高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい?』を読む

 高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい?』(講談社)を読む。副題が「日本文学盛衰史 戦後文学篇」というもの。日本文学史を扱ったものと思って読み始めたが違った。
 ゼミ生の前で先生が講義しているように見える。映像を流しているが、そこではイノウエさんが演歌を歌いながら襦袢姿で踊っているらしい。「停止」ボタンが押され、画面が暗くなった。ここまでの感想を聞かれ、

(ひとことでいうと「昭和」っすね)


 そういったのは、Yちゃんだ。ちなみにYちゃんは、イサカコウタオウとオンダリクのファンで、身長175センチ、合気道部に所属している。

 イノウエさんとは井上光晴ではないか。学生たちは作家の名前をほとんど知らない。先生が50人ほどの名前を挙げたが、誰も知らなかった。シイナリンゾウって知ってる? と聞いたときに「シイナリンゴと関係ありますか?」と答えた子がいた。
 高橋は明治学院大学でたぶん文学を教えている。これらは高橋の体験なのだろうか。次の章ではサルトルの『実存主義とは何か』をラップで歌っている。
 ホリエモンの文章が紹介され、武田泰淳の文章と比べられる。ホリエモンの文章にはおよそ「抵抗」というものがない。超電導物質のようなものだ。この文章は、スタートした瞬間に、目的地に到達している。武田泰淳の文章には「抵抗」がある。
 次の章はツイッター形式で語られる。様々な人物が短文で書き込んでいく。主人公(タカハシさん)であったり、奥泉光であったり、角田光代のつぶやきや、島田雅彦のつぶやきが唐突に挟まれる。かと思うと石川啄木がつぶやいている。小林秀雄大岡昇平が会話を始めて、中原中也が加わる。
 また「たぬきちの『リストラなう』日記」というブログが紹介される。これは現実にあるブログで、光文社の編集者が書いている。

「私ことたぬきちは、都内のわりと大手と思われる出版社で働いています。/業界の売り上げ順位では現在のところ10位…くらいかな? もうちょい下になっているかな? /書籍も雑誌もやっている、一応『総合出版社』です。/たぬきちはバブル時代の入社組で、もう20年働いています。編集、宣伝、販売といったセクションを経験しました。

 そしてこのブログが引用される。本が売れなくなったことが語られる。また1960年代後半に刊行が開始された「現代詩文庫」が20年すこしで全100巻の第1次が完結した。当時多くの若者が現代詩を読んでいた。書店にも「現代詩文庫」が並んでいた。もう二度と詩がかつてのような熱狂的な読者を獲得することはないだろう、と。かつての「場」が失われたのだ。
 次の章はセックスピストルズの歌詞が綴られ、ブントの島成郎の『ブント私史』が紹介される。
 「サイタマの『光る海』」の項は4回連続で語られる。ヒップホップから始まり、石坂洋次郎の『光る海』が評価されている。ついで『青い山脈』が。そしてジブリ宮崎駿との対談に続く。
 終盤でタカハシさんの長男の卒園式の日に東日本大震災原発事故が起こったことが語られる。それを、「タカハシさん、「戦災」に遭う」と名づけて書いていく。山田風太郎の『戦中派不戦日記』が引用される。ヤマダさんという医学生となっているが。オザワノブオくんの戦災の記載は誰のことだろう。小沢信夫『東京骨灰紀行』はまだ読んでない。さらに和合亮一ツイッター詩「詩の礫」を何ページも引く。加藤典洋の「死神に突き飛ばされる――フクシマ・ダイイチと私」が引かれる。
 途中、これは評論ではないと断言している。「日本文学盛衰史」とあったから評論だと思って読んでいたのに。確かに評論としては変なのだ。じゃあ、フィクション=小説なのか? 小説という形にもなじまないだろう。不思議な変わった形式の本だった。あまり書評の対象にもなっていなかったようなのは、読んだ人だれもが戸惑っているためなのかもしれない。私も含めて。