本語できちんと他者と話し合い、理解し合う能力と、そのために必要な人間としての教養を身につけさせるのが先ではないか? いまの政治家たちを見ているとつくづくとそう思う。このままでは、英語がペラペラになる前に、日本語が滅びますよ! それに、どうして英語だけなのか? 中国語韓国語ロシア語ができる人材の育成にも少しは力を入れないと、国益を損なうのではないか?

 全くおっしゃる通りだと思う。


英語教育の危機 (ちくま新書)

英語教育の危機 (ちくま新書)

2018-01-21

[]平松洋『最後の浮世絵師 月岡芳年』を読む



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 平松洋『最後の浮世絵師 月岡芳年』(角川新書)を読む。新書だがカラー版で、全200ページのうち、7割強の146ページがカラー図版となっている。その分、文章ページが50ページもないけれど。

 芳年は「血みどろ絵」が有名だ。生首から滴る血をすする侍や、人の頭の皮を削ぐやつや、女を吊るして鮟鱇切りしてるものなど、凄惨な絵で強烈な印象を与えている。しかし、本書によれば、血みどろ絵を描いていたのはわずかな期間で、風俗的な作品、つまり美人画など、また武者絵や妖怪たち等、様々な画題を扱っている。

 『南総里見八犬伝』の一場面を描いた「信乃と見八 大屋根での決闘」など、構図が斬新で驚くばかりだ。

 意外だったのが芳年江戸浮世絵師だと思っていたのが、明治25年まで生きていて、その弟子に水野年方がおり、水野の弟子に鏑木清方、鏑木の弟子に伊東深水がいることだ。芳年から京都画壇にまで続いていたのか。


最後の浮世絵師 月岡芳年 (角川新書)

最後の浮世絵師 月岡芳年 (角川新書)

2018-01-20

[]日本橋高島屋6階美術画廊Xの重野克明展を見る



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 東京日本橋高島屋6階美術画廊Xで重野克明展「ザ・テレビジョン」が開かれている(1月29日まで)。重野は1975年千葉市生まれ、2001年に東京芸術大学油画専攻を卒業し、2003年に同大学大学院版画専攻を修了している。2000年に東京銀座の青樺画廊で初個展、以来77ギャラリー高島屋美術画廊Xなどで個展を繰り返している。

 今回は自宅の片隅に置かれたテレビをテーマに、水墨のドローイング主体に展示している。画廊で販売しているリーフレットに寄せた重野の言葉。

 この夏、テレビで高校野球を観ていたら思いの外面白い試合が多く目が離せなくなった。創作をしなくてはいけないと思いつつ、ついテレビの前に釘付けになってしまう日々。とにかく手を動かさねばと思い、テレビを観ながらテレビを描いてみる。……

「そうだ、テレビを描こう!」一石二鳥だ。案外集中出来る事がわかり高校野球だけでなくドラマやニュースやバラエティ等も観ながら描いてみる。やがてその内容は断片的になってくる。テレビはインターネットなんかよりも健全だなと思う。他の事もやりながら観れるし自分に興味のないものも流れてくるから。自分の周りにはテレビを観ている人が少ないようだ。皆忙しいからか、嫌いなのか? 結構おもしろいのにね。作品は実際に観た事、その時の部屋の様子、感じた事を描いています。

 自分の番組を作るとしたら局名は「テレビ重野」。

 とにかく面白い個展だ。和室の片隅にテレビが追空かれている。そこにはトランプ大統領や黒柳徹子などが映っている。テレビの前にちゃぶ台があり、食器が載っていたり、猫が座っていたりする。

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 ギャラリー奥の壁に大きな銅版画が展示されている。タイトルは「大統領」とあるが、リーフレットには、「部屋とTシャツとトランプと私 世界情勢にも気を配る」とある。なるほど、テレビにはトランプが映っていて、中指を立てて怒っているようだ。「私」は腕組みをして椅子に座っている。壁にはアニメの少女が描かれたTシャツが吊るされている。畳の敷かれた和室だ。

 ユーモアたっぷりの重野の個展は万人におすすめです。

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重野克明展「ザ・テレビジョン

2018年1月10日(水)―1月29日(月)

10:30−19:30

     ・

日本橋高島屋6階美術画廊X

東京都中央区日本橋2-4-1

電話03-3211-4111

2018-01-19

[]ギャラリー椿のオークションが始まる



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 今日から京橋ギャラリー椿で恒例のオークションが始まる。

 オークションは1月19日(金)、20日(土)、21日(日)、22日(月)の4日間。誰でも自由に入札できる。400点以上の出品点数だ。ギャラリー椿は銀座京橋地区でも特に大きなギャラリーだが壁面はぎっしりと作品で埋められるだろう。全部見るのが大変だとも言えるし、それが楽しいとも言える。気に入った作品も必ずあるだろう。

 出品リストを見ると、作家名、作品名(種類)、最低落札価格、素材・技法、サイズ・エディション、体裁、備考の欄がある。最低落札価格は文字どおり最低の入札価格だ。

 全体に安価な傾向で、高いものでは、草間彌生の銅版画が60万円〜、宮島達夫のミクストメディアが50万円〜、伊東深水木版画が50万円〜、中村宏の版画が30万円〜、高山辰雄の水彩が29万円〜あたりか。成行つまり5,000円からというのが最も多く、1万円〜というのもたくさんある。気になったのを拾うと、多賀新の銅版画が1万円〜、小山田二郎水彩画が10万円〜、堀越千秋アクリル画が3万円〜、有元利夫の版画がたくさん出ていて3万円〜、村上隆の版画が6万円〜、山下清リトグラフが4万円〜、重野克明の銅版画が2万円〜、浜田浄のアクリル画が6万円〜、呉亜沙もたくさん出品されている。いま損保ジャパン日本興亜美術館の「クインテット」に参加している室井公美子の油彩が2万円〜、篠原愛のインク作品は6万5千円〜、赤塚祐二の油彩が15万円〜、岩坪賢の日本画が3万円〜、宇佐美圭司の版画が成行となっている。津田亜紀子の立体が5万円〜、高浜利也の銅版画が1万円〜などとなっている。

 入札方式は1人2枚札によるもの。これは希望価格の上値、下値の2つを記入する方式で、他に入札者がいなければ下値で落札されるが、競合した場合は上値で落札するというもの。もちろん相手の入札した金額がそれより上なら相手のものになる。入札の最小単位は100円とのこと。最低落札価格1万円以下のものは真贋無保証となっている。

 なお、落札した場合は、落札価格に別途ギャラリーの手数料が10%、この手数料に対して消費税が8%加算される。10,000円で落札すれば、手数料1,000円と消費税80円がかかり、合計11,080円が支払い金額になる。

 オークションは11:00ー18:30、入札締め切りが1月22日(月)16:30、開札が同日17:00からとなっている。

 入札しなくて見るだけでも大丈夫。作品は400点以上並んでいて面白いのでぜひ行かれることをお薦めする。出品リストはギャラリー椿のホームページでみることができる。

       ・

ギャラリー椿

東京都中央区京橋3-3-10 第一下村ビル1F

電話03-3281-7808

http://www.gallery-tsubaki.net

2018-01-18

[]野見山暁治『じわりとアトリエ日記』を読む



 野見山暁治『じわりとアトリエ日記』(生活の友社)を読む。2013年11月から2017年2月までの3年4カ月間の野見山さんの日録が収録されている。40カ月分の日録が500ページに収まっている。最初の『アトリエ日記』が2003年9月から始まっているから、もう14年以上が本になっていることになる。

 日記とは銘打っているが、公開のものだし、1日分は短い。2013年の日記から、

11月27日

 夢というのは潜在意識の現れだとか。知りあいの女のひとと、思いもしないのに、裸で抱き合って夜が明けた。

 この時野見山さん93歳。まだこんな夢を見るのか。いや、私だって、まれには見ることもある。裸で抱き合うどころかちゃんとsexしている夢だって見たことがある。最後まで終わることはなかったが。

 2015年の日記から、

3月9日

 ひどい雨。夜、遠藤彰子叙勲パーティ。画面いっぱいに、人間の渦巻き。うまい筆使いではない。色が冴えている訳でもなく、形が美しい訳でもない。そんなことはどうでもいい。ひたすら膨大なエネルギーに圧倒される。

 遠藤彰子の作品を的確にとらえた寸評だ。

 同じ年の6月の日記から、

6月20日

 フランス人のフォロンが描いたようなほのぼのとした個展案内が届いたので、京橋に行くついでにギャラリーゴトウに立ち寄ってみた。描いた人は、見た眼に、ごく普通の小父さんだった。

 ゴトウのホームページで確認したら、野坂徹夫新作展だった。

 この年の11月、野見山さんは文化勲章を受章する。そのこともあって、90代後半というのに、絶えず人がやってきて、母校であいさつしてほしいの、文章を寄せてほしいのと、雑用に追われまくっている。絵はあまり売れないので、文章が主な収入になっているとどこかに書いていたけど、本当に締め切りに追われていて、絵を描く時間があまりないようだ。

 練馬区の自宅の隣に住んでいた妹のマドもその亭主の田中小実昌もとうに亡くなっていて、二人の娘のリエも亡くなってしまった。リエの息子の開がたまに顔を出す。

 体もずいぶん弱ってしまっているらしい。野見山さん、今年は98歳になる。あまり雑用をさせないで、たくさん絵を描かせてやってほしい。



じわりとアトリエ日記

じわりとアトリエ日記

2018-01-17

[]小谷野敦文学研究という不幸』を読む



 小谷野敦文学研究という不幸』(ベスト新書)という奇書を読む。人文学研究者たちの実名を挙げて業績の有無と得られた大学等の地位について詳しく紹介している。人名索引でみると約800人が取り上げられている。それらを小谷野はおよそ容赦なく斬り捨てる。だが評価すべきは評価して、それなりに公平を期しているのは想像できる。その実例を、

 余談になるが、大学教授の中には、自分より優秀な者を後継者にしたがらない人というのがいる。こういう人がいると、無能な人が後を継ぐから、悲劇である。たとえば東大英文科の平井正穂(1911−2005)という人がいて、ずいぶん長く生きて、数年前にようやく死んだが、この人もそういう人だったようで、当時東大教養学部高橋康也先生(1932−2002)がいたが、高橋先生は遂に英文科の専任にはならなかった。これは、高橋先生が優秀なので、採ると自分が抑えつけられると思った平井が採らなかったからだ、と平井が自分で言ったそうである(情報源秘匿)。

 小谷野は、本来の「文藝」の序列では、詩人小説家―評論家―研究者、となると言う。

……今でも、詩人というのは、それだけでは絶対に食えないに近い職業だが、いわゆる文学賞や、死んだ時の新聞の死亡記事、あるいは人名辞典などを見ると、それなりに評価された詩人は、世間的名声に比べて、底上げして偉大とされている。たとえば大岡信詩人だが、その現代詩で有名なわけではなく、朝日新聞に連載していた、古今の詩歌のいい部分を紹介する「折々のうた」で知られるようになった。けれど、「詩人」だからこそ大岡は文化勲章を受章するような文化人なのであって、一介の研究者が、仮に同じような詩文紹介をしても、そう評価されるかどうかは、疑わしい。

 有名作家でも貧苦に悩む人はいると小谷野は言う。

……日経新聞が、日本文藝家協会の会員の年収は500万を下回る、と書いた時、金井美恵子は、エリート新聞記者には500万で少ないと思えるのか、と厭味を書いたし、寡作の松浦理英子は、海外旅行に行くカネくらい欲しい、と書いていたことがある。

 ベストセラー作家でなければ、一流出版社の編集者の方が、作家より年収は多いと誰かが書いていたのを読んだことがある。

 また一流以下の大学のレベルについても手厳しい。

……「後進の育成」などということができるのは、一流大学だけである。それ以下の大学は、育成どころか、まるで子守りをするか、中学生レベルの教養を教えようとして教えそこなうのが普通だ。さる私立大学で、ドイツ文学の授業を始めた人が、授業計画インターネット上に公開していた。最初は、ドイツ文学の代表的な作品を読む、あとは参考書としてこれこれ、などと書いてあったのが、後期になるとあとが付け足されていて、アニメ『アルプスの少女ハイジ』を観てその感想を書く、に変わっていた。『ハイジ』の翻訳を読む、ですらないのである。アニメを観るのである。それ以上のことは学生にはできないのである。

 小谷野はむかし『もてない男』を読んで、その奇書ぶりに驚いたことがある。部下の女子社員に勧めたら、途中まで読んで気持ち悪くなったと返されたことがあった。セクハラだと思われたのだろうか。そういえば部下に優秀な女性グラフィックデザイナーがいて、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を貸したら、短期間に2回読んで、もう私たちの仕事は無意味ってことですねと感想を言われた。

 「あとがき」で、小谷野が書く。

……純文学文学研究は、今後は、ほかに仕事を持つ人の趣味、余技としてしか存在しえなくなるだろう。

 それにしても取り上げた人文学者が800人ということは、たいていの人文研究者が網羅されているのではないだろうか。皮肉のきいた小人名辞典みたいなものか。



文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

2018-01-16

[][]森洋子『ブリューゲルの世界』を見ている



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 森洋子『ブリューゲルの世界』(新潮社とんぼの本)を見ている。「野外での農民の婚礼の踊り」という絵がある。キャプションは「目を見張らされるのは農婦たちの多種多様な「頭巾。当時、女性はみな頭巾をかぶっており、巻き方にも各自の工夫があった。……」

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 この絵の一部が裏表紙に大きく載っている。中央の男も右端の男もズボンの前部分がいわばペニスケースのような膨らみが付いている。解説に触れられていないので、当時これが普通だったのだろう。いまだったらちょっとどころか相当恥ずかしい。

 してみると、別の時代からみたら、現在の女性が胸を強調している服装―ブラで大きく見せているファッションも恥ずかしいものと感じる時代があるだろうか? 逆にこの絵のペニスケースに相当するようなある部分を強調するような女性ファッションも出現するのだろうか? 昔、ピアスが流行り始めたころ、まさか牛の鼻輪のようなものが流行るなんてことはないだろうと思っていたのに、実際にはそれも現実のものになったのだから。

 これまた昔のことだが、サトウサンペイの新聞連載のサラリーマン漫画で、パンタロンが流行り始めたころ、正しい穿き方といけない穿き方というのがあって、パンタロンの前ボタンが3つ見えているのは良くて、ブラウスかなにかにボタン2つが隠れていて、1個だけしか見えていないのをいけない穿き方としていた。よくもこんな漫画が新聞(朝日だったっけ?)に載ったものだと驚いたことを憶えているが。



ブリューゲルの世界 (とんぼの本)

ブリューゲルの世界 (とんぼの本)

2018-01-15

[][]歌詞を書いた(その5)



 歌詞を書いてみた。その第5弾。

不器用な女



目薬をつけるたびに笑われた

おまえはほんとに不器用なんだからと

そう、私は器用じゃないの

あなたを真剣に愛することしかできない


お風呂が長いんだねって笑われた

いったいどこを洗っているんだいって

言えない、そんなこと

言えない、あなたに愛してほしいからって


でも、もうみんな終わった

いつまでもあなたに笑われていたかった

そう、私は器用じゃないの

料理も、お化粧も、愛も下手

 

2018-01-14

[]谷沢永一『運を引き寄せる十の心得』を読む(その2)



 谷沢永一『運を引き寄せる十の心得』(ベスト新書)を読む。ここに「中村幸彦先生へのご恩返し」という章がある。中村幸彦京都大学の国文科出身だったが、戦争中で就職口がなく、初め天理図書館司書で入った。その後先輩の野間光辰九州大学の教授に押し込んだ。その中村と無二の親友が岡見正雄という中世文学の達人で、京都女子大の教授だった。谷沢は岡見を引き抜いて関西大学へ迎えた。谷沢は岡見と時々飲み歩いていた。ある時、岡見が中村が定年間近なのに九州大学を辞めると言っていると教えてくれた。それを聞いて谷沢はすぐに中村を関西大学へ呼ぶことを画策する。その夜のうちに、吉永登主任教授に電話して、明日飛行機で福岡へ飛んでくれるよう頼む。中村は即答でオーケーした。そのことはビッグ・ニュースとして広く流れた。

 すると甲南女子大が家一軒と支度金を積んでお迎えしたいと申し出た。中村はずっと借家住まいだった。しかし、「先着順でございます」と言って断ったという。谷沢はいつか何らかの形でご恩返しをしたいと考えた。

 中村幸彦関西大学を退職した2年後、谷沢はつてをたどって中央公論社の大番頭高梨茂を訪ねて、中央公論社から中村幸彦全集を出してくれるよう説得する。谷沢の半ば強引ともいえる説得に応えて高梨が中村幸彦著作集を出すことを約束してくれる。

 その中村幸彦著述集(中村は著作集でなく著述集という名前にこだわった)の国学編に「国学雑感」という書きおろしをおいた。これは本居宣長に対する痛烈な批判で、講演を文章にしたものだった。それまで文章化しなかったのは、「小林秀雄の『新潮』連載の「本居宣長」が完結して、単行本になって世間の評判になり、もう小林さんが恥をかくことがなくなってから、婉曲だけれども痛烈な批判を講演して、あの著述集に収められたわけです」。

 また、森銑三の「西鶴の真作は『好色一代男』のみで、あとは全部違う」という主張に対して、野間光辰と暉峻康隆は近世文学の若手研究者を押さえ込んで、森銑三の「モ」の字にも触れさせないよう緘口令を敷いた。「近世文学の若手の研究者は全部師匠筋があって、親分・子分があって、兄弟分がありますから、この両巨頭がガーンと押さえ込むと反発できない。シーンと学界は静まり返って、森銑三というのはこの世にいないかのごとく、30年間生き埋めにしたわけです」。谷沢だけが、それを「一つの新しい意見であるということを新聞雑誌に書いた」。そういう状態のときに野間光辰京大を定年退職する。その記念に献呈論文集が出る。

その巻頭に中村先生は「編集者、西鶴の一面」と、つまり、西鶴は編集者であった、と、要するに、森説の100パーセント肯定ではないけれども、しかし、ほとんど森説の肯定に等しい論文をポンとお送りになった。野間光辰の定年を待っていらしたわけです。そこまで気配りをして、遠慮しなければならないかという見方もあると思いますが、それが中村幸彦というキャラクターの特質なんです。(中略)

……野間光辰の定年のお祝いの巻頭に、野間光辰の足元をバーンとすくうような論文を書くという芸をする人でした。

 私にとって、特にこの中村幸彦小林秀雄批判が大きな収穫だった。

2018-01-13

[]谷沢永一『運を引き寄せる十の心得』を読む



 谷沢永一『運を引き寄せる十の心得』(ベスト新書)を読む。Amazonで取りよせて机上に置いておいたら、娘が見て父さんなんでこんな本買ったの? と訊く。自分でもなぜ買ったか忘れてしまった。誰かの書評を読んで取り寄せた記憶はあった。谷沢永一はむかし『紙つぶて』を読んで面白かったことを憶えている。谷沢についてブログに何か書いたか検索してみた。Amazon小谷野敦が書いた書評を見て、本書を取り寄せたことを思い出した。その書評を紹介する。

★★★★☆国文学会裏面史

この題名ではもったいない、谷沢永一風雲録とも言うべきもので、谷沢―三好論争の出発点とか、谷沢が東大怨念を抱く理由とか、日本近代文学研究の内幕がぞろぞろ書いてある。日本近代文学に限らず、文学研究者必読の書である。

 最高が星5つの4つという高い評価がついている。「文学研究者必読の書である」とある。

 読んでみて、この題名はひどい。「国文学会裏面史」とするのがまだ合っているだろう。『運を引き寄せる〜』の題名につられて買った読者も納得しないだろう。

 開高健は谷沢の中学の後輩だった。谷沢が作った同人誌に開高が参加してきた。のちに開高が芥川賞を受賞したあと、求められておびただしいエッセイを書き綴った。開高がそれらに無関心でいるので、谷沢が掲載されたものを自分に送れと言ったのに開高はそれもしなかった。開高は自己愛が乏しいからと谷沢が書いている。それで谷沢が勝手に開高の執筆した掲載誌紙を自費で購入し台紙に貼って蓄積していった。文春の編集者萬玉邦夫が『開高健ノンフィクション』全5巻を企画して開高健を訪ねて過去のエッセイの提示を求めたところ、開高は自分は保存していないので、谷沢を訪ねるよう指示した。その後半年をかけて萬玉と谷沢が協力して刊行にこぎつけた。萬玉との雑談の中から谷沢の『完本紙つぶて』が刊行されることになった。

 谷沢が関西大学の助手のとき同人誌に「明治文芸評論の研究」を載せていた。それを読んだ文芸評論家小田切秀雄から突然声がかかり、谷沢に大正期文芸評論について2年以内に1冊分の原稿を書け、東京の出版社から出版してあげるからと言われる。谷沢は、戦後60年経つけれど、国文学者で処女作を書きおろしで刊行したのは飛鳥井雅道と自分だけだろう、それほど大変なことだったと書く。それが可能だったのは、すでにそれだけの準備ができていたからだ、と。

 小田切秀雄の弟の小田切進が中心になって近代文学館の設立を企画する。文学館ができて、その第1回の展示会を東京伊勢丹デパートで開く。ついで大阪でも開いたが、大阪のときは小田切進と後援の大阪読売の山岸健司と谷沢の3人で展示を準備した。その縁で大阪読売に谷沢が「紙つぶて」のエッセイを書き始めた。4年ほどして連載が中止になったとき、それをまとめたものを大阪古本屋が出版してくれた。たまたま縁があった高坂正尭の弟子の山野博史が、その本の寄贈先に大岡信新潮社柴田光滋などを勝手に付け加えた。大岡信朝日新聞文芸時評を担当していて、大きく取り上げてくれた。柴田は新潮社のPR誌『波』の巻末に紹介してくれた。

 こうした縁で谷沢の運が開けていった。その他、本書には国文学会の汚い裏面史が実名を挙げて紹介=暴露されている。『紙つぶて』もたしか容赦のないコラム集だったと思う。

 読み始めてすぐ、かったるい文体だという印象だったが、谷沢の語りを編集者に整理してもらったとあった。なるほど。



運を引き寄せる十の心得 (ベスト新書)

運を引き寄せる十の心得 (ベスト新書)

2018-01-12

[]大江健三郎古井由吉文学の淵を渡る』を読む(その1)



 大江健三郎古井由吉文学の淵を渡る』(新潮文庫)を読む。1993年から2015年までに行われた大江と古井の文学をめぐる6回の対談をまとめたもの。いずれも質が高くすばらしい対談集だ。中に「百年の短篇小説を読む」というのがあり、これは雑誌『新潮』1996年7月臨時増刊「新潮名作百年の文学」に掲載されたもので、対談の冒頭、編集部が次のように言っている。

 ――今日は、創刊以来「新潮」に掲載された短篇の中から選んだ、森鴎外の「身上話」から始まって、中上健次の「重力の都」まで35篇を通して読んでいただいた感想を伺い、日本の近・現代文学において短篇小説が持っている意味合いを話し合ってくださればと思います。(……)

 個々の作家の作品について、二人が2ページから数ページで話し合っている。これが優れた寸評になっていてすばらしい。

正宗白鳥文体を変えつづける」

大江健三郎  中篇「微光」の頃の、黄金時代と言っていいような豊かな時代があって、晩年はまた短篇の名手ですね。エッセイでもなければ小説でもない、しかしそのどちらでもあるような、特別な形式をつくっている。明治生まれの文学者で、昭和後半の最後まで知的に衰えなかった人として、ほかの人とは比較できないほどじゃないかな。

古井由吉  文章が一番変わっていった人ですね。時期によってそれぞれまったく違う。それが知的ということですね。前のものを否定していく形でやっていきます。近頃、若い人と『自然主義文学盛衰史』を読んでいますけど、そこで白鳥自然主義の諸大家にたいしてかなり辛辣なことを言うけれど、結局は自己否定なんです。

志賀直哉・いかがわしさの正体」

古井  志賀直哉という人は、非常にまっとうな作家のように思われてるけど、人物の表し方に独特な屈曲がありますね。「好人物の夫婦」といっても、男の方の人物にはなかなか奇妙な性癖があります。

大江  しかもそのことについて反省はしない。志賀直哉の崇拝者たちが、今でも芸術院の顔役だったりするでしょう。そういう人たちから見ると、志賀直哉の人格万歳、文章万歳ということで、それが日本の私小説の一つの理想型をつくっていると思います。しかし、僕は志賀直哉という人物にはいかがわしいところもあると考えています。そのいかがわしさを批判的に自分で意識して書いたもの、このような人間であるほかない、ということをはっきり自覚して書いているもの、例えば『暗夜行路』は美しい、立派な小説ですよ。この「好人物の夫婦」では、この夫の嫌らしさというか、どうにもしょうがない人物であることが……。

古井  よく露呈してますね。

大江  そうです。そこで、「好人物の夫婦」と客観化したつもりかもしれませんが、作品自体はどうでしょう。こんな人物は世界文学の中では成立しません(笑)。

(中略)

古井  書き手には、ギュッと押し出したのに、押し出したという意識がないんですよ。だから露呈と言われても仕方がない。

大江  そのくせ、自信をもった夫のやさしさもあり、人間に対する微妙なやさしさもある。女中さんにたいするやさしさ。不思議な人ですね。ただ、これが文学のお手本だとすると、日本文学は世界文学として成立しない。

葛西善蔵・二重のもの言い」

大江  これ(葛西善蔵「青い顔」)は今まで僕たちが話してきた、明治初期生まれの人が書いた短篇のなかでとくに優秀なものの一つじゃないですか。いわゆる大作家として文学史に残る人に比べて、特殊な作家として扱われる人で、しかもその人の文章の癖が時代と密着しすぎていて、後には生き延びられないと感じられるような作家で、思い立って読み返してみると、これは確実にいい作家だという人がいるんですね。いい短篇作家だと言ってもいい。例えば森鴎外葛西善蔵を比べてどちらを採るかというと、短篇の水準でいえば僕は葛西善蔵を採るなあ。

古井  少なくともエキサイトしますね、こちらのほうが。

岡本かの子・学ぶべき短篇作法

大江  僕は「家霊」は短篇としてとても優れていると思いました。ほかの作家に、短篇らしい短篇をつくっていこうとする気構えがあまりなかった時に、岡本かの子はそれをしっかりやった人なんじゃないか。

(中略)

大江  こういう人が、特に若い作家によって尊重されればいい。若い作家が自分の文学の将来を考える時、葛西善蔵みたいな名人芸を学ぶよりは、岡本かの子みたいな実質的なやり方に学んだほうがいい。

牧野信一・とびきりの名手の技」

大江  続いて芥川神経衰弱にしてしまうにたる奇っ怪な名手二人が現れてくる。牧野信一の「西瓜喰ふ人」。

古井  いや、大変な作家がいたと思いました。

大江  この短篇選の中で最上の作品だと思う。

古井  僕もこれが一番です。

大江  牧野信一は、芥川に比べれば民衆の支持、批評家の支持でいって、大人と子供ぐらい違ったでしょう。しかもこれだけしっかりしたものを残して自殺していったんですね。

 もう一人の名手はおそらく嘉村磯多らしい。

太宰治西鶴と結ぶ意味」

大江  こちらはいかにも自分の文体で、言いたいことを言っているのが、太宰治の「新釈諸国噺」。

古井  僕は、太宰は、戦後の短い期間の小説を最高のものとしますんで、これは一時待避という感じに読めます。

(中略)

大江  あわせて芥川と自分とを比べて、素人と玄人という気持ちもあったでしょうね。大岡昇平太宰治は同じ歳なんですね。作家の全体として大岡さんのほうが偉大だと思いますけど、短篇の巧みさということでは太宰治は傑出している人ですね。(……)

開高健・観察と分析」

大江  開高健の「一日」ですが。

古井  僕は大層感銘を受けて読みました。これは35篇の中で一番新しい作品なんです。昭和63年

大江  (……)開高さんは観察と分析ということをしようとした。今どきの人には少ないですよ。それがプラスの面。それから、反対意見もあるでしょうけど、開高さんは、小説の物語をつくる才能がなかった人じゃないかと思う。

古井  際立ってあった人とは思えません。

大江  全然ないとはもちろん言いませんが、観察の力、分析の力、文章をカラフルに書く力に比べると、嘘の物語をつくるという能力においてすぐれているとは言えなかった。それが、彼が一生、小説が書けない書けないと言っていた唯一の理由なんです。僕は、それが不思議。話してみると、いつも面白い話をどんどんする人なのに。

 この章以外については、また改めて。本当に1級の対談を読んだ思いがする。



文学の淵を渡る (新潮文庫)

文学の淵を渡る (新潮文庫)

2018-01-11

[]高井有一立原正秋』を読む



 高井有一立原正秋』(新潮文庫)を読む。作家立原正秋の伝記だが、高井にとって立原は面倒見の良かった先輩にあたる。

 私が高校生のとき、親友が立原を大好きで強く進められて何冊も読んだ。彼はシナリオライターを目指していて、作家では立原が、映画監督では増村保造が好きだった。私と違いちょっと娯楽路線寄りだったが、その影響で立原をたくさん読まされた。「剣ケ埼」「薪能」「辻が花」「情炎」など面白かったが、自伝的な『冬のかたみに』と『日本の庭』が特におもしろかった。

 立原正秋は、父は李朝末期の貴族李家より出て金井家に養子にやられたと称していた。『冬のかたみに』では父は日朝混血だったとしている。立原は自分は日韓混血だと主張していたが、高井は両親とも朝鮮人だったと明かしている。戸籍名は金胤奎(キム・ユンギュウ)だった。再婚した母を追って日本に来たときは金井正秋と名乗っていた。横須賀市立尋常高等小学校の1学年下に米本光代がいて、のちに結婚して米本姓を名乗った。

 立原は1945年4月に早稲田の専門部法科に進学する。大学中退後、セールスマンや夜警の仕事をする。小説を書いていたが、「剣ケ埼」が好評で芥川賞の候補にもなった。新潮社から声がかかり、流行作家立原正秋が誕生する。1966年「白い罌粟」で直木賞を受賞する。立原は芥川賞でないのが不満だったようだ。一度は辞退したが、説得されて受賞を受け入れた。

 売れっ子になった立原は贅沢をした。東京へ出れば帝国ホテルに泊まり、洋服はすべて壱番館、料亭は吉兆、酒は三千盛を蔵元から取り寄せ、茶は川根茶、電車はグリーン車だった。

 本書の「交遊抄」の項で、立原は川端康成について、「人生無常を少年のころに知った孤児の沈痛なひびきと、美にたいするしぶとい求道者の姿勢」だと言い、芭蕉、實朝、西行と、「漂泊者であり求道者であった」詩人系譜につなげて、川端氏を位置づける。その背景には自分もまた孤児であり、「姻戚の家をたらいまわしにされ」て育ち、ふるさとを持てない漂泊者だとの自己認識がある。

 吉行淳之介に兄事する気持はずっと変わらなかった。同時代で一番優れた作家は誰かと問われて、吉行淳之介と答えた。吉行も立原の死後書いた一文に「これらの短篇には、虚無の風が吹き抜けており、余分の理屈はなく、そこがとてもよかった」とある。

 高井有一立原正秋におもねることなく厳しい態度で臨んでいる。でありながら、高井の立原に対する深い友情が感じられる。良い伝記だと思う。20数年ぶりの再読だったが、高井の気持ちが感動的で印象的な読書だった。


立原正秋 (新潮文庫)

立原正秋 (新潮文庫)

2018-01-10

[][]歌詞を書いた(その4)



 歌詞を書いてみた。その第4弾。

  私は子どもだった



私は13だった

お兄さんが大人に見えた

私のこと好きだって分かった

でも私は子どもだった


その次会ったとき

もう私は子どもじゃなかった

お兄さんは彼女を連れていた

きれいな人だった


あれからずいぶん経ったわね

私のことまだ好きかしら

そんなわけないわね

私も忘れてしまった


無理よ、あれから何年も経ったもの

無理よ、私もいろいろあったもの

無理よ、もうどこにいるかも分からない

 

2018-01-09

[]吉岡まさみの「ドクメンタ雑感」から



 銀座のSteps Galleryのオーナー吉岡まさみは作家でもある。昨年は呼ばれてドイツでのグループ展に参加してきた。その折、一緒に行った仲間たちと「ドクメンタ14」を見てきた。それを見た印象をA4判4枚にまとめて画廊の入り口に置いてある。その「ドクメンタ雑感」がおもしろかった。その中からとくにおもしろかった部分を勝手に要約して紹介したい。

 ドクメンタは凄かった! などと言いたいわけではない。作品一つひとつを見ていくと、感動するような逸品というものはなかったような気もするし、絵画という表現が見られなかったから、「絵画は終わった」と言いたいわけでもない(終わっていない)。ただ、「何かが違う」と思ったことを素直に伝えたいだけなのである。「何かが違う」というのは、日本の今の美術というか、作品が「違う」ということなのである。


 では「何かが違う」の「何か」とは何か。そこをもう少し考えてみたい。


 日本の美大の学生やごく若い作家たちを見ていて感じるのは、まず第一に「勉強してないなあ…」という印象である。大学で一所懸命に制作すること、それが勉強だと勘違いしている。勉強とは本を読むことと、他の作家の作品をたくさん見て歩くことである。そしたら作品も変わっていくのになあと思う。


 まるでイラストか、と思うようなちゃらちゃらした「カワイイ」作品や、キャラクターもの、美少女を描いて自己満足している困った人たち。超絶技法か何か知らないが、写真以上! とか言ってその描写力だけを競っている薄っぺらな作品。日本以外の国では見ることのできない絵画コンクールというものに、入選してはしゃいでいる坊ちゃん嬢ちゃん。なんでもいいからただ描き続けていればいいのだと、相も変わらず同じような抽象画を発表し続けるシジフォスみたいな方々。継続は力なり、と勘違いしている御仁。


 どうしてもこれを言わなくては、私は死んでも死に切れない、というものがあるのか。そして、それはあなたにとってだけの宝であるのか、そうではなくて、作品を見た人が衝撃を受けて、その人の人生観を変えてしまうほどのメッセージを秘めているのかと言うことに尽きるとわたしは考えるのだが、どうだろう。

 吉岡のエッセイはまだ続くが、ここまでとしよう。興味があれば画廊へ行けば入手できる。

 吉岡は画廊主であり作家であるが、同時に優れた批評家でもある。それはこの文章からも明らかだろう。その主張は厳しすぎると感じる作家も多いかもしれないが、吉岡の主張は実に真っ当である。ぜひ、この文章を味読してほしい。

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Steps Gallery(ステップス・ギャラリー

東京都中央区銀座4-4-13 琉映ビル5F

電話 03-6228-6195

http://www.stepsgallery.org

東京メトロ銀座駅B1・B2出口より徒歩1分

2018-01-08

[]岡田暁生クラシック音楽とは何か』を読む



 岡田暁生クラシック音楽とは何か』(小学館)を読む。さすが岡田暁生だ、とても分かりやすいクラシック音楽入門書だ。クラシック音楽は3つの時代に分けられると書く。18世紀前半までのバロック、18世紀後半からのウィーン古典派、19世紀ロマン派、これがクラシック音楽の黄金時代だと。

 クラシックの最末期、19世紀末から20世紀初頭の世紀転換期を、音楽史では後期ロマン派という。プッチーニリヒャルト・シュトラウスマーラーラフマニノフフランス印象派ドビュッシーラヴェルらの名前があげられている。

 その後が現代音楽と呼ばれるシェーンベルクストラヴィンスキーで、こうした音楽の系譜ブーレーズシュトックハウゼンを経由して今日に至っている。

 交響曲クラシック音楽のメインディッシュであり、4つの楽章からなっている。この交響曲はほとんどドイツ語圏で作られた。それに対抗して、とりわけイタリアオペラは娯楽色が強い。「ロッシーニベッリーニドニゼッティも、そしてヴェルディプッチーニも、言うなれば当時の演歌のようなものであって、決してコンサートホールで真面目くさって聴くようなものではなかった」と言う。ベルリンウィーンコンサートホールに通って交響曲を聴く聴衆と、ローマナポリミラノの劇場の天井桟敷に陣取るオペラ狂たちがどれほど違った人々であるか、日本にいると分かりづらいと言って、「敢えて言えば、イタリア人のオペラ観客の多くは、サッカー競技場に詰めかけるファンのようなメンタリティーの人々である」とまで言う。さらにオペラオペレッタは違っていて、「オペレッタは、値の張るオペラになかなか行けない庶民のための代用品として生まれた」と。

 さて現代音楽作曲家たちが初期に書いた曲について岡田が紹介している。

……晩年オカルトに狂って、独特の無調音楽に到達したロシアスクリャービン。彼が10代半ばのころに書いた練習曲(作品2)は、ロシアの大ピアニスト、ヴラディーミル・ホロヴィッツがよく弾いたものだが、ショパンの甘美にチャイコフスキーの憂鬱を加えて蒸留したような、異様に洗練された芳香を放っている。あるいはシェーンベルクの弟子で、のちに師とともに無調音楽へ突き進んだウィーン生まれのベルク。彼が20代で作曲した《初期の7つの歌》も、もうこれを聴いてしまったらシューマンマーラーも色褪せて聴こえるというくらいに、陶然とするようなロマンを湛えた作品だ。しかもそこには早熟の脆く危うい魅惑のオーラが輝いている。

 本書は40の小さな章から構成されている。その見出しのいくつかを引いて、本書の魅力を伝える代わりとしたい。

交響曲にはなぜ複数の楽章があるのか?」「モーツァルトの凄さとさりげなさ」「「後期ベートーヴェン」というスフィンクス」「シューベルトと病み衰える快楽」「名演とは何か」「オーケストラになぜ指揮者がいるのか」「オペラの客いろいろ」「私見――音楽史でもっとも偉大な作曲家

 岡田の本は何冊も読んできたが、いずれも素晴らしい。どんなに教えられてきたか。


クラシック音楽とは何か

クラシック音楽とは何か

2018-01-07

[]早坂暁公園通りの猫たち』を読んで



 早坂暁公園通りの猫たち』(ネスコ/講談社)を読む。先月脚本家早坂暁が亡くなった。『夢千代日記』の脚本が代表作だったが、早坂の映画は見たことがなかったと思う。しかし早坂の猫に関するエッセイはとても優れたものだった。訃報を聞いて『公園通りの猫たち』を読み返した。10年ほど前にもこのブログに紹介したことがあったが、猫たちのことなのに本当に感動した。

 早坂は渋谷公園通りに面した東武ホテルに住んでいた。近所の猫たちを観察して、個体識別し、名前を付けてエサを与えたりけがをした猫を動物病院に連れていったりしている。ホテルでは動物が飼えないので、自分が飼育することだけはしていないけど、目一杯の世話をしていることがよく分かる。

 近くの空き地で猫が出産した。声が出ない白黒の猫はサイレントと名付けられ、1歳未満で1匹の子猫を産んだ。子猫はオスでタビと名付けられた。サイレントの母親はマーチ。そのタビは道玄坂の和菓子屋さんにもらわれていった。訪ねてみると5センチもある座布団を与えられて座っていた。

 エッセイ執筆当時(1988年頃)、公園通り界隈には60匹余りの自由猫(早坂は野良猫と言わないでこう呼ぶ)がいた。その中で一番の高齢猫が牝猫のアマテラスで、13年前から住んでいるヘアデザイナーによると、13年前にアマテラス子猫を連れて歩いていたという。ちなみに早坂は昨年亡くなるまで、結局そのホテルに40年ばかり住んでいたことになる。三味線のKおばあさんによればアマテラスは16歳とのこと。飼猫でなくて16歳は世界ランキングに入ってもいいんじゃないかと書く。早坂はこの辺り一帯の猫はほとんどアマテラスとボス猫の太郎の子孫だろうと書いている。しかし、それは正しくないだろう。牝猫は同時期に複数のオスと交尾して父親の異なる複数の子どもを出産するということを、動物学者の山根明弘が『ねこの秘密』(文春新書)で書いていた。モテる牝猫は出産経験の豊富な猫で、若い牝猫はモテないとも。

 太郎ボスが新しいオス猫と決闘してボスの座を追われる壮絶なエピソードも紹介されている。

 スペイン坂に住んでいるホセは気が弱い。大きなネズミと対決しても勝つことができない。近くに住むカルメンからも相手にされたのは1回だけだ。しかも子猫を連れた気の強いハァ子からもマイホームを奪われてしまう。早坂はホセを迷路のような空間に連れて行ってやる。ライブハウスが近いのでロックの音が少しうるさいが。

 鼻の下が黒くてひげが生えているみたいなので巡査と名付けられた牝猫がいて、その子猫が駐車してあった車の下にいて挽かれた。巡査が動かなくなった子猫を舐めていたが、

 巡査は、なめるのをやめて、じっと子猫を見つめた。ただじっと見つめているだけなのだ。その時、巡査の目に涙が浮かんだのである。

 ――巡査が泣いている。

 私の錯覚ではない。ちゃんと近づいて、私は見たのだから。

 猫も涙を流すのだ。

 その後、巡査の産んだ子猫の写真が紹介されている。「鼻にコアラのような斑点があるのでコアラ」「目が少しとび出て、宇宙生物のような顔をしたE.T.」「小さいくせに赤い口を精いっぱいあけて威嚇するハァ!」

 早坂のエッセイでアマテラスの最後を描いた名文がある。それが次のリンクだ。

村松友視「アブサン物語」を読む、その他早坂暁の名文(2008年2月27日



公園通りの猫たち

公園通りの猫たち

公園通りの猫たち (講談社文庫)

公園通りの猫たち (講談社文庫)

公園通りの猫たち (早坂暁コレクション)

公園通りの猫たち (早坂暁コレクション)

ねこの秘密 (文春新書)

ねこの秘密 (文春新書)

2018-01-06

[]『ジャコメッティ』を見る



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 映画『ジャコメッティ』を見る。スイスの世界的な彫刻家ジャコメッティを主人公にした映画で監督はスタンリー・トゥッチ。昨日の朝日新聞の夕刊に真魚八重子の映画評が掲載されていた。

 彫刻家のジャコメッティは、油彩画デッサンも多く残した。本作は彼がある肖像画を描く18日間を捉えた劇映画だ。物語は絵のモデルとなった、アメリカ人の作家で美術評論家のジェイムズ・ロードが記した回想録に基づいている。

 1964年、パリを訪れたロード(アーミー・ハマー)は、親交のあったジャコメッティジェフリー・ラッシュ)から肖像画モデルになるよう頼まれる。アメリカへの帰国寸前だったが、2日で終わると言われ、好奇心もあって引き受ける。しかし2日を過ぎても、絵は一向に描きあがる気配がない。

 ジャコメッティは完成に近いように見える絵を何度も消して最初から描き直す。モデルのロードは航空会社に電話して予定していた便をたびたび延期することになる。言ってしまえばそれだけの映画だ。それに妻であるアネットやジャコメッティの弟ディエゴジャコメッティの愛人である娼婦が絡む。途中、矢内原伊作がアネットといちゃついているカットが一瞬挟まれる。画商からジャコメッティが200万フラン受け取るシーンもあり、すでにジャコメッティが売れっ子になっていることを偲ばせる。娼婦には求めに応じてBMVの赤いスポーツカーも買い与えているし、娼婦のヒモから強請られれば大金も渡している。

 しかし映画はジャコメッティがロードを描き、その絵が駄目だと消し、また描き直すシーンがほとんどを占めている。

 やはりジャコメッティのモデルになって、帰国寸前だった矢内原伊作ジャコメッティの要請に従って何度も帰国を延期し、その後毎年夏休みになるとパリを訪ねジャコメッティのモデルをした経験を『ジャコメッティとともに』(みすず書房)に書いていたので、何度も何度も描き直し、絵はいつまでも完成しないことを私たちは知っている。矢内原はジャコメッティ公認でアネットと寝ていたことも。

 しかしジャコメッティが世界でもトップクラスの彫刻家であることを知らなかったら、この映画は一般の観客に対して説明不足だろう。ジャコメッティを知っている現代美術愛好家にだったら、きっとそれなりに楽しめるだろうが。ただ、矢内原の本でも、この映画でも、ジャコメッティがどうして自分の描く肖像画が気に入らなくて描き直してばかりいるのか、そのことはついに分からないままだった。ジャコメッティ役のジェフリー・ラッシュは、ジャコメッティによく似ていた。


ジャコメッティと矢内原伊作(2007年4月16日)


https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=015378


2018-01-05

[][]歌詞を書いた(その3)



 歌詞を書いてみた。その第3弾。

キウイフルーツ



わたしキウイフルーツ大好き

甘いじゃない ちょっと

すっぱいじゃない

入ってる種もかわいいし

キウイフルーツ大好き



わたしキウイフルーツ大好き

キウイコアラが好きなんだ

彼が言うの ばっかみたい

コアラが好きなのはユーカリ

わたしは彼が好きだけど



わたしキウイフルーツが大好き

丸くて毛が生えてて ふふ

猫みたいじゃない

キウイがあれば何もいらないわ

彼は別だけどね

 

2018-01-04

[][]歌詞を書いた(その2)



 歌詞を書いてみた。その第2弾。

  あんたが一番好きだった



あんたはあたしの一番大事な人だった

耳が動かせるって自慢していた

でもお釣りの計算ができなかった

そんなあんたが好きだった


あんたはあたしの一番大事な人だった

何人もの女を泣かせたって自慢していた

でももてたのホステスにだけだった

そんなあんたが好きだった


あんたは私の一番大事な人だった

東京の六大学を出たって自慢していた

でも漢字がろくろく読めなかった

そんなあんたが好きだった


あんたはあたしの一番大事な人だった

沖縄の基地でも歌っていたって自慢していた

でもカラオケで歌うと音痴だった

そんなあんたが好きだった


あんたはあたしの一番大事な人だった

俺は喧嘩が強いんだって自慢していた

でも昨日も眼の周りに痣を作ってきた

そんなあんたが好きだった


あんたが一番好きだったよ

あたしを置いてどこへ行っちゃったの

戻ってきてよ あたし待っているから

きっときっと戻ってきて

 

2018-01-03

[][]歌詞を書いた



 歌詞を書いてみた。

  あんたはだあれ



あんた 口説くの上手ねえ

あんなこと言われたの初めてよ

誰にでも同じこと言ってんでしょ

あたしだって その気になっちゃうわ


あんた上手ねえ ホントよ

あんなことされたのあたし初めて

誰に教わったの そのテクニック

可愛いい顔してすごいんだから


あんたホントは子ども

終ったらあっち向いて寝ちゃってさ

見かけよりずっと若いんじゃない

今夜はあたし抱いててあげるわ

 浅川マキが好きだったので、その影響が強いかもしれない。

2018-01-02

[][]玄関の絵を掛け替えた



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 新年に玄関の絵を掛け替えた。新しい絵は、山本弘「山沼」、油彩、6F。1976年作、山本46歳の作品。飯田市の代表的な山、風越山を後ろに、手前に白く光る沼が描かれ、中景にこれは梨の花だろうか、白い花が咲いている。飯田市の西にある風越山がやや暗く描かれていて、山の後ろには光がある。これは夕方の時刻なんだろう。西日を受け、逆光で花が白く光っている。

 5年後に亡くなる山本は、このころ具象と抽象を同時に描いていた。最晩年にあたる1973年から1979年山本弘の豊穣の年だった。代表作、傑作が量産されたのだった。

 2018年、今年が山本弘没後37年になる。生誕88年でもある。私が初めて出会ってからもう51年にもなるのか!

2018-01-01

[]謹賀新年



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 謹賀新年



もゝちどりさへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく

         「古今和歌集」より 読人しらず



 佐伯梅友 校注『古今和歌集』(岩波文庫)の脚注には次のように記されている

もゝちどり:さまざまな小鳥。古今伝授三鳥の一。物ごとに〜:みんな新しくなるが、自分だけが古くなっていく。




古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)