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2018-10-31

[]橋爪大三郎丸山眞男の憂鬱』を読む



 橋爪大三郎丸山眞男の憂鬱』(講談社選書メチエ)を読む。これが刺激的でとても面白かった。題名としては『丸山眞男山本七平』の案も考えたという通り、山本七平の書と対比して丸山を批判している。丸山の主著『日本政治思想史研究』は戦後東京大学出版会から出版されたが、個々の論文は戦前雑誌に発表されたものだ。

 『日本政治思想史研究』で丸山は江戸時代の政治思想として荻生徂徠を重視する。朱子学四書(『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』)を、古義学を立てた伊藤仁斎は『論語』と『孟子』を重視する。徂徠は堯舜と三代(夏殷周の3つの王朝)の聖人に道の規範を見ている。朱子学の道は天からきているという考えを否定して、道は聖人が作ったとする。夏殷周の時代に聖人が立って、政治制度を制定した。統治者の意思的な行為、すなわち作為だとした。道を天=自然から聖人=人へ取り戻した。丸山は徂徠のこの思想が近代のはじめだとした。

 戦後、丸山の思想は日本の政治学を席巻した。丸山眞男と丸山学派の石田雄、藤田省三、神島二郎らが東大政治学の主流を占めた。丸山学派に学んだ者たちが官僚となり日本の政治を指導した、

橋爪は丸山が十分論じなかった山崎闇斎を重視する。山崎闇斎と闇斎学派=崎門(きもん)学派は特異な学派で、独自の主張を持っていた。丸山は闇斎を十分に理解しなかったが、山本七平が『現人神の創作者たち』(ちくま文庫)で闇斎を的確に評価している。闇斎は朱子学に立脚しているが、朱子学の基本テーゼである「湯武放伐論」を否定する。湯武放伐は、湯王と武王がそれぞれ暴君に対するクーデターを起こして武力で政権を奪った故事をいう。孟子朱子も湯武放伐肯定する。山崎闇斎とその弟子浅見絅斎はこれを否定する。日本の儒学の中で闇斎学派だけがこれを否定した。闇斎学派はまた神道朱子学化し、歴史化した。朱子学化した神道では身分制度が消える。すべての人々が「われわれ日本人」という自覚を持つことができるようになり、日本のナショナリズムを生み出した。

 丸山は近代とはなにかを分かっていなかった。橋爪が書いている。

 丸山眞男が、荻生徂徠に過剰に注目し、そこから「作為の契機」を取り出したこと、そして、それ以外の要素をプレ近代の世界から見つけなかったことは、そうした近代主義者のふるまいの一例である。丸山の試みは、半分正しい。明治になって近代と接触してからではなく、江戸時代の、近代と接触する以前の思想のなかから、近代の要素をみつけようとしているから。そして半分正しくない。明治になってから近代と理解されたものに類似する断片的な要素を、江戸時代の、近代と接触する以前の思想のなかからみつけようとしているだけだから。

 山本七平山崎闇斎の弟子浅見絅斎から幕末尊王論が生まれ、明治維新の原動力になるのだと示唆している。さらに橋爪は続けて、「闇斎学派〜宣長国学水戸学〜尊皇思想、が明治近代化を導いた主軸となる思想であるのは、明らかだと思う」と書いている。

 とても刺激的な本だった。日本政治思想史の巨大な帝王に十分打ち勝っていると思う。初めて山本七平を読んでみようと思ったのだった。


丸山眞男の憂鬱 (講談社選書メチエ)

丸山眞男の憂鬱 (講談社選書メチエ)

現人神の創作者たち〈上〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈上〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈下〉 (ちくま文庫)

現人神の創作者たち〈下〉 (ちくま文庫)

日本政治思想史研究

日本政治思想史研究

2018-10-29

[]NHK日曜美術館で遠藤彰子特集を見る



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 NHK日曜美術館で「巨大な絵画にこめたもの〜画家・遠藤彰子の世界〜」を見た(10月14日)。遠藤は1947年東京中野区に生まれた。1986年に安井賞を受賞している。番組では、日本を代表する画家だと紹介されていた。30年前から高さが3メートルを超えるような巨大絵画を作っている。今回も海外から取り寄せたという500号のキャンバス2枚を合わせた作品を描くところを経時的に追っていた。

平塚市美術館の館長代理土方明司氏が遠藤を高く評価しているが、それは本音ではなくサービストークの類いだろう。遠藤の作品はほかであまり見ないくらい巨大なものだけれど、それがさして面白くない。大きいというだけでそこにどんな意味があるのだろう。大きいだけあって細部が粗いし、人物もマンガのようだ。大きい絵画が無意味なわけではない。キーファーの巨大絵画はその大きさを説得させる内容がある。

遠藤は幼い子供の病気を機に現実と向き合い始め、そして現代の社会の姿を映し出したいと思うようになったという。私には現代の社会の姿というよりファンタジーの世界を描いているように見える。

遠藤が巨大絵画を志向することは正しい選択をしているとは思えない。ただ大きい作品を作ることで自分の作品のつまらなさをごまかしているのではないのだろうか。

2018-10-28

[]東京国立博物館の「マルセル・デュシャンと日本美術」を見る



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 東京国立博物館で「マルセル・デュシャンと日本美術」が開かれている(12月9日まで)。アメリカフィラデルフィア美術館所蔵のデュシャンの作品と東京大学駒場博物館の《大ガラス》の複製などを中心に、日本の古美術と絡めて展示されている。

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 始めに絵画作品が並んでいるが、《階段を降りる裸体》以外あまり興味を惹かれない。もしデュシャン絵画以外の作品がなかったらさほど重要な作家とは認められなかっただろう。

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 ついで自転車の車輪や瓶乾燥器、便器などのレディーメイド作品が並んでいる。これらの作品こそデュシャンを20世紀美術の転轍機たらしめた作品だ。きわめて重要な作品群だがみなオリジナルではなく再制作のものできれいだ。だがこのようなコンセプチュアル・アートはオリジナルにこだわる必要はないだろう。目の前にある作品は作家の考えた美術の概念を実体化したもので、重要なのはその「モノ」を通して表現される概念=思想なのだ。極端に言えば作品の写真でもそれほど遜色はないだろう。

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 そして《大ガラス》が展示されている。複製品なのでオリジナルのようなガラスのひび割れはない。透明なガラスが後ろの壁面と重なって見えてとても見づらい。これを見ながらこの作品について考えるよりも、自宅で美術書の図版を見ながら考えたり、評論家たちの解釈を読む方が理解しやすいように思う。

 例の《遺作》については、フィラデルフィア美術館に設置されているものなので移動は不可能で、今展では映像で解説している。また「トランクの中の箱」などの資料も展示されているが、これらについては別途デュシャンに関する書籍を見るしか詳しいことは分からない。

 最後に伝千利休作という花入れや長次郎の黒楽茶碗、本阿弥光悦作の舟橋蒔絵硯箱などが展示されている。黒楽茶碗は日本のレディーメイドという扱いだ。デュシャンに日本の古美術を合わせて展示したのは、本展を東京国立近代美術館国立西洋美術館でなくて東京国立博物館で開催することのアリバイ作りなのではないだろうか。

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マルセル・デュシャンと日本美術」

2018年10月2日(火)−12月9日(日)

9:30―17:00(金・土と10/31、11/1は21:00まで)月曜日休館

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東京国立博物館平成館

電話03-5777-8600(ハローダイヤル)

http://www.duchamp2018.jp/

2018-10-27

[]練馬区立美術館の笠井誠一展を見る



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 東京中村橋練馬区立美術館で笠井誠一展が開かれている(11月25日まで)。

展覧会のちらしより、

 笠井誠一(1932〜)は、札幌市に生まれ、東京名古屋を中心に活躍してきた油彩画家です。

 17歳上京し、練馬区内に居住。都立石神井高校阿佐ヶ谷洋画研究所夜間部に通い、1953年東京藝術大学美術学部絵画科(油画・伊藤廉教室)に入学します。絵画科卒業、専攻科修了後は同大で副手を務めた後、1959年フランス政府給費留学生に合格。パリに渡りました。パリでは国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)のモーリス・ブリアンション教室で学び、サロン・ドートンヌに入選、フランス政府買い上げとなるなどの活躍を見せました。

 66年の帰国後は、愛知県立芸術大学で教鞭を執る(〜1998年)と同時に東京都八王子市アトリエを構え、東京愛知を往復する日々が始まります。70年代後半より、現在につながる静物画を中心とした制作が固められ、また85年以降は立軌会に同人として参加しています。笠井は、楽器や日用品などのモチーフを、室内に配した静物画で知られていますが、本展では初期の風景画や人物画から始まり、現在までの笠井の画業を辿ると共に、アトリエで使用されているモチーフや資料などから、作家の緻密な構図を紐解いていきます。

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《横たわる婦人像》1969年

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ウクレレかりんのある卓上静物》1999年

 笠井はちらしに使われている晩年の平面的な静物画で有名な画家だ。日常的な静物を淡々と置いたような構図で、しかし一見有機的なつながりがないように置かれたモノたちの作る不思議な構図や、テーブルの表面のシュールな傾きなど、決して素朴な写実画ではない。太い輪郭線が引かれ、装飾的な画面でもある。

 27歳でパリに渡り、以来7年間フランスで学んでいる。ナビ派の影響も感じられる。太い輪郭線はステンドグラスの影響とあったが、ビュッフェの影響も大きかったのではないか。戦後の若い絵描きたちはみなビュッフェの強い影響から免れなかったと思う。若いころの笠井に輪郭線以上のビュッフェの影響は認めがたいが、晩年の静物画はビュッフェの激しく太い輪郭線の影響の延長戦上に描かれたのではないか。一見すると激しいビュッフェの作品の底に透けて見えるニヒルな虚無的な価値ニュートラルな心情が笠井静物画にも共通するように思うのだ。私は頓珍漢なことを言っているのだろうか。

 晩年の静物画でテーブルの上に置かれた6本のネギの小品があった。私がもし笠井の絵をもらえるのならこのネギの絵を所望しよう。

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笠井誠一展

2018年10月7日(日)−11月25日(日)

10:00−18:00、月曜日休館

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練馬区立美術館

東京都練馬区貫井1−36−16

電話03−3577−1821

https://www.neribun.or.jp/museum/

2018-10-26

[]東京都美術館の「大作公募展 風」を見る



 東京都美術館で「大作公募展 風」が開かれている(10月30日まで)。主催が中島千波、中野嘉之、畠中光享たちらしい。18名の作家が選ばれている。名前の通り大作ばかりで、大きいものは左右700cm、小さくても左右340cmもある。

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兼未希恵「りんごの木」

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森田舞「scene2018」

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中島千波「mumyo(無明)’18-91L,R」

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笠原浩美「Soar」

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古家野雄紀「螺旋群像図」

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板垣夏樹「オイヌサマンダラ」

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金子正子「休息」

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近藤守「Overlap」

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奥山加奈子「夢十夜

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中野浩樹「水の鼓動」

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立尾美寿紀「infinite echo」

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畠中光享「観想西方浄土

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増田舞子「空と音楽」

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平良優季「あの日に沁む」

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木下めいこ「紺青の花」

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白砂真也「海の訪れ」

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野地美樹子「道標

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中野嘉之「丹頂鶴」

 大作が18点並んでいる。大作だがみな横長の作品ばかりだ。日本画には屏風絵の伝統があるからさほど違和感がないのかもしれない。しかし大作という以外に面白いものがないという印象だった。どれも大作でなければならない説得性が欠けていた。

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「大作公募展2018 風」

2018年10月23日(火)−10ガル30日(火)

9:30−17:30(入場は17:00まで)

※最終日は14:00まで

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東京都美術館ロビー階第4公募展示室/入場無料

2018-10-25

[]ジョン・ル・カレ『スパイたちの遺産』を読む



 ジョン・ル・カレ『スパイたちの遺産』(早川書房)を読む。すばらしい! ジョン・ル・カレは『寒い国から帰ってきたスパイ』で圧倒的な評価を得、ついで『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』と『スクールボーイ閣下』、『スマイリーと仲間たち』のスマイリー3部作でスパイ小説の大御所たる位置を不動のものにした。その後も『パーフェクト・スパイ』など優れたスパイ小説を次々に発表してきたが、東西ドイツの壁が崩れ、ソ連が崩壊して東西冷戦が鎮火してからは得意とするスパイの出番が消えてしまい、ル・カレは強気にトランプカードがシャッフルされたようなものだとうそぶいて、アフリカ南米などを舞台にした多国籍企業や独裁政権の汚れた利権がうごめくシーンを書き続けてきた。

 だが、どの作品も見事な出来栄えを示しているものの、ル・カレの過去のスパイものに比べれば及ばないと言っていいのではないか。しかしすでに冷戦は終わってしまったのだからと(ル・カレのために)残念に思っていたら、本書『スパイたちの遺産』でル・カレの世界が戻ってきた。

 本書は『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』の後日談で、『寒い国〜』で東ドイツ秘密警察に射殺された英国情報部員アレックスリーマスとその恋人リズ・ゴールドの息子と娘が当時の上司だったピーター・ギラムとわれらが英雄スマイリーを英国議会告発するという物語だ。スマイリーの行方が分からなく、ピーター・ギラムがアレックスの息子から命を狙われ、告発を受けた英国情報部は当時の事情を明らかにしようとするが、なぜかそれらの資料がごっそり削除されている。

 ギラムは昔の仲間たちを探し出し、濡れ衣を晴らそうとする。すでに遠い過去だった冷戦時代の情報戦が蘇ってくる。なんという巧い手をル・カレは考えたものだろう。さすがに極めて迫真的なスパイ小説になっている。読みながらル・カレの筆力に圧倒されていた。ただ、やはり過去の過ぎ去った事件を取り上げるということで、リアルタイムで書かれていた『寒い国〜』やスマイリー3部作の後塵を拝することになってしまうのは致し方ない。

 スパイ小説ファン、ル・カレファンでなくても十分満足するだろう。ただし、本書は『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』の後日談なので、先にそちらを読むことをお勧めする。それら2冊のネタバレが書かれているのだ。



2018-10-24

[]ギャラリー砂翁の及川伸一展「忘れたままのこと」を見る



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 東京日本橋本町ギャラリー砂翁で及川伸一展「忘れたままのこと」が開かれている(11月2日まで)。及川は1949年東京生まれ。1980年から1992年まで独立美術に出品していたが、1992年からは個展を主な発表の場所としている。これまでギャラリー汲美、ギャラリーテムズ、ギャラリーゴトウ、ギャラリー砂翁&トモス、Shonandai My ギャラリーなどで発表してきた。

 最近は銀座ギャラリー403で具象的作品の個展も行っている。今回1年ぶりの抽象作品の個展になる。及川は無彩色の画面が主力だが、鮮やかな緑や赤などの作品も混じっている。無彩色に囲まれた鮮やかな色の作品は一層印象的でもある。形は描かれているが、ほとんどぶっきらぼうなまでに単純だ。作品を作るのには形に頼らないと突っ張っているように思われる。形に頼ることなく作品を完成させているのが及川の力なのだろう。

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 具体的な形に頼ることなく、しかし形を完全に手放すことなく作品化している及川の仕事は、私にはとても貴重に思われる。最小限の形=形態=イメージでマンネリに陥ることなく制作を続けていくことは、おそらく怪力が必要なのではないだろうか。おだやかな風貌からはそんな内面を窺うことができないが。

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及川伸一展「忘れたままのこと」

2018年10月23日(火)−11月2日(金)

11:00−18:00(最終日17:00まで)日曜休廊

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ギャラリー砂翁

東京都中央区日本橋本町1-3-1 渡辺ビル1F

電話 03-3271-6693

http://saohtomos.com

地下鉄銀座線半蔵門線三越前駅A1番出口より徒歩3分

2018-10-23

[]ギャラリーeitoeikoの岡本光博展「UFO」を見る



 東京神楽坂ギャラリーeitoeikoで岡本光博展「UFO。」が開かれている(11月3日まで)。岡本は1968年京都市生まれ。1994年滋賀大学大学院教育学科を卒業している。その後1994〜96年、ニューヨークアート・スチューデンツ・リーグに学び、1997〜99年、CCA北九州リサーチプログラムに参加。2001〜04年、ドイツのレジデンスを中心にインドスペイン等で活動する。2004年以降、沖縄台湾を拠点に活動し、2007年から京都に拠点を移動している。2012年、アーティスト・ラン・ギャラリーKUNST ARTSを京都に開廊した。eitoeikoでの個展は一昨年に続いて今回が3回目となる

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 画廊中央に大きなものが高速回転している。何となく日清焼そばUFOを思わせるが、回転が速いのでよくは分からない。岡本は以前から登録商標やブランドなどを揶揄するような作品を発表してきた。正面から批判するのではないこの方法は意外と有効なのではないか。著作権とか商標権は実はとても強大な力、権力に近いものを持っている。アメリカは最近ディズニーなどの著作権を守るために著作権の有効期間を作者の死後70年にまで延長した。それには誰も抵抗することができない。岡本の方法は案外有効なのではないだろうか。

 なお、タイトルの「UFO」は「未確認回転物体 Unidentified Freespinning Object」の略。

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岡本光博展「UFO

2018年10月5日(金)−11月3日(土)

12:00−19:00(日月祝休廊)

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eitoeiko

東京都新宿区矢来町32-2

電話03-6873-3830

http://www.eitoeiko.com

神楽坂の矢来公園近く

2018-10-22

[]ギャラリーなつかの内平俊浩展を見る



 東京京橋ギャラリーなつかで内平俊浩展が開かれている(10月27日まで)。内平は1960年石川県生まれ、1982年名古屋芸術大学美術学部彫刻科を卒業している。1987年銀座画廊春秋で初個展、以来銀座を中心にもう22回も個展を行っている。今回は2015年にこのギャラリーなつかで行って以来3年ぶりだ。

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 内平はほぼ等身大の木彫で若い娘を作っている。この20年間、その時代の風俗を写しているので、いわば若い娘のファッションの移り変わりを見るようでもある。そして内平の大きな特徴は「彫り」の粗さと彩色にある。内平の作品は精密な仕上げを拒否しているのだ。遠くで円空仏と響き合っているような作風だ。意識的に近代彫刻の概念を外した場所で仕事をしている。そのため近代の彫刻観を基準にした見方からは理解しにくいかもしれないが、独創的でユニークな作品だ。もっと高い評価を得られて良い作家だと思う。

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内平俊浩展

2018年10月22日(月)−10月27日(土)

11:00−18:30(最終日は17:00まで)

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ギャラリーなつか

東京都中央区京橋3-4-2 フォーチュンビル1F

電話03-6265-1889

http://gnatsuka.com/

2018-10-21

[]MUSEE Fの福田尚代展を見る



 東京表参道のMUSEE Fで福田尚代展「山のあなたの雲と幽霊」が開かれている(10月27日まで)。福田は埼玉県浦和市生まれ 、東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻を修了している。主な展覧会に、2010年「アーティスト・ファイル2010ー現代の作家たち」国立新美術館、2013年「福田尚代 慈雨百合 粒子」小出由紀子事務所、2014年「MOTアニュアル2014 フラグメント」東京都現代美術館2015年Reflection:返礼―榎倉康二へ」秋山画廊・スペース23℃、2016年「福田尚代―言葉の在り処、その存在」うらわ美術館、など。

 ギャラリーホームページのテキストから、

 山のあなたの雲と幽霊


 本展では、《袖の涙》シリーズの新作を発表いたします。

 《袖の涙》シリーズは、古くから和歌に詠まれてきたような、涙が沁み込み、ときに朽ちてゆく〈袖〉という媒体への共鳴から生まれました。(※)

 拡張した身体であり、此岸彼岸の境界でもある袖に触れつづける行為は、死者と遺された者との関わりに知覚をはたらかせる時間であったとも思われます。

 新作では、幽霊という領域に一歩踏み込みました。衣類の袖を綿状にほぐすなかで、袖の涙から雲へ、雲から幽霊へと、修辞上の飛躍を彫刻的な手法で一息に体感することとなり、身体感覚に潜む無意識のゆくえに驚いています。

 日々の生活では幽霊を信じていないにもかかわらず、制作に没頭する別の空間では圧倒的に存在してしまう、そんな美術の術についても、あらためて考えさせられます。

 また、子供の頃に、遊戯や読書に親しみながら夢想していた〈アズキと幽霊〉〈ソラマメと虚構〉をめぐる物語も、ようやくささやかなかたちになろうとしています。ご高覧いただければ幸いです。


(※)同シリーズには、袖に見立てたハンカチにオイルパステルを塗り込めた《袖の涙、あるいは塵をふりつもらせるための場所》、古いハンカチを用いて小さな袖を縫う《袖の涙》等があり、「Reflection:返礼―榎倉康二へ」展(2015年)にて展示されました。

 画廊には小さなひそやかな作品が展示されている。

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《氷山》 ほぐされた衣類の袖、軟膏のふた

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《Dear Fairy & Fiction : Life Saver》 ハンカチに刺繍、毛糸の編物

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《世界をつなぎとめる糸》 脱色されたハンカチに刺繍

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わたしたち、言葉になって帰ってくる》 コラージュ

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《100枚の毛布》 アズキとソラマメで染めたハンカチ、貝ボタン

 子供の頃「あーぶくたった煮えたった」と歌いながら鍋に見立てた子の周りをぐるぐる回る遊戯があった。鍋の子が扉をたたく口真似をすると何の音? と訊いて、おばけの音と返事がしたら一斉に逃げる遊びだった。ソラマメの語る話はことごとく周囲から嘘と見做されて人々の怒りを買い、しまいにソラマメのお口は黒い糸で縫われてしまう。アズキの幽霊とソラマメの虚構。小さなハンカチをアズキとソラマメで染め、交互に1枚ずつ重ねた。その一番下にひと粒の豆を忍ばせればお姫様は眠れない。

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精霊》 編み棒に彫刻

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山のあなたの雲と幽霊》 ほぐされた衣類の袖

 「衣類の袖を綿状にほぐすなかで、袖の涙から雲へ、雲から幽霊へと、修辞上の飛躍を彫刻的な手法で一息に体感することとなり、身体感覚に潜む無意識のゆくえに驚いています」。


 小さなひそやかな作品に何か深い物語が込められているかのようだ。不思議な味わいを持つ作品群。

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福田尚代展「山のあなたの雲と幽霊」

2018年10月15日(月)−10月27日(土)

12:00−19:00(最終日17:00まで)日曜休廊

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MUSEE F

東京都渋谷区神宮前4−17−3 アーク・アトリウムBF

電話03−5775−2469

http://www.omotesando-garo.com

2018-10-20

[]野見山暁治『人はどこまでいけるか』を読む



 野見山暁治『人はどこまでいけるか』(平凡社)を読む。これは「のこす言葉」という平凡社の新しいシリーズの最初の1冊で、語りおろし自伝シリーズとなっている。著名人に自伝を語ってもらい、それを編集者がまとめているのだろう。同時刊行が俳人金子兜太で、その後も大林宜彦とか安野光雅、黒沼ユリ子、半藤一利などが予定されている。

 野見山さんの本はすべて読んでいるし、講演会も何度も出かけているのでことさら新しい話が書かれている訳ではない。だがその語り口は穏やかで分かりやすく何度も読んだり聴いたりしてみたい。

 先日の自由美術協会での講演会の内容とかなりダブっているのは、この本を作ったあとに講演をしたので、むしろ講演会がこちらに引きずられたのだろう。講演会渡仏したとき60万円用意して行ったと言われたが、本書では60〜70万円だったと書いている。

……60〜70万といえば、当時は家が1軒、土地とともに買える額です。

 と言っている。お父さんが大中小の規模で言えば小規模の炭鉱会社を経営していたというが、息子の留学におそらく現在の貨幣価値で1,000〜2,000万円も出してやるなんて半端な経営者ではなかったのだろう。

 これは講演会で言われたことだが、フランス渡航するために日本政府の許可が下りなかったので、教員の資格があれば可能かと女子美の教員に応募した。ところが野見山さんがまだ若かったので女子学生と問題を起こさないかと心配された。そこですでに結婚していた野見山さんは奥さんの陽子さんを紹介すると教授会の危惧はすぐ晴れた。陽子さんが美人だったからだと講演会の壇上で語っていた。ある画廊主も2番目の奥さんよりきれいだったみたい、って言っていた。

 陽子さんはパリへ行ってまもなく癌で亡くなってしまう。その闘病の日々を書いたのが『パリ・キュリイ病院』(筑摩書房)だが、闘病中も彼女の没後も深く苦しんでいた野見山さんだが、ぽつんと自分は女を愛したことがなかった、と書かれていてそれも深く印象に残った。陽子さんは妹の友だちで、だから昔から妹とともに野見山さんのことをお兄ちゃんと呼んでいた。

 野見山さんの本はほとんど2回ほど読んでいるが、『パリ・キュリイ病院』は痛ましくて1度しか読んでいない。


パリ・キュリイ病院

パリ・キュリイ病院

2018-10-19

[]木村敏『関係としての自己』を読む



 木村敏『関係としての自己』(みすず書房)を読む。木村は精神病理学者。木村の『人と人との間』(弘文堂)を読んだのはもう45年も前になる。それがとても気に入って友人にも勧めた。木村の『時間と自己』(中公新書)を刊行後しばらくして買って、読まないで本棚に差したままもう35年になる。

 木村敏は、15年前に亡くなった友人原和が古代史学者古田武彦とともに最も尊敬していた学者だ。また哲学者小林敏明が大きな影響をうけたのが廣松渉木村敏だと語っていた。原和は私の大切な友人で深く物事を考える奴だった。

 そんなわけで本書は私が読む木村敏のやっと2冊目だった。ところがこれがめっぽう難しかった。様々な専門雑誌等に掲載した12編の論文から構成されている。木村は精神病理学者だが、言及するのはハイデガー西田幾多郎フッサールヴァイツゼッカーなどなどだ。哲学の分野に大きく踏み込んで精神病理学を説いている。

 「集団のクオリア」の章で、

……人間は他の多くの生物種と同様、集団を作って行動する。集団的行動の中では、各個人は自己の(単数一人称の)生命欲求にしたがう個別主体的な行動と、集団全体の(非人称ないし複数一人称の)生命欲求に根ざした集団主体的な行動とを調和させなくてはならない。(後略)

 この「集団」を多数の個体が生存の必要から集合した形成物と考えるのは、おそらく誤りだろう。私はむしろ、「集団」こそ一次的で、個体は集団が、種としての生存の必要から(もしそう言いたければ進化の淘汰圧によって)細分化し個別化したものだろうと考えている。だからここでいう主体の二重構造も、個体が集団を形成したときではなく、集団から個体が個別化したときにこそ生じるものだということになる。そして――人間の場合――個別化した自他間で共有されるコモン・センスの自然な自明性は、個別自己の自己性にあくまで先行している。私の見るところ、統合失調症(従来の精神分裂病)の基本障害は、この集団主体性と個別主体性(つまり自明性と自己性)の綜合が、おそらく遺伝子レヴェルで困難になっている点にある。

 さらに一言付記しておくならば、この「集団主体性」はさしあたり自分が当面所属している集団全体の主体性を意味するけれど、この「近さ」の契機はさらに掘り下げれば人類全体からすべての「生きとし生けるもの」にまでおよぶ生命的連帯感にまで拡がるものである。その意味で、ここでいう「近さ」はニーチェの「ディオニューソス的原理」に対応するだろうし、それとの関連でいえば「遠さ」は「アポロン的原理」に対応するといえるかもしれない。

 「「集団」こそ一次的で、個体は集団が、種としての生存の必要から細分化し個別化したものだろう」というのは何と魅力的な主張だろう。この延長上に今西錦司が語られることになる。

 「個別性のジレンマ」の章で、

……自己の内部での「死の欲動」を、フロイトはほとんど何の説明もなしに他者事物に対する「攻撃欲動」「破壊欲動」と言い換えている。死の欲動と攻撃/破壊欲動とのこの一見不可解な同一視は、われわれのように死の欲動を、個別的存在を取り消して生成のディオニューソス的世界に回帰しようとする衝動と見るなら、たちまち理解しやすいものとなるだろう。それは要するに、アポロン的形相を解体しようとする力のヴェクトルが、自己に向かうか他者に向かうかの違いにすぎないのである。

 問題はこの個別性撤回の行き先を、生と見るか死と見るかである。フロイトはこれを「無機的な死」と見た。しかしわれわれは一方で、ヴァイツゼッカーがかつて次のように書いたことをも知っている。《生命それ自身はけっして死なない。死ぬのはただ、個々の生きものだけである》。ヴァイツゼッカーは明かに、個々の生きものがそこから生まれてきて、そこへ向かって死んで行く根源的な場所を、「生命それ自身」と見ていたのである。この個別的生命の根源を生と見るにせよ死と見るにせよ、いずれにしてもそれは、なんらかの「もの」としての対象的な認識を拒むヴァーチュアルな動きであるだろう。われわれとしてはむしろ、《真理に根拠があるならば、その根拠は真でも偽でもない》というヴィトゲンシュタインの語法を借りて、「生命に根拠があるならば、その根拠は生でも死でもない」というだけにとどめておくべきなのかもしれない。

 「〈あいだ〉と言葉」の章で今西錦司が取り上げられる。

 日本の生物学者のあいだでは、進化を個体単位の自然選択によるものとするダーウィニズム、あるいはそれを遺伝子学説で補強したネオダーウィニズムと、一方自然選択を否定して進化の単位を種とみなし、「種は変わるべきときが来たら主体的に変わる」と考える今西錦司進化論とのあいだに、昔から論争がある。科学的な生物学者は、「種の主体性」などという今西の「妄言」をもちろん認めない。だから世界的なスケールでは、これはまるで「論争」の体をなしていない。「今西進化論」というきわめて非科学的な珍説がある、というぐらいの扱いである。

 しかし、はたしてそれでよいのだろうか。「種の主体性」というテーゼを真剣に検討する余地は残されていないのだろうか。種と個に関する思索パラダイムを少し変えてやりさえすれば、現在どうみても行き詰まっているネオダーウィニズムの進化思想に対して、今西学説こそ、刮目に値する有力な対案を提供できるのではないだろうか。わたし自身はそのようなパラダイムチェンジの鍵として、種と個の存在様態のあいだの位相的差異、さらにはこの差異をはさんだ種と個の〈あいだ〉そのものへの存在論的着目を考えている。

 種と個の関係について今西は、《個体が種の中に含まれているともいえるとともに、どの個体の中にも同じように種が含まれている。……個体はすなわち種であり、種はすなわち個体である》と言う。これは要するに東洋古来の「即」の論理、あるいは西田幾多郎のいう「絶対矛盾的自己同一」の論理である。

 さらに、犬は他の犬を同種として見分けている。今西はこのように各種個体に具わっている種所属性の自己認知のことを「プロトアイデンティティ」と呼ぶ。

このプロトアイデンティティはもちろん人間にも備わっていて、われわれは自分以外の人間をいともたやすくヒトの仲間だと見分けてしまう。だからフッサールが心血を注いだ「他我認知」の問題や、英語圏の認知論哲学がよくいう「他人に心があることはどうしてわかるのか」というother minds problemなどは、哲学論議としてならともかく、実際の日常生活ではおよそ問題にならない。すべての人間が自らのうちに種としてのヒトを含んでいるからである。

(中略)

 複数の個体が寄り集まって集団を作ったとき、そこで集団の主体性が発生(創発)するというのではない。種というものがまずあって、それは当然複数の個体を含んでいて、それらの個体がたまたま集団を形成したときに、もともとあった種が各個体の行動を規制する〈場〉となって、集団全体に「一糸乱れぬ」行動をとらせるのである。

 今西錦司進化論肯定される場面を久しぶりに読んだ。西田幾多郎今西錦司が結び付けられて語られている。本書は本当に難解なのだが、興味深い主張が随所にある。初版の発行が2005年だったから、2004年に死んでしまった友人原和はこの出版を知らなかった。生きていたら本書について語り合えたのに。


関係としての自己【新装版】

関係としての自己【新装版】

2018-10-18

[]ギャラリー暁の南島隆展を見る



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 東京銀座ギャラリー暁で南島隆展が開かれている(10月20日まで)。南島は1957年長野県生まれ、1983年武蔵野美術大学大学院彫刻科を修了している。先年亡くなった元熊本現代美術館長で美術評論家の南島宏とは双子の兄弟で、私とも同郷に当たる。現在女子美術大学の教授に就任している。

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 南島は彫刻の人物に麻袋(ドンゴロス)の服を着せる。顔は小さく表情が見えにくいものの、少し猫背気味のスタイルからどれも哀感が漂っている。パイプオルガンを弾いているオルガニスト、舳先に男が立っているのは難民をテーマにしているようだ。電話器を手にうなだれているような男。これらに共通する哀感はどこから南島のところにやってきたのだろう。

     ・

南島隆展―「異郷化」最終章―

2018年10月15日(月)−10月20日(土)

11:00−19:00(初日13:00〜、最終日17:00まで)

     ・

ギャラリー

東京都中央区銀座6−13−6

電話03−6264−1683

2018-10-17

[]コバヤシ画廊の村上早展を見る



 東京銀座のコバヤシ画廊で村上早展が開かれている(10月20日まで)。村上は1992年群馬県生まれ。2014年武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画専攻を卒業し、2017年同大学大学院博士後期課程中退。2016年ワンダーウォール都庁で初個展、ついでコバヤシ画廊東京オペラシティアートギャラリー、アンスティチュ・フランセ東京ギャラリー中国北京ギャラリーなど各地のギャラリーで引っ張りだこだ。

 受賞歴も2014年シェル美術賞展入賞、FACE2015の優秀賞、山本鼎版画大賞展で大賞、トーキョーワンダーウォール公募2015のトーキョーワンダーウォール賞、群馬青年ビエンナーレ2016優秀賞、アートアワードトーキョー丸の内2016フランス大使賞など、輝かしい実績を誇っている。

 村上は大きな銅版画を作っている。大きさはいずれも118cm×150cmある。大きいため1点の作品に9枚の銅板を使っている。

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 描かれているのは赤ちゃんを乗せた馬や、口を縛られたクマの心臓が飛び出しているもの、女の子がハチに足を刺されているもの、下半身を抱えた人魚をつつくカラスなどいずれも動物が登場している。足を刺された女の子は作家本人の体験らしいが、このエピソード石田徹也を思い出す。石田はカッターで指を怪我したとき、血まみれの人物を描いたのだった。

 画廊の奥の小部屋には小品が壁いっぱいに展示されている。村上の小品は部屋に飾るのに最適ではないかとお勧めします。

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村上早展

2018年10月15日(月)−10月20日(土)

11:30−19:00(最終日17:00まで)

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コバヤシ画廊

東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1

電話03-3561-0515

http://www.gallerykobayashi.jp/

2018-10-16

[]Oギャラリーの沓澤貴子展「Overflow」を見る



 東京銀座のOギャラリーで沓澤貴子展「Overflow」が開かれている(10月21日まで)。

沓澤は1971年静岡県生まれ、1996年に武蔵野美術大学造形学部油絵学科を卒業し、1998年に同大学大学院油絵コースを修了している。2001年ガレリアラセンで初個展を開き、Oギャラリー、かわさきIBM市民文化ギャラリーギャラリー砂翁、櫻木画廊などで発表をしてきている。

 沓澤は色彩の美しい抽象作品を描いている。色面で作られる形は何も具体的なものを連想させない。色彩の揺らぎと量感で作品を作っている。その揺らぎが画面に静かな動きを生み出している。色彩の揺らぎがつくる動きは緩やかだが、表面的なものではなく深いところから続いているように見える。沓澤独特の抽象作品だ。

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 今回は絵具を流し、そのできた形に手を加えて造形したという。それがタイトルの由来なのだろうか。

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沓澤貴子展「Overflow」

2018年10月15日(月)−10月21日(日)

12:00−20:00(日曜は11:00−16:00)

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Oギャラリー

東京都中央区銀座1-4-9 第一田村ビル3階

電話03-3567-7772

http://www4.big.or.jp/~ogallery/

2018-10-15

[]ガルリSOLの菅野美榮展「−どこかとおくに―」を見る



 東京銀座のガルリSOLで菅野美榮展「−どこかとおくに―」が開かれている(10月20日まで)。菅野は群馬県出身、1968年共立女子短期大学を卒業したのち、1971年日本デザインスクールを卒業している。1990年銀座ギャラリー・オカベで初個展。その後、ギャラリートモスやギャラリーテムズ、ギャラリー椿、K'sギャラリー等々で多くの個展をしてきた。近年はタンポポの綿毛を無数に使ったインスタレーションなどを発表している。

 画廊へ入ると何かぼんやりしたものが中空に浮いている。それは何百というタンポポの綿毛だった。天井から白い糸が垂れ下がりそこにタンポポの綿毛が結び付けられている。柔らかい光に照らされて床にその影が落ちている。エアコンの弱い風が当たり全体がゆるやかに動いている。

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 せわしなく刺々しい日常とは真反対の甘やかな夢のような世界の印象だ。たった1週間だけ出現した桃源郷ホログラム

 菅野はキク科植物の種の綿毛を使ったインスタレーションを繰り返している。回を重ねるにつれて完成度が高まっている。今回特に画廊空間と調和して優れた展示になっている。

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菅野美榮展−どこかとおくに―

2018年10月15日(月)−10月20日(土)

11:00−19:00(最終日17:00まで)

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ガルリSOL

東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル6F

電話03-6228-6050

http://www005.upp.so-net.ne.jp/SOL/

2018-10-14

[]『図書 臨時増刊2018 はじめての新書』を読む



 岩波書店のPR誌『図書 臨時増刊2018 はじめての新書』を読む。岩波新書創刊80年記念とある。最初に著名人15人が「はじめての新書」と題して、見開き2ページのエッセイを書いている。伊東光春、國分功一郎、丹羽宇一郎、池上彰、高橋源一郎田中優子などだが、エッセイも面白いし取り上げている新書も興味を惹かれる。

 ついで同じ題で13人が1ページのエッセイを書いている。温又柔は川村湊『戦後文学を問う』(岩波新書)がはじめて精読した新書だと書き、ジャズピアニスト数学者という中島さち子は野矢茂樹『無限論の教室』(講談社現代新書)をぜひ薦めたいという。

 その後は93人の人たちにひとり3冊ずつ、はじめて新書を読む人たちにすすめる新書を紹介してもらっている。やはり丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)を挙げる人が多い。E. H. カー『歴史とは何か』(岩波新書)も複数の人が選んでいる。鶴見良行『バナナと日本人』(岩波新書)も推す人が多かった。見田宗助『社会学入門』(岩波新書)も。

 熊野純彦は師の廣松渉哲学入門一歩前』(講談社現代新書)を挙げている。廣松の『新哲学入門』(岩波新書)もあるが、はじめて読むのであれば『〜一歩前』の方を勧めると。今野真二清水徹ヴァレリー』(岩波新書)を進めているが、その推薦文を読んで私も読みたくなった。

ヴァレリーの翻訳やさまざまな著作で知られている清水徹によるヴァレリー清水徹という繊細なプリズムを通して、ヴァレリーの知性と感性が語られ、読後にはヴァレリー清水徹も読みたくなる。

 斎藤美奈子佐藤正午『小説の読み書き』(岩波新書)を取り上げている。

 『雪国』『こころ』『暗夜行路』『放浪記』。いわゆる名作文学を語って、これほどおもしろいのは法律違反じゃなかろうか。既存の読み方から解放される魔法の本。中学高校の副読本にぜひ。

 高橋昌明は石母田正平家物語』(岩波新書)について、「こんな名著は、もうあらわれない」とまで書く。

 管啓次郎は川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)について、

 いまあるグローバル化した世界はヨーロッパが作った。その背後の最大の原動力は砂糖だった。砂糖という世界商品に着目することで見えてくる世界史のからくり。中高生から老人まで、必読の名著です。

 この本は読書猿も推薦している。

 最後に各社の新書編集長に、編集長がすすめる「はじめての新書」5冊を挙げてもらっている。その編集長というのは、朝日新書インターナショナル新書、講談社現代新書光文社新書集英社新書新潮新書ちくま新書中公新書PHP新書文春新書平凡社新書の11名に岩波新書編集長だ。もっとも、現在日本には「〇〇新書」と名前の着いた新書が64種類あるそうだ。

 この小冊子1冊だけで300冊以上の新書が推薦されている。わずか96ページの薄い雑誌だけれど、中身の濃い役に立つ情報が満載だ。これが非売品と表記されている。売らないのではなく無料だということだろう。書店に置いてあるのではないか。私は『図書』を定期購読しているので送られてきたのだが。お勧めです。

2018-10-13

[]ラット・ホール・ギャラリー荒木経惟展「KATA-ME」を見る



 東京表参道のラット・ホール・ギャラリー荒木経惟展「KATA-ME」が開かれている(12月16日まで)。最新の荒木経惟新刊写真集『片目』の発行に合わせて開催されている。その写真集について、ギャラリーHPから、

ラットホールギャラリーで開催の展覧会に合わせた写真集です。右目の視力を失った5年前から現在に至るまでに荒木が撮影した50点を掲載しています。

 35 mmモノクロフィルムにすべて縦位置で撮影された本展の写真には、女性のヌードやしおれた花、奇妙な人形や玩具のほか、街路や車窓の風景、自宅バルコニーから撮影された空や外景など、荒木のこれまでの作品においても主要なモチーフとなっていた、彼自身の日常を取り囲む私的な対象物が数多く含まれています。

 荒木の身体や心理の現状を示唆するにとどまらず、喪失や死と切り離すことのできない生というものへの、ときに独特なユーモアと機知を織り交ぜた鋭い現実認識、そして生を捉えることへの強い意思表明を表した写真集となっています。

 画廊の壁面には写真で見るようにキャビネくらいの白黒写真が850点ほども並んでいる。ちょっと数が多すぎて1点1点ゆっくり見て歩くという訳にはいかない。ヌードとか風景とかテーマごとに展示されている訳でもないので、端から興味深い写真を探して見ていくことになる。

 中央の壁面の真ん中あたりに荒木の書「片目」が展示されている。

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荒木経惟写真展「KATA-ME」

2018年9月29日(土)−12月16日(日)

12:00−20:00(月曜日休廊)

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ラットホールギャラリー

東京都港区南青山5-5-3 B1F

電話03-6419-3581

http://www.ratholegallery.com/index.htm

東京メトロ表参道」駅A5出口から徒歩3分。コムデギャルソンの手前の道を右折し、最初の角を左折すると、右手に地下のラットホールギャラリーへ降りる階段がある。

2018-10-12

[]東京都美術館東京展を見る



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 東京都美術館東京展を見て、その実行委員会が主催する笹木繁男講演会「中村正義とわたし」を聴く。今回顕彰故展として中村正義の作品が100点ほど展示されていた。中村正義は東京展の生みの親なのだ。それで生前の中村と親交があり、『ドキュメント 時代と刺し違えた画家 中村正義』の著者である笹木が登壇した。

 中村正義は22歳で第2回日展に〈斜陽〉を出品し初入選する。26歳で日展特選、28歳で再度特選となり、36歳で審査員となる。しかし審査をめぐる中村岳陵の政治的やり方に反発し、日展から日本芸術院会員へという自明序列に対して反旗を翻し、日展を退会して反日展を画策する。はじめ人人展を作り、ついで日展の会期にぶつけた東京展を立ち上げて東京都美術館での開催に踏み切る。

 東京展は中村正義が個人資産をつぎ込んで作った反日展日本芸術院を頂点とする日本画壇の権威主義に対する徹底的な批判だった。中村正義はそのために資産をつぎ込み心身ともに犠牲にする。しかし東京展開催の2年後肺癌により52歳で亡くなる。

 笹木はまた中村が後進や貧しかった友人画家のために長年匿名資金援助を続けていたことを明かした。毎月5万円を画家Yのために大手町画廊を通じて援助していたが、Yも未亡人も最後までそのお金が中村から出ていたことは知らなかった。

 この中村が批判した日本芸術院会員の選定には怪しげな噂が渦巻いている。会員に選定された画家は大きな名誉とともに作品の価格が跳ね上がることになる。会員の資格は終身なので誰かが亡くなって会員の欠員が生じたときに会員相互選挙で新会員が選ばれる。候補となった画家や彫刻家は全国の会員を訪ねて金品を贈る運動をする。私(mmpolo)の知人で芸術院会員だった彫刻家の孫は、あるとき著名な画家西郷赤麿(仮名)が菓子折りにぎっしり札束を詰めておじいさんを訪ねてきた話をしてくれた。おじいさんは突き返したけれど、西郷はめでたく会員に選ばれた。また彫刻家のWさんも候補になった知人が画商からお金を借りて全国の会員に配って歩いたが、結局選ばれなくて自殺したと話してくれた。

 このあたりのことを小説に書いたのが、黒川博行『蒼煌』(文藝春秋)で、話は面白かったが後味の悪い小説だった。なかにこんな会話があった。

「客の入りはどないでした」ソファに座り、煙草をもみ消した。

「盛況でしたよ。元沢先生の絵はさらっとして華があるから」

「もう、ええ齢ですやろ。あの先生」

「八十四かな。さっき会場で挨拶したけど、眼光は衰えてませんね」

芸術院会員で文化勲章ももろてはる。功成り名遂げた人は気の持ちようが違うんですな」

「邦展一科のナンバースリー。ぼくらにとっては雲の上の人ですわ」

「ナンバーワンはやっぱり村橋青雅ですか」

「いまは弓場光明のほうが上かもしれませんね。村橋先生は九十五で、去年の邦展も出品していなかった。出入りの画商がいうには、寝たきりやそうです」

 寝たきりで絵は描けなくても隠然たる影響力がある。村橋は邦展の理事長経験者だ。

「九十五とはね。画家の先生は長生きしますな」

「絵描きやから長生きするんやない。長生きしたから大物になって名前が売れたんです」

 日本画は伝統を重んじる。伝統すなわち制約であり、花鳥風月を表現の対象とした具象画という制約の中で何百年の歴史を覆すような革新的な絵は生まれようがない。日本中の日本画家がすべて同じ技法で似たような伝統絵画を描いているのなら、結果的に長生きして長く描きつづけたものが勝ち残って画壇に君臨することになる。

 笹木の話の後で東京展の責任者が、自分は20年前に東京展に参加したが、笹木に教えられるまで東京展と中村正義との関わりを知らなかったと話した。

 笹木の話の後に質問の時間がとられたが、私は質問を控えた。知りたかったのは、中村正義が最後にあんなにも全身全霊を捧げて日展に対抗して立ち上げた東京展が、現在こんなにも疲弊してしまったのはなぜなのかということだった。中村正義が東京展の現状を知ったら、何と言うのだろうか。

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東京

2018年10月7日(日)―10月14日(日)

9:30−17:30(最終日14:00まで)

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東京都美術館

電話090-8497−0574

http://www.tokyoten.com/


 

蒼煌 (文春文庫)

蒼煌 (文春文庫)

2018-10-11

[]アートギャラリー環の野津晋也展「ふくら芽」を見る



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 東京神田アートギャラリー環で野津晋也展「ふくら芽」が開かれている(10月20日まで)。野津は1969年島根県松江市生まれ、1992年に鳥取大学農学部を卒業した。さらに2000年に東京芸術大学美術学部油画専攻を卒業し、2002年に同じく東京芸術大学大学院油画専攻を修了している。今までにアートギャラリー環や表参道のMUSEE Fなどで個展を行っている。野津は現在の日本では珍しいシュールレアリズムの画家だ。

 今回のタイトルは「ふくら芽」、これは熱帯植物のモンステラのことらしい。展覧会のちらしに野津が書いている。

 どうやら私はモンステラに取り憑かれてしまったようだ。赤い背表紙スケッチブックを片手にぶら下げ、植物園に出かけて行っては、何時間でもモンステラを観察している。

 モンステラは熱帯地方原産の植物で、深い切れ込みの入った大きな葉が特徴である。茎の根元付近が次第に膨らみ、そこから枝分かれしながら新しい幼葉が成長する。ただ、冬になると東京気候が甚だ堪えるせいか、パッタリと成長は止み、身動き一つしなくなる。このモンステラの不思議な生態に取り憑かれ、私はいつのまにかそれに倣うようになった。

 今では、部屋の床一面に土を敷き詰め、冬の寒さにも負けないよう暖房設備を完備して、モンステラにとって最適の生育環境を整えた。

 ところが、土からの湿気と臭気だけはどうにも我慢ならず、急いで窓を開け放つ。

 するとどうした訳か、目の前にはモンステラの巨大な葉の重なりが視界を遮った。よく見ると、葉同士のわずかな隙間からは件の植物園の柵がうかがえる。

 そして、その柵の向こうから、赤い背表紙スケッチブックをぶら下げた男がやって来て、まるでアカの他人でも眺めるように、ジッとこちらの様子を観察してくるのだった。

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この上下で1枚の絵

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 大きなナイフが古いビルを切り裂いている。巨大なスプーンがぐにゃりと垂れ下がっている。巨大なモンステラの葉が屋根を突き破って伸びている。画廊1階に展示されている左右に長い絵は、混みあって立ち並ぶ古いビルの窓からモンステラが伸び、大きな手がそれを掴み曲がったナイフが茎にぶら下がっている。

 最近少なくなったシュールレアリズムの世界を見てほしい。

     ・

JR神田駅東口を出て中央通りを右折し(三越方向へ向かい)、カメラのキタムラの先を右折、すぐに老舗の蕎麦屋「砂場」があり、その手前を左折するとすぐ。(徒歩3−4分)

あるいはJR新日本橋駅または地下鉄三越前駅下車、連絡通路にて2番出口より徒歩3−4分

     ・

野津晋也展「ふくら芽」

2018年10月8日(月・祝)−10月20日(土)

11:00−18:30(最終日は17:00まで)日曜日休廊

     ・

アートギャラリー

東京都中央区日本橋室町4-3-7

電話03-3241-3920

http://www.art-kan.co.jp/

2018-10-10

[]77ギャラリーの作陶 重野克明展を見る



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 東京銀座の77ギャラリーで作陶 重野克明展が開かれている(10月12日まで)。重野は1975年千葉市生まれ、2003年東京藝術大学大学院修士課程美術研究科版画専攻を修了している。2000年に東京銀座の青樺画廊で初個展、以来77ギャラリー高島屋美術画廊Xなどで個展を続けている。

 重野は版画を制作してきたが、今回初めて陶器を発表している。重野によると奥さんの実家が窯元らしい。そこで作陶を教わったという。作陶にあたってルールを決めた。「使える」作品を作るというルール。そこから抹茶茶碗に、ぐい呑み、花器、優勝カップ、ヘルメットなど。

 重野に訊いた。池田満寿夫版画家でありながら晩年は陶による作品を作っていた。なぜ版画家が作陶に手を染めるのかと。すると、版画も版を作り刷ることで作ったそのままではない。作陶も窯で焼くし釉薬が変化して作ったそのままではない、そこに共通性があるのではないかと。

 重野の作品は版画にも共通するが、ユーモアがあって楽しい。陶器への絵付けはいつもの重野のイメージが描かれている。狙いすぎて気持ち悪い形態を作っていた池田満寿夫と違って、重野は大向こうなど狙わず自由に楽しく作っている。だからどの造形も気持ちが良いのだ。

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防災ヘルメット(水着の娘)

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人類の役割について前がかりになって考えるための椅子。

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スタジアム・翼の折れたエース

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ヘルメット(左打者用)

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ナルシス

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作陶 重野克明展

2018年10月1日(月)−10月12日(金)

11:00−19:00(日曜・祭日休み)

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77ギャラリー

東京都中央区銀座7−5−4 毛利ビル5階

電話03−3574−1601

http://www.77gallery.com/

2018-10-09

[]ギャラリーカメリアの小林聡子展「窓」を見る



 東京銀座ギャラリーカメリアで小林聡子展「窓」が開かれている(10月14日まで)。小林は1991年多摩美術大学美術学部絵画科を卒業し、1993年同大学大学院美術研究科を修了している。2005〜2006年文化庁芸術家在外研修員としてタイ(チェンマイ)に滞在。1991年ギャラリー現で初個展。以来秋山画廊、藍画廊などさまざまな画廊で個展を開いている。

 今回、平面作品で、方眼紙のような作品を展示している。しかしよく見ると、縦横の線を引いて方眼紙のように描いているのではなく、小さな正方形をいくつもいくつも描いているのだ。別の作品ではW字形のジグザグを書き連ねて金網状のような作品を作っている。

 決して大きな作品ではないが、緻密な作業が凝縮していて、しかしそれでいてさわやかな印象が強い。また画廊の一隅には立体作品も置かれている。着色されたプラスチックコップを重ねて青色〜透明なグラデーションを見せている。

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 画廊の壁面には薄い空色の作品が並べられ、それが画廊をいつもと違ったさわやかでキリっとした空間に変えている。ぜひ画廊に足を運んで、作品を凝視してみてほしい。写真では伝わらない繊細な表情に驚かされるだろう。

     ・

小林聡子展「窓」

2018年10月2日(火)−10月14日(日)

12:00−19:00(最終日17:00まで)10月8日(月)休廊

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ギャラリーカメリア

東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル 5階502号室

奥野ビルは昭和初期に建てられた古いビルで、巷房など画廊が十数軒入っている銀座名物ビル

http://www.gallerycamellia.jp/

2018-10-08

[]難解な文章のこと



 朝日新聞書評欄に宮崎章夫が「ひもとく/1968年のナックルボール」というエッセイを寄せている(10月6日)。60年代の難解な文章について書いている。

 黒テント佐藤信による『演劇論集眼球しゃぶり』(晶文社絶版)について、かつて「難解」だと発言したところ、難解だと考えること自体、第三者に否定された。しかし60年代の小劇場演劇、つまり一般的に書けばアングラと呼ばれた一群の創作者は、「わかる」ことをあえて拒否した。なぜなら60年代に登場した彼らにとってそれ以前の演劇の「わかること」が退屈だったのだ。唐十郎の「特権的肉体論」もまた、難解である。なにが書いてあるのかよくわからない。それはあえてそうしているからだ。いったい誰が次の言葉を正しく理解できるだろう。中原中也についてこう書いている。

 「この病者を思う度に、私はこう考える――痛みとは肉体のことだと」

 解釈しようとすればきっと可能だろう。だが解釈など唐十郎にとってむしろ不本意だった。以前、別の場所にも書いたが、歯科医で治療に耐えられず医師に痛みを訴える。すると歯科医師が「痛みとは肉体のことだ」と言えばきわめて難解だ。では東洋医学の治療者、たとえば鍼灸師だったらどうか。「特権的肉体論」とはこうして西洋から安易に輸入された「近代」への鋭い挑発だった。それが60年代の演劇を代表していた。そうした思想が60年代的であり、「特権的肉体論」が68年に発表されたのはまさに時代を象徴している。

 難解といえば、磯崎新の文章も難解だ。対談ではあんなにも分かりやすく発言しているのに。難解に書かないと文章じゃないと考えているのではないかと邪推したくなる。難解な文章で有名なのは西田幾多郎廣松渉にとどめを刺すだろう。誰かが二人の共通点として地方出身者の特質だと書いていた。いや大抵の学者が地方出身者ではなかったか。

 花田清輝の『復興期の精神』(講談社学術文庫)も難解だ。しかしこれは戦時中に書かれたもので、官憲の眼を欺くために韜晦しているのだとの説がある。

 佐藤信の『演劇論集眼球しゃぶり』は持っていたが、事情があって読む前に手放してしまった。『復興期の精神』は13年前に購入したがまだ読んでいない。西田幾多郎の『善の研究』は宮川透の講義を聴きながら1年かけて読んだが難しかった。廣松渉は45年ほど前から一人でぽつぽつ読んでいる。難しいけれどとても魅力的でもある。


演劇論集眼球しゃぶり (1979年)

演劇論集眼球しゃぶり (1979年)

復興期の精神 (講談社文芸文庫)

復興期の精神 (講談社文芸文庫)

善の研究 (岩波文庫)

善の研究 (岩波文庫)

2018-10-07

[]不思議なボケの実



 不思議なボケの実を見た。ボケは普通下の写真のようにリンゴに似たピンポン玉くらいの実を短果枝に一つ着ける。ところが今回見たボケは枝の先端に数個かそれ以上の小さな実がが固まって着いている。こんなボケの生り方は初めて見た。

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↑普通のボケの実

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 狂い咲きとか返り咲きとか呼ばれる花も咲いていて、これがボケであることに間違いない。どうしてこんななのだろう。ここは毎年見てきているが、いつも普通の実の着き方で、こんな現象は初めて見た。まさか例のホットスポットというのではあるまいな。


※ボケ酒を作りたいけど、ボケの実が手に入りません。どなたか庭にたくさん生っているという方、譲っていただけませんか?

2018-10-06

[][]山本弘の作品解説(86)「夏雲」



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 山本弘「夏雲」、油彩、F3号

 これは25年ほど前に撮った写真、作品そのものは購入してくれた人の遺族から骨董屋に渡ってしまい、その骨董屋の手も離れたという。カラー写真の色が少し褪せていて、元の色彩と違っているかもしれない。

 制作年は晩年の頃だと思う。3号という小品ながら力強い山容が描かれている。地元飯田市の西北にそびえる風越山を描いたものだろう。こんな部屋に飾ったらいいような小さな作品もたくさん描いていたのではないか。さすがにそれらは人手に渡っていたらしく、亡くなったときほとんど残っていなかった。『夏雲』と対になるような3号の『夏草』という作品もあったが、あれは何処にいってしまったのだろう。

2018-10-05

[]ドナルド・キーン日本文学近世篇二』を読む



 ドナルド・キーン日本文学近世篇二』(中公文庫)を読む。同『〜近世篇一』を読んでから2年も経ってしまった。キーンの日本文学史シリーズは英文で書かれており、英米の読者に向けて日本文学を講義しているもの。キーンは日本の国文学の文献を渉猟し詳しい日本文学史を綴っている。そのため出典を示す膨大な注が付されている。また人名索引と書名索引もきちんと整備されている。索引のない本をキーンは批判しているから。

 日本の研究者国文学研究をキーンが読み込んで英米の読者向けに再構成している。そのためとても分かりやすい日本文学史になっている。近世篇一では俳諧芭蕉を取り上げていた。本書では井原西鶴近松門左衛門俳諧の中興〜徳川後期の俳諧などが取り上げられている。

 井原西鶴には全体の4分の1が割かれている。キーンは『好色一代男』に続く『好色五人女』を西鶴の大傑作であるという。そのことを野間光辰を引いて、「それぞれの物語が持つ卓越した演劇性によるものだ」という。そして5人の女のストーリーを説明している。ついで『好色一代女』、『本朝二十不孝』、『男色大鑑』、『武家義理物語』、『日本永代蔵』とていねいに内容を紹介し、『日本永代蔵』はデフォーと比較して、「西鶴文学性の豊かさに驚かずにはいられない。名も特徴もないデフォー人物に比べて、西鶴の作には血肉を持った男女がひしめいている」と評価する。その後西鶴は一時不振に陥ったように見えるが、『世間胸算用』でまた新しい高みに達すると。

 最後にキーンは西鶴についてこう書いている。

 西鶴は、今日では、日本の小説家の中で2、3位以内に入る偉大な存在としてあがめられている。ヨーロッパの大作家たち、たとえばバルザックディケンズトルストイドストエフスキーらにくらべると、西鶴は、たしかに重量感と人を動かす力において欠けていると言わなければならない。ドストエフスキーはもちろん紫式部にくらべても、作中人物の性格創造の上で、西鶴は一歩を譲る。しかし、彼の平面的な描写法は、今日、距離を置いて眺めると、かえってその手法が持つ美点が引きたち、不思議なほどの現代性をもってわれわれの心に迫る。情景を描いた作家として(それは、ときとして一種の沈鬱さに彩られたものではあるが)、西鶴が一流であることは言をまたない。

 近松門左衛門劇作家として天才だと称えられる。歌舞伎浄瑠璃の2分野にまたがる傑出した作家だった。『世継曾我』、『出世景清』、『傾城壬生念仏』が紹介され、浄瑠璃のために書いた『曾根崎心中』が大当たりをとり、浄瑠璃の世界に心中物という一ジャンルを作った。その構成が詳しく分析される。ついで近松の一番の傑作という『心中天の網島』を書き上げる。時代物では『国性爺合戦』が真の意味で文学的価値を備えているという。

 近松以後の浄瑠璃では3人の合作者による『仮名手本忠臣蔵』が成功作だった。「最盛期にあった浄瑠璃の中でも最高峰に達したものと言えよう」と評される。

 「国学和歌」の項で、徳川期の和歌はほとんど評価されない。国学者として荷田春満、荷田在満、賀茂真淵、本居宣長が取り上げられ、宣長に多くのページが割かれる。「本居宣長は、日本が生んだもっとも偉大な学者の一人、いや、おそらくもっとも偉大な学者であろう」と評される。

 芭蕉後の俳諧が論じられる。与謝蕪村が高く評価され、小林一茶が傑出した俳人と評される。

 訳文は徳岡孝夫、読みやすい。

2018-10-04

[]新国立美術館ピエール・ボナール展を見る



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 東京六本木新国立美術館ピエール・ボナール展が開かれている(12月17日まで)。ボナールは色彩が美しいナビ派の画家だ。図版では見ているもののまとめてみるのは初めてだった。1867年に生まれ、1947年に80歳で亡くなっている。

 後期になるほど色彩の美しさが眼だってくる。風景画に見られる明るく豊かな豪奢な色彩がボナールの真骨頂だ。カラリストボナール、すばらしい色彩だ。と同時に形は色彩に追いつかない。大きなボナール展がいままで少なかったのも納得できた。

 現実に存在する世界をしっかり認識する直前の、色が氾濫しそこに形が溶け込んでいる状態を絵画に定着しているような作品という印象を持った。

 会田誠が『藤田嗣治の少女』(集英社)の中で、次のように言っている。

エコール・ド・パリというのは、僕が美術家としてデビューした1980年代から90年代の現代美術における、マルチ・カルチュラリズムとどこか似たような要素があると思っています。強い西洋中心主義の流れがあって、その袋小路の果てに反動的に起こった、様々な文化に目を向けてみよう、という態度。僕もマルチ・カルチュラリズムによって活動を始めたタイプなので、特に初期は漫画や日本画を参照した作品が多いです。でもエコール・ド・パリもマルチ・カルチュラリズムも少し趣味性に流れるような弱点があるように思います。モディリアーニマリー・ローランサンも大芸術家というふうには残っていない気がします。

 モディリアーニマリー・ローランサン藤田嗣治も趣味性に流れて大芸術家というふうには残っていないというなら、ボナールはさらにそうだろう。これらの画家たちが近代美術を豊かなものにしているが、決して主流の画家たちではなかった。いや傍流があってこそその世界が豊かだと言えるのだが・・・。

     ・

ピエール・ボナール

2018年9月26日(水)−12月17日(月)

10:00−18:00(金・土は20:00まで)火曜日休館

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新国立美術館

東京都港区六本木7−22−2

電話03−5777−8600(ハローダイヤル)

http://www.nact.jp


藤田嗣治の少女

藤田嗣治の少女

2018-10-03

[][]花田伸さんが山本弘展をブログで取り上げてくれた



 画家の花田伸さんがブログアートギャラリー道玄坂山本弘展を取り上げてていねいに紹介してくれた。

「河」について、

ペインティングナイフ(パレットナイフかもしれない)をぐいぐい押し当て、前の色面と新たな色面が瞬間瞬間に変化して行く。そして筆で削りとるような描画が、荒々しい痕跡を抑える柔らかさを醸し出している。すっと現れた命の有り様かもしれない。

「過疎の村」について、

 「過疎の村」という題名。この言葉に囚われると、右にあるのが電柱ではないだろうか、と想像してしまう。しかし、この中間色には寒々しい過疎というイメージは湧いてこない。とすると、過疎という規定のイメージあるいは固定観念的な情報に囚われることの無意味性をも感じてくる。偶然の表出であろうが、真ん中に見えるのが幼児の顔にも思える。作者の意図とはかけ離れてしまうかもしれないが、私にとってはホッと息をつくことができる静かさを感じる。

「赤いリボン」について、

 なんという早書きだろう。白をグイと一発で決めることで、赤が浮かびあがってくる。この力量は特筆に値する。

坂上」について、

 この黒は、何を意味しているか。画面としては私が好きな構図であり形体がドカンと存在している。抗うことができない現実、それは坂のようなものか、全てを意味論で捉えることを私は拒絶するが、銀の四角は、決然とした意志の存在のような気がする。だからこそ盛り上がっている。

「窓」について、

 これもまたいい作品だ。「窓」と聞けば、それはそれでハハンと理解できるが、それは単に絵図らを理解するだけにすぎない。画面を壊す構図は、おそらく公教育をすんなり受けて育った人にはムズカシイだろう。「窓」ならば、その窓とは一体なんなのだろう。通常の建物の窓、心の窓、などなど「窓」という語の比喩表現は少なくない。窓とは境界にある空間を繋ぐもの。その両界の片側の世界は、作者自身ののっぴきならない現実であるかもしれない。両界が同じであるなら窓は無い。しかし窓があるというのは両界が違うことを指し示している。現実的な建造物でもそうである。作者は、このことを身に沁みて感じていたのではないかだろうか。「岡本太郎の赤は鮮血の赤」というが、この作家の赤は自らの血の比喩であるのかもしれない。この絵を凝視してみる。家の中が自分自身の現実であり、真っ赤なのだと同時に、家の外も真っ赤だ。だとすると、この白い空間はなんなのだろう。向こうにある異界?望み?憧れ?悔恨

灰色の家」について、

 「灰色の家」という題名があると、それに沿って作品を理解しようとする。絵と題名の関係。画家にとって題名の重要性はなんだろうと考えはじめて久しい。「絵には題名があるものだ」確かにこの考えは世の中では共有している事実だ。小説・音楽・絵などなど、必ず題名がある。もちろん「無題」とか「失題」という題もある。他のものと分けて、それを確認するものなのだろうか。

 花を描いて、「花」と名付け、海を描いて「海」と名付ける。作品に語を付すことによって、その作品がいま目の前になくても、「山本弘の『灰色の家』という作品なんだけど」「あっあの五角形の絵ね」「そうそう、それなんだけど」なんて会話がなされることもある。題名は作品を示す語としてとても便利だ。しかし作家は、「家」と名付けるのではなく、「灰色の家」と形容詞をつける。その画家の意志だ。私の個人的な妄想だが、「題名とはどうあるべきか」というのが気になって仕方がない。なぜなら題名によって、作品の見え方が違ってくるからだ。逆に手がかりにもなる。しかし、作品世界を作家自身が枠付けしてしまうことになりはしないだろうか。こんなことを言っていると、多くの作家たちに失笑されるかもしれないが、「題名の文学性」ということもある。以前「Untitled」という題を付けて、「またか、なんだか分かんない」と言われたことがある。人は作品理解のために言葉を必要とするし、思考するということは言語活動でもある。「付けると、なんでこんな題なのだと言われ、付けないとなんで付けないんだと言われる。」この妄想に帰着点がない。グダグダと余談になってしまった。

 もとにもどる。画面の五角形は、数学としての意味もあり、象徴記号の意味もある。しかし、作家は家と名付けた。それも「灰色」と。たしかに灰色である。しかし、これは灰色で描いたから「灰色」と理解するのでは単純すぎる。「灰色の家」という言葉で、すでに見る者は、ある共通のイメージが湧き上がってくる。そしてその絵を読み解こうとする。よく見てみると、灰色の中に家を包むように、やわらかいベージュの色がある。陰鬱なばかりの家ではなさそうにも思える。希望への比喩か、どうしてこの題なのだろうか。

「沼辺」について、

 「沼」とは作者にとって何か意味するものがあるのだろうか。作家論として、詳細に人生をたどってみると沼につきあたるのかもしれない。沼についての神話的物語もあるからだ。古来日本の文芸の世界、あるいは地方の農村での個人的な体験などなど。文学的な見方に過ぎるかもしれない。では画面としてはどうなのだ。濁った色のなかに緑の線が見える。上には雲のような明るいグレーがある。図としては風景の一部を示していると見ることは確かにできると感じる。バランスはいい。抽象と具象の際にいる。

「ピエロ」について、

「ピエロ」たしかにピエロにみえる。どこで判断できるか、鼻が赤く丸いからだ。その他では判断できない。赤鼻がないと、かろうじて人物であるだろうとは理解できる。曽根原さんが言うには、作者はスーチンが好きだったと。たしかにスーチンの影響は感じられる。この絵は力強い。物語性よりも造形性が際立っている。この人物の処理の仕方、筆のさばきかた。ナイフの使い方。みごと過ぎて、この絵の前に立つと自我などは打ち壊されてしまう。疑問がひとつ、なぜ(ピエロ)と括弧付きなのだろう。「ピエロだけれど、これはあなた自身ですよ」と語りかけているのだろうか。

 ピエロに括弧をつけたのは、山本弘が付けたはずの題が不明なので私が仮に付けたからです。

「土蔵」について、

 「土蔵」潔い作品だ。これも土蔵と言われれば、土蔵とみるしかない。生活の近辺に土蔵があったのだろうが、それを画題として選ぶ作家自身の意味がある。そしてそれは作家によって同じ土蔵を描いたとしても一様ではない。このアンバランスな形体は実際の土蔵がこのような形をしてたからなのか、しかしこのような描き方ならば作家自身が自由に形を変えてしかるべきである。では、この形体は作家自身がこだわったものなのか。現地で確認すればとりあえずの確認はできるだろうと思うが、いまあるかどうかはわからない。しかし、自由な表現だ。おそらく土蔵という何かにこだわっているのだろう。

 最後に総括するような言葉が並ぶ。

 不思議に作品を見ていると、作者の深層心理まで降りて行く自分が感じられる。そこは、作者の内面にある深い井戸なのかもしれない。ひょっとしたらそこは底なしだ。私は勝手にそこに縄梯を下ろして降りてみる。曽根原さんが誰かに作者の人となりを説明している。ときどきそれが耳に届いてくる。「生前まったく売れなかった、そして酒浸りの生活。地元飯田町では軽蔑される存在。」そのような芸術家たちは少なくはない。私の故郷青森でも太宰治は「かまど返し」といわれていた。幼いころよくそんな話を聞いた。家の財産を食い荒らし、不良の限りを尽くす。かまど返し。釜戸をひっくり返す。棟方志功は役場のお茶汲みで、ズボンは縄バンドで縛っていた。寺山修司は無視。地元はなかなか異端を認めない。日本の文化意識もそうかもしれない。海外で評価されてはじめて認めるのはよくある。最後は自死というこの作家、文学的に評すれば無頼派ということになるだろうが、この作品の持つ凄みは時代を超えている。(後略)

 花田さん、ありがとうございました。花田さんのブログを読みながら涙が沸き上がってきた。故郷で誰からも理解されず自死を選んだ山本に、あれから40年近く経って遠い東京で徐々にではあるが理解してくれる人たちが現れてきた。30年ほど前銀座の大八木画廊飯田市の画家が個展をしていたので挨拶して、私は山本弘の弟子でしたと自己紹介し、そのことを後日山本未亡人に報告したとき、「よしな、そんなことをすると馬鹿にされるだけだに」と言われたことがあった。未亡人がそう考えるほど、そんなにも飯田市民の山本弘への軽蔑が強かったことが想像された。

 それにしても驚くのは、周囲の誰からも全く理解されることのない環境で、誰からも評価されることのない世界で、ひとり黙々と制作を続けた山本の強さだ。あなたは自分の絵がいつか必ず理解され評価されることを知っていたんですね。


・花田伸さんのブログはこちらになる。

https://utakata-sh.blogspot.com/

2018-10-02

[]小谷野敦江藤淳大江健三郎』を読む



 小谷野敦江藤淳大江健三郎』(ちくま文庫)を読む。江藤と大江の二人の伝記を同時に描いている。ただ小谷野はかなり癖の強いひねくれた性格の文芸評論家なので、他の伝記作家とはだいぶ異なった意見が綴られることになる。遠慮することがなく、細部に必要以上に拘泥し、噂話程度も記録している。

 江藤の『成熟と喪失』について、

 これは、小島信夫ら「第三の新人」の文藝評論にことよせた近代文明評論に見えるが、それもまた見せかけで、要するに江藤の私小説である。

 大江の「性的人間」について、

 大江はその小説作品から、同性愛ではないか、幼女性愛者ではないかなどと言われてきたが、江藤については、あたかも妻一人を大事に守ってきたように見える。だがその記事(『噂の真相』)によると、藝者の愛人がいたこともあるという。江藤は学者意識を持っているから、そういうことを表に出さないが、いくらかの性的逸脱はあっただろう。そしてこの(大江の「性的人間」の)「J」というのは、そもそも江藤がモデルではないかと言ったのはスガ秀実なのだが、確かに「J」は「淳」だし、大江は江藤をブルジョワ出身と見ているから、辻褄はあう。それどころか、もしかしたらこの当時も江藤に痴漢事件があったのじゃないかと勘繰りたくもなる。

 「江藤のエッセイのつまらなさ」という項で、

 私は江藤のエッセイ集のうち、『夜の紅茶』と『こもんせんす』を、江藤に熱中していた時に古本屋で見つけて買ってきたのだが、帯に、読書カードからの抜粋か、江藤さんのエッセイは上品でといった言葉が躍っているのを見て、どうも嫌な気分になった。読んでみると、いつもの自慢話はともかくとして、なんだか学者が定年後に半ば自費出版みたいな形で出すエッセイ集に似ているのである。批評ではあれだけ厳しい江藤が、エッセイでは妙に気取って、他人の悪口はあまり言わず、上品な読者を相手にしているという風情で、ユーモアのつもりらしいところもあるのだがそれが不発で、團伊玖磨のような毒がないし、小林秀雄のべらんめえもない。週刊誌の連載なのに、下がかったネタもほとんどない。人物伝も、一次資料を引いてきて妙に学問的に見せかけるのだが、松本清張が書く文学者や藝術家の伝記のような、ゴシップ的な面白さがない。

 大江の『キルプの軍団』について、

 私は数年前に、初めてこの『キルプの軍団』を読んで、なぜこんな名作があまり騒がれなかったのだろうと驚いたもので、大江はこの一作だけでほかの凡庸な作家が全作品あげてかかってもかなわないくらいだと思った。

 「あとがき」で、

 大江の政治的発言は、みな役割演技だと考えたいほどに、私は大江の文学を高く評価していて、日本文学史の三大文学者を、紫式部曲亭馬琴大江健三郎と名ざししたいほどである。大江は、谷崎や川端に譲ってもいいが、三島村上春樹に譲ることは絶対になく、夏目漱石に譲ることもまずない。馬琴には同意しない人も多そうだが、これが西鶴上田秋成に譲られることはない。

 今読んでいるドナルド・キーン西鶴をきわめて高く評価しているが・・・。


江藤淳と大江健三郎 (ちくま文庫)

江藤淳と大江健三郎 (ちくま文庫)

2018-10-01

[]幸田文『流れる』を読む



 幸田文『流れる』(新潮文庫)を読む。何十年ぶりかの再読だが、すばらしさに圧倒される。昭和の樋口一葉といった印象だ。

 芸者置屋へ住み込みで働いた経験を小説にしている。女中として働くが幸田文は父幸田露伴に家事等を徹底的に仕込まれている。この作品の主人公は梨花という名前だが、女中らしく春はどうなんて言われる。

 働き始めてしばらくして家中留守の時に現金を届けてきた者があった。受取りをと言われてありあわせの紙きれに台所の鉛筆で受取りを書く。届けてきた男がその受取りをしげしげと見る。

(……)不安が拡がって、「私、書式をよく存じませんけれど――」

「いえ、驚いているんですよ。みごとですなあ、達筆っていうんでしょうな。よほど書きなれた字ですものね。あなたここへ来るまえ何してなさった。……や、これは失礼、いや失礼しました。人間どこにいても過去ってものがついて廻りますからな。隠せないものですよほんとうに。」

 病気の孫が医者を怖がり置屋の主人にかじりついた。この時の情景が描写される。

主人は子どもに纏られながら、膝を割って崩れた。子どものからだのどこにも女臭い色彩はなく、剥げちょろゆかただが、ばあばと呼ばれる人の膝の崩れからはふんだんに鴇色がはみ出た。崩れの美しい型がさすがにきまっていた。子どもといっしょに倒れるのはなんでもない誰にでもあることだが、なんでもないそのなかに争えないそのひとが出ていた。梨花は眼を奪われた。人のからだを抱いて、と云っても子どもだが、ずるっ、ずるっとしなやかな抵抗を段につけながら、軽く笑い笑い横さまに倒されて行くかたちのよさ、しがみつかれているから胸もとはわからないけれども、縮緬の袖口の重さが二の腕を剥きだしにして、腰から下肢が慎ましくくの字の二ツ重ねに折れ、足袋のさきが小さく白く裾を引き担いでいる。腰に平均をもたせてなんとなくあらがいつつ徐々に崩れていく女のからだというものを、梨花は初めて見る思いである。なんという誘われ方をするものだろう。徐々に倒れ、美しく崩れ、こころよく乱れて行くことは、横たわるまでの女、たわんで畳へとどくまでのすがたとは、人が見ればこんなに妖しいものなのだろうか。知らなかったこんなものだとは、――きまりわるく、それでも眼を伏せることができず、鮮かな横さまの人をあまさず梨花は捉えていた。

 長い芸者生活で身に付いた媚びの芸術的とさえ言えそうな見事な技術。媚びをエロスにまで高めたプロの技。なるほど、これが玄人のやり方なんだ。岡崎裕美子の短歌に倣って言えば、「玄人も外国人も知らないでこのまま朽ちてゆくのか、からだ」、いやはや、何を言っているのか。

 幸田文は父幸田露伴より、娘青木玉よりはるかに優れていると言える。昭和の女流作家としては佐多稲子とどっちが上だろう。


流れる (新潮文庫)

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