mmpoloの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-02-16

[][]ギャラリイKの葉緑素為吉展を見て、井上智洋『人工知能と経済の未来』を読む



 東京京橋のギャラリイKで「葉緑素為吉の質問があります10」が開かれている(2月17日まで)。画廊へ行くと葉緑素さんがお客さんに何やら説明していた。麻袋で作った着ぐるみを着ているのが作家の葉緑素さんだ。壁に描かれた縦棒が今回の作品で、葉緑素さんによれば労働需要の減少化傾向を表している棒グラフだという。左端が現在で、右端が2045年ころになる。上の青色AI人工知能)・ロボットの労働需要、次の緑が肉体労働、オレンジが頭脳労働、紫色が事務労働の需要を表している。なんと事務労働は2040年ころには無くなってしまっている。2045年にはAIロボットの仕事が7割を占めていて、頭脳労働も肉体労働もずっと減っている。それらがほとんど人工知能代替されてしまっているという。葉緑素さんはこの図を示して、来場者にこのことをどう思うか考えさせている。

f:id:mmpolo:20180216202944j:image

f:id:mmpolo:20180216202938j:image

f:id:mmpolo:20180216202933j:image

 実はこの考えは井上智洋が『人工知能と経済の未来』(文春新書)で提示しているものなのだ。井上は25年後にはほとんどの仕事をAIが行っていて、多くの人間は失業しているだろうと言う。その時労働者所得を保証するために、井上はベーシックインカムという制度を導入すべきだと言う。政府が国民全員に一定額を支給するという制度。全国民1人あたりに7万円を支給するとすれば、財源が100兆円ほど必要になる。それは増税を当てるという。計算すると年収300万円ほどの人は支給額と増税額が釣り合って損得なし。300万円以上なら増税に、以下なら増収になるとのこと。

 このことに対する意見を葉緑素さんが質問している。それで早速井上智洋『人工知能と経済の未来』(文春新書)を購入して読んでみた。本書は2016年7月に初版が発行されていて、私が買ったのが2017年12月発行の16刷りになっているベストセラーだった。よく売れて読まれているのが納得できる面白さだった。

 昔ギリシアアテネだったか、奴隷が働いて一般市民は働かないで毎日議論やスポーツに明け暮れていた。あの奴隷の代りにAIが働くのなら、それも良いのかもしれない。H.G.ウェルズは『タイムマシン』で未来の世界を描いて、地上に住む人類はただ遊んで暮らしていて、その消費材は地下に住む人類が作っているとした。イギリス上流階級と労働階級の未来図なのだろう。だが地上の人類は面白おかしく暮らしているが知能も衰えてしまっているのじゃなかったか。地下の人類が高い知能を誇って財を生産していた。

 井上も危惧しているが、もしAIが意識をもって進化したら、人類の未来はAIの奴隷になってしまうかもしれないが。

f:id:mmpolo:20180216202930j:image

 上の画像は今回のDM葉書で、棒グラフの代りに色面で表している。

     ・

葉緑素為吉の質問があります10」

2018年2月12日(月)―2月17日(土)

11:30−19:00(土曜は17:00まで)

     ・

ギャラリイK

東京都中央区京橋3-9-7 京橋ポイントビル4F

電話03-3563-4578

http://galleryk.la.coocan.jp/


2017-09-03

[] 鈴木貴博アマゾンロングテールは、二度笑う』を読んで



 鈴木貴博アマゾンロングテールは、二度笑う』(講談社)を読む。副題が「50年勝ち残る会社をつくる8つの戦略」というもの。副題のとおり経営戦略の本だ。発行が2006年10月と古い。古い経営戦略の本で、しかも経営とは私に最も遠い世界だ。なぜ読むのか?

 「アマゾンロングテール」という言葉に惹かれたのだ。私がブログを始めたきっかけは梅田望夫の『ウェブ進化論』だった。2006年の2月に発行されて、それを読んだ日にブログをはじめた。この梅田の本に、「アマゾンロングテール」という言葉が紹介されていた。それを知ったときの強い印象がまだ残っている。それは「アマゾンの売り上げの3分の1は、普通の書店が在庫を持たないマイナーな本から上がっている」というものだった。

 11年前に発行された経営に関する本だから細部はずいぶん古くなっている。章のタイトルを見る。「なぜイトーヨーカドーはダメになったのか」「なぜ松下はマネシナクなったのか」「なぜ小川直也はインリン様に負けたのか」「なぜ外資系金融マンはBMWを買うのか」「なぜスタバはアメリカンコーヒーを駆逐したのか」「なぜローソンファミマ上海コンビニに勝ったのか」「なぜアマゾンロングテールで二度笑うのか」「なぜウィンドウズには欠陥があるのか」というもの。

 松下電器の章で、日本の缶入り飲料のトップ企業はコカ・コーラだという。缶コーヒーの「ジョージア」の売り上げがすごい。当時、「このジョージアは、1年間で大企業が1社買えてしまうほどの利益をアトランタの本社にもたらしています」というもの。そのわけは、コカ・コーラの自動販売機の数が、日本国内でダントツに多いからだという。鈴木はランチェスター戦略を紹介する。「双方が同じような戦い方で消耗戦を選ぶと、必ず勢力の大きい方が勝つ」という法則。企業同士の戦いでは、「戦力差がある者同士が同じ戦い方で正面衝突した場合、成果の差は必ず戦力の差よりも大きく広がる」という原則がある。それで、トップメーカーは下位メーカーの商品の差異化に対して、同質化した商品をぶつけていく。同質化を基本戦略とするトップ企業は、「商品開発力」と「販売力」を武器に同質化を仕掛ける。コカ・コーラがジョージアで成功した理由は、自動販売機の数の圧倒的な多さからだった。松下はかつて専売店の数で圧倒していた。マネシタ電器といわれるほど後発のコピー商品のような戦略で売っていても、販売店の数が圧倒的だったからトップ企業であり続けた。それが崩れたのは、客が近所の専売店で買わなくなって、ヤマダ電機とかヨドバシビックカメラなどの併売店で買うようになったからだ。

 スタバが勝ったのは下流市場を制したからだというのもおもしろかった。私が企業戦略を知らないこともあるが、本書から教えられることが多かった。巻末の「主な参考文献・資料」にも、梅田望夫ウェブ進化論』(ちくま新書)が載っていた。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

2016-12-10

[]『時間かせぎの資本主義』を読む



 ヴォルフガング・シュトレーク/鈴木直・訳『時間かせぎの資本主義』(みすず書房)を読む。最近読んだ本のなかでも極めて興味深い1冊だった。ただかなり難しい内容なので読み終わるのに時間がかかり、よく理解できたとは言いかねる。それでも世の中の仕組みが少しわかった気がした。

 本書は2012年に3回行った講演をもとにそれに加筆している。著者は現代を「租税国家から債務国家への転換だ」ととらえる。

……債務国家とはすなわち、歳出の大きな部分、しかも時には増大を続ける部分を租税ではなく国債発行によって穴埋めし、結果として膨大な国家債務を積み上げ、歳入のますます多くの部分をその債務支払いにつぎ込まなければならぬようになった国家をさす。

コモンプール論についていえば、国家財政危機の原因は、大衆が過剰な民主主義にそそのかされて公的財源からできるだけ多くのものを奪い取ろうとしたことにあったのではない。むしろ資本主義経済からもっとも多くの利益を得た人々が公的財源にもっともわずかなものしか払い込まなくなったことに原因がある。しかも時とともにその負担額はますます少なくなっていった。もし国家財政を構造的赤字に追いこむ「要求インフレ」がどこかにあったとすれば、その源は過去20年間に収入と資産を飛躍的に増やした上位層にある。彼らに有利に作用した減税措置はその代表例だ。その一方で社会の底辺層では賃金と社会保障が停滞し、その水準低下さえ見られた。この発展は、すでに述べてきたように、第1にインフレ、第2に国家債務、第3に「クレジット資本主義」によって生み出された貨幣幻想によって包み隠され、そのつど一時的に正当化された。

 著者は現代の債務国家を、異なる原理で構成された2つの集団としてモデル化している。一つは一般市民(国家の民)で、もう一つは「市場」(市場の民)だ。

「国家の民」は国ごとに組織化され、国家公民として一つの国につなぎとめられた市民からなっている。「国家の民」は国家に対して不可侵の市民権を主張できる。その市民権には、定期的に行われる選挙で選挙民として意思表明をする権利が含まれる。また選挙と選挙のあいだには、自由な意見表明によって「世論」形成に参加し、憲法に基づいて国政を担う代表者たちの決定に影響を及ぼす。これらのことが許されている代わりに、「国家の民」には納税を含む民主主義国家への忠誠義務が課せられており、税金の使用については原則として当該国家組織の自由な決定に任されている。国家公民としての忠誠は、国家による国民の生活保障、特に民主主義的に基礎づけられた社会的市民権保証の対価として理解することができる。

 市民によって統治され、租税国家として市民によって財政的に支えられている国家が、その財政的基盤をもはや市民の出費によって賄えなくなり、その大きな部分を債権者の信頼に依存するようになれば、それは民主主義的な債務国家へと姿を変える。しかし、租税国家の「国民の民」とは異なり、債務国家の「市場の民」は国境を越えて統合されている。「市場の民」もそれぞれの国民国家とは結びついているが、それは市民としての結びつきではなく、単に投資家としての契約法的な結びつきにすぎない。

 「市場の民」は債権を売り払ったり、新規発行債券の競売参加を見送ったりすることができる。国家は債権に対して確実に利払いを行い、将来にわたってもそれを持続する意思と能力を持っていることを確信させることによって彼らの「信頼」を勝ち取り、保持するよう努めなければならない。

多くの兆候は、金融資本が第2の国民として、すなわち「国家の民」と競合する「市場の民」として登場したことによって資本主義と民主主義の関係が新しい段階に入ったことを示唆している。

……債務国家の債務は、自国市民、とりわけ最富裕層から取りそびれた税金を、あるいは紛争回避のために取りたくなかった、ないしはとることを許されなかった税金を肩代わりするために使われている。それによって債務国家への国際的支援は、事実上、債権者への連隊表明と化す。そしてまた、きわめて低率の、しかも新自由主義のもとでますます低率化した税金しか払ってこなかった富裕層への連帯表明と化す。(中略)ちなみに今日の「高所得者層」は、かつてないほど容易に納税義務を逃れることができ、それによって自国に債権を強制することができる。

 だらだらと引用を続けたが、最後に裏表紙の惹句を引いて終わりとする。

 資本主義は自らの危機を「時間かせぎ」によって先送りしてきた。

 70年代、高度成長の終わりとともに、成長を前提とした完全雇用と賃上げは危機を迎えていた。そこで各国はインフレによる時間かせぎ、つまり名目成長に実質成長を肩代わりさせて当面の危機を先送りした。

 80年代、新自由主義が本格的に始動する。各国は規制緩和と民営化に乗り出した。国の負担は減り、資本の収益は上がる。双方にとって好都合だった。

 だがそれは巨額の債務となって戻ってきた。債務解消のために増税や緊縮を行えば、景気後退につながりかねない。危機はリーマン・ショックでひとつの頂点を迎えた。

 いま世界は、銀行危機、国家債務危機、実体経済危機という三重の危機の渦中にある。新たな時間かせぎの鍵を握るのは中央銀行だ。その影響をもっとも蒙ったのがユーロ圏である。ギリシャ危機で表面化したユーロ危機は、各国の格差を危険なまでに際立たせ、政治対決を呼び起こした。EUは、いま最大の危機を迎えている。

 資本主義は危機の先送りの過程で、民主主義を解体していった。危機はいつまで先送りできるのか。民主主義が資本主義をコントロールすることは可能か。ヨーロッパとアメリカで大きな反響を呼び起こした現代資本主義論。

 景気は循環し、現在は底にあるのだから今しばらくの辛抱だなどと思っていたが、あるいはH. G. ウェルズの『タイムマシン』の描く世界のように、富裕層と貧困層の固定化が進み、未来は大きくかけ離れた二つの階級に収れんしていってしまうのだろうか。難しいが考えさせられる読書だった。


2016-05-21

[]伊東光晴『ガルブレイス』を読む



 伊東光晴『ガルブレイス』(岩波新書)を読む。副題が「アメリカ資本主義との格闘」。普段ほとんど経済に関する本を読まないのに、読売新聞の書評(2016年4月24日)で政治学者の牧原出が推薦していたので手に取った。その書評から、

 『ゆたかな社会』『新しい産業国家』『不確実性の時代』など、多作でベストセラーも多いアメリカの経済学者ガルブレイスは、20世紀を代表する知性の一人でもある。著者は、日本経済の現状と政府の政策について鋭い批判を放ってきた論客の経済学者。大病から生還した後、不自由な体を押して書き上げた。「歴史に残る瞬間に身を置く」ことの意味を問う冒頭の一文から気迫がみなぎる。研究と現状批判の集大成である。

(中略)

 本書は、旧著『ケインズ』『シュンペーター』とともに3部作をなす。3人の理論は、戦後日本の経済学者の政治的役割に投影された。敗戦後に経済安定本部の次官待遇として経済復興政策を推進し、ケインズを咀嚼・総合したサミュエルソンを紹介した都留重人。賃金2倍論を唱え、経済審議会総合策部会長として国民所得倍増計画を政府に提案した中山伊知郎。彼らをケインズ、シュンペーターに重ねてみる。バブル経済崩壊からアベノミクスまで、政府の経済政策を指弾し続けた著者の生き様は、やはりガルブレイスだ。経済学者の群像は、資本主義の発達史であり、そのまま戦後日本の政治史でもある。3部作を読み通すと、20世紀の世界と日本が浮かび上がる。そこで著者は問いかける。何をなすべきか、と。重いメッセージである。

 本書のカバー袖の惹句に特徴が簡潔に表現されている。

ケインズによってイギリス論を、シュンペーターをかりてドイツ社会を論じてきた社会経済思想史研究3部作の完結編。

 経済に関する本を読んでこんなに面白かったのは、森嶋通夫の自伝3部作以来だ。伊東光晴がガルブレイスの経済学を実にわかりやすく解説してくれる。最初にアメリカの社会と思想、経済学を概観し、ついでガルブレイスの半生を綴る。その後、彼の代表的著書『アメリカの資本主義』『ゆたかな社会』『新しい産業国家』『経済学と公共目的』『大恐慌』をていねいに紹介している。そんな小難しいように思える内容がとても刺激的で面白かった。経済に関してほとんど無知な私が、なんだか分かったような気になったほどだ。

 40年前に読んだ伊東の『ケインズ』やガルブレイスの『ゆたかな社会』を読み直してみよう。


2015-07-13

[]原稿料の推測



f:id:mmpolo:20150713202007j:image

 朝日新聞に益田ミリが「オトナになった女子たちへ」というコラムを連載している。月に2回ほど掲載されるのだろうか。縦4段組み、左右が12センチくらいで自筆のイラストが入っている。先に読んだ中野翠の映画に関するエッセイ同様ゆるい文章だが。益田のこの原稿料を推測してみる。

 私の推理は1回の原稿料が税込15万円というものだ。自信はあまりない。その根拠は、以前『ナニワ金融道』の漫画家青木雄二が朝日新聞にイラスト付きエッセイを短期連載していたことがあって、自分は金にまつわることをテーマにしているからこの原稿料も公開すると言って10万円だと書いていた。ちょうど益田の連載エッセイの2/3程度の分量だった。

 だいぶ前になるが井上ひさしが朝日新聞の小説時評を担当していたことがあった。当時は前編後編の2回続きだった。井上はそれを熱心にこなし、時評のために購入する本代が毎月100万円にもなって、時評の原稿料で本代が賄いきれないとこれは他の人が書いているのを読んだことがあった。2回で80万円として1回分が40万円となる。

 大江健三郎も以前朝日新聞の夕刊に毎月エッセイを連載していたことがあった。のちに『定義集』として単行本にまとめられた。大江夫人が朝日の連載で生活費が助かっていると、これも何かで読んだことがあった。知名度と内容の濃さから、また生活費が助かるということからすれば50万円くらいだろう。

 以上の3つのわずかな事例から、知名度、文章のゆるさなどから15万円と推測した次第だ。

 大江はノーベル賞を受賞したとき、ノーベル賞受賞者に必ず与えられる文化勲章を辞退した。もしもらっておけば、年額350万円の年金が授与されたのに。山口昌男は晩年文化功労者に選ばれて、文化勲章と同額の年金を大変喜んでいたという。

 文化勲章はたいてい相当な年齢にならないと授与されることがない。高額の年金をもらうようになっても、長年もらい続ける例は少ないようだ。ただノーベル賞受賞者が若ければ、以後亡くなるまで年金が保障されるのだ。