mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-12-31

[][]佐藤洋一郎『稲と米の民族誌』を読む



 佐藤洋一郎『稲と米の民族誌』(NHKブックス)を読む。副題が「アジアの稲作景観を歩く」と言い、佐藤が30年間にわたって調査したアジアのイネと稲作の現地調査を振り返っている。今まで佐藤の著書としては、『稲の日本史』、『イネの文明』、『イネの歴史』などを読んできたが、本書はそれらの研究にあたって調査で訪れたインドヒマラヤ圏、タイ、ラオスベトナムカンボジア中国について、半ば紀行文のような体裁で書き綴っている。肩の凝らない軽いエッセイ仕立てといったところ。それでも野生イネやイネの起源、各地の稲作状況等々が専門家の立場から語られている。

 30年間の調査では、最初に訪れたときと最近の現地の状況がどんなに変わっているかが驚きとともに紹介される。

 私が驚いたこともいくつかあった。田植えの起源について、カール・サウワーの説が引かれている。

 田植えの起源については諸説ある。その中でも、カール・サウワーの、サトイモの株分けがその起源であるとの説は興味を引く。その技術が稲作に転用されたというのである。

 田植えの起源については、2005年に池橋宏が発行した『稲作の起源』(講談社選書メチエ)で、「稲作の起源は根菜農耕から生まれ、多年生の野生稲株分けけから現在の田植えをする稲作が始まった」と書いていて、それが新説だという認識だったが、すでにサウワーが主張していたということだろうか。

 また昔、中尾佐助や上山春平の「照葉樹林文化」という魅力的な提案に心ときめかせていたが、そのことも否定されている。中国の「雲南を行く」の章で、

 かつてこの地は、「照葉樹林文化」の発祥の地であり、そしてそれは東に延びて日本の西南部にも達していた。この文化の共通項が、かつてこの地に入った研究者たちをしてそこを日本文化の起源の場所であると勘違いさせた。

 勘違いだったのか! そういえば、むかし明治維新などの日本近代史を読みふけっていたが、数年前久しぶりに読んだ岩波新書の「シリーズ日本近現代史」で、この分野でも研究がずいぶん進化していることに驚いたことを思いだす。

 本書は稲作研究を中心にした東南アジア研究紀行としておもしろく読んだのだった。

稲と米の民族誌 アジアの稲作景観を歩く (NHKブックス)

稲と米の民族誌 アジアの稲作景観を歩く (NHKブックス)

2016-08-17

[][]ヨシダ ナギ『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』を読む



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 ヨシダ ナギ『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』(扶桑社)を読む。実に楽しい読書。ヨシダは1986年生まれ、中学2年で学校をドロップアウトしたという。それって不登校の引きこもりじゃないか。5歳のときテレビで見たマサイ族に惹かれ、本気でいつかマサイ族になると思った。10歳のころ、母親からアンタは日本人、アフリカ人にはなれないと言われて絶望する。

 しかし2009年に初めて一人でアフリカエチオピアに行く。英語がほとんどしゃべれないまま。エチオピアで雇ったガイドのベイユーとも共通の言葉がないのでなかなか打ち解けない。電子辞書を使ってガイドが話しかける。ガイドから「国技」とか「国鳥」とか示されても、まともに勉強してこなかったヨシダは、その言葉の意味が分からない。それでもガイドは自分の実家に案内して自家製のビールを振る舞ってくれた。しかしそのビールは泥水のようで、しかも青臭く「幼少期におままごとで作った色水と同じにおいがした。味も想像どおり、まずい」。しかし、その後、8年間にマリ、ブルキナファソジブチスーダンウガンダガーナカメルーンチャドナミビアタンザニアを訪ねることになる。

 マリではひどいガイド、シセに会う。シセは「性格はドラエモンに出てくるジャイアン気質。基本的に、おめでたい思考回路の持ち主。体もでかけりゃ、態度もとにかくデカイ。一番欲しいものはカシオG-SHOCK」。首都バコマの博物館で男性器がモチーフの陶器を見せられて、ナギはどのサイズが好き? としつこく聞く。「恥ずかしがるなよー。アフリカ人のチンチンはいいぜ!」と耳元でささやく。

 ドゴン族の村に近づいていったとき、タイヤがパンクし歩いて行くことになった。途中で大きな水たまりに遭遇した。腰まで浸かるほどの深さだ。ヨシダはシセにおんぶを要求する。渡り切ったとき、シセがつぶやいた。「You, small breasts ・・・(おまえ、ペチャパイ・・・)」。それからシセのテンションがガタ落ちになった。

 着いた街ティレリのホテルが最悪だった。与えられた部屋はもろ屋上。コンクリの野ざらし! ゴザの上に1畳くらいの煎餅マットレスを2枚敷いて、蚊帳をつけただけのもの。外からはスケスケでセキュリティは皆無だった。闇の中懐中電灯を口に咥えて水シャワーを浴びた。そして寝ようと思ったら夜露でマットがびしょびしょになっていた。

 次の目的地ブルキナファソでもガイドがシセだった。昼食時、シセが全然辛くないから食ってみとアフリカンペッパーを勧められた。ひとくちで食べると、「死んじゃうんじゃないかってくらい辛い! しゃべれない・・・!」

……喉が痛い。舌も痛い。声が出ない。しゃべれない。大げさに聞こえるかもしれないが、言っておく。コレは大げさに言っているのではなく、顔がメチャメチャに崩れる。アフリカンペーッパーの辛さは喉と口の中に広がって痛みに変わり、口が閉じられなくなる。情けないうめき声と大粒の涙が次から次へと流れ、閉じない口からは滝のようにヨダレがあふれだす。自分で言うのも悲しいが、あの時の私は水木しげる氏の妖怪図鑑に登場してもおかしくない姿になっていたと思う。

 最初に訪問した2年後にまたエチオピアに行った。前回同様ベイユーがガイドをしてくれた。前回ベイユーが入ることを止めた地区があった。今度は少しの滞在時間と約束して連れて行ってもらう。そこはいわゆるホームレスの地区だった。一人の少女がヨシダの手を握った。彼女の母親らしい女性が、「アンタは、私たちを汚いと思わないのかい?」と聞いてきた。ヨシダが首を横に振ると、大人たちがどんどん近づいてきて、次から次へ家に来いとの誘いの嵐となった。

 ひとりだけ常にヨシダのそばを離れない少女ファンタがいた。楽しく過ごした後で別れる間際、ファンタが突然ヨシダのキャミソールの胸元を摑んでズリ下げた。貧乳がポロリとなった。どうして私の服をズリ下げたのか聞くと、「ナギみたいな白人の乳首って何色なんだろう? って考え出したらすごく気とになっちゃったの!」という答えだった。

 カメルーンでコマ族に会う。ガイドに頼んで、服を脱いでコマ族と同じ格好がしたいと伝えてもらう。長老が笑顔になり「われわれの文化を、君のような白人の女の子が尊重してくれることを嬉しく思う」と、自分の4人の奥さんを集めて着替えを手伝うよう頼んでくれた。Tシャツとズボン、ブラをはずし、ボクサーパンツを脱ごうとすると奥さんたちからストップがかかり、パンツの上から腰ひもを巻き、葉っぱを差し始めた。葉っぱを差し終えたのでパンツを脱ごうとすると、彼女たちがペチンとヨシダの手を叩いた。パンツは脱がなくていいと言っているようだ。しかし吉田は「私はこんなダサイ柄のパンツを見られたくない」と通訳に頼んで、パンツを脱ぎたいんだって伝えてもらった。ヨシダがパンツを脱ぎ捨てると、奥さんたちが笑顔で歌って踊り始めた。長老からもわしの5番目の妻として迎えたいとのプロポーズ。(以前、『OL進化論』の事例を紹介したことがあったけれど、女たちはどうして裸を見られるよりダサイパンツを見られるのを嫌がるのだろう?)

 ナミビアを訪ねたときも裸族のダマラ族に会いに行った。やはり裸になって踊ったあと、記念撮影するとき、後ろのおねえちゃんが思いっきりヨシダの胸を触って「ナギのおっぱい、小ぶり」とつぶやいた。その後、ヒンバ族を訪ね、また一緒に裸になると、笑わないヒンバたちが、ヒンバになったヨシダを見てめっちゃ笑っている! 

 末尾のヨシダ ナギのプロフィールに、「2014年にはインド北部のナガ・サドゥ”Shiva Raj Giri”に弟子入りし、ヨガで鍛えた強靭なチンチンに乗せてもらえるまでになる」などと書かれている。知らなかった、ヨガで鍛えるとチンチンに人を乗せることができるようになるなんて! 

 とにかく面白い紀行文だった。万人に勧められる内容だ。思えば戦後すぐの頃、欧米に出かけて行ってカルチャーショックを味わい、ユニークな紀行文を発表した小田実『何でも見てやろう』やミッキー安川の『ふうらい坊留学記』に匹敵する面白さだ。今ではもうアフリカでしかそんなカルチャーショックは味わえないということなのだろう。


ヨシダ,裸でアフリカをゆく

ヨシダ,裸でアフリカをゆく