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2017-03-17

[]東海林さだお『サンマの丸かじり』を読む



 東海林さだおの「食」の長期連載エッセイの文庫版最新作で39冊目の『サンマの丸かじり』(文春文庫)を読む。単行本はさらに数冊は刊行されているはず。もとは『週刊朝日』に毎号見開き2ぺージで連載されているもの。東海林さだおのエッセイを読むのはこれが初めてだった。

 最初の章「好漢! キャベツ」の冒頭を引く。

 キャベツについて深く考える人はいるだろうか。

 八百屋にキャベツが並んでいる。

 スーパーの野菜コーナーにキャベツが並んでいる。

 それを見て、

「うむ。キャベツが並んでいるな」

 と思う人はいるだろうか。

 キャベツが並んでいるのを見て、

「これはキャベツという名前の野菜である」

 と認識する人はいるだろうか。

 それほど人々のキャベツに対する認識は薄い。

 薄い、というより、ない。

 ま、一日中キャベツのことばかり考えている人もいないと思うが……。

 句点ばかりか読点でも改行している。これを読んで綿菓子を思い出した。綿菓子は一つまみのザラメを専用の機械で作る。甘くておいしいけれどほとんど空気のようなものだ。食べごたえが全くない。しかたない、一つまみのザラメなのだから。東海林さだおの「丸かじり」エッセイは綿菓子のようにスカスカなのだ。

 巻末の「解説」で椎名誠が書いている。

 ぼくがある週刊誌に、本書のような2ページの連載エッセイを書くことになったとき、面白く書くコツのようなものを聞いたことがあった。

 「そういうことを意識しては書けないかもしれませんよ」と、東海林さんは言った。(中略)

 「改行を多くしたほうが読みやすいからいいみたいですよ」

 とも言われた。

 「〜いいみたいですよ」と伝聞のような言い方をしている。そのように編集者から言われたのだろう。おそらく読みやすくするためもあるが、本当は水増しし、情報量の少ない内容をかさ上げして毎週週刊誌2ページを埋めるためのテクニックなのだろう。

 キャベツの章の後半で、東海林が野菜が穫れすぎたときの対応に触れている。穫れすぎて値段が暴落する。このときも主役はキャベツであると。広々とした高原のキャベツ畑をトラクターが進んでゆく。トラクターは次々とキャベツを踏み潰してゆく。

 なぜそんな事態が時々起きるのにキャベツ農家はキャベツを作り続けるのか。以前農業の資材メーカーの営業マンに話を聞いたことがある。農協でキャベツ農家が話していた。うちは3,000万だ、うちは2,000万だと。もうかると聞いていたのに案外収入が少ないんだなあと思ったが、それは納税額だった。キャベツ生産では暴落も高騰も数年に一度くらいある。暴落はつらいけれど、高騰したときは相当な収入が見込まれる。高原野菜の村にキャベツ御殿が建っているのはそういうわけだった。

 本書について、誰か有名作家がファンで毎回読んでいると言っていた。大江健三郎だったろうか。まさか?

サンマの丸かじり (文春文庫)

サンマの丸かじり (文春文庫)

2016-03-28

[]久住昌之東京都三多摩原人』を読む



 久住昌之東京都三多摩原人』(朝日新聞出版)を読む。本書は朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』に連載されていたもの。連載されていた当時時々拾い読みしていた。

 著者紹介を見て初めて『孤独のグルメ』の原作者であることを知った。とはいえ、タイトルは聞いたことがあったが、マンガもテレビもみたことはない。でもすでに10か国に翻訳されているなんて、一度くらい読んで見よう。

 本書のタイトルの「三多摩」は東京西部の西多摩郡北多摩郡南多摩郡から採っていて、著者が最初に解説している。

 三多摩とは、東京都の、23区島嶼部(伊豆七島小笠原諸島東京都)を除いた市町村部分のことだ。かつての北多摩郡西多摩郡南多摩郡のことだ。北多摩郡南多摩郡はすでに消滅し、地名として今残っているのは、西多摩郡のみ。

 久住は三鷹で生まれて育った。調べてみると、明治26年まで三多摩神奈川県だった。「そういうわけで、江戸っ子とは根本的に人種が違うのだ。/俺たちゃ、元神奈川三多摩っ子なのだ」と久住は書く。それであまり知らなかった三多摩を歩こうと思い立ったのだという。それが本書にまとめられた。

 しかし久住のエッセイは軽くてゆるい。三多摩を歩いても土地の歴史に深入りするわけでもなく、小学校中学校の頃の思い出をゆるく絡ませるくらいだ。文体も短い文節がだらだら続く。短いと言ってもハードボイルドのように畳みかける文章でもない。しかし、こんなかったるいようなエッセイが意外に面白いのだ。

 さらに歩くと左手に「西東京市 向台公園」という間口の狭い公園があった。樹が鬱蒼と生えている。西東京市。元は、田無市保谷市だ。なんとなく田舎っぽい名前のふたつの市が、合併して「西東京市」を名乗った時は苦笑した。この苦笑の苦さは、同じ三多摩原人ならではのものに違いない。と、今は思う。東京都の中で、さらに東京を名乗りたい三多摩人。やっぱり元神奈川。恥ずかしくないのか。そんな名前つけて、かっこ悪いなぁ、と思ったものだ。もう慣れちゃったけど。

 杉並区中野区ももとは東多摩郡だった。それで杉並区を歩く。荻窪のラーメン屋でビールとシューマイを頼む。向かいの男がずっとスマートフォンを見ていて、時々にやにやするのが気持ち悪い。

 ボクのシューマイが来る前に、彼の頼んだ餃子が出てきた。ビールも飲まないで、スマホを片手に持ったまま、餃子だけをムシャムシャ食べている。餃子を食べている最中に、冷やし中華が出てきた。冷やし中華と焼き餃子。そんな組み合わせ、食べたことがない。いや、その間にビールがあったら、あるいはありえる。だが、ビールなしの餃子と冷やし中華。汁が無く。逃げ場がないじゃないか。

 自宅(生家)を詳しく綴った章がある。玄関の靴箱の上にはたいてい何かの鉢植えが飾られている。

……その背後の壁には草間彌生の版画が飾られている。「え、草間彌生?」と意外に思うかもしれないが、これは弟が若い頃シルクスクリーン版画の刷り師をしていた時、刷り師の取り分としてもらってきたものだ。

 応接間には別の草間彌生の作品が飾られている。草間彌生の版画って、現在何百万円もするんじゃなかったっけ。すごいお宝だ。

 高校1年の時、盲腸の手術をすることになった。

……その話をすると、男友だちは、こぞって、

盲腸は手術前に、チン毛を剃られるんだぜ!」

 とまくしたてた。

看護婦さんがつまんで、根元をカミソリで剃るんだぜ」

 恐怖だ。というか、局部も出されるのか。恥ずかしい。まさにそういう年頃。寄ってたかって蜂の巣にされる。

「オレ、つままれただけで、勃っちゃう」

「オレなんて、パンツ下ろされる前の段階で勃っちゃう」

「そのパンツの先がちょっと濡れちゃう!」

「やっべぇ!」

「オレなんて脱がされる前から勃ってる」

「家から勃ってる」

「オレ、剃られてる間に、イッちゃうかも」

「顔は普通なのに、あそこはビンビンって、滅茶苦茶恥ずかしい!」

「どうする? 物凄いカワイイ看護婦が来ちゃったら」

「それも、ふたりとか」

「ひとりがつまんでて、ひとりが剃る」

「ぎゃー!」

「それより、そんな女の素手で触られたら、即イキだよ」

「どーするよ、クスミ! 出ちゃったら!」

「キャッ!」

「いや、オレ死んでもいい!」

「クッスミ、いいなあ!」

「あとで絶対報告会な! ホントのこと正直に話せよ」

 もう大騒ぎ。

 おかしい。でも私も20代後半と40代後半で、盲腸憩室炎と鼠蹊部ヘルニアの手術を受けた。その時のことは恥ずかしくて書けない。

 この本を持って多摩地方を歩いてみたい気がする。


東京都三多摩原人

東京都三多摩原人

2011-11-07

[]町山智浩「USAカニバケツ」を読む



 町山智浩「USAカニバケツ」(ちくま文庫)を読む。副題が「超大国の三面記事的真実」で、要するにアメリカの新聞雑誌に載ったスターやスポーツ選手などのスキャンダルやゴシップを紹介している。アメリカのジョーク集かと勘違いして買ってしまったのだった。著者の名前に覚えがあった。数か月前に読んだ「トラウマ映画館」(集英社)を書いた人だった。こちらはちょっと変わった映画25本を紹介していた。

「USAカニバケツ」はそんなわけで少々毒がある。まずタイトルの由来は、

 たくさんのカニをバケツに入れておくと、フタをしなくても逃げないという。1匹がバケツから出ようとすると他のカニに引きずり下ろされるからだ。

 このカニバケツの話は、突出するものを許さない日本社会のたとえによく使われる。けれども実は、Crab bucket syndromeとしてアメリカでも知られている言葉なのだ。

 取り上げられているのは、アメリカの犯罪やスポーツ、芸能、TV番組についてのコラムだが、品のないものが多い。そんな中に時に著者のキツイ意見も散見される。

 アン・コールターの著書『リベラルたちの背信/アメリカを誤らせた民主党の60年』が日本でも翻訳され、コールターは「保守本流の論客」と紹介されたようだが、とんでもない。この女が「保守本流」じゃ、古き良き道徳を信じる人々が怒るよ。

(中略)

 コールターは中絶に絶対反対で、レイプされて妊娠して中絶した女性も殺人罪で罰しようと活動している。被害者の気持ちなどまるでわかっていない。こんな女、拉致って性病持ちのホームレス100人くらいに中出しさせろ!

 まあ、早い話、高市早苗とか畑恵とかと同じ、ジジイを喜ばす右翼ゲイシャに過ぎないので、まともな論客と考えて怒ってもしょうがないのだが、(後略)

 次は『ビューティフル・マインド』という映画について、

 天才数学者だが精神分裂症のジョン・ナッシュが、献身的な妻アリシアに支えられてノーベル賞を受賞するまでの愛と感動の物語『ビューティフル・マインド』。この映画は、3月24日のアカデミー賞で作品賞他を独占した。

「この映画はウソっぱちだ」。アカデミー賞前後にそんな批判が噴き上がった。シルヴィア・ネイサーによる原作には、ナッシュが公衆便所で性器を出して男を誘ったことで逮捕された事実が書かれていた。(中略)

 たしかに事実通りに描いたら観客がナッシュに共感するのは難しい。そこで脚本家は「純粋な心ゆえに社会と相容れない悲劇の英雄」に単純化した。彼がアカデミー賞脚本賞に選ばれたのは、ハリウッドの大多数が「映画は娯楽だ。事実と違ってもいいじゃないか」と思っている証拠だ。

 だからダメなんだよ! 本物のナッシュは複雑怪奇な人間だった。それを単純化したら意味ないだろ! 彼に限らず人の心は複雑なんだから。現実だって同じ。善人がマジメに努力しても幸福になれるとは限らない。愛が必ず勝利するとは限らない。そんな人間の業を描くのが芸術だろ? その意味で『フランダースの犬』も『人魚姫』も『ノートルダムのせむし男』も子供向けとはいえ立派な芸術だった。ところがそれを最近のハリウッドは片っ端からハッピーエンドの映画に作り変えている。『ビューティフル〜』もそれと同じ。誰か止めろ!

 著者が時々過激になるのは実は唐突ではない。「トラウマ映画館」から、シドニー・ルメットの「質屋」について「二千年の孤独、NYを彷徨う」と題した章で、

 差別される立場に生まれた者は、加害者や弾圧者を憎むよりも、自分をそんな境遇に選んだ運命そのもの、世界そのものを呪うことがある。(「質屋」の主人公)ソルの悲劇は在日韓国人を父に持った思春期の筆者には骨身に染みるほど理解できた。そして、その呪いが自らを滅ぼすことも教えてくれたソルは、やはり「先生」なのだ。

 次にアンドレ・カイヤットの「眼には眼を」について「復讐の荒野は果てしなく」と題して語る中で、著者の母について、

 母は8年ほど前、経営している会社で数十億円の借金を作った。父と別れた後、母はある事業家の愛人になり、その男の事業に巻き込まれて銀行から金を借りて、闇金にまで手を出していた。筆者と妹は知らない内にその会社の役員にされていた。そのため妹と二人で母を夜逃げさせ、弁護士を雇った。しばらくして母はガンで倒れた。妹が介護し、自分は時々日本に帰って妹を手伝った。

 母と二人きりで部屋にいると、男のために我が子に莫大な借金を負わせようとしたことを責めずにいられなかった。死にゆく母に優しくしてやるべきなのに、なぜか、幼い頃に、浮気な父への怒りをぶつけられて折檻され続けた日々の記憶が甦り、また責めてしまう。十ヶ月間、その繰り返しで、早く離婚して女手ひとつで自分を育ててくれたことに感謝する前に母は逝ってしまった。

 今、自分がしたことを思うと、見えて来るのは『眼には眼を』の果てしない不毛の大地だ。

 だから、この著者は信用できる気がするのだ。

USAカニバケツ: 超大国の三面記事的真実 (ちくま文庫)

USAカニバケツ: 超大国の三面記事的真実 (ちくま文庫)

トラウマ映画館

トラウマ映画館

2008-09-14

[]思い出す人々:衛生害虫を研究していたY先生



 Y先生は厚生省の予防衛生研究所でハエの薬剤抵抗性を研究していた。ソ連時代に公費で出張したとき、通訳をしてくれたモスクワ大学日本語科の女子学生が、私のこと喜ばせてください、楽しませてくださいと言うので、それじゃあ×××をしようと言うと隠語のせいか通じなかった。別の言葉で言い換えたがこれも通じなかった。それでジェスチャーで伝えたんだ、こうしてと腰を振ってみせた。彼女が、オー! あなた悪い人と言ったよ。彼女は本当は、ぼくがたくさん日本語を使って勉強させてほしいと言いたかったんだ。Y先生、国辱ものではありませんかとは言えなかった。

 小柄な方だったがハンサムで、なかなかもてた。20年ほど前NHKの人気ニュースキャスターだった女性とも付き合っていたらしい。

 けっこう筆が立つ人で著書がたくさんある。印税を自宅に送ると叱られた。勤務先へ送らなければいけない。奥さんに知られたくないのだろう。逆に職場へ送ると叱られる人もいた。アルバイトをしているように見られるのだろうか。そう言えば私も初めて原稿料1万円が職場へ送られてきた時、同僚の手前少しだけ困った。

2008-09-13

[]思い出す人々:K化学工業の課長山内さん



 若い頃営業の仕事をしていた。クライアントの担当者がK化学工業の山内さんという課長だった。その会社は二つの会社が合併してできた会社で、建前は対等合併だったが、実際は吸収合併だった。山内さんは吸収された方の名古屋支店長だった。合併した会社の技術普及室の課長になったが、合併直後のボーナスを巡って、前の会社の組合員が妥結するまでボーナスの受取を拒否したのに同調し、部下が受けとるまで自分も受けとらないと宣言してワンマン社長の逆鱗に触れた。俺の目の黒いうちは絶対に昇進させないと断言して、それはワンマン社長が亡くなっても引き継がれ、課長のままで定年退職した。戦後すぐの薬学部を卒業した優秀で骨のある人だったのに。

 ぼくはあんたと××さん(私の上司)が一番好きだよと可愛がってもらった。山内さんの担当する仕事はすべて任せてくれた。ただ問題がなかったわけではない。K化学工業の応接室はすべて個室だった。山内さんは必ず私と並んで座り、左手を伸ばして私の太股に触りたがった。それで椅子に座るとすぐ間の肘掛けにカバンを置いて防衛した。さすがに太股は触られなかったが、嫌な顔もされなかった。

 いろいろ指導された。その会社のPR誌に寄稿してくれた研究者の原稿を封筒に入れ、表に研究者の名前を敬称抜きで書いていたら、万が一手違いでその封筒のまま研究者の手許に返されることがないとは言えない。呼び捨てにされていると知ったら気を悪くするだろう。必ず○○先生と書きなさいと言われた。

 ある日待たされていた時、生松敬三と木田元の対談集「理性の運命」(中公新書)を読んでいると、お、ぼくの影響で真面目な本を読んでいるねと言われた。影響ではないとは言わなかった。この本を取り出してみたら、1976年5月4日に阿佐ヶ谷で買ったとメモしてある。もう32年も経ったのだ。

 別の時「昭和の写真記録」というような本を持ってきて見せてくれた。戦後すぐのストリップが公開されたときの写真を示し、観客の一人を指して、これがぼくだよ、家内には見せられないよと笑った。

 山内さんを慕っている部下が、あんなことがなければ重役になる人なのにと悔しがった。転職しなかったのは時代だったのだろうか。

 閑話休題。それから20年ほど経って、別の会社の部長に気に入られた。彼が発注する広告関係の仕事はすべて任せられた。部長が東南アジアに出張した時、怪しげなキャバレーに案内された。そのキャバレーは定期的にすべての明かりを消して、客が女の子に何をしてもいいシステムになっていた。部長はその10分間をライターを点火して明るくし、ホステスから現地の言葉を教わっていたよと話してくれた。またある時、取引先の人から新宿歌舞伎町のファッションヘルスに誘われた。断ったのに強引に連れてゆかれ、お金も払ってくれて個室に入れられた。女の子に何もしなくていいと言っておしゃべりして時間を潰した。

 部長から太股を触られることはなかったが、どうもある傾向の人たちから好かれるような気がする。