村上隆『芸術起業論』を読む

 村上隆『芸術起業論』(幻冬舎文庫)が文庫化されたので購入して読んだ。おなじようなことを言葉を変えて何度も言っていて、あまり情報は多くない。加えて頻繁に改行を企てていて必要以上にページを稼いでいる。といっても文庫本で220ページくらいしかない。
 リキテンシュタインとウォーホルについて、おもしろいことを言っている。

 リキテンシュタインの価値はまだ高いのですが、何年後かには消費され終わってしまうのかもしれません。
 ウォーホールの作品は、感動も呼ばないし、インテリジェンスもありません。むしろ感動を呼ばないように細心の注意を払っていたりする……しかし一方でリキテンシュタインはインテリだし作品のクオリティも高いし生前に評価されたわけです。
 ところが死後になると、美術の世界のルールを変えたウォーホールの人気こそがうなぎのぼりなのです。
 そんなふうに、欧米の美術の世界では、ルールとの関係性における「挑戦の痕跡」こそが重んじられるというリアリティがあるのです。欧米におけるアートはルールのあるゲームです。

 そうだろうか。ウォーホルとリキテンシュタインの評価が変わったとしたら、評価軸が大衆のそれに降りてきて、その時大衆は自分たちでも理解できるウォーホルを選んだと考える方が納得できるのではないか。茂木健一郎もウォーホルの大きな作品を見て神の降臨だって言っていたし。それを聞いたとき、美術の世界では茂木も大衆だと思った。
 村上は世界に通じる画家を目指す若者たちを鼓舞する。日本の特性を武器にして欧米と戦えと。それが「アニメ」とか「オタク」とか「カワイイ」とかって、情けなくないだろうか。
 村上は欧米の美術の世界で成功した。だから自分を手本にしろと言っているようだ。彼の工房カイカイキキのスタッフにそう言っているように。だけど村上の欧米での成功はある種のゲテモノとしての成功ではないだろうか。
 あとがきを読むと、編集者たちへの謝辞が連ねられている。幻冬舎の編集者には、4年近くの歳月を費やしたこと、本2冊分をチャラにしてまだ完成させようとしたことを。さらに原稿制作に関わってくださったとして何人かのフリーの編集者の名前があがっている。
 これらのことから、村上が編集者たちを相手に何度も何度も口述し、それをまとめたのが本書だと想像できる。だから構成が甘いし、主張も論理的に一貫していない印象を受ける。
 もっとも私は何も分かっていないのかもしれない。25年以上前に村上が渋谷のマンションの一室でヒロポンファクトリーを開いていた頃から面白いけど変な作家だとかしか見ていなかったし、ロンサムカーボーイを小山富美夫ギャラリーで発表したときも見に行って、小山さんがアメリカ人はこれを300万円で買うんだというのを聞いて、アメリカ人て馬鹿だなあなんて思っていた。その後その作品は転売されて最後は16億円にもなったのだったが。

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

芸術起業論 (幻冬舎文庫)