mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2019-01-19

[]吉田秋生海街diary9 行ってくる』を読む



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 吉田秋生海街diary9 行ってくる』(小学館フラワーコミックス)を読む。悲しいことにこれが最終巻だという。2007年から11年かかって9巻が出た。毎回楽しみで手に取ってきた。

 あらすじ、

すずは父の死後、鎌倉に住む母親違いの3人の姉と暮らしているが、サッカー特待生として静岡の高校に進学することを決意。仲間と過ごす最後の夏を迎えた頃、千佳の妊娠が発覚する。浜田は千佳と入籍し、エベレスト登山のためにヒマラヤへと旅立つ。幸と佳乃の恋もそれぞれ進展し、夏が終わろうとしていたが……!?

 最後に番外編「通り雨のあとに」が置かれている。すずが静岡の高校へ旅立って物語が終わってから、おそらく10年後の話だ。すずが13回忌にあたって親の遺骨を鎌倉へ移すために婚約者とともに田舎を訪ねる。すずは25歳くらいだが、その顔は全く描かれない。ただ帽子の陰から輪郭が覗いているばかりだ。

海街diary 9 行ってくる (フラワーコミックス)

海街diary 9 行ってくる (フラワーコミックス)

2018-12-30

[]「すゞしろ日記」の大そうじ



 山口晃の「すゞしろ日記」が今回は大そうじがテーマだ(『UP』2019年1月号)。

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 最初に『マカロニほうれん荘』のギャグが引用される。主人公は「なつかしい」と思っているが奥さんには通じない。

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 ついでそうじ個所を表にしている。そうじの手順を図示することなんか考えたこともなかった。さすが画家だと感心した。マド/アミド/ベランダ/室外機//机(本)/扉/タンス裏/タタキ/換気孔・・・なんて書いている。私の大そうじなんてこの1/10くらいだ。恥ずかし。まあ、こちとら独り身だし、娘のほか客があるわけでもなし。

 あと1日で今年も終わる。去年の今頃は何をしていたっけ?

2018-05-28

[]山口晃『すゞしろ日記 参』を読む



 山口晃『すゞしろ日記 参』(羽鳥書店)を読む(見る)。山口は東京大学出版会のPR誌『UP』にこのタイトルで毎月マンガを連載していて、もうそれが今月5月号で158回になっている。つまり13年間続いているのだ。それを50回ごとに単行本にまとめている。本書はその第3号となる。『UP』はA5判の小型の雑誌でその1ページだけのマンガで、だいたい24コマくらいで構成されている。テーマはほとんど山口画伯の日常で、本人と奥さんが主要な登場人物になる。それがけっこう面白い。私は初回から毎号欠かさずに見ている。雑誌が届くとまず「すゞしろ日記」を見て、ついで佐藤康弘の連載「日本美術史不案内」を読み、不定期連載の須藤靖「注文の多い雑文」を読む。

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 山口は絵が巧い。ここに載せた2枚の絵は天地7センチと天地5センチの大きさだが、誰を描いているかよく分かる。山下裕二と藤森照信だ。少ない線でよく特徴をとらえている。

 1ページ全部を紹介したNo.143は、山口が『BRUTUS』の取材で訪れたセザンヌのアトリエの印象が語られている。それがとても興味深い。セザンヌのアトリエは窓が東西に開いていると山口は驚いた。

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驚いたが、中期以後の彼の作品を見れば、この窓位置は大いに頷ける。「うわ、物凄くくっきり見える!!」光が空間を彫り込むようだ。

     ・

例えば彼のりんごの絵に於ける、側面から背後への回り込みの描写

     ・

輪郭をはさんだ「物」と「その背景」との取っ組み合いから生まれる画面内での空間性にシビれる。

     ・

彼の絵には、目で追ってゆける生理的な奥行きがある。彼の絵を見た後で困るのは、他の多くの絵が、画布1枚の平べったさに見えてしまうことだ。

 さすが、『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で小林秀雄賞を受賞した人の言葉だ。私もわが師山本弘の絵を見た後は、他の多くの絵がつまらなく見えてしまうのでこの感想に同意できる。


すゞしろ日記 参

すゞしろ日記 参

2017-06-25

[]東大出版会のPR誌『UP』の「すゞしろ日記」ほかを読む 



 4年ほど前、佐藤信主宰の鷗座公演で、ベルナール=マリ・コルテスの芝居『森の直前の夜』を見た。佐藤の演出は実験的で、役者がひとり舞台中央に立ったまま2時間近く喋りつづけるというものだ。上半身は動かすものの、足は1カ所に立ったままだった。ほとんど朗読劇に近かった。

 さて、東大出版会のPR誌『UP』6月号に連載の山口晃「すゞしろ日記」第147回を読む。A5判という小さな判型の雑誌1ページに24コマが描かれている。それを佐藤信流にセリフだけ拾ってみる。

さて前回は

   *

朝の詩情と

薄れゆく意識を

   *

余白の美しさや

奔放な線にのせて

表してみた

   *

読者は

どのような感慨を

抱かれたであろう

   *

自営業者としての

顧客調査――

   *

「過去最大級の手抜きぶり」

「あきちゃったのかな」

   *

もろもろの

あたたかい反応

が身にしみる

「アリガタシ」

   *

何となれば

特に感想も

頂かぬのが

毎回の

ことであり

   *

こちらとしても

何やら小利口な事

や情動をあおる様

な事を描くつもり

はないから

で――

   *

スタンスとしては

「どうでもいいが

ちょっと楽しげ」

をかかげて

いる

「それ

オレの

事じゃ

ないか」

   *

なので殊更な

意見・感想は

期待していないし

期待する様な

内容でもない

   *

それでも

「こんな事

描いて

誰か読む

のかな…」

などと

   *

時々、

空しく

なる事

がある

   *

そんな時

「すゞしろ

日記

楽しみ!」

あ…

   *

ウフフフ

「くすぐったい」

   *

感想は要らぬ

などと強がっては

みせても、頂けば

手もなく喜ん

でしまう

簡単さである

   *

そう云う連載が

この間は144回だった

ので、とうとう干支を

ひと回りしてしまった

「ありゃ―」

   *

回数だけみれば

そう大した事

はないし月に

一度きりの事で

済むので楽な方

なのだろうが――

   *

この横着者

にしては、よく

続いた方だ

「いやー

アブナ

い事も

度々だったな」

   *

もうすぐ150回が

来るが、そうなる

と、第3巻が

出せる紙数に

なる

   *

出して

頂ける

のだろ

うか

知らん…

   *

―と、こういう内容の事

を書く時はネタのない時

な訳で、あまりやらない

ようにしたいが――

   *

何となく感謝が

のべたくて、こんな

内容にしてしまった

   *

皆さま、有難うございます

 いや、山口さん、最初から毎回欠かさず楽しみに読んでいます。『UP』を手にするとまずこれを読み、ついで須藤靖の連載を探し(でも3か月に1回?)、次に佐藤康宏の連載を読みます。

 その佐藤康宏の連載「日本美術史不案内」6月号は「学んで時にこれを習う」がタイトル。運転免許証と同じように大学の卒業証書も更新制にした方がよいのかもしれないと書く。少なくとも要職にある人物については大学が勧告をしてはどうか、と。

 2012年、磯崎陽輔総理大臣補佐官が、大学時代の憲法の講義では立憲主義という言葉を聴いたことがない、と述べた。不勉強を告白していること以上に問題なのは、立憲主義の理念を知らないふりを装いつつ、およそ憲法の体をなさない自民党改憲案への批判を封じようとしたことだ。こういう議員は、ぜひともいま一度憲法を学んでほしい。夫婦に同姓を強制する民法の規定を合憲と判断した裁判長、寺田逸郎最高裁長官にも法学部の教室に戻って、本来の憲法の精神に照らせばこれでいいのかを考えなおしてもらいたい。黒田東彦日銀総裁も法学部出身だが、その泥沼の金融経済政策について、もう手遅れかもしれないにしても、いま指導したいと考える経済学部の先生もいるのではなかろうか。あるいは、大阪の国有地が異常に安い価格で森友学園に売り渡された事件に関して、目を宙に泳がせながら明らかに虚偽とわかる答弁を国会で重ねてきた佐川宣寿財務省理財局長。「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という憲法15条2項の規定に反している気配が濃厚である。安倍晋三を守ることから解放され、学びなおす機会が得られたら本人も幸せだろう。

 須藤靖のエッセイ「明日ことはわからない」もおもしろかった。

2017-05-09

[]東大教師が新入生にすすめない本



 東大出版会のPR誌『UP』の4月号は毎年「東大教師が新入生にすすめる本」というアンケートの結果を紹介している。今年のみI部を東大教師によるアンケート、II部はUP誌に執筆している方によるアンケートとなっている。アンケートの質問は、

1.私の読書から――印象に残っている本

2.これだけは読んでおこう――研究者の立場から

3.私がすすめる東京大学出版会の本

4.私の著書

 これが毎年ずいぶん参考になるのだが、今年はII部の佐藤康宏(日本美術史)のアンケート結果を簡単に紹介する。

佐藤康宏(人文社会系研究科・文学部教授/日本美術史)

1.『完全版 1★9★3★7』 上・下、辺見庸(角川文庫、2016)

 山下清の貼絵「観兵式」(1937年)をカヴァーにあしらった上下2冊は、盧溝橋事件から80年目の年に読むのがふさわしい。日本軍は、南京大虐殺以外にも中国各地で非戦闘員に対する殺人と強姦を繰り返した。少尉としてその地にいた父は、それに加わったのか。生前には問えなかった疑問を抱え、著者は戦争体験に基づく小説や回想、当時の唱歌など、多くの言葉を集積し、犯罪行為の細部と動機を暴く。特高警察に拷問され殺された小林多喜二の死体の描写のように、細部は確実に読者の生理的嫌悪と憤りを呼ぶ。しかし、動機はというと、天皇裕仁の戦後のインタヴューがそうであるように、驚くほどあっけらかんとしているのだ。無邪気に殺し、犯し、拷問し、反省はしない日本人――この無責任で没主体の社会に生きる自分は、はたして当時体制に抗うことができたろうか。著者の自問を、現在と未来に時制を移して、私たち自身も引き受けなければならない。

2.『西洋美術の歴史4 ルネサンスI 百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現』 小佐野重利・京谷啓徳・水野千依(中央公論新社、2016)

……解説略……

3.『講座日本美術史』全6巻、佐藤ほか編(2005)

……解説略……

4.『湯女図――視線のドラマ』(ちくま学芸文庫)

「絵は語る」シリーズのトップバッターとして1993年に刊行された旧版を若干増補改訂したもの。江戸時代初期、風呂屋で客の垢をかき、体を売りもした湯女(ゆな)たちを描く一幅の絵を、あらゆる手段を用いて解読しようとする。その旧版のための宣伝文を巻頭に置いて書名とし、それ以後に展開した論文や批評・翻訳など30篇を収めた『絵は語りはじめるだろうか』と題する書物も、羽鳥書店から近刊の予定。

 この佐藤康宏は『UP』に「日本美術史不案内」と題する連載を今月5月号までにちょうど8年間96回も続けている。その96回目の題名が「東大教師が新入生にすすめない本」

1.米沢嘉博『戦後エロマンガ史』(青林工藝社、2010年)

 急逝した著者の未完に終わった連載を編んだもの。(中略)

 ちなみに、著者自身が復刊を企てていた作家たちの作品には、古書その他で触れられるものもある。椋陽児を追悼する1冊を掲げておこう。大阪弁を多用する彼の漫画は、多くは艶笑譚というべきものだが、口絵を飾る陰影を施した鉛筆画の蠱惑的な魅力といったら――ああ、とても新入生には薦められない。

2.石井隆『名美・イン・ブルー』(ロッキング・オン、2001年)

 収録される数篇が本書と共通する『名美』(立風書房、1977年)を男女ひとりずつにお貸ししたことがあるが、いずれも後ずさりするような読後感を持たれた。万人向けの作家ではない。肉体の細部や背景を精密に描く画風が1970年代に一世を風靡し、大きな影響力を持ったのは、1.にも説かれるとおりだけれど、彼の作品は、裸体、性交(しばしば強姦)を描き、一見してエロ劇画としての装いをじゅうぶんに備えながら、実はあまり扇情的ではない異形のものだ。たいていは名美という名を持つ主人公の女たちは、男の欲望の対象となって一方的に犯されたりはしない。むしろ主体的な行為者であり、自身の欲望のために男を見つめ返し、男を利用し、男を捨て、男を道連れに死に向かって沈んで行く。巧みなアングルの設定や音響効果、鏡やヴィデオといったイメージの中のイメージへの嗜好など、後年この作家が映画監督へと転身する兆しは随所に認められ、醒めた画面作りに貢献する仕掛けともなっている。

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 図は右が椋陽児『幻のハーレム』(ソフトマジック、2001年)

 左が石井隆『名美・イン・ブルー』(ロッキング・オン、2001年)

 私も40年ほど前、石井隆『名美』を持っていた。決して好きじゃない作風なのになぜか惹かれるものがあった。石井隆の対極が樹村みのりだった。樹村は理想主義的で実にきれいな世界を描いていた。樹村と石井を比べて見ながら、世界は二人の中間にあるなどと考えていた。樹村みのりについては、以前このブログに『見送りの後で』を紹介したことがあった。