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2018-12-31

[]吉田秀和『マネの肖像』を読み返す



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 吉田秀和『マネの肖像』(白水社)を読む。26年ぶりの再読だった。最近、ここにも紹介した三浦篤エドゥアール・マネ』を読んだことにより、マネにまた興味を持った。むかし『マネの肖像』を読み終わったその日に『マネ』(新潮美術文庫)を購入した。小型の画集なので、今回もう少し大きい画集が欲しいと思ったが手ごろなのがなかった。マネは日本人にモネよりずっと人気がないみたいだ。新潮美術文庫を見ながら吉田秀和を読む。

 吉田はセザンヌ関係の本でも、ヨーロッパの美術館のセザンヌの絵の前で、ここで何時間過ごしただろうと書くくらいじっと見ているようだ。マネでもそれは変わらないみたい。本書は4つの章に分かれている。「マネが描きたかったこと」、「マネの女性像」、「色のコンポジション」、「遊びの精神」。吉田はマネをよく見ている。三浦の『エドゥアール・マネ』(角川選書)を読んだあとでは、マネを学究的に追求した三浦と比べてしまって、初読時の感激には及ばないが、マネに対する傾倒ぶり、(学究的な方法ではなく)純粋に見ることによっての分析はただただ素晴らしい。

 マネの色彩のすばらしさも繰り返し語っている。本書にはカラー口絵が4ページあり、そこに4点のマネの作品が掲載されている。4ページともカラー図版の大きさはそこそこで、図版の周囲にベージュっぽい色が敷かれている。周囲を白くして1ページに4点くらいのカラー図版を入れれば16点載せられる。私は新潮社美術文庫を参照しながら見たが、せっかくの良書が少し残念だ。また初版発行後26年が経っている。どこかの文庫に再録してもいいんじゃないだろうか。

 なお、新潮美術文庫の解説はいまいちだった。まあ、44年前の発行だけど。

2018-12-30

[]「すゞしろ日記」の大そうじ



 山口晃の「すゞしろ日記」が今回は大そうじがテーマだ(『UP』2019年1月号)。

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 最初に『マカロニほうれん荘』のギャグが引用される。主人公は「なつかしい」と思っているが奥さんには通じない。

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 ついでそうじ個所を表にしている。そうじの手順を図示することなんか考えたこともなかった。さすが画家だと感心した。マド/アミド/ベランダ/室外機//机(本)/扉/タンス裏/タタキ/換気孔・・・なんて書いている。私の大そうじなんてこの1/10くらいだ。恥ずかし。まあ、こちとら独り身だし、娘のほか客があるわけでもなし。

 あと1日で今年も終わる。去年の今頃は何をしていたっけ?

2018-12-29

[]朝日新聞書評委員が選ぶ「今年の3点」から



 朝日新聞も年末書評欄で恒例の「書評委員が選ぶ今年の3点」を特集している(12月29日)。書評委員がそれぞれ2018年のベスト3冊を推薦している。その中から私も興味を持った思った本を選んでみた。

椹木野衣(推薦)


『時のかたち 事物の歴史をめぐって』(ジョージ・クプラ―著、中谷礼仁・田中伸幸訳、鹿島出版会・2592円)

近年、哲学の世界で人新世や思弁的実在論をめぐる議論が盛んだが、本書は今読んでもそれらを凌駕する。1962年に世に出るもようやく訳出。従来の美術史から物と時の関係を根本から刷新。「芸術史のコペルニクス的転回」の帯文に偽りなし。

出口治明(推薦)


『陰謀の日本中世史』(呉座勇一著、角川新書・950円)

ちまたには陰謀論フェイクニュースがあふれている。専門家が正しい情報を発信しないことも一因だ。本書は誰かが猫の首に鈴をつけなければという思いから本能寺の変の黒幕説に代表される歴史の安易な物語化を一刀両断した快作だ。

野矢茂樹(推薦)


『本居宣長』(熊野純彦著、作品社・9504円)

熊野さんは、レヴィナスヘーゲルカント、和辻、ハイデガーベルクソンマルクスなど、なんでこんなにも軽々と理解できちゃうのだろうと、今までも驚かされてきたのだが、今回の本居宣長には心底驚いた。この人の頭の中はいったいどうなっているのだろう。

 書店で見たが、分厚くて文字通りの大著。高価なのは納得するが、しかし・・・

長谷川真理子(推薦)


『心の進化を解明する』(ダニエル・C・デネット著、木島泰三訳、青土社・4536円)

本書は進化生物学をきちんと理解している哲学者が、意識、自意識がどこから生まれたかを論じた好著。

 このほか、「書評委員のこの1年」というコラムがあり、そこに紹介されている柄谷行人に興味を持った。

今年書評した本に触発されて、『世界史の実験』(岩波新書)という本を書いた。来年2月刊行予定。

 これは読みたい。


陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

本居宣長

本居宣長

2018-12-28

[]毎日新聞「2018この3冊」から



 毎日新聞が年末書評欄で恒例の「2018この3冊」を2回にわたって特集した(12月9日、12月16日)。書評委員がそれぞれ2018年のベスト3冊を推薦している。その中から私も興味を持った思った本を選んでみた。

山崎正和(推薦)


エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』三浦篤著(角川選書・2160円)

西洋古典絵画史はマネに終わり、現代絵画史はマネに始まるという新説は、「メタ絵画」の概念の提唱とともにそれこそ革命的だが、練達の文章がその正しさを納得させる。フランス語での出版が切望される世界規模の傑作。

 これのみ読んでブログで紹介した。

養老孟司(推薦)


『脳は回復する 高次機能障害からの脱出』鈴木大介著(新潮新書・886円)

闘病記として出色。なにより気が滅入らないし、表現がじつに上手だから、医師にも介護者にも大いに参考になる。自分は頭が普通だと思っている人も、読んだ方がいいと思う。

 私は読まねばならない。

若島正(推薦)


『U & I』ニコルソン・ベイカー著、有好宏文訳(白水社・2592円)

『U & I』は、傑作『中二階』と並んで、ニコルソン・ベイカーのベストと呼ぶべき怪作である。ジョン・アップダイクに対する異常な愛情が書かせた本だという以外に言いようがなく、とにかく読んでみることをおすすめするしかない。

橋爪大三郎(推薦)


『モノに心はあるのか 動物行動学から考える「世界の仕組み」』森山徹著(新潮選書・1296円)

ダンゴムシに「心がある」ことを実証した動物学者による、思索書物。ふつう心と思われるものの実体を、潜在的な行動プログラムと想定し、生き物はもちろん、石にも心があると言えると説く。

 ダンゴムシは読んだ。とても面白かったから、これも読もう。

辻原登(推薦)


『孤独の発明 または言語の政治性』三浦雅士著(講談社・3780円)

本書は言語の考察で、これほど遠くまで、しかもいささかの晦渋さもなく連れ出してくれる本は稀れである。刺激度は、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』やアーサー・O・ラヴジョイの『存在の大いなる連鎖』を読んで以来だ。/とりわけ第6章「光のスイッチ」では目が啓き、世界を初めて見る思いがした。

持田叙子(推薦)


『孤独の発明 または言語の政治性』三浦雅士著(講談社・3780円)

評論の大著。孤独を淋しさなどの感傷から徹底的に切り離す。孤独とは、エネルギー。生まれ落ちて私たちは、みずからに問う。ワタシとは何? なぜここにいるの? これこそ言語のはじまり。この思想を軸に文学と芸術を深く論ずる。随所に著者の人生の記憶が薫り、かぐわしい。

     ・

『名句の所以 近現代俳句をじっくり読む』小澤實樗(毎日新聞出版・2376円)

今年はとくに俳句に心身をあたためられた。この小さな詩形に夢中になっていた青春時代を思い出した。本書は近現代俳句のこまやかな解説の書。懇切な鑑賞文にみちびかれ、季節の色や匂いが立ちのぼる。ため息に似たひそやかな情緒が胸を濡らす。

 三浦雅士は2人が推薦している。でも大著なんだよなあ。文庫化するまで待とうか。

斎藤環(推薦)


『抽象の力 近代芸術の解析』岡崎乾二郎著(亜紀書房・4104円)

芸術とは、諸感覚から普遍的な秩序=形式を把握する抽象作用という認識プロセスにかかわるための装置である。美術史の深層構造に、こうした「抽象に至るプロセス」を想定し、豊富な図版とともに美術史を再定義する大著。決定版とも言うべき熊谷守一論も読み応えがある。

 同じ著者の『ルネサンス 経験の条件』(文春学藝ライブラリー)も買ったまま読んでない。

張 競(推薦)


『リズムの哲学ノート』山崎正和著(中央公論新社・2376円)

リズムはとらえるところのないもので、これまで哲学問題として正面から論じられてきたことはほとんどない。本書は時間、空間、身体、認識、科学など複数の視点からリズムについて全面的な考察を行った。周期的な動きを動態として捉え、その深層構造と意味作用を解き明かした。

 同じ著者の『世界文明史の試み』(中公文庫)もまだ読んでない。

中島岳志(推薦)


原民喜 死と愛と孤独の肖像』梯久美子著(岩波新書・929円)

本書は広島での被爆体験を描いた「夏の花」で知られる作家・原民喜の評伝。原は1951年自殺するが、その過程が静かに、そして説得的に描かれる。原が生きるうえで、死者の存在がいかに重要だったかがわかる。

 以上9冊。大著もいくつかあり、来年読み切れるだろうか? 現在でも積読が千冊はありそうなのに・・・。ふう。



U & I

U & I

孤独の発明 または言語の政治学

孤独の発明 または言語の政治学

抽象の力 (近代芸術の解析)

抽象の力 (近代芸術の解析)

リズムの哲学ノート (単行本)

リズムの哲学ノート (単行本)

2018-12-27

[]堀江敏幸『傍らにいた人』を読む



 堀江敏幸『傍らにいた人』(日本経済新聞出版社)を読む。版元から分かる通り、日本経済新聞に毎週連載していたもの。現在表参道ギャラリー412で野見山暁治「カット展」が開かれているが、それは堀江日経の連載に挿絵として描かれたものを展示している(12月28日まで)。展示の一部を次に紹介する。

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 本書では野見山の挿絵は表紙に1点使われているだけだった。ちょっと残念。堀江のエッセイは4ページ前後の短いものながら、国木田独歩の「忘れ得ぬ人々」から最後の庄野潤三の「プールサイド小景」まで46篇の小説について、その一部を取り出して印象的に書き綴っている。エッセイはほとんど長篇の一部のように前回のエピソードに重ねて書かれている。それは次のように続く。梅崎春生「小さな町にて」、小山清「小さな町」、シャルル=ルイ・フィリップ「小さき町にて」、野呂邦暢「小さな町にて」等々。短篇のあるエピソードであったり、核心であったりするものを手品のようにつないでいく。ああ、これが作家の読み方なのかと深く印象に残った。そればかりでなく、そのつなぎ方、連想の仕方が巧いのだ。思わず「芸だね」という言葉が浮かんだ。これは司馬遼太郎が紹介している東京経営者の言葉で、大阪商人の上方商法について、「商売というより、芸だね」と言ったという。私が感じたのは、単なるエッセイというより芸だねというものだった。

 見事な職人芸を見せられた思いだった。


傍らにいた人

傍らにいた人

2018-12-26

[]地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅近くのお岩水かけ観音について



 小林紀晴『写真で愉しむ 東京「水流」地形散歩』(集英社新書)を読むと、四谷三丁目のお岩水かけ観音に触れている。

……四谷三丁目の交差点近くにあるスーパーマーケットの丸正食品総本店前のお岩水かけ観音。かなり目を引く存在なのだが、あの四谷怪談と深く関係している。

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 いや、そんなに目立った存在ではない。店舗の前の一角にひっそりと設置されているといった印象だ。まるでレリーフのようで、存在を主張することなくさりげなく置かれている。横に銘板があるが文字が読めない。ネットで由来を調べてみた。

 貞享年間(1684〜1687)四谷左門町に住む御家人宮又左衛門の一人娘お岩は迎えた婿養子伊右衛門の放蕩が原因で哀しくも狂乱行方知れずになりそれからと云うものは種々怪奇な事件が頻発したが田宮家菩提寺にてお岩の霊を供養したところようやく平穏になったと伝えられています

 この伝説をもとに脚色したのが鶴屋南北東海道四谷怪談文政八年(1825)三代目菊五郎浅草市村座で初演大評判を得ました

 当お岩水かけ観音は縁あって再建の世話人をつとめた飯塚五兵衛が昭和四十六年九月■丸正食品株式会社本社屋建築施行の際■かけ昭和四十九年九月二十三日満願にあ■稲荷と観音様の慈愛をこめて祈願成就のしるしとして新たに分祀建立したものです

新宿区の歴史(http://tokyoshinjuku.blog.shinobi.jp/四谷/お岩水掛観音)より

 昭和49年9月23日に分祀建立したものだとある(なお文中■はママ)。ここからすぐ近くに澤登ビルがあり、その9階にギャラリーTS4312 がある。この不思議な名前の由来は、住所の「東京都新宿区四谷三丁目12番地」の頭文字を取ったものだという。


2018-12-25

[] 山崎省三『回想の芸術家たち』を読む



 山崎省三『回想の芸術家たち』(冬花社)を読む。副題が「『芸術新潮』と歩んだ40年から」。山崎は1948年新潮社に入社し、1950年芸術新潮』創刊とともに編集部に勤務し、のちに編集長を務める。5つの章からなっていて、「林芙美子の〈絵〉と『芸術新潮』」、「石井鶴三と巌本真理」、「岡本太郎のパリと諏訪」、「瀧口修造神楽坂と〈前衛〉風景」、「反骨・差配の大人・土方定一」、「利根山光人とメキシコとお柳さんの話」であるが、瀧口修造土方定一利根山光人が特におもしろかった。

 戦後すぐの頃、日米混血のバイオリニスト巌本真理は美人で人気絶頂だった。芸術新潮で4人の有名な画家が巌本を描くという企画を立てた。新潮社の応接室に座る巌本を取り囲んで、石井鶴三、猪熊弦一郎東郷青児宮本三郎が鉛筆、コンテ、ペン、水彩で2時間ほどで描きあげたという。ずいぶんつまらぬ企画だと思う。

 岡本太郎の項では諏訪御柱を見に行ったことが詳しく語られている。また多摩墓地にあるという太郎デザインの岡本一家の墓の写真が載っている。太郎と父・一平の墓の写真があるが、横には母・かの子の墓もあるらしい。一度見に行ってみたい。

 瀧口修造の項で、第12回読売アンデパンダン展について次のように書いたという。

……幾多の離散集合と転変のあとに残るものはなにか。それはよくもあしくも個の芸術家の刻印、歴史のはげしいあらしに削りとられたあとの個の刻印でしかない。そして芸術ほど朽ちやすく、消えやすいものもないのだ。しかも凡百の芸術は残る! うず高く残る!

 土方定一は強面の人だったと語られる。作品の選定の会場で声を荒げたり、美術館で展覧会の出品作を出版社が撮影するのに立ち会っていた館員が土方に怒鳴りつけられたりといったエピソードを紹介している。窪島誠一郎酒井忠康との対談で土方を怖かったと言っていた。針生一郎は全国の公立美術館の館長人事は実質的に土方が決めていたと話していた。

 利根山光人の章はとくに面白い。利根山は中南米の古代美術に入れ込んで、マヤの遺跡レリーフを拓本に取り、結果メキシコ政府から最高の勲章を贈られる。

 なかなか面白く読んだが、山崎が芸術新潮の編集者〜編集長だったことで、作家たちへの一抹の遠慮がある。ヨイショ記事とは言わないが、やはり手加減している印象だ。もう少し批判的であってもよいのではないか。

 本書が新潮社ではなく冬花社から出版されていることの意味は何だろう。



回想の芸術家たち : 「芸術新潮」と歩んだ四十年から

回想の芸術家たち : 「芸術新潮」と歩んだ四十年から

2018-12-24

[] インドネシアでの津波被害



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 インドネシアジャワ島で大きな津波の被害があった。今日の発表で200人以上が亡くなっている。津波の原因は地震ではなく火山の噴火によるものだという。スンダ海峡にあるアナウクラカタウ島の火山が噴火した。クラカタウと聞いて『生物の消えた島』(福音館書店)という絵本を思い出した。生態学者の田川日出夫が書いて、松岡達英が絵を描いている。31年前の1987年に発行されたものだ。

 クラカタウ島(大ラカタ島)は1883年に大爆発した。クラカタウ島の大部分が吹き飛んで、爆発音は2000キロ離れたオーストラリアやタイまで聞こえたという。クラカタウ島の大部分は水面から200メートルもの深いところから吹き飛んで、津波の高さは40メートルもあったという。津波鹿児島市の甲突川にも押し寄せてきた。

 その40年以上経ったあとに海底火山の噴火が始まり、クラカタウ島の近くに新しい島が誕生した。これがアナククラカタウ島で、アナクという言葉はインドネシア語子どもという意味だという。今回爆発して津波を起こしたのがこのアナククラカタウ島の火山だ。

 田川ら日本の調査団が1883年噴火後100年近く経ったころ、いったんすべての生物が死に絶えたあと、どんなふうに再生するのか調査している。この絵本はその再生経過が綴られている。

 1883年明治26年)に大噴火があったクラカタウ島、その135年後の今回の噴火だ。本書は絵本ながらクラカタウ島の噴火について教えてくれる。



2018-12-23

[]中松商店の「現代画廊の案内状――洲之内徹からの便り――」を見る



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 東京銀座の中松商店で「現代画廊の案内状――須之内徹からの便り――」が開かれた(12月23日まで)。洲之内徹の現代画廊(1961−1987)が発行した展覧会案内状を展示していた。

 DM葉書は最初に画廊を構えた銀座7丁目あたりの案内図を表示していて興味深い。オーナーに若栗玄の案内状はあるかと尋ねると1点あったとファイルを探して見せてくれた。さらにコピーを取ってくれた。「画廊から」という現代画廊発行のそのパンフレットのタイトルは「若栗玄 1979」というもの。1979年6月25日から7月7日まで個展を開いている。

 パンフレットによると、若栗は1926年長野県に生まれる。1945年東京美術学校師範科中退。今の東京藝大だ。1955年自由美術家協会展に出品、以後1960年まで毎回同展ならびに日本アンデパンダン展に出品とある。1969年から1970年にかけてインドネパールを行脚。1976年から現代画廊で個展を開き、今回(1979年)が3回目となる。

 パンフレットに洲之内が書いている文章の末尾を写す。長野県美麻村に最後の住民としてひとりで住んでいると紹介してから、

 ひとりで何をしているかといえば、絵を描いている。絵はだんだんよくなり、美しくなってきた。四年前には、山脈の向こうから巨大な裸婦が半身を現わしているというような、奇妙キテレツな絵があったりしたが、そういう試みのようなものをやめて、自然の美しさを素直に受け容れようとするようになった。すると、絵が生き生きとし、冴えてきたのだ。身辺が変わっただけではない。若栗さん自身も少しずつ変わっている。

 この後も現代画廊での個展はあったのだろうか。現代画廊がなくなった後、同じ場所で美術ジャーナル画廊が営業をしていたが、若栗はそちらで何度か個展をしていた。

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 現代画廊パンフレットは白黒印刷なのでよく分からない。身辺で見られた風景や静物を描いている。

 若栗には私が若いころ大変お世話になった。当時、もう50年前になるが若栗玄は私の村の住職で小原げん祐と言った。曹洞宗の渕静寺の住職で、私の家はそこの檀家だった。村では渕静寺さまと呼ばれていた。祖父が親しくしていたので自然馴染みがあった。2浪が決まったときに相談に行った。一晩付き合っていろいろ話してくれて、最後に君には俺の友人の山本弘がいいよと山本を紹介してくれた。後日山本に会って、その縁が50年経った今も続いている。

 50年前は確実に小原の方が山本より画家として優れていた。美術ジャーナル画廊や亡くなったあとのロートレック画廊での若栗玄遺作展を見た限り、山本は遙かに若栗の境地を突き抜けていた。数年前に飯田市内で小原に教えを受けた画家たちが遺作展を開催した。村から出奔する前の小原の方が良い絵描きだった。

 小原と山本弘、関龍夫らは飯田市リアリズム美術科集団を組織していた。優れた画家たちだった。

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長野県立飯田高校同窓会のHPに載っている若栗玄の「沐浴ガンジスにて)」

以下は、喬木村出奔するまえ、50年以上前の小原げん祐の作品

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ねはん

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きんま道(木馬道)

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寺族

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寡婦

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婦人像

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埋葬

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作品1(左)とニット機(右)

 ※小原げん祐の「げん」はサンズイに玄。

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「現代画廊の案内状――洲之内徹からの便り――」

2018年12月7日(金)−12月23日(日)

13:00−18:00(10日と20日休業)

     ・

中松商店

東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル313号室

電話03-3563-1735

2018-12-22

[]『ありがさき 第2号』より



 いつもはあまり見ない居間の本棚に『ありがさき 第2号』という歌集が挟まれていた。編集発行 松本市蟻ケ崎北町短歌会となっている。会員9人の短歌が集められている。義母曽根原嘉代子の作品もあった。そこからいくつか拾ってみる。

  皮の手袋


なんとまあ背丈伸びゆく女の孫が

    履くてふ靴の大きなること


母の掌に馴染みし皮の手袋の

    わが掌の型になりて久しき


対話なき日日の淋しさ叔母は言ひ

    声聞きたしと泣けり電話に


山椒の葉摘みては食すわたくしは

    いつか羽化して蝶になりなむ


潮を吹く浅蜊に耳がありそうで

    息ひそめつつバケツを覗く


キムチ教へてくれし隣人の

    李さん遠くアメリカに老ゆ


旅に出ず深く学ばず朝夕を

    あはれ厨房に絶望もせず


ていねいに週刊誌読み診察を

    待ちゐる無為もわたくしのもの


もの乞いの形に諸手さし出し

    センサー蛇口に水しばし待つ


木にすがり鳴きゐし蝉のはたと止み

    今朝は骸となるを掃きよす


うしろより声かけられつ自らの

    知らざる姿人は知りいて


あじさいの葉の面に光るひとすじの

    路をえがきて蝸牛ゆく


地に還るものはひそけし羽透きて

    木下にまろぶ落蝉ひとつ


階段の途中ではたと足を止む

    何しにここまで登って来たのか

 靴が大きくなった女の孫は身長も5尺5寸になった。アメリカへ行った李さんのキムチは絶品だった。ここには載っていないが、私が好きな義母の短歌は、


一片の骨(こつ)だにあらぬ兄の墓学徒の帽子深く埋もる


 その墓も、伯母が詠んだ


雲 の 峰 越 え て 移 す や 父 祖 の 墓   武澤林子


のように今は秩父に移された。

2018-12-21

[]人形町ヴィジョンズの羽藤雅敏展を見る



 東京日本橋堀留町人形町ヴィジョンズで羽藤雅敏展が開かれている(12月22日まで)。羽藤は1977年神戸市生まれ、大阪芸大美術科を卒業後、関西で活動している。2010年にギャラリー現での個展を見たことがあった。

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 今回羽藤はヴィジョンズの左手の壁面一杯に1つの作品を展示している。壁面の長さが14mあり、1mほど折り込んでいるので作品の長さは15mもあるという。天地は2mほどか。羽藤はキャンバスに幅5.5cmのストライプを鉛筆で描き、天地3.5cmずつ区切って矩形を作る。その5.5×3.5cmの四角に色を付ける。常に縦に色を着けていって直上の色との関係で次の色を決めている。すでに塗られた左側のストライプの色は参照してないつもりだが、無意識のうちに影響を受けているだろうと言う。意識しない自分の色彩に対する傾向が現れるのではないかと。そのように左端から右側に向かって描いていったものがこの作品だ。常に上の色を参照して次の色を選んでいる。意識して描いたものではないのに結果として羽藤の無意識の色彩が反映していることになっているのだろう、と。

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 この羽藤の試みは今まで見たことのない画期的なものだと思う。壁面の大きなヴィジョンズでなければ可能でなかった展示だろう。羽藤の思考実験が見事な作品になっている。長大な作品の反対側の壁面には同じコンセプトで作られたF200号の作品が展示されている。同じ手法でもっと小さな作品は作らないのかと問うと、小さな画面では画面が自分でコントロールできてしまうから、同じようなコンセプトで作品を作ることができないのだと。

 一見碁盤の目のような単純な造形に見えるが、実はコンセプチュアルな作品なのだった。羽藤の今後の展開が楽しみだ。

     ・

羽藤雅敏展

2018年12月17日(月)−12月22日(土)

12:00−19:00(最終日17:00まで)

     ・

人形町ヴィジョンズVsion’s

東京都中央区日本橋堀留町2-2-9 ASビル1F

電話03-3808-1873

http://visions.jp

2018-12-20

[]ギャラリーOUT of PLACEの内山聡展「stripe(s)」を見る



 東京外神田の3331アーツ千代田にあるギャラリーOUT of PLACEで内山聡展「stripe(s)」が開かれている(1月27日まで)。内山は1978年神奈川県生まれ。2005年に多摩美術大学大学院日本画研究領域を修了している。2003年にアートスペース羅針盤で初個展、その後神奈川県ギャラリーHIRAWATAやギャラリー現、eitoeiko、そして最近はこのギャラリーOUT of PLACEで個展を開いている。

 今回の展示は無数とも見える細い糸が垂れ下がっているオブジェだ。これについて、ギャラリーが配布している印刷物に次のように書かれている。

●私は色材として糸を用いている。

●糸には9色のカラーバリエーションと支持体として用いる黒い横糸で計10色がある。

●両腕を目一杯広げた長さ(中には肩幅をイメージしたものもある)で9色の糸を切り、3本ずつ纏めた糸を黒い横糸(支持体)に括り付けていく。

●3本の糸は、規則性なく組み合わせられたものになっている。

●糸という素材の特性も相俟って、上記の行為が繰り返され集積していき、結果として垂直方向に矩形の平面が生まれる。

●制作日の体調や気分、着ていた衣服の厚みなどにより腕を広げた長さ、あるいは切られた糸の長さにはばらつきがあり、矩形の下辺は不揃いの状態になる。


私の制作は、絵画の中の物質的、身体的な「条件」を基盤にすることで、習慣を拡大することを目的にしている。

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 一番大きな作品は2万7千本の糸で作られている。これが両腕を一杯に広げた長さの糸だという。2万7千本の糸を使っているということは、3本ずつだから9千組の糸を選んで括り付けているということになる。膨大な作業量、膨大な糸の量がここに結実している。内山はいつもそれを制作するに要した膨大な時間、膨大な物質を具現させた作品を作っている。コンセプチュアルでありながら造形的に美しい作品だ。

 これ以外の小さめの作品は肩幅の長さの糸で作られている。赤や緑の糸の作品だけは9色の糸を使わないで単色の糸で作っている。毎回コンセプトは同じながら、違った切り口で制作している内山の創造性が見事だと思う。

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 同じ建物3331アーツ千代田内にあるタマビ21(多摩美術大学が運営するギャラリー)で1月下旬から始まるグループ展「終わらない始まり」にも内山聡が参加するらしい。

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内山聡展「stripe(s)」

2018年12月14日(金)−2019年1月27日(日)

12:00−19:00(月、火、水休廊)

12月24日―1月10日は冬季休廊

     ・

ギャラリーOUT of PLACE

東京都千代田区外神田6-11-14 3331アーツ千代田 207号

電話03-6803-0248

http://www.outofplace.jp/

東京メトロ銀座線末広町駅から徒歩3分

2018-12-19

[]うしお画廊の「あなたのためのカレンダー展III」を見る



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 東京銀座のうしお画廊で「あなたのためのカレンダー展III」が開かれている(12月26日まで)。百数十人の作家に依頼してカレンダーのための作品を作ってもらった。カレンダー用の額が用意されていて、選んだ作品をはめればオリジナルのカレンダーになる。額装代は6,000円だが、作品だけの購入も可能である。

 たくさんの作品の中からいくつか紹介してみたい。

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石田浩美

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北條正庸(額装見本)

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工藤政秀

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藤澤江里子

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山中 現

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石垣むつみ

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滝沢具幸(一番高額だった)

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小川 陽(線香の火で描いている)

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伊藤彰規

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都丸志帆美

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清田悠紀子

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「あなたのためのカレンダー展III」

2018年12月17日(月)―12月26日(水)

11:30−19:30(最終日17:00まで)会期中無休

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うしお画廊

東京都中央区銀座7-11-6 イソノビル3F

電話03-3571-9701

http://www.ushiogaro.com   ・

2018-12-18

[]三浦篤エドゥアール・マネ』を読む



 三浦篤エドゥアール・マネ』(角川選書)を読む。すばらしい本だ。副題が「西洋絵画史の革命」とあり、マネこそが伝統絵画を引き継いで大きく展開し、現代にいたる流れを作った革新的な画家だと主張している。読後それがほぼ納得できたように思う。

 三浦は本書を3つに分けて、「過去からマネへ」「マネと〈現在〉」「マネから未来へ」と書き継ぐ。マネは伝統絵画を学びそれを換骨奪胎して自分の作品を作り上げる。三浦がそれらを一つ一つ指摘していく。

マネの《草上の昼食(水浴)》の人物像はラファエロの失われたデッサンを基にライモンディが版画化した《パリスの審判》から採られている。またジョルジオーネが構想しティツィアーノが完成した《田園の奏楽》も参考にしている。マネの《オランピア》はティツィアーノの《ウルビーノヴィーナス》を基にしていることは明白だし、またゴヤの《1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》を基にマネは《皇帝マクシミリアンの処刑》を描いている。マネの《バルコニー》はゴヤの《バルコニーのマハたち》を参照して描かれている。

 重要なのはベラスケスで、マネの《悲劇俳優》も《笛吹き》もベラスケスの《道化師パブロ・デ・バリャドリード》から強い影響を受けている。どちらもベラスケスに倣って背景が消えている。《笛吹き》を三浦は、マネによるベラスケスジャポニスムの独自な融合の成果と呼ぶ。さらにマネの《フォリー=ベルジュールのバー》をベラスケスの《ラス・メニーナス》と比較する。そしてマネのその作品を「遠近法空間のゆがみに時間の複数性が重なることによって、古典的な現実表象が根本から崩壊しつつある絵画ととらえることができよう」とまで言う。

 さらに水浴図におけるルーベンスのポーズの借用などなど。マネはオールドマスターたちからテーマ、構図、モチーフ、色彩、筆触等々を摂取し、現代的な文脈に置き直して見せた、と。

 「マネと〈現代〉」では、マネは当時のパリを主題にしていたと言う。テュイルリー公園の音楽会や気球、酒場の歌手、鉄道万国博覧会、浮浪者、競馬などが描かれる。この章の最後に三浦が書く。

 マネは決して過去と断絶して新しい絵画を創出したのではない。複製イメージが氾濫する時代に西洋美術の歴史を集約し、内実を無化することによって、絵画の規則を侵犯するアナーキーな芸術世界への扉を決定的に開いたのである。社会学者ピエール・ブルデューの言に従えば、マネとともに規範的価値の喪失事態を制度化する「象徴革命」が達成されたのであり、逸脱する過激前衛を正統と見なすような「モダニズム」の歴史の起点が打ち立てられたのである。しかしながら、マネが始動させたものは、我々が通常考えているよりもはるかに大きく広がり、19世紀後半から20世紀にかけての全西洋絵画史を貫いている。

 マネはモネドガらと親しく付き合ったが、印象派の画家ではない。基本的に印象派がある瞬間の視覚的なヴィジョンを捉えるのに対し、マネは特殊の相に留まることなく、常にある種の典型化を志向する。セザンヌはマネの裸婦像から強い影響を受けている。さらにセザンヌ静物画でテーブルの線が左右でつながらないのも、水平に近い視線と見下ろした視線が混在しているのも、実はマネが先に採用して描いていた。そこからキュビスムへとつながっている。ゴーガンもマネの《オランピア》を模写し、タヒチでベッドに寝そべる裸婦を描いている。

 三浦はマティスの《コリウールのフランス窓》は、マネの《バルコニー》から人物を除いたものだという。マグリットはマネの《バルコニー》の人物を棺桶に変換している。ピカソもマネの作品を多く変奏している。

 さらに三浦は主張する。「絵画は物語を表したり、現実を描写したりするだけでなく、何よりも既存のイメージを操作して、新しいイメージを作り出す自由な行為であることを明確に示した。端的に言えば、絵画史を踏まえ、そこから作品を生み出す方向に大きく舵を切ることによって、絵画自体の在り方を本質的に変えてしまったのである」と。

 さらにデュシャンを引いて、「絵を描くときには物語性も、道徳的判断も、感情表現も不要であり、現実は再現するものではなく、カンヴァスの上に絵具で作り出すものであることを、マネは実践していった」。そして、感覚的、表層的な絵画という快楽主義的な側面を有しているとして、その延長線上にポップ・アートも位置していると言う。

 1983年にマネの死後100年を記念する大回顧展がパリとニューヨークで開かれた。その展覧会でもっとも参照頻度が高かったのが《オランピア》だった。

……この絵が20世紀になって近代絵画のイコンとしての存在感を次第に増していった状況が推察できる。伝統絵画の中核にあった裸体画の約束事から脱して、近代都市の売春婦を表す卑俗な主題現実性。そして、3次元の空間性や事物描写から、2次元の平面性、色彩や筆触など純粋に絵画的な要素へと重心を移した造形性。この二重の近代性(モデルニテ)によって《オランピア》は美術史の大転換を画した絵と見なされていたのである。

 すばらしいマネ論だと思う。12月16日付の毎日新聞「2018この3冊」にも、山崎正和が本書を取り上げて、次のように書いている。

西洋古典絵画史はマネに終わり、現代絵画史はマネに始まるという新説は、「メタ絵画」の概念の提唱とともにそれこそ革命的だが、練達の文章がその正しさを納得させる。フランス語での出版が切望される世界規模の傑作。

 「世界規模の傑作」と山崎正和が言うのだからその通りなのだろう。



2018-12-17

[]藍画廊亀山尚子展を見る



 東京銀座の藍画廊亀山尚子展が開かれている(12月22日まで)。亀山尚子は1970年静岡県生まれ、1995年に武蔵野美術大学大学院を修了している。大学院在学中の1994年東京芸術劇場展示室で初個展を開いた。初個展から非凡な作家だった。その後、藍画廊を主に、また23ギャラリーガレリアキマイラで個展を開き、VOCA展にも選ばれている。

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 亀山の個展は3年前の藍画廊以来だ。初期の頃の寒色系の色彩で抽象的な形から、近年は暖色系の色彩も使い植物のイメージも取り上げている。育児のため一時休止していた個展を再開してから植物のイメージが現れ、暖色系を使うようになった。この変化について、同じく育児を経験した丸野由希子と話したとき、丸野に「出産と育児を経験すると、抽象作品を作っている女性作家は色彩に暖色系が増え、植物などの形が画面に現れる傾向があるように思う」と言うと、丸野さんが、育児をすると子どもと一緒になって草花を見たり雲を見たりする、こんな小さな花が咲いているよと子どもに見せたくなる、それで画面に具体的な植物などが現れるのでしょうと言われた。

 今回は草花の外に水墨画のような静かな風景が描かれている。総じて亀山の作品に具象的な要素が浸透している印象を受ける。抽象一辺倒だった作家に具象的なものが現れるのを私は何度か見てきた。中津川浩章や浅見貴子、母袋俊也、赤塚祐二らがそうだった。そしてその場合、赤塚以外は成功していると思う。

 亀山の個展は3年ぶりだ。その前は4年ぶりだった。少なくとも2年に1度は発表してほしい。次の個展はぜひ2020年に!

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亀山尚子展

2018年12月17日(月)−12月22日(土)

11:30−19:00(最終日18:00まで)

     ・

画廊

東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル2F

電話03-3567-8777

http://igallery.sakura.ne.jp/

2018-12-16

[]サイト青山の井上活魂展「平成の貝塚より」を見る



 東京南青山のサイト青山で井上活魂展「平成の貝塚」が開かれている(12月16日まで)。井上に会ったことはないと思うけど、作品は上野桜木の画廊での個展や日本アンデパンダン展で何度か見ている。50代くらいの作家だと思う。

 今回はインスタレーションで、画廊中にプラスチック系のゴミが設置されている。画廊の入口に貼られた文章を写す。

色々な所に、ゴミが出る。

海に山に宇宙に……。都市にも溢れんばかりのゴミ。

プラスチックやペットボトル、用なしの物が……。

特に海の中は最悪らしい。

人間の地球での存在(悪)が露呈されているようで悲しい。

私も毎日のようにコンビニ弁当(プラスチック容器)や

ペットボトルのお茶の世話になっている。

プラスチックやペットボトルが沢山出るので、作品にして展示している。

友人に“平成の貝塚”と言われた。

古代の貝塚と現代の貝塚から、現代人(自分)のことを想う。

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 ゴミがぶちまけられたようなインスタレーションは決してきれいではない。だが、確かにこれがわれわれの世界、われわれの生活に違いない。便利できれいな日常生活は、その見えないところにこのようなゴミを隠しているのだということを、井上が告発している。

 世界は確実に壊れていっているのだ。私も含めて皆知らないふりをしている。

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井上活魂展「平成の貝塚

2018年12月11日(火)〜12月16日(日)

11:00〜19:00(最終日17:00まで)・

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サイト青山

東京都港区南青山2-7-9

電話03-3423-2092

2018-12-15

[]TIME & STYLE MIDTOWNの高柳恵里「自明」を見る



 東京六本木のミッドタウン ガレリア3階にあるインテリアショップTIME & STYLE MIDTOWNで高柳恵里「自明」が開かれている(12月21日まで)。高柳は1962年神奈川県生まれ。1988年に多摩美術大学大学院美術研究科を修了し、1990−1991年イタリア政府給費留学生としてミラノ国立美術学院に留学している。

ここTIME & STYLE MIDTOWNはおしゃれなインテリアショップで店内はかなり広い。ざっと見まわしたが、どれが展示品か分からない。スタッフに高柳さんを見に来たんですがと声をかけると、A3判の印刷された紙を2枚渡された。1枚は店内の配置図で高柳の作品がどこに設置してあるか詳しく記してある。もう1枚には個々の作品の解説が書かれている。

 その一部を写してみる。

インテリアショップでの展示について。


日常的に体験している、実生活と、生活のなかでのデザインへの嗜好とのずれ、インテリアショップ内で起きている演出、そしてイメージや願望を抱くこと、などは現実とどう絡み合うのか。


さて、ここに点在する作品は、どこに位置するものとなるのでしょうか。実用品と非実用品、商品と展示物、使っているのか、使っていないのか。ここにあるいずれのものにも当てはまるとも言えます。この空間のなかで異質な目を引く存在であるとしても、心地よく馴染んでいるとしても、美しい空間が出来上がっているとしても、それは疑似的な出来事かもしれません。(中略)


インテリアショップのなかで、全ての事物が分離して、そして、そこにあるはずの明らかな差異が際立つこと。

作品の有り様は、物事のそれぞれと親密になる一つのきっかけとなるような気もしています。

 展示の配置図を見ながら店内を探して歩き回る。まず入口近くのテーブルに「黒土」が置いてある。園芸店で売っている家庭園芸用のビニールに入った黒土だ。2袋あって、開封されているものと未開封のもの。黒土がテーブルの上に置かれているのは違和感がある。

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(写真撮影は許可されなかったので、この写真は店のHPから借用したもの)。

 その横の棚の上に空のガラスコップが置かれている。これについて、

「飲みさしのコップの水はどこに置けるのだろうか」


飲み物を飲んでいる途中に、持っているコップをふと置くことはよくある出来事です。

さてここで、私は、飲みさしのコップの水をどこに置くのでしょうか。

この作品は、展示を考えることについての疑念から始まっています。

 その近くには、三脚にセットされたカメラ、棚に置かれた筆、新品の靴と古い靴、ポツンと置かれた台車。

 また別の棚には、「糸をも」「藁をも」「接地面」と名づけられた小さな作品が置かれている。「糸をも」「藁をも」については、

藁をも掴む、と言いますが、強いのはどちらか、弱いのはどちらか、思えば思うほどどちらとも言えません。

糸くずも、細い針金も、ティッシュもまた…。

 同じく「接地面」について。これはビニールと紙と接着剤でできている。

面と面の連結が意識されている作品。

ささやかな物体の、ささやかな所に、言って見れば大袈裟に「面」を感じ、そこが着地する様子を吟味するようにして出来上がった作品です。

着地するほうも、される方も、強固な状態ではないし、どちらがどちらに着地しているとも言えない状況です。

 ほかに「紙袋」とか「ガラス壺」とか。「紙袋」は実際の紙袋だし、「ガラス壺」は伏せたガラス壺を撮影した写真をインクジェットプリントし額装して壁に展示している。

 いずれもデュシャンのレディーメイド作品同様に、作家がこれが自分の作品だと言明することで作品化している。店内を配置図を見ながら作品を探し回るのは意外にも楽しかった。スタッフに訊ねると高柳の作品を目当てに来る客は1日に2人くらいだと。勿体ない。

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 作品の店内配置図(一部)

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高柳恵里「自明

2018年11月19日(月)−12月21日(金)

11:00−21:00(無休)

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TIME & STYLE MIDTOWN

東京都港区赤坂9−7−4 東京ミッドタウン3階

電話03-5413-3501

http://www.timeandstyle.com

サントリー美術館と同じフロア

2018-12-14

[]片山杜秀ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』を読む



 片山杜秀ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』(文春新書)を読む。これが素晴らしい。片山は近代日本政治思想史の専門家、でありながら音楽評論家としても一流で、音楽に関する著書で吉田秀和賞を受賞している。私も何冊も片山の政治史の本をここで紹介している。『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『未完のファシズム』(新潮選書)、『見果てぬ夢』(新潮社)、『国の死に方』(新潮社新書)、島薗進との共著で『近代天皇論』(集英社新書)、いずれもすばらしかった。さらに音楽に関するエッセイも何冊もある。

 今回のタイトルは編集者が販売に益するよう付けたものだろう。正確にはヨーロッパ社会がわかればクラシック音楽の変遷がわかる、というような内容。

 クラシック音楽は教会音楽として始まった。ついで王侯貴族が文化の主役となり、次に市場経済が発達して市民階級(ブルジョワ)が王侯貴族の文化を模倣した。市民社会は自分たちも演奏を楽しむようになり、ロマン派の時代となる。大都会では豪華なオペラが全盛を迎えるが、一方教養を高めた市民層はより複雑な音楽を求めていく。グローバリズムが席巻したあとワーグナーが現れて「民族」を説く。しかし2つの大戦は人類に絶大なダメージを与え、音楽は壊れていく。

 神の音楽、グレゴリオ聖歌はモノフォニー(単旋律)で人の声だけ、楽器を伴わなかった。ついでポリフォニー(多声音楽)と楽器が多様化する。教会から世俗へ広がった音楽は巨匠を生む。バッハヘンデルテレマンらだ。それぞれが活躍した都市の大きさとの関係で彼らの音楽が語られていく。テレマンは当時の国際都市ハンブルグで4千曲以上を作曲した。バッハが活躍したのはドイツの小都市だった。教会の音楽を書いていたが同時代にはそれほど高い評価を受けなかった。バッハはひと時代前の音楽ポリフォニーにこだわっていたから。ヘンデルロンドンで活躍した。ロンドンは世界的な大都市になっていった。ロンドン市民は社交として合唱を愛好した。ヘンデルは演技を伴わない物語音楽、オラトリオの作曲に力を傾けた。

 ハイドンハンガリーの大貴族エステルハージ家に雇われる。ハイドンは貴族のためにオペラやシンフォニーを書いた。エステルハージ家では主人とゲストの上流階級のために作曲した。客たちは洗練されていて音楽の微妙な差異も聴き分けた。ハイドンは没落する貴族から去りロンドンに移った。ロンドン市民たちは貴族ほど洗練された耳を持たないので、ハイドンは分かりやすい曲を作りアレンジにも刺激的なけれん味を加える

 ベートーヴェンを語るに際して、片山は3点に要約する。1.わかりやすくしようとする。2.うるさくしようとする。3.新しがる。ベートーヴェンは洗練されていない市民を相手に分かりやすい曲を書く。大きな会場で演奏するので音を大きくする。ベートーヴェン交響曲は1作ごとに新しい切り口がある。

 市民社会市場経済はさらに発展していった。大都市の娯楽としてオペラが隆盛した。また教育というジャンルが勃興して楽器を演奏することがブルジョワのたしなみとして普及する。ピアノが発達し、家庭にも普及した。音楽学校ができ、音楽アカデミズムの世界が確立すれば、「閉鎖された専門家の世界が成立」する。市民の側にも「教養市民」が登場し、複雑な音楽を分かる市民は教養人であり高級な存在ということになる。クラシック音楽が難解な音楽というイメージをもつことになる。

 19世紀の最後を飾るにふさわしいワーグナーについて片山が要約する。

 ワーグナーが生まれ、その活動の拠点としたドイツは、資本主義のトップランナーであるイギリスや、革命で「自由・平等・友愛」を掲げ、近代政治思想をリードしたフランスに比べ、明らかに後進的存在でした。ワーグナーはその後進性を逆手に取り、近代と土着を結びつけた新しい民族主義を高らかに歌い上げたのです。これはニーチェなどの思想家のみならず、その後、ナチス・ドイツにも通じる政治思想へ影響を与え、さらには日本など近代に遅れて参加した国々にも大きな影響を及ぼしたと考えてよいと思います。

 その影響圏の広がりは、「市民の時代」の代表ベートーヴェンに匹敵する、まさに桁外れのスケールを持った“怪物”といえるでしょう。

 ワーグナーの後にシュトラウスマーラースクリャービンが続き、またシェーンベルクストラヴィンスキーラヴェルが語られる。シェーンベルクストラヴィンスキーラヴェルは第1次世界大戦後の壊れた世界を表現しているという。20世紀のクラシック音楽が第2次世界大戦の前の段階で到達した姿だと。

 本書は片山がしゃべったことを編集部がまとめたものらしい。とても読みやすく興味深い内容だった。



2018-12-13

[]MAHO KUBOTAギャラリーの多田圭佑展「エデンの東」を見る



 東京神宮前のMAHO KUBOTAギャラリーで多田圭佑展「エデンの東」が開かれている(12月22日まで)。多田は1986年名古屋市生まれ、2010年に愛知県立芸術大学美術科油画専攻を卒業し、2012年同大学美術研究科博士前期課程を修了している。2007年に名古屋造形大学で初個展、私は秋葉原にあったJIKKAというギャラリーで見てブログに紹介している。

 今回多田の2つのシリーズ「残欠の絵画」と「trace/wood」が展示されている。それについて、ギャラリーHPに次のように書かれている。

2016年に制作をスタートした「残欠の絵画」の一連の作品では、果物や花、キリスト像などの象徴的な静物や仮想世界の風景を主題として、絵画の表面がひび割れ、所々剥落したペインティングを制作してきました。ヨーロッパの古典絵画のように見えるその質感はまるで作品が遠い昔に描かれ、年月を経て徐々に古びた風合いに変化してきたように見えます。描かれているモチーフには特別な意味はなく、現代に存在する事物を作家はシンプルに視覚的なアイコンとして扱っています。絵画技法を通して作られた虚構の時間の気配がこのシリーズの蠱惑的な魅力を際立たせています。

一方、2015年に第1作が制作され、進化し続けている「trace/wood」のシリーズは、一見、木材を張り合わせて作った支持体にガラスや金属の破片をランダムに配置し、その間を絵具の色彩がつないでいるような、異素材によるアッセンブラージュ的な成り立ちのペインティングに見えます。しかしこれらの作品は実際にはモデリングペーストやアクリル絵具等、絵画を成立させるマテリアルのみで制作されており、純粋なペインティングとしての素性を保持しております。

いずれの作品も「目に映るものの正体を疑え」という強いメッセージを発しており、今回の新作展では作家の仕掛けるギミックにさらなる磨きがかかり、鑑賞者の視覚情報と認識そして概念の力学干渉し、新たな驚きをもたらすことになるでしょう。

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 「残欠の絵画」シリーズも「trace/wood」シリーズも優れた写実技法で、それらを単なる写実絵画に終わらせないでいるのが素晴らしい。「trace/wood」シリーズは、実際の床板や壁板を剥がしてきて設置しているように見える。少なくとも板材は本物でそこに絵具を塗っているかのように錯覚させられる。優れた描画技術を持っているのだ。

 このご時世でありながらほとんど完売していた。

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多田圭佑展「エデンの東

2018年11月21日(水)−12月22日(土)

12:00−19:00(日月祝休廊)

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MAHO KUBOTAギャラリー

東京都渋谷区神宮前2-4-7

電話03-6434-7716

http://www.mahokubota.com

ギャラリーは、東京メトロ銀座線外苑前駅3番出口を出て、青山通り渋谷方向に進み、南青山3丁目の交差点を右折、外苑西通りを進む。途中ワタリウム美術館があるがそれを通り過ぎ、神宮前3丁目交差点を右折、まもなく熊野神社があるのでその手前を左折して、最初のT字路を左折すると看板が見える。外苑前駅から徒歩6分。

2018-12-12

[]ギャラリー・ビー・トウキョウの松浦悠子個展を見る



 東京京橋ギャラリー・ビー・トウキョウで松浦悠子個展が開かれている(12月15日まで)。松浦は1995年愛知県生まれ、2018年金沢工芸美術大学工芸科を卒業し、現在同大学大学院修士課程に在学している。今回が初個展となる。

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 松浦は乾漆の技法で作品を制作している。画廊の正面奥にほぼ等身大と見える人体像が設置されていて、手前には台座に半身像が横たえて置かれている。全身像も半身像も見えている部分だけで成り立っていて裏側はない。形も精巧なので訊くと実際の人体から直接石膏で型取りしているという。横たわったモデルの上から石膏を塗っていくが、背中側までは石膏を塗れないので半身だけなのだという。

 それに漆を使って立体に仕上げていく。とても気持ちの良い形だった。実際のモデルから型取りして人体を再現する作家を二人知っている。二人とも男で、一人は錫を使い女性の一部分を正確に再現する立体を作っている。それが必要以上にエロティックなのだ。もう一人はもっぱら女性の尻だけを型取って再現している。二人とも過剰にエロティックなのだ。それらを見ているから、松浦の作品が気持ちよく感じられたのだった。

 乾漆技法によらずとも人体から直接型取りして制作する方法は可能だろう。では松浦の何を評価するのか。ひとつはそれを漆で作り、磨き上げたようなきれいな表面を志向しないこと。もう一つは人体の作るポーズがエロティックな方向を志向していなくて、作家の健全な美意識が感じられることだ。なお、胸が小さく見えるのは、モデルが仰向けに寝ているのでどうしても平たく流れてしまうためらしい。

 漆を使った立体からこんなに面白い作品が生まれているのは驚きであり将来が楽しみだと思った。

     ・

松浦悠子個展

2018年12月10日(月)−12月15日(土)

11:00−19:00(最終日17:00まで)

     ・

ギャラリー・ビー・トウキョウ(GALLERY b. TOKYO)

東京都中央区京橋3-5-4 第1吉井ビルB1

電話03-5524-1071

http://www.gallery-b-tokyo.com

警察博物館LIXILの間の小路を入った右側、主婦と生活社手前

2018-12-11

[]ギャラリイKの洞山舞展「鉄に溶ける」を見る



 東京京橋のギャラリイKで洞山舞展「鉄に溶ける」が開かれている(12月15日まで)。本展は毎年恒例の多摩美大学院彫刻専攻生の選抜展だ。つまり多摩美大学院彫刻科一押しの作家が取り上げられている。

 洞山は1992年岐阜県生まれ、2017年多摩美術大学彫刻学科を首席で卒業している。ことしいりや画廊で初個展。大学では多和圭三に師事し鉄を使った彫刻を制作している。現在同大学大学院博士課程前期課程彫刻専攻に在籍している。

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 立方体の作品は御影石の桝型を作り、そこへ鉄の造形物をはめ込んでいる。鉄は小さな塊を溶接して成形し、石の枠にはまるように削っていった。きわめて寡黙な作品だ。重量は100キロを超えているという。

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 もう一つの作品は拳より小さな鉄の塊を溶接して枝のように伸ばしていったもの。左右2メートルあるが、立方体の作品より軽いという。洞山の過去の作品をファイルの写真で見せてもらったが、鉄を使いながら割合奔放な形を作っている。その意味では立方体の寡黙な作品の方が洞山としては異色なようだ。

 普段大きな作品を作っているが、ギャラリイKのエレベーターの規制からやや小さめの作品を展示しているという。初個展のいりや画廊は重量や大きさの規制が少ないので作りやすかったのだろう。本来奔放な作風の作家のようだった。

 ただファイルに塊のような作品があったので訊くと、国立台湾芸術大学の企画した展覧会に送った作品とのこと。出品規定の関係で小さなものを作ったという。それは今回の立方体の作品とも共通して内向している印象を受けた。すると洞山は奔放な作風にも内向した寡黙な作風にも優れた資質を持っているのではないか。

 さすが多摩美大学院彫刻科一押しの作家だと思った。師の多和圭三から強い影響を受けているようだ。千里の馬は常にあれども伯楽は常には在らじの諺を思い出す。

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洞山舞展「鉄に溶ける」

2018年12月3日(月)−12月15日(土)

11:30−19:00(土曜日17:00まで)日曜休廊

     ・

ギャラリイK

東京都中央区京橋3-9-7 京橋ポイントビル4F

電話03-3563-4578

http://galleryk.la.coocan.jp/     

2018-12-10

[]ギャラリー川船の「歳末正札市」が始まった



 東京京橋ギャラリー川船で師走恒例の「歳末正札市」が始まった。150点近くの作品が画廊の壁を覆っている。いずれも大変安い価格が付けられている。

 一例をあげると、一番高いのが山下菊二のガッシュが90万円だが、井上長三郎の4号油彩が38,000円、麻生三郎のエッチングが35,000円、宮崎進の25号油彩が15万円、丸山直文のアクリル画が8万円、カジ・ギャスディンの水彩は8千円だ。田淵安一のリトグラフが12,000円、ほかに鳥海青児、五姓田義松、阿部合成、須田剋太、荻太郎、難波田史男、津高和一、堀内正和などがある。

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 見るだけでも興味深い。ぜひ画廊へ足を運んでみてほしい。ギャラリー川船のホームページには主な作品の画像と作品リストが掲載されている。

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歳末正札市

2018年12月10日(月)−12月15日(土)

11:00−19:00

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ギャラリー川船

東京都中央区京橋3-3-4 フジビルB1F

電話03-3245-8600

http://www.kawafune.jp/

2018-12-09

[]高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい?』を読む



 高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい?』(講談社)を読む。副題が「日本文学盛衰史 戦後文学篇」というもの。日本文学史を扱ったものと思って読み始めたが違った。

 ゼミ生の前で先生が講義しているように見える。映像を流しているが、そこではイノウエさんが演歌を歌いながら襦袢姿で踊っているらしい。「停止」ボタンが押され、画面が暗くなった。ここまでの感想を聞かれ、

(ひとことでいうと「昭和」っすね)


 そういったのは、Yちゃんだ。ちなみにYちゃんは、イサカコウタオウとオンダリクのファンで、身長175センチ、合気道部に所属している。

 イノウエさんとは井上光晴ではないか。学生たちは作家の名前をほとんど知らない。先生が50人ほどの名前を挙げたが、誰も知らなかった。シイナリンゾウって知ってる? と聞いたときに「シイナリンゴと関係ありますか?」と答えた子がいた。

 高橋は明治学院大学でたぶん文学を教えている。これらは高橋の体験なのだろうか。次の章ではサルトルの『実存主義とは何か』をラップで歌っている。

 ホリエモンの文章が紹介され、武田泰淳の文章と比べられる。ホリエモンの文章にはおよそ「抵抗」というものがない。超電導物質のようなものだ。この文章は、スタートした瞬間に、目的地に到達している。武田泰淳の文章には「抵抗」がある。

 次の章はツイッター形式で語られる。様々な人物が短文で書き込んでいく。主人公(タカハシさん)であったり、奥泉光であったり、角田光代のつぶやきや、島田雅彦のつぶやきが唐突に挟まれる。かと思うと石川啄木がつぶやいている。小林秀雄大岡昇平が会話を始めて、中原中也が加わる。

 また「たぬきちの『リストラなう』日記」というブログが紹介される。これは現実にあるブログで、光文社の編集者が書いている。

「私ことたぬきちは、都内のわりと大手と思われる出版社で働いています。/業界の売り上げ順位では現在のところ10位…くらいかな? もうちょい下になっているかな? /書籍も雑誌もやっている、一応『総合出版社』です。/たぬきちはバブル時代の入社組で、もう20年働いています。編集、宣伝、販売といったセクションを経験しました。

 そしてこのブログが引用される。本が売れなくなったことが語られる。また1960年代後半に刊行が開始された「現代詩文庫」が20年すこしで全100巻の第1次が完結した。当時多くの若者が現代詩を読んでいた。書店にも「現代詩文庫」が並んでいた。もう二度と詩がかつてのような熱狂的な読者を獲得することはないだろう、と。かつての「場」が失われたのだ。

 次の章はセックスピストルズの歌詞が綴られ、ブントの島成郎の『ブント私史』が紹介される。

 「サイタマの『光る海』」の項は4回連続で語られる。ヒップホップから始まり、石坂洋次郎の『光る海』が評価されている。ついで『青い山脈』が。そしてジブリの宮崎駿との対談に続く。

 終盤でタカハシさんの長男卒園式の日に東日本大震災と原発事故が起こったことが語られる。それを、「タカハシさん、「戦災」に遭う」と名づけて書いていく。山田風太郎の『戦中派不戦日記』が引用される。ヤマダさんという医学生となっているが。オザワノブオくんの戦災の記載は誰のことだろう。小沢信夫『東京骨灰紀行』はまだ読んでない。さらに和合亮一ツイッター詩「詩の礫」を何ページも引く。加藤典洋の「死神に突き飛ばされる――フクシマ・ダイイチと私」が引かれる。

 途中、これは評論ではないと断言している。「日本文学盛衰史」とあったから評論だと思って読んでいたのに。確かに評論としては変なのだ。じゃあ、フィクション=小説なのか? 小説という形にもなじまないだろう。不思議な変わった形式の本だった。あまり書評の対象にもなっていなかったようなのは、読んだ人だれもが戸惑っているためなのかもしれない。私も含めて。


2018-12-08

[]TAKU SOMETANIギャラリーの小西景子展「Co-shape」を見る



 東京日本橋馬喰町のTAKU SOMETANIギャラリーで小西景子展「Co-shape」が開かれている(12月16日まで)。小西は2016年京都市立芸術大学美術学部版画専攻を卒業し、2018年に同大学大学院修士課程版画専攻を修了している。DM葉書のテキストから、

小西景子は、シルクスクリーンによって二つの像を重ね合わせ、作品を制作しています。

その像は混同したり分解したり互いに影響しあい、鑑賞者は作品から多様な感覚を受け取ることが出来ます。

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 小西も画廊が配布するちらしに書いている。

 点描のように、密集するドットが1つの画像を浮かび上がらせる。

 画像の陰影があるから点が存在し、点が陰影を作るから画像が存在するという状況をCo-shape(共形)と呼ぶことにした。

 網点と全体は個々で形を成しながら同じものでもあり、それは“私”と“私の細胞”のように意識し合っていないが、互いが互いを成り立たせている関係と似ている。

 また、インクジェットで印刷された画像の上に網掛けの別の画像を重ね合わせると。2つの像が影響し合いながら画面を作り上げる。これも共形のひとつだと考えている。一見、無関係に見える画像が結び付くことで生まれる、構図のバランスやリズムを見つけることで、2つの像が関係を持ち、切り離せないものへと変わっていく。(後略)

 TAKU SOMETANIギャラリーは新しいギャラリーだ。JR総武線浅草橋駅総武快速線馬喰町駅からほぼ等距離にある。2階にSAN-AIギャラリーが入っているビルの4階になる。

 企画展を基本にしてアートフェアにも参加してやっていくという。

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小西景子展「Co-shape」

2018年11月24日(土)―12月16日(日)

13:00−19:00(月曜日休廊)

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TAKU SOMETANIギャラリー

東京都中央区日本橋馬喰町2-4-1 Bakurocactus 4F

電話090-8689-8050

http://www.takusometani.com

2018-12-07

[]ギャラリーなつかの高浜利也展を見る



 東京京橋ギャラリーなつかで高浜利也展が開かれている(12月22日まで)。高浜1966年兵庫県姫路市生まれ、1988年武蔵野美術大学を卒業し、1990年武蔵野美術大学大学院修士課程を修了している。1998年からタイ国立大学に脚韻研究員として滞在した。

 高浜北海道の落石地区で落石(おちいし)計画を実行している。そのことについて、なつかのHPで書いている。

すべてのものは朽ちてゆく。旧落石無線送信所跡で毎夏、『銅版の茶室』として積み上げられた銅版画(石膏キューブ)は年間を通して落石岬の過酷な気象条件に晒され、つくるそばから朽ちはじめ風化が始まる。その現実を受け入れながら、さらに石膏キューブを積み上げる。つくる、くちる、つくる、の繰り返し。強酸性の腐食液によって強制的に銅を朽ちさせながら絵をつくっていく銅版画のプロセス同様、この地では塩分を含んだ深い霧に包まれながらすべてのものが等しく、加速度的に朽ちてゆくのである。風化した銅版画の上に、さらに積み上げ続けられる新たな銅版画。本展は朽ちることの象徴としての銅版画をテーマに、2012年に開催された『落石計画第5期 銅版画試論―つくること、ゆだねること― 』の続編として位置づけ、現場でつくりながら、あらためてふたりにとっての銅版画の在り方を問うものである。

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 今回画廊の正面の壁に正方形の小品が8枚x8列=64枚展示されている。これでひとつの作品で、落石計画の展示と同じらしい。

 高浜の作品にも何かの形が透けて見えている。植物のようだったり家の形をしたりしている。一見落書きのようでもありながら、高浜の形は強いと思う。思い返せば、私が初めて現代美術の作品を買ったのは25年前の日本橋高島屋コンテンポラリーアートスペースでの高浜の個展でだった。好きな版画家の一人なのだ。

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高浜利也展「朽ちる家 −落石計画(おちいしけいかく)より―」

2018年12月3日(月)−12月22日(土)日曜休廊

11:00−18:30(土曜日17:00まで)

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ギャラリーなつか/Cross View Arts

東京都中央区京橋3-4-2 フォーチュンビル1F

電話03-6265-1889

http://gnatsuka.com/

2018-12-06

[]ガルリSOLの石垣むつみ展を見る



 東京銀座のガルリSOLで石垣むつみ展が開かれている(12月8日まで)。石垣東京生まれ、文化学院デザイン科・芸術科を修了している。1993年目黒ギャラリークラマーで個展を行い、その後この砂翁や空想ガレリアギャラリーYORIギャラリー紡、ギャラリーf分の1、ギャラリーテムズ、ガルリSOLなどで個展を開いている。

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 石垣は抽象的な画面を作っているように見えるが、まぎれもなく具体的な形がもとになっている。植物のような花のような形が描かれている。それはとても可能性に富んでいると思える。その方向に混迷に陥っているように見える絵画のひとつの打開点があるのではないだろうか。

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石垣むつみ展

2018年12月3日(月)−12月8日(土)

11:00−19:00(最終日17:00まで)

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ガルリSOL

東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル6F

電話03-6228-6050

http://www005.upp.so-net.ne.jp/SOL/

2018-12-05

[]小林紀晴『写真で愉しむ 東京「水流」地形散歩』を読む



 小林紀晴『写真で愉しむ 東京「水流」地形散歩』(集英社新書)を読む。写真家である小林が大型カメラを担いで、東京の河川を歩き回った記録だ。小林は写真家でありながら『メモワール』とか『ニッポンの奇祭』など興味深いエッセイを書いている。

 本書はちょっと中沢新一アースダイバー』に似ている。が、中沢とは違って地層を読んで古代史に思いをはせるとまでは踏み込まなくて、常識的に想像できるところまでにとどまっている。それでは退屈かといえば、そんなことはなくて、河川が作った地形や東京の歴史を表面的にではなく掘り込んでいる。

 主なところにデジタル標高地形図が引用されていて、高低差が明暗で表されているので普通の地図と違って立体感が想像できる。赤羽付近の日暮里崖線とか国分寺駅付近の国分寺崖線ハケとも呼ばれる)、ヒトデのような谷が分かる四谷あたり、杉並区中野区を東西に流れる神田川善福寺川、小林はそれらの流れに沿って歩き、高低差の露出しているところを撮っている。新宿駅近くから流れ下る渋谷川新宿御苑を通って渋谷駅近くは暗渠になり、天現寺橋付近で古川と名前を変えて東京湾へ流れ下る。

 本書には共著者がいて、地図研究家の今尾恵介が科学的な解説を付け加えている。こんな地味な本が意外に面白かったのは小林の語り口の上手さだろう。いや、小林の好奇心の持ち方が面白いのかもしれない。続巻、続々巻が書かれればいいのに。

 ちょっとだけ不満は、大型カメラ(シノゴ、4×5)で撮っていながら、新書なので写真が小さく写真の肌理も粗いこと(写真分解の線数の問題)ともう少し詳しい普通の地図も付けてほしかった。口絵に数ページカラー写真を付けてくれても良かったのに。

 国分寺崖線を示した国分寺駅付近の写真を引用する。

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2018-12-04

[]Art Mallの山崎康譽コラージュ展を見る



 東京日本橋三越前のArt Mallで山崎康譽コラージュ展が開かれている(12月9日まで)。山崎は1952年東京生まれ、1978年に東京学芸大学大学院を修了している。その後バングラデシュ国立芸術大学へ留学してリトグラフを学んだ。1979年バングラデシュダッカで初個展、日本では同じ年に画廊春秋で初個展を行っている。以来、ギャラリー千代田ギャラリー百合で個展を開いているが、1993年からギャラリー汲美で個展を続けて11回に及んでいる。汲美が閉廊したのちは、ポルトリブレや由芽で個展を重ねている。なお、名前の康譽は「やすたか」と読む。

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 今回は小品のコラージュ作品を展示している。この方法が山崎の作品に向いていることがよく分かった。また山崎の作品が都会的であることも今回のコラージュ作品で知った。洒落ているのだ。そのことは山崎が都会育ちだということと関係があるのだろうか。

 コラージュが山崎の作品に向いていると書いたが、一体に山崎の作品は中心を持たない。図像や記号が散りばめられていて装飾的で完成度が高いのに、それがまさに山崎の世界なのだ。

 Art MallはCOREDO室町のすぐ裏手で、カステラの文明堂の隣でもある。東京メトロ銀座線三越前」駅A4出口から徒歩3分、半蔵門線三越前」駅A1出口から徒歩5分である。

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山崎康譽コラージュ

2018年12月4日(火)−12月9日(日)

12:00−20:00(最終日17:00まで)

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アートモールArt Mall

東京都中央区日本橋室町1-13-10

電話03-6262-1522

http://www.artmall.tokyo

2018-12-03

[]堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衛のこと』を読む



 堀田百合子『ただの文士 父、堀田善衛のこと』(岩波書店)を読む。堀田善衛の娘が父のことを書いている。とても気持ちの良い読書だった。著者堀田百合子のことは長谷川康夫の『つかこうへい正伝1968−1982』(新潮社)で知った。つかは堀田百合子と慶応大学同級生で、彼女のことが好きだった。百合子は長谷川につかのことを問われて、「ボーイフレンドの一人かな」と答えている。さらに、彼女はつかについて、「ほら、彼って利にさといでしょう」と言ってのける。

 堀田善衛富山県の廻船問屋の息子だった。一族郎党は100人を数えたという。生涯学校も含めてほとんど会社勤めをしたことがなかった。文筆だけで食べていたようだが実家の資産も大きかったのだろう。百合子の文章は穏やかで上品だ。つかが惚れたのだから綺麗な女性で上品なお嬢様だったのだろう。つかが相手にされなかったのもよく分かる。

 百合子は作家である父のことを娘という視点から書いている。父の文学評価には立ち入らないで、娘だから書けることに限定して堀田善衛の日常を教えてくれる。それはとても気持ちの良い記載だった。ゴヤ論が完成したときのことを紹介したところで、思わずもらい泣きしそうになった。

 晩年も妻と二人でスペインに10年ほど住んで『定家明月記私抄』などを書いた。娘は何度も日本とスペインを往復して父を助けている。理想的な家族関係が綴られる。

 気持ちよく読み終わって「おわりに」まできて驚いた。

 書きたかったことも、書けなかったこともありました。書かなかったこともあります。楽屋話の嫌いな父でした。楽屋裏のそのまた裏は、書かないことにいたしました。ご勘弁ください。

 これは納得した。しかし、次のくだりに驚いたのだった。

 この稿に登場しなかった家族、兄がいます。学生時代に父の仕事の手伝いに来て以来、わが家に寄宿し、その後父母と養子縁組をし、私の兄となった人です。勤めの傍ら、父の仕事を手伝い、ある意味父の黒子に徹した人でした。父の著作の中には、兄がいなければ出来上がらなかった作品もありました。亡き兄・佐久夫の存在があったからこそ、私は自由でした。

 夫・松尾俊之に感謝の意を表したいと思います。父の回想などという大仕事に七転八倒する私を、傍で黙って見守ってくれました。

 百合子には兄もいたし夫もいる。それらが本書からは全く消されている。養子に対して堀田善衛はどう考えていたのか。娘の結婚についてどんな気持ちでいたのか。嬉しかったのか、我慢したのか。すると書かれなかったことが数多くあるのだろう。最後になって少し不満が生じたのだった。


ただの文士――父,堀田善衞のこと

ただの文士――父,堀田善衞のこと

2018-12-02

[]虫明元『学ぶ脳』を読む



 虫明元『学ぶ脳』(岩波科学ライブラリー)を読む。副題が「ぼんやりにこそ意味がある」というもの。裏表紙惹句より、

脳では様々なネットワークが常に切り替わりながら活動している。何もしていない時にも、脳は活発に活動する。その活動は、脳全体を統合し、記憶や想像、自己の認識や他者の認知にも関係する。ぼんやりしている時に脳のネットワークは再構成され、そこに新たな気づきやひらめきが生まれる。より良い学び方を脳に学ぶ。

 脳は安静時にも活動している。安静時、ぼんやりと何もしていない時、脳のネットワークは外界との入出力に影響されずに、それぞれ別の機能を持ったモジュール自律的自己組織化して働くことができる。

 安静時に活動する脳活動のネットワークを、本書では5つに分けている。感覚と運動に関わる感覚運動ネットワーク、内臓などからの内受容感覚や、外界からの外受容感覚の情報を受ける気づきネットワーク認知機能全般に関わる執行ネットワーク、安静時の活動の主体をなす基本系ネットワーク短期記憶を長期記憶に変換する皮質下ネットワークだ。特に基本系ネットワークは注意を内面に向けた時(内的注意)やぼんやりした時などに活動する。また自由に想像するなどの発散的思考や、社会的認知、自己に関する回想的、展望的な語り(ナラティブという)を形成する働きにも関与する。

 本書では学びに関わる脳の仕組みを4つの段階に分類して説明する(身体脳、記憶脳、認知脳、社会脳)。感覚運動ネットワーク主体の身体脳、短期的な記憶を長期的な記憶として大脳皮質に留める役割の記憶脳、認知脳は目標達成のために、ルールや様々な状況を分析する高次の精神機能を学ぶ部位で、執行ネットワーク主体的に関わる。一般的に執行ネットワークは外界や概念化した対象へ向かい、基本系ネットワークは自己や他者の心の内面に向かう。社会脳は対人関係を介した相手の理解、いわゆる社会認知を学ぶ部位で、基本系ネットワーク主体的に関わる。

 長期の記憶は2つに分類される。意識化でき、言語として、または具体的な映像として報告できる記憶を明示的記憶またはエピソード記憶という。対して自転車の乗り方など行動でしか示せない記憶を暗示的記憶という。記憶の定着は学習後の睡眠や安静の時期に起こる。記憶直後の安静や睡眠を妨げると記憶がきちんと固定しない。

 日常の多くの判断や行動は記憶脳での学びの結果として自動的・習慣的に行われる。しかし記憶脳は合理的でない行動をもたらすことがある。これは認知バイアスとして知られている。認知脳は、行動の損得を短期的な利得より長期的な利得という長い時間尺度で判断する働きに関わっている。また行動の目標に応じて作業記憶を使って複数の行動計画を検討し、先読みを行い、これから行う一連の行動の決定に関わる。認知脳は記憶脳の認知バイアスに抵抗して、合理的な判断をすることができる。

 社会脳では他者の視点を学ぶことが重要とされる。他者との協働では他者をある程度理解することが前提になる。その能力が共感性である。共感性には3つの側面がある。感覚運動的共感は動作や表情の模倣などによって他者の意図や情動を理解するもの。受動的共感は他者の身体へ向けられた痛みなどを自分の身体の痛みのように感じたり、他者の情動表現を見るだけで様々な情動に共感する仕組みである。認知的共感性は、他者がどう考えているかを理解する共感性だ。また自分が他者を理解するというだけでなく、他者視線で事態を理解するということでもある。

 最後に創造的な学びについて語られる。様々な事例から、創造性を発揮する人は、しばしば自分の中にいろいろな多様性を併せ持った混乱している人(messy mind)であるという。また創造性にまつわる多くの逸話では、気づきの瞬間について、ぼんやりとしている時にふと良いアイデアが浮かぶことがあると指摘されている。1日の生活の中に少しでもぼんやりする時間を習慣的に持つことは、基本系ネットワークの発散的思考を最大限に活動させることにつながる。

 本書は学びに関する脳の機能、仕組みを分かりやすく語っている。どんな形で学ぶのが効率的か少しわかった気がする。これからは集中するばかりでなく、ぼんやりもしよう。昔グレアム・グリーンの『落ちた偶像』を酒を飲みながら一晩で読み終えたとき、翌日全く内容を覚えていなくて驚いたことがあった。あれも過度の飲酒で記憶が定着しなかったのかもしれない。



学ぶ脳――ぼんやりにこそ意味がある (岩波科学ライブラリー)

学ぶ脳――ぼんやりにこそ意味がある (岩波科学ライブラリー)

2018-12-01

[]eitoeikoの入江一郎展「ペタン師」を見る



 東京神楽坂ギャラリーeitoeikoで入江一郎展「ペタン師」が開かれている(12月22日まで)。入江は東京生まれ。2歳より両親に連れられロサンゼルスに移住。作家、キュレーターコンテンポラリーアート専門の RiM マガジンを編集する。アーティストとしては国際的に発表し、ロサンゼルスでは DENK ギャラリーにて個展を、メキシコシティでは Yautepec で、東京では eitoeiko で発表する。近年の参加展覧会に「めがねと旅する美術展」(開催中、青森県立美術館/島根県立石見美術館/静岡県立美術館)。

 今回の個展ではポスターなどを壁に固定するいわゆる「ひっつき虫」(=ポスターパテ)を素材に作品を作っている。「インポスター(シリーズ)は、ポスターパテと呼ばれる事務用品を用いて制作され、現代美術や写真、映画や音楽など、入江が10代や20代の頃に同世代の間で流行したものを二次元のイメージに変換し作品化しています」とギャラリーHPにある。3色ほどのポスターパテを練って必要な色を作り、それを使って平面作品を作っている。ポスターパテを使うことから、映画などのポスターを引用した作品としている。

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D. リンチ監督のテレビ映画『ツインピークス』

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キューブリック監督の『ロリータ

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ブレードランナー

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アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エル・トポ』『サンタ・サングレ』『ホーリー・マウンテン

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ジョン・レノンオノ・ヨーコ

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アラーキー緊縛写真

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ロック・バンドなどのマーク(宗教的熱狂に通じるという)

 入江さんは静岡県立美術館のオープニングに行っているとかで会えなかった。結構年配の作家らしい。

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入江一郎展「ペタン師」

2018年11月24日(土)−12月22日(土)

12:00−19:00(日月祝休廊)

     ・

Eitoeiko

東京都新宿区矢来町32-2

電話03-6873-3830

http://www.eitoeiko.com

神楽坂の矢来公園すぐ近く