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2018-12-14

[]片山杜秀ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』を読む



 片山杜秀ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』(文春新書)を読む。これが素晴らしい。片山は近代日本政治思想史の専門家、でありながら音楽評論家としても一流で、音楽に関する著書で吉田秀和賞を受賞している。私も何冊も片山の政治史の本をここで紹介している。『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『未完のファシズム』(新潮選書)、『見果てぬ夢』(新潮社)、『国の死に方』(新潮社新書)、島薗進との共著で『近代天皇論』(集英社新書)、いずれもすばらしかった。さらに音楽に関するエッセイも何冊もある。

 今回のタイトルは編集者が販売に益するよう付けたものだろう。正確にはヨーロッパ社会がわかればクラシック音楽の変遷がわかる、というような内容。

 クラシック音楽は教会音楽として始まった。ついで王侯貴族が文化の主役となり、次に市場経済が発達して市民階級(ブルジョワ)が王侯貴族の文化を模倣した。市民社会は自分たちも演奏を楽しむようになり、ロマン派の時代となる。大都会では豪華なオペラが全盛を迎えるが、一方教養を高めた市民層はより複雑な音楽を求めていく。グローバリズムが席巻したあとワーグナーが現れて「民族」を説く。しかし2つの大戦は人類に絶大なダメージを与え、音楽は壊れていく。

 神の音楽、グレゴリオ聖歌はモノフォニー(単旋律)で人の声だけ、楽器を伴わなかった。ついでポリフォニー(多声音楽)と楽器が多様化する。教会から世俗へ広がった音楽は巨匠を生む。バッハヘンデルテレマンらだ。それぞれが活躍した都市の大きさとの関係で彼らの音楽が語られていく。テレマンは当時の国際都市ハンブルグで4千曲以上を作曲した。バッハが活躍したのはドイツの小都市だった。教会の音楽を書いていたが同時代にはそれほど高い評価を受けなかった。バッハはひと時代前の音楽ポリフォニーにこだわっていたから。ヘンデルロンドンで活躍した。ロンドンは世界的な大都市になっていった。ロンドン市民は社交として合唱を愛好した。ヘンデルは演技を伴わない物語音楽、オラトリオの作曲に力を傾けた。

 ハイドンハンガリーの大貴族エステルハージ家に雇われる。ハイドンは貴族のためにオペラやシンフォニーを書いた。エステルハージ家では主人とゲストの上流階級のために作曲した。客たちは洗練されていて音楽の微妙な差異も聴き分けた。ハイドンは没落する貴族から去りロンドンに移った。ロンドン市民たちは貴族ほど洗練された耳を持たないので、ハイドンは分かりやすい曲を作りアレンジにも刺激的なけれん味を加える

 ベートーヴェンを語るに際して、片山は3点に要約する。1.わかりやすくしようとする。2.うるさくしようとする。3.新しがる。ベートーヴェンは洗練されていない市民を相手に分かりやすい曲を書く。大きな会場で演奏するので音を大きくする。ベートーヴェン交響曲は1作ごとに新しい切り口がある。

 市民社会市場経済はさらに発展していった。大都市の娯楽としてオペラが隆盛した。また教育というジャンルが勃興して楽器を演奏することがブルジョワのたしなみとして普及する。ピアノが発達し、家庭にも普及した。音楽学校ができ、音楽アカデミズムの世界が確立すれば、「閉鎖された専門家の世界が成立」する。市民の側にも「教養市民」が登場し、複雑な音楽を分かる市民は教養人であり高級な存在ということになる。クラシック音楽が難解な音楽というイメージをもつことになる。

 19世紀の最後を飾るにふさわしいワーグナーについて片山が要約する。

 ワーグナーが生まれ、その活動の拠点としたドイツは、資本主義のトップランナーであるイギリスや、革命で「自由・平等・友愛」を掲げ、近代政治思想をリードしたフランスに比べ、明らかに後進的存在でした。ワーグナーはその後進性を逆手に取り、近代と土着を結びつけた新しい民族主義を高らかに歌い上げたのです。これはニーチェなどの思想家のみならず、その後、ナチス・ドイツにも通じる政治思想へ影響を与え、さらには日本など近代に遅れて参加した国々にも大きな影響を及ぼしたと考えてよいと思います。

 その影響圏の広がりは、「市民の時代」の代表ベートーヴェンに匹敵する、まさに桁外れのスケールを持った“怪物”といえるでしょう。

 ワーグナーの後にシュトラウスマーラースクリャービンが続き、またシェーンベルクストラヴィンスキーラヴェルが語られる。シェーンベルクストラヴィンスキーラヴェルは第1次世界大戦後の壊れた世界を表現しているという。20世紀のクラシック音楽が第2次世界大戦の前の段階で到達した姿だと。

 本書は片山がしゃべったことを編集部がまとめたものらしい。とても読みやすく興味深い内容だった。



2018-11-05

[]青柳いづみこピアニストたちの祝祭』を読む



 青柳いづみこピアニストたちの祝祭』(中公文庫)を読む。これは2014年に出版された単行本の文庫化。単行本を読んだときにブログに紹介したが、今回手抜きしてそれを再録する。


 青柳いづみこピアニストたちの祝祭』(中公文庫)を読む。自身もピアニストであり、文筆家でもある青柳ピアニスト論は読んでいつも楽しく、しかも教えられることが多い。本書は主に雑誌『すばる』に書いたエッセイをまとめたもので、音楽雑誌に書く場合と違って、400字詰め原稿用紙で30枚から40枚も書くことができた。このため一つの章がとても充実している。ピアニスト論としては、ポリーニアルゲリッチバレンボイム内田光子など大物が取り上げられているが、フジ子ヘミングについて書かれているのが目を引く。フジ子(青柳が姓のヘミングでなく名前で書いているのに倣った)は、クラシック音楽を演奏して高い人気を誇っている。何しろ1,500席の大ホールが埋まるほどなのだ。しかしクラシック音楽界からは「タレント」と見做されていて、クラシック専門誌には記事は載ってもコンサート評は載らないという。CDは何度も「アルバム・オブ・ザ・イヤー」に輝いているが、レコード雑誌の批評には取り上げられないし、日本演奏家連盟の名簿にも名前はない。

 そんなフジ子の演奏を正面から取り上げて批評している。これだけでも読む価値があるのではないか。それも1回や2回聴いただけではなく、地方の公演まで聴きに行っている。そして単純に否定したり称揚したりするのではなく、個々の演奏について丁寧に分析している。

 しかし、やっぱりおもしろいのはポリーニ論であり、アルゲリッチ論や内田光子論だ。ポリーニ論は「完全無欠のピアニストが歌うまで」と副題がつけられている。その末尾で青柳は書く。

 すでに70年代の「完璧な」ポリーニはいない。2曲弾かれたベートーヴェンソナタでは、指が走りすぎ。ミスも多く、制御がきかないところも散見された。

 しかし、ポリーニの造形力は少しも衰えていない。彼の一番の美点は、調性音楽でも無調音楽でも、和声的な書法でもポリフォニックな書法でも、作品をその骨格においてとらえ、時間軸をも考慮に入れながら寸分の狂いもなく組み上げてみせるという、まさにそこのところにある。そして彼の建築物は、録音でも録画でもなく、会場の鳴り響く空間に身を置いて初めて体感できるのだ。

 そのことはシューマン幻想曲』でもよくわかった。第1楽章の息の長い主題は、ポリーニにしては珍しく横に、時間的なルバートをかけて弾かれたが、第2主題は立体的な対位法のお手本のような弾き方だ。上声はあくまでもきらめき、それに呼応する内声、全く独立した人格のようなバス。バスが非常に深く、ソプラノが非常に輝いているので、よけいに立体感がつき、彫りの深い音響建築にきこえたのだろう。圧巻だったのが、中間部「伝説のように」の左手にスタッカート(音を切る奏法)のはいってくるところ。縦方向へのひろがり、底のほうでバスが蠢き、はるか上方でソプラノが歌う。宙ぶらりんの内声部。

 アルゲリッチヴァイオリンのドーラ・シュバルツベルクと演奏したドビュッシーヴァイオリンソナタ』について、

 オールド・スタイルの「ずりあげるような」ポルタメント、細かいちりめんヴィブラートを多用するドーラの耽美的なヴァイオリン。あるときは霧、あるときは鐘のように、またグロテスクに、扇情的に……と瞬時に変化するマルタピアノ。伸縮自在のドーラに対して、マルタは要所要所でキューを出し、テンポを定める。ちょっとした弓の引きかた、ヴィブラートの加減、ニュアンス、息づかいなどで察知するらしく、ルバートを多用しながらも面白いように呼吸が合う。

 1楽章が終わったあと盛大な拍手があったが、かまわず2楽章のイントロがはじまった。神経症に冒されたロデリック・アッシャーの叫びのようなヴァイオリン。不気味なスタッカートでとばしていくドーラに対して、マルタはわざと遅めのテンポでたづなをとる。墓の彼方から歌うマデライン姫のアリアのようなモティーフを二人がユニッソンで歌いあげるシーンでは、体中がぞくぞくして震えがとまらなくなった。3楽章もテンポの変化が多く、縦線を合わせるのがむずかしいはずなのだが、ヴァイオリンピアノは双子の姉妹のようにぴたっと吸いついていた。それにしても、アルゲリッチの舵取りのうまいこと。何となく、共演者そっちのけで弾きまくるというイメージがあったので、びっくりした。

 演奏技術についても具体的な指摘で、分かりやすく本当に教えられる。

 青柳ピアニスト論はどれを読んでも外れたためしがない。『翼のはえた指―評伝 安川加寿子』『ピアニストが見たピアニスト』『グレン・グールド―未来のピアニスト』『アンリ・バルダ―神秘のピアニスト』『我が偏愛ピアニスト』と、いずれもきわめておもしろかった。



2018-07-06

[] 亀山郁夫『ショスタコーヴィチ』を読む



 亀山郁夫『ショスタコーヴィチ』(岩波書店)を読む。ソ連で最も著名な作曲家ショスタコーヴィチ。大きな栄誉とともに権力に媚びたとして激しい批判にもさらされてきた。国家的褒賞を13回も受けながら、スターリンの批判に心身とも深く傷ついてきた。亀井はロシア文学者でありながら、ショスタコーヴィチの伝記とともに、その作曲の内面をも深く追求している。

 スターリンの側近たちからショスタコーヴィチが評価されても、次にその側近がスターリンによって粛清される。政治局員のセルゲイ・キーロフもトゥハチェフスキー将軍も失脚し処刑される。社会主義リアリズム的な音楽が求められ、西欧的個人主義的形式的な音楽が官僚たちによって厳しく咎められる。

 オペラ『ムツェンスクのマクベス夫人』の初演の反響は上々だった。ところが舞台を見たスターリンが批判したらしく、共産党の機関紙『プラウダ』に「音楽ならざる荒唐無稽」と書かれた激しい批判が掲載された。それはたちまち各地に伝播した。

 その結果ショスタコーヴィチは次に書いた交響曲第4番の楽譜を机の奥深く隠して発表しなかった。

 トゥハチェフスキー将軍は国家反逆罪で粛清された。将軍は音楽ファンで、自らもヴァイオリンを弾き、ショスタコーヴィチを迎えて二重奏を楽しんだ。その将軍を訪ねた数日後、ショスタコーヴィチはレニングラード管理局内務人民委員部に呼び出され、「同志スターリンの暗殺計画」を耳にしたのではと尋問された。それを否認すると、担当の取調官Zから翌日再出頭を求められた。翌日出頭すると、長時間待たされたあげく、別の職員から、取調官Zは昨夜逮捕されたので帰宅してよいと告げられた。ショスタコーヴィチは「奇跡的に逮捕を免れた」。

 交響曲第5番の初演は大成功だった。批判を避けるために敢えて純粋音楽の道を選んだ。亀山はこの曲の真意を様々に探っている。ロシア文学が専門でありながら音楽学者で通用するほどの専門性を発揮する。スターリンの60歳の誕生日を記念してスターリン賞が作られ、文学芸術部門でショスタコーヴィチの「ピアノ五重奏曲」が第1席を獲得した。亀井は本当はこれは交響曲第5番に授けられるべきものだったにちがいないと書く。『マクベス夫人』で「荒唐無稽」と批判されたマイナスをプラスに転じたのだった。

 交響曲第9番について、

 ここで指摘しておくべきことが一つある。つまり交響曲第9番には、はからずも二人のショスタコーヴィチが見え隠れするということである。一人は、歴史的文脈や社会の要請はほとんど意に介さず、自己のイマジネーションと本音のなかで格闘するショスタコーヴィチ。むろん、ここでの本音には、歴史と現実に対する彼の考えも含まれている。そしてもう一人は、確信犯的に自己そのものである音楽を書きながら、その音楽が厳しい批判ないし検閲にさらされる恐怖におびえ、右往左往するショスタコーヴィチ。映画音楽などでの社会貢献と引き換えに、社会主義リアリズムあるいはスターリン文化の岩盤になんとかみずからの独立した個性をねじ込もうと画策するショスタコーヴィチは、検閲当局がその危険性に気づかないかぎり、どこまでも横柄かつ狡猾に振舞う腹づもりでいた。ショスタコーヴィチの自らの天性への核心にはそのような一面があった。

 15の交響曲と主要な作品について、亀井はショスタコーヴィチの内面にまで踏み込んだ詳しい楽曲分析を繰り広げる。それは本当にみごとなものだけれど、一方で作曲とはそんなに内面的な心情などに左右されるものなのかとも思った。もっと純粋な音楽そのものが要請する展開があるのではないだろうかと。

 ショスタコーヴィチの最後の作品はヴィオラソナタだった。それはベートーヴェン弦楽四重奏団のヴァイオリニストであるフョードル・ドゥルジーニンに捧げられている。ショスタコーヴィチが亡くなった2か月後に正式の初演が行われた。ヴィオラをドゥルジーニンが弾いた。

ドゥルジーニンは回想する。

「……催眠術のような強い作用を聴衆に及ぼした。ホールで唯一の空席であるドミートリー・ドミートリエヴィチの席には花束が置かれ、そこから遠くない場所に、エヴゲニー・ムラヴィンスキーが、私の妻とならんで座っていた。……ムラヴィンスキーはまるで子供のように、止めどなく涙を流していたが、ソナタが終わりに近づくにつれて、文字どおり、慟哭に身を震わせていた。……舞台の上と聴衆の心の中で生じたことは、音楽の範疇を超えていた。われわれが演奏を終えたとき、私は、ソナタの楽譜を頭上に高く掲げた。聴衆の喝采を残らずその作曲者に注ぐために」

 スターリン権力と引用という二重の記憶に引き裂かれ、完成された作品に、ミューズは異常ともいえる美しさを下賜したのだった。

 ショスタコーヴィチは私の好きな作曲家の一人だ。良い伝記を読んで幸せだった。


※岩波書店にしては校正ミスが目についた。

・処分に困ったイワンは、街頭をふらふらさ迷ううち警官に見とがめられ、警察書に連れ去られる。:警察書→警察署(p.60の後ろから4行目)

・暗殺されるセルゲイ・キーロフ(同じ年、政治局員に演出される):演出→選出(p.66の3行目)

・音楽が果たして個人の意図をどこまで性格に実現し、:性格に→正確に(p.147の5行目)


ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光

ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光

2018-06-03

[]ロレイン・ゴードン、バリー・シンガー共著『ジャズ・レディ・イン・ニューヨーク』を読む



 ロレイン・ゴードン、バリー・シンガー共著『ジャズ・レディ・イン・ニューヨーク』(DUブックス)を読む。副題が「ブルーノートのファースト・レディからヴィレッジ・ヴァンガードの女主人へ」とある。ロレインがその女主人で自分の半生を語り、シンガーがそれをまとめたのだろう。

 ロレインは兄の影響でティーン・エイジャーのころからジャズが好きだった。ラジオのディスクジョッキーを聴き、レコードをたくさん聴いた。そのうちにブルーノートのオーナーであるアルフレッド・ライオンに紹介されて、彼と結婚することになる。ブルーノートはジャズの名門レーベルだ。愛する夫がブルーノートのオーナーという理想的な結婚だったが、ロレインが子どもを欲しがったのに夫は賛成しなかった。

 まだ無名だったセロニアス・モンクに出会う。演奏を聴いてすぐ録音しようと夫とユニゾンで声をあげた。しかしモンクのレコードはちっとも売れなかった。ロレインはモンクの売り込みに熱中する。「セロニアス・モンクは私個人の使命になりました」と書いている。すばらしい! ロレインがモンクを世に出したのだ。偉大なモンクを。

 母が亡くなるとき、看病に行っていてそこでマックス・ゴードンに出会い恋に落ちる。ロレインはアルフレッドを棄ててマックスと一緒になる。マックスはニューヨークのジャズ・クラブのヴィレッジ・ヴァンガードのオーナーだった。マックスと結婚し娘を2人産む。

 マックスがいくつもの店の経営に専念し、ロレインは自分の興味ある世界に没頭する。反核の運動をし、ヴェトナム戦争反対の活動の一環でアメリカの法に反してソビエトを経てヴェトナムのハノイまで行っている。

 マックスの店が左前になり、ロレインは働きに出る。ポスターを展示販売する店に携わる。

 伝説のトランぺッター、ジャボ・スミスが生きていることを知ったロレインは、ミルウォーキーのレンタカー屋に会いに行く。ロレインはジャボのマネージャーのような仕事をする。欧米ツアーに同行する。ベルリンの巨大な公演会場でのジャボの演奏をロレインが語る。

彼はソフトに「ラヴ」を歌い始めました。聴衆は歓喜しました、本当に。あんな歌、私は人生で聴いたことがありません。彼は聴き手の心に届いたのです。なんて熱烈な歓迎! “アート”なるものをさんざん聴かされたあと、ドイツの聴衆はようやく真実の“ソウル”を耳にしたのです。

 ジャボが81歳で亡くなるとき、ロレインはベッドの脇でジャボの手を握っていた。

 マックスが亡くなったとき、ヴィレッジ・ヴァンガードも閉店せざるを得ないと思われていた。ロレインはマックスが元気なうちは店の経営には参加していなかった。亡くなった夜は「今晩閉店」の掲示を出したが、翌日からロレインが責任者として開店した。

 マックスのヴィレッジ・ヴァンガードに出演したジャズ・ミュージシャンたちの長いリストがある。本当にすばらしいメンバーたちだ。そこを引き継いだロレインは店の再建に成功する。

 40年前にジャズ・シーンから姿を消した伝説の女性ギタリスト、メアリー・オズボーンが存命なのを知ってロレインはメアリーに連絡を取る。「彼女は私を信じませんでした! でも私は辛抱強く話しました」。メアリーは末期の癌だった。しかしメアリーはヴァンガードに演奏しにやってきた。翌年彼女は亡くなった。

 こんなジャズ・クラブのオーナーの半生がとても面白かった。共著になっているのはおそらくロレインが語り、シンガーが原稿にしたのだろう。短い文体が続き、語っている様子が翻訳でも伝わってくる。

 表紙デザインについて、長いタイトルを手書き風の袋文字にしている。読みにくく長いタイトルがスッと頭に入ってこない。ここはきちっとした活字、ゴチックくらいにすべきだった。初歩的な校正ミスが2か所あった。

 ロンドンで知人から芝居に誘われたときのこと。

「観劇にご一緒しましょう。ローレンス・オリヴィエが『犀(さい)』(訳注:ユージン・ロネスコが1960年に発表した戯曲)を演じるのです。……」

 訳注で「ロネスコ」と言っているのは「イヨネスコ」の誤りだ。イヨネスコIonescoはルーマニア出身の戯曲家、ベケットと並ぶ不条理劇の第一人者で『犀』はその代表作だ。ロネスコと訳しているのは原著がLonescoとなっていたのかもしれない。だが、これは校正者が気づくべきなのだ。

 だが、とても面白く読んだのだった。

2018-01-28

[]クルト・ヴァイルの歌曲



 読売新聞に鈴木幸一による田代櫂『クルト・ヴァイル』(春秋社)の書評が載っている(1月28日)。

 ドイツの作曲家クルト・ヴァイル(1900年〜50年)といっても、音楽通ですら、ブレヒトとつくった「三文オペラ」や、米国に亡命後の「セプテンバー・ソング」を記憶する程度かも知れない。本書は、膨大な数に及ぶ全作品に触れ、足跡をたどることで、ヴァイルこそが、第1次世界大戦後のワイマール文化を知る意味で、もっとも重要で刺激的な人物なのだと理解させてくれる労作だ。……

 私も以前(2009年)、このブログでクルト・ヴァイルの歌曲を紹介したことがある。少々古いかもしれないが、再録してみたい。

     ・

 クルト・ワイルの歌曲が日本ではあんまり人気がないように思える。もったいない話だ。クルト・ワイルは戦前ドイツで活躍し、ナチスを逃れてアメリカに移住した。有名な『三文オペラ』は戯曲家ブレヒトとの共作のオペレッタ。アメリカでは「セプテンバー・ソング」がヒットしている。

『三文オペラ』には名曲がたくさんあるが、まずジャズの有名なナンバーになっている「マック・ザ・ナイフ」、正確には「メッキー・メッサーの殺人物語大道歌」、それから「海賊ジェニー」「大砲ソング」「バルバラ・ソング」「セックスのとりこのバラード」「人間の努力の至らなさの歌」「ソロモン・ソング」等々。

 歌手は何人もが歌っているが、私が持っているCDはまずギーゼラ・マイGisela Mayの「Brecht-Weill Songs」、ウテ・レンパーUte Lemperの「Ute Lemper Sings Kurt Weill」、アンネ・ソフィー・フォン・オッターAnne Sofie von Otterの「Speak low」、テレサ・ストラータスTeresa Stratasの「Stratas Sings Weill」、ミルバMilvaの「Milva Canta Brecht」、御大ロッテ・レーニャLotte Lenyaの「Kurt Weill Berlin & American Theater Songs」などだ。

 一番好きなのはウテ・レンパー、彼女の「セックスのとりこのバラード」はしびれる。ストラータスは気だるい大人のクルト・ワイル。ロッテ・レーニャはワイル夫人だった人。映画「007 ロシアから愛をこめて」で靴の踵に凶器を仕込んでいた悪役の婆さんがロッテ・レーニャだ。ミルバはコンサートに行ったくらい好きな歌手だけど、やはり「三文オペラ」のバラードはドイツ語で聴きたい。イタリア語ではどうも・・・。ギーゼラ・マイは定番だそうだけど、あまり好きになれない。名歌手フォン・オッターはとても上品だが、やはりクルト・ワイルにはアクが必要のようだ。彼女にも不満が残ってしまう。

 ジャズではエラ・フィッツジェラルドの「Mack the Knife-Ella in Berlin」がいい。何とロックでも素晴らしいCDがある。「星空に迷い込んだ男〜クルト・ワイルの世界」で、スティングが「マック・ザ・ナイフ」を歌い、「大砲ソング」をザ・フォウラー・ブラザーズが、「セプテンバー・ソング」をルー・リードが歌うなど全20曲を別々のロック歌手が歌っている。

 高橋悠治も「いちめん菜の花」のアルバムで「人間の努力は長続きしない」を歌っている。

 私の隠し球は「ショウボート昭和」というLPレコード。副題が「黒色テント68/71『喜劇昭和の世界』より」と題して、クルト・ワイルの曲に佐藤信が換骨奪胎したメチャ面白い歌詞を付けている。佐藤信はブレヒトの演劇が好きで、『三文オペラ』も上演しているし、「喜劇昭和の世界3部作」の『阿部定の犬』『キネマと怪人』『ブランキ殺し上海の春』にはクルト・ワイルの曲による劇中歌がたくさん使われている。私もこの黒テントの芝居でクルト・ワイルを知ったのだった。

(引用以上)


クルト・ヴァイル: 生真面目なカメレオン

クルト・ヴァイル: 生真面目なカメレオン

Brecht-Songs With Gisela May

Brecht-Songs With Gisela May

Sings Kurt Weill

Sings Kurt Weill

Milva Canta Brecht

Milva Canta Brecht

Mack the Knife-Ella in Berlin

Mack the Knife-Ella in Berlin

いちめん菜の花

いちめん菜の花