mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-01-06

[]『ジャコメッティ』を見る



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 映画『ジャコメッティ』を見る。スイスの世界的な彫刻家ジャコメッティを主人公にした映画で監督はスタンリー・トゥッチ。昨日の朝日新聞の夕刊に真魚八重子の映画評が掲載されていた。

 彫刻家のジャコメッティは、油彩画デッサンも多く残した。本作は彼がある肖像画を描く18日間を捉えた劇映画だ。物語は絵のモデルとなった、アメリカ人の作家で美術評論家のジェイムズ・ロードが記した回想録に基づいている。

 1964年、パリを訪れたロード(アーミー・ハマー)は、親交のあったジャコメッティジェフリー・ラッシュ)から肖像画モデルになるよう頼まれる。アメリカへの帰国寸前だったが、2日で終わると言われ、好奇心もあって引き受ける。しかし2日を過ぎても、絵は一向に描きあがる気配がない。

 ジャコメッティは完成に近いように見える絵を何度も消して最初から描き直す。モデルのロードは航空会社に電話して予定していた便をたびたび延期することになる。言ってしまえばそれだけの映画だ。それに妻であるアネットやジャコメッティの弟ディエゴジャコメッティの愛人である娼婦が絡む。途中、矢内原伊作がアネットといちゃついているカットが一瞬挟まれる。画商からジャコメッティが200万フラン受け取るシーンもあり、すでにジャコメッティが売れっ子になっていることを偲ばせる。娼婦には求めに応じてBMVの赤いスポーツカーも買い与えているし、娼婦のヒモから強請られれば大金も渡している。

 しかし映画はジャコメッティがロードを描き、その絵が駄目だと消し、また描き直すシーンがほとんどを占めている。

 やはりジャコメッティのモデルになって、帰国寸前だった矢内原伊作ジャコメッティの要請に従って何度も帰国を延期し、その後毎年夏休みになるとパリを訪ねジャコメッティのモデルをした経験を『ジャコメッティとともに』(みすず書房)に書いていたので、何度も何度も描き直し、絵はいつまでも完成しないことを私たちは知っている。矢内原はジャコメッティ公認でアネットと寝ていたことも。

 しかしジャコメッティが世界でもトップクラスの彫刻家であることを知らなかったら、この映画は一般の観客に対して説明不足だろう。ジャコメッティを知っている現代美術愛好家にだったら、きっとそれなりに楽しめるだろうが。ただ、矢内原の本でも、この映画でも、ジャコメッティがどうして自分の描く肖像画が気に入らなくて描き直してばかりいるのか、そのことはついに分からないままだった。ジャコメッティ役のジェフリー・ラッシュは、ジャコメッティによく似ていた。


ジャコメッティと矢内原伊作(2007年4月16日)


https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=015378


2017-12-17

[]脚本家早坂暁亡くなる



 脚本家早坂暁さんが亡くなった(12月16日=88歳)。吉永小百合主演の『夢千代日記』などの脚本を担当した。私は早坂の映画を見たことはなかったが、猫に関する印象的なエッセイを通じて関心を持っていた。それで、彼が山頭火に関する映画の企画を持っていて、脚本は完成していたのに、権利か何かの関係で映画化をあきらめたことや、代わりに尾崎放哉を主人公に映画化を考えていて、監督の目途も立っているとどこかに書いていたのを憶えている。その監督に会う機会があったので、放哉の件について質問したが、撮る予定はないとの答えだった。放哉でも山頭火でも早坂の脚本になる映画を見て見たかった。

 早坂の猫に関するエッセイを再掲載する。

 ボクは東京渋谷繁華街公園通りに住んでおり、そこにはボクの大好きな猫たちが住んでいて、毎夕、挨拶をかわし、可愛い声を聞かせてくれるかわりに、キャットフードをプレゼントする『援助交際』をしているのだが、その数十匹の猫たちをたどると、一匹の、まことに色っぽい牝猫にたどりつくのだ。

 ご先祖さまということで、『アマテラス』という名がついている。

 そのアマテラスが、うずくまったまま、食べることも、水を飲むこともしなくなった。十七歳をこえているから、人間でいえば百歳か。

 彼女がゆるりと体をおこした。よろよろと山手線の線路のほうへ、ゆるい坂道を下っていく。

 ― とうとう死ににゆくのだ。

 ボクはアマテラスの後を追った。何百匹と公園通りの猫たちと付き合ってきたが、一度だって、どこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまう。

 ビルの谷間や、わずかな空き地をさがしてみるが、一匹の死体も見つけることもできない。アマテラスは、よろめいては立ち止まって休む。無理はない。彼女はここ一週間ぐらい、ろくに食べてないんだ。水も絶った……。

 いってみれば弘法大師空海が死んだときのように、五穀絶ちをしているのだ。空海は死期を悟ると、自らその日を予告して、その日に向かって五穀を絶ち、最後に水を絶って死を迎えたという。

 アマテラスも、水を絶った時点で、はっきりと自分の死を直感し、わずかに最後の旅への体力を残して歩きだしたにちがいない。どこへ行くのか。山手線にぶつかったところで、ゆっくり左折して長い坂を登っていく。おしりから赤い血が流れている。

 ボクは釈尊の最後の旅を想ったりした。八十歳を数えて釈尊は死を予感し、北に向かって旅をする。病は大腸癌だったとか。

 アマテラスも腸に癌があるから、あんなに血をおしりから流しているのだろう。立ち止まり、うずくまる。そして歩きだす。すさまじい意志の力が、ボクに伝わってきて、なんだか泣きそうになってくる。

「ボクなんかみっともなく、おろおろするばかりだったのに、あんたは本当に立派だなぁ」

 アマテラスは、とうとう坂を登りきった。あとは広い車道を横切れば、明治神宮の森にたどりつくが、車の通行が激しくて、とても渡れない。そこは信号機もないのだ。

 ボクは彼女を抱きあげようと近ずくと、アマテラスはもう車道に足を踏み入れていた。自分の力で、真っすぐ車道を横切ろうというのだ。

「停まってくれ! ストップ!」

 ボクは車道に飛び出し、疾走してくる車に向かって手をふった。ブレーキの音を鋭くたてて、車が次々に停まった。

「さあ、渡れ。渡るんだ、アマテラス

 六十歳の奇妙な男が両手をあげて車を停め、その前を衰えいちじるしい老猫が、ヨロヨロと歩いている。

 非難のクラクションが背後で鳴っているが、知ったことか。アマテラスを抱きかかえて走れば、あっという間に渡り切れるが、彼女が命をしぼるようにして行う最後の儀式に、手をさしのべることは無礼な気がするのだ。とうとう、アマテラスは横断しきった。目の前にあるコンクリートの柵は明治神宮だ。

「さあ、お入り……」

 アマテラスは自分の体を押しこむようにして、昼なお暗い神宮の森の中に入っていった。

「そうか、ここが公園通りの猫たちの死に場所なのか」

 思わずボクは森の闇に消えていくアマテラスに合掌して、空海さんの最後の言葉を繰りかえしていた。

「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」

 うん、立派だったよ、アマテラス ― 。

 このエッセイは『ひと、死に出あう』に収録されている。早坂暁の猫に関するエッセイのいくつかはこのブログでも紹介してきた。

 アマテラスは17歳だったのか。うちのプーは9月に18歳で亡くなった。マンション猫だったので、最後は娘の腕の中で息を引き取った。プーや、家族一同お世話になったね、ありがとう。



ひと、死に出あう (朝日新書)

ひと、死に出あう (朝日新書)

2017-11-28

[]蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』がおもしろい



 蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』(ちくま学芸文庫)を読む。副題が「翳りの歴史のために」というもので、これがなかなかおもしろかった。ひと言でいえばアメリカの「B級映画」の歴史を語っているのだ。

 しかしB級というのは誤解されていて、A級とB級はあるが、C級やD級というものはない。それは、一流、二流、三流というようなランクではないという。いわばレコードのA面とB面だという。いや、これが雑誌に連載されたのはもう30年前なのだ。レコードのA面やB面といって現在通じるだろうか。B級映画とは2本立興業の前座として本篇の前に上映される短い作品のことだという。そのB級映画を主題の中心に据えてアメリカ映画の歴史、それも戦後のハリウッドの映画の崩壊の歴史を語っている。だから、最初に蓮實が断っているように、ジョン・フォードやウィリアム・ワイラー、グリフィス、シュトロハイム、セシル・B・デミル、ヒッチコックなどの輝かしい名前の監督たちがほとんど登場しない。ここに語られるアメリカ映画の歴史にあって、彼らは傍系的な役割しか演じることがないからだという。なんという刺激的な言挙げだろう。

……これから読まれようとしている文章になにがしかの意味があるとするなら、それは、こうした輝かしい名前がどれひとつとして登場することがなくとも、アメリカ映画の歴史は充分に語られうるものだという事実を納得することにつきている。

 作家的自覚をまったく持たぬ職人監督が器用に仕上げてみせる娯楽映画や、もっぱら観客動員をあてこんで話題性を誇示するゲテモノ映画や、意欲を欠いた企画が量産する粗製濫造のプログラム・ピクチャーが、それだけで「B級映画」たる資格をそなえているわけではないことは、いまや明らかである。「B級映画」として機能しうる作品の特質は、あらかじめ2本立興行の添えものとして上映されることを目的として企画され、製作され、監督されたものだという点につきている。

「B級映画」の予算は「A級映画」のおよそ1/10、撮影期間は6週間に対してほぼ2週間と短く、中には、2日、あるいは5日で撮りあげられることも稀ではなかったという。上映時間は60分から70分、長くて80分というのがその基準である。

 そして、「重要なのは、粗製乱造のプログラム・ピクチャーだと安易に誤解されがちなこの「B級」というカテゴリーが、トーキーの成立とともに形成され、50年代におけるハリウッドの崩壊とともに消滅するしかなかった歴史的な概念にほかならぬ事実を確かめることにある」という。

 このB級映画がゴダールに大きな影響を与えたのだと驚くようなことを主張する。なるほど!

 戦後ハリウッドの映画製作システムが崩壊していった歴史を、具体的に分析してくれる。このあたりの要約が私にはできないが、実に説得力があって読みごたえがある。さすが映画を語らせてこの人の右に出る者はいないのではないか。題名の取りつきにくさと裏腹に読みやすく面白い読書経験だった。



2017-05-05

[]エドワード・ヤン監督『クー嶺街少年殺人事件』を見る



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 エドワード・ヤン監督『クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を見る。(「クー」は牛編に古のつくりの漢字)1991年制作の台湾映画。236分、4時間弱の長編映画を1週間限定でシネスイッチ銀座で夕方6時から毎日1回だけ上映している(5月5日まで)。劇場のホームページから、あらすじ。

1960年代初頭の台北。建国高校昼間部の受験に失敗して夜間部に通う小四(シャオスー)は不良グループ?小公園“に属する王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らといつもつるんでいた。 小四はある日、怪我をした小明(シャオミン)という少女と保健室で知り合う。彼女は小公園のボス、ハニーの女で、ハニーは対立するグループ?217”のボスと、小明を奪いあい、相手を殺して姿を消していた。ハニーの不在で統制力を失った小公園は、今では中山堂を管理する父親の権力を笠に着た滑頭(ホアトウ)が幅を利かせている。

小明への淡い恋心を抱く小四だったが、ハニーが突然戻ってきたことをきっかけにグループ同士の対立は激しさを増し、小四たちを巻き込んでいく・・・

 4時間という時間が決して長くなかった。台湾映画といえば、侯孝賢(ホウシャオシェン)の『悲情城市』を思い出す。その映画を見るまでほとんど興味のなかった台湾が、それ以後好きな国のひとつになった。その映画も戦後の台湾の政治状況(内省人と外省人との対立)のなかで、変転するやくざの家族を描くことによって、台湾の内政の問題や社会や人情が描かれていた。この『クー嶺街少年殺人事件』もまさに『悲情城市』に次ぐ傑作だと思う。

 

2016-08-20

[]中条省平『フランス映画史の誘惑』を読む



 中条省平『フランス映画史の誘惑』(集英社新書)を読む。とても良い本。フランス映画史なんて何冊も書かれていたような気がしていた。序章を読むとそうではないことが分かった。

……わたしの知るかぎり、『フランス映画史』と銘うった書物は、これまで3冊ありました。最初のものは、飯島正著『フランス映画史』(改稿版、1956年、白水社)です。これは、ひとりの著者が書いたフランス映画通史としては日本で唯一のすぐれたものですが、まだフランス映画の現物をそう簡単には見られない時代に書かれたため、文献だけに頼った記述が多いこと、また、飯島氏自身も認めているとおり、「途中から次第に[映画通史というより]作家論になってしまったこと」、そしてなによりも、刊行からすでに50年ほどもたっているため、フランス映画の歴史の最初の半分しかあつかっていません。

 その後も田山力哉編著『フランス映画史』(1974年、芳賀書店)と、『世界の映像作家29 フランス映画史』(1975年、キネマ旬報社)が出版されましたが、前者は写真集に短い解説をつけたもので、1930年代のトーキー映画以降しか取りあげていませんし、後者は一応フランス映画の全史を解説した便利な本ですが、複数の著者による異なった種類の文章や資料をひとつにまとめたものです。そのうえ、これらの本にしても刊行から30年近い年月が経過し、現在は絶版の状態です。

 私も山田宏一の映画に関する本は何冊か読んだが、それらはみなフランスのヌーヴェル・ヴァーグを扱ったものだった。それで本書を期待して読んだが、期待以上の出来映えだった。

 新書という小さな本なのに、実にていねいにフランス映画の歴史と各時代の特徴が分析されている。本書を読んで初めてフランス映画の誕生と展開、発展を具体的に知ることができた。どんな映画監督が重要なのかも、それぞれの時代で画期となる作品のことも。

 ルイス・ブニュエルがダリと組んで取ったシュールレアリスムの映画『アンダルシアの犬』(1929年)の若い女の眼球を切り開くシーンは、特撮なんかではなく、本物の牝の子牛の目の回りの毛を脱毛し、そこにメーキャップを施して本当に剃刀で切開したのだという!

 印象派の画家ルノワールの息子ジャン・ルノワールについて、世界最大級の映画作家だったと無条件に称賛する。その『ゲームの規則』(1939年)が経歴の頂点とのこと。見るたびに印象ががらりと変わってしまう。フランソワ・トリュフォーはこの映画を毎年何回か見直すと書いているし、クロード・シャブロルは通算77回見たと語ったという。

 ロベール・ブレッソンも高く評価される。遺作の『ラルジャン』(1983年)は1980年代の世界の映画で最高傑作の1本といえる、と。そしてヌーヴェル・ヴァーグについては、「映画の革命」と題して全体の20%ほどを費やして語っている。クロード・シャブロル、トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメール、アラン・レネなど。『シェルブールの雨傘』を撮ったジャック・ドゥミも彼らの仲間だなんて知らなかった。

 1980年代以降の作家で『レオン』のリュック・ベッソンが挙げられている。ぽつんぽつんと見ていた映画監督たちが、さながらジグソーパズルが完成するように、フランス映画史の中に嵌め込まれていく。

 本書は初版が2003年に刊行されている。もう13年も前になる。今度は新書という形ではなく、この3倍くらいの分量で単行本にまとめてくれないだろうか。写真もたくさん使って。


フランス映画史の誘惑 (集英社新書)

フランス映画史の誘惑 (集英社新書)