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2018-11-09

[]『堀田善衛を読む』を読む



 『堀田善衛を読む』(集英社新書)を読む。5人と1組織の共著という体裁。これは今年10月から富山県 高志の国文学館で開催される生誕100年記念特別展「堀田善衛―世界の水平線を見つめて」に際してインタビューに協力した5人の話に各著者が加筆・修正して書籍化したものだという。新書というより雑誌の体裁に近い。

 5人の著者は、池澤夏樹吉岡忍鹿島茂、大高保二郎、宮崎駿、それに高志の国文学館が堀田善衛20の言葉というのを加えている。

 池澤夏樹が堀田を紹介しているが、著書で『若き日の詩人たちの肖像』を高く評価している。自伝に近い小説だが、実在の人物とはすべて名前を変えてある。それで池澤は本書で使われているあだ名と本名の一覧表を付している。荻窪の先生=井伏鱒二、ドクトル=加藤周一、元駐英大使の坊ちゃん=吉田健一、冬の皇帝田村隆一のように。

 吉岡忍はべ兵連に関係していて、堀田とともにベトナム戦争を嫌って脱走したアメリカ兵を世話した。吉岡は堀田の『時間』を紹介する。

 南京虐殺事件をテーマにした『時間』はすごい小説です。敗戦後、東京裁判でだいぶ詳しい状況が明らかにされ、多くの国民が日本軍はこんなこともしたのか、と驚いていた時期に、しかも妻子を殺された中国人知識人を主人公に、その目を通じて何万もの一般住民が手当たり次第に殺された事件を真正面から書いたんですから。

 堀田は『インドで考えたこと』とか『キューバ紀行』を書いていながらアメリカについてはほとんど書いていない。『上海にて』には少しアメリカについて触れている。上海市民は工場を接収し結局使いものにならなくしてしまった国民党を嫌っていたが、同時にアメリカをも嫌っていた。どちらも日本軍を追い出してくれた解放者なのに。

 どうしてかといえば、アメリカ国際機関や国民党機関を通じて、日用品から産業機器まであらゆる種類の「救済物資」を中国にばらまいた。手続き的には関税をただ同然にし、安価に流し込んだということですが、すべてアメリカ製品、しかも戦争中に大量生産してしまい、アメリカ政府としても処分に困っていたものをダンピングして売り払ったわけですね。これによって上海地場の中小企業は「救済されて昇天しかねまじいことになっていた」(『上海にて』より)という事情があったからです。

 日本にも子どもを栄養失調にしないために、と余剰農産物の脱脂粉乳を全国の小学校で配った。日本の当時のメディアもおそらく上海メディアもそんな経済のからくりには一切触れずに、さすがに自由と豊かさの国だと歓迎したんじゃないでしょうか、と。

 私の知人にも戦後マッカーサーが更迭されたのは、日本人の飢えを助けるため独断で食糧援助をしたことをとがめられたからだと信じている愚かな女性がいる。マッカーサーは朝鮮戦争の戦略をめぐって本国と対立したから更迭されたのではなかったか。

 また『めぐりあいし人びと』(集英社文庫)では、日本の古代史の大化改新をロシア革命と同列に見ているという。班田収授法は土地をすべて国有にしてそれを農民たちに等しく分け与え、税を取った。それはソ連のコルホーズ、ソホーズの形態と同じだと言う。どちらも結局70年くらいしかもたなかった。

 鹿島茂は『ゴヤ』を絶賛する。ついでモンテーニュについて書いた『ミシェル 城館の人』を堀田の最大の作品でしょうと書く。しかし初めて堀田作品を手にする人に勧めるのは『若き日の詩人たちの肖像』だと。

 大高保二郎はスペインで堀田と知り合った。堀田はゴヤを「朝日ジャーナル」に連載するため、その取材マドリードにいた。大高はベラスケスを研究するためマドリード大学に留学しようとスペインに到着したばかりだった。一緒にスペイン各地を車で旅行し、調査に同行した。

 宮崎駿はその映画制作が堀田善衛に影響されたと言っている。また、

 本当に僕にとって堀田さんは、海原に屹立している、鋭く尖った巌のような人で、現代の歴史とか、経済情勢の波の上に立って動かない存在なのです。僕らは同じ方向に向かって船を漕いでいるつもりなのですが、いつの間にか右に行ったり、左に行ったり、わけが分からなくなってしまう。そうして自分の位置が分からなくなってしまった時に、ふと見ると堀田さんが、ああ、やっぱり同じ位置に立っていて、ああ自分はこんなに流されていると分かるという座標になるような人だったのです。

 堀田善衛を読んでこなかった。唯一『上海にて』(集英社文庫)を読んだだけだったのではないか。これからゆっくり読んでいこう。

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