mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2019-01-22

[]森山徹『モノに心はあるのか』を読む



 森山徹『モノに心はあるのか』(新潮選書)を読む。森山は以前『ダンゴムシに心はあるのか』(PHPサイエンス・ワールド新書)でダンゴムシにも心があると主張していた。本書ではさらに進んで石ころにも心があるとびっくりすることを書いている。

 森山は心とは「ヒトにおける知・情・意に代表される精神作用のもと」として広く受け入れられてきた。そして、この精神作用の本質を「個性を生み出す仕組み」として、心がヒトだけでなく、動物にも備わる可能性を指摘する。そこから、

……ヒトや動物が備える「行動決定機構の集合体」のうち、個体に行動を発現させている顕在行動決定機構以外の、活動を自律的に抑制している機構の集合体である「潜在行動決定機構群」が、発現中の行動を質的に修飾する可能性があること、すなわち、「行動に個性を与えうること」を導きました。このような考察から、私は、「潜在行動決定機構が心の実体である」と提唱したのです。

 ところで、私は、以前、拙著『オオグソクムシの謎』の中で、心の実体は「隠れた活動体」であると提唱しました。……

 潜在行動決定機構とは、決定されて顕在化した行動の前に複数の不確かな行動決定機構があり、顕在した同じ行動の陰には様々な行動決定機構があって、それが個体の個性だという。これが心の実体だという。

 さらに石器職人は石の割り方を通して、どこを打てば石が割れるか知っている。石は職人が制御して割れるのではなく、石の隠れた活動体によって割れるのだ、すなわち石にも心があるのだと。

 動物=虫の心も、モノ=石の心もおよそ認められるものではない。これは森山の心の定義に問題があるのだろう。もし心の実体はC(炭素)だと定義すれば石炭にも心があることになる。

 私は『ダンゴムシに心はあるのか』を紹介したとき、

……人間の心を考えた場合、まず意識がある。その下位に無意識がある。さらに下位に内蔵の認知がある。内蔵の認知というのは、食べ物が胃袋に入ったときに消化すべき食べ物だとして消化活動をする胃袋を考えることができる。また黴菌が入ってきたときの白血球の対応を考えてもいい。胃袋も白血球も認知をしているだろう。しかし胃袋も白血球も心を持つとは言わない。

 下等動物の反応は内臓の認知に似ているのではないか。単に先験的にプログラムされたものなのだ。それは決して心の反応というものではない。内臓の認知が発達してそれが無意識にまで進化し、さらに進化して意識を作るのではないか。

 と書いた。モノにも下等動物にも心はないだろう。だが、高等動物、少なくとも犬や猫には心があるのだが。



2018-12-02

[]虫明元『学ぶ脳』を読む



 虫明元『学ぶ脳』(岩波科学ライブラリー)を読む。副題が「ぼんやりにこそ意味がある」というもの。裏表紙惹句より、

脳では様々なネットワークが常に切り替わりながら活動している。何もしていない時にも、脳は活発に活動する。その活動は、脳全体を統合し、記憶や想像、自己の認識や他者の認知にも関係する。ぼんやりしている時に脳のネットワークは再構成され、そこに新たな気づきやひらめきが生まれる。より良い学び方を脳に学ぶ。

 脳は安静時にも活動している。安静時、ぼんやりと何もしていない時、脳のネットワークは外界との入出力に影響されずに、それぞれ別の機能を持ったモジュール自律的自己組織化して働くことができる。

 安静時に活動する脳活動のネットワークを、本書では5つに分けている。感覚と運動に関わる感覚運動ネットワーク、内臓などからの内受容感覚や、外界からの外受容感覚の情報を受ける気づきネットワーク認知機能全般に関わる執行ネットワーク、安静時の活動の主体をなす基本系ネットワーク短期記憶を長期記憶に変換する皮質下ネットワークだ。特に基本系ネットワークは注意を内面に向けた時(内的注意)やぼんやりした時などに活動する。また自由に想像するなどの発散的思考や、社会的認知、自己に関する回想的、展望的な語り(ナラティブという)を形成する働きにも関与する。

 本書では学びに関わる脳の仕組みを4つの段階に分類して説明する(身体脳、記憶脳、認知脳、社会脳)。感覚運動ネットワーク主体の身体脳、短期的な記憶を長期的な記憶として大脳皮質に留める役割の記憶脳、認知脳は目標達成のために、ルールや様々な状況を分析する高次の精神機能を学ぶ部位で、執行ネットワーク主体的に関わる。一般的に執行ネットワークは外界や概念化した対象へ向かい、基本系ネットワークは自己や他者の心の内面に向かう。社会脳は対人関係を介した相手の理解、いわゆる社会認知を学ぶ部位で、基本系ネットワーク主体的に関わる。

 長期の記憶は2つに分類される。意識化でき、言語として、または具体的な映像として報告できる記憶を明示的記憶またはエピソード記憶という。対して自転車の乗り方など行動でしか示せない記憶を暗示的記憶という。記憶の定着は学習後の睡眠や安静の時期に起こる。記憶直後の安静や睡眠を妨げると記憶がきちんと固定しない。

 日常の多くの判断や行動は記憶脳での学びの結果として自動的・習慣的に行われる。しかし記憶脳は合理的でない行動をもたらすことがある。これは認知バイアスとして知られている。認知脳は、行動の損得を短期的な利得より長期的な利得という長い時間尺度で判断する働きに関わっている。また行動の目標に応じて作業記憶を使って複数の行動計画を検討し、先読みを行い、これから行う一連の行動の決定に関わる。認知脳は記憶脳の認知バイアスに抵抗して、合理的な判断をすることができる。

 社会脳では他者の視点を学ぶことが重要とされる。他者との協働では他者をある程度理解することが前提になる。その能力が共感性である。共感性には3つの側面がある。感覚運動的共感は動作や表情の模倣などによって他者の意図や情動を理解するもの。受動的共感は他者の身体へ向けられた痛みなどを自分の身体の痛みのように感じたり、他者の情動表現を見るだけで様々な情動に共感する仕組みである。認知的共感性は、他者がどう考えているかを理解する共感性だ。また自分が他者を理解するというだけでなく、他者視線で事態を理解するということでもある。

 最後に創造的な学びについて語られる。様々な事例から、創造性を発揮する人は、しばしば自分の中にいろいろな多様性を併せ持った混乱している人(messy mind)であるという。また創造性にまつわる多くの逸話では、気づきの瞬間について、ぼんやりとしている時にふと良いアイデアが浮かぶことがあると指摘されている。1日の生活の中に少しでもぼんやりする時間を習慣的に持つことは、基本系ネットワークの発散的思考を最大限に活動させることにつながる。

 本書は学びに関する脳の機能、仕組みを分かりやすく語っている。どんな形で学ぶのが効率的か少しわかった気がする。これからは集中するばかりでなく、ぼんやりもしよう。昔グレアム・グリーンの『落ちた偶像』を酒を飲みながら一晩で読み終えたとき、翌日全く内容を覚えていなくて驚いたことがあった。あれも過度の飲酒で記憶が定着しなかったのかもしれない。



学ぶ脳――ぼんやりにこそ意味がある (岩波科学ライブラリー)

学ぶ脳――ぼんやりにこそ意味がある (岩波科学ライブラリー)

2018-11-29

[]藤井一至『大地の五億年』を読む



 藤井一至『大地の五億年』(ヤマケイ新書)を読む。副題が「せめぎあう土と生き物たち」。藤井は土壌学、生態学の専門家。面白いからって人に勧められて手に取った。

 藤井は世界中の土を研究している。スコップを持って土を掘り、それを分析している。地球が誕生したのは46億年前だけど、土壌が誕生したのは5億年前だった。地球の岩を溶かして土壌に変えたのはコケや地衣類だった。4億年前にシダ植物が繁殖した。それが泥炭層を作り石炭になる。3億年前に裸子植物が主役となった。2億年前のジュラ紀には恐竜がはびこり、針葉樹アロウカリアが広がった。アロウカリアはやがてマツに変わる。マツは外生菌根菌と共生している。それによって植物に不利な環境でも繁栄することがでえきた。1.5億年前に被子植物が誕生した。

 土は植物が栄養を得ることで栄養分を失ってゆき、生育に不利な酸性化していく。土の中の微生物が落葉を分解し、炭素や窒素を体内に集積する。土に栄養を取り戻す。森林では、土が酸性になる現象はあるものの、生態系全体としては養分が失われにくい仕組みがある。ところが畑では収穫物が畑から持ち去られ、植物が吸収したカルシウムやカリウムの分だけ土の栄養分が生態系の外へ失われることになる。土の酸性化が進む。

 水田稲作はその酸性化を回避できている。田んぼに水が張られると土の還元化が進む。土の中のリンが水に溶けやすくなる。稲がリンを吸収する。江戸時代、土の栄養分が持ち出され、土の栄養分が失われた対策に、糞尿が肥料として施された。それが近代になって化学肥料の開発で糞尿の使用はなくなった。しかし著者は化学肥料の原料のうち、窒素以外のリンとカリウムは地下の鉱物がほぼ唯一の供給源だという。そのリンの供給量には限界が見え始めている。

 おやつのポテトチップスや食用油、マーガリン、台所洗剤や石けんには油ヤシから採れるパーム油が使われている。パーム油の輸入元はインドネシアとマレーシアで、この2国で世界の需要のほとんどを賄っている。油ヤシ農園の拡大で熱帯雨林が伐採されている。油ヤシ農園では日本の畑の6倍の窒素肥料がまかれている。土はどんどん酸性になり、河川まで運ばれた窒素は水質汚染(富栄養化)を引き起こす。

 日本のパーム油の消費量は増え続け、その分インドネシアやマレーシアの熱帯雨林が油ヤシ農園に変わっている。ブラジルでも熱帯雨林が農地に変わり、トウモロコシとダイズの配合飼料によって肉牛がそだてられている。これがハンバーガーに形を変え、私たちの胃袋に収まる。「熱帯雨林がハンバーガーに化ける」。それと同じことが起こっている。

 土壌の歴史を語って現代の資源問題にまで及んでいる。地味なテーマでありながら根源的な話になっている。すばらしい本だと思った。

 閑話休題。

 著者が大学院生時代、熱帯雨林では微生物の分解が活発になるため、落葉層は薄く、茶色い溶存有機物は即座に分解されて、落葉層を通過した水は透明だとの通説があった。インドネシアで調査してみた。ところが想定外の事態が起こる。

 2センチメートルに満たない薄い落葉層を通過した水を集めたボトルには、茶色い水が入っていたのだ。聞いていた話と違う。予想外の結果からは、ピンチとチャンスのにおいがした。先達と異なる結果が出たということは、大発見の可能性もあるが、偶然のいたずらの可能性もある。

 これが以前私が「発見した」合掌の法則を思い出させた。

合掌の法則(2016年5月4日)


2018-04-19

[]川端裕人『我々はなぜ我々だけなのか』を読む



 川端裕人『我々はなぜ我々だけなのか』(ブルーバックス)を読む。副題が「アジアから消えた多様な「人類」たち」で、アジアには我々ホモ・サピエンスしかいないのはなぜかと問うている。現在はホモ・サピエンスだけだ。しかし直立原人や北京原人が存在したことがあった。そんな人類の歴史を川端は国立科学博物館人類史研究グループ長の海部陽介の講義や指導を受けながら記述していく。これは海部の研究を川端が分かりやすく一般向けに書いた古代アジアの人類史なのだ。

 人類の歴史はだいたい約700万年の歴史がある。大ざっぱにいって5段階があり、それは初期の猿人、猿人、原人、旧人、新人に分類される。初期の猿人が半樹上性で、猿人が直立歩行が常となった段階。原人は脳が大きくホモ・ハビリスと名付けられた。ホモ属で我々ホモ・サピエンスと同属だ。ホモ・ハビリスがアフリカにとどまったのに対してホモ・エレクトスはユーラシア大陸に進出した。その後に旧人が登場した。ネアンデルタール人だ。その次に表れたのが新人のホモ・サピエンスで、クロマニヨン人や縄文人などだ。

 直立原人、ピテカントロプスは現在ジャワ原人と呼ばれている。インドネシアのジャワ島で発見された化石から研究が始まった。ジャワ島には120万年前に原人が定着したと考えられる。そして5万年前ころまで生き延びていた可能性がある。

 今世紀に入ってインドネシアのフローレス島で身長1メートルほどの小さなフローレス原人の化石が発見された。フローレス原人も5万年前ころまで生き延びていたらしい。

 ネアンデルタール人(旧人)とクロマニヨン人(新人)は同時期に生存していた可能性があり、事実現世人類にはネアンデルタール人のDNAが数%含まれているという。海部はジャワ原人と現世人類も交雑していた可能性があるかもしれないと考えている。

 これを読んで私は古田武彦の説を思い出した。愛媛県には身長の非常に低い地域があって、古田はそれをフローレス原人が渡来してきていた痕跡なのではないかと言っていた。原人との混血については、むかし京大の今西錦司の学生がニホンザルに自分の精子を人工授精して混血を作る実験をしたいと計画したことがあった。学生はそれを反対されたが聞き入れなかったので、生まれた子を認知できるかと言って止めさせたという話を読んだことがあった。ニホンザルと人間でも混血が可能だということなのだろう。だったら原人と新人の混血は充分可能なんだろう。



2018-03-10

[]須藤靖の予想する50年後の世界



 東大出版会のPR誌『UP』3月号に、須藤靖のエッセイ「五〇年後の世界」が載っている。シリーズのタイトルが「注文(ちゅうぶん)の多い雑文 その41」となっている。年に数回掲載されていて41回なのだから、10年間くらい連載がつづいているのだろう。人気のほどがうかがえる。

 須藤は宇宙論・太陽系外惑星が専門の東大教授で、エッセイの本文は結構真面目なのだが、末尾に付されたたくさんの注がおかしいのだ。タイトルの「注文の多い雑文」はそのことを意味している。

 須藤によると、ロシア出身のITベンチャー投資家ユーリ・ミルナーが中心となって、太陽から最も近い恒星プロキシマへ超ミニ探査機を送る計画が2015年に発足している。メチャクチャ面白いにも関わらず極度に成功確率が低い課題に、国民の税金から多額の研究費をつぎ込むことにはかなり問題があるので、大富豪の登場となる。

ミルナーはベンチャー企業への投資で現在35億ドル(約4,000億円)の総資産を持っているらしい。その資産を活用して財団を設立し、ブレイクスルー賞を創立した。それは、基礎物理学、生命科学、数学の3部門に対して、それぞれ毎年総額300万ドルが授与されるというもので、これはノーベル賞の賞金の約3倍になる。

ミルナーの計画するブレイクスルー・スターショット計画が実現すれば、プロキシマを撮影した観測データが、ほぼ50年後に見られることになる。須藤は50年後の結果を確認するのは自分には無理だが、50年後の世界がどうなっているのかについての、須藤の思いつく可能性を次のように列挙している。

・自動翻訳の普及で学校教育から外国語が消滅

・過疎化により高知県が消滅し四国県に統合

・ゲノム編集や再生医療の進展による不老不死の実現

・労働の完全機械化

・脳とコンピュータの完全接続

・AIによる人間の支配

・台風や地震などの天災の制圧

・某国間の核戦争勃発による日本の壊滅

・核戦争や致死的ウイルスによる人類絶滅

・ホモサピエンスに代わる新人類の台頭

・人工生命の完成

・地球外知的生命との遭遇

 「高知県が消滅し」と言っているのは、高知県が須藤の故郷で、この予言を語った会場が高知県だったかららしい。今回、注にT嬢が出てきた。今まで須藤のエッセイを読んだ経験から、彼女は東大出版会の美人編集者であると類推する。その根拠は過去このブログに書いている。