mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-08-17

[]フリッツ・ラング監督『死刑執行人もまた死す』を見る



 シネマヴェーラ渋谷フリッツ・ラング監督特集が行われていた。そこで『死刑執行人もまた死す』を見た。この映画についてWikipediaでは、

舞台はナチス・ドイツ占領下のチェコスロバキアプラハ。「死刑執行人」の異名でプラハ市民に恐れられていたベーメン・メーレン保護領の副総督ラインハルト・ハイドリヒの暗殺(エンスラポイド作戦)をきっかけに、秘密警察ゲシュタポチェコスロバキアの名望家らを人質に取るなど、目的のために手段を選ばないやり方で暗殺犯の捜索に躍起になる。そんな中、副総督を暗殺した男ヴァニヤック(虚偽の名前)をかばったマーシャ・ノヴォトニーは、自分がかばった男のために、大学教授の父親が人質に取られたことを知り、ヴァニヤックこと本名スヴォボダに自首を懇願し、父の命を助けようとする。しかし、ゲシュタポの残忍な取調べや人質にされた父との面会の際に父が語った「自由は闘って勝ち取るものだ」という言葉によって、自由を求める一市民としてスヴォボダらとともに活動していくのだった。

 フリッツ・ラングの傑作の誉れ高い作品は2時間14分の長さを、観客の緊張を全く緩ませることなく最後まで引っ張っていく。ナチのゲシュタポに対するチェコ地下組織の戦いを描いて。見事な脚本と演出だ。

 とにかく圧倒されて見ていた。傑作の名に恥じないのは事実だ。見終わって2、3日経つと少し反省も生まれてきた。ゲシュタポをうまく出し抜いているが、ゲシュタポの怖さはこんなものではないのではないか。サルトルの「壁」も拷問にあって口を割る話が書かれていたし、日本の特高警察小林多喜二への拷問も忘れられない。スターリンが仲間を粛清したときも拷問の跡がはっきりついていた。テルアビブ空港乱射事件でイスラエルモサドに捕らえられた日本赤軍の岡本公三は終身刑に服していたが捕虜交換で釈放された。しかしテレビニュースに映し出された岡本はほとんど廃人のようだった。それはモサドの激しい拷問を想像させた。岡本は真面目な学生だったと鹿児島大学農学部林学科で教えていたY教授が言っていた。

 「壁」で登場人物の一人が言っていたことが忘れられない。平和な時代に生きる連中は自分が卑怯者であることを知らずに済んでいると。

 シネマヴェーラ渋谷フリッツ・ラング特集は終わってしまった。この1本しか見なかったことがとても悔やまれる。



死刑執行人もまた死す [DVD]

死刑執行人もまた死す [DVD]

2018-01-06

[]『ジャコメッティ』を見る



f:id:mmpolo:20180106202337j:image

 映画『ジャコメッティ』を見る。スイスの世界的な彫刻家ジャコメッティを主人公にした映画で監督はスタンリー・トゥッチ。昨日の朝日新聞の夕刊に真魚八重子の映画評が掲載されていた。

 彫刻家のジャコメッティは、油彩画デッサンも多く残した。本作は彼がある肖像画を描く18日間を捉えた劇映画だ。物語は絵のモデルとなった、アメリカ人の作家で美術評論家のジェイムズ・ロードが記した回想録に基づいている。

 1964年、パリを訪れたロード(アーミー・ハマー)は、親交のあったジャコメッティジェフリー・ラッシュ)から肖像画モデルになるよう頼まれる。アメリカへの帰国寸前だったが、2日で終わると言われ、好奇心もあって引き受ける。しかし2日を過ぎても、絵は一向に描きあがる気配がない。

 ジャコメッティは完成に近いように見える絵を何度も消して最初から描き直す。モデルのロードは航空会社に電話して予定していた便をたびたび延期することになる。言ってしまえばそれだけの映画だ。それに妻であるアネットやジャコメッティの弟ディエゴジャコメッティの愛人である娼婦が絡む。途中、矢内原伊作がアネットといちゃついているカットが一瞬挟まれる。画商からジャコメッティが200万フラン受け取るシーンもあり、すでにジャコメッティが売れっ子になっていることを偲ばせる。娼婦には求めに応じてBMVの赤いスポーツカーも買い与えているし、娼婦のヒモから強請られれば大金も渡している。

 しかし映画はジャコメッティがロードを描き、その絵が駄目だと消し、また描き直すシーンがほとんどを占めている。

 やはりジャコメッティのモデルになって、帰国寸前だった矢内原伊作ジャコメッティの要請に従って何度も帰国を延期し、その後毎年夏休みになるとパリを訪ねジャコメッティのモデルをした経験を『ジャコメッティとともに』(みすず書房)に書いていたので、何度も何度も描き直し、絵はいつまでも完成しないことを私たちは知っている。矢内原はジャコメッティ公認でアネットと寝ていたことも。

 しかしジャコメッティが世界でもトップクラスの彫刻家であることを知らなかったら、この映画は一般の観客に対して説明不足だろう。ジャコメッティを知っている現代美術愛好家にだったら、きっとそれなりに楽しめるだろうが。ただ、矢内原の本でも、この映画でも、ジャコメッティがどうして自分の描く肖像画が気に入らなくて描き直してばかりいるのか、そのことはついに分からないままだった。ジャコメッティ役のジェフリー・ラッシュは、ジャコメッティによく似ていた。


ジャコメッティと矢内原伊作(2007年4月16日)


https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=015378


2017-12-17

[]脚本家の早坂暁亡くなる



 脚本家の早坂暁さんが亡くなった(12月16日=88歳)。吉永小百合主演の『夢千代日記』などの脚本を担当した。私は早坂の映画を見たことはなかったが、猫に関する印象的なエッセイを通じて関心を持っていた。それで、彼が山頭火に関する映画の企画を持っていて、脚本は完成していたのに、権利か何かの関係で映画化をあきらめたことや、代わりに尾崎放哉を主人公に映画化を考えていて、監督の目途も立っているとどこかに書いていたのを憶えている。その監督に会う機会があったので、放哉の件について質問したが、撮る予定はないとの答えだった。放哉でも山頭火でも早坂の脚本になる映画を見て見たかった。

 早坂の猫に関するエッセイを再掲載する。

 ボクは東京は渋谷の繁華街、公園通りに住んでおり、そこにはボクの大好きな猫たちが住んでいて、毎夕、挨拶をかわし、可愛い声を聞かせてくれるかわりに、キャットフードをプレゼントする『援助交際』をしているのだが、その数十匹の猫たちをたどると、一匹の、まことに色っぽい牝猫にたどりつくのだ。

 ご先祖さまということで、『アマテラス』という名がついている。

 そのアマテラスが、うずくまったまま、食べることも、水を飲むこともしなくなった。十七歳をこえているから、人間でいえば百歳か。

 彼女がゆるりと体をおこした。よろよろと山手線の線路のほうへ、ゆるい坂道を下っていく。

 ― とうとう死ににゆくのだ。

 ボクはアマテラスの後を追った。何百匹と公園通りの猫たちと付き合ってきたが、一度だって、どこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまう。

 ビルの谷間や、わずかな空き地をさがしてみるが、一匹の死体も見つけることもできない。アマテラスは、よろめいては立ち止まって休む。無理はない。彼女はここ一週間ぐらい、ろくに食べてないんだ。水も絶った……。

 いってみれば弘法大師空海が死んだときのように、五穀絶ちをしているのだ。空海は死期を悟ると、自らその日を予告して、その日に向かって五穀を絶ち、最後に水を絶って死を迎えたという。

 アマテラスも、水を絶った時点で、はっきりと自分の死を直感し、わずかに最後の旅への体力を残して歩きだしたにちがいない。どこへ行くのか。山手線にぶつかったところで、ゆっくり左折して長い坂を登っていく。おしりから赤い血が流れている。

 ボクは釈尊の最後の旅を想ったりした。八十歳を数えて釈尊は死を予感し、北に向かって旅をする。病は大腸癌だったとか。

 アマテラスも腸に癌があるから、あんなに血をおしりから流しているのだろう。立ち止まり、うずくまる。そして歩きだす。すさまじい意志の力が、ボクに伝わってきて、なんだか泣きそうになってくる。

「ボクなんかみっともなく、おろおろするばかりだったのに、あんたは本当に立派だなぁ」

 アマテラスは、とうとう坂を登りきった。あとは広い車道を横切れば、明治神宮の森にたどりつくが、車の通行が激しくて、とても渡れない。そこは信号機もないのだ。

 ボクは彼女を抱きあげようと近ずくと、アマテラスはもう車道に足を踏み入れていた。自分の力で、真っすぐ車道を横切ろうというのだ。

「停まってくれ! ストップ!」

 ボクは車道に飛び出し、疾走してくる車に向かって手をふった。ブレーキの音を鋭くたてて、車が次々に停まった。

「さあ、渡れ。渡るんだ、アマテラス」

 六十歳の奇妙な男が両手をあげて車を停め、その前を衰えいちじるしい老猫が、ヨロヨロと歩いている。

 非難のクラクションが背後で鳴っているが、知ったことか。アマテラスを抱きかかえて走れば、あっという間に渡り切れるが、彼女が命をしぼるようにして行う最後の儀式に、手をさしのべることは無礼な気がするのだ。とうとう、アマテラスは横断しきった。目の前にあるコンクリートの柵は明治神宮だ。

「さあ、お入り……」

 アマテラスは自分の体を押しこむようにして、昼なお暗い神宮の森の中に入っていった。

「そうか、ここが公園通りの猫たちの死に場所なのか」

 思わずボクは森の闇に消えていくアマテラスに合掌して、空海さんの最後の言葉を繰りかえしていた。

「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」

 うん、立派だったよ、アマテラス ― 。

 このエッセイは『ひと、死に出あう』に収録されている。早坂暁の猫に関するエッセイのいくつかはこのブログでも紹介してきた。

 アマテラスは17歳だったのか。うちのプーは9月に18歳で亡くなった。マンション猫だったので、最後は娘の腕の中で息を引き取った。プーや、家族一同お世話になったね、ありがとう。



ひと、死に出あう (朝日新書)

ひと、死に出あう (朝日新書)

2017-11-28

[]蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』がおもしろい



 蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』(ちくま学芸文庫)を読む。副題が「翳りの歴史のために」というもので、これがなかなかおもしろかった。ひと言でいえばアメリカの「B級映画」の歴史を語っているのだ。

 しかしB級というのは誤解されていて、A級とB級はあるが、C級やD級というものはない。それは、一流、二流、三流というようなランクではないという。いわばレコードのA面とB面だという。いや、これが雑誌に連載されたのはもう30年前なのだ。レコードのA面やB面といって現在通じるだろうか。B級映画とは2本立興業の前座として本篇の前に上映される短い作品のことだという。そのB級映画を主題の中心に据えてアメリカ映画の歴史、それも戦後のハリウッドの映画の崩壊の歴史を語っている。だから、最初に蓮實が断っているように、ジョン・フォードやウィリアム・ワイラー、グリフィス、シュトロハイム、セシル・B・デミル、ヒッチコックなどの輝かしい名前の監督たちがほとんど登場しない。ここに語られるアメリカ映画の歴史にあって、彼らは傍系的な役割しか演じることがないからだという。なんという刺激的な言挙げだろう。

……これから読まれようとしている文章になにがしかの意味があるとするなら、それは、こうした輝かしい名前がどれひとつとして登場することがなくとも、アメリカ映画の歴史は充分に語られうるものだという事実を納得することにつきている。

 作家的自覚をまったく持たぬ職人監督が器用に仕上げてみせる娯楽映画や、もっぱら観客動員をあてこんで話題性を誇示するゲテモノ映画や、意欲を欠いた企画が量産する粗製濫造のプログラム・ピクチャーが、それだけで「B級映画」たる資格をそなえているわけではないことは、いまや明らかである。「B級映画」として機能しうる作品の特質は、あらかじめ2本立興行の添えものとして上映されることを目的として企画され、製作され、監督されたものだという点につきている。

「B級映画」の予算は「A級映画」のおよそ1/10、撮影期間は6週間に対してほぼ2週間と短く、中には、2日、あるいは5日で撮りあげられることも稀ではなかったという。上映時間は60分から70分、長くて80分というのがその基準である。

 そして、「重要なのは、粗製乱造のプログラム・ピクチャーだと安易に誤解されがちなこの「B級」というカテゴリーが、トーキーの成立とともに形成され、50年代におけるハリウッドの崩壊とともに消滅するしかなかった歴史的な概念にほかならぬ事実を確かめることにある」という。

 このB級映画がゴダールに大きな影響を与えたのだと驚くようなことを主張する。なるほど!

 戦後ハリウッドの映画製作システムが崩壊していった歴史を、具体的に分析してくれる。このあたりの要約が私にはできないが、実に説得力があって読みごたえがある。さすが映画を語らせてこの人の右に出る者はいないのではないか。題名の取りつきにくさと裏腹に読みやすく面白い読書経験だった。



2017-05-05

[]エドワード・ヤン監督『クー嶺街少年殺人事件』を見る



f:id:mmpolo:20170505000459j:image

 エドワード・ヤン監督『クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を見る。(「クー」は牛編に古のつくりの漢字)1991年制作の台湾映画。236分、4時間弱の長編映画を1週間限定でシネスイッチ銀座で夕方6時から毎日1回だけ上映している(5月5日まで)。劇場のホームページから、あらすじ。

1960年代初頭の台北。建国高校昼間部の受験に失敗して夜間部に通う小四(シャオスー)は不良グループ?小公園“に属する王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らといつもつるんでいた。 小四はある日、怪我をした小明(シャオミン)という少女と保健室で知り合う。彼女は小公園のボス、ハニーの女で、ハニーは対立するグループ?217”のボスと、小明を奪いあい、相手を殺して姿を消していた。ハニーの不在で統制力を失った小公園は、今では中山堂を管理する父親の権力を笠に着た滑頭(ホアトウ)が幅を利かせている。

小明への淡い恋心を抱く小四だったが、ハニーが突然戻ってきたことをきっかけにグループ同士の対立は激しさを増し、小四たちを巻き込んでいく・・・

 4時間という時間が決して長くなかった。台湾映画といえば、侯孝賢(ホウシャオシェン)の『悲情城市』を思い出す。その映画を見るまでほとんど興味のなかった台湾が、それ以後好きな国のひとつになった。その映画も戦後の台湾の政治状況(内省人と外省人との対立)のなかで、変転するやくざの家族を描くことによって、台湾の内政の問題や社会や人情が描かれていた。この『クー嶺街少年殺人事件』もまさに『悲情城市』に次ぐ傑作だと思う。